社会人として働きながらM-1目指してライブに出た日々…シンクロニシティの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#38

『M-1グランプリ2022』敗者復活戦にトップバッターで登場したシンクロニシティは圧巻だった。感情を排して言葉を発するよしおかは、さながら古のアンドロイドのよう。対する西野諒太郎は、よしおかの屁理屈に翻弄されながらも、彼女の言語ゲームに付き合い続ける。ふたりの歪(いびつ)で体温低めのやりとりは、妙におかしく目が離せなかった。
当時、シンクロニシティはともに社会人として働くアマチュア芸人だった。大学お笑いで出会い、卒業後もプロへの道は選ばずに、お笑いを続けたふたり。一見、いわゆる「芸人っぽい」オーラも感じさせない。なぜふたりはお笑いに惹かれ、追求し続けているのだろうか。
シンクロニシティの初舞台へと至る歴史を聞く。
若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage>
注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。
高校時代はひとりで200本近くネタを書いてた

左から:西野諒太郎、よしおか
──おふたりは学年は違いますが1994年生まれです。子供のころからお笑いは好きでしたか。
西野 僕はひとりっ子なんですけど、父の影響であらゆるバラエティ番組を観てました。お父さんは仕事以外でほとんど家から出ない人で、月〜金曜日に録画したバラエティ番組を土日に朝から晩まで流しっぱなしにするんです。本当になんでも録ってて、『(さんまのSUPER)からくりTV』から『笑いの金メダル』、『ゴッドタン』まで一緒に観てました。
──深夜番組を親子で観ると、気まずくなりませんか。
西野 下ネタが出ても、父親は「これが本当におもしろいお笑いなんだ」っていう笑い方をするんですよ。母はたまに「下品ねぇ」って言ってましたけど、基本そんなに口出しもしない。下ネタだからどうこうっていうのは野暮っていう雰囲気でした。
──西野さんはラジオも聴いていたそうですが、それもお父さんの影響ですか。

西野 ラジオは自分だけです。きっかけはバナナマンさんで、最初はTSUTAYAで単独ライブをDVDで借りて観たこと。そこから『(金曜JUNK バナナマンの)バナナムーンGOLD』のポッドキャスト版を聴くようになり、その流れでラジオ本編を知って、ほかの曜日も聴き出して。高校時代は学校でひと言も発さない人間だったんですよ。とにかく社交性がなくて、友達ができなくて。ラジオの会話だけを耳に入れてました。
──西野さんは東京出身ですが、お笑いライブも行ってましたか?
西野 『M-1』は1回戦から準決まで、最低1回ずつは観たことありますね。社交性がなくて相方も作れないくせに、ひとりで200本近くネタを書いてました。大学お笑いのライブにも行ってたので、進学したら絶対お笑いサークルに入ろうと決めてましたね。自分みたいな人見知りは社会人になれないから、自分でネタを作って生活できるようになりたかったんです。
──お笑いへの思いをひとりで煮詰めていたと。よしおかさんはどうでしたか。

よしおか 普通の子供が観るバラエティ番組を観てましたね。中学生になったら深夜番組も少しは観てましたけど、西野さんほど深く観てたわけじゃない。だから芸人になっても「あの番組観てた」みたいな芸人の話にはついていけないです。
──お笑い以外に夢中になってたことは?
よしおか アニメが好きでしたけど、それもオタクっていうほど詳しくはなくて。語れるものはないです。
──そんなよしおかさんが、なぜ芸人になるんですか。
よしおか 就職に有利だと思って、大学では人前に出るサークルに入ろうと思ったんです。度胸をつけたかったんですよ。それで演劇サークルとか合唱サークル、落語研究会を見てました。演劇とかはちょっと「演じてる私」みたいなのが自分には合わなかったし、合唱サークルはすごくお金がかかるので、落研を選びました。
色物番長・西野と、天才・よしおか

──よしおかさんがなぜお笑いならできると思ったのかは不思議です。
よしおか 中央大学だったんですけど、落研の新歓ライブに出てた先輩たちを見て「これだったら自分でもできるかも」って思っちゃったんですよ。
西野 それに僕は出てたんですよ(笑)。
よしおか 実際にやってみたら難しかったですよ。最初は自分のことを客観視できなくって、みんなに受け入れてもらえるようなネタが作れなかった。コントをやっても誰かが死ぬみたいな、ブラックなネタばかり書いてました。
──大学時代、芸人としての初舞台は覚えていますか。

