東京女子流──大人へと成長した15年──“戦友”や後輩たちとの絆──集大成となるアルバムに込めた想い

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東京女子流(とうきょうじょしりゅう)
2010年に結成された、山邊未夢・新井ひとみ・中江友梨・庄司芽生の4人によるガールズグループ。結成以来、日本武道館での2度の単独公演を成功させ、国内外でのワンマンライブも行うなど精力的に活動。ジャンルに捉われないハイクオリティな楽曲と、ダンス&ボーカルの可能性を追求したライブパフォーマンスで多くのファンを魅了し、ガールズグループ界の注目株として存在感を放ってきた。

2014年にスタートしたレギュラー動画番組『女子流♪(ノート)』(~2016年秋)の配信や、2015年に始まったlogirlでの庄司芽生のレギュラー番組『東京女子流 mei's*ダンササイズスタジオ』の生配信など、テレ朝動画との親交も深い。

2025年7月30日には、7枚目となるフルアルバム『東京女子流』をリリース。2026年3月31日にZeppDiverCityで開催されるラストライブをもって、約16年にわたる活動に幕を下ろすことが決定。その発表があった2025年5月3日のZeppShinjuku(TOKYO)でのライブの完全版『<完全版>東京女子流 15th Anniversary Live ~キセキ☆~』がCSテレ朝チャンネル1にて2025年7月19日(ひる0時~)に放送される。

テレ朝動画、logirlの基礎を築いたガールズグループのひとつともいえる東京女子流。レギュラー番組はもちろん、ソロとしてのゲスト出演なども多く、15周年を迎え、来年3月での解散を発表した今、この15年間の思い出やグループ名を冠した新作アルバム『東京女子流』について、いくつかの楽曲制作や番組プロデュースにも関わったことのある鈴木さちひろ(テレビ朝日)が話を聞いた。

インタビュー部屋に現れ、インタビュアーの顔を見るなり、鈴木の作詞曲「恋愛エチュード」(2014年)のサビを山邊が歌い出し、そこへコーラスを重ねつつ「この曲、女のコ人気高いんですよ!」とおどけながら踊り始める4人。一瞬にして懐かしい空気が満ちた中で、インタビューは始まった。

武道館/定期公演/サ上と中江/サンフランシスコ──駆け抜けてきた軌跡

──今日はよろしくお願いします。まずは15年間の活動の中で、一番印象に残っている出来事を、おひとりずつ伺えますか?

山邊未夢(やまべ・みゆ) 私は、2012年に行った野音(日比谷公園大音楽堂)でのライブが一番印象に残っています。あのときは、セカンドツアー(『東京女子流 2nd JAPAN TOUR 2012〜Limited addiction〜』)のファイナル(5月20日「CONCERT*03『Rock you!』」)だったんですけど……女子流はそれまでサプライズみたいな演出がまったくないグループだったんです。でも、そのライブで、いきなり日本武道館での公演が発表されて。普段そういうのがなかったからこそ、もう本当にびっくりして……。

ずっと目標にしていたライブ会場だったので、すごくうれしくて、もう腰を抜かしちゃって、しばらく立てなくなったくらい(笑)。それくらい衝撃的だったし、うれしかったし……。15年間でいろんな思い出がありますけど、やっぱりあのときのことは絶対に忘れられないです。ファンの方の表情とか、自分の気持ちとか……本当に、今でも鮮明に覚えています。

──その発表を経て迎えた、1回目の日本武道館公演(12月22日『TOKYO GIRLS' STYLE『LIVE AT BUDOKAN 2012』』)。当時“女性グループ最年少での武道館公演”とも言われましたが、実際に立ってみてどうでしたか?

山邊 ステージに立ったら「緊張するのかな?」って思っていたんですけど、逆に、まったく緊張しなかったんです。まわりのみんなはすごく緊張していたんですけど、私はまだ中学生だったこともあって、すべてを楽観的に受け止めていて……「やった!武道館だ!」って(笑)。本番前にオープニング映像を観ていたときも「うわ〜!」って、ただただ楽しい気持ちでワクワクしていました。本当になんの緊張もなくて、純粋にステージを楽しむだけでしたね。

でも今は逆に、どんなステージでもすぐ緊張しちゃうので……あのころは年齢的にまだ小さかったからこそ、そういう感覚だったのかもしれません。当時は、大人が敷いてくれたレールの上をただひたすら走っていたというか、がむしゃらに突き進んでいた感じでした。

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山邊未夢

──なるほど。ひーちゃん(新井)はいかがでした? 日本武道館での公演。 

新井ひとみ(あらい・ひとみ) たしかに日本武道館でのことは、すごく印象に残っています。最後の最後まで、確認しなきゃいけないことがたくさんあって、もうひたすらそれに追われていました。リハーサルから本番直前の最終確認で変更されたことなんかもいろいろとあったんですね。私はちょっと理解が遅いので(笑)、それがなかなか頭に入らなくて。「あれ?私ってどう動けばよかったんだっけ?」って不安になったり。

でもそのとき「ひとみはそのままでいいよ」って言われて……それがすごく印象に残っています。本番は、もうやるしかないので。ここまでたくさん練習してきたからこそ、自信を持ってパフォーマンスできたっていう思いもあって……。だから、焦りもあったけれど、それも含めていい思い出になっています。

──中江さんは、武道館公演を振り返ってどうですか?

