永野芽郁が演じることをやめない理由「お芝居は“生きがい”に近いもの」

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永野芽郁(ながの・めい)
1999年9月24日、東京都出身。朝のNHK連続テレビ小説『半分、青い。』(2018年)、『ハコヅメ~たたかう!交番女子~』(2021年/日本テレビ)など話題作に多数出演。近年の出演作に映画『はたらく細胞』(2024年)、配信ドラマ『晴れたらいいね』(2025年/テレビ東京)など。現在、TBS4月期日曜劇場ドラマ『キャスター』に出演中。
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2024年7月に俳優として15周年を迎えた永野芽郁。朝ドラヒロインを経て数々のドラマや映画で役を演じ、俳優として魅力を増し続けている彼女が、2025年5月16日より公開される映画『かくかくしかじか』で主人公・林明子を演じる。本作は漫画家・東村アキコの自伝的作品であり、学生時代から9年間にもわたる恩師との日々を描いた物語。映像化を断り続けていた東村を動かしたのは、永野芽郁と恩師・日高先生を演じる大泉洋の存在だ。“このふたりでなければ成立しなかった(東村)”と奇跡の映画化が実現した本作を通して、永野芽郁が作品に捧げた想いや、演じることで大切にしていることや信念などを知ることができた。なぜ人は永野芽郁に魅了されるのか?──その理由が明らかになる。
(※本取材は2025年2月に実施)

東村アキコ先生から受け取った“人生のバトン”

──漫画家・東村アキコさんが自身の実話をもとにして描かれたマンガ『かくかくしかじか』が、連載終了から10年の時を経て、ついに実写映画化されます。原作をお読みになって、どんな印象を持ちましたか?

永野 初めて原作を読んだとき、中盤まではただただ笑っていたんです。「こういう日常ってあるよね」とか、おもしろいエピソードも随所にちりばめられていて「こんなことが起こる!?」と楽しく読んでいたんですが、物語が進むにつれてだんだんと心が引っ張られていきました。人との出会いで人生って大きく変わったりするなとも思いましたし、大切な人に伝えなきゃいけないことって、やっぱり伝えたいと思ったときに伝えなきゃいけないんだなとも思い、気がついたら泣いていました。それが東村先生の実話というのが、なによりすごいなって感じました。

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──今作は完璧なかたちでの実現は不可能だろうという理由から、映像化を断り続けてきた東村さんが「永野芽郁さんが明子をやってくださるのなら」と快諾されたと聞きました。作品のオファーを受けたときのお気持ちと、実際に演じられてから気持ちの変化はありましたか?

永野 東村先生の人生を描いた作品に、私が携われると決まったときはただただ光栄でしたが、それと同時に緊張もありましたね。東村先生が過ごしてきた時間を壊してしまうかもしれない、というプレッシャーもあったので「どうしようかな」という気持ちは、撮影前から終わったあとも抱いていました。でも、現場には常に東村先生がいてくださったので、大泉洋さん演じるスパルタな絵画教師・日高先生とのかけ合いだったり、明子の動き方だったり、どうしたら明子らしさが出るかなと思ったときに、いつもその場でアドバイスをいただけました。友達とカラオケで盛り上がるシーンでも「私はこうやってノッていたんだよ」と直接教えてくださったので、東村先生に明子像を作ってもらえた感覚があります。あとは、常に大泉さんが日高先生として向き合ってくださっていたので、私はみなさんに身を任せる気持ちで撮影に臨んでいました。

──今回、東村さん自らが脚本を手がけられたことも大きなポイントですね。原作との違いは感じましたか?

永野 原作と脚本でもちろん違う部分もありましたが、先生が物語として脚本に参加されながらも、生身の人間が演じるにあたって「こうしたほうがよりおもしろくなる」とか「ふたりのよさが伝わるんじゃないか」と、試行錯誤して何度も脚本を調整してくださりました。そのため、原作との違いに驚くことはなく、すんなりと読んではいたんですけど、日高先生が明子へ檄を飛ばすように発する「(絵を)描け!」という言葉がより心に残るような脚本になっていた印象です。完成した映画を観終わったあとに、あの「描け!」が頭の中で思い出されただけで、なんかグッときて泣きそうになりました。誰かのひと言で突き動かされる瞬間って、誰にでもあると思うので、とても素敵な作品になったと思います。

