観た人もきっと“トリツカレる”──映画『トリツカレ男』原作:いしいしんじ×監督:髙橋渉【特別対談】

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何かを好きになると、とりつかれたように夢中になる「トリツカレ男」のジュゼッペが、風船売りの女の子・ペチカに恋をする小説『トリツカレ男』が、ラブストーリー・ミュージカルとしてアニメーション映画に。作る者も見る者も“トリツカレる”という本作について、監督の髙橋渉と、原作者のいしいしんじに語ってもらった。

作っている人たちもみんな「トリツカレ男女」

★『トリツカレ男』メインnew

──まず髙橋監督は原作と出会ったとき、どのような印象を持たれたのでしょうか。

髙橋 お話をいただいて原作を読んでみたのですが、最初は「自分には難しいかもな」と思ったところもありました。すごくピュアで美しいお話で、直前まで『クレヨンしんちゃん』のおバカな映画を作っていた自分にできるのかなと。

でも、原作を読み込んでいくうちに、キャラクターのユーモラスさやお話が持つ温かさがすごく染みてきて。こうした面を打ち出していけるのなら、僕にもできるかもしれないなと思ってお受けしたんです。

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──いしいさんは、映画化についてどのように思われましたか。

いしい これまでも実写化のお話があったり、お芝居にしてもらったりしたこともあったんです。ただ、今回はアニメ化というお話で、ずいぶん前に書いた小説だったものですから(初版は2001年)、いまだに映像化を考えてくれる人がいて、ちゃんと小説を読んでもらえたことが素直にうれしかったです。

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──アニメ映画化するにあたって、どういったところからアプローチされたのでしょうか。

髙橋 キャラクターが一番要になるなと思ったので、キャラクターのデザインを決めるところからスタートしました。キャラクターは荒川眞嗣さんという超ベテランアニメーターの方に描いていただいて。

いしい いわゆるアニメーション的なイメージのキャラクターとも全然違ったので、それはうれしかったですね。おもしろかったのが、キャラクターデザインが発表されたときに、「『クレヨンしんちゃん』のタッチに似てるね」という声を聞いたことで。

髙橋 シンエイ動画にしてみればわりとおなじみの絵柄なので、自分ではあまり違和感がなかったんですけど、世に出したときはいろんな反響がありましたね。荒川さんとは、「今回はクラシックなアニメーションに対してのリスペクトを出していこうよ」と話していました。荒川さんはそういう絵が昔からお得意だったので、今回は本領発揮といった感じです。でも、ポージングや立ち方の重心はすごくリアルなんですよ。だから、すごく生っぽく見えると思います。

いしい それに動きが激しい。キャラクターの動きが激しいからこそ、動いている最中の体のバランスや飛んだときのポーズなどは、すごく理にかなうように描かれてるんだろうなって思いながら見ていました。

髙橋 リアルすぎるタイミングだと軽やかさみたいなものがなくなるので、昔のアニメならではの動きの気持ちよさみたいなものを意識していったところはありますね。

──いしいさんは、アフレコ現場にも見学に行かれたそうですね。

いしい まずその前段階として、主人公のジュゼッペが住んでいる部屋などの美術設定を家に送ってくださったんです。テーブルに積み上がっているものや、壁にかかっているものから、ジュゼッペがどんなことをしてきたかがわかる。そういった背景まで含めて制作されているのを感じました。

それを見て、作品を丁寧に扱ってくださっている、その姿勢に心を打たれてしまって。「この人たちこそ、『トリツカレ男女』なんじゃないの?」って思いましたね。本当にいい人たちにアニメ化してもらえたなと、うれしくなりました。

──アフレコ現場はいかがでしたか。

いしい スタジオに行ったら、ジュゼッペ役の佐野晶哉さんがひとりでふらっと入ってきて。それで声を入れてみますとなったら、踊るんですよ。奇をてらっているわけでも、わざと声を振り絞るでもなく、声の流れと体の動きがまったく一緒になっている。この人、天才なんだろうなって思いましたね。

ジュゼッペっていう主人公は、いろんなことにとりつかれては極めていく、ある種の天才なんですよ。その天才を演じるには天才じゃないとダメだと、監督も思ったんじゃないですかね。ホントすごいことしはるんやなって、びっくりしました。

『トリツカレ男』場面写_ジュゼッペ

髙橋 ジュゼッペのキャスティングは悩みましたね。なんにでも夢中になれて、純粋で、きれいな心を持っている、そんなジュゼッペみたいな人にやってもらわないとダメだと思っていたので。

そうしたら、スタッフから佐野さんの名前が挙がったので、テレビを見てみるとバラエティでコントのようなことをやっていた。それで、お笑いができる人ならジュゼッペもできるだろうという確信みたいなものが湧いて、オファーさせていただいたんです。フラれたら立ち直れない、企画もどうなるかわからない、みたいな告白に近い気持ちだったので、受けていただけたときは本当にうれしかったです。

──実際に声を当てる様子を見て、間違っていなかったという手応えはありましたか?