中江友梨(なかえ・ゆり) 日本武道館をやってみて……そうですね、未夢も言っていたとおり、本番直前のことはすごくよく覚えています。「ああ、もう出るんだな……」っていう緊張感で、心臓のドキドキが止まらなかったです。たぶんほかのメンバーも同じだったと思うんですけど、自分に「できる、できる、やれる!」って何度も暗示をかけていました(笑)。

でも、ステージに出てからの記憶って、意外とないんですよ。始まった瞬間から曲があっという間に進んでいって……。ひとみも言っていたように、何度もリハーサルを重ねてきたので、それを頭の中で思い出しながら動いていたんですけど、「ライブを楽しむ」っていう余裕は正直なかったですね。終わったとき、「え、もう終わっちゃったの?」っていう気持ちのほうが大きくて。さっき始まったばかりだと思ったのに、気づいたら終わってた……って。

今思い返しても、あんなにすごいステージに立っていたんだって、実感があるようなないような、不思議な感覚です。子供って意外と怖いもの知らずで、勢いでワーッと飛び込んで「終わったー!」ってなること、ありますよね? まさにそんな感じだったなって。今はもう大人になったぶん、ステージ前の緊張もすごく大きくなりました。正直、今のほうがドキドキします。

──めいちゃん(庄司)へは、少し質問を変えて……1回目を経ての、翌年2回目の武道館公演(12月22日『TOKYO GIRLS' STYLE『LIVE AT BUDOKAN 2013』』)はいかがでしたか?

庄司芽生(しょうじ・めい) 一番印象に残ってるのは、2曲目のときだったと思います。たしか「W.M.A.D」(2011年)だったかな。そのイントロの直前に、私が会場全体を煽るようなあいさつをする場面があって「ここから行くぞ、武道館!」みたいな盛り上げを担当していたんですけど……。そのとき、めちゃくちゃ噛んじゃって(笑)。大噛みというか、本当にびっくりするくらい噛んでしまって、みんなで「ズコーっ!」ってなっちゃったのを覚えています(笑)。でも、あの大噛みがあったおかげで、自分の中の緊張がちょっとほぐれた部分もあって。

いい意味で“武道館での大噛み”っていう歴史に残る瞬間になったんじゃないかな、って思っています。ただもう一回やり直せるなら、ちゃんと噛まずに言い直したい気持ちもありますけど……それも含めて、今ではいい思い出です(笑)。

──ありがとうございます。では、続けますね。15年間の中で、ひーちゃんの一番印象に残っている出来事はなんですか?

新井 「一番」って、すごく難しいなと思うんですよね。いろいろあって、何が一番かなって考えたとき、私はワンマンライブでやってきた定期公演(2010年~)がとても印象に残っています。どの公演も、私たち自身で構成を考えたり、セットリストをどうするか悩んだり、本当に細かいところまで「ここでこういう演出をしてみる?」みたいに試行錯誤しながら取り組んできた記憶があります。

タイトルなんかも自分たちで決めるので、いつも「どうしよう!」ってなりながら(笑)……でも、毎公演まったく違うテイストのタイトルにしたりして、みんなで熱い時間を共有してきたのが、やっぱり定期公演だなって思います。

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新井ひとみ

──タイトルを決めるときって、どなたかが主導して考えることが多いんですか?

新井 それぞれ、みんなで考えますね。

中江 うん、みんなでアイデアを持ち寄るよね。

山邊 「これいいよね」って言い合ったり、「ちょっと似てない?」とか、「これとこれ合体させてみる?」とか、そんな感じで(笑)。

──なるほど。数ある定期公演の中で特に印象に残っている公演はありますか? たくさんあってひとつには絞れないと思いますが……。

山邊 衣装がガラッと変わったときなんかは、それに合わせて構成も変えたり、衣装のモチーフに合わせてパフォーマンスを工夫したりするので、印象に残りやすいですね。ハロウィンだったり、2月のバレンタインや3月のホワイトデーの時期のライブとか。

あと、「ノンストップライブ」はファンのみなさんもすごく好きで、そういうときのセットリストを考えるのは、私たち自身にとってもすごく悩みどころだったりします。

──ありがとうございます。続いて、中江さんの印象に残っている出来事を。

中江 そうですね……今ちょうどライブの話になってたので、いろいろ考えていたんですけど、やっぱりどれも覚えてるし、武道館のときもすごく衝撃的だったなと思って。ふと思い出したエピソードを話してもいいですか?

女子流のオリジナル曲がまだなかったころ、2010年のデビュー前後くらいに、先輩アーティストの楽曲をカバーさせていただいたり、振りをつけてもらって、その中でパートを割り振って、歌詞も覚えて……という期間があったんですね。その時期は本当に毎日曲を覚えていて、ヘトヘトになって、合宿所……というほどじゃないけど、みんなで寝泊まりできる場所に帰ってきては、また翌日レッスンっていう日々だったんです。

今、そのころのことを急に思い出して、「ああ、あれも印象深いな」って……。自分たちの楽曲がまだなかったから、先輩方の曲を覚えるしかなかったんですけど、私はそれまでずっとダンスだけをやってきたので「歌って踊る」ってこんなに大変なんだって、そのときに初めて実感したんです。想像以上に体力が削られるし、歌とダンスの両立って、どっちかに集中しちゃうとブレちゃう。こんなに難しいんだ、って……。

振り付けをしてもらう段階で、初めてその現実を知って……今でももちろんそこにはずっと向き合っているんですけど、当時は衝撃的でしたね。グループとして活動する中で、それぞれのパートが決まっていて、それを完璧に覚えるというのがもう、みっちりレッスンみたいな感じで。本当に懐かしいです。

最近では、カバー曲もライブのテーマに合わせてたまに披露したりするんですが、当時みたいにがっつり「歌って踊る」を何曲も詰め込むっていうことは少なくなってきたので……あのときのことを思い出すと、今ではちょっとレアな経験だったなって思います。

──今出てきた合宿所と、昔話でよく出てくる“女子流マンション”(※『女子流♪』#32~#35)って同じですか?