──明子は思ったように絵が描けなくて落ち込んだり、精神的に絵と向き合うことが難しくなったりすると、日高先生が決まって「描け!」とひと言、喝を入れる。その言葉は非常にシンプルなんだけど、物語が進むに従って深みが増していきますよね。

永野 そうなんですよね! シンプルな言葉でも人に伝わることってあるんだなって思います。

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──永野さんはこれまでにも『俺物語!!』(2015年)、『マイ・ブロークン・マリコ』(2022年)、『はたらく細胞』(2024年)など、マンガ原作の作品に多数出演されています。今回は原作・東村先生が書かれた脚本や、目の前にいるご本人など、役を作るにあたって何が一番の指針になりましたか?

永野 映画なので割合的には脚本を軸にする部分が一番大きかったですけど、東村先生がいろんな思いを抱えながらかたちにされたマンガ原作のひとコマひとコマや、物語の流れは常に研究していました。それでいて、私からすれば明子が大人になった東村先生ご本人が目の前にいてくださるので、「こういう動きをしたほうが、今の東村先生に近いかな」とひっそり観察してお芝居に反映させました。

──東村先生は「明子はかなり難しい役だと思う。ふわふわしただけの女の子ではないから」「でも、芽郁ちゃんなら絶対にうまく演じられると思った」と話していましたが、永野さんは明子という人物に対してどんな印象をお持ちですか?

永野 明子は飄々(ひょうひょう)としていて「なんとかなるでしょ!」と思える楽観的な強さがありつつ、意外と繊細な印象があります。どうして先生は、私だったら演じられると思ってくださったのかをまだ聞けていないんですけど、でも先生がそうって言ってくださることがすべてだと思ってがんばりました。

永野芽郁にとっての“恩師”と呼べる人

──今作は東村さんの9年間にわたる実話の物語ということで、永野さんは明子の高校時代から漫画家としてデビューされるまでをおひとりで演じられました。

永野 出演のお話をいただいたときに、まず不安に思ったのが年齢の変化だったんですよ。高校生から大人になるまでを演じるのは、朝ドラ(『半分、青い。』/2018年)以来なんです。明子の高校時代はノーメイクでナチュラルにやればなんとかなるかなと思いつつ、じゃあメイクを濃くしたから大人に見えるのか?といったらそういうわけでもない。かといって、メイクをしなかったら高校時代との変化が難しいということで、衣装やヘアメイクもそうですし、歩き方や姿勢、声のトーンなどを関(和亮)監督と細かく話し合いながら調整していきましたね。

──綿密に役を作られていく中で、明子がご自身の中に入ってきたと思えた瞬間はありましたか?

永野 先生が実際にマンガを描かれるとき、椅子の上に足を乗せるんです。最初は「それって描きづらくないのかな?」と思っていたのですが、いざ自分がやってみたら、慣れない姿勢だからかなり描きづらかったんですけど、カメラが回っていないときに、トーン貼りをやっていたら「あ、自然に椅子に足を乗せてる」と思って。そのときに明子の雰囲気をつかめているのかもしれないと思いました。

──改めて、明子と日高先生の関係についても教えてください。

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永野 明子が高校3年生のときに「美大に行くために絵の勉強をしなきゃ」と思って通い始めたのが、日高先生の絵画教室。当時は「怖い」「なんだ、この人は」という印象しかなかったですけど、時間が経つにつれて、恩師だと思うんですよね。誰もがあとになって気づくこととか、大人になって理解したり、その時間に寄り添えたりすることってあると思うんですけど、まさにそれを象徴するふたりだと思いました。

──撮影現場の雰囲気はいかがでしたか?

永野 大泉さんとは現場でずっとしゃべっていましたね。常に現場の雰囲気を明るくしてくださっていました。ただ、ドライで撮影の段取りが始まるとガラッと空気が変わって、急に怖い先生になるんです。普段の優しくてみんなを盛り上げてくれた大泉さんと、心はまっすぐで優しいけど一見とても怖く見える日高先生とのギャップがすごくて、常に大泉さんの放つ空気に引っ張ってもらいながら撮影していました。

──今作は笑えるシーンから泣けるシーンまで、明子と日高先生の関係性が見られる名場面がたくさんあります。その中で永野さんが印象に残っているシーンは?

