モノマネに完コピ漫才…なにかと話題のコンビ・ラパルフェの記憶に残る、絶望的なファーストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#37

若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>

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最初は穏当だった。阿部寛やウッディのモノマネで突如として現れ、漫才の中でもモノマネを活用したラパルフェ。牙を剥いたのは『M-1グランプリ2021』の準々決勝だ。絶対的なシステムである『M-1』を、大会そのものをイジる漫才で撹乱したのだ。さらに2024年のM-1では、ニューヨークの漫才を完コピするという荒業であざ笑った。

ラパルフェである。

中学・高校の同級生でコンビを組み、大学お笑いでは今をときめくスターを撃墜し、順風満帆でプロになった。それがなぜ、阿部寛モノマネや、ニューヨークの完コピに至ったのだろうか。彼らは、希代のトリックスターなのか。それとも、ただのやけっぱちなのか。

ラパルフェの初舞台から見えてきたのは、瞳の奥に宿した、ひとつの絶望だった。

若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage>
注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。

令和ロマン、ラランドを破った大学時代

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左から:都留拓也、尾身智志

──阿部寛のモノマネ漫才や、ニューヨークのネタ完コピで『M-1』をハックしたラパルフェですが、大学お笑いにおいては令和ロマン(当時「魔人無骨」)やラランドに勝ち、優勝するエリートだったそうですね。

都留 エリートではないです(笑)。大学お笑い界でなんとなく知られてたくらいで。

尾身 『大学芸会』という大会がありまして。大学時代は2年生から4年生になるまで、連続で決勝まで進んだんです。そうすると、大学お笑いを見てる人は覚えてくれてる、みたいな感じで。決勝まで行くコンビってだいたい覚えられるから。

都留 優勝したのも大学お笑いという狭い世界での知名度勝負に勝っただけです。3年かけてロビー活動しただけ(笑)。

尾身 令和ロマンとラランドはきっと大学卒業後を見据えてたんですけど、僕らはこの大会で優勝することだけ考えてた。

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──どうやって大会を攻略したんですか。

尾身 そんな大げさなものじゃないんですが、自分たちのスタイルを作るんじゃなくて、大学お笑いのお客さんをどれだけ笑わせられるかだけを考えて……。

都留 違うな、全然違う(笑)。

尾身 え、違うの。

都留 尾身の言うとおり、大学お笑いは客に合わせることが必要だけど、大学お笑いのファンが求めてるのは、見たことないスタイルなんです。だから自分たちのスタイルは大事。一般的なお笑いって安心感を求めるんですけど、わざわざ大学お笑いを見に来る人たちは、普通のお笑いじゃ満足できなくなってるから、変なことをしないといけない。

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尾身 たしかにそうだった(笑)。王道の笑いでちゃんと結果を残せたのが、令和ロマンとかラランド。僕らは新しさだけで戦ってた。

──じゃあ当時からその2組には一目置いていた?

尾身 もちろんそうですね。真っ向勝負しても勝てない。

都留 4年生のときは「逃げきった……!」って思いましたもん。

尾身 もう1年あったら……。

都留 完敗だったね。

裏笑いに狂わされた尾身の中学時代

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──おふたりは中高時代の同級生なんですよね。

尾身 そうです。都留くんはクラスの人気者タイプでしたね。先生のモノマネとかしてた。

──尾身さんはどんな学生でしたか。

都留 ひと言でいうと、日陰者。

尾身 (笑)。中学1年生のときに調子に乗っちゃって嫌われたんですよ。小学生のころから深夜番組を観てて、そのノリをやっていたせいで。

──どういうことですか?

尾身 『くりぃむナントカ』や『『ぷっ』すま』、『アドレな!ガレッジ』とか好きだったんですね。あのへんの番組って「スベってからが勝負」みたいなノリだったじゃないですか。それをやってたら、めんどくさがられてしまったんです。

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──お笑いの素養が偏っていた。

尾身 もっと小さいころは、家が厳しくてNHKしか観られなかったんですよ。でも、一緒に暮らしていた祖父母と離れて母と兄と3人暮らしになったら、兄と一緒に深夜番組を観るようになって。母はシングルマザーで遅くまで働いていたんで。

──日陰者っていうのは?