中江 「女子流マンション」と呼んでいたところは、また別な場所です。「女子流マンション」は月島にあったんですけど……さっき話した“合宿所っぽい場所”っていうのは、もっと短期間で、みんなで寝泊まりしていた、本当に初期の場所ですね。

──なるほど。中江さんは、女子流メンバーの中ではひと足早く、ソロとして別ユニットでの活動(2015年に結成した、サイプレス上野とのヒップホップユニット「サ上と中江」)もされていましたよね。そのときのことはどう感じていましたか?

中江 「サ上と中江」は、私の中で本当に大きなきっかけで、チャレンジでした。ヒップホップというジャンルは、それまでダンスを通じて触れてはいたけれど、音楽としてちゃんと関わるのは初めてで。自分でラップをするというのもそうだし、フロアを盛り上げるという感覚もまったく初めてでした。

ああいうステージって、フリースタイル要素が強いじゃないですか。今までは、与えられた振り付けを何度もリハーサルして覚えて、それをステージで披露するという流れが普通だったんですけど、ラップの場合はリリックを覚えるのは一緒でも、その場の空気を読みながら、お客さんの気分を上げていく必要がある。それって、ものすごく度胸と自信がないとできないことなんですよね。自分が乗れていないと、会場の温度も下がっちゃうというか……。あの空気感って、本当にストレートに伝わるんですよ。

「サ上と中江」をやらせていただいたときは、自分のホームにサイプレス上野さんが来てくれたり、私がサイプレス上野さんのホームであるライブ会場やイベントに出演させてもらったりもして、本当に度胸がつきました。飛び込むっていう意味で、すごく大きな経験でした。

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中江友梨

──ほかのメンバーから見てどうでした?

山邊 すごく楽しそうでしたよ。友梨も本当に生き生きしていたし、客観的に見ても「友梨がサイプレス上野さんから吸収しているな」っていうのが、すごくわかりました。それが女子流のパフォーマンスにも反映されていて、たとえば煽りの部分とか、女子流はあまりラップ曲が多くはないんですけど……たまにあるラップパートでは、ゆりがサイプレス上野さんの近くで見てきたことが活かされている感じがあって。

MCとかも、お客さんの盛り上げ方が前とはガラッと変わった印象がありました。本当にいいエネルギーをサイプレス上野さんから受け取って、それを女子流に返してくれているというか……私たちとしてもすごくありがたかったです。

──なるほど、ありがとうございます。めいちゃんが15年間の中で一番印象に残っている出来事はなんでしょう?

庄司 そうですね……ちょっと違う角度になるんですけど、海外でライブをやらせていただいたことがすごく印象に残っています。たぶん数えたら、全部で8カ国くらい行かせてもらっているんじゃないかなと思うんですけど。当時の私たちからすると、国を越えた先に自分たちのことを知ってくれている人がいるということ自体が、まずものすごく驚きで。まだSNSもそんなに発達していなかったというか……発達し始めたくらいの時期だったので、「えっ、どうやって知ってくれたんだろう?」って。もう、本当に驚きの連続でした。

実際に現地に着いて、空港で私たちの名前のボードを持って待っていてくれいる方がいたりとか、「東京女子流!」って日本語で出迎えてくれたり、「こんにちは」とか「ありがとう」とか、一生懸命日本語を覚えて話しかけてくれる方がいたりして、本当にうれしかったです。海外のライブって、日本でやるのとはまた違って、一緒に声を出して歌ってくれたり、反応の仕方が新鮮だったりして、すごく刺激的でしたし。

あと、日本のアニメが海外ですごく人気で、そのエンディングテーマになっていた曲が向こうでも好かれていたりして……そういうのも、日本にいるだけじゃ味わえないことだなと思って。たくさんの貴重な経験をさせてもらいました。

──特に記憶に残っている海外での公演はあります?

庄司 もう本当にたくさんあるので選ぶのが難しいんですけど……サンフランシスコ(2014年)ですね。「ヒマワリと星屑」(2010年)の英語バージョンを準備して行ったんですけど、MCもその土地の言葉で話せるように覚えていったりしました。

「ヒマワリと星屑」の英語バージョンは、現地でミュージックビデオも撮影したんです。ファンの方に協力していただいて、私たちがライブ中に身につけていたひまわりを現地のみなさんにも配って、ライブで一緒に振ってもらって。「ひまわりを咲かせよう」っていうプロジェクトもあったりして。そのときの映像が、今もMVとして公開されています。国を越えてつながれた瞬間だったなってすごく感じましたし、純粋にいろんな場所をみんなで回りながら、カメラを回して記録していったのも、すごく楽しかった思い出です。

──ほかのメンバーも、海外での印象的な記憶はありますか?

新井 たぶん、女子流が一番多く行かせてもらったのは、台湾だと思います。台湾ではワンマンライブもさせていただいて、実際に台湾に行くために番組を通して中国語を勉強して、覚えたフレーズでMCをするっていう挑戦もさせてもらったんですよ。

台湾のファンの方々もすごく温かくて、出迎えやお見送りもしてくれましたし、すごく親日的な空気もあって、優しい雰囲気の中でライブができました。

庄司 今でも台湾のファンの方が日本でのライブに来てくださったり、SNSでメッセージを送ってくださったりして、すごくうれしいです。

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庄司芽生

ももクロ/TEAM SHACHI/Task──“戦友”や後輩との絆

──15年間の中で、パフォーマンスも含めて一番印象に残っている楽曲はなんですか?

