若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>
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ものまね芸人・JP「毎日死ぬ気で挑むだけ」松本人志のものまねを始めた偶然と必然|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#16(後編)
2022年1月、松本人志の“代役”として出演した『ワイドナショー』(フジテレビ)をきっかけにテレビに引っ張りだことなった、ものまね芸人・JP。 芸人インタビュー連載「First Stage」前編では、JPにブレイクまでの長い前夜について聞いた。 この後編では、ブレイクのきっかけとなった『ワイドナショー』出演の裏側、そして松本人志のものまねを習得していく道のりと、その過程で見出した「松本人志論」について聞いた。 【インタビュー前編】 松本人志の代役でブレイクしたものまね芸人・JP「初舞台では叱られました」19年の下積み時代を振り返る|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#16(前編) 若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次木村祐一からの予期せぬギフト『ワイドナショー』でギアが上がったのは、原口あきまさのおかげ松本人志のものまねを始めた偶然と必然「すべらんなぁ~」のフレーズがJPを導いた【後編アザーカット】 木村祐一からの予期せぬギフト JP ──前編ではブレイクまでの道のりを聞きました。ここからは2022年の快進撃について聞かせてください。 JP ほんとに『ワイドナショー』(フジテレビ)に出演するまでは、コロナもあって、八方塞がりだったんですよ。オセロで言ったら、角も全部取られて、もうすでに負けが確定してるような状態だった。そこに来て、オセロのルールが大幅に改定されて、なぜか全部ひっくり返った感覚です。 ──とはいえ、19年も下積みをされたJPさんが、オセロの台をひっくり返して、「もうやーめた」と投げ出さずに続けたから起こった逆転劇でもありますよね。 JP そうなるんですかね。たしかに「あきらめたらそこで試合終了ですよ…?」の精神はあったし、前編でも言いましたけど、やっぱり自分はいつか絶対売れるって信じてゲームを続けてましたね。 ──JPさんがメインでものまねをしている松本人志さんが、コロナの濃厚接触者になって『ワイドナショー』を欠席。その代役として、1月30日の放送にJPさんは登場しました。 JP 松本さんの1ツイートで、僕の人生は全部ひっくり返りました。「リリーよりJPやな」このひと言だけですよ。 そうなんかー! リリーよりJPやな😀 https://t.co/rDAjHqXBHr — 松本人志 (@matsu_bouzu) January 27, 2022 JP 最初は、以前の松本さんのツイートのオマージュで「JP、動きます」ってつぶいたんですけど、それも失礼かなと思い削除して、「JP、動けます」ってつぶやき直しましたね。「JP、動きます」だとキム兄さん(木村祐一)に「アイツ、失礼やな」って叱られるかもしれないと思いました(笑)。 JP 話ズレちゃうんですが、のちのち、別番組でキム兄さんにお会いする機会があったんです。そしたら「兄さん(松本さん)はくるぶしソックス履かないから」って教えてもらって。僕、『ワイドナショー』のとき、くるぶしソックス履いちゃってたんですよね。 それで後日、僕の事務所の研音に、キム兄さんが高級ソックス5足送ってくれたんです。「兄さん、これ履いてください」と一筆も添えてくださって。なんて優しい方なんだろうと思いましたね。 ──粋ですね。 JP ほかの人からもね、「松本さん、シャツのボタン、ここ止めへんで」とかいろいろ教えてもらうんです。ほんといろんな人からアドバイスもらってようやく成り立ってる芸なんですよ。 『ワイドナショー』でギアが上がったのは、原口あきまさのおかげ ──話を戻すと、『ワイドナショー』はいかがでしたか。 JP めちゃめちゃ緊張しましたよ! こめかみに銃口突きつけられてるようなもんですよ。いや、ほんとサラシ巻いてカチコミに行くような感じでした。 現場着いて、東野幸治さんの役をやる原口(あきまさ)さんと合わせてたんですけど、それを見守るスタッフの中に笑ってない人がいたりして、本当心配になりましたねぇ。しかも、いざ本番になったら、原口さんがギア上げまくってるのがわかるんですよ。いつもより緊張もあるし、気合いも入ってらっしゃる。 ──百戦錬磨の原口さんでもアガる舞台なんですね。 JP それはそうですよ! 本人の“代役”って前代未聞ですから(笑)。で、全力でやってる原口さん見ながら「これまずいな、全部持ってかれる」って焦って。 そこで僕、突っ込むんですよ。きっと永久保存版なんで、録画残ってる方もいると思うんですが(笑)、映像あったら観返してほしいんですけど、僕「やるぞ!」って腹決めた瞬間、立ち上がってるんです。 ──それがスイッチだった。 JP そうなんです。そこからめっちゃ動いたんですよ。ものまねって声も大事ですけど、それ以上に動きが重要なんです。そこでなんとかウケ始めて。動いたら少しずつ緊張もほぐれるじゃないけど、ちょっと落ち着いてできるようになって。 あの立ち上がったときが、僕が“かかった”瞬間です。でも、原口さんがあんだけ飛ばしてくれなかったら、僕、ぬるっと終わってましたよ。「なんとか爪あと残さなっ!」と思えたのは、原口さんのおかげです。ほんと感謝してますね。 ──その後、松本さんとはお会いしましたか? JP 楽屋挨拶させてもらいました。今までは恐れ多くて挨拶もできなかったんですけど、さすがにこれは行っといたほうがいいよなと。そしたら「ありがとうなぁ。今度お前がコロナなったら俺が代役な」って言ってくださって……。ほんと、末代までの誉ですよ。 そのあとも「てか、俺、まだお前のこと公認してへんからな!」って言いながらも、愛用してる仁丹ケースをくださったんです。あの仁丹、ご自身で詰めてるんですよ。だからあのケースの中には、松本人志の手を、指を、経由した仁丹が入ってるわけです。僕はもともと松本信者ですからね。こんなことあり得ないですよ。今年でもう終わりよ。運、使い果たしてる。 JP あと、個人的には今こんなにお仕事いただけてるのは、『ワイドナショー』の4日後に『ラヴィット!』(TBS)に出たのも大きいと思ってて。 ──MCの川島(明)さんのものまねで出演されたんですよね。 JP はい。あれも突然番組スタッフから「明日ラヴィットいけますか」って電話かかってきて。それで世間に「松本人志から川島明までものまねできる!」っていう振り幅を見せられたのが大きかったですよね。あの短期間に、そんな機会がまとまってきたのがびっくりです。 松本人志のものまねを始めた偶然と必然 ──そもそも、JPさんは松本人志さんのものまねをどうやって体得していったんですか。 JP 子供のころはずっと『(ダウンタウンの)ごっつええ感じ』(フジテレビ)を観てたので、ダウンタウンがDNAに刷り込まれてるんですよ。それでごっこ遊びの延長で、『ごっつ』のキャラクターであるMR. BATERなんかのものまねをよくしてました。 ──子供のころからしていた。 JP そうですね。でもあくまでもキャラのまねでした。松本さんのものまねを最初にやったのは、NSC辞めて、上京資金を貯めるために、自動車工場で働いてたときです。部品を運ぶトラックを運転する仕事だったんですが、そのとき、偶然ラジオから「チキンライス」(浜田雅功と槇原敬之)が流れてきた。それを松本さんの声まねで歌ってみたら「めっちゃ似てるな!」と。 それから毎日毎日「今日は~クリスマス♪」ってずっと歌ってました。それで歌えるようにはなったんですが……素のしゃべりとなると難しい。 ──なぜですか? JP 子供のころからやってたコントキャラのものまねは、そもそも松本さんが誇張してやってるから、ツボを押さえやすいんです。たとえば志村けんさんもみんな「あんだって? アイーン」とかバカ殿とかはまねしやすいけど、普段のローテンションな志村さんのまねは難しいでしょ。 ──たしかにそうですね。 JP じゃあどうすればいいかっていうと、キャラの分だけ引き算をすればいい。キャラが混ざってるぶん、本人のエッセンスだけを抽出していく。ブレンドウイスキーを、シングルモルトにしていくわけですよ。 それを体得するまではだいぶかかりましたね。だから上京して5〜6年はショーパブでは「松本人志」じゃなくて「MR. BATER」だけやってました。 ──JPさんは長瀬(智也)さんとか、香取(慎吾)さん、大阪のお笑い芸人さんとか、すでにレパートリーはあったのに、なぜ松本さんを極めることにしたんですか。 JP もちろん松本信者っていうのが第一ですけど、売れるためには、誰もやってなくて、僕以外誰もまねできない人を完璧にやるのが必勝法だと思ったからです。 顔まねのダウソダウソさんはいましたけど、松本さんのしゃべりまでまねしてる人はいなかった。その上、僕は子供のころからMR. BATERはやってるので、そんなに遠い道のりではないぞ、と。そこは必然でしたね。 あとひとつアドバンテージがあったんですよ。それは僕が関西弁のネイティブということ。松本人志さんのものまねに挑戦してる人はほかにもいました。でも、関西人から聞くと、どうしても違和感が残る。その点、僕は滋賀出身で関西弁がデフォルトだから有利やったと。 「すべらんなぁ~」のフレーズがJPを導いた JP ただ、ここでも大きな問題があって。当時の松本さんって、キャッチーなフレーズを使ってなかったんです。 ──なるほど。 JP 松本さんはカリスマでしたけど、老若男女にわかる個としてのキャラは意外と持ってなかった。僕が当時やってたのは「ウソよねーん!」ってフレーズでしたけど、これはハマらなかった。 そこで始まったのが『(人志松本の)すべらない話』(フジテレビ)でした。そこで「すべらんなぁ〜」のフレーズを聞いたとき、「これや!」と思って、「番組続いてくれ〜」と願ってたら、流行りまくってゴールデン番組になった。 ──ひとつの「松本人志論」としても、おもしろいですね。 JP そうですか。で、そのころのオーディションで「すべらんなぁ〜」を取り入れたら、まぁハネたんですよね。そこにプラスアルファで松本さん独特の動きを取り入れていって、今の形が完成しましたね。そこからものまねファンには知られるようになりました。 でもそこからがまた難しい。ものまねってお笑いファンはあんまり観ないんですよ。 ──そうなんですか、意外です。 JP お笑いとものまねでは主戦場が違うんですよね。これは僕も自分でやってみるまでわかりませんでした。お笑いは劇場でやるでしょう。あそこは若い女性も来るところなんですよね。でも、ものまねのショーパブは中小企業の社長さんとかが相手なんですよ。だから比較的閉じた世界なんで、意外と流行っていかないんです。 だから僕、2019年に松本さんとタウンワークのCMで共演させてもらったんですけど、似てるもんだから、むしろ話題になりませんでしたもん。「合成だと思った」ってよく言われました。もしあのころ、僕の存在がお笑いファンくらいまで広まってたら、もうちょっと話題になったと思うんですよね、「あのJPが松本人志とついに共演!」って。 ──似すぎて気づかれないのは、ものまね芸人としてはすごいけれど、タレントとしてはもったいなさすぎる……。 JP ほんとですよ。1日300回くらい流れてたのに、なんの反響もなかったですから(笑)。お笑いファンに広まったのは、2020年に始まった『千鳥のクセがスゴいネタGP』(フジテレビ)から。ほんとに少しずつ進んできたのが、今年ようやく爆発した。ほんとにコロナで仕事が激減して、悩んでましたけど、それまでの積み重ねがあったから、思いがけないラッキーが降ってきた。 今はもう明日には終わると思って、毎日死ぬ気でやってます。いつ何が起こるかわからないですし、刹那ですからね。ただただ、支えてくれた皆さんへの感謝と楽しむ気持ちで精いっぱいやるだけですね。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽 JP(ジェーピー) 1983年7月31日、滋賀県出身。2003年にものまねタレントとしてデビュー。2022年、松本人志が『ワイドナショー』を欠席した際、松本人志のものまねで代役として出演し、話題に。モノマネのレパートリーは500を超える。YouTubeチャンネル『モノマネモンスター JP』も更新中。Twitter @jpmaesaka 【後編アザーカット】 「素の志村けん」が世間に衝撃を与えた、レッツゴーよしまさのものまね人生|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#20(前編) R-1王者・お見送り芸人しんいち「ファイナリストの中で僕が一番楽しもうとしてたのは間違いない」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#11(前編) 吉住「こんなんじゃダメだ」挫折を味わった初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#5(前編)
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松本人志の代役でブレイクしたものまね芸人・JP「初舞台では叱られました」19年の下積み時代を振り返る|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#16(前編)
2022年1月、コロナウイルスが猛威を奮い、テレビ業界でもタレントの番組欠席が相次いだ。 そんななか“代役”として活躍し、一気に話題をかっさらったのが、ものまねタレントのJP(ジェーピー)だ。欠席する松本人志(ダウンタウン)に代わり、JPが松本のものまねで出演したのは『ワイドナショー』(フジテレビ)。その出演によって、一夜にして……もとい、一朝にしてブレイクした。 JPのデビューは2003年だ。当時20歳だった彼の初舞台について、そしてブレイクまでの19年間をどう過ごしたのか。ものまねを脱いだ、素のJPに聞いた。 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次ものまねでヤンキーから身を守った“どこまでも遠くへ”行けなかった下積み時代ショーパブでの初舞台、オーナーに叱られる19年間、俺は絶対売れると信じて疑わなかった【前編アザーカット】 ものまねでヤンキーから身を守った JP ──最初は声優学校に入ったそうですね。 JP そうですね。滋賀出身なんですが、地元の農業高校を卒業して、声優の専門学校に入りました。学生時代からものまねが得意で、ものまね芸人になりたいと思ってたんですが、声優になれば、できると思ってたんですよ。大きな勘違いでしたね。声優はマネをするんじゃなくて、声だけで演技をする職業だった。そんなことにもやってみるまで気づきませんでした。一応、声優養成所は卒業しましたね。 ──学生時代からものまねは好きでやっていたんですか。 JP そうですね。子供のころからずっと何かしらものまねはしてて。それこそ松本人志さんのものまねも小学生からずっとやってるんですよ。といっても、そのころは『(ダウンタウンの)ごっつええ感じ』(フジテレビ)のごっこ遊びでしたけどね。 ──コント番組のごっこ遊びをしていたんですか。 JP そうです。戦隊ヒーローとか『仮面ライダー』とかも好きで、そのごっこ遊びをするのと同じように、『ごっつ』のキャラクターになりきってたんです。のちに持ちネタになるMr. BATERとかもずっとやってましたね。学生時代は僕、いじめられてたんですけど……。 ──そうだったんですか。 JP いや、ここ笑ってほしいところです(苦笑)。20分の休み時間、ヤンキーに呼び出されて毎日のようにボコボコにされてたんです。でもあるとき、当時流行ってた宮藤官九郎さんが脚本を書いてた『池袋ウエストゲートパーク』(TBS)の長瀬(智也)くんのものまねをしたら、めちゃくちゃウケたんです。 そこで「ものまねしてる間は殴られへんぞ」と気づくんですよ。今までは昼休みはサンドバッグにされるだけやったけど、その代わりにものまねしようと。そこからヤギだったり、(笑福亭)仁鶴師匠、桂小枝師匠、(桂)南光師匠のものまねもし始めて。 関西やからみんなわかるだろうと思ってやってるのに、ヤンキーに「誰や、それ」って言われてむしろ殴られることもありましたけどね(笑)。 そんなこんなで、昔は20分フルで殴られてたのが、5分に短縮されたんです。 ──殴られることには変わりない……(笑)。 JP そうですね。でも、だいぶマシですよ。ものまねは僕にとって最高の趣味であり、最大の防御策だったんです。 “どこまでも遠くへ”行けなかった下積み時代 ──声優学校の卒業後はどうされたんですか。 JP 大阪吉本の養成所、NSCに入りました。大阪でいうと同期はGAGとかDr.ハインリッヒ、東京だとオリエンタルラジオやトレンディエンジェル、はんにゃあたりですね。 ──そのころからもう、ものまねをしていた? JP そうですね。ただ、コンビで漫才のテイでやってました。相方が「エントリーナンバー3、中田カウス!」って呼び込み、僕がものまねをするかたちです。吉本と松竹の若手芸人が集まる漫才大会でもファイナリストになったりはしたんですけど、結局解散しました。 ──それはなぜですか。 JP ひとりでやるのが性に合ってたんですよね。自己完結したい人間だった。あと、関西って当時はものまね文化が東京とは全然違ったんですよ。 僕は東京のテレビ番組で活躍するコージー冨田さんや原口あきまささん、ホリさんみたいに、「ザ・芸能人」のものまねがしたかった。でも大阪は中川家さんとか友近さん的な、普通の人のあるあるネタだったり、楽屋での師匠方といったものまねが主流だったんです。 だから自分に合った環境を求めて、NSCを辞めて、いったん自動車工場で働いてお金を貯めてから、上京しました。 ──東京に出てきたのはいつごろですか。 JP 20歳の年なので、2003年ですね。最初はワタナベコメディスクールに入りました。そのときの同期はハライチ、バービー、サンシャイン池崎あたりですよ。 ──そうそうたるメンツですね JP でも、僕はハライチより先にテレビに出たんですよ!(笑) GACKTさんのものまねで「何処までも遠くへ〜♪」と歌いながら砲丸投げをするネタで。手応えもあって、これは売れるなぁ〜と思ったんですけど、全然あとにつながらない。 『R-1』も準決勝止まり、テレビのオーディションも引っかからなかったので、ショーパブに専念しようと思いナベプロを辞めたんですが……。その直後に、織田裕二ものまねでナベプロの山本高広さんがどかーんと売れて……。「残っとけばバーターとかあったかも……」って情けない後悔してましたね。 ショーパブでの初舞台、オーナーに叱られる ──JPさんの初舞台はいつになるでしょうか。 JP お金もらってステージに上がったのはショーパブですね。20歳のとき、オーナーにネタ見せしたら「採用。今日の夜から出て」ってえらいスピード感で初舞台が決まって。 オーナーは「呼び込みも全部俺がやるから、任しとき。おっちゃんが全部ケツ拭くから思いっきりやって」と言ってくれましたよ。当時はまだ素の松本人志さんのものまねはなくて、代わりに子供のころからやってた『ごっつ』のMr. BATERをやって。 「ほか、何があるの?」って振られて、長瀬くんやって。カメラのCMで「カンタン、キレイ、色あせない」とかやって。あと、アンガールズさんのふたりもやってましたね。「どっちもできるの、すごいね〜」なんて言ってもらって(笑)。 ──初舞台なのに、すごいレパートリーですね。 JP ものまねはずっとやってきたので、いくらでもありましたね。当時結成したての南海キャンディーズさんもやったし、まだブレイク前の麒麟さんもふたりともものまねさせてもらってました。 ショーパブのお客さんなんてお笑い好きでもなんでもないから、誰も知らないんですよ。でもそこが僕の強情なところで、「これがおもしろいんだよ」ってやり続けてました。初舞台の最後は、子供のころからずっと好きだった『男はつらいよ』の渥美清さんの口上でまくし立てて、しまいにはオーナーに「長いよっ!」と叱られて終わりました。 ──初舞台なのに、堂々とやってのけたんですね。緊張はあまりしないタイプですか? JP いや、めちゃめちゃアガリ症ですよ。初舞台も緊張しました。ただ、放し飼いにしていただいて、好き勝手ものまねするぶんには、いいんですよ。だから初舞台もまだマシだった。問題はネタ番組とかですよね。かっちり決まった尺と台本があると、そればっかり意識して、うまくできなくなります。 ──このインタビューでも、当意即妙なので、アガリ症は意外です。素のJPさんっておしゃべりがうまいんだなと驚いています。 JP それもショーパブで培ったスキルでしょうね。僕のショーパブって自分の出番以外は接客するんですよ。テーブルについて、お客さんと話させてもらって、その合間に舞台に上がる。 ほんと変わったおもしろいお客さんばっかりなんですけど、毎日のように相手にしてると、会話ってパターンなんだなというのが見えてくる。それで「この言葉にはこう返す」「その次は……」っていう方程式がたくさんできていって、だんだん話せるようになりましたね。その上、最初に働いてたショーパブが26歳のときにつぶれるんですよ。 ──そこからどうしたんですか? JP 取り残された若手で、新しくショーパブやらないといけないなと。そうなると、26歳の僕は先輩になってしまうので、「俺が引っ張らないといけないな」と腹決めましたね。もともとはヤンキーにいじめられるような、陰キャで口下手ですよ。無遅刻無欠席の引きこもりだったところから、がんばってなんとかしゃべれるようになりました。結局、ショーパブ人生は15年くらい続きました。 19年間、俺は絶対売れると信じて疑わなかった ──ショーパブのステージに上がり続けるなか、テレビの仕事はいかがでしたか。 JP 2015年には『ガキ使』(『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』/日本テレビ)の「笑ってはいけない」に香取慎吾さんのものまねで出させてもらい、翌年は『ダウンタウンDX』(日本テレビ)で初めてご本人の前で、松本さんのものまねをさせてもらう。長瀬さんとも『行列(のできる相談所)』(日本テレビ)で共演させてもらいました。いろいろ素敵な仕事はさせてもらうんですけど、なかなかコンスタントに仕事をもらえる状況にならなかった。テレビの仕事は月1本あればいいほうでしたね。 ──ご自身で「19年も地下芸人だった」なんて言うこともありますが、腐ることはなかったんですか。 JP 不思議となかったですね。頭の恐怖を感じる部分みたいなのが、ぶっ壊れてるんだと思います。常に俺はそのうち売れるって信じて疑わなかったですから。それにものまねが好きっていうのはずっと変わらないんですよ。 ──今はものすごく謙虚な人に見えますが、トガってた時期は……? JP ありますあります! 「なんで俺のものまねがわからんの、ちゃんと勉強せえよ」って、心の中で思ってました、口には出せない(笑)。後輩にだけグチりまくってましたね。でも、コロナで仕事が一切なくなった時期に、苦しすぎた反動で、もう一切悪口言うのやめようって思ったんです。 ──わりと最近ですね。 JP そうです(笑)。もともとは、ことわざにあるみたいに、外に出たら7人の敵がいると思いながら生きてるタイプの人間です。 ──ヤンキーにいじめられていましたし、そうなるのも必然ですよね。 JP はい。学生時代は毎朝、仏壇にお祈りして、毎日帰ってきて仏壇にキレてましたよ。「あんなに祈ったやんけ! なんで今日も殴られんねん!」って。でも、気が済むまで悪態ついたら、お茶入れて、きんつば供えてました。 ──現在は研音に所属されていますが、どういう経緯があったんですか。 JP ショーパブのお客さんに研音の方がいらっしゃって、声かけてくれたんです。ほとんど俳優さんの事務所なんですけど、もともと僕が戦隊ヒーローとか『仮面ライダー』に出演したいっていう夢もあったので、2018年の年末からお世話になることにしました。 おかげさまですぐドラマにも出させてもらえたんです。演技がうまいわけじゃないから、オファーが続くことはなくて(苦笑)。でも、芸人なんて腕っぷしがよければどこの事務所にいても関係ない、売れないのは自分のせいやと思って、やってましたね。 ──そこにコロナ禍が来てしまう。 JP そうなんですよね。仕事が全部吹き飛んでしまって、食べるのも大変になってしまった。それで、これからはテレビにこだわらず、営業で地道に食っていく方向はないかなと模索し始めました。 そこに1本の糸が垂らされるわけですよ。見上げたら金髪坊主のマッチョがいて(笑)。糸をつかませてもらったら、一瞬ですべてがひっくり返った。初舞台からここまで長かったですねぇ。続きは後編で(笑)。 JP(ジェーピー) 1983年7月31日、滋賀県出身。2003年にものまねタレントとしてデビュー。2022年、松本人志が『ワイドナショー』を欠席した際、松本人志のものまねで代役として出演し、話題に。ものまねのレパートリーは500を超える。YouTubeチャンネル『モノマネモンスター JP』も更新中。Twitter @jpmaesaka 文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 ものまね芸人・JP「毎日死ぬ気で挑むだけ」松本人志のものまねを始めた偶然と必然|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#16(後編)
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柳亭小痴楽、落語界のために思うこと──師匠方の言葉を受け継いでいきたい|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#15(後編)