都留 尾身は中学2年のころイジメられてたんです。それが3年に上がったら、おもしろいヤツと思われるようになって、お笑い担当になった。でも一軍っていうよりは、普段は隅のほうでニヤニヤして、振られるとおもしろいことやるみたいな。

尾身 無視からイジリになったタイミングがあったんですよ。それまで無視されてた僕からしたら、イジリでもしゃべってくれるのがうれしくて全部全力で返して。そしたらイジメも終わりました。

──お笑いに狂わされ、お笑いに救われた中学時代だったんですね。

尾身 たしかにそうですね。2個上の兄ちゃんは僕がイジメられてるのをなんとなく気づいてたっぽくて。あるとき「イジメられてるって思わずに、イジられてるって思うとラクになるぞ」って教えてくれて、それはなんか覚えてますね。

高校時代の初舞台は何も伝えられなかった

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──人気者だった都留さんは、お笑い好きでしたか?

都留 僕は普通にゴールデンタイムのバラエティ番組を観るタイプでした。『めちゃイケ(めちゃ×2イケてるッ!)』『笑う犬(シリーズ)』『笑いの金メダル』『(爆笑)レッドカーペット』『(爆笑)レッドシアター』あたりですかね。

──そのころには、お笑い芸人に憧れてましたか?

都留 お笑い芸人をカッコいいと思ったきっかけは明確に覚えてて、中1のときに観たM-1ですね。サンドウィッチマンさんが優勝した2007年。サンドさんだけじゃなくて、みんなカッコよく見えたんですよね。それで衝動的にネタを書いたりしてました。披露はしなかったですけどね。ちっちゃいころは「自分には夢がないな」と思ってて、小学校の卒業式で「なりたい職業」を発表するときも、とりあえず「水泳の先生」ってお茶を濁してたくらいで。

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尾身 僕、高1のときに都留くんをお笑いに誘ってるんですよ。それも都留くんがまわりの友達と違ってあんまり夢を語らなかったから。でもこれは最近わかったことなんですが、どうやら都留くんは、僕からお笑いに誘うように仕向けてたみたいで。

都留 そうですね。高1の夏に、仲間内でネタを見せ合う会を作ったんです。10人ぐらいを毎回シャッフルしてコンビにして、学校の隣にあった靖国神社で、朝の9時からネタを見せ合って(笑)。本気でやりたそうなのが尾身だけだったんで、いずれ誘ってくるだろうなとは思ってました。

──すごい策士ですね(笑)。ふたりは最初からプロの芸人を目指して結成したんですか?

尾身 僕はそのつもりで声をかけましたね。

都留 僕もそうでしたよ。

──ふたりの初舞台は高校時代?

都留 そうですね、『ハイスクールマンザイ』です。

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尾身 津田沼のイオンで、MCはものいいさんでした(2010年8月11日)。

都留 まったく知らない人の前でネタやったのは、あれが最初ですね。文化祭でコントっぽいことはやったりはしてたけど。

──初舞台のネタは覚えてますか。

尾身 思い出せないですねぇ。僕ら、本当はコントがやりたかったんです。だけど高校生向けのコントの大会はなかったから、しぶしぶハイスクールマンザイ用にネタを作ってて。だから渾身じゃなかったし、手応えもまったくなかったですね。

都留 ハイスクールマンザイってピンマイクつけてもらえないんで、センターマイクにめっちゃ近づかないと声が聞こえないんですよ。そもそも高校生で緊張してるから声も小さいし、スピードも速いしで……。

尾身 ウケる、スベるの前に、お客さんに何も伝わってなかった。

都留 審査員が選んだ優勝者を呆然と見てた記憶がありますね。高2、高3は準決勝まで行きましたけど、そこまででした。

尾身 都留くんのお父さんに車で連れてってもらってたよね。

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都留 そうだった。銚子まで行った年もあって。

尾身 聞いたことある地名だから近いと思ってたら、結局都内から1時間半かかったなぁ(笑)。

──卒業して進学先は尾身さんが早稲田大学、都留さんが千葉大学とバラバラになりますが、コンビは続けた?