山邊 私は「約束」(2013年)が一番印象に残っています。15年の歴史の中で、私自身、サードツアー(『東京女子流 3rd JAPAN TOUR 2013〜『約束』〜』)の時期が一番しんどい時期だったんです。ステージに立つと、ストレスで過呼吸になってしまって……でも立たなきゃいけなくて。ステージに出ては戻ってというのを繰り返していて、「もうどうしたらいいんだろう」って悩んでいたときに「約束」という曲ができて。

この曲はスタッフさんからメンバーに宛てて作ってくださった曲で、「どんなことがあってもがんばろう」と思わせてくれるもので。その当時は親元を離れていることも多くて、誰にも相談できなくて本当に苦しかったし……そんなときに一番支えてくれたのが「約束」だったんです。自分たちの曲なんですけど、本当に救われた曲で。もちろん全部の曲が大切なんですけど、特に思い入れが強い曲です。

新井 うーん、難しいですね。好きな曲はたくさんあるし、最近の曲もすごく好きで悩むんですけど……やっぱり「おんなじキモチ」(2010年)かな。この曲で私たちのことを知ってくださった方も多いと思いますし、今でも「女子流って『おんなじキモチ』歌ってたよね?」って言っていただくこともあります。フェスとかで初めて聴いてくださる方にもすごく伝わる曲で、歌って踊って一緒に盛り上がれる空間がすごく好きなんですよね。

私たちにとっても特別な楽曲だし、救われた楽曲でもあると思っています。パフォーマンスをしていて、ステージから見るファンのみなさんの表情とか雰囲気が本当に大好きで、これからも活動期間中にたくさん歌って、みんなをこの曲で幸せにしたいです。

中江 そうですね……印象に残っている曲。単に好きとか、自分が選ぶならっていうのとはちょっと違う意味で選んだんですけど……私は「深海」(2016年)が印象に残っています。この曲は自分の中でも、そして女子流としても新しいチャレンジだったんです。

小さなころから背伸びしたような曲にも挑戦してきたし、たくさんのチャレンジを重ねてきた中で「深海」はまた別のかたちでの挑戦だったなと思っています。このときは、もう子供という年齢ではないし、デビューからも時間が経っていて、ライブでもしっかり“決めにいく”曲を持っていこうという中で選んだのが「深海」でした。

ダンスも歌も、すごく気合いが必要な曲で、ライブでやるには勇気のいるナンバーでもあるんですけど、それだけにやりがいもあって。この曲は、4人になってからの新しいチャレンジの象徴みたいな曲だと思っています。だから、すごく印象に残っていますね。

庄司 私は「Viva La 恋心」(2022年)ですね。今振り返ってみると、私たちって「どう自分たちを見せるか」とか、「どう表現するか」っていうところを常に模索しながら進んできたグループだと思っていて。そんななかで、この「Viva La 恋心」をリリースしたタイミングが、自分たちの感覚と曲がぴったりマッチしていたように感じたんです。

デビュー当時は、実年齢よりもずっと大人っぽい歌詞の世界観だったり、難しい曲調の楽曲が多くて、理解するのにすごく時間がかかったんですよ。自分の中だけじゃ理解しきれなくて、人に話を聞いてようやくわかってきて、それをまた自分なりに噛み砕いて……そういう作業が常にありました。

それに、活動をしていく途中で楽曲の方向性も大きく変わって、いろんなジャンルに挑戦するようになってから、ようやく「これだ!」って思えるような、ひとつの到達点にたどり着いたような感覚がありました。そういう意味で「Viva La 恋心」は、自分たちの等身大の表現としてすごくしっくりきた、手応えのある楽曲でした。

──ありがとうございます。活動をしてきた中で、ほかのアイドルさんとの思い出はありますか? 最近だと、たとえばTEAM SHACHIさんとか。どうでした?

庄司 TEAM SHACHIさんとの共演(2025年7月5日『東京女子流×TEAM SHACHI「東京SHACHI流〜透明な想い〜」』)は、本当に“念願が叶った”っていう感じです。お互いにずっと意識し合っていたのに、これまで接点がなかったのが逆に不思議なくらいで……。

スターダストさんのほかのグループのみなさんとはけっこう関わらせていただいてきた気がするんですが、SHACHIさんとはなぜかタイミングが合わなくて。だから、やっと実現した!という感じでした。当日はお互いに100%以上の力でパフォーマンスをして、双方のファンのみなさんにもすごく楽しんでもらえたし、それぞれのカラーを出し合いながらカバー曲を披露できたのもよかったです。「伝説」って言うとちょっと大げさかもしれないけど、それぐらい革命的な一日になったなって思っています。本当に楽しかったです。

山邊 私は、ももいろクローバーZのあーりん(佐々木彩夏)と同い年で、デビュー初期から仲よくさせてもらっていたんですよ。当時は、同い年のアイドルがすごくたくさんいて、ほんとに“同級生アイドル”ばっかりだったんですけど、みんな辞めていって、1年くらい前に「あれ、もう同い年ってうちらだけじゃない?」みたいな会話をしたんです。

だから、実はファンのみなさんよりもちょっと先に、あーりんには解散のことを伝えていたんです。そしたら「そうなんだ……」って受け止めてくれて、「お互い、20代最後だしがんばろう!」って励まし合いました。

その後、あーりんが『川上アキラのひとりふんどし』(※logirlの生配信番組)で、女子流のことを話してくれたみたいで……そのとき、解散のことにも触れてくれて、「一緒にやりたい」って言ってくれたらしく、すごくうれしかったですね。「あーりん、同い年が抜けちゃうけどがんばってね!」って言ったら「寂しいよ〜」って言ってくれたことも……。

──その配信回、現場で観ていました。今は、憧れられる側になっていたりもしますよね? ひーちゃんも、Task have Funさんの番組(※logirlの『Task have Fun Diary』)に出ていたり……。

新井 はい、Taskちゃんたちは、解散の発表を聞いたとき3人で一緒にいたみたいで、「えっ、もう無理なんだけど!」ってなったらしくて(笑)。「無理、泣いちゃう!」って3人で泣きそうになっていたっていう話を聞きました。LINEでも「えっ、これ本当ですか?」って連絡が来て「うん、実はね……」って返したり。

