自分が自分の一番のファンだから──“文坂なの”は好きをかたちにできた作品

文坂なの(あやさか・なの)
平成生まれ昭和育ち、懐かしくも新しい楽曲を歌うフリーランス・セルフプロデュースソロアイドル「文坂なの」。全国各地でライブ活動中。多数メディアでも注目を集めるなか、2024年1月に1stアルバム『だけど、わたし、アイドル』を全国流通にてリリース。2024年4月、ヒャダイン作曲の「明治プロビオヨーグルトR-1」CMソング歌唱を担当。2025年2月には、80'sアイドルカバーアルバム『Lost & Found Vol.1』をリリース。2025年4月には、楽曲制作にconnie、葉上誠次郎を迎えた「恋のスリズィエ」をリリースし、「NO MUSIC NO IDOL?」(タワーレコード新宿店発のアイドルとのコラボレーション企画)に抜擢される。2026年には、活動10周年を迎える。
大阪拠点で活動を続けているフリーランス・セルフプロデュースソロアイドル、文坂なの。2026年に活動10周年を迎える彼女が、今年11月26日に4th EP『CITY』をリリースした。作詞作曲は好きな人に自らオファーをして実現したという本作品は、松井寛や佐々木喫茶などそうそうたる名が並ぶ。文坂なのは、なぜアイドルになったのか? なぜセルフプロデュースを続けるのか? その理由が明らかになる。
恥ずかしがり屋だった幼少期
──文坂さんは大阪ご出身ですよね。今も大阪を拠点に活動されているんですか?
文坂 生まれは大阪なんですけど、実は11月上旬から東京に住んでいるんです。地元の大阪にも帰って活動しつつ、東京の活動も増やしてがんばっていきたいなと思っています。
──なるほど、そうだったんですね。では大阪時代から遡って聞かせてください。“昭和と令和を股にかける懐かしくも新しいアイドル”というキャッチフレーズが印象的ですが、どんなきっかけで音楽に触れたんですか。
文坂 小さいころに歌番組で昭和の懐メロ特集とかを見たりして、気づいたら好きになっていたという感じです。あと、ケーブルテレビでよく流れていた昭和のコンピレーション・アルバムのCMがすごく好きだったんですよ。アニメのチャンネルを見つつ、そのCMが流れるのがけっこう楽しみで。私が学生のころってAKB48さんとかが大活躍されていて、現代のアイドルさんの曲も好きで聴いてはいたんですけど、中でも自分の心に響くのは80年代の音楽で、自然に好きになっていた感じですね。
──もともと、小さいころから歌を歌っていたりしました?
文坂 いやもう、全然(笑)。めちゃめちゃ恥ずかしがり屋でした。お姉ちゃんがいるんですけど、ふたりとも照れ屋さんなので家族でカラオケに行っても、両親が歌ってるのをひたすら聴いてるみたいな感じでした。音楽の授業でみんなの前でひとりずつ歌うのとかもすごく苦手でしたから。部屋でひとりで歌うのは好きだったけど、人前で歌うとかは全然考えてなかったです。

──どんなことが好きな子だったんですか。
文坂 休み時間には教室で自由帳にイラストを描くような、あんまり外で活発に遊ぶような子じゃなかったんですよ。自分の好きなアニメのキャラクターを使った二次創作とか、オリジナルの魔法少女のマンガを描いたりとか、架空のアニメのキャラクター設定をして、資料みたいなものを作ったりとか(笑)。今、セルフプロデュースで活動しているんですけど、自分で何か考えてひとりでやるのが好きなのは、そのころからかなと思います。
──そういう描いたものって、人に見せたりはしたんですか?
文坂 見せてなかったです。あくまでも自分の中で「こういうのが好きだな」とか「こういうのいいな」みたいなことを考えるのが好きで、それを誰かに発表することは全然考えなかったです。たぶん今も実家にあると思うんですけど、ちょっと自分で見るのも怖いですね(笑)。
──そんな子が今や人前で歌っているっていう。しかも完全セルフプロデュースのアイドルってすごいですよね。
文坂 そう言っていただくことが多いんですけど、それ以外なかったっていうだけなんです。中学生のころにアイドルにのめり込んで、高校生になってから、オーディションを受け始めたんですけど、全然受からなくて。どうしようってなったときに、地下アイドルという存在を知って、調べていくうちにひとりで活動されている方が多いことを知ったんです。
大阪だと、日本橋界隈で活動する“日本橋系アイドル”みたいなジャンルがあって、ライブハウスに見学に行ったとき、みなさん物販もチェキ撮影も全部自分ひとりでやっていて。それを見てから「自分もひとりでやろう」と始めたので、すごいねって言われると自分的には「あ、不思議なんだ」という感じでした。