よしおか 学園祭ですね。そのときは明るいキャラクターでやってウケたんです。ヘンな開放感があって、自信をつけちゃった記憶があります。けど、外の大会に出たら全然ウケない。外の世界だと受け入れてもらえないんだって落ち込みました。でも大学3年生のM-1(2016年)で準々決勝まで行けて。そこでプロになりたいなって気持ちが少し芽生えました。まぁどうせ普通に就職するんだろうなとも思ってましたけど。
──大学3年生で、M-1準々決勝はすごいですね。何か転機があったんですか。
よしおか それまでは明るい雰囲気でやってたんですけど、疲れちゃったときにフザケて暗い感じでボソボソしゃべってみたんです。そのネタ合わせの動画を見た西野さんが「この暗い感じでやったほうがいい」って言ってくれて、それからずっとこの感じです。
──よしおかさんのこのダウナーな佇まいは、西野さんが発見したんですね。

西野 これがよしおかさんの普段の状態なんです。なのに昔は無理して大きい声出してたから、そのままの暗いキャラでボソボソ言ったほうがウケるよって伝えて。そしたら一撃で準々決勝に上がったんですよ。
よしおか 当時の西野さんは、学生お笑いで賞も獲るし、外のライブもたくさん出てたので、部員から尊敬されて調子乗られてたんです。変わった後輩を集めて『(踊る!)さんま御殿!!』みたいなことをしてました。
西野 なのに、よしおかさんがM-1で準々まで行ったせいで「西野の今までの偉そうな態度はなんだったんだ?」って空気になった(苦笑)。
──高校時代は不遇だった西野さんが、せっかくお笑いの力で大学デビューしたのに……。
西野 ホントそうですよ。高校は明治大学の付属だったんですけど、エスカレーターで大学行って急にお笑い始めるのは恥ずかしいから、わざわざ中央大学を受験して落研に入ったというのに。
──せっかく作った『さんま御殿』ならぬ「西野御殿」も崩壊したと。
よしおか ふふふふ(笑)。

西野 よしおかさんのせいでヘンな誤解が生まれてますけど、「御殿」を作った覚えはないんですよ。中央大学の落研には代々、ネタについて批評する説得力のある「色物番長」という恥ずかしい役職があって、僕はそれに選ばれただけです。
──でも「色物番長」に選ばれるのもすごいことだと思います。
西野 たしかに大学は生まれて初めてスタートダッシュを切れたんです。高校生のころに200本近くネタを書いてたから、大学1年でいきなり始めた人とはちょっと差があった。よしおかさんが出てくるまでは本当に気持ちいい日々を過ごしてました(笑)。
初舞台から、よしおか節炸裂

──西野さんは、落研での初舞台を覚えてますか?
西野 学内のライブでコントをやりました。大学のちっちゃいホール、といっても100人くらい入るところなのに、お客さんは5〜6人くらい。基本的に無音で、誰もウケない。たまに身内の「すぅ……!」って息を吸うような音が聞こえて、そのかすかな反応をウケたことにしてました(笑)。
──でも西野さんも学生時代にM-1の3回戦に行かれてたんですよね。
西野 2015年、4年生のときですね。でもさんざんでしたよ。その3回戦はめっちゃスベって、おまけにエントリー順が早かったせいで、当時配信していたGYAO!で一番最初に上がったんです。「こいつらのせいでM-1がおもしろくないと思われたらイヤだな」ってコメントされてて。初めてそんなこと言われたので、めっちゃショックでしたね。
──まだ学生でアマチュアなのに、それはヘコみますね。

西野 僕らのせいで大会がおもしろくないと思われるなんて、けっこう悲しいじゃないですか。あの悔しさは糧になってるかもしれないです。
──西野先輩がヘコんでるのを見て、よしおかさんはどんな言葉をかけるんですか。
よしおか いや、ヘコんでるの知らなかったです。いつもヘラヘラしてたから(笑)。
西野 僕も悔し紛れで「大学生で3回戦はウケないから」って言いきったのに、よしおかさんが準々決勝に行っちゃった(笑)。
──それぞれ別のコンビで活躍していたふたりが、どうして組むことになったんですか。
西野 大学お笑いって何組も組むのが普通なんです。僕らの落研も部員20人で3日間ライブを回すために、最大4組まで組んでいいってことにしてて、そのうちの1組でよしおかさんと組んでました。
よしおか 西野さんと初めて組んだとき「やりたいネタがある」って言われたんですよ。
西野 なんせこっちは200本近くストックがあるんで、「この中だったらこれがいいんじゃないかな」って。
よしおか メモ帳に設定だけ書いてあるんですよね。