Taskちゃんたちは、ずっと前から「辞めないでください」って言ってくれていて、その思いがずっと続いていたのかなと感じます。女子流の楽曲をカバーしてくれてもいたり、きょうちゃん(白岡今日花)も「ひとみさん大好きです!」と言ってくれたり、本当に妹みたいな感じで。だからこそ、最後の最後までかっこよくいなきゃって、強く思いました。

中江 そうですね。後輩の子たちからは、LINEですごく連絡をもらいました。Taskのなっちゃん(里仲菜月)からも連絡が来て……たまに会ってご飯に行ったりもしているんですよ、実は。つい最近も「大好きなんです」って話してくれて、すごくうれしかったですね。昔からカバーもしてくれていたみたいで、自分たちのワンマンライブでも女子流の曲をやってくれていたみたいなんです。「4人それぞれ、声が全然違うじゃないですか!」って言ってくれて……「イントロドンもできます!」とか。「そんなに聴いてくれていたの!?」って……本当に愛情を感じましたね。

それから、とき宣(超ときめき♡宣伝部)のおはる(小泉遥香)からも「どうしても会いたいです」って連絡をもらって、会う日程を調整したり。私のまわりって、すごくしっかりしている子が多いんです。後輩とはいえ「この日どうですか?」って、ちゃんと予定を合わせてくれる子が多くて。「大好きです」っていう言葉や、女子流の歴史を語ってくれる後輩たちの存在は、本当にかけがえないと思っています。

ほかにも、元ベビレ(ベイビーレイズJAPAN)や元PASSPO☆のメンバーさんからもメッセージをいただきました。こんなふうに、すでに解散された先輩方からもSNSでコメントをいただいたりして。ほかにも、エビ中(私立恵比寿中学)さんからなんかも。そうやって“戦友”として私たちのことを見てくださっていたこと、この時代を一緒に走っていたって思っていただけていることが、すごく光栄です。

もちろん、後輩たちから「ずっと好きでした」とか「本当に憧れです」って言ってもらえることも、本当にありがたくて。こっちがそれでウルッとしちゃうと、ちょっとかっこ悪いので、あまり出さないですけど(笑)、本当に誇りに思っています。改めて、愛情を感じました。

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『女子流♪』/『mei's*ダンササイズスタジオ』──番組での思い出

──本当にいろんなアイドルさんと過ごしてきたという感じがしますね。で、このインタビューなので、テレ朝動画でやっていた番組についてもお聞きしたいのですが、覚えていらっしゃいますか?

新井 めちゃめちゃ覚えてます!

中江 思い出深すぎる!(笑)

山邊 一番印象に残ってるのは、自分たちのことじゃないんですけど(笑)……香港へ行ったときに、スタッフさんが迷子になったことです(笑)。「あの人がいない!」ってなって、みんなで「あの人を探せ!」状態に。しばらく探しても見つからなくて……最終的に「スタッフさんも大人だし、もういいか!」みたいな(笑)。たぶん置いて行かれる寸前でした。

新井 でも本当に奇跡的に見つかったんだよね。あんなに人がいっぱいいたのに!

 ──でんぱ組.incさんとかと一緒に行かれていたんでしたっけ?

山邊 そうです、『@JAM』の企画(『女子流♪』#13ほか)でした。その流れでテレ朝動画も同行して、一緒に撮影もして、すごく楽しかったです。赤い2階建てバスに乗ったり、エッグタルトを食べたりもして。普段は海外へ行っても、なかなか観光する時間ってないんですけど、そのときはご飯以外にも少し楽しめて「お仕事だけど、ちょっと旅行気分」という空気で、本当に楽しかったです。ありがとうございました!(笑)

──たしかに、こっちでも話題になりました。迷子になっているらしい……って。ほかに何か思い出はありますか? 

新井 私は(『女子流♪』#16での)島田秀平さんに怖い話をするという企画で、自分が何を話してるのか途中でわからなくなっちゃって、戸惑って泣いちゃったんです(笑)。本当に自分でも怖くて……。でもたぶん今でも、同じ状況になったらまた泣いちゃうかもしれません(笑)。

──でも、なんとなく当時よりは強くなっている印象も(笑)。

新井 本当ですか?

中江 「ひとみワールド」みたいなものが広がってきているから、逆にひとみは強くなってるっていう印象がありますよね。わからなくなって泣いちゃうより、自分の世界観を全開で出しているほうが、生き生きしてるなって。

新井 それを受け入れてもらえないと、ちょっと心細くなっちゃうんですけどね(笑)。

──動画番組ではないんですが、関ジャニ∞さんの番組(テレビ朝日『関ジャニの仕分け∞』)で、「柔軟女王No.1決定戦」企画(2014年)の事前練習にひーちゃんに来ていただいたことがあって、そのときに練習がうまくできなくて、悔し泣きをしちゃっていた記憶が……。

新井 あー、ありました! でも泣くことって、当時よりも増えた気がします。毎月のように泣いてるかも……。「この月、泣かなかったときあったっけ?」くらいの勢いで(笑)。たぶん、メンバーみんなも私が泣いてる姿、何回も見てきたと思います。

山邊 一番最近だと、マスタリングでアルバムをみんなで聴いたときかな。全曲頭から順に聴いてたんですけど、3曲目ぐらいでもうボロボロ泣いてて、「早っ!」って思いました(笑)。

中江 リハのときも悔し涙を流すことがあるし、普通にご飯を食べてて、いい話になって「あれがこうで楽しかったよね」って話してる最中に、ふと涙が、つー……って流れてたりするから「どうした!?どうした!?」って(笑)。

新井 思い出しただけで、もううるうるしちゃうんですよ。

中江 「楽しくて」っていう感情だけじゃなくて、人の喜びとか悲しみ、悔しさ、怒り……そういう感情が全部涙につながっている気がして。今は、感情が爆発するようになったというか……そうやって涙として出るようになったことが、自分では「よかったな」と思ってます。ていうか、ヤバいよね?今。

新井ひとみ わかります。(瞳を潤ませながら……)今もう、すでにヤバいです(笑)。

中江 私は、『女子流♪』をきっかけに、いろんなバラエティ的なことに挑戦するようになったんですけど、それがたぶん、初めてぐらいだったんですよね。企画モノもそうだし、怖い話や、手相を見てもらうっていうのもそうだし……。あ、あと覚えてる? 2人羽織企画!