永野 完成した映画を観て、強く印象的に残ったのは明子と日高先生がバス停で出会う場面。その場はあまり考えずに撮っていたんですけど、こんなに印象に残るものなんだなって観終わってから思いました。そのバス停で明子は、つかなければよかったと思う嘘をついてしまうのですが、あのバス停が始まりであり通過点でもあるので、私の中で心に響きましたね。

──明子にとっての日高先生のように、永野さんご自身も怖いけど好きだと思える恩師はいますか?

永野 中学時代の先生が、当時は怖くて苦手だったんです。何をやっても注意され、ひと言しゃべるだけで怒られるみたいな感じでした。ただ、卒業が近くなって最後にみんなで出し物をやる機会に、先生が「あなたが学年みんなをまとめなさい」と言ってくれたことがありました。当初は「なんで私?」と不思議だったんですけど、先生は私のことを信頼してくれていて、だからこその厳しさだったんだなって感じました。そこからいい先生だなと思えるようになって、今でもご飯に行く仲なんですけど、当時の話をすると先生は「芽郁には厳しく怒りすぎたな。今も反省してる」と言っていて。私は「アレはアレでおもしろかったね!」と言って、今では笑い話になっているんです。明子と日高先生の関係性とは違いますけど、きっとこの人が恩師なんだろうなと思います。

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──金沢や宮崎など地方ロケが多かったそうですが、振り返って印象に残っていることはありますか?

永野 撮影をした金沢美術工芸大学は、東村先生の母校なんです。撮影時には旧校舎が取り壊されることが決まっていたんですけど、最後にということで、協力してくださって。先生が過ごされた地で撮影できて、エネルギーをもらいましたし、ありがたかったですね。そのあとに「金沢のおいしい回転寿司屋さんがある」と聞いて、みんなで食べに行き、それもすごく楽しかったです。金沢には2、3日しかいなかったんですけど、いい思い出ができたなと思います。

宮崎には長い時間滞在していたんですけど、あの穏やかな雰囲気にみんなが引っ張られていました。それとまわりは穏やかなのに絵画教室の中は張り詰めた空気が漂っているという対比が、おもしろかったです。宮崎には先生のご親族や親戚の方もたくさんいらっしゃるので、代わる代わるみなさんが現場に来てくださって、「この感じ懐かしい!」「そんなこともあったな!」なんて言っていたぐらい、マンガと同じ風景がたくさん出てくるので、それぞれの地にこの作品は助けられたなと思います。

──ちなみに、作品の中で「タイムマシンがあったら、昔の私に竹刀をお見舞いしたい」という明子のナレーションが流れます。もし永野さんが過去に戻れるなら、このときの自分に喝を入れたいと思う場面はありますか?

永野 小学生のころに映画の撮影をしていたときに、マネージャーさんに「芽郁ちゃん、楽屋でテレビばっかり見てないで、ちゃんと台本を読みなさい」と言われたんです。ただ私はセリフを覚えてきていたので「なんで覚えているのに読む必要があるんだろう?」と思っていたら、母親から電話がかかってきて「芽郁、台本を読みなよ」と言われたんです。

──お母さんに関しては、永野さんが事前に台本を読んでいたことを知っていたんじゃないですか?

永野 母親はいまだに言うんですけど、私が台本を読んでる姿を一回も見たことないらしいんですよ。それもあってみんながすごく心配になっちゃったみたいで。そのあと、マネージャーさんが「台本を読みなさい」と言って、しばらくして戻ってきたら私が寝てたみたいで(笑)。

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──ははは! テレビを観るよりもひどくなってるじゃないですか。

永野 起きたらみんなにすごく怒られました。あのときに寝ないで、嘘でも台本を開いておけばよかったのになっていうのは思います。

──でも、ちゃんと覚えていたわけですよね。

永野 そうなんです、ちゃんと覚えていたんです! でも、あのころは自分も子供だったので「覚えたもん!」でしかなかったんですけど、もうちょっと台本を一生懸命読み解くとか、いろいろやれることはあったかもしれないのに、「読んだら?」と言ってくれた親切さを無視して寝るなんて、すごく子供らしいことをしていたなって(笑)。当時の自分に「もうちょっと、ちゃんとやりなさい!」と喝を入れたいですね。

──先ほどお母さんは永野さんが台本を読む姿を見たことがない、とおっしゃいましたけど、人前でセリフを覚える様子を見せないのは、永野さんのポリシーなんですか?