髙橋 それはありましたね。アフレコ中は、佐野さんというよりジュゼッペに話しかけているような気持ちでやらせてもらえて、幸せでした。それはペチカ役の上白石萌歌さんも同じです。実際にお会いしてみると、目の奥がマグマのようにたぎっていると感じて、「この人はペチカだ」と思いました。

いしい 上白石さんは、まるでチェロに手が生えて、自分でペグをチューニングしながら音の出方を確かめるように声を出していたのが印象的でしたね。そのくらい、自分の声で何かを伝えるということを真剣にやられている人なんだなと。振り返った瞬間の「え?」というひと言まで、全部自分で納得した上でやってはる。まさにペチカという感じでした。

『トリツカレ男』場面写_ペチカ

森のように自然でまっすぐな作品になった

──スタッフの方々こそ「トリツカレ男女」だったのではないかというお話もありましたが、実際のところどのように制作に取り組まれていたのでしょうか。

髙橋 最近なかなか作られない少し古いスタイルの作品だったので、やってみたいっていう方がすごく多かったんですね。だからこそ、作画もキャラクターデザインも色彩も美術も撮影も、その方々なりの哲学みたいなものがあって、僕が「ちょっと違うんじゃないかな……」と思うところがあっても、「いや、これでいいんだ!」みたいな(笑)。でも、そう言ってもらえるのはうれしいので、スタッフがぶつけてくるものを受け取っていったような気がします。

──作品の中でクラシカルなスタイルが感じられるのは、どういった部分ですか?

髙橋 会話のテンポでも、最近は詰めて詰めてテンポをよくしたものが多いんですけど、今回はどっしりとカメラを置いて、じっくり芝居を見せるようなものになっています。スピード感は失われるものの、キャラクターのゆるやかな空気を見せるのには有効で。たとえば、ペチカの瞳の曇りみたいなものがキーになるお話だったので、その変化を絵でつけようかとも思ったところを、あえて芝居の雰囲気で伝わるようにしたり。

いしい ストーリーの上でも、ペチカの表情が濁っているといったことは一切書いていないんですよ。瞳の曇りは、トリツカレ男のジュゼッペにしか見えない。観客にも、シエロにも見えないんです。ジュゼッペだから気づく。たぶんペチカもわからない。

髙橋 じゃあ見せなくて正解だった……!

──完成した作品を、いしいさんはどのようにご覧になられたのでしょうか。

いしい 大勢の方々がそれぞれの得意技をフルに使って、小さな種を大きな森にしてもらったと思いました。変な幹や、見たことのない葉っぱがあるんだけど、みなさんにしか作れない大きな森を見せてもらったなと、自分が書いたことも忘れて見上げているような気分でしたね。

全体が森だと感じたのは、意図して作り上げた何かではなくて、まるで昔からあったみたいに自然だっていうことじゃないかなって。きっと40年前の人が見ても、40年後の人が見ても、今と同じように楽しめるんじゃないかと思うんですよね。

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髙橋 やろうと思えばすべてコントロールできてしまうのですが、そういう作り方ではなかったんです。いろんなアイデアや、ベテランの技、若手の暴走的な情熱などがぐちゃぐちゃにくっついてしまえばいいなと思っていました。なので、いしいさんに森のようだと言ってもらえたのはうれしいですね。そういうものを作りたかったんだと思います。

──いしいさんの中で印象的だったシーンはありますか?

いしい 覚えているのは、最初にジュゼッペがオペラにとりつかれて歌い出すところ。歌が始まる瞬間が、絵柄も佐野さんの声もちょうどいいタイミングで、「ああ、本当に始まるんだな」って。特別な時間を自分も一緒に体験していくんだと思えたので、始まりの場面はすごく覚えていますね。

──ミュージカルの要素は、この作品のカギのひとつだと思います。リアルな会話や重力感から、アニメらしい演出へと飛躍できるのもミュージカルシーンがあってこそかなと。

髙橋 ミュージカルにはあまりなじみがなかったのですが、やっぱり歌のシーンは気持ちがいいですよね。楽しさや悲しさ、愛する心を歌にできるのは、ミュージカル映画の強みだなと。今回も感情を歌う場面がたくさんありますけど、見てくださる方々にもすごく一体感が生まれるんじゃないかと思います。

『トリツカレ男』

──ほかにも風景や雪の描き方など、おもしろい演出がたくさんありました。監督として気に入っている演出などはありますか?