新井&山邊 あった! あの日いろんなことやったよね〜!

庄司 すっごい楽しかった!

中江 ああやって、みんなで一日を通して番組で過ごせる時間が、本当に楽しくて。自然体でいられる瞬間がいっぱいあったんですよ。

──島田秀平さんもそうですけど、古坂大魔王さんとかアルコ&ピースさんとか、いろんな芸人さんとも共演されましたよね。印象に残っていることはあります?

中江 そうですね。古坂さんとは同じ事務所ではあるんですけど、もちろん大先輩ですし。古坂さんの人柄だと思うんですけど、すごく気さくにツッコんでくださって……4人それぞれのキャラに合わせたイジリが本当に愛にあふれていて。「ただスルーする」とかじゃなくて、ちゃんと拾ってくれるし、私たちがそういうリアクションに慣れていないこともわかった上で、すごく観察して接してくださっていたなと思います。

当時、芸人さんと絡むということ自体、私たちはほとんどなかったんですよね。いざ絡んでみても「どう反応すればいいんだろう?」ってガチガチになっちゃっていたんですけど、古坂さんのおかげで、すごく鍛えられました。今でも本当にありがたい存在だと思ってます。またお会いできたらうれしいですし、ずっとお世話になってるなと感じてます。

庄司 私は……「ダンサエクササイズ」(logirl『東京女子流 mei's*ダンササイズスタジオ』)の企画ですよね。

──ですよね(笑)。

庄司 いまだにファンの方の中でも浸透しているみたいで、すごく印象的な番組だったみたいです(笑)。私は当時、リーダーではあったんですけど、人前で話すのがあまり得意ではなかったし、番組の進行役とか「自分がどう感じたか」を言語化するのもあまりできるタイプじゃなかったんです。だからその番組で、すごく鍛えられたなという印象があります。

あと、自分を“解放する”っていうことの大切さを知ったというか……。ゲッタマン(ヒューマンアーティスト:GETTAMAN)の存在がすごく大きくて(笑)、「恥を捨てて、全力で挑む」という姿勢を教えてもらいました。今でも「明けましておめでとう!めいちゃんアロハ!」って連絡をくださったり、屋久島の杉の写真を送ってくださったりして、ご縁をずっと大切にしてくれているんですよ。女子流のライブにも来てくださって、中野サンプラザ(2019年)のときだったかな……大きな花束を持って駆けつけてくださったりもして。

山邊 あったあった! 「みんな素晴らしかった!」って褒めてくださいましたよね!

中江 アメリカンな感じ(笑)。

山邊 冬なのにすごく日焼けしていて「どこ行ってたんですか?」って思うぐらい焼けてましたよね(笑)。

庄司 いつ会ってもパワー全開で、こっちが元気もらっちゃうくらいなんですよね。番組だけじゃなくて、リアルなイベントでも、ももクロさんのイベント(『女子流♪』#121)にも一緒に出演させてもらったりして、本当に思い出に残っています。

山邊 久しぶりに会いたいね。

新井 全然会えてないんです。

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──ほかにも、ライブの幕間で流す映像での演技に挑戦されたこともありましたよね。あの“ハードボイルド”な世界観の……。(2014年『HARDBOILED NIGHT』@赤坂BLITZ)

中江 あった。あれは今見ると、ちょっと気恥ずかしい部分もありますけどね(笑)。セリフが“男役”っぽかったり、世界観も独特で、曲とリンクするような演出でしたよね。赤坂BLITZでやった公演の。

新井 あの企画(『女子流♪』#13、#15、ほか)ファンのみなさん、すごく好きですよね。今でも「あれ、また観たい!」って言われたりします。

中江 “ハードボイルド”の楽曲(TGS41~TGS45)自体も、人気がありますしね。

新井 私はそのライブのときには出演していなかったんですけど……3人での全曲ライブのときに、その作品をモチーフにして演出をバーンと取り入れてたりもしてましたよね。

中江 そうそう。演出にも(庭月野議啓 監督)ちゃんと活かされていて。撮影も何日もかけてやっていただいて。あと、血のり塗りましたよね(笑)、私。手榴弾でバーン!って倒れる演技もやりました。

山邊 私は、血を吐く演技をやったんですよ。「プロレスラーみたいにピューッてやってください」って言われたんですけど、私、声量なのか呼吸の問題なのかわからないけど、全然うまく吹き出せなくて(笑)。何回やっても「ピュッ」ってしか出なくて、最終的には「もう垂れ流しでいいよ」ってなって……。申し訳なかったけど、ただ血がダラダラ垂れる演出に変更されました(笑)。

中江 あれはファンのみなさんもすごく楽しんでくれてたと思います。「女子流が演技するの!?」ってびっくりされてたし。しかも普通の演技じゃない(笑)。

──ちょっと変わった内容でしたもんね(笑)。

中江 たしか、芽生以外全員死んじゃったんだっけ? 結局、芽生だけ生き残ってた(笑)“ナローズエンジェル”だったよね!

──あっ、思い出した! “ナローズエンジェル”!

庄司 めっちゃ覚えてます。“ナローズエンジェル”ですよ! あと、ひとみが、アンジェラ? エンジェル?

中江 何回か、ひとみに「私のこと殺して」っていう演技があったもんね。「この手で私を……」みたいな(笑)。 

山邊 よく覚えてるね〜!