都留 はい、僕が早稲田まで行って、お笑いサークル「(お笑い工房)LUDO」に入ってました。千葉大でもサークルに入ってて、そっちでもコンビは組んでましたけど、そっちの相方には「尾身とのコンビが本命で、千葉大のほうは余った時間でやるから」とも伝えてました。

──そして冒頭でも触れたように、2016年の『大学芸会』で、令和ロマンとラランドを抑えて優勝すると。

都留 大学である程度結果出せたらプロになろうと言ってたので、そのまま養成所に行きましたね。

プロ初ライブで味わった絶望

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──どうしてワタナベコメディスクールに入ることにしたんですか。

尾身 まず、NSCは向いてないなと思ってました。

都留 当時はまだ、チケットノルマがしんどいっていう噂もあったし。

尾身 人が多くて、上下関係が厳しい。体育会系みたいなイメージがあったんで怖くて行けなかった(笑)。

都留 それにワタナベには(大学お笑いの)先輩が何組かいらっしゃったんで安心感もありました。

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──大学お笑いで結果を出したことで、特待生的な扱いはされましたか?

都留 されましたよ〜!(笑)

尾身 授業料免除。入学金のみで行かせてもらいました。

──親には反対はされませんでしたか? 特に尾身さんは厳しい家庭だったと最初に言ってましたが。

尾身 反対はされなかったです。高校生のうちに「芸人になる」って言ってましたし。ただ一応大学だけは行っとけってことで。

都留 うちの親も同じです。ただ一回だけ、大学3〜4年生の就活の時期に母親が「就職しなさい」と言ってきたことがありましたね。やっぱり内心は少し反対してたのかもしれない。所属してからも、しきりに心配してましたし。

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──2018年にワタナベエンターテインメントの所属となります。未経験者に混じると、頭一個抜けてたんじゃないですか?

尾身 そうですね。でも僕ら以外にも、仙台でプロとして活動してたぎょねこ、大阪の大学で落研に入りプロと一緒にライブに出てたジグロポッカもいたんで、3組で上位を争ってる感じでした。

都留 養成所はわりと順調でしたね。でも養成所ライブに勝って出演させてもらった、先輩たちのライブで絶望することになるんですよね。

──絶望ですか。

都留 所属芸人のピラミッドライブがあって、その一番下のランクに出させてもらったのが、プロの初ライブだったんです。でも全然伝わらなかった。

尾身 舞台の作りもけっこう違ったんですよね。養成所ライブは客席とけっこう近いから、迫力がダイレクトに伝わるんですけど、事務所ライブの会場はステージと客席が離れてて、養成所の感じでやると全然届かない。

都留 養成所ライブで自分たちでは上出来だと思ってたネタも、事務所のピラミッドライブでやったら「まぁまぁがんばってるね」くらいの評価でヘコみましたね。

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尾身 あと、ピラミッドライブはレベルごとに客層もぜんぜん違うんです。一番下のランクは、売れてない芸人をわざわざ応援する熱心なファンが多くてあったかいんです。でも、上に行けば行くほど、テレビの人気者を見に来たファンが来る。

都留 あれキツかったよね。『ディベート大会』っていうネタだったんですけど、あれは養成所でも1位獲ったし、金の国さんにも勝ったし、人力舎との対抗ライブでもウケたネタで。なのに、上のライブでは無反応だったんです。

尾身 知らない芸人が込み入ったことをしてる時点で、まず見てもらえない。

都留 所属が決まったタイミングだったから、この先どうやって戦っていけばいいんだろうって、けっこう途方に暮れましたね。

文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平

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ラパルフェ
都留拓也(つる・たくや、1994年6月3日、東京都出身)と、尾身智志(おみ・さとし、1994年7月10日、東京都出身)のコンビ。千代田区立九段中等教育学校の同級生で、大学時代にはお笑いサークルの賞レース『大学芸会2016』で、魔人無骨(今の令和ロマン)や、ラランドを抑えて優勝した。2017年、ワタナベコメディスクールに26期生として入学、2018年の卒業とともに正式にコンビを組む。都留はドラマ『ドラゴン桜』で阿部寛が演じた桜木建二や、アニメ『トイ・ストーリー』のウッディのモノマネでブレイク。『M-1グランプリ』の予選では、大会そのものをネタにしたり、ニューヨークの漫才を“完コピ”して、話題となった。YouTubeチャンネル『ラパルフェの俺がついてるぜ』と、サブチャンネル『ラパルフェの中身由紀恵』は不定期更新中。

【前編アザーカット】

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【インタビュー後編】

実はコントが主戦場…邪道な漫才で注目されたコンビ・ラパルフェの次なる展望とは?|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#37

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