──でも、小さいころは恥ずかしがり屋だった文坂さんが、人前で歌ったり踊ったりするようになったというのは、やっぱり不思議です。
文坂 アイドルが本当に好きなんだと思います。いまだにどのライブもめちゃめちゃ緊張するんですよ。人前に立つことって普段ないじゃないですか? ステージに立って、ライトに照らされて歌って、それをみんなが見てるって、いまだに緊張するし慣れないんですけど、でもやっぱり好きだからやれてるんだと思います。
“明菜ちゃん”はファンでもあり憧れの存在
──最初はどんなアイドルからハマり出したんですか。
文坂 AKBさんや声優アイドルさんとか、当時は本当にいろいろ聴いていましたけど、やっぱり一番好きだったのは80年代のアイドルさんでした。思春期で学校にあんまり行けていない時期があって、実家のリビングのパソコンで調べて曲を聴いたりしていたんですけど、そのときに一番胸に刺さったのは80年代のソロアイドルさんだったんです。
──80年代のソロアイドルで、特にどんな方が好きなんですか。
文坂 一番好きなのは中森明菜さんですね。アイドルってキラキラの衣装でフリフリで、かわいくて明るくてみんなに元気を与えるみたいなイメージだったのが、明菜ちゃんってけっこう影のある感じというか。そういうところが新鮮で、すごく惹かれました。
──今日は黒い衣装で撮影していて、中森明菜さんと通じるイメージも感じました。
文坂 自分もキラキラアイドルっていうよりは、切ない曲を歌うことが多いので、通じる部分はあるかもしれないです。それと、私服は基本的に黒しか着ないです。今日はまだ明るいほうで、自宅のクローゼットは本当に真っ黒ですから(笑)。
──大阪出身っていうと、ちょっと陽気なイメージを結びつけたくなるけど、全然そうじゃないわけですね。
文坂 もう、全然。休みの日は家から出ないんですよ。特にひきこもりがちだった中学時代、当時はもう不登校でまったく家から出なかったので、明菜さんのパフォーマンスがそういう自分にすごく刺さったんです。
──そういえば、大分のフェスで明菜さんのステージ(※)を観たんですよね?
(※2025年4月19日、20日に大分スポーツ公園で開催された『ジゴロック 2025 ~大分“地獄極楽”ROCK FESTIVAL』)。
文坂 そうなんですよ! めっちゃ弾丸スケジュールで観に行きました。明菜さんって私が中学生のころにはもうテレビにあんまり出ていなかったし、私の中ではネットや昔のレコード、雑誌の中で見てた架空の人物みたいな感じだったんですよ。だから、ステージに出てきた瞬間に「あ、明菜ちゃんがいる!」と感動して涙が出ました。
幸運なことに前のほうで観られそうだったんですけど、「これ以上近づけない」と思い、前から4列目ぐらいで観ました(笑)。やっぱり憧れだし、ファンでもあるし、いつかお会いしたいなという気持ちはありますね。
──明菜さんをはじめとする80年代のアイドルを好きになって、地下アイドルとして活動を始めたときは、どんな感じだったんですか?
文坂 最初はもちろんオリジナル曲はなくて、カラオケ音源で歌う感じでした。それこそ明菜ちゃんの「スローモーション」「セカンド・ラブ」とか。あと(松田)聖子ちゃんの曲も。