──最初はコントだった?
西野 そうですね。基本的にバナナマンさん、ラーメンズさんに憧れていたので。
よしおか シンクロニシティの初舞台は「マジック」のネタでした。
西野 マジシャンの僕が、よしおかさんに引いてもらったトランプを当てようとするんですけど「あなたの選んだカードはなんですか?」って聞いたら……。
よしおか 「覚えてないです」。
──最初からめちゃくちゃよしおかさんですね(笑)。
よしおか あと、お墓のネタも覚えてます。西野さんがお墓参りに来た人で、私が幽霊。襦袢(じゅばん)を着た私が「地獄の合唱コンクールのために練習してるんです」って「千の風になって」を歌うんです。
西野 よしおかさんがもともと合唱にも興味があったって聞いてたから、そういう設定にしました。
前のコンビには、未来がなかった

──結成時から、手応えはありましたか?
よしおか あのころはお客さんがお年寄りばっかりで優しかったです。
西野 土日に八王子の東急スクエアの会議室を借りて「大学生落語会です」って言ったら、地元の方が来てくれるんですよ。
──お互いに相性がいいなとは思ってた?
西野 相性はわからないですけど、よしおかさんのことはずっと、めちゃくちゃおもしろいと思ってたんですよ。普段しゃべっててもずっとウソつくんです。なんか飲んでるよしおかさんに「何飲んでるの?」って聞いても「何も飲んでないです」って無表情で返してくる。このキャラクターならコントでも漫才でもいけそうだなとは思ってました。

よしおか 当時は西野さんは、ずっとヘラヘラしながら私の動向を見てました。
西野 動向って(笑)。
よしおか すぐツッコんでくる。ツッコミ警察。
西野 自分はツッコミがうまいと勘違いしてました。
よしおか ツッコミ警察の西野さんには、捜査対象者が何人かいたんですよね。
西野 明らかにおもしろい人が3人ぐらいいて。中でもよしおかさんは自分のこともコントロールした上でおもしろいんですよ。あとふたりはただの奇人(笑)。
よしおか 奇人が一番おもしろいですけどね。

──ふたりとも大学お笑いで結果を残して、プロになろうと思ったんですか。
西野 いや、大学3年のときにあきらめて就活してました。
よしおか 私もまったく考えてなくて。準々決勝に行ったときはベストアマチュア賞もいただいたんですけど、「アマチュア女子大生」って持てはやされても、2〜3年後には女子大生ではなくなって、ただの「アマチュア女コンビ」になるから、未来がないなぁと思ってました。
──すごく冷静ですね。
よしおか それで前のコンビはその年のうちに解散しました。相方もプロとしてお笑いやりたいタイプじゃなかったですし。そこを解散してからはシンクロニシティだけで活動してました。

西野 僕は先に卒業して就職してて。でも働き始めて1〜2週間で、仕事しんどいなぁと思って(苦笑)。
──もともと仕事ができないと思って、お笑い芸人になろうとしてたわけですもんね。
西野 市役所の窓口で働いてたんですけど、本当に覚えることが多すぎて……。同時にいろんなことやるのが苦手なのに、ひとつの窓口で戸籍も国保も転籍も全部やる「ワンストップ窓口」を売りにした部署を担当したんですよ。全然慣れなくて「もう絶対お笑いやりたい!」ってなりました。社会人の最初の夏には前の相方と別れて、よしおかさんと組みました。
よしおか 私もずっとお笑いはやりたかったんですけど、家がとんでもなく厳しくて。それで卒業後はとりあえず就職しつつ、ライブに出るつもりでした。M-1の準決勝に行けたら、仕事辞めてお笑いやろうって。だから就職後は西野さんと月に1本ライブに出てM-1を目指してました。
文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平

シンクロニシティ
西野諒太郎(にしの・りょうたろう、1994年3月23日、東京都出身)と、よしおか(1994年10月2日、神奈川県出身)のコンビ。中央大学の落語研究会で出会い、2017年に正式結成。『M-1グランプリ2022』では、ともに会社員ながら準決勝に進出し、注目される。翌2023年4月から吉本興業に所属する。公式YouTubeチャンネル『これはシンクロニシティのチャンネルです』は随時更新中。ABCラジオ『がっちゃんこ』(26:00〜27:00)では、カラタチとともに水曜レギュラーを務める。
【前編アザーカット】





【インタビュー後編】
吉本芸人としてライブに目覚め、ネタを磨くシンクロニシティのこれから|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#38