三代目・柳亭小痴楽(りゅうてい・こちらく)。2019年、落語芸術協会としては15年ぶり、単独での真打昇進を果たした。 真打として3年を過ごした小痴楽は、落語だけでなく落語界の文化も次世代に伝えたいと語る。小痴楽に聞いた、落語界への想い、自身の目標、メディアとの向き合い方。そして亡き父・痴楽師匠の記憶──。 【インタビュー前編】 柳亭小痴楽「親父のような男になるには、落語家になるしかないかもな」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#15(前編) 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次昔の町内みたいに、みんなで弟子を育てたい真打昇進までの目標、真打としての目標『すべらない話』なら勝てる?忘れられない親父の言葉「だから売れなきゃいけねぇんだよな」【後編アザーカット】 昔の町内みたいに、みんなで弟子を育てたい 柳亭 小痴楽 ──真打になって3年、今後の落語家としての目標はどんなふうに考えていますか? 以前、落語芸術協会の理事になりたいというお話も聞いたことがありますが。 小痴楽 いやいや、それは冗談ですよ!(苦笑) 理事や会長みたいな人をまとめる職は本当に大変だろうし、僕みたいな人間にはそんな大事な立場なんて無理ですよ。僕はただただ、いい加減に生きてたい男なんですから。 ただ、今、せっかく(神田)伯山さんや(桂)宮治さんのおかげで、落語芸術協会に世間の関心が向いている。そのいい流れを味方につけるためにも、若手なりにいろいろアイデアを出していきたいなとは思ってます。 実際、生意気にもそういったアイデア出しとかは、やらせてもらえているほうなんです。というのも、我々若手の感覚をわかってくれている(春風亭)昇太師匠が会長なので、下は動きやすい。 ──落語界全体のために働きたいという気持ちが強いんですね。 小痴楽 そう言うとおこがましいですが、せっかく二世として落語界にいさせてもらったからこそ、できることはあるんじゃないかなと。親父はもちろん、(桂)歌丸師匠、(桂)米助師匠、(三遊亭)小遊三師匠、(三遊亭)円楽師匠、(柳家)権太楼師匠など、本当に多くの師匠方から多くを教わってきました。僕しか聞いてないような言葉もあるから、そこは後輩や下の者には伝えていきたい。 親父は僕が16歳のときに倒れてしゃべれなくなり、20歳のころ亡くなりました。だから、人はいつ死ぬかわからない、自分だっていつ死ぬかわからない、という思いが人一倍強い。常に伝え続けようと思ってます。 ──お子さんのころから、落語家のお父さんを通じて、落語界の雰囲気の中で生きてきた小痴楽さんだからこそできることですね。 小痴楽 僕が師匠方からもらった教えや小言をみんなが聞いてるわけじゃないんですよね。その言葉を僕だけのものにするのは、もったいない。僕は師匠方からもらった言葉を、そのまま伝える義務があると思うんですよ。師匠方の言ってくれた言葉は、落語のネタと同じように受け継いでいかなくちゃいけない。 そのための師弟制度だろうし、それがないなら別に養成所で落語を教えたらいい。僕が伝えたありのままの小遊三師匠の言葉を、受け取った人たちがどう解釈するのかは、その人次第ですけどね。 宮治さんや(春風亭)昇也さん、(春風亭)柳雀さんたちに、「この間師匠にこんなこと言われたんだけど、どういう意味かなぁ?」ってよく聞くんです。そうすると、あの人たちが噛み砕いてくれて、「あぁ、なるほどね!」って腑に落ちることもよくあるんです(笑)。 ──ちなみにそろそろ弟子を取ることも考えていますか? 小痴楽 いやぁ、どうでしょうね。真打になるとやっぱり「弟子は取るのか?」ってよく聞かれるんですよ。でも僕としては「人育てられんのか?」と自分に問いかけてみると、そんなの当たり前にまだ無理だろうと思っちゃいますね。 でもどっかで、「俺ひとりで育てないとダメ?」っていう感覚もある。実際、僕もたくさんの師匠方に教えてもらってきたわけで、僕も直接の弟子以外にも伝えることはできますから。 ──弟子はみんなで育てていく。 小痴楽 だってそうでしょう。実際、師匠方は、「こうしろ!」って頭ごなしに言うんじゃなくて、「こういうやり方もあるよ」って別の道を示してくれる存在です。ということは、「こういうやり方」を教えてくれる人は、多ければ多いほどいい。たくさんの選択肢を知った上で、最後には結局「自分で選びなさい」という教え方を僕はされてきた。だから自分もそういうふうにしかできないと思うんです。 「うちの弟子じゃないから」って放っておいたり、「一門違うし」ってことで面倒見ないなら、みんなの芸小っちゃくなっちゃうでしょ。せっかく協会を作って、いろんな一門がひとつになってるんだから、みんなで育てればいいよなと。 人情が生きてたころの町内と一緒ですよね。僕が小学生のときもまだ、近所のよく知らないおじちゃんに叱られたりしてましたから。あれが一切失われるとなると寂しい。 真打昇進までの目標、真打としての目標 ──小痴楽さんは落語界全体のことを考えてるなと思ったのですが、ご自身がどんな落語家になりたいか、ビジョンはありますか? 小痴楽 難しいっすねぇ。毎日寄席に出てたいなっていうのはずっと思ってますよ。「小痴楽観たいな」と思ったら、いつでも観てもらえるような状態でいたい。おじいちゃんになっても、毎日のように高座に上がってたい。 今でも休みの届けは出さず、基本的に全部出られるようにしてます。若手真打が1年で寄席に上がる日は60席、多くても150席ぐらいだと思うんだけど、 僕は7月の時点で150席くらい出たはずです。これがずっと続けばいいですね。 ──すごい数ですね……。今、目標を伺ったのは、前座、二ツ目のうちは昇進という目標があることが門外漢からもわかりやすいのですが、真打になったら、落語家それぞれの目標ができるんだろうなと想像していたんです。小痴楽さんの場合はなんだろうな、と思って伺いました。 小痴楽 なるほどね。たしかに真打になってからの次の目標って考えたことなかったなぁ。前座のときは習ったことを120%出せるようにしながら、気働きを心がけていて……。 二ツ目のときは、自分のスタイルを確立して真打になるために、とりあえず9年間を3つに区切って、最初の3年間は何がなんでもウケることを狙う。次の3年間はウケたことを一回忘れて、地味だけど自分の好きな古典落語のやり方を徹底的にやる。ちゃんとやってるつもりでも、ウケる喜びも知ってるから、たぶん完璧にできずに笑いを取りにいくだろう。 そうしてラストの3年で、この「何がなんでもウケを取りたい自分」と「古典落語が好きな自分」がミックスされた自分なりの芸風を形にして、お客さんにも認識してもらおうと考えてた。 ──すごく計画的に修行時代を過ごしていたんですね。 小痴楽 まぁそれがうまくいったのかはわからないまま真打に上がりましたけど……。でも言われてみれば、真打になってからのビジョンって「ずっと寄席に出る」とか「食いっぱぐれない」とかばっかりで、昔みたいに明確な目標とかってないっすね。要するに「継続する」しか言ってないわけだから(笑)。 人のことや落語界のことばかり考えて、視野を広くしすぎたせいで、自分が見えなくなっていたのかもしれない。ちょっと考えようと思いました。僕みたいな若手真打ごときが「今、落語界に世間の目が向いてるから」なんて言ってもしょうがない。「今、僕に世間の目が向いてるから」ってならないとダメなのかもしんないね。 でも今、伯山さんのおかげで、落語界だけじゃなく演芸全体にいい風が吹いてるのは事実。伯山さんが身を切ってやってくれてるから、その間に何か落語家が動いていかないとダメだなって感じてるし……ここはちょっと整理しないといけないなぁ。 『すべらない話』なら勝てる? ──以前は「テレビもガンガン出ていきたい」というようなことをおっしゃっていましたが、心境は変わりましたか? 小痴楽 もちろん今も出させてもらえるのはありがたいんですけど、今のこの好き勝手言ってる自分を抑えてまで、売り出していくのはどうなのかな……。いや、怖いんですよ、自分が変わっちゃうんじゃないかって。テレビでコメンテーターなんかやったりしたら、自分の考えがなくなりそうじゃないですか。 20代のころは、早く売れたいから、宣伝代わりにテレビ出たいなと思ってたし、もし今落語でメシ食えてなかったら、ワイドショーで世論を読んでコメントやろうかなとも思うでしょうけどね。 でも、時代劇に出させてもらったときは、京都に泊まり込みで撮影に臨んで新鮮で楽しかったし、これはテレビじゃないけど、2.5次元の舞台で一緒になった役者さんたちとはいまだに飲みに行く。そういう別の仕事をするのは楽しいんですよ。 ただ、僕の「失敗してもいいや、落語があるし」って態度は、役者さんたちに「本業の人に失礼だからダメだよ」って叱ってもらったことがあります。たしかに舞台に生きる人の前で、そんな了見が入っちゃダメなんですよ。ダメだな……と思いつつも、これだけは抜けないし、せっかくこういう商売してるんだから、いろんなことをしたい気持ちは強いです。 ──メディアの仕事でいうと、先日NHKラジオ第1で放送された冠特番『小痴楽のシブラジ』がおもしろかったので、ぜひレギュラーになってほしいです。 小痴楽 あれでいいんだったら、ずっと話してたいです(笑)。 ──進行はライター・編集者の九龍ジョーさんとゲストの(立川)吉笑さんが担当し、小痴楽さんが好き勝手に話す感じが楽しかったです。 小痴楽 あの番組は、師匠方とか先輩、仲間の落語家のことを話してくださいっていう企画がすごくよかった。僕は、落語家のエピソードトークを作るために、毎晩のように飲みに行ってるんで、人の話をするのはかなり得意なんです。 それで思い出したけど、私が一番出たい番組は『(人志松本の)すべらない話』(フジテレビ)なんです。昔はお笑い芸人さんのステージってイメージでしたけど、伯山さんが出たときに、これは噺家が一番得意な舞台じゃねぇかと思ったんです。 だって、一緒に話を組み立てる相方がいる漫才師さんよりも、ひとりで話を見せる、聞かせる落語家のほうが、ああいった分野は慣れてそうじゃないですか。あの番組なら、噺家でもじゅうぶん渡り合っていけるんじゃないかなと思ってます。 でも、伯山さんは『すべらない話』だけじゃなくて、『ENGEIグランドスラム』(フジテレビ)でも、場の雰囲気をガラッと変えて、見事に闘っていましたよね。あれはすごかった。僕は3分とか5分ネタで勝負してくださいっていうのは、やっぱりできないんでね。 忘れられない親父の言葉「だから売れなきゃいけねぇんだよな」 ──ちなみにお父さんである痴楽師匠の人気ぶりは覚えていますか? 小痴楽 いやぁ、全然わかんない。でも、売れてはなかったはずです。昔の雑誌とか見ると、今の僕くらいのときは注目してもらってたみたいですけど、でも隣にいた米助師匠、小遊三師匠って同期と比べれば全然でしょう。 もちろん子供ふたりを私立の学校に入れてまともな生活できてたから、金はあったんでしょう。でも、芸能人の息子っていう感覚はまったくなかったですね。 そもそも親父は自らテレビを切った人間なんですよね。 小痴楽 親父自身、その選択に後悔はもちろんないでしょうけど、落語家として正解はどっちだったんだろうって疑問はずっと抱えてたんじゃないかな。 中学生くらいのときに、親父の知り合いのパーティーに連れてかれたんですけど、そこで親父がぼそっと言った言葉が忘れられないんですよ。米助師匠、小遊三師匠も出席してて、僕らも家族で行ったパーティーでした。そのとき、知り合いたちが、うちの親父より先に、米助師匠、小遊三師匠のところを回るんです。 その間ぽつんと座ってた親父が、僕だけに聞こえるように、ぼそっと言ったんですよ。「まぁな……だから売れなきゃいけねぇんだよな」って。あの言葉は忘れられない。母親も兄貴も「パパがそんなこと言ったの?」って驚くくらい、珍しい弱音でした。 なんで親父は僕にぼやいたのか。そのうち俺が「落語家になりたい」って言い出すと察して、言ったとは思うんですけどね。あの言葉は長年の問いとして、ずっとくすぶってます。 文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽 柳亭 小痴楽(りゅうてい・こちらく) 1988年12月13日、東京都渋谷区出身。落語家。五代目・柳亭痴楽のもとに生まれ、2005年、16歳で桂ち太郎として、二代目・桂平治(のちの十一代目・桂文治)の門下に入る。2009年に二ツ目昇進を期に三代目・小痴楽を襲名。柳亭楽輔の弟子となる。2013年、落語芸術協会所属の二ツ目落語家・講談師によるユニット「成金」を結成。2019年9月下席より真打昇進。『柳亭小痴楽 全国ツアー カチコミ'22』を開催中。 【後編アザーカット】 板橋ハウス、ルームシェアのきっかけは「お笑いが足りてなかったから」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#14(前編) 『すごいよ!!マサルさん』に憧れたストレッチーズの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#13(前編) R-1王者・お見送り芸人しんいち「ファイナリストの中で僕が一番楽しもうとしてたのは間違いない」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#11(前編) オズワルド『M-1』決勝戦を終えて。「芸人になったときから、人生どうにでもなれと思ってる」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#10(前編) 吉住「こんなんじゃダメだ」挫折を味わった初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#5(前編)
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柳亭小痴楽「親父のような男になるには、落語家になるしかないかもな」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#15(前編)
五代目・柳亭痴楽を父に持つ三代目・柳亭小痴楽(りゅうてい・こちらく)。 しかし小痴楽が父の落語を初めて聴いたのは、先輩から借りた録音テープだった。そのときの印象は、「おもしろくねぇな」。 親父の落語ではなく、噺家の親父が好きだったと言ってはばからない小痴楽は、もちろん父・痴楽から落語を教わったことはない。それでも彼の生き様と落語には、父のエッセンスが流れているようだ。 そんな小痴楽に、落語家になるまでの軌跡、そして初高座の思い出を聞いた。 若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次「親父の落語はおもしろくない」「パパが倒れてよかったね」初高座は絶句…そして観客に「黙ってろよ!」と言い放つ「二ツ目時代は不相応な仕事が多くてつらかった」【前編アザーカット】 「親父の落語はおもしろくない」 柳亭 小痴楽 ──落語家の息子として育った小痴楽さんは、昔から落語好きでしたか? 小痴楽 いや、15歳くらいまではほとんど聴いたこともないです。親父の落語を聴いたのも前座修行明けてから。いろんな兄さん方に「聴いたことないの?」と驚かれて、稽古の音源を聴かせてもらいました。 でも僕は、親父の落語をおもしろいとはまったく思えない。もっというと苦手です。落語家になってから聞いたもんだから、親父がどんな師匠に憧れてるのかも手に取るようにわかる。そうすると、「だったらもっと稽古しろよ」とか「これでいいと思って遊び呆けてたのかよ」って引いちゃうところもある。 でも、まわりからは「お前の落語、お父さんに似てるよ」なんて言われるんで、複雑ですよ。一番おもしろくないと思ってる落語に似てるなんてね(苦笑)。 ──子供のころに、お父さんの落語を観る機会はなかったんですか。 小痴楽 親父の落語会を家族で手伝うことはあって、落語好きの兄はよく合間に客席から観てましたけど、僕は興味がなかった。色物とか漫才になると客席に行く子供でした。当時の僕は漫才がやりたかったんですよ。 ──漫才が好きだったんですね。 小痴楽 しゃべりで掛け合う人たちの漫才、いわゆるしゃべくり漫才が好きでしたね。テレビでも『(爆笑)オンエアバトル』(NHK)をよく観てましたよ。ハリガネロックさんとか中川家さんが好きでしたね。ただ、人としてだらしない自分なんかが相方と付き合ってネタをやっていくのは無理だろうと、ハナから諦めてました。 漫談はどうかなとも考えたんです。でも、もし一発何かできて、売れることができたとしても、そのあとも残り続ける自信はねぇなと。当時あったネタ番組とかだと、ピン芸人には使い捨てっぽく見えましたしね。 「パパが倒れてよかったね」 小痴楽 そんなころ、なんの気なしに自宅にあった八代目・春風亭柳枝師匠の『花色木綿』のCDを聴いて、これ超いいなって思ったんです。「落語だったら全部ひとりでできるじゃん」って。 ──灯台下暗しというか(笑)。 小痴楽 落語家の親父のもとで育ってたのに、落語の魅力にまったく気づいてなかった。で、親父に(春風亭)柳枝師匠の落語聴いたって言ったら、「これ読め」って渡されたのが『現代落語論』(立川談志著)。当然おもしろかったから、次は談志師匠の音源を聴かせてもらうんですけど、これがよくなかった(苦笑)。 僕が子供すぎたせいで、談志師匠の落語のよさがまったくわからなかったんです。それで親父に「ちょっとこの人イヤだ、センスねぇよ」と言ったら、外連れ出されてボコボコにされました。その直後に親父が病気で倒れちゃったんで、あのあとはろくに話し合えないままでしたね。 ──その後、二代目・桂平治師匠(のちの十一代目・桂文治)のお弟子さんになられた。 小痴楽 はい。ただ、うちの母親が言うには「アンタ、パパが倒れてよかったね」と。僕が親父の弟子になっても、ガンガン親子ゲンカやり合っちゃう。それじゃ父は師匠として僕を破門しなきゃなんないので、僕は絶対に落語界に残れてなかっただろうと。たしかにそうなんですよ。落語家の僕としては、入れ違いになってラッキーでしたよ。親父が倒れて本当によかった(笑)。 それに僕は親父の落語が苦手ですしね。これのおもしろいところがひとつあって。僕の場合、その人の落語が好きだったら、その人自身も好きになる。逆に、その落語家の人柄に惹かれたら、その人の落語も好きになることがほとんどなんです。 親父だけですよ。人間は好きなのに、落語が苦手というパターンは(笑)。弟子になったとしても、どの道絶対うまくいかなかったと思いますよ。 ──でも、お父さんの人柄は好きだった。 小痴楽 そうですね。うちの親父みたいな大人になりたいってずっと思ってました。親父みたいな落語家になりたいと思ったことは一度もない。でも、親父のような男になるには、落語家になるしかないかもなと思ったことは何度もあります。 ──どんなお父さんでしたか。 小痴楽 毎日遊んでるように見えましたね。「ちょっと行ってくる」って平気でひと月帰ってこない。ようやく帰ってきたら手ぶらで「お金ない」。かと思えば、「麻雀行ってくる」と言ってなぜか大金を持って戻ってくる。 親父の行動のすべてが、仕事なんだか遊びなんだかよくわからない。家にもいろんな大人がしょっちゅう出入りしては、わあわあ騒いでいる。カタギの人も落語家も芸能関係の人も一緒になって、ハワイに行ったりとかね。毎日すごい楽しそうなんです。 親父の隣にいたら「明日は何が起こるんだろう」って毎日ワクワクできる。「親父みたいに生きられたらな」と思うのも自然な流れでしたね。傍から見れば、いい加減な親だったかもしれないですけど、僕も兄貴も一応仕事を見つけて生活できてる。親父は間違ってなかったんだと思いますね。 初高座は絶句…そして観客に「黙ってろよ!」と言い放つ ──小痴楽さんが入門されたのは16歳のときですね。 小痴楽 そうですね。親父に相談してから1年後、高校途中で辞めて、文治師匠のところに入れてもらいました。でも、当時はとにかく上下関係もちゃんと守らないし、寝坊はするしで、破門されて……。 当時の僕は本当ダメで、先輩に対して「なんで2〜3年しか違わないのに、こんなに偉そうにされなきゃなんねぇの」って常にケンカ腰の学生了見が抜けてませんでした。大人のイジリ的なのも、かなりキツかったのは事実ですけど、いちいちマトモに受け取ってて僕も悪かった。 うちの母親は「やっぱ覚悟足んねぇな」って言ってくれましたしね。二世の落語家なんだから、まわりから妬み嫉みあってもしょうがないだろうと。もともと親父がいたから、あっさりと落語家になれたものを、今になって「まわりと平等に見てほしい」ってのは虫がよすぎる。そう言われて、気持ちをちょっと改めましたね。 ──初高座はいつですか? 小痴楽 2005年の10月ですかね。17歳になる直前です。7月に入門して、まだ前座にもならない見習いのときです。先輩たちが新宿末廣亭の『余一会』で、「痴楽を励ます会」みたいにやってくれて、そこに昼夜で上げてもらったのが最初なんです。 『子褒め』っていうネタをやりましたが、2度とも絶句しました。先輩が「どっから出てこない?」って助けてくれて、それで一応おしまいまでやらせてもらいましたけど。 ──緊張して絶句したんですか。 小痴楽 いや、写真撮ってるお客さんが何人かいて、そのフラッシュにビクっとして止まってしまった。「なんで高座中に勝手に撮るんだよ」っていう怒りと、些細なことに動揺した自分への腹立ちでいっぱいになったのを覚えてますね。 あと、フラッシュひとつがこんなにもじゃまになるんだという驚きもありましたね。それまで客席で落語を観たことがなくて、CD聴いてただけなんですよ。だから客席の小さな動きがこんなに高座に影響することも知らなかった。 正式な初高座はその直後の浅草演芸ホールでした。そのときはただただ頭真っ白になっちゃって絶句しました。緊張しいなんですよ。 ──意外です。 小痴楽 そのくせ、お客さんに「初高座か、がんばれっ!」って声かけられたら、「うるせぇな、今思い出してるんだよ。黙ってろよ!」って啖呵切っちゃってね(笑)。 当時はもう16歳の落語家ってほとんどいない。おまけに当時の僕は身長も150センチくらいしかないし、坊主頭で、ガキなんですよ。お客さんからすれば、二世代くらい前の初高座感があって、かわいく見えたんでしょうね。あの声援は浅草らしい人情だったのに、僕は殺気立って噛みついてしまった。 結局2回くらい止まりながら、おしまいまでやりましたけど、10分の出番のところを25分もやっちゃいましたね。師匠にも先輩にも叱られましたけど、僕は僕で「俺の初高座なんだぞ! 最後までやらせろよ!」と意地でした。 「二ツ目時代は不相応な仕事が多くてつらかった」 ──その後2009年に二ツ目に昇進し、柳亭楽輔師匠の門下に入った小痴楽さんは、2013年に落語芸術協会に所属する二ツ目のユニット「成金」を結成しました。 小痴楽 今でこそユニットは珍しくないけれど、当時は、一人ひとりで活動するよりも、みんなで集まって塊になったほうが目立つだろうってことで始めたんです。最近はむしろひとりでやってるほうが目立つかもしれないですね(笑)。 僕は成金で仲間のやり方を見たおかげで、どうやったらウケるか学んでいきました。まくらの作り方から落語のやり方まで、尊敬する仲間の高座を観るなかで、自分にできること、やりたいことが見つけられた。 「(桂)宮治さんめっちゃウケてるな〜」と感心するだけじゃなく、「あれは俺にはできないな」「俺はあのやり方したくない」って考えながら、自分の道を見つけていきました。上の師匠方や先輩方を見るのはもちろん大事なんですけど、同時に、対等である同期の落語を常に肌身に感じるのも、重要でしたね。 ──そういう意味では今はユニットが当たり前になり、切磋琢磨できるいい環境が整った。 小痴楽 そういうわけでもないと思いますよ。今の人たちは、とりあえず組んで、塊で動くことのメリットばかり追っている。肝心の「尊敬できる仲間と組んで学び合う」ってところを疎かにしてるように感じることもあります。 そもそもお互いの芸が好きじゃないと、学び取ることも反面教師にすることもできない。ただ漠然と見ていてもしょうがないじゃないですか。まあ、ものさしは人それぞれなんで当人はじゅうぶんやってるつもりなんでしょうけど、僕らはもっと根本の部分で尊敬し合ってた気がする。 もちろんまじめにユニットで活動してる人もいますけど、本来の自分たちの根本にある「落語をやりたい」って気持ちを忘れてる連中もいますね。 ──成金で切磋琢磨して、2019年に小痴楽さんは真打になりました。真打としての初高座に当たる披露目も、緊張しましたか? 小痴楽 これは真打になった成金メンバーがみんな言うんですけど、まったく緊張しなかったんですよ。僕らより前に真打になった兄さん方は、「寄席の初トリは緊張するよ」と言ってたんですが、僕は披露目のときは完全に平常心。逆に、なんでこんなに普段どおりなんだろうって不安になるくらいでしたよ。 ──緊張しいだと自覚されている小痴楽さんが緊張しなかった。 小痴楽 あとになって、その理由に気づきました。「成金」で、(神田)伯山さんとか宮治さんと闘ってきたんで、披露目の緊張感は正直どうってことないんですよ。 伯山さんが呼んだ1000人のお客さんの前に、僕が先輩だからってだけの理由でトリとして出ていくこともよくありました。1000人がみんな「いや、お前観に来てないんだけど……」って空気を放つなかで、結果を残さなきゃいけない。講談を観に来たお客さんに「落語だっていいんだぞ」と絶対に証明しなくちゃいけない。そのプレッシャーのほうが、よっぽど怖かった。 変な話、初トリのプレッシャーみたいなのは、すでに超えていたんです。二ツ目時代のほうが、身分不相応な仕事が多くて、つらかったですよ。「成金」やってなかったら、真打の披露目も、かなり緊張してたんじゃないですかね。 文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽 柳亭 小痴楽(りゅうてい・こちらく) 1988年12月13日、東京都渋谷区出身。落語家。五代目・柳亭痴楽のもとに生まれ、2005年、16歳で桂ち太郎として、二代目・桂平治(のちの十一代目・桂文治)の門下に入る。2009年に二ツ目昇進を期に三代目・小痴楽を襲名。柳亭楽輔の弟子となる。2013年、落語芸術協会所属の二ツ目落語家・講談師によるユニット「成金」を結成。2019年9月下席より真打昇進。『柳亭小痴楽 全国ツアー カチコミ'22』を開催中。 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 柳亭小痴楽、落語界のために思うこと──師匠方の言葉を受け継いでいきたい|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#15(後編)
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“裏板橋ハウス”は無理?個性的な相方を持つ3人の目指す場所|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#14(後編)