中江 キャラ的にすごく濃かったから(笑)。私は寡黙なボクサーみたいな、用心棒的な役で。

──(笑)。演技といえば、初期のころに出演した、山戸結希監督の映画(『5つ数えれば君の夢』2014年)もありましたね。今でも記憶に残っていますか?

新井 はい、すごく印象に残ってます。映画の撮影前に監督とお会いして、「どんな人たちなのか」っていう打ち合わせをしたんですよ。その後、それぞれに役がつけられて、「この子はこういうキャラクターです」という説明があって。

私の役は、モダンダンスを踊るシーンがあって、それを本格的にやらないといけなくて……当時、振り付けの先生がつけてくださったんですけど、私は「これ、本当に私でよかったのかな……」ってすごく思っていました。ダンスっていったら、やっぱりめいてぃん(庄司)なんじゃないかなって。「私じゃないのかも」って、自信が持てなかったんですよね。

でも今になって思うのは、演技ってそういうものなんですよね。監督から「これをやってください」って言われたら、それをやりきるのが演技だし、必要であれば自分をそこに近づける努力をするのが前提で。「痩せてるシーンをお願いします」と言われたら、ちゃんと痩せるっていう……そういうことなんだなって、今になってよくわかります。だから、あのときあの役をいただけたことにも、ちゃんと意味があったんだって、今はすごく感じています。

集大成となる最新アルバム『東京女子流』に込めた想い

──次に、今月末にリリースされるアルバム(『東京女子流』)のお話を伺えればと思います。本当にすごくいいアルバムで、めちゃくちゃ聴き込んでるんですけど……。ここに収録されている曲、全曲いいんですよ。その中で「一番印象に残っている曲」となると、きっとみなさん難しいと思うのですが、そこをあえて……で、おひとりずつ教えてもらえますか?

庄司 私は「キセキ」です。このアルバムのラストを締めくくる曲でもあるんですが、私自身、この曲を聴くと「次のステップに進もう」という勇気をもらえるというか、すごく背中を押してもらえる曲なんです。聴いているだけで元気が湧いてくるし、「この先の未来も怖くないな」って、少し安心させてくれるようなところもあって。とても好きな一曲です。

しかも、レコーディングの中でもこの曲が一番最後に録った曲だったので、15年間を振り返りながら歌ったというのもあります。この曲がアルバムの締めくくりになっていることも、自分の中でとても意味のあることだと感じていますし、聴いてくださるみなさんにも、その想いが届いたらいいなと思っています。

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庄司芽生

中江 本当は私も「キセキ」って言いたいところなんですけど……うーん、でもやっぱり「キセキ」ですね(笑)。今回のアルバムには8曲の新曲が収録されているんですけど、どれも大切で、どれも魅力的な曲なんですよ。

その中で「フォーリンラブな時」は、今年の15周年ライブの1曲目に披露した曲だったんです。ライブ当日はもちろん「解散を発表する」という気持ちを持って臨んでいましたけど、それ以上に「15周年を迎えられた今日に感謝する」という気持ちでステージに立っていたんですね。だからこそ、その1曲目に歌った「フォーリンラブな時」はすごく印象に残っています。

この曲は、14周年ライブのラストで初披露した新曲でもあったんですけど、歌詞がすごく切なくて尊くて……。今の私たちみたいな、大人の女性になったからこそ歌える曲だなと、レコーディングした当時から思っていました。だから実をいうと、15周年ライブのときにこの曲を歌うと、発表のことだったり、ファンのみなさんの気持ちだったり、いろいろなものが込み上げてきて……。でも、そういう感情も含めて「尊い」って感じられるようになったのは、この曲が教えてくれたことでもあるんです。そんな「フォーリンラブな時」がアルバムの1曲目になっているのが、本当にうれしくて。これからもずっと大切に歌っていきたいなと思っています。トップバッターがこの曲で、ラストが「キセキ」っていう構成もまた、すごく意味のある流れだなと感じています。

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中江友梨

新井 私も「キセキ」って言いたいんですけど(笑)……今回のアルバムの最後を飾るという意味でも、本当に素敵な曲なんですけど。でも、私は「交換日記」を挙げたいと思います。

この曲は、私たちが作詞に挑戦した楽曲のひとつでもあって、きなみうみさんと一緒に「どんな曲にしていこうか」って話しながら作っていったんです。そのとき「昔、みんなで交換日記やってたよね?」って話になって。当時は平日は学校で、土日に東京で活動するという生活をしていたので、1週間何があったのかお互いにわからないことも多くて、それを共有する手段として交換日記をしていたんですよ。そういう実体験から「交換日記」というタイトルがついて、そこから歌詞のアイデアもふくらんでいって。

作詞のときも、まさに“交換”するように、Aメロを誰かが書いたら、次の人にバトンタッチしてBメロを書いて……っていうリレー形式で進めたんです。楽曲の中には、サビにそれぞれのメンバーの名前の頭文字が入っていたりと、細かい部分にも愛が込められていて。この曲を聴くと、自然と昔のことも思い出すし、同時に未来に向かって進んでいる今の私たちの気持ちも感じられるような──そんな思いの詰まった楽曲になっています。

──実際に作詞をしてみて、どうでしたか?

