コンビからトリオへ、コントのウケが一気に変わった青色1号の初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#30(前編)

若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>

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若手からベテランまで、群雄割拠のコント界。2017年にトリオとなった青色1号は、次の主役の座を虎視眈々と狙っている。

今回の取材後には、2024年の『第45回ABCお笑いグランプリ』でファイナリストとなり、惜しくもM-1チャンピオンの令和ロマンに破れ、準優勝となった3人。

いつブレイクしてもおかしくない青色1号に、初舞台を振り返ってもらう。

若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage>
注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。

養成所のお金は、パチンコで稼いだ?

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左から:カミムラ、仮屋そうめん、榎本淳

──3人は、2014年に太田プロダクションの養成所に入った同期ですが、最初はカミムラさんと榎本さんがコンビだったんですよね?

榎本 そうですね、そのときから青色1号でした。太田に入ったころは僕らも別々だったんですけど、同じタイミングで解散して組みました。

──榎本さんは大学お笑い出身なんですよね。

榎本 といっても、学内でしかやってないです(笑)。

──大会には出なかった?

榎本 一度出たんですけど、僕らの大学がめちゃめちゃ弱かったんです。2011年に『(国民的大学生芸人グランプリ)大学芸会』の初回に出たら最下位だったので、もう辞めようと(笑)。その後はずっと大学内で活動してました。

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──それでもプロになろうとは思ってたんですか?

榎本 そうですね。卒業してからが勝負って感じで切り替えてました。

──太田に入ったのはなぜ?

榎本 4期生と5期生に先輩がいたんです。ひとりはもう辞めてYouTuberになりました。「オカルトスイーパーズ」ってオカルト界では有名らしいです。

──カミムラさんは芸人になろうと思ったタイミングはいつごろですか。

カミムラ 就活してても話が一個も入ってこなくて、ダメだこれと思ったんですよね。ちょっとお笑い好きだったんで、やっちゃおうかなって感じです。太田プロを選んだのは、授業料が一番安かったからで。入学金と授業料で33万円。当時は吉本のNSCが40万くらいだったかな(※)。たぶん9割の人間は安いから入ってる。あと、授業が週1なのもいいなと思いましたね。所属さえできればいいやって入っちゃった。

(※)現在のNSCは入学金、授業料、施設料合わせて年間50万円。太田プロは33万円のまま

──お金は自分で工面できました?

カミムラ そうですね、バイトをかけ持ちして稼ぎました。

榎本 僕もバイト代で払いました。

──仮屋さんは?

仮屋 僕は……あれっすね。バイトもしてたんですけど、パチンコで稼ぎましたね。4月入学なんですけど、2月ごろにはパチンコでだいぶ貯まったんです。でも3月にほとんどなくなっちゃって。

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──どうしたんですか。

仮屋 とりあえず家族には何も言わず、福岡から東京に出てきました。そこから1カ月でまたパチンコをがんばって、なんとかお金貯めましたね。ちょっと足りなかったんで、そこは親から「がんばってね」ってもらったお金で補填して。

──結局、パチンコで入学できたと。すごいですね。

カミムラ いや、これウソです。コイツ、お金間に合ってなくて、初回の授業休んでますから。

──初日より前に、支払い期限があるんじゃないんですか。

カミムラ じゃないんですよ。太田はそのへんがけっこうゆるい。

仮屋 ちゃんと電話はしたんですよ。めっちゃ怒られましたけど、「用意できたら払ってください。そこから入学でいいですよ」と言ってもらえたんで大丈夫です。一緒に入った中学の同級生に「初日、何したの?」と聞いて、お母さんには電話で「今日は自己紹介だけだったよ」と伝えました。

──とはいえ、なんだかんだある程度パチンコで入学金を貯められたのはすごいですね。

仮屋 いや、本当にパチンコがなかったらヤバかったです。パチンコには一生頭上がんないです。

榎本 でもそのときだけですよ。それからずっと負けてる。

仮屋 今はパチンコだけじゃないんですよ。ボートレースとか競輪とかも覚えちゃったんで、それを合わせると負けてるという。

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カミムラ ギャンブルとか全然意味がわかんないです。バカだと思う。

榎本 僕もお金貸してる。

カミムラ 早く仕事にしてほしいですね。「いつまでダラダラやってんの?」って。

榎本 金沢で一回だけ仕事があったよね。

仮屋 そうそう。これはパチンコのファーストステージの話なんですけど。

榎本 芸人としての初舞台より先にそっち話すんだ(笑)。

仮屋 お笑いやってるときより全然笑顔で、過去一番でかい声でしゃべりました。

榎本 一番楽しそうだった。

仮屋 みんなから「あんな仮屋、初めて見た」って言われましたね。いい初舞台になりました。

人生で一番ウケた初舞台

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──仮屋さんは同級生と一緒に入ったんですね。

仮屋 大学時代の同級生ですね。最初の2年はそのコンビでした。

カミムラ 仮屋のコンビは、養成所時代ずっと1位だったんですよ。最初からちゃんと漫才になっててすごかった。ほかのコンビなんて話になんないんすよ。素人ふたりが緊張してネタ飛ばしてる中で、仮屋のコンビだけちゃんとしてた。

