ふたりでやった漫才がとにかく楽しかった…太田プロのホープ・センチネルのコンビ結成前の初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#40

結成6年目のコンビ・センチネル。2020年のコロナ禍に組み、2022年には『ゴッドタン』の「この若手知ってんのか!?」に出演。それ以降も、事務所ライブでの優勝や、『ツギクル芸人グランプリ』『ABCお笑いグランプリ』ファイナリストなど、めざましい活躍を見せている。
しかしセンチネル以前のふたり、大誠とトミサットは大いに惑っていた。そんなふたりを救ってくれたのは太田プロの世話人であった。
ブレイク直前のセンチネル、そのふたりが初舞台に至るまでの道のりを語る。
若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage>
注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。
家出中にお笑いを浴びまくる

左から:大誠、トミサット
──おふたりは子供のころから、お笑い好きでしたか。
大誠 僕は小学生までは全然でしたね。家にテレビが1個しかなくて、いつも親父がゴルフか麻雀を見てて。バラエティ番組はとんねるずさんと、さまぁ~ずさんだけ見る人でしたけど。
トミサット 僕はとにかくバラエティ番組が好きでしたね。小学校低学年のころから、親に黙って深夜時代の『はねトび』(はねるのトびら)を観てました。『リチャードホール』も好きでしたね。団地に住んでたんですけど、親が寝静まったらテレビにめちゃめちゃ近づいて音絞って観てましたね。
──ひとりっ子なんですか?
トミサット お姉ちゃんがふたりいます。お姉ちゃんの影響で、『めちゃイケ』(めちゃ×2イケてるッ!)とか『SMAP×SMAP』を観始めて、バラエティにハマりました。SMAPに岡村(隆史)さんが入るやつがあったじゃないですか、ああいう芸人とアイドルが絡んでいくみたいなのに、すごいワクワクしてました。あと、『とんねるずのみなさんのおかげでした』も好きでした。だから、たぶん僕は平成のテレビのマインドのまま来ちゃってます。車とか爆破してほしいですし。

──自分の愛車でも大丈夫ですか。
トミサット もちろん爆破してほしいです。
大誠 自分のでもいいんだ!
──楽しみです。トミサットさんは学校ではどんな子供だったんですか。
トミサット ホント恥ずかしがりで、仲間内でだけおもしろいことを言う感じでしたね。授業を遮ってふざけるとか、おぞましい行為だと思ってました。

──大誠さんはいつごろお笑いに目覚めるんですか。
大誠 中学のときに家出して、友達ん家に泊まってたときに観ました、一生分。そいつもヘンなヤツで、中学生でひとり暮らしみたいなことしてて。めっちゃテレビが好きなヤツだったんで、全部教えてもらいました。1年近く家には帰らなかったかな。最初は黙ってその家にいたんですけど、ちょっと大ごとになっちゃったんで、居場所だけは伝えて。
──なんでまたそんなに長期間にわたって家出を?
大誠 僕、お父さんが52歳のときの子供なんですよ。今、82歳で。姉ちゃんもいるんですけど、今54歳かな。

トミサット いやいや、お母さんでしょ?
大誠 いや、お姉ちゃん。腹違いでめっちゃ年が離れてる。子供のころは「この家、大人ばっかだな」と思ってなんか居心地よくなかったんですよね。今は仲いいですけど。
──中学生の鬱屈としているときに、一気にお笑いを浴びまくったのは革命的な出来事でしょうね。
大誠 俺の人生にお笑いが一気にバコーンって入ってきた感じでしたからね、最初すごかったっすよ。テレビで見るお笑いがおもしろすぎて帰んなくなっちゃったくらいだから。
恩人は城咲仁とヤマザキモータース

