人気コンビ・カカロニの半年遅れのファーストステージと、波乱のセカンドステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#36

ナルシストキャラなのに、繰り出すセリフはネガティブ。カカロニ栗谷の「ネガティブナルシスト」はひとつの発明だった。コロナ禍に現れた新種は、あっという間にお笑いファンのハートをつかんだ。
学生時代はともにサッカーに励みながら、くりぃむしちゅーに憧れたカカロニ。彼らがコンビを組み、初舞台を踏むに至るヒストリーを紐解くと、鼻っ柱の強い栗谷の、漢気が見えてきた。
若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage>
注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。
栗谷は小6まではイケメンで“俺様キャラ”だった

左から:栗谷、すがや
──「ネガティブナルシスト」で知られる栗谷さんですが、2024年末に初めての恋人ができたことを所属事務所のホームページでお知らせして話題になりましたね。
栗谷 「幸せな朝」を迎えさせていただきました。
すがや でも、それでカカロニの持ちネタは全部成立しなくなったんです(笑)。これまではナルシスト×ネガティブな童貞キャラだったんですけど、お客さんも「彼女いるじゃん」っていうのがよぎる台本になっちゃったので。
栗谷 だから作り直してるところです。前は僕がボケで、すがやがツッコミでしたけど、それも入れ替えて。

──栗谷さんの「幸せな朝」は、カカロニというコンビを抜本的に変える出来事だったと。それなら事務所ホームページで知らせるのも納得です(笑)。でもなぜ女性と縁がなかったんですか。
栗谷 僕はずっと一軍だったんですよ。小中高、体育祭のリレーはずっとアンカーでしたし。小学6年生まではけっこうイケメンで、わがままな俺様キャラで。でもそのころ、鼻の骨が1本足りないことがわかって顔の手術をしたら、顔が変わっちゃってブサイクになっちゃって。それで女子に無視されるようになったんです。女子に嫌われたら、男友達からも距離取られるようになっちゃって。
──それはつらい……。
栗谷 でも俺も学校の友達をちょっと下に見てたんですよ。サッカーのクラブチームに入ってたんで、学校のヤツらとはつるまない、みたいな。なので運動神経はいいんだけど、「何してるかわからないヤツ」みたいな扱いになってたのが中学時代ですね。
──高校は?
栗谷 僕が通ってた厚木北高校って、中学でクラブチームに行ってた子が集まる学校だったんですよ。だから最初から友達がいっぱいいたし、先輩も俺のこと知ってくれてたんで、人間関係を作る必要がなかった。入学早々、3年生の教室呼ばれて「みんなの前でなんかやれ」みたいな。

──イジられキャラだった?
栗谷 いや、普段はイジるほうが多かったですよ。
すがや たしかに栗谷さんの気質はイジる側ですね(笑)。
栗谷 当時は狩野英孝さんが出てきたり、出川(哲朗)さんが再ブレイクしたりして、イジられる側もすごいっていう風潮がもうあったんですよ。バナナマンの日村(勇紀)さんもブサイクイジりされておもしろかったし。「イジるほうが上/イジられるほうは下」っていう意識はなかったですね。
──学生のときからお笑いは好きだったんですか。
栗谷 そうですね、中学のときには芸人になりたいなと思ってました。サッカーやってるせいで、夜は早く寝なさいっていう家庭だったんで、親の目を盗んでバラエティ番組観てましたね。『ワンナイ(R&R)』、『内P(内村プロデュース)』、『(くりぃむしちゅーの)たりらリラ〜ン』(のちに『くりぃむしちゅーのたりらリでイキます!!』に改名)、『くりぃむナントカ』……。くりぃむしちゅーさんは特に好きでした。
すがやは、くりぃむしちゅーと友達だった