──ご両親とカラオケに行ったときも歌わなかったのに。
文坂 そうですね(笑)。初ステージは20分のステージで4曲歌ったんですけど、もう緊張しすぎて、自分が何をやったかはまったく覚えてなくて、楽屋に戻って号泣しました。安心したのと、「全然できなかったな」っていう悔しさとか、いろんな感情でもうめっちゃ涙で。自分的にはもう本当に0点ぐらいのステージだったんですけど、ずっと憧れてたステージに立てた喜びもあって「一回きりじゃ終わりたくないな」と思いました。
そうしたら、ライブハウスのオーナーさんから「来月も同じイベントがあるから出てください」とオファーをいただいたんです。そこから定期イベントに毎月出るようになって、そのイベントに来ていたほかのイベンターさんのイベントにも呼んでいただくようになったんです。
──それだけステージに魅力があったということだと思うんですけど、観た人たちからの反響はどう受け止めていたんですか。
文坂 褒めていただくこともありましたけど、自分ではピンときてなかったんですよ。だから、なんで誘っていただけるのかなって、いまだに思っていて。応援してくださってる方にはちょっと失礼になっちゃいますけど、ファンの人がなんで自分を応援してくれるのかがちょっとわかんないんですよ。自己肯定感が低いのかもしれないです(笑)。ただ、もちろん制作や作品は自信を持ってお届けしてますし、そんなに思ってくれるなら、がんばって返していかなきゃなって思っています。
ファンと一緒に作っていく“文坂なの”
──ライブは、号泣した初ステージからどう変わっていったのでしょう。
文坂 当時は“ポンバシ界隈”(日本橋系アイドル界隈)でオリジナル曲を持ってる子が本当に少なかったんですよ。私も最初はカラオケで歌ってたんですけど、どうしても自分だけの曲が欲しくなってきて。でもまわりに聞いてもみんなオリジナル曲を持っていないから「どうやって作るんだろうね?」みたいな。なので、当時私がやったのは、Twitter(現X)で「楽曲提供」というワードで検索して、出てきた人に「こういう者なんですけど、曲を作っていただけないでしょうか?」と連絡して。
──まったく面識のない人だけど、その人がアップしている曲を聴いたりして連絡したわけですか。
文坂 そうです。曲を聴いて、「この人にお願いしたいな」と思ってメールしました。そしたら返事が来て、曲を作ってもらって、レコーディングしていただいて──活動を始めて2年目の2018年4月に『ひとりごと』っていう初めてのCDを出しました。それは昔の名義なんですけど、当時の地下アイドルの界隈は「盛り上がってなんぼ」みたいな感じだったので、そういうアイドルチックな曲にしました。
そのあとも2ndシングル、3rdシングル、ミニアルバムと続いていくんですけど、やっていくうちに「自分のやりたいのってこれじゃないよな」っていう違和感もあって、2020年に“文坂なの”に改名をして、今の路線になりました。だから今は、当時の音楽性とはまったく変わってます。制作方法は今でも一緒で、面識のない作曲家さんでも自分で連絡してご依頼しています。それも自分の中では当たり前だと思ってここまでやってきました。

──「こういう楽曲にしたい」というイメージってどんなふうに伝えるんですか?
文坂 「懐かしいけど新しい、80年代だけど新しい」みたいなコンセプトは自分の軸にあるので、それは必ず伝えています。その作曲家さんが好きで頼んでいるので、その方の得意とするジャンルで伝えさせていただくこともありますね。
今回のEPだったら、ほかに収録曲が決まっていて最後にお願いしたのが、加納エミリさんの「ブルー・リライト」なんです。女性に曲を書いていただくのは初めてだったんですけど、ありがたいことにお受けいただいて、細かくイメージをお伝えしました。私は切ない恋愛ソングが好きで自分の声質にも合ってるかなと思うので、そういう曲が多いんですけど、EPの最後を切ない感じで締めくくりたいなっていうのがあったので、「とびきり切なくしてください」とお願いしました。伝え方は作曲さんによってバラバラですね。エミリさんは、もともと面識があった本当に珍しいパターンなんですけど。
──加納さんも、セルフプロデュースで活動しているアーティストですよね。どんなきっかけで出会ったんですか。
文坂 エミリさんが設立された事務所に所属するアイドルさんの主催ライブに呼んでいただいたときに、初めてお会いしたんです。エミリさんご自身もセルフで全部やってきたので、「大変なこともありますよね」みたいに話をして、その日の物販もお手伝いしてくださったんです。そこから連絡先を交換して、仲よくなりました。今回はレコーディングもディレクションも立ち会ってくれて、コーラスも歌ってくださっています。あと、レコーディング終わりに一緒にごはんを食べたんですけど、「当時こういう場面だったらどうしてましたか?」とか、私の人生相談みたいな感じになって、共感祭りでした(笑)。
──セルフプロデュースで活動する上での共感があったわけですね。それこそ衣装とか物販のこととか、いろいろ細かい決め事とかもあると思うんですけど、特にどんなところが大変ですか?
文坂 物販は自分ひとりなのでチェキ撮影してくださる方がいないのは大変です。けど、私のファンの方は協力的で、ツーショットを撮るときは、うしろに並んでる人がシャッターを押してくれたりするんですよ。だからみんなチェキを撮るのうまくなって(笑)。さすがにそれは申し訳ないので、現場のスタッフぐらいは雇えるようになりたいなと思いつつ。あとはそんなに大変だなって思うことは、正直言ってあんまりないですね。
──それ以上に楽しい?
文坂 楽しいし、なんか全部できるようになってしまったので。
──鍛えられてきたんですね(笑)。
文坂 そうです(笑)。いろいろ経験してきたので。まあ最初は“ソロアイドルあるある”かもしれないですけど、「楽屋がない」とかはありました。グループだと、ヘアメイクとかスタッフ、マネージャーが大所帯で来るじゃないですか。私はリハとかもひとりで行くし、個室はそのみなさんが使うので、「文坂さん、スタッフさんがいなくてひとりならすいませんけど、この廊下で」とか……。
──ええ~!?
文坂 この前は、「楽屋どこですかね?」と聞いたら「すみません、フロアに行ってもらっていいですか?」って言われちゃって。でも開場したらお客さんが入ってくるから、「ここにいてください」って、今度は会場の裏の小さい物置みたいなところに移動して、そこで準備しました(笑)。そういうことはいまだにあるので、個室の楽屋を用意してもらえるぐらいがんばろうって思いました。