YouTube総再生回数1億9千万回を誇る、3人の若手ルームシェア芸人によるユニット「板橋ハウス」。 本連載「First Stage」の前編では、板橋ハウスが初めて動画を上げるに至ったエピソードや、気になるお金のことなど、根掘り葉掘り聞いた。 TikTokやYouTubeでバズったおかげで、バイトを辞めお笑いに専念できている彼ら。後編では彼らに芸人になったきっかけやそれぞれの初舞台のこと、そして「裏板橋ハウス」(?)である、それぞれの相方について話を聞いた。 【インタビュー前編】 板橋ハウス、ルームシェアのきっかけは「お笑いが足りてなかったから」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#14(前編) 若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次NSCに2回入った住岡と竹内ミユキがなくした40万円20秒で終わった住岡の初舞台大勢の“サクラ”に見守られた竹内の初舞台「竹内鬼頭」に圧倒された吉野の初舞台吉野の相方・原は「歌ってみた」に注力中!裏板橋ハウスの可能性は0%【後編アザーカット】 NSCに2回入った住岡と竹内 住岡遼太(軟水) ──そもそも3人はどんな経緯で芸人になったんですか? 住岡 僕は大阪出身で、子供のころから当たり前にお笑いは観てて。小学生のときにM-1でチュートリアルさんを観て、自分もやりたいなと漠然と思いましたね。 だから高校のときに友達に誘われて、すぐ乗っかりました。結局友達は「やっぱやめとくわ」ってことで、まずひとりで大阪のNSCに入り、でもすぐ東京行きたくなって辞めて、東京NSCに入り直しました。 ──住岡さんが大阪に残ってたら板橋ハウスは生まれてなかった。 吉野 運命ですねぇ。 竹内 僕は小6のときに『めちゃイケ』全盛期を観て、お笑いやりたいなと思ってました。2005年から2006年ごろは、録画して1日3本くらい繰り返し観てました。当時は死ぬほどテレビっ子で、20歳くらいまではたぶん、世界一画面眺めてる人でした。 住岡 画面観てたって何?(笑) 竹内智也(ピュート) 竹内 中3くらいのときにインターネット環境が整って、そっからは朝起きて寝るまでずっとネットとテレビ。僕、高2でNSC入ったんですけど、そこでもバイトもせずに、朝から晩までインターネットとテレビ漬けでしたね。 ──画面漬けの日々もすごいですが、高2でNSCに行ってたのも驚きました。 竹内 そうです。愛知県出身なんですけど、高校中退して大阪NSCに入り、仕送りでひとり暮らししてました。 ──親御さんも応援してくれたんですね。 竹内 そうですね。過保護な家だったんで(笑)。全然反対もされなかったですね。 大阪で1年半くらい活動してたんですけど、『ワラチャン!』(U-20お笑い日本一決定戦)で決勝に行ったんで、とりあえず名古屋よしもとに移籍したんです。 ──なんで名古屋に移籍したんですか。 竹内 当時大阪で組んでた相方は20歳超えてたんで、20歳以下しか出れないワラチャン!にエントリーできなかったんですよ。それで地元の同級生と組んで出たので、そのまま地元で活動することになったという……。でもその相方も2年後に結婚を機に辞めたので、東京のNSCに入り直して相方を探して。それが21歳のときですね。 吉野おいなり君(めぞん) ──2度もNSCを移ってるのは珍しいですよね。そういう紆余曲折がなかったら3人は出会ってなかった。 吉野 ……これも運命ですね。 住岡 そればっか言うやん。 ──3人の中では竹内さんが一番芸歴が長いんですね。 竹内 そうなりますね。でも先輩後輩はなくって、みんな同期ですけどね。 住岡 NSCで竹内見たとき「ワラチャンのヤツおった……!」ってなりましたもん。 竹内 話しかけられましたよ、「ワラチャン出てました?」って(笑)。 吉野 すごいイジられてたよね。 竹内 一時期「ワラチャン」って呼ばれてました。 吉野 僕は入ったばかりで何も知らなかったんで、ワラチャンってイジられワードなんだと思ってました。 吉野 テレビ出たのに……(苦笑)。 ミユキがなくした40万円 ──吉野さんはどういう経緯で芸人になったんですか? 吉野 僕も子供のころからテレビのお笑いが好きで、お笑い芸人になりたいと思ってましたね。でも中学生に上がったあたりから、一切テレビ観なくなって、代わりに2ちゃんねるに張りつくようになって。 住岡 くくくく(笑)。 吉野 インターネットの……権化。Twitterも無限にやり続けて、芸人じゃなくて、ネット上のおもしろい人になろうとしちゃって。 住岡&竹内 (笑)。 吉野 なれませんでした……。それで結局、高校卒業後も3年くらい普通に働いてたんです。お金貯まったら養成所行こうと思いつつ、ビビってしまって3年が過ぎ……。 でも、小学生のころに「お笑い芸人なりたい」って公言してたんで、いよいよ同級生から「コイツ、一生地元にいない?」って圧を感じたんで、焦って飛び出しました。最初は芸人も無理そうならすぐ地元帰ろうくらいの軽い気持ちだったんです。とりあえず挑戦はしたよって言い訳のために入ったというか(笑)。 ──芸人を続けられたのは、可能性を感じたから? 吉野 いや、ただただめっちゃ楽しかったからですね。まわりの人がめっちゃおもしろかったので、ここにずっといたいなぁって。高校も定時制だったし大学も行かなかったので、NSCが青春でした。 ──もし3年間グタグタしてなかったら、22期になれなかったわけですもんね。 吉野 やっぱり……運命ですね。 竹内 もういいよ!(笑) 吉野 本当に運命で。僕、本当は1年前に入学してたかもしれないんです。お金はもう貯まってたんで、あとは入るだけだったんです。でもちょうどそのときオカンが会社の40万円の小切手を失くしちゃって。泣いてるオカンに「40万くらいなら大丈夫だよ」って渡しましたね。 竹内 ちょうどNSCの入学金と同じ額。 吉野 そう。それで1年後でいいやって。 住岡 オカンが小切手なくしてくれたおかげで板橋ハウスが……。 吉野 そう、あそこでミユキが小切手をなくしてくれたおかげで今がある。 住岡 ミユキ、ありがとう! 20秒で終わった住岡の初舞台 ──3人それぞれの初舞台についても伺っていきたいです。 住岡 僕、初舞台はめっちゃ覚えてて。大阪NSCに入る前、当時サードチャレンジ(※)っていう一般人もエントリーできるシステムがあって、1回受けてみたんです。ピンで漫談をやって。 ※2011年から2014年まで大阪にあった劇場「5upよしもと」で行われていたライブ。合格者は「サードバトル」に出場できた 吉野 ストロングお笑い! 住岡 でも「どーも! 住岡遼太でーす!」って言った瞬間にネタ全部飛んで。 竹内 うわぁ……。 住岡 それがゴングショー形式で、おもしろくないってなったらネタの途中でも「だーめだめ」って音楽が流れて終わらされるんです。とはいえ、みんな1分半くらいは粘るんですけど、僕は20秒くらいで終了。肩落として帰りましたねぇ……。 吉野 どんなネタだったの? 住岡 まだ飛んでます! 吉野&竹内 (笑)。 住岡 あの日から思い出されへん……! ピン怖すぎ。 大勢の“サクラ”に見守られた竹内の初舞台 竹内 僕は16歳のときですね。高校に半年間だけ通ってたんですけど、そのとき出たハイスクール漫才が最初です。実家の近くの公園に真夏なのに毎日集まって2分ネタを練習しましたね。めっちゃ懐かしい……。 ──どんなネタだったんですか? 竹内 めっちゃベタでしたよ。たぶんNON STYLEさんが優勝したばっかの年だったのでマネしてました。あれシステムがしっかりしてて、めっちゃマネしやすいんですよ。料理番組的なコント漫才に入るネタをやってましたね。 ──大会はどうでしたか。 竹内 大会に出たら同級生がめっちゃ観に来てくれて。お客さんの3分の1は僕の同級生だったんで、サクラみたいな感じになってて(笑)。中学校のときから芸人になるって言ってたし、相方も中学の同級生だから来てくれたんですよね。当然めちゃくちゃウケて優勝しましたね。 ──3分の1がサクラとはいえ、高1でいきなり優勝はすごいです。 竹内 40組くらいしか出てない地区大会だったんで。ひとり5千円のクオカードもらってめちゃくちゃはしゃいで帰りましたね。 「竹内鬼頭」に圧倒された吉野の初舞台 吉野 僕はNSCに入ってからですね。今の相方と組む前に、一瞬別の人とお試しで組んだんですけど、コンビ名がだっ……「男尊女卑」で。 住岡 ヤバすぎて言い淀んでるやん。 吉野 いろいろ間違えてました。 住岡 間違えてんなぁ。 吉野 当然講師の人にも怒られて、すぐに「シャボン玉」ってコンビ名に変えました。 竹内 緩急すごいな(笑)。 吉野 そのシャボン玉で1回出たときに、びっくりするくらい緊張して。1分ネタだったんですけど、何ひとつうまくできなかったです。 終わったあとにアンケート見れるんですけど、お客さんがおもしろかったコンビに◯つけるんです。それ見たら、竹内が最初に組んでた「竹内鬼頭」ってコンビが信じられないくらい◯つけられてて。 住岡 へー! 吉野 何枚めくっても「竹内鬼頭」だった。「竹内鬼頭ってヤバいヤツがいる」って印象だけ刻まれた初舞台ですね。名前もなんか怖いし(笑)。 ──ちなみにシャボン玉はなんで解散しちゃったんですか? 吉野 僕が「妹が欲しい」とか「女子高生が好き」って感じの、マンガやアニメから着想を得た設定のネタをしたいんです。前の相方は「キモいよ、やるわけない」って感じで、1カ月くらいで解散したくらいで。 でも、次の相方になった原(一刻)に見せたら、1ミリも文句言わないんですよ。「やったー! 僕の傀儡くんだ!」と思って喜んでます。 吉野の相方・原は「歌ってみた」に注力中! ──原さんは傀儡と言われても怒らないんですか? 吉野 原は温厚な人なんですよ。ケンカも1回だけですね。 住岡 へぇ、逆にあるんや。 吉野 一時期、相方が新ネタやるのにハマって「新ネタやりたい」って毎回言うときがあって。お前はネタ書かないから簡単に言うよな……と思いつつ付き合ってたんです。僕が「このネタはまだ固まってないから、今度やろう」と言っても「いや、新ネタやろう。新ネタ! 新ネタ!」って聞かないときがあって。 竹内 そのモチベーションはなんだったんだ。 吉野 たしかに(笑)。で、仕方なく新ネタやったら、相方がネタ飛ばしたんですよ。それはないわと思った僕が、舞台はけた瞬間に「飛ばした! 飛ばした!」って責めたらケンカになって、3時間無視されました。 住岡 言い合いとかじゃないんや(笑)。原は変なヤツですよ。NSCに「相方探しの会」があって、相方おらん人が一芸を披露し合って自分に合う人を探すんです。みんな当然ギャグとかエピソードトークをするんですけど、原は「野球うまいんで、ピッチングフォームやります」ってきれいな投球見せてくれて(笑)。 吉野 ずっと芸人を勘違いしてるんですよ。僕が板橋ハウスでYouTubeやってるから、自分もがんばらなきゃって、「#歌ってみた」動画を上げてます(笑)。 吉野 僕がネタずっと書いてるので、自分もなんかやらなきゃって突然ギター始めたりして。 住岡 おもろいよなぁ。 裏板橋ハウスの可能性は0% ──住岡さんはずっと同じ相方ですか? 住岡 大阪NSCのときとは違いますけど、東京来てからはそうですね。大川内(聡)っていうんですけど、もう6年くらいになりますね。 竹内 スミの相方は毎回バイト先でボケすぎてクビになってる。 住岡 そうですね(笑)。ボケこそ正義みたいな男で、笑わないヤツが悪いって思い込んでますね……。今思い浮かぶエピソードが全部ここで言えんやつですね(笑)。 吉野 僕、同じバイトだったことあるんですけど、ずっとキモかったです。スミの相方はNSCに入ったばかりのころはもっとひどくて、ボケと噓の違いがわかってなかったんですよ。 自己紹介のときも偽名使ったり住んでる場所も偽ってたり全部噓ついてて。しかもバレたときに、ただただヘラヘラするだけなんでキモいんですよ(笑)。 ──竹内さんの相方はどうですか? 吉野 村田(翔平)は、めっちゃイケメンなのに人気がない。 住岡 あんなに顔がいいのに全然モテないのはやっぱり内面に問題があって……。 竹内 あんま言いすぎるなよ……。 吉野 めちゃくちゃカッコいいのになんでモテないんだろうって最初は思うんですけど、1年くらい一緒にいたら「あ、だからか……」って。 住岡 そうねぇ。 吉野 鬱屈としていて、自虐的なんですよね。こんなかっこいいのになんで自分にネガティブなんだろうって思う。 竹内 人に気遣いすぎるところもあるなぁ。 吉野 正義感強すぎて、悪人はみんな死んでも構わないっていう思想に至りそう。 住岡 ははは(笑)。そんな感じする。夜神月みたいな。 竹内 たしかに……。時々悪い人にめっちゃキレてるときあるなぁ。もうちょっとラクに構えたら、だいぶモテるはずなのに。しかも、コントの中ではその闇をやんわり隠そうとしてるところが怖い。 吉野&住岡 ヤバすぎる(笑)。 竹内 自分を極力かわいく見せたがるんですよね。そこも怖いなぁ。闇を出してくれたほうがおもしろいと思うんだけど。 時々謎の噓もつくんですよ。僕がなんかの撮影してるときに、誰かに「竹内どこ行った?」って聞かれて「トイレ行ってます」って噓ついてて。なんでそんな噓つくかわからない。 吉野 演技が信じられないくらいうまいから、噓もバレにくいしね。 竹内 俳優やってたんで、演技したくなっちゃうんですかね…。 住岡 噓じゃなくて演技なのか(笑)。 吉野 この3人の相方みんなどうかしてる。僕ら3人は一緒に住めるけど、僕らの相方3人は絶対ムリでしょうね。 住岡 裏板橋ハウスはムリかぁ。 竹内 「歌ってみた」と「ボケが正義」と「嘘つき」しかいないから。 吉野 「板橋ハウス」はコンビのキモくないほうだったんだ。 板橋ハウス 2020年10月にルームシェアを開始した芸人3人組。吉野(よしの、1994年2月3日、福岡県出身、コンビ「めぞん」)竹内(たけうち、1995年1月6日、愛知県出身、コンビ「ピュート」)、住岡(すみおか、1993年6月22日、大阪府出身、コンビ「軟水」)からなる。 2022年7月20日現在、YouTubeチャンネルの登録者数は39万人、総再生数は1億9千万回超。TikTokのフォロワー数は59万人。毎週土曜23時からYouTubeライブを行う。 文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽 【後編アザーカット】 蛙亭「おもしろければ、いいんでしょ?」トガっていた初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#4(前編) オズワルド『M-1』決勝戦を終えて。「芸人になったときから、人生どうにでもなれと思ってる」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#10(前編) サスペンダーズの初舞台は、文字どおり“毒だらけ”|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#7(前編) 東京ホテイソン「たけるの声で絶対に売れる」確信を得た初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#2(前編)
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板橋ハウス、ルームシェアのきっかけは「お笑いが足りてなかったから」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#14(前編)
お金のない若手芸人にとって、ルームシェアは打ってつけだ。最近は「ルームシェア芸人」がメディアに取り上げられることも増えた。 そんななか「お笑いが足りてない」危機感でルームシェアを始めた3人がいる。「板橋ハウス」だ。 彼らが何気なく始めた動画投稿がバズったのは2021年の初め。それからわずか1年半でYouTubeの動画総再生数は1億9千万回を超えている。 なぜ彼らの動画がこんなにも人を惹きつけるのか。動画初投稿からバズるまで、さらにはルームシェアのきっかけや今後の目標を聞いた。 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次初動画は7いいね…しかしバズはすぐにやってきたカジサックの導きで、吉本芸人は動画で稼げるようにルームシェアのきっかけは「お笑いが足りてなかったから」動画を撮る前からずっと同じようにふざけてた板橋ハウスでドラマに出たい板橋ハウスが注目され、コンビにもチャンス【前編アザーカット】 初動画は7いいね…しかしバズはすぐにやってきた 左から:竹内智也(ピュート)、吉野おいなり君(めぞん)、住岡遼太(軟水) ──最初に動画を上げたのはいつごろですか。 吉野 2020年の10月に同居を始めて、2カ月くらい経ってからですね。 竹内 でも撮ってない間も、動画で出してるのと同じことしてた。まったくカメラを回さずにただ時間を浪費するという(笑)。 吉野 部屋から出ようとするんだけど、そのまま扉閉めて「いや、出ろよ!」っていうのをマジで朝5時くらいまでやってたんで、さすがにこの不毛な時間ヤバすぎ!ってなって撮りました。 住岡 でも最初の動画が7いいねしかつかなかった。 吉野 僕が提案したやつですね……。大喜利でスベったら服着たまま風呂に飛び込むっていうので。これ絶対バズると思ったんですけどね……TikTokの厳しさを知りました。 ──最初に手応えを感じたのは? 吉野 2021年の1月に初めてバズったときですね。 ──挫折からバズまで早いですね。短い期間で試行錯誤を重ねた? バズるまでは1週間に1本上げればいいほうだったので、実質4〜5本目ですね。「コンビニに絶対行く」っていうやつです。 吉野 正直これは来ないだろうって思って上げたんですよ。 住岡 僕と吉野で撮ったんですけど、「これおもろい?」って思ってましたね。 吉野 俺も同じ気持ちでした。何がバズるのか本当わかんないんですよね。 ──板橋ハウスは当然笑いが軸にあるんだけど、この3人と一緒にいたら楽しそう、仲間に入れてほしい、と思わせる力を感じます。 吉野 うれしいですね。幸せ空間に引き込むをコンセプトにやってるんで。 住岡 そうだったん? 竹内 そういう大事なことは先に言っといてくれ。 吉野 これからはそういうつもりでお願いします。 ──板橋ハウスでいけるかもっていうのは、バズってから? 吉野 そうですね。更新頻度を増やそうと思いました。でも同時に、あんまり本気でやると、行き詰まったときに、3人の関係性が悪くなったらイヤだなと思ったんで、本気でやらないことは意識してます。 ──運営は主に誰の担当ですか。 住岡 吉野ですね。企画系はだいたいやってくれる。 竹内 「これ大丈夫か……?」って思ったやつがちゃんとバズるんで、文句言わないようになりました(笑)。 吉野 僕も「これ大丈夫か?」って言って、ふたりも「大丈夫か?」って顔して、でもバズって。何が何やらみたいなときが多々ありますね(笑)。 住岡 たまに僕と竹内のふたりで撮るときもあるんですけど、「これ大丈夫か?」って上げた結果はいつも全然ダメですね(笑)。 吉野 でも、編集はふたりがやってくれてたよね。 竹内 もともと僕がやってて、スミに教えてふたりでやるようになって。 住岡 でも、最近は知り合いの作家さんにお願いさせてもらったりしてます。 カジサックの導きで、吉本芸人は動画で稼げるように ──ネタ作りというか企画は吉野さんがやられていて、収入はやっぱり変わるんですか? 竹内 そこはきれいに3等分ですね。 ──ちなみに会社との配分はどれくらいになるんですか。 竹内 会社に2ですね。意外と割がよくって。 吉野 カジサック様のお導きで。 竹内 あの方が、芸人がYouTubeで食べていく道を舗装してくれました。 ──お金もきれいに3等分したり、TikTokやYouTubeを本気でやらなかったり、それが続く秘訣なのかもしれないですね。 竹内 たしかに。がっちり仕事な気がしてないです。そもそもバイト辞めれるくらいのお金がもらえるだけでありがたい。 吉野 がっちり仕事になったら、全部のアカウントを消します。 ──家賃とかも経費で落ちそう。 住岡 お金のことすごい聞きますね!(笑) 竹内 どうなんですかね。普通に払ってますよ。一回僕が全額払って、2〜3週間遅れでふたりが渡してくれます。 住岡 またまたぁ〜。 吉野 でもそうですね、お金のことで仲悪くなるんだったら、家を解約します。 竹内 払えばいいんだよ! ──雲行きが怪しくなる前に、お金の話は以上です(笑)。ちなみにバイトも辞めたとなると、家でも劇場でも一緒の時間がすごく長いですよね。 住岡 そうですねぇ。 竹内 最高ですねぇ。 ──たまに息が詰まることもありませんか。 竹内 全然。 吉野 ないですね。楽屋で見つけたらうれしくて近寄っちゃいますね。まさかの現象です。 住岡 僕は次のライブもあったから行かなかったですけど、この前ふたりでサウナ行ってました。 吉野 ははは(笑)。一緒にライブ行って、ライブ出て、楽屋で遊んで、終わったあとサウナ行って。 竹内 サウナ行く前はメイド喫茶も行きましたね。 吉野 サウナから帰って板橋ハウスの配信もしました。 住岡 ずっと一緒。だいたい僕がなんかある日に、ふたりが「なんもなーい」って遊びに行ってるから、いいなぁって思ってます(笑)。 竹内 俺とスミは謎の居酒屋ふたりで行ったよ。 住岡 行ったなぁ、鳥貴(族)くらいうまくて、鳥貴くらい安い店。 吉野 それはもう鳥貴じゃない?(笑) ルームシェアのきっかけは「お笑いが足りてなかったから」 ──そもそも3人は同じ神保町よしもとで活動する芸人です。一緒に住むようになったのはいつからですか? 竹内 最初は僕と吉野が、僕がもともと住んでいた家の近くの駐車場で2時間くらいお笑いの話をしたんです。 吉野 3時間だな。 住岡 どっちでもいいなぁ。 竹内 そこで足りてないよなっていう話になりまして……。 ──足りてない? 吉野 お笑いが。 竹内 足りてないよなってことで24時間お笑いをしたほうがいいという話をして。結局ルームシェアしてるヤツのお笑い力は強いよなって話になり、24時間お笑いをしたほうがいいということで、僕が住岡を誘って……。 吉野 そこ本当なんで!? 住岡 竹内と俺がそれぞれひとり暮らししてたんですけど、同期と遊ぶときとかにお互い必ずおったんですよ。それで自然と一緒に住むかって話になった。 竹内 うん。あと、イメージですけど、吉野が生活をともにするってなると、まともに話が通じなさそうで困るなと思ってたんです。 吉野 「住むのはごめん、ムリ」感はたしかに出してたなぁ(苦笑)。 住岡 でも、僕と吉野は昔一時期ルームシェアしてたんです。「あんなにどこでも眠れる男、吉野しかおらんかぁ」と思って、家賃負担を減らすために誘いました。 吉野 前のルームシェアのときは1.5畳くらいの部屋で寝起きしてました。 住岡 盛りすぎ(笑)。3畳くらいはあったよ。 吉野 でも窓なしの独房みたいな部屋でしたよ。電気消したら完全な黒になる部屋。でもそれも苦じゃなかったんで、そういうところを買われたって感じです。住む部屋はこだわらないけど、家賃はみんなと同じ額払うヤツだから誘われた。 住岡 たしかに(笑)。 吉野 2LDKでひとりリビングで寝なきゃいけない部屋で。ちょうど僕がなんでもいい人間だったからよかった。 動画を撮る前からずっと同じようにふざけてた ──プライベートな空間はなくて大丈夫? 吉野 僕は全然大丈夫なんですけど、むしろ住岡がリビングに人がいるのをイヤがる感じです。 住岡 家自体が変な作りで、リビングから直でお風呂なんですよ。風呂出ると、吉野が寝てる真横で体拭く感じになるんで、気色悪っ……って。 竹内 あれはたしかにイヤだなぁ。 ──そして竹内さんは念願の24時間お笑いできる環境を手に入れた。 竹内 うれしかったですねぇ。本望でした。理想どおり、最高でした。 吉野 すごいうれしそう(笑)。初ルームシェアなんだよね。 竹内 そう。 吉野 住み始めたばっかりのとき竹内、ずっと「楽しいなぁ……」って言ってた。 竹内 「毎日修学旅行みたい!」とか言ってな。 ──いつもシラフ? 竹内 吉野と住岡が飲めないんで、そうですね。 吉野 完全なシラフですね。ボケ続けて、竹内にツッコんでもらう。 竹内 普段と変わらないまま、動画回してるだけなんです。だから苦じゃないんですよ。本当にただの遊びです。 板橋ハウスでドラマに出たい ──板橋ハウスの今後の運営方針ってありますか。 吉野 特にないですねぇ。 住岡 現状維持。 竹内 こんな感じで続けられれば。 ──収入も安定して引っ越したくなりません? 吉野 いや、全然! 住岡 ははは(笑)。 竹内 僕らが背伸びして急に引っ越したらみんな引きますよ。 住岡 この状態もいつまで続くかわからないしな。 吉野 それに今のところこの家が最高なのよね。 住岡 騒音出してもいい物件っていうのはでかい。 吉野 外が信じられないくらいうるさくて。高速道路も近くて、窓開けると眠れないくらいです。 ──3人がそれぞれ売れて、一緒に住めなくなるまでは一緒にいそうですね。 住岡 たしかに。 吉野 でも寂しすぎるんで、その日のことは考えたくないですね。もしそうなってもこの部屋は絶対契約し続けます。 竹内 そうなの!? 吉野 各々信頼できる後輩をあそこに住まわせて管理してもらう。 住岡 せっかくだから動画も撮ってもらって。 吉野 どこにも上げずに、僕らだけで観ます。 竹内 怖っ! ──3人でトークライブもされてましたが、たとえばユニットコントライブをやることはないですか? 竹内 照れちゃうかもしれない……。 吉野 けっこうやりたくないなぁ。 住岡 恥ずかしい。 竹内 こっちから「板橋ハウスです!」ってステージには上がりたくないですね。 ──3人でネタ番組出てくださいってオファーもいつか来そうですが……。 竹内 あぁ……ギリ断るかもしれないです! 吉野 そうっすねぇ、いろいろ考えて、結果断る(笑)。 住岡 ドラマなら出たいですね。 竹内 それいいね。 ──『健康警察』をドラマ化とか……? 竹内 僕ら主体のドラマですか!? それは断るかもしれない、荷が重すぎるんで。 住岡 ちょい役で出るのに憧れますね。 吉野 それならめっちゃうれしいですね。板橋ハウスの当面の目標はドラマに出られるくらいまでいくってことですね。 板橋ハウスが注目され、コンビにもチャンス ──3人ともそれぞれコンビで漫才やコントをしていますよね。コンビ格差が出てこないですか? 住岡 お金に関しては正味あります。 吉野 でも板橋ハウスがあることでのデメリットはないよねって相方が言ってくれてて、ありがたいです。YouTubeとかTikTokを観て、劇場に来てくれるようになったお客さんもいますし。 竹内 僕のコンビは「ピュート」っていうんですけど、板橋ハウスきっかけの仕事もありました。神保町よしもと漫才劇場のYouTubeに上げてるネタ動画の再生回数が一番多いご褒美で、『ポップUP!』(フジテレビ)に出させてもらったんです。それも板橋ハウスのおかげで再生回数が伸びたんで、相方も喜んでました。 吉野 仲悪くなるとかより、注目してもらってる今がチャンスって感じで3組ともがんばれてます。 ──3組とも賞レースにも挑戦されてます。 吉野 そうですねぇ。賞レースはいかついっすね。 住岡 がんばらなあかんなぁっていう感じですけど……しんどいです!(笑) 吉野 僕は「めぞん」っていうコンビで漫才やってるんで、当然M-1出てるんですけど去年は2回戦負けで。なのに、普段コントしてる住岡のコンビ「軟水」が、M-1で準々決勝まで行ったんですよ! あれでけっこう賞レースのこと嫌いになっちゃいましたね。 住岡 へへへへ(笑)。 竹内 嫌いになんかなりたくなかったのに。 吉野 そうですね。ちょっと嫌いになっちゃったせいか、今年M-1の予選が始まる8月に、主催ライブを3つ打つことになっちゃいましたね。 ──無謀ですね(笑)。最後に、賞レースは売れるための正攻法だったと思うのですが、3人はTikTokとYouTubeという売れる方法をすでに手にされました。それによる心境の変化はありましたか。 竹内 ありました……というか僕はもともと賞レース一本じゃなくていいと思ってます。テレビも宣伝媒体として出られたらいいなと。それこそ東京03さんみたいに全国ツアーさせてもらえたらうれしいですね。 吉野 SNSで観てくれる人を増やして、コンビとしてもバズっていきたいですね。僕はインターネットというかSNSが好きなんですよ。コンビの漫才も切り抜き動画たくさん上げたりしてて。その延長線上でテレビも出させてもらえたらいいなと思ってます。 住岡 僕はよくあるパターンで賞レースで結果出して、テレビに出るルートを目指したいですね。最後の最後にベタな感じで申し訳ないですけど(苦笑)。 板橋ハウス 2020年10月にルームシェアを開始した芸人3人組。吉野(よしの、1994年2月3日、福岡県出身、コンビ「めぞん」)竹内(たけうち、1995年1月6日、愛知県出身、コンビ「ピュート」)、住岡(すみおか、1993年6月22日、大阪府出身、コンビ「軟水」)からなる。2022年7月20日現在、YouTubeチャンネルの登録者数は39万人、総再生数は1億9千万回超。TikTokのフォロワー数は59万人。毎週土曜23時からYouTubeライブを行う。 文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 “裏板橋ハウス”は無理?個性的な相方を持つ3人の目指す場所|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#14(後編)