──トミサットさんが芸人になりたいと思ったのはいつごろですか。
トミサット 中学の同級生に「芸人になろう」って誘われたんですよ。学校で目立つタイプではなかったんですけど、誘われるってことは芸人向いてるのかもって思って、その気になりましたね。
でもそいつが大きい企業のひとり息子で、「高校卒業まで待ってくれ」と言われ、次は「大学卒業まで待ってくれ」と言われ……。僕は大学にも行かないでフリーターしながら待ってたんです。でもそいつは大学お笑いを始めて、そこで満足しちゃったらしくて。しかもそのころおばあちゃんが亡くなって、遺言で「家業を継いでくれ」って言われたって断られましたね。僕は7年くらい待ってましたけど(笑)。

──切なすぎますね……。
トミサット でも僕もそのころ牛角でバイトしてて、バイトリーダーになったり、恋愛も楽しんだりしてたんで全然いいんです。でもある時期から酒飲んでてもなんか楽しくなくなってきて、生きてる感じがしなくなった。ちょうどそのころに城咲仁さんのエピソードを聞いて変わりました。
大誠 カリスマホストの城咲さんね。
トミサット そう。城咲仁さんって俳優になったんですけど、そこで「お前の演技は響いてこない」と怒られて、プライドを捨てるためにお風呂場の排水溝をなめたっていうんですよ。それ聞いて俺もなめてみたら、翌日からめっちゃ活動的になったんです。それまでは「明日からがんばろう」って決意しても朝起きたら、決心は流れ去ってたのに。

──どう変わったんですか?
トミサット すぐ同級生を誘って、一緒にエントリーライブに出たんです。そしたらいきなり1位になれて。今思うと見た目のインパクトでウケてたんですけど「俺たち天才じゃん」ってテンション上がっちゃって、すぐ太田プロ(ダクション)に電話したんですよ。「俺たちおもしろいんで、ネタ見てくださいよ」って。
それでネタ見せに参加させてもらったんですけど、緊張しすぎてネタ飛ばして、むちゃくちゃでした。養成所の講師をやられているヤマザキモータースさんにも「お前ら全然なってない、ネタにもなってへん」と言われて。
──落ち込みますね。
トミサット 正直、最初は太田プロとかライブシーンをナメてたんです。「テレビに出てる人いないじゃん」って。でもそのあと、エントリーライブで1位になったごほうびで、K-PROのライブに出させてもらったときに自信をへし折られましたね。
結成したばっかりの宮下草薙さんが、とんでもなくウケてて、とんでもなくおもしろかったんですよ。「え? こんな下のライブに、こんなおもしろい人いるの?」ってびっくりしちゃって。そのあともK-PROのバトルライブ『スクリュードライブ!』に出たら、はなしょーさん(2022年解散)とかもめっちゃおもしろいし。

──打ちのめされた。
トミサット 今思えば、たまたますごい人といきなり出会っただけなんですけど、俺の同級生は完全に心が折れちゃってすぐ解散しました。でも、太田プロのマネージャーさんから「来月のネタ見せは来ますか?」って電話が来たんですよ。解散したことを伝えたら「君はどうするの? お笑いやりたいの?」って聞かれて。「やりたいです」って言ったら太田プロの稽古場に呼ばれたんです。
──面倒見がいいですね。
トミサット そこにマネージャーさんとヤマザキモータースさんがいて「『ネタ見てくれ』っていう気概のあるヤツ、最近おらへんかったから、一応、養成所入れてみようと思うんですけど」「いいんちゃいます」っていうやりとりがあり、稽古場で3時間待たされて、そのまま養成所の授業を受けましたね。
──劇的な話ですね。
トミサット ドラマティックでしたねぇ。正直、電話したときも「芸能界の人たちはドラマティックなの好きでしょ?」って計算してた部分はありましたけど(笑)。
虹の黄昏で決心