永野 台本を持ち帰って家で仕事をするのが好きじゃないです。でも、昔は学校が終わって母が仕事から帰ってくるまでの間に台本を読んでいましたね。あとは、オーディションで台本を読まなきゃいけないときは、家を出る前に携帯で写真を撮っておいて、オーディションに向かう電車内でその画面を見続けていました。自分なりに時間を費やして覚えていたんですけど、それを母がたまたま見てなかっただけだと思います(笑)。

どんなにしんどくても「終わらないものはない」

──もうひとつ作中の場面をピックアップすると、明子は絵を描きたいけど、何を描けばいいのかわからなくて筆が進まないシーンがありました。永野さんご自身はお芝居をされる上で、考えすぎてどうしたらいいのかわからなくなった経験はありますか?

永野 私はあまりないです。お芝居に関しては、現場に行ったら監督だけでなく、脚本家さんやプロデューサーさん、また共演者の方など味方をしてくれる人がたくさんいたり、助言をしてくれる人も大勢いるので、「ここはどうしよう?」みたいなことは基本的にはないです。ただ、唯一『半分、青い。』のときだけは、10カ月以上も撮影をしていたので、自分なのか役なのかがわからなくなったんです。それは最初で最後の体験でしたね。

そのときはセリフをしゃべっている自覚もないし、自分の感情が動いている感覚もなくて、「え? 今、涙が流れてたの?」と自分で自分に驚きました。もはや別世界に行ったような気持ちだったんです。がんばっているのに、そのがんばりが伝わっている気もしなくて、「どうしよう……」と暗闇の中で過ごしているような、不安な感覚が長い間ありました。その経験をしていたからこそ、今回の「自分の描きたいものがわからないから描けない」と悩み、もがいている明子の姿はすごく共感しましたし、でき上がった作品を観てそのシーンで思わず涙が出ました。自分にとって大きな壁じゃないはずなのに、なぜか大きくて固い壁に感じて、どう壊せばいいんだろうっていうのは、誰にでもあることだなと思って、泣きましたね。

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──大きな壁が立ちはだかったとき、どのようにご自身を奮い立たせていますか?

永野 いい意味で「終わらないものはない」と言い聞かせています。今がしんどくても、この状況を乗り越えられる自信がなくても、絶対に大丈夫だって。時間は必ず進むし、終わらないものはないと思っているから、それでどうにかこうにか乗り越えてきましたね。

──先ほど「スタッフさんや共演者の方々がまわりにいるから、お芝居で悩むことはない」とおっしゃいましたが、最初からそう思えていましたか?

永野 小学生でこの仕事を始めたので、最初は何も考えずに過ごしていたんですけど、この仕事に対して自覚を持ったときには、すでに座長が真ん中に立っていらっしゃり、サポートするように共演者がまわりを囲んでいました。さらに、それをいい方向に持っていくために、監督やスタッフのみなさんが常に現場のムードを作っていく姿を見て「あ、ひとりじゃないんだな」と実感しました。「自分が座長という立場で現場に入るときも、座長を支える立場で入るときも、どんなときでも自分は助けてくれる人たち、支えてくれる人たちに感謝を持ちながら頼ろう」と思ったのが、始まりだったと思います。

──その考えに至ったのは、何歳のころですか?

永野 中学生のときには思っていましたね。当時、出会った先輩方の姿がとても大きかったんだと思います。

役者を辞めようと思ったとき、いつも作品が引き止めてくれた 

──永野さんは女優を辞めようと思ったことが、過去に2度あったそうですね。きっと肉体的、精神的にもいろいろなしんどい経験があったと思いますが、それでも「お芝居が楽しい」「この仕事を続けたい」と思えたのは?