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ツギクル芸人グランプリ優勝・ストレッチーズ「いつか清木場俊介さんにお礼を言いたい」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#13(後編)
『ツギクル芸人グランプリ2022』で優勝したストレッチーズ。 高校と大学をともに過ごし、プロになったふたりには、事務所移籍や定まらない衣装など、紆余曲折があった。 王道漫才にたどり着いた福島と高木に、その軌跡を聞く。 【インタビュー前編】 『すごいよ!!マサルさん』に憧れたストレッチーズの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#13(前編) 若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次ストレッチーズ、事務所移籍のワケさすらいラビーとの混同。そしてM-1とK-PROへの恩やっとしっくりきた衣装変な言葉を言ってたふたりが、オーソドックスな漫才にたどり着く福島の背中を押した清木場俊介【後編アザーカット】 ストレッチーズ、事務所移籍のワケ 左から:福島敏貴、高木貫太 ──前編では大学時代までのお話を聞きましたが、そこからおふたりはどうやってプロになられたんですか。 福島 僕は夏のインターンで、芸人になろうと思いました。グループワークで5日間話し合って、最後に発表するやつですね。ほかのグループがホワイトボードを使ってプレゼンするなか、僕のグループは、僕が提案したコントをやったら、それがすごいウケて。 うれしかったんですけど、会社だけでウケるだけじゃ物足りないというか、もっと広い世界でおもしろいことしたいなとふと思って、芸人やろうかなと。 高木 僕は就職と芸人でずっと迷ってて。一応就活はしてたんですけど、夜勤明けで眠すぎて一次面接すっぽかしたことがあって。実家だったんで母親に「今日一次面接って言ってなかったっけ。何してんの?」と叱られてるときに、言い訳で「いや、俺お笑い芸人になるからいいんだよね」と口走って。その流れでやりましたね。 ──タイミングは別々だったのに、ふたりでやっていくことにした。 高木 ふたりとも芸人になるんなら、このままふたりでやったほうがいいよねっていう共通認識はなんとなくありました。 ──最初は今の太田プロダクションじゃなくて、タイズブリックという事務所に所属していたそうですね。 高木 はい。大学3年生の冬に『大学生M-1』で優勝したんですけど、『学生HEROES!』(テレビ朝日)っていう番組のオーディションに受かって。4年生の春から1年間準レギュラーで出させてもらったんです。そこの制作にタイズブリックが入ってて、卒業後も一緒にやろうよって声かけてもらったんですよね。新しく芸人部門を立ち上げてくれたんですけど……。 福島 ただ、オーディションが全然回ってこなかったんです。オーディションって事務所枠があるんですけど、立ち上がったばかりの事務所には当然オーディションの案内が一切来ないんですよね。 ライブで仲よくなった芸人とかにそれを話してたら、「それヤバいよ」って言われて、そこで初めて危機感が出て、タイズブリックを出ましたね。 ──どういう経緯で太田プロに入るんですか。 福島 タイズブリック時代に、太田プロのヤマザキモータースさんが主催をしてた1~2年目の若手が出るライブに出させてもらってて。そこでヤマザキさんに「事務所を辞めました」って報告をしたら、うちの養成所おいでよって言ってくださって。 ヤマザキさんが講師をしてたんですけど、「お前らお金ないし、無料でいいよ」って言ってくださって。卒業してから所属になりましたね。 ──養成所に行っていたんですね。 福島 本当はネタ見せで所属になるシステムもあったんですけど、ヤマザキさんが「養成所出る正攻法のルートのほうが先輩も信頼してくれる」って配慮してくださって、そうなりましたね。 高木 振り返ると、毎回大人に誘われて「行きます!」って言ってるなぁ。すごくまわりの人に恵まれてきたなと思います。 さすらいラビーとの混同。そしてM-1とK-PROへの恩 ──太田プロに入って状況は変わりましたか。 福島 結局、M-1がでかかったなと思います。太田プロ入った直後に、M-1が復活したんですよ。当然エントリーしたんですけど、最初はまだ入って間もなかったんで、「ストレッチーズ(太田プロダクション)」じゃなくて、「ストレッチーズ(フリー)」で出てたんです。でも、3回戦まで進んで初めて「3回戦まで行くなら、太田プロ名乗っていいよ」ってマネージャーさんが言ってくれて……。 高木 違うなぁ。さすらいラビーの話だな、それ。 福島 あれ? 高木 2016年はさすらいラビーだけが3回戦行ったんだよ。あの年は俺ら2回戦で落ちてる。俺らが3回戦行ったのはタイズブリックのときだもん(※M-1は2015年に復活)。 福島 そうだそうだ。 高木 翌年は準々決勝まで行ったから、もう完全に太田プロだったし。すみません、インタビュー中に事実誤認があって(苦笑)。 福島 まぁ、さすらいラビーとはタイズブリック時代からほとんど同じ境遇だから。 高木 ほぼ同じ人間なのかな。 福島 いずれどっかでさすらいラビーが「僕らがツギクル優勝したときは……」って言うよ。 高木 「それ、ストレッチーズの話だよ!」って(笑)。 でもたしかに太田プロ所属になった翌年には『M-1』も準々決勝行って、当時は芸歴3~4年目だったんで手応えもあったんですよ。ちょうどそのタイミングで『笑あがき』(NHK)っていうドキュメンタリーにも出させてもらって、あれも大きかったです。 ──どんな番組だったんですか。 高木 若手芸人が1カ月間、先輩に弟子入りしてお笑いを磨く密着ドキュメンタリー番組です。僕らはオーディションでパンクブーブーさんに選んでもらって。あの時期は事務所変えたとたん、いい波が来てる感じはありましたね。翌年から新ネタをひたすら下ろす60分のライブも始めたりして、とにかくネタ作ってました。 ──『ツギクル』でもネタ数400本と紹介されてましたね。 高木 二度とやらないどうしようもないネタも入れてるし、正確な数はわからないですけどね(苦笑)。まあそれぐらいの勢いでネタ作ってるということで……。でもネタを量産し始めてから、質もちょっとずつ上がった実感はありますね。 福島 K-PROさんにもずっとお世話になってて。1年目のときからずっとK-PROの児島(気奈)さんは「ストレッチーズはおもしろい」と言ってくれてて、ちょっとずつライブも出させてもらって。 M-1の準々決勝行ったら、ライブのオファーも増えて、ユニットライブにも入れてもらったり。キングオブコント優勝前のハナコとか、トンツカタン、東京ホテイソンもいて切磋琢磨させてもらっていましたね。ネタを作るにあたっては、M-1とK-PROはかなり重要だった気がします。 やっとしっくりきた衣装 ──改めてYouTubeで振り返ると、ストレッチーズの衣装の変遷がおもしろいなと。 福島 たしかにそうですね。最初は僕がポロシャツにネクタイ。下はよくわかんない青いチノパン。 高木 あれ一緒に買ったよな? WEGOとか?(笑) あの時期はお客さんのアンケートも「福島の乳首が透けてネタに集中できなかった」という意見が散見されましたね。 福島 高木はコーデュロイシャツに蝶ネクタイだった。 高木 コーデュロイシャツとポロシャツのコンビってなんだよ……。 福島 でも、1年は絶対それで通したね。ただ、THE MANZAIの予選であんまウケずに落ちたとき、高木が「ネタもまだまだだけど、衣装もちょっとなめられないようにするか」って言い出して。それでスーツにしました。 最初はただの濃紺のリクルートスーツみたいな感じでしたけど。それはふたりで三井アウトレットパークに買いに行って。 高木 南大沢のな。 福島 スーツ屋さんで話しかけてくれた店員さんに「芸人やってて衣装用のスーツが欲しいんです」って正直に相談したら、その人が関西で働いてたときに「天津の木村(卓寛)さんに売ったことあります」って言い出して。それは縁起がいいなと。 高木 僕はピンクのジャケット羽織ってましたね。 ──その縁起のいいスーツの次が現在? 福島 そうです。1年半前くらいからですね。 高木 で、僕が1年くらい今のスーツ着て。いろんな人に言われましたよ、「やっとしっくりきた」って。 変な言葉を言ってたふたりが、オーソドックスな漫才にたどり着く ──そして今年『ツギクル芸人2022』で優勝されました。昔は漫才コントに入るネタが多かった印象なんですが、今回の『水掛け論』や『怒ってる?』ってしゃべくり漫才っぽいですよね。 高木 たしかに。もともと僕がいろんな種類のネタを書いてしまうんですよね。漫才コントもあれば、コントに入らないのもあるし、福島が変人なパターンもあれば、僕がちょっと変わってるのもある。 そうやっていろんな種類のネタを作ってると、まわりとかお客さんから「ストレッチーズが何者なのか、よくわかんない」って言われて。 福島 それで僕もネタの種類を絞ったほうがいいんじゃないかと提案してたんですけど。 高木 ネタの種類を絞ると、限られた範囲で正解を出さなきゃっていうプレッシャーで作れなくなる恐怖があって。のびのび考えられる状態を維持するために、いろいろ作り続けてましたね。でも、去年の頭に「コントに入るのだけ、一回やめてみようか」って話して。 福島 そうですね。 高木 「俺、何々やりたいから、お前、何々やって」とか、「こういうシーンってありますよね」ってコントに入るのだけ封印したんです。しゃべくり漫才だけ作って、舞台でもそれだけやるって決めて、ちょっと変わったかもしれないですね。 福島 たしかに『怒ってる?』って今までのストレッチーズにはあんまりない形なんですよね。あれは2020年のM-1も準々決勝で落ちて「ちょっとこれやばいな。なんか考えよう」ってなったときに生まれたやつなんです。 ふたりで振り返ったときに、今までのネタは実は会話をしてないってことに気づいたんですよ。たとえば、さっき撮影中にカメラマンさんの方が「Amazonのネタが好き」っておっしゃってたんですけど、あれも僕がAmazonで買った商品についてひとりでしゃべってる。それに対して高木がコメントしていく形なんですよね。 ──ツッコミとか会話っていうより合いの手のような。 福島 やっぱり僕が一方的にしゃべるのが多かったんです。でも「漫才って会話だよな」というオーソドックスなところにいって。 ふたりで話すネタが少ないから作ってみようってことで、笑いはともかく、とりあえず会話の構造を作ろうってことから作ったのが「怒ってる?」「怒ってないよ」っていうやりとりで。それが意外とウケたので、仕上げていきましたね。 福島の背中を押した清木場俊介 ──今年こそM-1準々決勝の壁、突破できそうですね。 高木 したいですね。5年連続準々で敗退してるので。 福島 準決勝進出者のリストから初めて大会のホームページに宣材写真も出るんですけど、そこの壁はやっぱりありますね。 ──ネタもそろそろ決まったころですか。 福島 いや、今年作ったネタはまだどれも形にはなってないですね。ただ、やっぱり今年が一番行きやすそうな気がするんですよ。僕らが波に乗ってるとかではなくて、世間とかお客さんの流れ的に、今年が一番のチャンスだと思うので。目指すのはやっぱり優勝ですね。 ──応援してます。これで取材は終了です、ありがとうございました。 福島 ……すみません、一個だけ話足してもいいですか? ──もちろんです。 福島 前編でお話しした芸人になったきっかけのところで、言い残してたことがあって……。 僕、ずっと元EXILEの清木場俊介さん好きなんです。EXILEを脱退して、ソロでやってる生き方がカッコよくて。「EXILEももちろんよかったんだけど、僕はもっと歌いたいものがある」という清木場さんのスタンスにならって、僕も慶應ルートを脱退したんです。 「せっかく慶應出たんなら就職したほうがいい」という声を振り切って芸人になれたのは、清木場さんのおかげですね。 ──なるほど……。 高木 インタビュアーさんピンときてないけど。 福島 当時は本当に学歴捨てちゃうくらいの決意だったんですよ! で、そのころ一番響いた曲が「唄い人」でした。“僕は僕の唄いたい唄を唄う/誰かがどう心を閉ざしても”っていうサビの歌詞に背中を押してもらいましたねぇ。 高木 ……なんでそれどうしても言いたかったんだよ。 福島 最近取材受けることが少しずつ増えてきて、いつもと同じことしゃべっちゃってる気がして、あんまり言ったことない話しておきたくて……。 芸人になるって言ったら、お母さんにも完全に心閉ざされちゃったんです。だから当時の心境にはすごくマッチしてましたね。いつか清木場俊介さんにお会いできたら、お礼を言いたいですね。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽 ストレッチーズ 2014年デビュー。福島敏貴(ふくしま・としき、1992年3月19日、埼玉県出身)と高木貫太(たかぎ・かんた、1991年7月24日、埼玉県出身)のコンビ。『大学生M-1グランプリ2012』優勝。『ツギクル芸人グランプリ2022』優勝。ラジオアプリGERA『ストレッチーズのプリ右でごめん』は毎週水曜日更新。 ストレッチーズ第1回単独ライブ『ヘマル』が7月18日(月・祝)に東京・北沢タウンホールで開催される。 【後編アザーカット】 芸人でしか生きられない男と、奇妙なふたり トンツカタンの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#9(前編) 即席ユニットでも、初M-1で“ボコウケ”怪奇!YesどんぐりRPGの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#8(前編) ザ・マミィ「お笑いの世界は結果がすべて」と知った初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#3(前編) かが屋「これじゃ終われない」2万円と自信を失った初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#1(前編) 東京ホテイソン「たけるの声で絶対に売れる」確信を得た初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#2(前編)
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『すごいよ!!マサルさん』に憧れたストレッチーズの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#13(前編)
勢いある若手が集った『ツギクル芸人グランプリ2022』。接戦をものにし、見事優勝したのはストレッチーズ。 正統派漫才の安定感を見せつけ、余裕すら感じさせる福島と高木は、高校からの同級生だ。 ブレイク前夜のストレッチーズが、青春時代の初舞台について話してくれた。 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次『すごいよ!!マサルさん』に憧れた初舞台ストレッチーズを生んだ、福島のドタキャンGACKTになった福島と、大学の初舞台10年前のマックのクーポンを今も大切に持っている【前編アザーカット】 『すごいよ!!マサルさん』に憧れた初舞台 左から:福島敏貴、高木貫太 ──おふたりは埼玉の浦和高校で出会ったんですよね。男子校ってどうでしたか。 福島 女の子と過ごす青春への憧れはもちろんあったんですけど、結局楽しかったですね。 高木 「俺らっていつもなんか足りないよな。男ばっかりでさ」とか言ってんのが楽しい。 ──この連載では初舞台について聞いてるんですが、おふたりの初舞台は高校ですか? 福島 最初にふたりでなんかやったのは、高校2年生の文化祭のときです。それはもう漫才でもショートコントでもなくて。 高木 ただ、ふたりで変な言葉を叫ぶっていう、たぶんまだお笑い界にないジャンルです。変な顔しながら、響きがおもしろい単語を交互に叫んでいく。それが初舞台です。 福島 「耳毛」とか「猛打賞」とかただ言い合う。 高木 お察しのとおり、めちゃくちゃスベリました。 福島 でも、「スベったなぁ……」って落ち込む感じでもなくて。 高木 たしかにな。僕らは人前に出て、なんかやってることが楽しかったから満足してましたね。それでなんか行事のたびにそんなことやってました。 文化祭は別の高校の女子とか来るんで、モテたいとは思ってたんですよ。おもしろいやつならモテそうだってことで、お笑いをやったんですけど、致命的なのは、僕らのおもしろいって「耳毛!」と叫ぶってことだったという。 ──変な言葉言いたいっていうのは、ふたりとも共通してたあったんですね。 福島 はい。ふたりともうすた京介さんの『すごいよ!!マサルさん』っていうギャグ漫画が好きで、その影響ですね。 高木 高校のとき僕と福島で最初に盛り上がったのが、そのマンガの話でした。福島ほどではないですけど、僕も好きで。小学生のとき初めて集めたマンガでしたね。まさるさんの突拍子もないボケがふたりとも好きだったんで、それをやりたかった。 ──初めてふたりで漫才をしたときのことは覚えていますか。 福島 それも文化祭で、女装ミスコンみたいなのがあったんですけど、ふたりで女装してマイク立てて漫才のマネごとをしたやつですね。 高木 みんなが歌ったり踊ったりするなか、僕らだけ女装して漫才。 ──ウケましたか? 福島 ウケてないですね。変な単語だけ叫ぶよりは、ざわついてましたけど。 高木 高校のときはウケた記憶がまったくないです。 福島 でも、あれはウケた。浦和高校の卒業式。 高木 ああ。 福島 浦和高校に変わった風習があって、校内のちょっとした高台に目立ちたがり屋が立って、「学生注目!」と言って、何か主張したりするんです。 ──「未成年の主張」みたいな。 福島 はい。それで夢を語る人とか、彼女にフラれたエピソードをみんなしゃべるんですけど、僕と高木は「僕たち、私たちは、卒業します」って呼びかけみたいなのをやったんです。そこで浦和高校の身内ネタを交互に披露して。 「みんなが行くファミリーマート、僕らの卒業間近に潰れちゃった」とかなんですけど、それが内輪ウケしましたね。 高木 あれはウケたなぁ。1~2年前、僕らをテレビで観た同級生から「卒業式の呼びかけを見たときから、お前らが芸人になって活躍することはわかってた。あれ、マジでおもしろかったもん」みたいなLINE来ましたよ、ウソつけと思いましたけど(笑)。 ストレッチーズを生んだ、福島のドタキャン ──進学も同じ慶應大学で、同じお笑いサークルに入りますよね。 福島 はい、でも別々に入るんです。 高木 もうひとり浦和高校から慶應に行ったやつにマセキ(芸能社)のひつじねいり・細田(祥平)がいるんですけど、僕はそいつとサークルに入ったんですよ。 細田は当時から「お笑い芸人になる」って決めてたので、NSC(吉本興業の養成所)に誘われたんです。でも、僕はまだ人生かける熱量はなかったから、NSCに入らないために、大学のお笑いサークルに誘った。 福島 僕は寮に入ってて、そこの仲間と新入生歓迎会に行きました。最初だから爪あと残そうとボケ倒したんですけど、それが反感買って。「お前みたいなやつは、もう来るな」って出禁食らっちゃって。僕もトガってたんで「だったらいいよ」って出ていって……。 そのあとしばらくはアカペラとバスケサークルで、男子校で味わえなかった青春を取り戻す感じで過ごして。 ──いいですね。 福島 一緒にバーベキューしたりとか楽しかったですね。でも、どっかで物足りないなっていうのも正直ありました。 それで夏休みに高校の同窓会で久しぶりに会った高木が、そのお笑いサークルに入ってると聞いて。ほとぼりも冷めたしってことで、半年遅れで入れてもらって。やっぱりお笑いサークル入ってからは、アカペラもバスケも行かなくなりましたね。 ──同じ高校から出てきても、おふたりは大学では会ってなかったんですね。 福島 学部もキャンパスも違ってたんです。僕は総合政策学部で湘南藤沢キャンパス。 高木 僕は理工学部で、1~2年は神奈川の日吉。3〜4年は日吉のさらに奥地にある矢上ってところで。 ──サークル活動はどこで? 高木 日吉ですね。 福島 僕の寮が日吉だったんですよ。キャンパスまで1時間かかるんで、サークルのほうが圧倒的に行きやすかったですね。 ──ストレッチーズはいつ結成するんですか。 福島 1〜2カ月後に文化祭があって、それに向けて組みましたね。 高木 最近思い出したんですけど、 僕はそれまで細田とふたりでやってたんですよ。福島が来たから、トリオでやろうとなって。 でも、ネタ合わせの日に福島がドタキャンするんです。高校時代の細田と福島はそんなに仲よくなかったから、細田も「初回からネタ合わせをドタキャンする奴とやりたくない」って言い出して。しょうがないんで、僕と福島のふたりでやりました。 大学入ってからの福島って、ちゃんとしてない奴だったんですよ。 そのネタ合わせも連絡すらしないでドタキャンだったし。高校のころと変わって、チャランポランになっちゃったんだなと。 福島 その話、今思い出しました。行かなかった理由は覚えてないんですけど、たぶん、寮の関係で急に予定が入ったのかもしれない。 寮の上下関係が厳しくて。自治運営で委員会があってその仕事が多いし、サボるとペナルティを課されたり。当時は僕も寮という小さい社会で洗脳されちゃってたんで、当たり前に寮を優先してた可能性はありますね。 高木 なるほどね。今の話聞いて、寮でいっぱいいっぱいだったのは納得しました。でも、服装とかもおかしくて。なんか大学デビューした感じになってたんですよ。 GACKTになった福島と、大学の初舞台 ──今はこんなに落ち着いた雰囲気の福島さんが大学デビュー? 高木 そうなんですよね。半年ぶりに会ったときも金髪でベロア地のコート着て、真っ黒のロングブーツで現れて、なんかGACKTみたいになってて。 福島 金髪じゃなくて茶髪です。高校まで服にまったく興味がなくて、親元離れて初めて自分で服を買うことになって、何もわかんなかったんです。都心に出るのも怖いから、寮の友達と日吉の洋服屋に行って買ったのを覚えてます。 高木 あれ日吉でそろえたの?(笑) 福島 うん、日吉に1軒しかない服屋で、そこが味の濃いお店で。優しいおじさんの店員に「これは絶対モテるよ」「かっこいいよ」って言われるがままに買ってたら、GACKTになってしまった。 ──意図してGACKTになったわけではなかった(笑)。その後ふたりですぐ漫才をやろうと? 高木 そうですね。 福島 日高屋で飯食いながらとか、タバコ吸いながら、ずっと“ながら”で漫才作ってましたね。 高木 文化祭でやったのは『道案内』っていうネタで。高校生のころと同じで、変なワードを言いたい気持ちが先走ってました。シュールっていえば聞こえはいいですけど、ネタというより“変なこと”って感じで。 福島 僕よりも高木のほうがお笑いを観てたんで、漫才っぽいベタなボケも散りばめてもらいつつ、後半はただただ変なことを言う。 高木 でも、それが意外とちょっとウケたんですよね。 福島 僕ら声だけは大きかったんですよ。大学生くらいだと、ネタはおもしろいのに声小さいみたいな人が多くて。でも僕らは声だけは大きくて、熱量で押したらちょっとウケたんですよね。 高木 ネタも今思い返すと、なんでウケたのかわからない。僕が郵便局の場所を聞いたら、福島が鼻を利かせるから、「こいつ、匂いで郵便局の位置を把握しようとしてんのか!」みたいな。そこで福島が「エジプト」ってつぶやいて、僕が「なんでエジプトって言ったんだよ!」ってツッコんだら、ちょっとウケるっていう。 福島 そのあとに僕が「エジプトの匂いがしたんだよ」って言ったら、しーんとしてました。 高木 それがお笑いサークルで初めての漫才ですね。 10年前のマックのクーポンを今も大切に持っている ──『大学生M-1グランプリ2012』で優勝されていますね。 福島 初舞台で意外とウケたのがうれしくて、大学2年生のとき外の大会に出たんですけど、全然ウケなかったんです。学校から出るとウケないのは悔しかったですね。 『大学生M-1グランプリ』の予選は映像審査で、学校でウケてる動画を出したおかげで通ったんだと思うんですよね。そこで初めて、ちょっとがんばってみようって。 高木 まじめにネタ考え始めたのはそこだったね。 福島 それまではずっと飯食いながら、タバコ吸いながらだったんですけど、日吉駅のマックに集合して、ひたすらネタと向き合って。そのときのコーヒークーポン券、今も家にあります。有効期限が10年前、2012年なんですよ。 ──「今日は俺たちのターニングポイントになるぞ」と思って、取っておいた? 福島 いや、正直そのときは思ってないです。数カ月後に財布の整理してるときにそのクーポンが出てきて、「初めてのネタ合わせのときのだ。取っておこう」って。 ──そういえば、福島さんは昔付き合っていた恋人との思い出の品も残しているってお話されてますよね。 福島 はい、全部取ってありますね。プレゼントも手紙も全部残してます。 ──手紙とか読み返す? 福島 そうですね、たまに見ます。処分しちゃうと、彼女と過ごした時間をまるごと捨てちゃう気がして。今まで生きてきた時間が空白になっちゃう気がするというか。 高木 残してたら、前に進めなくなっちゃいそうだけどね。 福島 いや、進めてますね。 逆に全部捨てる人のほうが未練あるんだと思います。捨てなきゃ忘れられない。僕は捨てなくても前に進める、忘れられるっていう。キスプリとか今見返すとおもしろいんですよね。 高木 捨てろってマジで。恥ずかしい。 福島 当時はそれが素敵なことだと思って純粋にやってたんだなと思うとおもしろくて。 高木 なんでキスプリの話してんだよ……。 ──すみません(苦笑)。大学生M-1の話に戻しましょう。 高木 ありがとうございます。あの大会に優勝できたら、プロに行ってもいいって認めてもらえることになるのかなとか、大学最後の思い出になるかもとか、いろいろ思って本腰入れてみましたね。 ──本腰入れたらすぐ優勝っていうのもすごい。 福島 びっくりしましたね。 高木 でもあの優勝はまぐれだと思ってて。今、太田プロ(ダクション)でも一緒のさすらいラビーってコンビも最終決戦の3組に残ってて、彼らが一番ウケてたんです。 でも、ネタの終盤に会場にあった長机がガタンって倒れた音で、お客さんの集中力が切れちゃって、 ウケが沈んだんですよね。あの長机がなかったら、今の僕らはいないんじゃないかな。 文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽 ストレッチーズ 2014年デビュー。福島敏貴(ふくしま・としき、1992年3月19日、埼玉県出身)と高木貫太(たかぎ・かんた、1991年7月24日、埼玉県出身)のコンビ。『大学生M-1グランプリ2012』優勝。『ツギクル芸人グランプリ2022』優勝。ラジオアプリGERA『ストレッチーズのプリ右でごめん』は毎週水曜日更新。 ストレッチーズ第1回単独ライブ『ヘマル』が7月18日(月・祝)に東京・北沢タウンホールで開催される。 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 ツギクル芸人グランプリ優勝・ストレッチーズ「いつか清木場俊介さんにお礼を言いたい」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#13(後編)