榎本 コントも普通にうまかったね。

──仮屋さんの初舞台はその相方ですか。

仮屋 いや、最初は高校3年生のころで、そのときが人生で一番ウケました。あれは一度も超えてない。なぜかわかんないですけど(笑)。そもそも福岡ってお笑いをライブで観る文化がないはずなのに、なんであんなにお客さんがいたのかもわかんない。まぁ出演者の家族とか友達なのかな。大学時代も福岡にいて、そのコンビで月に1回、アマチュアのライブに出てたけど、そこもあんまりウケなかった。

カミムラ たしかに今思うと仮屋のコンビは解散まであんま変わんなかったです。進化はしなかった。

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仮屋 僕らとしても「伸びないなぁ」とはずっと思ってて、それで解散したんですよね。相方もすごいお笑い好きだったのに生活的に苦しかったのか、折れちゃいました。

──解散後すぐ、青色1号に合流したんですか。

仮屋 いや、2カ月ぐらいはピンでやってましたよ。でもちょっと無理すぎたんで、入れてもらったんです。

足立区の暇そうなヤツ”を捕まえてオーディション巡り

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──仮屋さんが加入する話に移る前に、カミムラさんと榎本さんの初舞台についても聞かせてください。

カミムラ 僕は太田プロの養成所に入る前に、いろんな事務所のオーディションに行ってて、そこが最初です。初めて行ったのが浅井企画で、死ぬほどスベりました。大学での授業中に書いたコントのネタで自信もあったんでヘコみましたね。まぁネタ見せなんてウケるわけないって今ならわかりますけど。

──ひとりで行ったんですか。

カミムラ いや、地元の足立区には暇そうなヤツがいっぱいいるんで、そこから適当に捕まえました。「このセリフだけ覚えて」っつって、連れ回してた。

榎本 その相方めっちゃイカつかったよね。一緒に太田プロにも入ってきて……。

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カミムラ いや、最初は違うヤツとやったんだよ。初舞台のときは、もっと変な暇してるヤツ。なんかふたりで並んだら芸人っぽかったんですよ。僕が細長くて、そいつが太ってたから「極楽とんぼみてぇじゃん」って。テンション上がって行ったのにめっちゃスベった。

仮屋 一緒に太田プロに入ってきたゴリゴリにイカつい相方は、めちゃめちゃ演技がうまかった。あの人と続けてたら、カミちゃんはもう売れてたかもしれないですね(笑)。

──その元相方は今どうしてるんですか?

カミムラ 久しぶりに会ったら全身に墨入れてましたね。これはコンプライアンス的に書いても大丈夫なやつです(笑)。

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──よかったです。榎本さんの初舞台は大学時代ですか。

榎本 そうですね、1年生のときに先輩と組んで出た学内のライブです。仮屋と同じで、それがめちゃくちゃウケたんですよ。それで「俺たちいける!」ってなって満を持して出た『大学芸会』が最下位だったんで、もう無理だと。

カミムラ 初舞台がウケたっていうのも絶対ウソですよ。

榎本 いやいやいや、それは本当だから。めちゃくちゃウケた。

カミムラ 調べようがないからってウソついてるだろ。

榎本「仮屋が入って、自分は辞めさせられると思った」

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カミムラ 榎本と組んだのは、たまたま解散したタイミングが同じだったのもあって。しゃべってたらけっこうツッコミできるなと思って、誘ったんです。でもその日がコイツのピークで、それから全然ツッコめない。

榎本 そんなことねぇわ(苦笑)。

カミムラ あの日以来、コイツのツッコミがいいなと思ったことは本当に一回もないです。だから初舞台でウケたっていうのもウソだと思ってる。でもあれか、いつも最初だけ調子いいって可能性はあるか。

──すごい言いようですけど、ふたりでの初舞台はどうでしたか?