永野 私がこの世界に残った理由は、いつも作品が引き止めてくれたからなんですよね。1度目はしんどいから辞めたかったというより、高校受験のタイミングで「一生の職にするのは難しいのかもしれないな」と思い、「辞めようと思う」と家族や会社の人に話していたときに『俺物語!!』のヒロインに決まり、「これは辞められないぞ」となりました。

2度目は、小さいころからずっとお芝居をがんばったし、もう辞めようと思ったときに「最後に朝ドラのオーディションを受けてみない?」と言われて挑戦したら『半分、青い。』が決まりました。運なのか縁なのか、常に作品に引き止めてもらってきたんです。だからこそ、その作品に対して「恩返し」といったらおこがましいですけど、「この作品にすべてを懸けてみよう」と思ってなんとかやってきました。そのおかげで、今はすべてのお仕事を純粋に楽しめています。振り返ると、当時は楽しいよりも「続けるきっかけをもらえたからがんばらなきゃ」という感じで、がむしゃらにやっていた感じでしたね。

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──昨年はデビュー15周年を迎えられました。長く続けようと思ったというより、続けていたら15周年を迎えていた、という感覚なのかなと思います。

永野 まさに、気づいたら15年も経っていましたね。小中学生のころは、今みたいな仕事の仕方をしていなかったので、これだけの仕事が自分にある未来を想像していなかったです。忙しくなってからはギュッとしているので、仕事がなかった期間をカウントしなければ15年も経ってないかもしれないですけど、気づいたら「あ、そんなに経ってましたか?」って感覚です。私もそんなに長いことお芝居を続けてこられたんだなと感慨深いですね。

──映画の話に戻りますが、『かくかくしかじか』の映像化を東村さんが何度も断ってきたのは、日高先生との日々に涙を流しながら心血を注いで描かれたこともそうですし、日高先生がすでにお亡くなりになっていることも含めて、それを映像作品に残すことにいろいろな感情があったのかなと思います。でも、映画を拝見したときに、お芝居を通して日高先生のことも、東村さんが日高先生と過ごした時間も肯定しているように見えたんです。特に今作において、お芝居はその人の人生や一緒に過ごしたことを肯定する行為に思えました。

永野 この作品は、東村先生の過ごしてきた時間だったり日高先生への思いを消化したり消化しきれなかったり、いろんな感情の中で描かれたと思います。そのなかで、東村先生が映画化を承諾してくださり、私はその気持ちに応えたかったです。今言ってくださったように、東村先生ご自身の人生を肯定して、またここから東村先生の新しい章が始まるみたいな感覚になってくださったらいいなと感じています。実際、東村先生からは「もうこれ以上のものはない」とお言葉をいただけたので、先生の人生のひとつにこの映画が入ったらいいなと思います。

──ちょっと大きな質問なんですけど、永野さんにとってお芝居を言葉にするとなんですか?

永野 演じること自体は“ただただ偽り”ではありますけど、台本の中にいる登場人物たちにとってはそれが人生。そして私が生きていて一番やりたいと思うことも、一番続けたいって思うこともお芝居。大きな言い方をすると、私にとっては、もう生きる上で絶対的に必要なことだし生きがいに近いものです。きっとこれからも続けていくだろうし、続けていく努力をしていきたいと思います。

──最後に、この映画を通して永野さんが観客に伝えたいことは?

永野 明子は日高先生に対して言えなかったことがあって、いまだに「あのときに言えばよかった」と後悔しています。だからこそ、やっぱり自分の大切な人に伝えたいと思ったことは今伝えるべきです。自分の気持ちを言葉にして大切な人に届けることが、どれだけ大切なのかが、この映画を観ればきっと感じてもらえると思います。映画を観終わったあとに、大切な人に「いつもありがとね」って言ってくれたらいいなって思います。

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映画『かくかくしかじか』2025年5月16日(金)より全国ロードショー

出演:永野芽郁、大泉 洋
原作:東村アキコ
監督:関 和亮
脚本:東村アキコ、伊達さん
主題歌:MISAMO「Message」(ワーナーミュージック・ジャパン)
音楽:宗形勇輝
制作プロダクション:ソケット
製作:フジテレビジョン
配給:ワーナー・ブラザース映画
原作クレジット:「かくかくしかじか」東村アキコ(集英社マーガレットコミックス刊)

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(C)東村アキコ/集英社 (C)2025 映画「かくかくしかじか」製作委員会

取材・文=真貝 聡 編集=宇田川佳奈枝

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