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トム・ブラウン「自分たちの力だけではM-1決勝にたどり着けなかった」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#12(後編)
有名人やアニメのキャラクターを合体させる「合体漫才」でおなじみのトム・ブラウン。不気味なのに心惹かれる合体漫才は、先輩芸人や仲間の言葉に耳を傾けながら、少しずつ磨かれたものだという。 「First Stage」前編では初舞台やオーディションにまつわる話を聞いたが、後編ではM-1決勝進出までの道のりや、合体漫才誕生の背景、今後の活動などについて聞いた。 【インタビュー前編】 「あれ、これイケんじゃね?」手応えを掴んだトム・ブラウンの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#12(前編) 若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次「イケる!」と思っては落ち込む、迷走の日々みちおの思いつきから生まれた合体漫才先輩や仲間の言葉を糧にネタを磨く変化を感じながら挑んだ2018年のM-1「やっぱりネタで評価されたい」 「イケる!」と思っては落ち込む、迷走の日々 上から:みちお、布川ひろき ──トム・ブラウンさんが世に出たきっかけは、やはり2018年のM-1決勝だと思いますが、事務所に所属してからM-1決勝までの7〜8年は、どのような道のりだったのでしょうか。 布川 事務所のライブでも、一応一番上のクラスのライブに上がったりはするんですけど、お客さんにはまあ〜嫌われてましたね。僕らが出てきたらトイレに行く人とかいましたから。 みちお お客さんは20代後半のしっかりした感じの女性がメインで、上位にいるのはハマカーンさんみたいなシュッとされてるコンビとか、Hi-Hiさんのようなネタがしっかりしているコンビだったんです。僕らは何やってんのかわかんないようなネタだし、見た目も気持ち悪いから、マジで嫌われて全然ウケないっていう。 布川 そのころにM-1がいったん終わって、THE MANZAIが始まったんですけど、1回戦はまあまあ反応よかったんで、2回戦に自信のあるネタを持っていったら、めちゃくちゃスベって。あまりにスベったせいで、僕らの次の次の出番のスリムクラブさんまでスベったんですよ……。そのあたりも気持ち的にキツかったですね。「どうやっても売れないじゃん」と思ってました。 みちお めちゃくちゃおもしろいネタができたと思っても、地下っぽい場所だと反応があるのに、地上っぽい場所だとウケないんですよ。自分たちとしてはみなさんにウケるようにやりたいんですけど、アングラの域を脱せてなかったんだろうなって思います。 布川 どう考えてもアングラだったよな。機関銃持って「ケイダッシュステージ、バンザーイ!」って言って、喉元を撃って死ぬとか。 みちお 実際には撃ってないですよ、安心してください(笑)。 ──ネタについての試行錯誤が続いていたんですね。 みちお はい。それで、機関銃とかで自分を攻撃してたのを、今度は悪いヤツを倒せばいいんじゃないかと思って、僕が痴漢の撃退法を紹介するネタを作ってみたんです。そしたら、まあまあいい感じでウケるようになって。 そんなときに、『アッコにおまかせ!』(TBS)に準レギュラーで出られていたハマカーンさんが、おすすめ芸人として僕らを呼んでくれたんですね。で、和田アキ子さんの前でネタをやったんですけど、マジでウケなくて……。「おもしろいとかおもしろくないじゃなくて、意味がわからん」って言われて。 布川 おもしろいかおもしろくないかで言ってもらえればまだよかったんですけど、「わかんない」はそこまでもいってないんで、「これはマズい」と。 みちお 「うわ、どうしよう」って、まためちゃくちゃ悩んで。 みちおの思いつきから生まれた合体漫才 布川 そんなこともあって、2016年に単独ライブをやることになったときには、いつもみたいにふたりでネタを作るんじゃなくて、誰かに入ってもらおうかっていう話になって。 もう辞めちゃったんですけど、「サッチ」っていうコンビの神田(慶太郎)に単独のネタを見てもらったんです。そしたら、「おもしろいけど、いつもと一緒だな。違う感じのネタも1個やってみたら?」って言われて。そのときにみちおが、「一休さん5人集めて合体させて、『キング一休さん』作るってどう?」って急に言い出したんですね。 みちお ダメ元くらいの気分でその場でテキトーに言ったネタが、「なんかおもしろそうじゃん」みたいな感じになって。 布川 たぶん、みちおが映画好きだから思いついたと思うんですけど。 みちお ドラクエも好きですし、人間とハエが合体しちゃう『ザ・フライ』っていう映画も好きですし、そんなイメージが頭の中にあったんでしょうね。 布川 あと、僕が札幌でかわいがってもらってたモリマンさんのネタに、『ミックス犬』っていうのがあって。犬って犬種が混ざり合ったら名前が変わるんだよ、っていう話から、セント・バーナードとダックスフンドだと「セックス」になるねっていうネタなんですけど。そのネタがめっちゃおもしろいと思ってたんで、合体するネタに「それいいじゃん」ってすぐ反応したんだと思います。 ──2016年の単独ライブのタイミングで、おふたりの代名詞となる合体漫才ができたんですね。 みちお はい。でも、言ったはいいけど、「このネタ、どうやって表現すんの?」みたいな感じでした。「一休です」「一休です」「一休です」「一休です」「一休です」「で、これで合体だよな?」とか言いながら、手探りの状態でネタ合わせして。 ボケ方もわからないんで、「キング一休です」……「これ、どうやってツッコむんだ?」みたいな。フフ。最初はマジで意味わかんないボケだったよな? 布川 最初のころは、一休さんが5人集まって「キング新右衛門さん」(※)になるっていう。意味わかんないよね。でも、単独ライブでやってみたら、いままでとは違う感じのウケ方だったんです。それまでは強く1回ウケても長くウケてる感じはしなかったのが、このときはウケたあとになんかザワザワしたというか。 ※新右衛門さんは、アニメ『一休さん』に登場する武士のキャラクター ──THE MANZAIでのスベりの余韻とは逆に、今度はウケの余韻が残ったと。 みちお そうですね。その年から長崎でも単独ライブをやり始めてるんですけど、縁もゆかりもない長崎で合体ネタがすごいウケたんですよ。「これはイケる」と思ったら、M-1の2回戦で落ちちゃって。そこから3カ月くらい、ほぼ記憶ないです。「終わったなぁ……」って、ショックでしばらくぼーっと生きてました。 布川 グラフで言ったら、一番下がってる時期かもしれないです。バイト終わりに新橋の富士そばの前で結果見て、膝から崩れ落ちましたから。追加合格にも入ってなくて、「ウソ〜……」と思って。参りましたね、あれは。 先輩や仲間の言葉を糧にネタを磨く ──それでもまた合体ネタを磨いていこうと立ち上がった理由はなんですか? 布川 ある日、ハマカーンの浜谷(健司)さんが僕らふたりをごはんに誘ってくれたんですけど、「あのネタ、めちゃくちゃいいぞ。うれしくて、ふたりとも呼んじゃったわ」って、高い焼肉食べさせてくれて。THE MANZAIチャンピオンの浜谷さんがこう言ってくれてるんだし、ほかの芸人仲間も褒めてくれるので、やっぱりおもしろいネタなのかなと。 みちお それで、ネタの細かい部分から少しずつ直していって。あと、ネタだけじゃなくて、僕のワイシャツとネクタイをペンギンのトレーナーにして、紺色のズボンを白に変えるとか、服装も変えてみたりするようになりましたね。 ──布川さんが髪を伸ばすようになったのもそのタイミングですか? たしかオードリーの若林(正恭)さんのアドバイスだったとか。 布川 はい。2017年のM-1は準々決勝で落ちたんですけど、若林さんに「あのネタ、めちゃくちゃおもしろいよ」って言っていただいて。「話半分で聞いてほしいんだけど、最初にマジメそうな人が出てきて『あ、ツッコミの人なんだな』って思ったら、急に『ダメ〜!』ってツッコみ出すから、笑う前にお客さんがびっくりしちゃうんだと思うんだよね」みたいなアドバイスをもらいました。 ──「あ、このツッコミの人もヤバいんだ」と、最初に印象づけたほうが笑いやすいと。 布川 そうですね。それで、ネタの最後にやっていた「キャーッ!」っていうツッコミを最初のほうに持っていくようになって。さらに、「布川は人間性もちょっと変わってるじゃん。だから、髪伸ばしてみるのとかどう?」って言っていただいて。 当時、1回お笑いを辞めようかと思ってたんで、どうせならアドバイスとして言ってもらったことは全部やってみようと思って、ウィッグを買ったんです。で、髪を長くしてみたらめっちゃくちゃウケたんで、髪だけでこんなに違うんだってびっくりしました。 ──お客さんの心理まで計算すると、ウケ方も違うんですね。 布川 当時はボケのおもしろさばっかり追ってましたけど、見た目とか構成も変えていく必要があると気づけたのが、2017年から18年にかけてでしたね。 変化を感じながら挑んだ2018年のM-1 ──そして2018年のM-1ですが、予選の段階から「トム・ブラウンが仕上がってるらしい」と芸人さんたちが噂していたというエピソードを聞いたことがあります。 みちお たぶん、3回戦のときに人生の中でも何番目かに入るくらいウケたので、それを芸人さんたちの間で言ってくれたりしたんですかね。 布川 すごく覚えてるのは2回戦のときで、ウエストランドの井口(浩之)くんが、「今出たら、すごい歓迎ムードだと思いますよ。たぶん、出た瞬間に驚くと思いますけど、びっくりしないでくださいね」って声をかけてくれたんですよ。実際に舞台に出たら、今まではお客さんが引いた顔してることが多かったのに、普通に観てくれてる感じがして。なんかやりやすかったんですよね。 みちお たぶん、ネタ番組とかに出させてもらうこともあったので、少しずつ皆さんに認識してもらえるようになったのかなと思います。 ──予選中はそのまま勢いに乗っていたのか、勢いを感じながらも冷静だったのか、どんな状態でしたか? 布川 3回戦のあとに芸人さんたちと飲ませてもらったんですけど、そこにいただーりんずの小田(祐一郎)さんが3回戦を観に来てたらしくて。僕は1発目のボケについて、「後半あんなにウケてくれたお客さんなら、もっと最初でウケないか?」と思ってたので、そのことを小田さんに聞いてみたんです。そしたら、「おもしろかったし、めちゃくちゃウケてたけど、なんか一瞬だけ早い感じしたんだよね」って言われて。 実は、いつもは「これはいったい、どうなっちゃうんだぁ?」って言うところを、3回戦だけは時間を削るために「これはどうなっちゃうんだぁ?」にしてたんですよ。「いったい」っていうひとことがなかっただけで、笑いの量が下がったんですよ、おそらく。それで、ネタの一個一個がすごく大事なんだなってわかったというか。やっぱりそこを直したら反応もよくなりましたし。 ──わりと冷静に、細かくネタをブラッシュアップされていたんですね。 布川 はい。でも、自分らでやったとはあんまり思ってないですね。井口くんもそうですし、浜谷さんにも、若林さんにも、小田さんにも感謝してます。自分たちの発想だけではあそこまでできなかったので。 ──決勝の舞台で漫才をやったときはどんな気分でしたか? みちお もちろんド緊張ですよね。だから、最初に舞台にせり上がるときに、1回爆笑しようと決めてたんです。そのおかげでテンションが上がって勢いでやれてたんですけど、布川越しに上沼(恵美子)さんが見えて、「うわぁぁ、M-1だぁ!」ってまた緊張して、口の中の水分が全部なくなりました。布川が「これはいったい、どうなっちゃうんだぁ?」って言ってる間に、必死で口の中の全水分を集めたのを覚えてますね。 布川 話の最後が汚いなぁ。僕は決勝の3日前ぐらいに声を飛ばしちゃって、まず声が出るようになるかがすごい不安だったんですけど、ギリギリ出るようになって。 当日もいろいろ不安だったんで、本番前の昼にみちおに似たハゲてて太ってる人とライブに出て漫才したんですね。それでけっこうほぐれて、ほどよい緊張でネタをやれました。あと、僕はみちお越しに上戸彩さんが見えたんですけど、すごいかわいかったですね。 みちお 「M-1前にライブ出るか?」って聞かれたんですけど、僕はギリギリまで寝たいし、絶対にヤダと思って。そしたら、「代わりに似てるヤツ探すわ」つって。意味わかんない(笑)。 「やっぱりネタで評価されたい」 ──現在はいろいろなメディアに出演しながら、単独ライブなども継続的に行っていますよね。今後の芸人としての活動について、おふたりはどう考えているのでしょうか。 みちお 「結局、ネタが一番おもしろいのはトム・ブラウン」って言われるような存在になっていきたいですね。ネタをやり続けるのはしんどいし、弱音も吐く前提ですけど。 布川 僕も全国でライブをやってお客さんを集めて、ネタでちゃんと評価されたいですかね。あの……札幌が毎回一番スベるんですよ、地元なのに。逆に西に行けば行くほど、わりと反応がいいというか。九州の人に聞いたら、「九州の人って見た目が濃い人が好きなんだよね。だからウケるんじゃない?」って言っていて。 北海道の人はたぶん、見た目が濃い人があんまり好きじゃないんですよ。「こわっ」ってなっちゃうんだと思います。だから、北海道でちゃんとウケたいですね。 みちお あとはいずれ、「この男が、ナンバーワンのカリスマだ」って言われる存在になりたいです。 文=後藤亮平 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽 トム・ブラウン 2009年結成。布川ひろき(ぬのかわ・ひろき、1984年1月28日、北海道出身)と、みちお(1984年12月29日、北海道出身)のコンビ。高校時代に柔道部の先輩後輩だったふたりがコンビを組み、地元・北海道から上京。2018年、M-1グランプリ決勝に進出。みちおが有名人やアニメのキャラクターを合体させるという「合体漫才」で大きなインパクトを残した。オールナイトニッポンPODCAST『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』(ポッドキャスト/毎週金曜18:00ごろ配信)は、布川が自らの髪の毛を切ってリスナーにプレゼントするなど、特異なノリで話題となっている。) 5月8日(日)の長崎公演を皮切りに、『トム・ブラウン全国五大都市ツアー2022「がちょん十一郎」』を開催する。詳細はこちら! 『ももクロちゃんと!』トム・ブラウン出演回がテレ朝動画「logirl」にて配信中! 「ヤバいおじさん」ことみちおさんが、ももクロメンバーに楽屋ドッキリを仕掛けられています。 みちお「僕、楽屋で歌を歌ってたんですけど、なんの曲を歌ってたのかまったく思い出せないんですよ。僕の鼻歌でその曲名がわかった人、ご連絡お待ちしてます」 布川「ももクロのみなさんはアイドルなのに、みちおの気持ち悪い動きとかを見ても引かずに笑ってくれたのがすごいなぁと思いましたね」 テレビ朝日にて4月30日(土)深夜3時20分〜放送の『ももクロちゃんと!』にもトム・ブラウンが出演するので乞うご期待! (写真:『ももクロちゃんと! ももクロちゃんとヤバいおじさん Part1』) (写真:『ももクロちゃんと! ももクロちゃんとヤバいおじさん Part2』) 【後編アザーカット】
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「あれ、これイケんじゃね?」手応えを掴んだトム・ブラウンの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#12(前編)
2018年、M-1グランプリの決勝で強烈な印象を残したトム・ブラウン。狂気すら漂う芸風で活躍を続けるふたりに、《ファースト・ステージ=初舞台》について聞く。 コンビ結成当初はコント中心で、彼らの代名詞といえる「合体漫才」もまだ誕生していなかったが、地元・札幌での初舞台は上京への自信につながる大きな経験になったようだ。 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次柔道部の先輩と後輩がお笑いコンビにギリギリまでネタ合わせし、手応えを掴んだ初舞台好調なオーディションから一転、木村カエラの悪夢みちおの発想と、布川の構成──トム・ブラウンのネタ作り【前編アザーカット】 柔道部の先輩と後輩がお笑いコンビに 左から:布川ひろき、みちお ──ピン芸人だった布川さんと、プロのスノーボーダーを目指していたみちおさんがコンビを結成された経緯から教えてください。 みちお スノーボード仲間がケガしたのを見て、「これ命がけだな……」とプロの道を諦めたときに、布川くんがピンで札幌のローカル番組に出ていて。布川くんがテレビに出られるなら簡単な世界だなと思って、まず別の人とコンビを組んだんです。 布川 ナメてますね〜。 ──布川さんはすでにピン芸人として北海道で活躍されていたんですね。 布川 いやいやいや、そんなことはなくて。当時所属してた札幌よしもとには、正統派の芸人を育てるっていうコンセプトがあったみたいで。それこそタカアンドトシさんみたいな。僕はそういうネタをやってなかったんで、どのライブでもだいたい最下位でしたね。 だけど、東京吉本のお偉いさんが来たときに、僕だけ『ヨシモトファンダンゴTV』(※)に出られることになったんですよ。それで、「札幌は向いてないのかな。東京に出たほうがいいのかもなぁ」って思うようになっていました。 ※当時、スカパー!などで放送されていた吉本興業のお笑い専門チャンネル ──そのタイミングで布川さんがみちおさんに声をかけ、コンビを組むことになったと。 みちお コンビを組んでは1〜2カ月くらいで解散、というのを繰り返していて、ピンでやろうかなと思っていたときに声かけてもらった感じですね。 布川 養成所で出会った知らない人に人生を預けるのって、いかれてるなって思いません? いつ裏切られるかわかんないじゃないですか。お笑いやってて、自然と仲よくなった人とコンビを組むならわかりますけど。みちおは高校の柔道部の後輩だし、一度お笑いに誘ったこともあったので。でも、僕がみちおを追っかけてるみたいで、なんかイヤですね。 みちお ちなみに、柔道部に僕を勧誘したのも布川くんなんで、僕に夢中だと思います。好きな女性のタイプだけちょっと言ってもらっていい? 布川 太ってて、歯茎が多い子。 みちお 僕は歯茎も多いし、肉体もタイプと合ってる(笑)。 布川 奥さんも歯茎が多いんで。まあ、そうっすねぇ……。 ──布川さんはネタのテイストが札幌に合わないと感じていたそうですが、みちおさんとはコンビの方向性などの擦り合わせはされたんですか? 布川 最初はコント中心で、僕がネタを作ってたんですけど、あんまり擦り合わせたりはしてなかったですかね。 みちお 僕はおもしろいと思ってました。ただ、布川くんがボケで僕がツッコミみたいなネタもやったことがあるんですけど、僕がまったくツッコめなくて。いろんなツッコミフレーズがあったんですけど、全部無視して「うるせーよ!」しか言わないっていう。 布川 「うるせーよ!」と「やかましい!」、このふたつくらい。今は僕が「ダメ〜!」1個ですけどね。みちおに「なんでふたつしかできねーんだよ!」って言ってたのに。 ギリギリまでネタ合わせし、手応えを掴んだ初舞台 ──おふたりにとって、初舞台のような位置づけにあたるのはどんなライブなんでしょうか? みちお コンビで東京に出ようってことになったんですけど、その直前、2009年に札幌で単独ライブをやったんです。僕はその単独が記憶に残ってますね。路上ライブやフリーのライブに出たことはあったんですけど、ちゃんとした舞台に立ったのはそれが初めてだと思います。 布川 「BLOCH」っていう、キャパ100人ぐらいの演劇の小屋で。この前も久しぶりに出ましたよ。 ──単独ということは、いきなり何本もネタを用意したんですか? 布川 はい、8本ですかね。東京に行ってた先輩に上京の相談をしたら、「東京は札幌よりライブの数が多くてすぐにネタがなくなるから、いっぱい作って持っていったほうがいいよ」って言われて。じゃあ単独ライブをやったほうがいいなと。ただ、みちおはライブ前日になっても7本覚えてなかったんですよ。「おい、マジかこいつ!?」と思って、ブチギレそうでした。フフフ。 みちお シンプルに「まだ大丈夫だろ?」と思ってて。普通のライブでネタを1本やるとして、お昼ぐらいから練習すれば夜にはできちゃうじゃないですか。その感覚でいたんですけど、今思うとゾッとしますね(笑)。 布川 当時、コミュニティFMでラジオをやらせてもらってたんですけど、そこは22時以降になると収録した音楽を流すだけだったんで、スペースを貸してもらって泊まりがけでネタ合わせしました。冬は外だと寒くて死んじゃうんで。 みちお 朝5時くらいまでほぼ寝ないで、そのまま単独だったんで、ちょっとキツかったですけどね。 布川 おまえのせいだよ。練習してても立ったまま寝るんで、みちおが寝そうになったら起こすっていう役で後輩芸人にふたり来てもらったんですよ。 ──ライブの手応えはいかがでしたか? みちお マジでヤバいんですけど、「あれ、これイケんじゃね?」っていう感覚が生まれちゃったんですよね(笑)。布川はどうだった? 布川 ちゃんと反応はあったな、とは思ってたけどね。 みちお やってるほうが楽しむのはお門違いかもしれないんですけど、やっててすごく楽しくて、それがお客さんに伝わった雰囲気もあって、すごくいいなと思いました。 布川 ただ、みちおがネタを毎回間違えても僕は何も言わなかったんですけど、僕が最後の1本でほんのちょびっと噛んだら、みちおが袖で「今噛んだよね?」って詰めてきたのは、一生忘れないですけどね。 みちお そこで噛んだら終わりだよってところで噛んでたんで。 布川 いやいや、おまえ7ネタ間違えてただろ、おい(笑)。 みちお いや、僕はわりと噛んでも大丈夫なところで噛んでたんで。フフフ。 布川 大丈夫じゃないよ、なんだそれ。 ──当時から先輩と後輩っぽい関係ではなかったんですね。 みちお そうですね。柔道部時代も「タメ口でもいいですか?」って聞いて、途中からタメ口使わせてもらってたんで。最初、布川くんは「え?」って顔してましたけど。「ま……まあ、いいよ」って。フフフ。 布川 俺の反応が合ってるよ。普通、タメ口使わないでしょ。 好調なオーディションから一転、木村カエラの悪夢 ──単独で手応えを掴んで上京されたわけですが、その勢いのまま活動できたのでしょうか。 みちお 上京した次の月くらいに、マセキ芸能さんのネタ見せに行ってみたら、1発目でオーディションに通って、すぐライブに出られたんですよ。ライブでもまあまあウケて、スタッフさんも「おもしろかった」って言ってくれて、「お! イケるじゃん」と思いましたね。 次の月もすぐ通って、ライブもいい感じで、スタッフさんもまた褒めてくれて、「これはマセキに入れるぞ!」ってふたりで話してたの、未だに覚えてます。 布川 イケそうだと思いましたね。「2回連続で通るって、事務所所属(のコース)に乗っかってるよ」って、マセキに入ったばかりの三四郎の相田(周二)さんが袖で言ってくれたりしたんで。 みちお で、また次の月にやったネタが、木村カエラさんのCMのネタで。当時、「ホット、ペッパ、ピプペポ♪」って木村カエラさんが歌いながら踊るホットペッパーのCMがあったんですけど、僕がその木村カエラさんに扮して、衣装着てヅラつけて歌い続けたんです。3分くらい(笑)。 布川 それを僕が「ホットペッパーの木村カエラだぁ〜!」ってずっとツッコんでるっていうネタをやったら、落ちました。ハハハ……。 ──なんか斬新な感じもしますけどね(笑)。 布川 僕らも「そんなわけない!」って受け入れられなくて、普通はネタ見せって同じネタを何度もやんないんですけど、次もまったく同じネタやって。 みちお 2回連続で木村カエラやったら、もう受からなくなった。「この人たちはダメだ」っていう感じ。 布川 三四郎さんとかに会ったら未だに言われますよ、「今日、木村カエラやんの?」とか。あれはよくなかった。単独でもやらなかったネタを、イケると思って調子こいてやって。 みちお 「バケモノみたいなネタができたぞ!」と思ったら、ホントにただのバケモノで。フフフ。「そんなわけない」って思ってたの、あれなんだったんだろ? 布川 「いいよなぁ、このネタ。おかしいよ」って言ってな。 みちお そのへんから、「これじゃダメなんだ。わ〜、どうしよう」ってなって、ちゃんとやらなきゃって感じになりましたね。 みちおの発想と、布川の構成──トム・ブラウンのネタ作り ──そこからもネタを変えて、オーディションは受け続けたのでしょうか。 布川 はい。でも、8カ月連続でオーディションに落ちて、行くのはやめちゃいました。で、「強いネタをちゃんと作ろう」と、フリーのライブに出るようになったんです。4本くらいイケそうなネタができたときに、先輩の芸人さんが、「ケイダッシュステージは、ネタ見せのときにダメ出しとかもしてくれるらしいよ。一緒に行かない?」って誘ってくれて。 受けてみたら、ライブに出させてもらえることになりました。その先輩は落ちたんで、気まずかったんですけど。 みちお ちょうどケイダッシュステージが若手を増やそうとしてたタイミングで、いままでは1〜2組だったのが、5〜6組くらい受かるようになったところだったんで、めちゃくちゃラッキーでしたね。 ──またオーディション通過とライブ出演が続いて、ケイダッシュステージに所属されたと。オーディションを受け続けていくなかで、ネタの変化などはありましたか? 布川 当時は僕がネタを全部作ってたんですけど、東京に来て一番感じたのは、僕が作ったボケが、みちおが言ってる感じになってないというか。僕が作ったセリフを言わされてる感じになっていて、みちおが言いそうな言葉にできてなかったんですね、おそらく。 みちお コントもやるけど、漫才もいいかなって話になったと思うんだけど、どのくらいの割合で変わっていったんだっけ? 布川 事務所に入るタイミングかな、ライブでネタができてなくて、漫才をただただアドリブでやってみたことがあったんですよ。そしたら、なんか反応がよくて、そこから漫才中心にやるようになりましたね。 で、ネタもみちおが作ってみるかって話になったんです。みちおがアドリブでやったほうがウケたってことは、自分で言葉にしたほうが合ってるんだろうからって。 ──いわゆる「人(ニン)」(その人が持つ個性や雰囲気)に合ったネタに寄せていったという感じでしょうか。 布川 ああ、そうですね。 みちお しばらく漫才は僕が作って、コントは布川が作ってたんですけど、だんだん、アドリブでネタ合わせしながら、ふたりで作っていくようになりましたね。 布川 みちおがひとりで作るネタは、構成がめちゃくちゃだったんですよ。僕もそんなにわかるわけじゃないんですけど、いきなり「人を機関銃で撃つ」とか言い出してたから(笑)。 ──なんのフリなどもなく? 布川 はい。かと思ったら、次に(お互いに自動ドアの動きで)「ウィーン」「ウィーン」「どっちも(ドア)じゃねーかよ」みたいなボケがきて、「順番どうなってんだ、これ?」みたいな。それで、ふたりで作るようになって。 みちお 今は完全にふたりで作ってる感じですね。 ──ふたりでどのようにネタを作っていくんですか? 布川 みちおがまず設定をいくつか持ってきて、それを僕が精査して、一番おもしろそうなものを一緒に形にしていく感じですかね。 ──発想の部分をみちおさんが担っていて、布川さんがそれをどう届けるか俯瞰的な視点で構成しているんですね。どこか作家と編集者みたいです。 みちお そんなおしゃれなたとえ知らなかったです。フフフ。ありがとうございます、今後使います。 文=後藤亮平 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽 トム・ブラウン 2009年結成。布川ひろき(ぬのかわ・ひろき、1984年1月28日、北海道出身)と、みちお(1984年12月29日、北海道出身)のコンビ。高校時代に柔道部の先輩後輩だったふたりがコンビを組み、地元・北海道から上京。2018年、M-1グランプリ決勝に進出。みちおが有名人やアニメのキャラクターを合体させるという「合体漫才」で大きなインパクトを残した。オールナイトニッポンPODCAST『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』(ポッドキャスト/毎週金曜18:00ごろ配信)は、布川が自ら髪の毛を切ってリスナーにプレゼントするなど、特異なノリで話題となっている。 5月8日(日)の長崎公演を皮切りに、『トム・ブラウン全国五大都市ツアー2022「がちょん十一郎」』を開催する。詳細はこちら! 『ももクロちゃんと!』トム・ブラウン出演回がテレ朝動画「logirl」にて配信中! 「ヤバいおじさん」ことみちおさんが、ももクロメンバーに楽屋ドッキリを仕掛けられています。 みちお「僕、楽屋で歌を歌ってたんですけど、なんの曲を歌ってたのかまったく思い出せないんですよ。僕の鼻歌でその曲名がわかった人、ご連絡お待ちしてます」 布川「ももクロのみなさんはアイドルなのに、みちおの気持ち悪い動きとかを見ても引かずに笑ってくれたのがすごいなぁと思いましたね」 テレビ朝日にて4月30日(土)深夜3時20分〜放送の『ももクロちゃんと!』にもトム・ブラウンが出演するので乞うご期待! 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R-1王者・お見送り芸人しんいちの生き様「消えるときは消えるし、全部楽しむだけ」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#11(後編)