すがや 僕もくりぃむさん、大好きでした。テレビもそうですけど、やっぱり『(くりぃむしちゅーの)オールナイトニッポン』ですね。中3の夏に始まってハマって、それきっかけでTBSラジオの『JUNK』も聴くようになって、お笑いにずっぽり。僕もずっとサッカーやってたんですけど、高3の冬にくりぃむさんのANNが終わるってなって、「よし、芸人になろう」と思いました。
──かなり飛躍があるように感じるんですけど(笑)。
すがや ラジオを聴きすぎて、くりぃむさんと友達になったような錯覚を起こしてたんです(笑)。なんなら友達としゃべってる時間より、ラジオを聴く時間のほうが長かった。ラジオが終わって、この人たちに会えなくなるのはイヤだから、芸人になれば会えるぞってことです。

──なるほど(笑)。実際に共演の機会もありますか。
すがや 番組でもたまにご一緒させてもらいますし、今は有田(哲平)さんとプライベートでゲーム大会とかして遊んだりしてます。
──本当に友達になった……!
すがや 友達っていうと恐れ多いですけど(苦笑)。でも夢のようです。リスナーだった当時の自分に教えてあげたい。
──高3で芸人になろうと思って、すぐ養成所に行ったんですか?
すがや いや、くりぃむさんのANNが終わったのが高3の冬で、いきなり「受験辞める」って親に言い出せなかったんで、大学には行くことにしました。バイトでお金貯めて、3年生のときに養成所入って。その1年で無理そうだったら就活しようって。なんだかんだ逃げの手は残しておいて(笑)。それで最初はワタナベコメディスクールに行きましたね。

──養成所はどうでした。
すがや 200組くらいいたんですけど、ハガキ職人をやってたおかげで、最初は上のクラスに行けましたね。相方が「俺は島田紳助になる」ってトガり散らかしてるのに、「ネタはお前が書いてくれ」っていう変な子で。
栗谷 ネタ書かない島田紳助さんはあり得ないって。
すがや 最初のライブでは、舞台裏で女芸人に「全然目見て話してくれないじゃん」ってイジられてふてくされて、ネタ合わせしてくれなくて(笑)。たぶん、栗谷さんと同じで女性が苦手な人だった。でも、そこをネタ書かない上に、女子に免疫がないことをイジられてふてくされちゃう人とは、コンビ続けられないなって思いましたね。そのあとは今、モンローズっていうコンビをやってる宮本(勇気)と、ベアードノーズっていうコンビを組んで卒業しました。
──ベアードノーズは何年くらい活動したんですか。
すがや 4年くらいですね。見た目はちょっとシュッとしてたから、それなりに笑ってもらえたんですけど、テレビのオーディションでは手応えがまったくなくて解散しました。仲悪いとかではなかったんですけどね。そのあと栗谷さんと組みました。
担任に背中を押されて芸人の道へ……

──おふたりが合流する前に、栗谷さんの経歴を聞かせてください。
栗谷 高校卒業したらNSCに入ろうと思ってたんですけど、なかなか言い出せないうちに大学も指定校で決まっちゃって。
すがや スポーツ科だったから内申点が取りやすかったんですよね。
栗谷 そうそう。でも担任の先生だけには「お笑いやりたい」って言ってて。その先生は『(痛快なりゆき番組)風雲!たけし城』に出たことがあって、たけし軍団にもスカウトされたらしくて。
──そんな先生が身近なところに。
栗谷 すごくおもしろい先生でした。それで「栗ちゃん、お笑いやりたいんじゃないの? がんばりなよ」って背中を押してくれて、三者面談でも「お父さん、悟史くんはお笑いやりたいんですよ」って言ってくれて。父親が「いや、お笑いなんて……」って言っても「一回やらせてあげてください」って説得してくれて。結局、推薦が決まってた大学にも、校長先生と一緒に謝りに行ってくれて、それで1年間お金貯めて、NSCに行きました。