──大誠さんはどうやって芸人になっていくんですか。
大誠 僕はその家出先の友達に「俺らも『モヤモヤさまぁ〜ず』みたいなことしようぜ」って言ったことがあって。でも「俺らにはムリだよ」って断られたんです。「お笑いなんてクラスの人気者、エースで4番、太陽みたいなヤツがなるんだから。そんな夢見るのやめよう」って。それでやる気なくなっちゃって。
──お笑いのおもしろさを教えてくれた友達の言うことだから信じちゃいますね。
大誠 でも、高校3年生のとき、文化祭の余興で友達に誘われて漫才をやったんです。それで、俺もやっていいんだって思えましたね。

──トミサットさんも大誠さんも友人に誘われて「自分もお笑いをやっていいんだ」と思えるようになったんですね。ちなみに大誠さんはその文化祭が初舞台になりますが、どうでした?
大誠 身内の前でやったのに、そんなにウケなかったですね。
──ネタはどうしたんですか?
大誠 僕はラグビー部だったんですけど、部活終わりに食堂に集まって作ってましたね。そいつがめっちゃお笑い好きだったんで、僕がなんか提案しても「それは◯◯さんがもうやってるよ……」って言われる感じで(笑)。
──高校生で芸人を「さんづけ」で読んでるあたりにもリスペクトを感じますね(笑)。
大誠 ただ、あんなにネタ被りを避けてたのに終わったあと、ほかのお笑い好きに「お前ら、ダイノジさんパクってんじゃねぇかよ」って言われたんですよ。モデルのエビちゃん(蛯原友里)っているじゃないですか。あの人を「カニちゃん」って呼んだら「カニにちゃんづけかよ!」ってツッコむ。それに「ツッコむとこ、そこじゃねぇだろ」って言うくだりが丸被りしてて。それでお笑い好きのふたりが殴り合いのケンカになってましたね(笑)。

──血の気が多い(笑)。その友達と芸人になるんですか?
大誠 誘われて大学時代にエントリーライブにも3回くらい出たんですけど、結局辞めました。そいつがボクシング部に入ったら、減量のときなんておもしろいこと一個も言えないんですよ(笑)。忙しくて予定も合わないし。で、3回目に出たエントリーライブで、MCをやってた虹の黄昏さんに感動しちゃって。あの人たちどんなライブでも全力でやるから。
──この世代の芸人で、虹の黄昏に感銘を受けた人は多いですね。
大誠 そしてそのライブの帰りに友達と大ゲンカしたんですよ。ふたりともホンモノを見て怖気づいて、八つ当たりしてたんです。乗ってた車を路肩に停めて言い合いになって。結果的に俺はそいつに発破をかけたくて「俺、大学辞めて、本気でお笑いやるわ」って言ったんです。そしたらそいつは「たしかにな、俺も虹の黄昏さん見てそう思ったわ。一回考えさせてくれ」って言ったその翌日に電話で「俺、就職するわ」と(笑)。

──一夜明けて冷静になっちゃった。
大誠 でも俺はもうお笑いやりたくなってたんで、そのまま大学辞めましたね。それでも中学時代に言われた「エースで4番がお笑いやるんだよ」って言葉が頭から離れなかったんで、まさにエースで4番みたいな性格のヤツの首根っこ捕まえて、一緒にワタナベの養成所に入りました。
トミサット コンビ名は「イチバンニバン」ね。
ヤマザキモータースの「ほな、もうええな」

──大誠さんは最初ワタナベだったんですね。
大誠 でも養成所が終わって1年で解散しました。
──それはなぜ?
大誠 僕が講師に逆らったせいですね。僕と相方はふたりともラグビー部だったんですけど、講師が「ボケる理由がわからないから、『ラグビーで頭ぶつけすぎておかしくなっちゃいました』って最初に言え」とか言うんですよ。「なにそれ?」って感じじゃないですか。
トミサット 平成のころの表現だから。しょうがないね。
大誠 7年前でもダメだろ。そのあとも「スクラム組みながら漫才しろ」とか言うし。さすがに俺もボケだと思って「なんすか、それ」ってツッコんだんです。そしたら「お前のそういうとこが悪いんだよ」って言われちゃって、そこから事務所ライブにも全落ち。講師のアドバイスを全無視する僕に、相方も愛想つかしちゃって、結局大ゲンカして解散しましたね。