カミムラ 最初はあんまよくなかったです。クソスベったってわけじゃないけど。

榎本 中途半端でした。綾瀬はるかのネタだよね。

カミムラ 「綾瀬はるかと付き合えた」みたいなことを言い合う会話劇っぽいネタ。椅子に座って、動きとかあんまない感じの。

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榎本 スカしてましたね。ラーメンズさんとかバナナマンさんみたいな繊細な演技のコントをやろうとしてた(笑)。

カミムラ あと、東京03さん。大学時代にすごい観てて、めちゃくちゃ影響されてました。

──初舞台はそんなに手応えはなかったけど、解散はしなかったんですね。

カミムラ 太田プロの養成所って、当時は1年かけて最終的に30組ぐらいが残るんです。さらにそこから5組だけ所属になる。だからとりあえず5組には入れそうだなってところで、そこを目標に続けてました。

榎本 一番は取れなくていいやって。

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カミムラ それで2年くらいふたりでやってたんですけど、なんか3人でやるようなネタばっかりできるんですよ。それで、いつかいいヤツ見つかったら入れようとはずっと話してたんです。そしたら仮屋が解散したんで、ちょうどいいやと。

仮屋 とにかくピンがイヤすぎたんで、誘われてありがたかったですね。もともと仲もよかったんで。でもトリオはちょっと抵抗あったんですよ。やっぱM-1にも憧れて芸人になったんで、「お笑い=コンビ」っていう考えがあったから。結果的にはよかったですけど。

──結成するときはどんな話し合いがあったんですか。

カミムラ インタビューに書けるような熱い展開とかないですよ。

榎本 あはははは(笑)。

仮屋 お互いに組むだろうなって空気はあったんですけど、僕はちゃんと話そうと思って「いったんちょっとお茶しない?」とカミちゃんに声かけたんです。そしたら「いや、入っていいよ」ってあっさり言われて。

カミムラ いや、マジであとあとこうやって聞かれるって知ってたら、熱いやりとりしてたのにな。で、その日のネタ合わせに仮屋を連れていきましたね。

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──榎本さんはどのタイミングで仮屋さんを入れることに同意したんですか。

カミムラ 同意も何もないです。榎本には決定権ないんで。

榎本 僕はトリオになるのも知らなかったです(苦笑)。

仮屋 榎本は、自分が脱退させられると思って不安だったそうです。

榎本 仮屋はおもしろかったし養成所でも成績よかったんで、そのまま僕がパンって弾き出されて、辞めさせられると思ってました。そのストレスで、めっちゃでっかいニキビができたのも覚えてます。

3人になってようやく味がした

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──トリオとしての初舞台はいつですか?

カミムラ 仮屋が入った翌週にあった、ヤマザキモータースさんが主催の『モータースLIVE』ですね。

──『モータースLIVE』は、この連載でもたびたび話題に上がる若手芸人のライブです。

榎本 僕らめっちゃお世話になってますから。急にトリオになったときもすぐ出させてくれました。でも今までのお客さんたちは動揺してましたね。名前は青色1号のまま、急にもうひとり出てくるから(笑)。

仮屋 たぶん、お客さんからしても「なんか見覚えあるけど、よくわかんない人が増えた」みたいな感じ。

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榎本 でも最初のコントからウケたんですよ。まわりからも「トリオになってよくなった」って言ってもらえたし、『モータースLIVE』のランキングもすぐ1位になって昇格して、上がったライブでも1位になった。

──仮屋さんの加入でなぜそこまで劇的によくなったんでしょうね。

カミムラ 僕と榎本は、あんまりおもしろくないんですよ。ネタ中に全然お笑いやってないんで。なんつーんすかね……ドレッシングが、かかってないみたいな。

榎本 あぁ、たしかに(笑)。

カミムラ 仮屋っていうドレッシングをかけて、「やっと味がする!」みたいな。俺と榎本だけだとかたちになってんだけど、おいしくはないみたいな感じだった。
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──仮屋さんは、ドレッシングとしての手応えはありましたか。

仮屋 どうなんでしょうね(笑)。でもたしかに僕はバカバカしいネタが好みだったんで、ふたりがやってた静かで繊細な感じのコントにちょっとだけお笑い要素を足してあげてるなっていう自覚はありました。

カミムラ 僕らのネタで仮屋いないバージョン想像してもらったらゾッとしませんか? それをずっとやってたんですよ。

文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平

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青色1号
カミムラ(1990年6月7日、東京都出身)、榎本淳(1992年5月29日、神奈川県出身)、仮屋そうめん(1991年7月17日、福岡県出身)のトリオ。2014年、カミムラと榎本で結成。2017年にコンビ「フィルダースチョイス」を解散した仮屋が加入する。2024年、ラストイヤーで挑戦した『第45回ABCお笑いグランプリ』で準優勝した。YouTubeチャンネル『青色1号のホストクレープキッチン』でネタ動画を公開中。

【前編アザーカット】

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【インタビュー後編】

「結局、ネタがおもしろいのがカッコいい」青色1号のネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#30(後編)

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