髙橋 荒川さんにはイメージボードといいますか、場面ごとのイメージみたいなものもたくさん描いていただきました。荒川さんはすごく絵の力を信じている方で、たとえば、公園の中の紅葉では「色の強さを出すんだ」と、木々を一本一本書くんじゃなくて、色の印象だけをたたきつけるように描いている。雪や水しぶき、煙の表現などもすごくこだわっていただきました。そういった要素が作品の統一された印象を生み、全体を下支えしてくれていると思います。

いしい 街でいうと、俯瞰する風景などは小説には出てこないんです。僕はどういう街なのかそこまで考えていなかったんですけど、古さといい新しさといい規模といい、ちょうどいい感じに創作されていて。あと、車のデザインもすごくよかったです。自分が書いていないところをうまいことかたちにしてくださっているのが、すごくおもしろかったし、楽しかった。

──それこそまさに、「ここはこうだ」というスタッフそれぞれの答えというか、こだわりがあった部分なのではないでしょうか。

髙橋 ありましたね(笑)。「こんな三角屋根があるわけないじゃないか」みたいなところもあるんですけど、見た目のシルエットがよければよろしいみたいな。それだけに、何が正しくて、何が間違っているのかわからなくなってきたところもありましたが……。

いしい とりつかれてる限り、正解なんです。とりつかれてない状態でやっちゃうと、間違うんですよ。

散歩気分で作品の中に入り、とりつかれてほしい

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──髙橋監督は、作品と向き合う中で、原作に対する解釈や印象などが変わっていった部分はあるのでしょうか。

髙橋 作品に取り組みながら、現実とのギャップに悩むことはありましたね。世の中では大変なことが起こっているわけですが、『トリツカレ男』の世界のほうが僕にとっては現実で、社会のほうがフィクションというか、ウソのようにしか感じられなかったんです。おもちゃみたいな武器で人が殺されるような現実を信じたくなかった。でも、自分にできることがあるとしたら、こういう美しい作品をひとつでも作ることなんじゃないかと思うようになって。きれいな話を、きれいなままかたちにしたいという気持ちがありました。

──いしいさんは、この作品が今読まれる、映画として見られることについてどう考えていますか。

いしい 僕は世の中とまったく切り離されてるんですよ。でも、世の中との対比でいうなら、兄に言われた「お前の書くものは、ホラは吹くけどウソはつかへんもんな」という言葉がうれしくて、心に残っていて。人をおもしろがらせて幸せにするホラはいいけど、ウソはつくもんかと思っていました。

ウソがないというのは大事で、この映画が森だと言ったのも、ウソがない「本当」だということですよね。真っ正直な自然の森で、みなさんが信念を持って作られているのが伝わってくる。だから、僕は「美しいな」と思ったんです。このお仕事自体が本当に美しいことだったんだと、感銘を受けました。ここまで押しつけがましくない作品はそうそうないと思う。

──強いメッセージ性などがあるわけでもないけれど、ただ心に残るというか。

いしい 何もないですもんね。ただ、ごまかさない、ウソをつかない、一生懸命やる、妥協しない。本当に基本的なことじゃないですか。世の中的には「いや、そうは言っても……」みたいなことがあると思うんですよ。でも、その気配すらないというか。

髙橋 映画を作っているとよく作品のテーマを聞かれるんですけど、いつも困るんですよね。何かに注意して見てほしいわけではないというか、ただその中にいてほしい、作品の中に入っていただければそれだけでいい、みたいな気持ちなんです。今回は特にきれいな映画になっておりますので、そこに散歩気分で足を踏み入れてもらえればいいなと思います。

いしい とりつかれてる人間にテーマなんかわかんないですよね(笑)。そんなこと考えてないですよ。でも、見た人はそれぞれ何かを感じる。それが正解だと思うんです。たぶん、作っている人たちが一番わかんないと思いますよ、とりつかれてるから。見る人もとりつかれてくれたらいいですね。

取材・文=後藤亮平 撮影=時永大吾 編集=中野 潤

髙橋 渉 たかはし・わたる
アニメ演出家、監督、脚本家。日本映画学校卒業後、シンエイ動画に入社。テレビアニメ『クレヨンしんちゃん』『あたしンち』などの演出、劇場アニメ『劇場版3D あたしンち 情熱のちょ〜超能力♪ 母大暴走!』『クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』などの監督を務める。

いしいしんじ
小説家。京都大学文学部仏文学科卒。2000年、初の長篇小説『ぶらんこ乗り』刊行。2003年『麦ふみクーツェ』で坪田譲治文学賞、2012年『ある一日』で織田作之助賞、2016年『悪声』で河合隼雄物語賞を受賞。『トリツカレ男』は2001年に刊行、2006年に文庫版が刊行。

★『トリツカレ男』本ビジュアル

『トリツカレ男』
11月7日(金)全国公開
(C)2001 いしいしんじ/新潮社(C)2025映画「トリツカレ男」製作委員会

 

200604|文|トリツカレ男|106923|書影 (1)

いしいしんじ『トリツカレ男』(新潮文庫刊)

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