トミサット すぐテレビに出やすいようにアドバイスされる方もいますからね。
大誠 そう、たぶんその人はテレビの人だった。でも一回、開き直ってユニフォーム着てスクラム組んで漫才したんですよ。そしたら普通にスベったんで、その会場にユニフォーム捨てて帰りました(笑)。
──そこからどうやって太田プロに移るんですか?
大誠 そのコンビは解散したんですが、ライブに出たかったので、太田プロの養成所にいた大野木ひろしってヤツと組んだんですよ。

トミサット コンビ名は「ブルースタンバリン」ね。
大誠 で、大野木が太田プロに「ワタナベのヤツと組みます」って伝えたら「そういうことなら来週から養成所に連れてきなさい」ってことになって。だからワタナベに内緒でちょっとだけ通って、ワタナベ退所後は太田プロ養成所卒業ってことになりました。
──ワタナベにはどうやって説明したんですか。
大誠 養成所の講師をやられているヤマザキモータースさんが話をつけてくれました。「俺、太田の養成所で授業受けていいんですかね?」って相談したら、山崎さんが「何言うてんねん、俺が言ったる」ってすぐワタナベに電話してくれて。どうやらそっちの人とも長い付き合いらしくて電話一本で「ほな、もうええな」って決まりました。
一緒に漫才できたらいいなと思ってた

──センチネルはどうやって結成するんですか。そもそもの出会いは?
大誠 僕がワタナベ、こいつが太田で1年目のときですね。今僕らのラジオの作家もやってくれてる山田ボールペンがやってた『若気の至り』っていうライブで出会いました。太田とワタナベ、人力舎、それぞれの養成所で成績のよかったヤツを集めたライブ。
その後、僕が太田プロに入って前のコンビが1年で解散しちゃうんですけど、ちょうど富里も同じタイミングで解散したんで、一緒にやることにしましたね。ちょうどコロナのときでしたけど。
──お互いのことは意識していたんですか。

大誠 一度、シャッフル漫才をやったんです。
トミサット そのときに相性がよかったんだよな。
──センチネル結成前に、ふたりの初舞台があった。
大誠 『若気の至り』の1周年オールナイトでしたね。くじ引きで即席コンビを組んで、別のコーナーをやってる間にサッとネタ合わせしてすぐやったんですけど、なんか楽しかったんですよ。
トミサット そんなに合わせてもないのに噛み合ってて。あのイメージがずっと残ってたから、一緒にできたらいいかもとは思ってましたね。

大誠 俺はワタナベ時代のコンビを解散したのに、そのことをまだ公にできない時期でした。だから一番モチベーションがなかった。なのに富里とのシャッフル漫才がめっちゃ楽しかったのを覚えてます。それで組んだのが2020年の7月くらいだった気がしますね。
トミサット 僕も当時は前のコンビを解散して暗黒期で病んでたんですよ。
大誠 当時はピン芸人・パイナポー富里でしょ?
トミサット そう。夜中に自暴自棄になってお酒飲みまくってアフロだったのに坊主にしてパイナポー富里になりました。
大誠 絶対アフロのころのほうがパイナポーなのに(笑)。
文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平

センチネル
大誠(たいせい、1993年11月25日、埼玉県出身)と、トミサット(1993年4月13日、東京都出身)のコンビ。020年結成。2024年に『ツギクル芸人グランプリ』、2025年には『ABCお笑いグランプリ』でファイナリストとなる。ラジオ『センチネルのラジオ&ピース』(GERA)は毎週木曜日20時に最新回が配信。YouTubeチャンネル『チルチルセンチネル』も不定期更新中。
【前編アザーカット】





【インタビュー後編】
「先輩を追い越したい」年間400本のライブをこなすブレイク前夜のコンビ・センチネルが目指す先とは|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#40