R-1王者となったお見送り芸人しんいち。 決勝1stステージで披露した『僕の好きなもの』という代表作は4年前にはすでに持ちネタだったという。この愛と毒が絶妙にブレンドされたネタはどうやって生まれたのか。 独自の角度からさまざまな対象に毒を放ち愛で包むそのネタは、しんいちの人柄から生まれている。彼のまなざしは、人間を等しくかわいい存在として捉えているのだ。 若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 【インタビュー前編】 R-1王者・お見送り芸人しんいち「ファイナリストの中で僕が一番楽しもうとしてたのは間違いない」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#11(前編) 目次とことん嫌われようとしたら、好かれ出した人のいいとこしか言わない風潮がイヤ何も浮かんでないときは無理に話さなくていい同じ歌をいつまでも歌い続ける【後編アザーカット】 とことん嫌われようとしたら、好かれ出した ──ギターを弾いて歌うスタイルになったのは、2015年だと前編で語ってくれました。弾き語りネタは最初から手応えはありましたか。 しんいち 反応がいいなぁと思いましたよ。今までと違う感触があって「俺は歌に希望があるんかなぁ」って。でも当時のネタ自体はイジリも毒もなかったです。こんなフレーズは覚えてますね。 「藤田ニコルは いっぱい 服持ってる」 これをちょっといい感じのメロディに乗せて歌うだけでした。そういうのを何個か歌って1分くらいで舞台去ったんですけど、それでもなんか手応えあったんすよね。 ──漫才師として初舞台に立ったころとは違って、ここで初めて上向いたんですね。 しんいち そうっすねぇ。それからちょっと毒づくようになってウケ出して、その流れで『ガキ使(ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!)』(日本テレビ)の「山-1グランプリ」に出させてもらったんですよ。でもその先につながらなかった。 たぶんただ単に人を傷つけるだけのネタだったからでしょうね。それで自分には芸がないなぁって悩みまくって、できたのが『R-1』決勝でもやった『僕の好きなもの』(以下、『好き』)でした。できたのは4年前なんですけど、それがやっと今年完成したって感じですね。 ──4年間それを磨いていた。 しんいち このネタは可能性ある気がしてたから、ずーっとやってましたね。このネタやるようになってから舞台でスベらんようになりましたし。 ──歌ネタをやるにあたって、けっこう研究もされたそうですね。 しんいち めっちゃしました。歌ネタ芸人さんも茨の道で、席の取り合いじゃないですか。いろんな人がいるなかで、意外と“ザ・バラード”が空席だったんですよ。AMEMIYAさんはちょっとしっとりしてますけど、あれもロックっぽい感じですよね。僕は完全にスピッツとかゆずで育ったんで、曲調はバラードやなと。あと意外にも毒づくのをやってる人がいなかったんで、《バラード×毒》でいこうと決めましたね。 ちょうどその時期に「しんいちってなんか鼻につくよな」「性格悪いよな」って言われてたんで「もうええわ、とことん嫌われよ」と思って、毒を吐くようになったという。ほんなら好かれたんですよ! 自分では嫌われるようなネタやってるつもりなのに逆に好かれ出して、「変な世界!」って思いました。芸人さんも寄ってきて「あの『好き』のネタ、これ思いついたんだけど……」とかって来るし。 人のいいとこしか言わない風潮がイヤ ──『好き』は、できた瞬間に発明だと思いましたか。 しんいち 自分ではよくわかってなかったです。まわりから「あれすごいシステムよな」と言ってもらえて、そうなんかなとだんだん気づく感じでした。「『好き』って言葉自体は前向きだし『好き』と言えば何言っても許される。無敵じゃない?」って言われましたね。 ──「山-1グランプリ」のときと、『好き』では、毒の塩梅がどう変わったんでしょうか。 しんいち 「山-1」のときは芸のない2ちゃんねらーと同じレベルでした。「おまえなんか嫌い」は誰でも言えるじゃないですか。でも「好き」は「俺、あなたのこと嫌いやけど、なんでかそういうとこいつも気になって見ちゃうねん」って褒めながら嫌いって言ってる。 ──なるほど。Aqua Timezのネタも、ちゃんと見てる人だからこそ言えるってところありますもんね。どこか愛を感じるというか、愛着が入っている。 しんいち そうなんですよ! ほんとに「好き」なんすよね。実際目で追っちゃうし、忘れたくないって思ってメモするってことは、どっか好きなんです。そもそも僕は人間が好きなんですよね。 あと、日本のタテマエ文化みたいなものが嫌いなんですよ。ヨイショだけして本音言わないのが正義という風潮がイヤなだけ。僕も変なとこあるし、視聴者にも変なとこあるし、サンドウィッチマンさんだって変なとこあるじゃないですか。それなのにみんな人のいいとこしか言わないのはイヤやなって。そこも全部含めて知ってもらって初めて人間なのにっていうのは、ずっと思ってましたねぇ。 Aqua Timezさんもあんな熱いこと言ってたのに1年後に解散しちゃったドジっぽさがかわいいし、でもその1年にはどんなドラマがあったのかなとも思うし、そもそも曲がめっちゃいいしとかいろいろあるわけですよ。そういうの丸ごとのあのワンフレーズに込めて伝えたいっていう……。 ──人間が凝縮されたワンフレーズだった。 しんいち そうなってるといいですねぇ。怒ってたファンの方も多いと思うんですけど、中には「名前出してトレンド入りさせてくれてありがとうございます!」ってファンの方もいたりして。「Aqua Timezがこのまま忘れられていくことのほうがつらい」って言葉とかあってうれしかったです。 実は今朝、Aqua TimezのリーダーだったOKP-STARさんと朝ごはん食べさせてもらったんですよ。めっちゃいい人で「ほんとおもしろかったよ、笑ったよ」って言ってくれて救われましたねぇ。ここではしゃべれないこともいっぱいありましたけど、「いつか共演しようね」と言われたときは、「それってどういうこと!?」とは思いました。 何も浮かんでないときは無理に話さなくていい ──しんいちさんは、ミュージシャンとの交流がすごく多いそうですね。 しんいち そうですね。山崎まさよしさんとか、BiSHさんとかねぇ。あと、大森靖子さんは一番かっこいいギターの持ち方を教えてくれたんで、撮影のときはよくマネさせてもらってます。こうやって肩に担ぐやつです。ステージに出るときの気迫みたいなのは、大森さんを意識させてもらってますね。 あと、RADWIMPSのベースの武ちゃん(武田祐介)とも仲よしなんですけど、1回ドライブ行ったときに、「これ今度出る曲なんだけどさ〜」って聴かせてくれた曲が、あとあと『君の名は』の主題歌だって知ったこともありますねぇ(笑)。 シンガーソングライター・大森靖子直伝“一番かっこいいギターの持ち方” ──そういう人たちの懐に入っていけるのがすごいです。 しんいち いや、別に懐に入ってるじゃなくて、「山崎まさよしだから」とか「RADWIMPSだから」って恐縮しちゃう感じがあんまないんすよ。そういう名前の大きさじゃなくて、あくまでも人だけで見てるとこがあるんですよね。だからどんだけいいもん作ってても普通にしゃべれちゃうというか。 まあ僕の遠慮のない姿勢を嫌がる人はいると思うんですけど、それはネタと同じですよね。嫌う人は嫌ってどうぞですし、好きな人は笑ってってくださいと思うだけというか。バラエティ番組もいっぱい出させてもらって有名人とお会いしてもちろん緊張はしますけど、そこまでへりくだってないんですよね。 全部楽しむだけっていう気持ちでいるので、こないだも気づいたらダウンタウンさんが目の前にいるけど、テレビの前のただの視聴者みたいにずっと笑ってました。 しんいち たしかに昔だったら「絶対爪あと残すぞ」って緊張してたと思うんですけど、今は別に嫌われるときは嫌われるし、スベるときはスベる。消えるときは消えるって思ってるから、何も気負いがないんです。 この世界は天才だらけなんで、自分なんかここに一度来させてもらっただけで満足ですって気楽にやってます。今はもう重たいもん全部落として生きてるだけです。 ──今が一番楽? しんいち 一番生きやすいですね。このインタビューもそうですけど、こないだのテレビでも10分くらい笑いなく淡々としゃべってる収録があって「よう耐えれますねぇ」って言われたんですよ。でも僕は「え、何が?」みたいな。ボケなアカンってことも気づいてなかった。 ──しんいちさん自身どこかミュージシャン然とした人なんですね。 しんいち あるのかもしれないですね。だって、おもしろいこと浮かんでないねんもん。浮かばんときは浮かばんでええやん、「なんでみんな必死で大喜利してんの?」と思ってしまう。よく芸人さんが「2時間の収録、一度もしゃべれなかった」って落ち込んでますけど、僕これからそんな無言の時間めちゃめちゃ過ごしますよ! でも、それでもいいしなぁってどっか思ってるんですよね。 同じ歌をいつまでも歌い続ける ──歌ネタの人は「一発屋」と言われやすいですよね。でも話を聞いていて、しんいちさんはそういうことに頓着しないように見えます。 しんいち そもそも一発屋でじゅうぶんと思ってますからね。R-1チャンピオンという称号はずっと残りますし。みんなもこうやって楽に考えたらいいのになって思うんですよ。 こないだコンクールを控えてるっていう学生さんにアドバイスを求められたんですけど、とっさに出てきたのが「だらだらサボったらええんちゃう?」って言葉だったんです。ふざけてるっぽいですけど、でもこれ本心で。肩の力入れてもうまくいかないし楽しくない。だから、だらだらサボって生きたらいいよって思います。がんばって優勝するとかじゃなくて、全力で楽しむだけ。 ──リラックスが大事とわかってても、しんいちさんの境地に行ける人はなかなかいないと思います……。そして今後ですが、新曲を作るなど目標はありますか。 しんいち それも別に考えてないです。たしかにまわりからも「このネタもすぐ飽きられるから、今のうち新しいこと考えとけ」と言われるんですよ。そうやと思います。でも個人的には、浮かばんかったら浮かばんでええし、「何がなんでも作らな!」って気持ちはないんです。なんか浮かんだときに、作ればええわって。曲が降ってくるまでは、今の曲を歌い続けるだけですね。 ちょうど昨日ミルクボーイさんにお会いしたんですけど、「『好き』のネタ、これから一生やっていくことになるから覚悟しいや」って言われたんですよ。今の僕の感じがミルクボーイさんと似てるらしくて、「『たぶん、新ネタいらんで』って。 たしかにずっと「好き」って言ってればいいんですよ。時代によっても好きの対象が変わりますからね。2022年の好きがあれば、2030年の好きもある。ファンの人からもDMで「こんな好き思いつきました!」って毎日のように送られてくるんですけど、平気でパクってますよ。「ネタがない」はもうないです。勝手に誰かが作ってくれるというか(笑)。 ──ネタの永久機関が完成してたんですね。しんいちさんがやることはもう体調に気をつけることくらい。 しんいち そうですね、ほんと幸せっすねぇ。あと、今後で言ったら……単独ライブはやりたいですね。たぶん僕ひとりのライブって笑いはそれほどないですけど。「あのへんでいらんこと言うんやろうな」ってのも、バレてますし。でもファンの人は、笑いたいっていうより「こんな人いるね」とか「あるなぁ」ってニヤニヤしながら聴きたいって言うんで、それでいいならやらせてほしいですね。 お見送り芸人しんいち 1985年4月21日、大阪府大東市出身のピン芸人。2009年10月、大阪松竹でコンビ「しんいちけんぢ」としてデビュー。2012年3月に退社後まもなくコンビ解散。約2年半の活動停止期間を経て、2014年10月にグレープカンパニー所属後はピンとして活動。芸歴10年以内のピン芸人ナンバーワンを決める『R-1グランプリ2022』で、自身ラストイヤーにして初のファイナリストとして出場し、見事優勝した。YouTubeチャンネル『お見送り芸人しんいちの『嫌われ者』』で、ネタや企画動画を随時アップしている。 文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽 【後編アザーカット】 東京ホテイソン「たけるの声で絶対に売れる」確信を得た初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#2(前編) 吉住「こんなんじゃダメだ」挫折を味わった初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#5(前編) 即席ユニットでも、初M-1で“ボコウケ”怪奇!YesどんぐりRPGの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#8(前編) 板橋ハウス、ルームシェアのきっかけは「お笑いが足りてなかったから」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#14(前編)
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R-1王者・お見送り芸人しんいち「ファイナリストの中で僕が一番楽しもうとしてたのは間違いない」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#11(前編)
3月に開催された『R-1グランプリ2022』で下馬評を覆し、見事優勝したお見送り芸人しんいち。 ギター弾き語りで「僕の好きなもの」を爽やかに歌い始めたかと思えば、皮肉たっぷりに毒を吐き、絶妙な「あるある」を突いていくスタイルが痛快だ。 そんなしんいちには、現在のスタイルに至るまで紆余曲折があった。R-1の大舞台を誰よりも楽しんだ男が、ギターを握ってステージに立つまでの前日譚──。 若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次歌ネタ芸人は小馬鹿にしてた一番無欲で、一番楽しんだR-1決勝地元で"明石家さんま"と呼ばれた男僕は好きなことしかできない【前編アザーカット】 歌ネタ芸人は小馬鹿にしてた ──ギターの弾き語りスタイルは、サンドウィッチマンの富澤(たけし)さんに勧められたそうですね。 しんいち そうですね。いろいろ迷ってる時期、事務所の先輩の富澤さんに「ギター弾けるんだったら、歌ってみたら」って言われてからです。でも最初はイヤでしたよ。「なんで俺が歌ネタやらなあかんねん!」って。でも半信半疑でやったら、なんかハマって、ラッキーって感じでした。 ──ギターはもともと弾いてたんですね。 しんいち そうですね、趣味というか……まあモテたくてやってましたね。 ──実際モテたんですか? しんいち コンパではモテましたね。弾きながら歌えると、いい感じになるんですよ! まず「なんで芸人がコンパにギター持ってきてんねん!」というボケになりつつ、でもちゃんとうまいっていうギャップがいいっぽくて。 最初に言っときますけど、僕、お笑いもギターも、学生時代やってたサッカーも全部モテたくてやってました。ほんとに全部が不純な動機なんです。 ──実際にモテたならすごいです。でも、そんなに人を惹きつけたギターと歌を、ネタで使おうとは思わなかったんですね。 しんいち 昔は歌ネタ芸人さんを小馬鹿にしてたんで、それはなかったですね。漫才やりたくて芸人になったんで、「しゃべれない芸人はダメっしょ」くらいに思ってましたから。 でも、いざ自分でやってみたら「テツandトモさんすごっ……」ってなりました。こないだお会いしたときも「昔むちゃくちゃ馬鹿にしてました、すんません! でも今はどんな芸人さんよりも尊敬してます!」って謝りましたよ。今の僕は、歌ネタ芸人さんリスペクト、ピン芸人さんリスペクトですね。 ──歌ネタを小馬鹿にしていたのに、富澤さんに言われたら一応ギター持ってステージに上がったところが素直ですよね。 しんいち なんでやれたんでしょうね。覚えてないですけど……でも今となっては、僕は自分でいろいろ考えてるころよりも、人に言われたとおり素直にやってる今のほうがおもしろいなって思います。今はもう「俺は才能ないしなんもできへん。みんなアイデアちょうだい」って感じです。 ──ピン芸人だけど、セルフプロデュースを諦めた。 しんいち はい。まわりの人間全員でしんいちを支えてくれな、僕は売れませんって思ってるんで。実際、事務所の先輩の永野さんが親身にアドバイスしてくれますし、R-1の台本は街裏ぴんくさんが最終チェックしてくれたんですよ。今となっては、あんだけおもろい人が全部チェックしてゴーサイン出してくれたんだから、そりゃ優勝するわって感じです。 一番無欲で、一番楽しんだR-1決勝 ──今年のR-1は強者ぞろいでしたが、いかがでしたか? しんいち ほんと誰にも期待もされてませんでしたから。僕に優勝予想してた人はほとんどいなかったんじゃないですか。実際、別に優勝も狙ってなかったんですよ。決勝行けた時点で満足して、ゴールデンタイムの生放送でネタできるだけで幸せだと思ってたので、勝つ気はなくて。ファイナリストとしてサンドウィッチマンさんの営業とかイベントに呼ばれて、月20万円くらいもらえたら、お笑い続けられるなぁって感じでしたね。 ──気負いはなかった。 しんいち もちろん緊張はしてましたよ。でも全ファイナリストの中で僕が一番楽しもうとしてたのは間違いないです。それで1本目やったら、なんと2本目できるとなって。それだけでじゅうぶんすぎるので、裏でも「優勝は絶対ZAZYなんで、僕は楽しんできまーす」って言ってましたもん。 ──本番では手応え感じましたか? しんいち それも全然なかったですね。言いたいこと言って、楽しんで歌っただけ。たしかに控室では「みんなスベれ!」って言ってましたよ。でも、僕なんかが本当に行くわけないって感じでした。 ──なんで今回しんいちさんがハマったのだと自己分析してますか? しんいち それもたぶん僕が一番無欲で、一番楽しんだからちゃいます? あの生放送2時間をフルで楽しんだのは、僕やと思うんですよ。みんな事前インタビューでもどっかで「勝ちにいく」と言ってるんです。サツマカワ(RPG)はけっこうボケてましたけど、あのボケの裏には「俺が勝つんだぞ」が透けて見えてたというか。僕だけが事前番組でも一切ボケず、感謝を伝えるだけのVTRでしたから。 ──ご自身でも驚きの優勝で号泣してましたが、それでもブルゾンちえみさんをイジったのがさすがでしたね。 しんいち そうっすね……どうしてもあのブルゾンが生放送であんなにネタ飛ばしたことは、いつか言いたいってずっと思ってたんですよ。「みんな忘れないでくださいね」って。風化させてはならないですから。でも負けコメントで言うつもりだったんで、まさか優勝して言えるとは思ってなかったですね。 地元で"明石家さんま"と呼ばれた男 ──そもそも芸人という職業を意識したのはいつごろですか? しんいち 小学生のころから芸人とサッカー選手しか興味がなかったんです。学生時代はサッカーで強豪校・北陽高校(現・関西大学北陽高等学校)に入り、大学もサッカー推薦で入学したんです。でも、高1の時点で「上には上いるな」と気づいてプロは諦めて。 とはいえサッカーは続けたい。じゃあどうやったら生き残れるかなと考えて思いついたのが、グラウンドで一番声出して、みんなを笑かすことだったんです。 ──ムードメーカーに活路を見出した。 しんいち よくいえばそういうことですね。チームの雰囲気をよくするだけで部員120人の中で、Aチーム入れてもらってましたから相当ですよ。地元では「明石家さんまになれるやん!」って言われて調子乗ってたんで、大学卒業のタイミングで親に「芸人やりたい」って言いましたね。案の定猛反対食らいましたけど。 ──反対されてどうしたんですか? しんいち 結局黙ってしれっと芸人になりました。就職もしないまま卒業して、実家から離れて西日本をぐるーっと回るバックパッカーやったんです。その旅を一緒に回ってくれたのが、のちに相方になる男で。そいつは地元の友達だったんですけど、ふたりで屋久島行ったりぷらぷらしながら、やっぱ芸人やろかって。帰ってきたその足で大阪の松竹芸能に行きましたね。親には養成所入ってしばらくしてから「芸人やってる」って伝えました。 ──既成事実を作ってから報告した。 しんいち そうなりますね。そこで渋々オーケーしてくれました。まぁ2〜3年で辞めるやろって思ってたんでしょうね。 ──じゃあその相方と松竹で踏んだのが初舞台ですか。 しんいち 漫才しましたねぇ。さっきも言いましたけど、しゃべりで勝負したいと思ってたんですよ。コンパでもいつもウケてるし地元では「さんま」とまで言われてたから、絶対ウケるやんと思ったのに、全然通用しませんでした。そもそも初めてのネタがほぼ笑い飯さんの野球かなんかのネタのパクリだったんですよ。めちゃくちゃスベったことだけ覚えてます。 ──笑い飯さんの名前が出ましたけど、なぜ吉本じゃなく松竹にしたんですか? しんいち 吉本では勝てないかもってうっすら思ってたんですよ。松竹ならいけるかなと。 ──当時の大阪の松竹はどうでしたか。 しんいち 僕らあたりの若手は誰も活躍してないですよ。養成所では、松竹の所属芸人じゃなくて、吉本の若手のネタ映像を見せてましたし(笑)。ほんとに全員おもんなかったです。でもそんなしょぼいメンバーの中でも、僕らは1位獲れなかったんですよ。そら才能ないって今ならわかるけど、当時はわかりませんでしたね。 僕は好きなことしかできない ──今はグレープカンパニー所属ですが、どういう経緯で移籍したんですか。 しんいち 移籍ではないです。2009年10月にデビューして1年半後に退所して、東京に行ったんです。実家で親に迷惑かけ続けるのもつらかったし、東京でやってみたいと思ってたんですよね。でも東京出た瞬間に相方が「消防士になりたい」って大阪に戻っちゃって、そこから芸人活動が止まったんです。 相方と別れた当時の僕はそれから2年半なんもしてませんでした。ネタは作らんで、ゲームして、バイト行って、女の子と遊んで……。お笑い番組観て評論して「あいつおもんないなぁ〜」とかってやってましたねぇ。 ──R-1で歌ったフレーズ「自分のほうがおもしろいと勘違いしてて テレビの前で点数つけてる視聴者好き」そのままですね。 しんいち そういう過去があったから、歌っちゃったんでしょうね。今となっては、なんて愚かなんだと思いますから。コンパでウケて満足してるヤツが舞台でウケますか?って話ですし。 ──あのフレーズで目が覚めた視聴者も少なくなかったと想像します。 しんいち それまで点数つけてたアカウントのツイートが止まったって聞きましたね。たしかにそれまでは、SNSとかで点数つける視聴者をバカにする人とかいましたけど、生放送の賞レースで言うのは僕が初めてだったでしょうね。 ちなみに昔の相方は京都で消防士になってて。R-1優勝したときもLINE来たんですけど「今まで生きてきて一番うれしい出来事だった」って言われて、あれはうれしかったっすね。 ──そこまで芸人から離れていたのに、どうしてグレープカンパニーに入れたんですか? しんいち 最初は松竹芸能の社員さんに紹介してもらったんです。それでとりあえずネタ見せ行ったら、しっかり落ちまして。 ──紹介で行ったのに落ちることがあるんですね……。 しんいち そうなんですよ。フリップネタかギャグやったのかな、ちゃんと覚えてないですけど、ネタ弱すぎたんでしょうね。痛々しい服装とキャラクター、声の出し方で色物芸人っぽくやって。グレープカンパニー受けたのも、松竹入ったときと同じで、こんな小っちゃい事務所ならすぐ上に行けるわって考え方だったんですよ。なのに、落ちた。 でも、グレープの先輩にかわいがってもらったら入れるかもと思い、手伝いしてたらなんとか潜り込めて。ここでもネタで拾ってもらったわけじゃないんです。 ──所属になってからは、どう過ごされてたんですか。 しんいち 相変わらず手伝いばっかりでしたよ。舞台出ても10カ月連続最下位とかで。そんなんでネタが弱いから、ずっとサンドウィッチマンさんのツアーの手伝いしてました。芸人をクビにならんためだけに動いてた日々ですね。ツアーの手伝いして、先輩にかわいがってもらっとけばクビにならんしって。ただただ、ずる賢かったですね。 ──でも、そうまでして芸人にこだわった。 しんいち たぶんほかにやりたいことなかっただけなんです。ほんと怠け者で、コンビニも居酒屋もラーメン屋も、どのバイトも1カ月と続かない。唯一続いたのがフットサル場のスタッフですから、ほんとに好きなことしかできない人間なんですよね。 ──結果が出せないのに、お笑いを続けるのは苦しくなかったですか? しんいち つらさはなかったっすねぇ。自分は天才みたいな感じで自信だけはあったんで。まだそんときは、自分は地元であんだけおもろいねんから絶対大丈夫やって。地元帰っても、みんなのこと笑かすから「なんでこんなおもろいのにテレビ出れへんの?」って感じでしたし。あと、北陽高校の先輩にピースの又吉(直樹)さんとか、アイロンヘッドのナポリさんとかいて「先輩ががんばってる!」みたいなのも支えになってましたね。 とはいえ、ネタ見せでも全然結果は出ないし、恥ずかしさはありました。テレビに出る人気者タイプでもなければ、芸人ウケがあるわけでもない。でもまあ、売れずともいっかって不思議と生きてられましたね。 それで2015年ごろかな、ギターを持って歌うようになって状況が変わったんですよね。 お見送り芸人しんいち 1985年4月21日、大阪府大東市出身のピン芸人。2009年10月、大阪松竹でコンビ「しんいちけんぢ」としてデビュー。2012年3月に退社後まもなくコンビ解散。約2年半の活動停止期間を経て、2014年10月にグレープカンパニー所属後はピンとして活動。芸歴10年以内のピン芸人ナンバーワンを決める『R-1グランプリ2022』で、自身ラストイヤーにして初のファイナリストとして出場し、見事優勝した。YouTubeチャンネル『お見送り芸人しんいちの『嫌われ者』』で、ネタや企画動画を随時アップしている。 文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 R-1王者・お見送り芸人しんいちの生き様「消えるときは消えるし、全部楽しむだけ」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#11(後編)