──そういうのを聞くと、より応援したくなるお客さんもいるでしょうね。来年10周年を迎えるということですが、どんどんファンの方が増えてきている実感はありますか。
文坂 そうですね。「文坂なの」名義になってからは、ラジオや雑誌とか、こういうインタビューとかもでご紹介いただいたり、ライブ以外のお仕事をいただくことが増えてきたので、東京に頻繁に来るようになった3年前ぐらいから、ファンの方も増えてきたなっていう実感はありますね。
上京は夢に近づくためのパズルのピース
──そもそも人前に出たくなかった文坂さんが、こうしてファンの方が増えるぐらいがんばってこられたのって、ただただアイドルが好きだっていうのもあるんでしょうけど、どこにモチベーションを持ってやってきたんですか?
文坂 やっぱり、「好きだから」という理由がもう90パーセントぐらいなんですよね。あとはファンに喜んでもらいたいっていうことですね。自分のことはあと回しで、「これをしたらファンが喜んでくれるかな」っていうのでここまで来ました。
それと、今の名義になって佐々木喫茶さんに作っていただいた1stシングル「愛わずらい」(2021年)を初めてラジオで流していただいたあとの反響が大きくて、「ラジオを聴いてライブに来ました」という方がめちゃめちゃ多かったんですよ。今までのアイドルっぽい曲から、自分の本当にやりたい80年代のジャンルに方向転換をした曲だったので、「これで間違ってないんだな」って自信がついて、この路線でやっていこうと決めた曲でもあるんです。それが今の自分を作り上げる大きなきっかけになっていますね。
──佐々木喫茶さんは今回のEPでも「シャカリキ飲料」を書いていますね。タイトルを見たときに「これはどういう曲なんだ?」って思いました。
文坂 ですよね(笑)。ほかの作家さんには、たとえば「シティポップ調の曲にしてください」とか、失恋の曲だったり、かっこいい女性の曲にしてくださいとか頼むんです。喫茶さんに関しては、もともと80年代風な曲が多くてすごく好きだったので、最初の「愛わずらい」から毎年曲を作っていただいてて今回で5曲目なんですけど、2曲目からは全部お任せでお願いしているんです。
今回は「ちょっと楽しい曲にしていいですか?」って言ってくださって、「曲できました」と喫茶さんからデモ音源と歌詞が届いたとき、ファイル名が「シャカリキ飲料」とあって……。正直、これは何かの間違いであってほしいなって思いながら聴いたんですけど、「ヤルトキシャカリキ」って歌っていて(笑)。最初はびっくりしましたけど、聴いていくうちにすごくいい曲だなって、めちゃめちゃお気に入りの曲になりました。