新井 すごく難しかったです。以前、宮城県の松島で『松島のちからプロジェクト』(2013年)に参加させていただいたことがあるんですが、あのとき(「ワンダフル スマイル」作詞:新井ひとみと松島湾子)ともまったく違うテイストで。

今回は、15年の歴史を振り返りながら「どのエピソードを切り取るか」とか、「自分にとって印象的だったのはどこだろう」と考えるなかで、「東京駅かな」って思い出したりして。でも、それをどう歌詞に落とし込むかとか……考えることがすごく多かったですね。作詞ってこんなに大変なんだって、改めて気づかされました。でき上がったときには「あ、いい感じに仕上がったかも!」って自分でも驚くような感覚があって。すごくいい経験になりました。

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新井ひとみ

山邊 私も「交換日記」って言いたかったんですけど、ひとみが先に言ってくれたので……「とけないまほう」を挙げます。

今回のアルバムって本当にバリエーション豊かな楽曲がそろっているんですけど、中でも「とけないまほう」は私にとってすごく難しい曲でした。テンポやリズムに明確な基準があるわけじゃなくて、ニュアンス重視というか……。「遅れてる! でもどこで取り戻せばいいんだろう?」みたいに、歌い方もすごく悩んで、苦戦しました。でも、完成した音源で4人の声が重なったのを聴いたとき「いつもよりみんなの声がすごく優しく聴こえるな」って思ったんですよね。

それに、歌詞を読んでいると、来年の3月以降、ファンのみなさんの中には「女子流の記憶が心に残りすぎて、新しい人生に踏み出せない……」って感じる方もいるかもしれない。でも、この「とけないまほう」を聴いて「忘れなくてもいい。けど、少しだけ前に進もう」って、そんな力を受け取ってもらえたらうれしいなって思って、この曲を選びました。

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山邊未夢

──どれも本当にいい曲ですよね。たぶんみなさんにとっては全曲が特別だと思うんですが……ボク個人的には「ロンリーレイン」もすごく印象に残っていて。さっき「デビュー当時はちょっと背伸びした内容の曲が多かった」という話がありましたけど、今こういう恋愛の歌詞を歌ってもしっくりくるようになったなって。

山邊 うん、もう違和感がないですよね。

新井 逆に苦しいです……。感情移入しすぎちゃって、つらくなっちゃうんですよ。

中江 ひとみって、特に恋愛系の歌詞になると、すごく入り込みすぎちゃうんですよね。

新井 ハッピーな楽曲だったら、「みんなハッピーだよね〜!」って気持ちになれるんですけど、恋愛の奥深い感情になると、歌詞がリアルすぎて……。「5分でも会いに来たらいいじゃん!」って思っちゃうんですよ。だって、会いたいって思ってるんだから、来てほしいでしょ?って。主人公は「来てほしい」って気持ちを言わないけど、それでも相手に察して動いてほしいんです!

「もう行きなよ! 彼女、悲しんでるんだから!」って、歌いながら心の中でずっと思っちゃって。初めてこの曲をパフォーマンスしたとき、本当にしんどかったです。

──たしかに(笑)。最後に、3月までの期間をともに走るファンのみなさんへメッセージをお願いします。

山邊 7月30日にリリースされるアルバムは、本当に私たちの“集大成”がぎゅっと詰まった一枚になっています。ぜひこのアルバムを聴きながら、女子流との思い出を思い返してもらって、一緒に3月まで駆け抜けていけたらうれしいです。個人的には、logirlで『女子流♪』復活とかもやりたいです!(笑)

──伝えておきますね(笑)。

山邊 約束ですよ!

新井 エモい企画になりそうですね。

中江 聖地巡礼とかもしたいですよね。『女子流♪』の聖地巡礼、やりたいですよね。

──そうすると、福岡(『女子流♪』#9)にも行かないとですね。

山邊 戸越銀座にもね!(『女子流♪』#124)行かなきゃですよ!

新井 今回のアルバムのリリースにあたって、7月からもリリースイベントやライブイベントがたくさん決まっていて、ありがたいことにいろんな場所に行かせていただきます。このアルバムを通じて、15年間の感謝の気持ちをたくさんの方に届けていきたいです。

中江 やっぱり私たちも、できるだけ多くの方に会いに行きたいし、会いに来てほしいって思っていて。もちろんメンバーそれぞれの中で「カウントダウン」は始まっていると思うんですけど、そんなタイミングでこんな素敵なアルバムを作っていただけたことにも、本当に感謝しています。

女子流の音楽やパフォーマンスは、3月以降も“なくなる”ものではないし、「寂しい」「悲しい」っていう気持ちが残ることも、グループとして音楽を届けてきた私たちにとっては誇りであり、宝物だと思うんです。そういう気持ちをすべて受け止めながら、3月までできるだけたくさんの方に会いに行きたい。そんな気持ちで、このアルバムを丁寧に届けていきたいなって思っています。

庄司 今回のアルバム制作では、マスタリング作業にもメンバー全員で立ち会わせていただいて、曲と曲の間をどうつなぐかなども、みんなで相談しながら作らせていただきました。

初めて全曲を通して聴いたときに、メンバー全員が共感したのが「まるで一本の映画を観たような、すごくストーリー性のあるアルバムだね」っていう感想だったんです。だからこそ、まずはぜひ1曲目から最後の12曲目まで、この曲順で聴いてほしいです。今の私たちが伝えたいこと、チーム女子流として残したいものが、このアルバムにはまっすぐ詰まっているので、きっとそれが伝わるはずです。

私たち自身も、残された時間を全力で駆け抜けていって、一日一日、アスタライト*(東京女子流のファン)のみんなと大切な時間を過ごしたいと思っています。3月31日、「やりきったね!」ってみんなで言い合えるように、最後までがんばりますので、どうぞよろしくお願いします!

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<番組情報>
・CSテレ朝チャンネル1
7/19(土)ひる0:00〜午後3:00
『<完全版>東京女子流 15th Anniversary Live ~キセキ☆~』
https://www.tv-asahi.co.jp/ch/contents/variety/0793/

・テレ朝動画『女子流♪』
https://douga.tv-asahi.co.jp/program/17005-17004

・logirl『東京女子流 mei's*ダンササイズスタジオ』
https://douga.tv-asahi.co.jp/program/21528-21527/

取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 編集=中野 潤

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