──NSCはどうでした?
栗谷 1週間で辞めました。
すがや 先生があそこまでしてくれたのに(笑)。
栗谷 有吉(弘行)さんがブレイクしたときだったんで、自分もいけると勘違いして、同期に毒舌でバーッて言ってて。当然それがウケなくて、この状態でネタ見せして「つまんないヤツじゃん」って思われたらいよいよヤバいなと思ったら怖くて行けなくなっちゃいました。
──担任の先生はそのこと知ってるんですか。
栗谷 いや、言えないです。あれ以来会えてないんで、一回謝りたいし、感謝も伝えたいですね。

──ぜひそうしてください。その後、栗谷さんはどうするんですか。
栗谷 20歳になるんだし、やったことないことやってみようと思って、ヤンキーになってみました。近くのコンビニに小学校のとき仲よかったヤンキーの子たちがたまってたんで、「仲間に入れてくんない?」って。
──歓迎してくれた?
栗谷 俺がおもしろいっていうのも伝わってたんで、普通に入れてくれましたね。ずっと駐車場でくっちゃべって、ダーツ行ったり、ボーリングしたり、ほかの人が車イジってるの見たりして。その間はお笑いは何もしてなかった。
──いずれ芸人に戻る気はあったんですか。
栗谷 それはありましたね。でもヤンキーも楽しそうだった。で、ある程度遊んで満足したんで、工場で1年間働いて貯めたお金で(スクール)JCA(人力舎の養成所)に行きました。人力舎ってみんな仲がいいイメージがあるじゃないですか。おぎやはぎさん、アンタッチャブルさん、(東京)03さんの雰囲気ですよね。みなさん好きでしたし。
栗谷、不遇の養成所時代

──じゃあ栗谷さんの芸人としての初舞台は、人力舎時代ですか。
栗谷 そうっすねぇ。でもその前にまたいろいろあって……。僕がJCAに入った年に、本来あった2クラスに加えて、「阿佐ヶ谷クラス」っていうのが新しくできたんです。そこに配属されたんですけど、授業初日に講師の方が「このクラスは実験クラスです。1年間何もしなかったらどうなるか見てみます」って言い出して。
すがや 60万円払ってるのに(笑)。
栗谷 最初はボケだろうなって思いましたけど、本当に誰も教えてくれなくて。で、夏に初めてのネタ見せがあったんですけど、当然誰もうまくいかなくて、講師が「このクラスはダメです。このままだったらライブやりません」って言い出して。
──そんな理不尽な……。
栗谷 しかも、僕だけ呼び出されて「こいつらやる気ないから、お前が辞めさせろ。そうしないとライブやらせないよ」って。

すがや 栗谷さんが同期にリストラを告げたんですよね。
栗谷 うん、それで「ちゃんとやるならやる、やらないなら辞めてくれ」ってはっきり言って辞めてもらいました。で、ようやく9月に初ライブでしたね。そのネタはウケたんですよ。そのときの相方は、ソニーで2年くらいやってた経験者だったんでネタが作れて、みんなより完成度も高かった。「おやじ狩り」のネタでしたね。僕が親父役で「金出せよ」って言われるんだけど、変なものをどんどん出すモノボケみたいなネタで。
──当時はコントだったんですね。
栗谷 人力舎だしコントかなって。でも当時はフリーライブに出ちゃいけないルールがあって、かといって事務所ライブも月1〜2回しかない。『キングオブコント』で結果を出さないとK-PROにも呼ばれないし、当時はネタ番組が軒並み終わって、お笑い氷河期みたいになってたんで。そんななかでも同期のトンツカタンとかは2年目で『おもしろ荘』に呼ばれてたから、オーディションにすら行けない俺らは絶対売れないってことで解散しました。
すがや その解散のタイミングが、僕の解散と同じ時期だったんで、組むことになったんですよ。
キレる栗谷、人力舎も速攻で辞める