──『CITY』の収録曲は作詞・作曲・編曲の方が曲ごとに違いますけど、EPとして統一感のある作品だと感じました。どんなコンセプトで一枚にしようと思ったのか教えてください。
文坂 これも上京の話になるんですけど、お仕事が明らかに東京のほうが多くて、毎週のように新幹線で行ったり来たりしていたんです。ホテルに泊まるのも高いし、東京にお家を借りなきゃなという思いはずっとあったんですけど、タイミングを逃し続けていて。それで今回、上京することになったので、決意を込めてタイトルに『CITY』とつけたところはあります。
EPを作ろうと思ったのは、松井寛さん作曲編曲の「Night Mirage」という曲をいただいたときに、すごく都会のイメージが浮かんできて、かっこいいなと思ったのがきっかけです。作詞の鈴木さちひろさんに「都会のかっこいい女性を書いてください」とお願いしてこの曲が完成したときに、そういうコンセプトでひとつの作品を作ったらおもしろいんじゃないかなと思って、EPのコンセプトができ上がりました。
偶然にも「シャカリキ飲料」も都会でがんばる社会人の歌で。原田夏樹さん(evening cinema/Vo)に作っていただいた「初恋と呼ぶくらい」は80年代のトレンディドラマとか都会っぽいイメージが浮かんでいたのでピッタリだし、パズルのピースが当てはまるようにでき上がっていきました。
──セルフプロデュースという意味では、ジャケットなどアートワークへのこだわりもありますよね。
文坂 ジャケットは、今までの自分よりはちょっと大人びた感じを意識して撮影しました。東京タワーが写っていたり、盤面も赤だったり、「大人と都会、東京」みたいなコンセプトで作っています。CDのジャケット、ブックレットのデザインも、入稿まで全部自分でやっています。
──すごくいい声をしてらっしゃって、すんなり耳に入ってくる歌声だと思いました。80年代をイメージした楽曲を歌う上で、工夫していることや意識していることはありますか。
文坂 「文坂さんは歌はうまくないけど声がいいね」って本当にみなさんに言われるんですよ(笑)。宇多丸さん(RHYMESTER)のラジオで初めて言われて、ほかのメディアで紹介されるときもだいたいそうなんです。正直ちょっとショックでした……けど今は「じゃあそこを自分の長所として声を生かすような歌い方を心がけよう」と思っています。
あと、80年代のアイドルさんって、歌の語尾を上げるんですよ。レコーディングのときに「その語尾を上げるの何?」って言われて、聴いてみたら私の歌も全部語尾が上がってて。小さいころからソロアイドルの曲をずっと聴いてたので、自分の中に染みついてる部分はあるかもしれないです。

──今後、東京に拠点を移してからの活動はどんな展開を考えていますか?
文坂 上京したというのもあるし、2026年の4月10日で活動10周年なので、そこに向けて次のリリースの計画とか、スペシャルなことだったりを計画しています。それと、リキッドルームでライブをするのが夢なんですけど、実現できるようにがんばっていこうと思っています。
──日本武道館を目標に掲げるアイドルが多い中で、リキッドルームでやりたいというのはなぜなんですか?
文坂 自分のプロデューサー目線もあるし、ファン目線もあるんですよ。自分自身が自分の一番のファンでもあると思うから。無理してめちゃめちゃ大きいところでやるよりは、堅実にやっていくアイドルのほうが私は推せるので。もちろん、リキッドルームも1,000人規模の大きい箱ですし、今すぐやれっていわれたら埋められないですけど、着実に進んでいきたいなっていう気持ちがあります。
今回のEP『CITY』も、パズルのピースがはまるようにコンセプトができ上がっていったんですけど、そういう偶然的に作っていくものもあれば、先まで考えていることとかもあるので、2026年は、夏までにはこれをして年末までにはこれをして、みたいなことは一応考えています。楽しみにしていてください。
取材・文=岡本貴之 撮影=まくらあさみ 編集=宇田川佳奈枝

文坂なの
4th EP『CITY』
2025年11月26日(水)発売
M1. intro 作曲:松井寛
M2. Night Mirage 作詞:鈴木さちひろ/作曲・編曲:松井寛
M3. 初恋と呼ぶくらい 作詞・作曲・編曲:原田夏樹
M4. シャカリキ飲料 作詞・作曲・編曲:佐々木喫茶
M5. ブルー・リライト 作詞・作曲・編曲:加納エミリ
M6. Night Mirage(Instrumental)
M7. 初恋と呼ぶくらい(Instrumental)
M8. シャカリキ飲料(Instrumental)
M9. ブルー・リライト(Instrumental)