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撮り下ろし写真を、月曜〜金曜日に1枚ずつ公開
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志田こはく(Daily logirl #258)志田こはく(しだ・こはく)2004年5月25日生まれ。埼玉県出身 Instagram:shida_kohaku X:@shida_kohaku 撮影=青山裕企 ヘアメイク=高良まどか 編集協力=千葉由知(ribelo visualworks) 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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木下 恵(Daily logirl #257)木下 恵(きのした・けい)2004年12月6日生まれ。東京都出身 Instagram:kei.muxia63 X:@kei_kinoshi 撮影=石垣星児 ヘアメイク=ACO 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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畠中夢叶(Daily logirl #256)畠中夢叶(はたなか・ゆめか)2005年8月13日生まれ。大阪府出身 Instagram:yumeka_hatanaka X:@yumeka_hatanaka TikTok:yumeka_yumety_813 撮影=NAITO ヘアメイク=爽来 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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NMB48安部若菜が卒業後に見据える新たな景色──「文章での、かっこいい姿を見せられたら…」安部若菜(あべ・わかな) 2018年、『第3回AKB48グループドラフト会議』でNMB48チームNに指名され、ドラフト3期生として加入。2020年1月に正規メンバーへ昇格し、同年11月発売の24thシングル『恋なんかNo thank you!』で初選抜入りを果たす。グループでの活動と並行して小説を執筆し、2022年に処女作『アイドル失格』(KADOKAWA)で小説家デビュー。以降『私の居場所はここじゃない』(KADOKAWA/2024年)、『描いた未来に君はいない』(KADOKAWA/2026年)を発表するなど、執筆活動でも高い評価を得てきた。また落語を趣味とし、上方落語の定席・天満天神繁昌亭でも高座に上がるなど、多彩な一面を持つ。2026年3月に卒業を発表し、自身の25歳の誕生日となる7月18日、大阪・Zepp Osaka Baysideで卒業コンサート『そして最後のページには』を開催。約8年半にわたるアイドル活動に区切りをつけ、新たな一歩を踏み出すことに。 目次卒業を目前に控えて(取材日:7月12日)アイドル・安部若菜として、やり残さないためにファンへ届けたい想い小説家・安部若菜が描くもの「ご飯」をめぐってNMB48でのターニングポイント落語との出会い落語・浪曲番組『WAGEI』の公開収録卒業後に叶えたい夢 卒業を目前に控えて(取材日:7月12日) ──まもなく卒業ということで、今の率直な気持ちを伺いたいと思います。 安部 もう緊張してきていますね、卒業に。8年半……高校1年生のころからずっとNMB48にいたので、NMB48じゃない自分がまだ想像できなくて。ちょっとドキドキ……不安も。 ──8年半前だと…… 安部 16歳のときに入りました。 ──その16歳のときには、今のこの卒業するイメージは、まったく描いてないですよね? 安部 全然できてなかったですね。16歳のときに思い描いてたよりもずっといいかたちで卒業できるなあと思います。 ──卒業のタイミングは決めていらっしゃったんですか? 安部 気づいたらこのタイミングになってたっていうのが一番なんですけど。ずっと卒業というのは頭の片隅に常にありつつ、でも先輩を全員見送るまではNMB48にいようと思っていて。去年の12月に自分より上の方が全員卒業されて、自分も旅立てるぞっていう覚悟が決まりました(笑)。 ──ちょうど誕生日ですよね。 安部 卒業コンサートが誕生日当日になったのは、本当にたまたまで。夏ぐらいに卒業したいとは伝えていて……まさか25歳の誕生日に卒コンできるなんて、もうこんな幸せなことはないなぁって思いました。 アイドル・安部若菜として、やり残さないために ──その卒業までは間もなくですけど、この間に、アイドル・安部若菜としてやっておきたいことはありますか? 安部 そうですね。ステージで歌って踊ってというのが、本当にあと1、2回になってくるのでそれを思う存分やっていきたいなと思っていて。今までは、そこまでアイドルらしいツインテールとかをしないタイプだったんですけど、最近急にそういうことをやっておこうと思って、かわいい方向に、ここへ来て急に走り始めました(笑)。 ──(卒コンの)衣装は決めていらっしゃるんですか? 安部 卒業コンサートの衣装……一番最後に着る衣装とか、全部決めていて。そこでドレスをその人に合わせて作ってもらえるんですけど、ずっと憧れていて……それを作ってもらえる人になりたいと思っていたので。 ──初めての…… 安部 初めてですね。生地からオーダーメイドで、こんな形にしたいみたいなのを伝えて作ってもらえるので、本当に幸せだなぁって思います。 ──8年半の中で、もうちょっとやっておけばよかったみたいな、これはやりたかったなみたいなことってあったりします? 安部 けっこうありますね。もっとできたかもと思うことはあったり。そうだな、ステージのことですね。もっとかわいいことをやっておけばよかったなって(笑)。わりとあざとくないタイプで、ファンの方に向けてかわいいことを言ったりとか……まあまあしてこなかったので。もうちょっとやっとけばよかったなって、ちょっとだけ後悔しています。 ファンへ届けたい想い ──なるほど、卒業するにあたって、ファンにどんなことを届けたいですか? 安部 最後をめっちゃいい思い出として終わることで、ファンの人が一生忘れられないような人になれたらいいなと思いますね。推し活とかをしていると、気持ちの波もあったりして、数年経つと、あのころ好きやったなぁっていう思い出になると思うんですけど、すごく楽しかったなぁという思い出で埋め尽くされたらいいなと思いますね。 ──ブログでも書いてましたけど、ファンの方に対する安部さんの想いって、なかなか伝えられないじゃないですか。安部さんは待っている一方で、ファンは好きなときに来られるという。今後は、どんな安部さんを見てほしいですか? 安部 NMB48にいるときも小説を書いたりしたんですけど、今後はそれをもっとがんばっていきたいなと思っているので。やっぱりアイドルをしていると、明るくてキラキラした面をステージで見せることが多かったんですけど、そうじゃない、文章でのかっこいい姿を見せられたらいいなと思っています。 小説家・安部若菜が描くもの ──安部さんが書かれた小説を読んでいて……アイドルをやっている方が書かれた小説って、なんとなくラノベ調の作品とかが多い気がするんですけど、安部さんの小説は、そうじゃないのが本当にすごいなと。 安部 ありがとうございます。うれしいです。 ──3作のうち、もちろんご自分を投影しているわけじゃないんでしょうけど、最初は女性目線で書いていらっしゃって。ただ(男性目線での)最新作は、どういう感じで書かれたんですか? 安部 はい、でもそれも意識していて。最初はアイドルのことをテーマにした『アイドル失格』という小説から始まって、ちょっとずつ遠ざけていきたいなぁっていうのがあって。3作目の『描いた未来に君はいない』というのが、ひとりの視点でずっと書いてみようというのから書き始めて、結果そうなりました。 ──(語りの)性別が男性というと、想像するのは大変だったりしました? 安部 そうですね、でも小説を書くときって、自分と近くない人のほうが書きやすくて。意外とすらすら書けて。アイドルの役を書いてるときって、自分だったらどうかな?みたいなことを考えるので、自分自身をまず言語化しないといけなくて。そっちのほうが時間がかかります。 ──リアリティラインが…… 安部 そうですね。自分とキャラを分離させるのが難しかったりするので、逆に想像で書くほうがスラスラ書けはしますね。 ──実際、普段もモノを書くというか……小説以外にも何かを書いたりということは多いんですか? 安部 多いですね。それこそ日記を毎日書いていたりとか、とにかく昔から気持ちをノートに書いたりっていうのは、ずっとしていて。作文とかが大好きでした。 ──もう何回も聞かれているかもしれないですけど、好きな作家さんはいらっしゃいますか? 安部 好きな作家さんは……湊かなえさんが、いろいろな本を読むようになったきっかけで。あとは凪良ゆうさんも大好きです。 ──じゃあ、そのうちミステリーとかも。 安部 書いてみたいですね。 ──ちなみに、次はどんなものを書きたいとかってありますか? 安部 次の小説も書き始めていて……ご飯にまつわるお話にしようと。 「ご飯」をめぐって ──ご飯というと……昔は好き嫌いが、ぬか漬け、きゅうりがダメだったんですよね。 安部 そうなんです。ぬか漬けがダメでした。 ──カブとかやると、おいしいですよ(笑)。 安部 おいしいですか? やってみます。 ──カブの実じゃなく、葉っぱのほう…… 安部 へえー。あのぬか漬けができるんですね。ちょっとやってみます(笑)。 ──あと、白米がダメというのが(ブログに)あったので、お弁当とかは今まで大丈夫だったのかなと…… 安部 そうなんです。私は白ご飯が昔から食べられなくて。高校生ぐらいのときに克服したんですけど。 ──すごい! それまでは? 安部 それまでは、おかずがないとダメで。 ──おかずがあれば大丈夫。 安部 ご飯に合うものが。鮭とかがあれば、食べられるんですけど。 ──味がついているご飯とかもあるじゃないですか。ああいうのは大丈夫? 安部 ああいうのはいけるんですけど。 ──日の丸弁当とか。のり弁とかもダメ? 安部 のり弁はのりがあればいいので(笑)。梅干し1個だと、ちょっと足りないなぁって。でも今は白米だけでも。 NMB48でのターニングポイント ──NMB48の活動の話に少し戻りますが、この瞬間がターニングポイントだったなというのは何になります? 安部 そうですね……どれがいいかな。あ! NMB48の中で『NAMBATTLE』というファンの投票でシングルのメンバーを決めるイベントが2022年にあって。そのときに私、4位をいただいたんですけど、それがうれしくて。自信がつくきっかけになった出来事だなと思います。 ──なるほど、楽曲でいうと、一番印象に残っている曲は何になります? 安部 吉田あかりさんが卒業するときの「恋なんかNo thank you!」が、初めて選抜に選んでもらった曲で。それはやっぱり思い出の曲ですね。 ──初選抜に選ばれたときはどうでした? 安部 いやぁーようやくかって思いましたね。まだかまだかという気持ちだったので。 落語との出会い ──ほかに活動の中で、印象に残っていることはありますか? 安部 そうですね、たくさんあるんですけど……落語をしたことですかね。NMB48に入って、半年ぐらいのときに落語をひとりですることになって。それまでひとりでステージに立ったこともないなかで、初めてのひとり舞台が落語だったので(笑)。それはやっぱりNMB48の活動の中でも、すごく記憶に残っていますね。 ──落語をやるきっかけはなんだったんですか? 安部 NMB48に入る前から落語が好きで……入ってからも「趣味・落語」と書いていたら、マネージャーさんが「落語をやってみるとか、どう?」と。私も自分で演じるというのは考えたことがなかったんですけど……やってみます!というのが始まり。 ──練習は、けっこうされたんですか? 安部 練習はもう自主練という感じだったので……一度だけ、吉本の落語家さんの桂三金さんに来ていただいて見てもらってだったんですけど、本当にまだ何もわからずで。いろいろDVDとかを借りてきて覚えたりもして。 ──所作とか、DVDを見ながら…… 安部 そうですね。 ──あっちこっちを向いたりしながら、人物を振り分けないといけないですもんね。 安部 はい。 ──実際に高座に上がって、人前で披露してみてどうでした? 安部 直前まで不安すぎて号泣していたんですけど。でもいざ始まってみたら、本当に温かく見守ってくれて、けっこう笑ったりもしてくださったので……人に笑ってもらうっていうのも初めてのことだったので、楽しかったですね、いざやってみたら。 ──そのときにやられた演目は? 安部 『鶴』と『桃太郎』をやりました。 ──おぉ。実際にやってからは、落語を見る目も変わりましたか? 安部 やっぱり変わりますね。いざ自分でやってみたら、より尊敬の気持ちが大きくなって。それこそ私は二席覚えるのでも必死だったんですけど、落語家さんって、その日の流れとかを見て、話を決めたりするじゃないですか。そんな直前に決めて、あんなに長い噺を急にできるんやっていうのが、何回観ても不思議ですね。 ──すごいですよね。でも安部さんも『金明竹』とか『平林』とか、いっぱいやりましたよね。 安部 5つくらい覚えましたね。 ──じゃあ卒業コンサートでも! 安部 (笑)。 ──繁昌亭での雰囲気は、NMB劇場とは違いますか? 安部 違いますね。やっぱり緊張しますね。普段、自分が観に行っている場所の高座に上がれるというのが恐れ多くて……本当に気が引きしまりました。 ──お客さんも全然違いますもんね。 安部 それこそ繁昌亭とか、落語好きの方が集まる前で落語をさせてもらうことも何回かあったんですけど、できるだけ孫みたいな顔をして、孫ががんばっているから的な感じで見てもらえるように無邪気な顔でやっていました(笑)。 落語・浪曲番組『WAGEI』の公開収録 卒業コンサート後の7月29日、安部さんが出演する落語・浪曲イベント『WAGEI』の公開収録が行われる。テーマは「恋」、会場は日暮里サニーホール。 ──今回の『WAGEI』イベントのテーマが「恋」。恋をテーマにして、噺家のみなさんにネタを考えてもらっていて……安部さんも一席、どうですか? 安部 恋か……全然ネタがないですね(笑)。 ──以前『WAGEI』に出ていただいたときは、たしか『アイドル失格』をテーマにしたネタをやってもらったんですよね。カンペありで、覚えていますか? 安部 んー、どうでしたっけ? ──浪曲風で作ってもらって。直前で玉川太福さんにいろいろ教わって。でも、今回は難しいですよね……? 安部 そうですね、どうしよう……。 ──ちなみに、今回の『WAGEI』イベントのゲスト出演者とは、みなさん初めてになります? 安部 お会いしたことはないかな……。 ──ネタを聞いたことは? 安部 えーっと……たぶん聞いているような。 ──玉川太福さん、立川吉笑さん……ソーゾーシーは全員? 安部 えーと……はい、たぶんほとんど。林家つる子さんと鈴々舎美馬さんも、別の落語の番組でお会いしたことがあります。 ──寄席じゃなくて、普通の番組で共演してネタを観たんですね。 安部 はい、ネタも観ました。 ──ということは、ほぼ全員のネタをご覧になってる。 安部 はい。でも立川吉笑さんの「恋」はあんまり想像できないです。おもしろそうですね。 ──プルプル……言いながら(笑)。 安部 あまり「恋」のイメージがないので。 ──瀧川鯉八さんは? 安部 瀧川鯉八さんとは共演したことないです。 ──鯉八さんは基本、オリジナルなネタで。その世界観もぶっ飛んでいて、よくわからないこととかもあるんですけど……枕を10分ぐらいやって、ネタはもう4、5分とか。イベントでは「恋」に関するネタとか恋に関するトークとか、みんなでできればなあと思っているので。 安部 いいですね! 恋バナですね。 ──その中で、この安部さんの最新作に関する話もしていただけたらな、と。 安部 ありがとうございます。もう卒業も近いので、なんでも話せます(笑)。 ──ギリギリのラインでお願いします(笑)。今まで3回『WAGEI』の番組にご出演いただいていて……安部さん的にはどんな感じですか? 安部 落語が好きだったんですけど、『WAGEI』で浪曲とかにも初めて触れたりしたのが、すごく印象的で。“話芸“という、ちょっと大きなくくりなのが、すごく素敵だなと思っていて。 ──浪曲を披露していただきましたよね。 安部 はい。難しかったですね。 ──玉川太福さんが、いろいろと教えてくれて。あと落語も上方だと違うじゃないですか。 安部 そうですね。私自身は、大阪で上方落語をやってる方と一緒になることが多いので。『WAGEI』だと江戸落語のみなさんの噺を聞けるのも、すごく楽しいです。 ──安部さんは、新作落語と古典落語と、どっちが好きとかあります? 安部 古典からの入りなんですけど新作もおもしろいですよね。どっちも大好きです。 ──普段、創作活動なさってますしね。 安部 そうですね。 ──今後も話せるネタを増やしていく方向で…… 安部 やりたいなと思いますね。それこそずっと創作落語にも興味があるんですけど、なかなか。 ──たしかにネタをイチから作るって、わからないですよね。 安部 まだまったくわからないですね。だから本当にすごいなあと。 ──NMB48のメンバーの中に、落語が好きな方って、ほかにもいたりするんですか? 安部 落語はいないですね。でもお笑いを一緒に観に行くことはあって。なんばグランド花月とかに行ったら、漫才の中に落語家さんも出られたりしていて、そこで初めてメンバーが落語を観て、横でめっちゃ笑ったりしてたら勝手に「よしっ!」と思いますね(笑)。うれしくなります。 ──寄席へは最近、行かれたりしています? 安部 最近は、本当にたまになんですけど。 ──東京だと、なかなかスケジュール的に難しいですよね。 安部 そうなんです。東京で行けることがなかなかないので……卒業して、時間に余裕ができるので、いろんな寄席へ行ってみたいですね。 卒業後に叶えたい夢 ──実際、卒業したら時間もできるし、一番やってみたいことはなんですか? 安部 旅に出たいです。 ──旅! 具体的にどことかあります? 安部 行きたいのはそうですね……世界に羽ばたきたいです! NMB48にいると旅行に行ける機会がなかったので。1泊以上という旅をしたことがなくて。ヨーロッパとかへ行きたいです。 ──なるほど。ヨーロッパで特にこの国に行ってみたいとかは…… 安部 イタリア、ローマ。“ローマの休日“したいですね。 ──(笑)。あと……旅行以外でも、安部さん、たくさん趣味があるじゃないですか。たとえば、その中で何か…… 安部 今、いろいろな趣味があるんですけど、逆により増やしてみたいなと思っていて。習い事を始めたいなと。 ──たとえば? 安部 たとえば……あ! ポールダンス。 ──すごい! 文化系かと思いきや! 安部 一回、ロケでポールダンスを……この間やってみたら、運動したいなーと(笑)。 ──運動系は自信があるんですか? 安部 はい、運動系はわりと。中学時代は陸上部で運動をしていたし、NMB48でも踊ったりというのがあったので。逆に(卒業すると)運動が一番なくなっちゃうので、動きたいなあと。 ──運動を、ポールダンスで埋めていく……もしかしたらポールダンス小説も。(ポールダンスの)マンガはあるじゃないですか。 安部 小説は、まだないかもしれない。 ──最後にlogirl読者へメッセージをいただければと。 安部 はい。私はあと1、2週間でNMB48を卒業するんですけど、趣味の落語とか、あとは小説を書いてきたこととかも含めて、より幅広い活動を好奇心旺盛にしていけたらなと思うので、これからも一緒に見守っていただけたらうれしいなと思います。 取材・文=山田ひろし、鈴木さちひろ 撮影=北野将市 『CSテレ朝チャンネル「WAGEI」特別公演 創作話芸フェス】 出演:玉川太福・春風亭昇々・立川吉笑・瀧川鯉八・玉川みね子 林家つる子・鈴々舎美馬・安部若菜(NMB48) 日時:2026年7月29日(水)18:00開場/18:30開演 会場:日暮里サニーホール・4Fホール チケット料金(全席指定):前売3,500円/当日4,000円(いずれも税込) チケット販売(チケットぴあ):Pコード542-635 詳しくは番組公式HPへ https://ex-maniacs.tv-asahi.co.jp/ch/ex_maniacs/post-64934/
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ときめきプレ写!吉川ひより&エルフ荒川の“ギャルデート”編テレ朝動画logirlで毎週金曜17時からレギュラー配信中、アイドルユニット「超ときめき♡宣伝部」の冠番組『ときめき♡プレシャス』。「おしゃれ」「かわいい」をテーマに、メンバーがときめくことをお届けしています。この記事では「ときめきプレ写!」と題して、番組の裏側の様子や、メンバー同士が撮り合ったオフショットなどを紹介していきます。今回は、6月19日から配信予定の、吉川ひよりとゲストのエルフ荒川さんの様子をご覧ください。 『ときめき♡プレシャス』 『ときめき♡プレシャス』Instagram 今回の『ときプレ』は、吉川ひよりの休日に密着! 高校生のころから通っていたという下北沢で、古着屋さんを巡ったり、お気に入りのお店を紹介したりと、普段の休日さながらの自然体なひよりんをお届けします。 2025年11月にオープンしたばかりのお店 まず訪れたのは、下北沢の人気店「ニューかかん」。以前からSNSで気になっていたという念願のお店で、名物の麻婆豆腐やメロンクリームソーダを堪能! 「ひとりごはんは苦手じゃないけど、なかなか冒険できない」と語るなど、普段のひよりんらしい飾らないトークも飛び出します。 店内はレトロでステキな雰囲気 その後は、大好きなシール屋さんへ。目を輝かせながらお気に入りを探す姿に、テンションも最高潮! さらに、ロケのちょっとしたスキマ時間には気になる古着屋さんへ。そんな自由気ままな姿にも、ひよりんらしさがたっぷり。 ところ狭しと並んだシールの前で そして、今回の最大の見どころは、人生初の「令和ギャル」変身企画! 渋谷のサロンで、普段とはまったく違うギャルメイクに挑戦。とき宣では禁止されているというカラコンにも初挑戦し、「もう目だけでギャル!」と大興奮。鏡を見るたびに、どんどんギャルマインドが芽生えていく様子は必見です。 さらに、エルフ荒川さんと合流し、SHIBUYA109へ! 荒川さんお気に入りのお店を巡りながら、荒川さんプロデュースのギャルコーデ選びがスタート。普段はあまり選ばない柄物や大胆な小物にも挑戦し、新たなひよりんの魅力が次々と引き出されていきます。 エルフ荒川さんとのコーデ開始 そして、令和ギャルに大変身したあとは、ふたりでプリントシールの撮影へ。ギャルポーズやラクガキを楽しみながら、まるで学生時代に戻ったかのように大はしゃぎ! 完成したプリクラは番組でご紹介します! いろんなポーズで撮影! ロケの締めくくりは、「クレープとエスプレッソとジェラートと」でのカフェタイム。パステルカラーに彩られたかわいらしい店内や、色とりどりのジェラート、思わず写真を撮りたくなるスイーツの数々に大興奮! ギャル姿のまま、休日の過ごし方やメンバーとの関係、プライベートでのお出かけ事情など、ここでしか聞けない本音トークが繰り広げられます。 大きなクレープを頬張りながらトーク 下北沢で見せた自然体な表情、そして令和ギャルとしての新たな一面。いつものひよりんとはひと味違う魅力がぎゅっと詰まった、ときめき満載の一日は、6月19日から配信予定の『ときめき♡プレシャス』にて!
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ときめきプレ写!坂井仁香&結那の“鎌倉デート”編テレ朝動画logirlで毎週金曜17時からレギュラー配信中、アイドルユニット「超ときめき♡宣伝部」の冠番組『ときめき♡プレシャス』。「おしゃれ」「かわいい」をテーマに、メンバーがときめくことをお届けしています。この記事では「ときめきプレ写!」と題して、番組の裏側の様子や、メンバー同士が撮り合ったオフショットなどを紹介していきます。今回は、5月29日から配信予定の「鎌倉デート」での坂井仁香と、ゲストの声優・アーティスト結那さんの様子をご覧ください。 『ときめき♡プレシャス』 『ときめき♡プレシャス』Instagram 今回の『ときプレ』は、坂井仁香が鎌倉へ! そしてなんと……番組初となるメンバー以外とのデートロケが実現! お相手は、声優・アーティストとして活躍する結那さん。 実はふたり、高校の同級生だったんです! 坂井さんの希望で韓国風の制服に身を包み、「気持ちはまだ18歳!」と笑い合いながら、鎌倉の街を巡っていきます。 制服姿も相まって、本当に放課後のような雰囲気 ロケのスタートは、鶴岡八幡宮。若宮大路を歩きながら、源頼朝が作った段葛(だんかずら)の歴史を学ぶ場面も。「歴史苦手だった〜!」「世界史? 日本史? どっち取ってたっけ?」と、学生時代そのままの空気で盛り上がるふたり。 鎌倉グルメも満喫 さらに、小町通りではプリントシールの撮影にも挑戦! 「難しすぎる!」「え、これどうやるの!?」と、最新のJK文化に大苦戦。現場にいた現役の女子高生に教わりながら、完成したシールを見て大盛り上がり!(完成したシールは番組で) まるで修学旅行のようなテンションで楽しむ姿が印象的 そしてロケ後半は、江ノ電が目の前を走る話題のお店「ヨリドコロ」へ! 稲村ヶ崎駅近くを歩きながら「SNSで見てずっと気になってた!」「江ノ電を見ながらご飯食べられるんだって!」と、到着前からテンションMAXのふたり。 江ノ電をバックに一枚 お店では、電車がすぐ横を通るロケーションに大興奮! 「近すぎる!」「こんなの初めて!」「手、振ってみる!?」と、終始大はしゃぎ。 お店の名物、ふわふわメレンゲ卵かけご飯にも挑戦! 卵白を交代しながら必死に泡立てて「メレンゲ王になる!」と大盛り上がり。 絶品料理にご満悦の坂井さん(撮影=結那) 同じく舌鼓を打つ結那さん(撮影=坂井仁香) 最後は、由比ガ浜へ。夕暮れの海をバックに、ふたりで写真を撮りまくりながら大はしゃぎ! 「エモすぎる!」「青春ドラマみたい!」と、最後まで高校時代に戻ったような時間を満喫していました。 ロケ中には、高校時代の思い出トークも続々 同級生だからこその空気がたっぷり詰まったロケになりました。普段のときプレとは少し違う、自然体すぎる坂井さんの表情にも注目です。制服姿で思い出をたどるふたりの鎌倉デートは、5月29日から配信予定の『ときめき♡プレシャス』にて!