──もともとふたりは知り合いだったんですか。
栗谷 いや、全然。共通の知り合いがいて、「ちょうど解散したヤツいるから会ってみれば」ってところからです。
すがや 新宿のベローチェで、ふたりっきりで会いましたね。
──本当にお互いのこと何も知らない状態で。
すがや 最初、趣味の話したかな? どんな芸人が好きかとか、どんなネタやりたいのかとか。あと、ふたりともサッカーやってたっていうのは教えてもらってたので、その話。そういえば、組む前に一回、フットサル大会出たよね。
栗谷 優勝したんだよな。
すがや その景品でワールドカップ予選のチケットをもらったんだ。チームメイトがMVPになったんですけど、その人が気遣って「お前らで見てこいよ」って言ってくれたんです。

──最初は友達みたいな感じでスタートした。でもふたりとも当時は人力舎とワタナベで他事務所だったんですよね?
すがや まずは僕が人力舎に行くことになりました。ワタナベに栗谷さんが入るのは難しそうだけど、人力舎は行けそうな雰囲気があったから。
栗谷 それでいったん預かりになったんです。でもなかなかライブに出られなかったんですよ。当時あったじゃないですか、事務所移動したら半年間活動しちゃいけないっていう謎ルール。
すがや そんなところだけ若手芸人にも芸能界のルールが適用されるんだって(笑)。
栗谷 なので初舞台はコンビになってから半年後でしたね。
すがや 初舞台はわりとうまくいったんですよ。ナンパの成功数で競って、負けたほうが一枚ずつ服を脱いでく設定のコントで、栗谷さんが男前キャラのまんま、どんどん裸になっていく。
栗谷 あのネタがめっちゃウケた記憶がありますね。
すがや でもその次のライブで事務所を辞めましたけど。だから人力舎のライブは2回しか出てないんです。
──何があったんですか。
すがや 出番直前に栗谷さんがマネージャーとケンカして辞めることになったんです。
栗谷 半年出してもらえなかったのに、ネタやる直前に「このネタおもしろくなかったら、もう来なくていいから」って言われたんですよ。それも舞台袖で。そのまま舞台出ていってウケたんですけど「辞めます!」って言って、それで終わり。
すがや 完全にふてくされた栗谷さんが、カツラ脱いで、去っていきましたね。

栗谷 あれに関してはこっちに完全に非はなかった。まぁもうその人はいないんですけど。「ピンだったら残っていいよ」みたいな、すがやに対してすごい失礼な感じだったんすよ。いや、お前らがすがや連れてきていいって言ったのに、そんな言い方ないだろって、すげぇムカついたんですよね。
すがや 止めてくれたマネージャーもいたんです。その人は「私が担当するんで」って泣きながら止めてくれて。だから俺は「面倒見てくれるって人もいるから残ってもいいんじゃないの」って言ったんだけど、栗谷さんは辞めるって聞かなくて。しかもそのとき栗谷さんが「栗谷だけピンで残るならいいよ」って言われてたことを、俺は知らなかったんです。
栗谷 別に隠してたつもりもないですけど。怒りがピークに達して感情的になったから説明してないだけです。
すがや 今でこそ感謝してますけど、当時は何も言ってくれないから「意地張って辞めなくてもいいのに」って思ってました。まぁあそこで辞めて、結果よかったんですけどね。
文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平

カカロニ
栗谷(くりたに、1989年9月5日、神奈川県出身)と、すがや(1991年3月5日、東京都出身)のコンビ。2016年に結成し、2017年にグレープカンパニーに所属する。2020年には『ゴッドタン』の企画「この若手知ってんのか!? 2020」の“今の時代に売れそうな新世代芸人”部門で2位に入り、ブレイク。栗谷は、すがちゃん最高No.1(ぱーてぃーちゃん)とDen(リンダカラー∞)とのユニット「カリスマスリー」でも活動する。サッカー好きで知られるすがやは、2018年のサッカーW杯「日本対セネガル戦」をゴールネット裏で観戦している際、セネガル選手のシュートをヘディングした映像が話題になった。
【前編アザーカット】



【インタビュー後編】
栗谷が「幸せな朝」を迎えても勢いの衰えない強運コンビ・カカロニの次なる展開とは?|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#36