BOY meets logirl
今注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開
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吉高志音(BOY meets logirl #068)吉高志音(よしたか・しおん)1999年7月2日生まれ、東京都出身Instagram:sion_yoshitakaX:@sionyoshitakaYouTubeドラマ『東京彼女』出演(7月号配信中)ライブ『KoN×吉高志音 THE BRIDGE』出演(2026年8月5日(水)) 撮影=Jumpei Yamada(Bright Idea) ヘアメイク=堤 紗也香 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
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西山蓮都(BOY meets logirl #067)西山蓮都(にしやま・れんと) 2009年5月4日生まれ、千葉県出身Instagram:nishiyama_rento_official X:@nishiyama_rento ドラマ『タツキ先生は甘すぎる!』(日本テレビ)岩瀬大也役で出演ドラマ『転校生ナノ』(FOD)episode6.「探しものは何ですか?」タクト役で出演 撮影=Jumpei Yamada(Bright Idea) 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
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萩原 護(BOY meets logirl #066)萩原 護(はぎわら・まもる) 2003年7月9日生まれ、東京都出身Instagram:mamoru_hagiwara ドラマ『スピナーベイト』(フジテレビ)2026年6月放送開始映画『Man』2026年9月11日公開写真展『あの人と私』(弘重GALLERY)2026年5月19日〜24日開催 撮影=Jumpei Yamada(Bright Idea) 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
focus on!ネクストガール
今まさに旬な、そして今後さらに輝いていく「ネクストガール」(女優、タレント、アーティスト等)を紹介していく、インタビュー連載
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映画『90メートル』ヒロイン・南琴奈──「もっとかわいく」演出と向き合った日々#22 南 琴奈(後編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載『focus on!ネクストガール』。 南琴奈(みなみ・ことな)。2020年、Mr.ChildrenのMVなどへの出演から芸能活動を開始。ドラマ『舞妓さんちのまかないさん』(2023年/Netflix)への出演を契機に、俳優活動も本格的に始める。以降、映画『アイスクリームフィーバー』(2023年)、『ミーツ・ザ・ワールド』(2025年)、『終点のあの子』(2026年)やドラマ『僕達はまだその星の校則を知らない』(2025年/フジテレビ)などへの出演を重ね、映画『夜勤事件 The Convenience Store』(2026年)では初主演を務める。今春公開される映画『90メートル』への出演を控えている。 インタビュー【前編】 目次“ガツガツ系”ヒロインは、アドリブもたくさん楽器、料理、陶芸──プライベートではあれこれ試したい “ガツガツ系”ヒロインは、アドリブもたくさん ──最新作の『90メートル』の話を聞かせてください。脚本をもらったときの印象はどうでしたか? 南 印象……んー、でも、すごく簡単な言葉になっちゃってイヤだな(笑)……なんだろう? ──役柄的には、普通っていうとあれですけど、さっき話されたみたいに、今回すごくキャラクターが濃いということでもないと思うんですよね。どんな感じなのかな?と思って、ストーリーを含めて。 南 そうですね……ストーリー、感動するなって思いました。 ──たしかに。クランクインをして撮影していくなかで、印象に残っている出来事はありました? 南 私は基本的に「藤村佑(たすく)」くん(山時聡真)とのふたりのお芝居か、学校のバスケ部でのお芝居だったんですけど。基本的にはふたりのシーンが多くて。山時くんも現場で言っていたんですけど「昨日はお母さんとの撮影がすごく大変で。バスケ部のシーンを楽しみにがんばったんだよね」とか。私には(それを聞いて)もう想像することしかできないから「お疲れさま」と思って。実際に(大変だったという)そのシーンを観るのを楽しみにしていました。 中川駿監督からは「ここはふたりのアドリブでやってみて」と任せてもらえることが多かったです。なので、合間にもいろいろとコミュニケーションを取ったりして……「きっとこのふたりだったらこうするんじゃないか」みたいなのを、なんとなく考えながら。考えて、でも考えすぎもせず……とにかく楽しい空気感を出せたらいいなと思って、ニコニコしていました。 ──アドリブのシーンが多いという感じですか? ふたりのシーンでは。 南 そうですね。ちゃんと台本はあるんですけど、台本にないところのセリフはもう全部、自分たちのアドリブで。そのときに思ったことを言っているんです。 ──佑くんに、きっかけを与えるような、導くようなところもある杏花さんの役柄。もし実際に佑くんのような友人がいて、南さんが接するとしたら、どうしますか? 南 そうですね、まあ、佑の出方にもよるんですけど(笑)。向こうがどれだけ心を開くか……でも私だったら杏花みたいにはガツガツ聞けないような気もして。ガツガツって言い方もあれですけど……杏花は本当に純粋な気持ちで、本当に力になりたくて、本当に気になって聞いているとは思うんですけど。私だったら、逆にいろいろと考えすぎてしまって「あ、こうやって聞かれたらイヤかな……?」とか。そんなのは聞いてもいないからわからないのに勝手に想像しちゃって、あまり聞けなそうだなというのが、リアルなところなんですけど。だから杏花はすごいなと思っていて。話を聞くことにはけっこうな責任が伴う気がするし。人の私生活とかプライベートすぎることに……。 ──わりと踏み込んでますもんね、杏花は……。 南 そうですね。だからもし私だったら、聞ける勇気があるのかなと思って。 ──佑を演じた山時さんとのシーンで、監督からのアドバイスは何かありました? 南 監督からは、ずっと明るくて楽しくて支えになってあげるような、心のよりどころになってくれるようなキャラクターでいてほしいと。意識してやっていたんですけど、いざ撮影をすると、監督が「もっとかわいく」って。「もっとかわいらしくやって」って……ムチャブリな注文をしてきて(笑)。「私、けっこうかわいくやったんだよ」と思ったり(笑)。「えー、かわいくなかったのー?」って。 ──これで満足いかないんですか?みたいなことですよね(笑)。 南 もっとあざとくやってほしいみたいな。 ──(笑)もっとあざとく……あざとキャラ。 南 はい(笑)。私はバスケ部のマネージャーをしていて、自分のおうちにはあまりお金がなくて、でもその環境に負けたくないからがんばるという、ガッツのある感じの女の子だなと思っていたので……「私、大丈夫だよ」みたいな感じの。体育会系みたいな感じのキャラクターなのかな?って、撮影に入る前にはイメージしていたんですけど、監督からは「もっとかわいく」と(笑)。なので、がんばりました。 ──じゅうぶん出ていた気はしますけど……共演者の方々との思い出はあります? 南 (一緒の撮影シーンがなかったので)菅野美穂さんと西野七瀬さんにはお会いする機会がなかったんです。山時くんと田中(偉登)くんとは、本当の高校みたいに、みんなめちゃくちゃ仲よくなって。撮影期間はけっこう短かったと思うんですけど。 バスケ部のみんなは、クランクインする前に(シーンのある)バスケの事前練習があったので、そこでもう仲よくなっちゃったんです。私は撮影から参加だったので、入る前はちょっと行きづらいかもと思っていたら、向こうからすごく話しかけてくださったりとか。みんなの明るさに助けられたな、と思いますね。 楽器、料理、陶芸──プライベートではあれこれ試したい ──今後やってみたい役柄ってあります? 南 そうですね……ちょっとまじめに答えると(笑)、今、楽器の練習をしているんですよ。練習をすると、特技が増えるじゃないですか、それが楽しい。自分がレベルアップしている気がして(笑)。 ──何か技術を身につける役ということですか? 南 そういう専門の……たとえばバイオリンだったりとか。そういう楽器って、やっぱり楽しいなと思って。私、特技がないんですよ! ──でもプロフィールを見ると……。 南 一応書いているんです(笑)。 ──でも、書道4段とかすごいじゃないですか。 南 (小声で)一応書いてるだけで……今できる特技が欲しいなと思っていて。 ──今、一番身につけたい特技はなんですか? 南 え、錠剤……錠剤をうまく飲むこと!(笑) 私、錠剤を飲むのが下手すぎて。もうすっごい下手で。 ──でもいますよね、たしかに。錠剤をうまく飲めない人って。 南 一回……こう(錠剤を)口に入れても、うわって吐いちゃうんですよ。そうすると、水に浸った錠剤をまた飲まなきゃいけないから(笑)。もうちょっとスマートに飲めるようになりたいですよね。 ──(笑)プライベートなこともお伺いしたんですけど、最近ハマっていることは何かあります? 南 そうですね。スープの素を組み合わせて……何かおいしいものができるか、みたいな。いろいろな種類のスープを買って、今日はこれとこれを混ぜてみよう、って。 ──(笑)それはもう……ガチャ的な感じ。 南 今日の気分はこれとこれだから!って。 ──今まで、一番イケていたのは? 南 もずくと、玉子スープですかね。 ──意外と王道な(笑)……普通に合いそうな感じ。 南 じゃあなしで(笑)。そうですねー、最近は自炊をしようかなと思って。そぼろ丼とかも作りました。 ──料理教室で最初に作るやつ……。 南 えー(笑)、でもちょっと興味が出てきていますね、料理に。 ──なるほど、では料理で。逆に今までで、すごくハマりましたみたいなものは……。 南 陶芸にハマっていたんです。花瓶をよく作っていたんですけど、最後に作った花瓶が自分の思ったようにはいかなくて、そこでやめちゃいました。 ──陶芸を始めたきっかけって、なんですか? 南 きっかけは……友達が誘ってくれて。やったことないし、やりたいなと思って。 ──なるほど。それでは最後の質問ですが、今後やってみたいお仕事はありますか? 南 ……なんだろう。それって、本当に来ちゃうかもしれないですもんね(笑)。 ──可能性はあります(笑)。 南 海外にいっぱい行きたいです。いろいろなところに。 ──海外ロケ! どのあたりに行きたいですか? 南 ちょっと過酷なのはイヤですけどね。でも……自分では選ばなそうなところ。んー、国名はパッと出てこないんですけど……そうですね、過酷でもやります!(笑) 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=Kanako(TRON) スタイリスト=池田ミレイ 編集協力=千葉由知(ribelo visualworks) 編集=中野 潤 ************ 南 琴奈(みなみ・ことな) 2006年6月20日生まれ。埼玉県出身。2020年、Mr.ChildrenのMVなどへの出演から本格的に芸能活動をスタート。以降、俳優としてドラマ『舞妓さんちのまかないさん』(2023年/Netflix)や映画『アイスクリームフィーバー』(2023年)、『ミーツ・ザ・ワールド』(2025年)、『終点のあの子』(2026年)、ドラマ『僕達はまだその星の校則を知らない』(2025年/フジテレビ)などに出演。映画『夜勤事件 The Convenience Store』(2026年)では初主演を務める。今春公開される映画『90メートル』では、主人公「藤村佑」の同級生でもあるバスケ部のマネージャー「松田杏花」を演じている。
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新進俳優・南琴奈──“自分との共通点”を見つける役づくり#22 南 琴奈(前編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 南琴奈(みなみ・ことな)。2020年、Mr.ChildrenのMVなどへの出演から芸能活動を開始。ドラマ『舞妓さんちのまかないさん』(2023年/Netflix)への出演を契機に、俳優活動も本格的に始める。以降、映画『アイスクリームフィーバー』(2023年)、『ミーツ・ザ・ワールド』(2025年)、『終点のあの子』(2026年)やドラマ『僕達はまだその星の校則を知らない』(2025年/フジテレビ)などへの出演を重ね、映画『夜勤事件 The Convenience Store』(2026年)では初主演を務める。今春公開される映画『90メートル』への出演を控えている。 目次原宿でスカウトされ「本当にあるんだ!こういうの」「初主演のホラー作品は……終始不安でした」 原宿でスカウトされ「本当にあるんだ!こういうの」 ──この業界に入ったきっかけから、お聞かせいただけますか? 南 きっかけは……母と原宿に初めて遊びに行ったときに、今の事務所の方に声をかけていただいたことで。そこから、という感じです。 ──声をかけられて「わ。なんか、話が来た」みたいな感じですか? 南 「え……本当にあるんだ!こういうの」って思って。初めて原宿に行ったから、すごくキョロキョロしながら歩いていたら声をかけていただいて……「本当かな?」って(笑)。 ──声をかけられた時点で、すぐにやってみたいと? 南 すぐにではないですけど、家へ帰ってから、お母さんやお父さんといろいろ話して。最後は「楽しそうだからやってみれば?」と、お母さんが言ってくれました。 ──なるほど。事務所に入って、最初にした仕事は覚えてます? 南 最初にした仕事……最初にしたのは、着物のカタログのモデルですね。 ──その仕事をしたとき、どうでした? 南 最後は「楽しかったな」と思って帰った記憶はあるんですけど、最初のほうは、とりあえず全力で笑顔を作ることに徹してました。 ──それをきっかけに、いろいろな仕事をやって……その後、最初に“演技的なこと”をしたのは何になります? 南 演技は……ミュージックビデオですね。1週間ぐらい撮影をしたMr.Childrenさんのミュージックビデオ、14歳ぐらいのときなんですけど。このとき初めて、お母さんの元を離れて、ひとりで仕事に行って。セリフはなかったんですけど、感情を出す演技というか、そういうのを監督から初めて教えてもらった仕事だったので、印象的です。 ──やってみて、実際どうでした? 南 やってみて……難しかったし、恥ずかしかったですね、やっぱり。 ──セリフがある演技経験は、何になりますか? 南 是枝裕和監督のドラマ『舞妓さんちのまかないさん』ですかね。 ──どうでした? 南 楽しかったんですけど、撮影していたタイミングがコロナ禍ということもあって、ひとりの時間が多かったんです。ホテルへ帰ったあととか……撮影所とホテルを行ったり来たりするだけで「ちょっとひとりじゃ心細いな」というのもありつつ。それに、先輩の俳優さんたちと初めて実際にお芝居ができるという状況にも戸惑いながら……。中学生だったんですけど、幼いながらも「贅沢だなあ」と思って。 ──共演した俳優さんたちと話したりとか……。 南 話しましたね。女性のキャストの方が多かったので……実際にお母さんとかお姉ちゃんみたいな感じで接してくださって。松坂慶子さんとか、いつもニコニコ現場で温かく話しかけてくださって、すごく安心したのを覚えています。 ──そのあたりから、俳優の仕事も意識し始めた感じですか? 南 ん……いや、まだ、まったくです。 ──なるほど。俳優として仕事をしているという実感が出てきたのって、どのあたりの作品になります? 南 えー……なんだろう……(マネージャーに向かって)どのあたりだと思います!? 自分じゃ本当にわからなくて……(笑)。 ──自然と……なんですかね。実際に『舞妓さんちのまかないさん』での自分の演技を観たときの印象はどうでしたか? 南 そうですね。がんばって撮影したのが完成したな、という。キャリアとして「よし、積み上げていけたぞ!」というよりは「完成したんだ! よかった! すごいな!」みたいな。まだ自分のことと思っていないところもあったのかなとも思います。 「初主演のホラー作品は……終始不安でした」 ──その後、いろいろな作品をやっていく中で、一番印象に残っている作品って何になります? 南 一番印象に残っているのは……やっぱり『ミーツ・ザ・ワールド』ですかね。 ──それは役柄的に? それとも撮影が?みたいなことですか。 南 どちらもそうなんですけど、それこそ本当に、演じていること自体が、自分がやっているように思えなくて……撮影している間もすごく不思議で。自然にその現場へ行ってお芝居をして、普通に話して、ご飯を食べて帰るということ自体が、すごく不思議な感覚で楽しかったです。なんとなく、あまり現実味がなかった気がします。 ──演じている感覚が強かったんですかね。その『ミーツ・ザ・ワールド』も含めて、今まで演じてきたキャラクターで、一番素の自分に近いなと感じる作品は……。 南 一番自分に近い……そうですね、んー。 ──たとえば、『僕達はまだその星の校則を知らない』とか『ミーツ・ザ・ワールド』、それこそ『終点のあの子』や、もちろん『90メートル』もそうですけど……『夜勤事件』もそうかな? それぞれの作品で、あまりにも演じているキャラクターが違うじゃないですか。パッと見ると、本当に……カメレオン俳優とまではいわないんですけど、幅の広い役柄を演じているなと思っていて。 南 そうですね。私は、人としてちょっと汚いところというか……あまり人に見せたくないものが自分と似ているほうが「自分と近しいかな」と思っていて。そういう部分でいったら、やっぱり『終点のあの子』の「菊池恭子」なのかな、と。 ──なるほど。逆に、一番遠いのは『ミーツ・ザ・ワールド』? 南 『ミーツ・ザ・ワールド』も、ちょっとずつは共感できるというか、理解できるところがあるキャラクターかなとは思うんですけど。そこまで自分とかけ離れているなというキャラクターはあまりないかも……あ、一番遠いのは『夜勤事件』じゃないですかね(笑)。 ──初めて主演をした作品。その『夜勤事件』で、ホラーをやってみてどうでした? 南 やった感想は……もうやらないです!(笑) 今回、初めてホラーをやってみて「やってよかったな」と、すごく思うんですけど。ホラーのお芝居で、私、これ以上引き出せるものがあるのかな?と思うぐらいの経験だったので。監督に言われたことを必死にひとつずつやっていくという感じだったので……撮影では自分の中のボキャブラリーというか、そういうのがなさすぎて。終始不安だったんですよね、もう。 ──「もうやらないです」は、ホラーとしては、ある意味、最高の誉め言葉ですよね。その撮影時に、何かホラー的なことってあったりしました? 南 ホラーの撮影では、よくあるじゃないですか、現場でのお祓(はら)いが。今回、私たち役者陣はお祓いがなくて。監督やスタッフさんはやったらしいんですけど。だから、なんとなくすごく不安で。いつもホテルへ入る前には、スタッフさんに塩を振ってもらっていたんですけど、そのおかげか何もなく終えることができたと思います(笑)。 ──なるほど。撮影時に役づくりとして、自分で何か意識してやってることってあります? 南 作品ごとに違うんですけど……私、今までは、がっつりキャラクターがある役をあまりやったことがなくて。すごく個性の強いキャラクターとかを演じたことがないんですよね。自分とかけ離れすぎているキャラクターを演じることはあまりないので……どこかしらはちょっと共通しているところがあるから、まずはそこを見つけて。こういう気持ちになったんじゃないかな?とか、想像力をふくらませて、あとはもう、監督に全部聞きます。わからないまま現場に入るのは、失礼かなと思うし。 ──たとえば原作モノ、『ミーツ・ザ・ワールド』(金原ひとみ)とか……それこそ『終点のあの子』(柚月麻子)もそうですけど、原作がある作品をやるときは、事前に原作を読んでから入ります? それとも読まずに……。 南 必ず読みます。 ──そのほうが入りやすい? 南 はい。入りやすいです。 ──原作がない作品だと、監督にもうとにかく聞く? 南 そうですね。わからないことは、がっつり聞きます! 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=Kanako(TRON) スタイリスト=池田ミレイ 編集協力=千葉由知(ribelo visualworks) 編集=中野 潤 ************ 南 琴奈(みなみ・ことな) 2006年6月20日生まれ。埼玉県出身。2020年、Mr.ChildrenのMVなどへの出演から本格的に芸能活動をスタート。以降、俳優としてドラマ『舞妓さんちのまかないさん』(2023年/Netflix)や映画『アイスクリームフィーバー』(2023年)、『ミーツ・ザ・ワールド』(2025年)、『終点のあの子』(2026年)、ドラマ『僕達はまだその星の校則を知らない』(2025年/フジテレビ)などに出演。映画『夜勤事件 The Convenience Store』(2026年)では初主演を務める。今春公開される映画『90メートル』では、主人公「藤村佑(たすく)」の同級生でもあるバスケ部のマネージャー「松田杏花」を演じている。 【インタビュー後編】
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休日にはあえてグルテンを摂取!──女優・鳴海唯の「チートデイ」#21 鳴海 唯(後編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 鳴海唯(なるみ・ゆい)。2019年、NHK連続テレビ小説『なつぞら』で、テレビドラマ初出演を果たす。2021年『偽りのないhappy end』で映画初主演。その後、大河ドラマ『どうする家康』(2023年・NHK)、ドラマ『Eye Love You』(2024年・TBS)、映画『赤羽骨子のボディーガード』(2024年)、ドラマ『七夕の国』(2024年・ディズニープラス)などへの出演を重ね、今夏、NHK連続テレビ小説『あんぱん』に、今田美桜演じる「若松のぶ」の同僚「琴子」役として出演。 インタビュー【前編】 目次余命宣告を受けた女性、感情を吐き出すシーン──難しい役に直面する日々休日にはあえてグルテンを摂取! ひとり旅にも行きたい刑事や弁護士、特殊な職業を演じてみたい 余命宣告を受けた女性、感情を吐き出すシーン──難しい役に直面する日々 ──これまでいろいろな作品に出演されてきたと思いますが、その中で特に印象に残っているものはなんですか? 鳴海 最近だと、やっぱり『あんぱん』が一番ホットですね。でも、印象に残っているという意味では、『わかっていても The Shapes of Love』(2024年/ABEMA)という、横浜流星さん主演のドラマですね。その作品で私は、余命宣告を受けた女性の役を演じさせていただいたんです。 その役は、必然的に命と向き合わなければならないキャラクターだったので、演じる上で本当にたくさんのことを考えましたし、それを経験したことが自分の中ではすごく大きな糧になっていて……。 もちろん私自身は実際に余命宣告を受けたことはないので、どこまでいっても埋められない差はあるんですけど、だからこそ、その中で「どう向き合っていくか」という難しさに直面しました。この経験を通じて、私自身、役への向き合い方が大きく変わったと思います。だから『わかっていても』は、すごく印象深い作品ですね。 ──そういう壁にぶつかったときは、どう乗り越えていくんですか? 鳴海 自分の人生と全然違う役柄に出会うと、やっぱりすごく難しいなって思いますし、「どうすればいいんだろう」って悩みます。でも、その壁を乗り越えたときに、またひとつ自分が成長できたような気がするんですよね。 だから、自分が取り組みやすい、演じやすい役ばかりじゃなくて、苦手意識のあるキャラクターにも、どんどん挑戦していきたいなと思っています。 ──なるほど。その意味では、先日、NHKで放送された村上春樹さん原作のドラマ『地震のあとで』(第2話「アイロンのある風景」)に出演されましたよね。あれは難しい作品だったと思いますが、どうでした? 鳴海 役がすごく難しくて、ずっと悩んでいました。撮影が終わっても、「これでよかったのかな」と、思い続けていました。 もちろん、正解がない作品だと思うので、正解を求めること自体が違うのかもしれないんですけど……どうしても正解を求めてしまう自分がいて。放送を終えて、視聴者の方から感想をいただいたときに初めて、「わからないままでいいのかもしれない」と思えたんです。 正解が出ないなかで悩み続けることって、その作品とひたすら向き合っている証拠だと思うので、正解が出るかどうかじゃなく、向き合っていた“時間”のほうが大事なんだなと……そういうことを視聴者の方々の感想から教えてもらいました。 ──堤真一さんと共演されていましたが、現場でお話はされましたか? 鳴海 はい。私が演じたキャラクターは、けっこう感情を吐き出すようなシーンがあって、そのときは堤さんが本当に静かに寄り添ってくださいました。監督ともアプローチについて話しながら撮影に臨んでいたんですけど……堤さんは細かくお芝居について話すというよりは、すごく自然に気持ちを引き出してもらえるような関わり方をしてくださって。 実は私、小学生のころから「好きな俳優さんは誰ですか?」と聞かれたら「堤真一さんです」と言っていたくらい、ずっと憧れていたんです。しかも堤さんは私と同じ兵庫県西宮市の出身で地元のスターでもあるので、いつか共演できたら……と思っていた夢が今回実現しました。 撮影中は悩む時間もありましたけど、堤さんとは地元トークで盛り上がったりして……「あそこの公園わかる!」みたいなお話もできたんです。東京にいるのに、地元にいるような感覚でお話しできて、とても楽しかったです。お芝居の面でも、本当にたくさん引っ張っていただきました。 休日にはあえてグルテンを摂取! ひとり旅にも行きたい ──地元トークができるのっていいですよね。ところで、少し仕事からは離れますが、最近ハマっていることや気になっていることってありますか? 鳴海 最近ハマっているのは、休みの日に「あえてグルテンを摂取しに行く」ことなんです(笑)。今、普段はグルテンフリーをゆるくやっているんですけど、完全に摂らないでい続けるというのは無理なので、次の日に撮影がないときは「今日は小麦を摂るぞ!」って決めて、気になるパン屋さんを調べて行くんです。 今はそれがすごく楽しみで……パン屋さんまで散歩して、近くのカフェでカフェラテを買って、公園で座ってのんびりするというのが最近のリフレッシュ方法ですね。ひとりでパンを食べたり、トンカツを食べたり……そういうのが今のささやかな楽しみです。(小麦を)ごほうび感覚にすると、適度に距離感が出ることで、より好きになって。 ──いわゆるグルテンフリー版「チートデイ」的な感じですね! 鳴海 そうです(笑)。おっしゃるとおり、チートデイですね。 ──グルテンフリーを始めて、何か変化はありましたか? 鳴海 そうですね。わかりやすく体重が減りましたし、朝の目覚めもすごくよくなりました。よく「本当に効果あるの?」って言われるんですけど、実際にやってみたら本当でした。おもしろいくらい、如実に効果が出ます。 ただ、普段パンを食べていない状態で久しぶりに小麦を食べると、そのあとすごく眠くなるんですよね。だから仕事に集中したいときは、お米を食べるようにしています。 ──なるほど。今後やってみたいことって何かありますか? 鳴海 私、ひとり旅が好きなんですよ。今年は(忙しくて)ちょっと行けそうにないんですけど……去年や一昨年は海外に行っていて。国内旅行は飛ばして、海外にばかり行っていたんです。でも最近は、時間があまりないなかで「どこか行きたいな」と思ったときに「国内旅行もいいな」と思うようになってきて。やりたいことっていうほどではないかもしれないですけど、今は国内旅行をしたい気持ちが強いです。 ──行ってみたい場所はありますか? 鳴海 今は三重県の伊勢神宮に行きたいです……というか、伊勢神宮の手前にある参道で、赤福のぜんざいを食べたいという(笑)。 東京から三重って絶妙に行きづらくて、なかなか友達とも計画が立てられないんですよね。大阪に帰ってくると、つい実家で過ごしてしまうので、やっぱりなかなか予定に組み込めなくて。なので「ちゃんと見に行くぞ!」って決めないと、きっと実現できないなと思っています。 刑事や弁護士、特殊な職業を演じてみたい ──三重、近いうちに実現するといいですね……あと、今後演じてみたい役柄はあります? 鳴海 今までは、自分に近い等身大の役が多かったんですけど、最近は特殊な職業の女性を演じてみたいなと思っていて。実はこの前、とあるそういう感じの役をやらせていただいたんです。その役づくりをしていく中でのプロセスが、すごくおもしろくて。 『あんぱん』だと土佐弁がそうだと思うんですけど、そういう役づくりで必要になる要素があると、自然と役と向き合う時間が増えるんですよね。いつも以上に役と向き合わないといけない。準備をしっかりしないといけないから、役やセリフが自分の中にどんどん染み込んでくる、血肉になっていく感じがあって、それが好きなんです。 これからも、そういう特殊な職業の役に挑戦してみたいです。刑事とか弁護士とか、以前からやってみたいと思っていた役にも……実は今後挑戦させていただく予定があるので、夢がひとつ叶ってうれしいですね。絶対、大変じゃないですか(笑)。もちろん大変だとは思っているんですが、限られた時間の中でどこまで取捨選択して準備できるか、挑戦していきたいと思っていますし、大人の女性の役柄を演じていけたらいいなとも思っています。 ──ありがとうございます。最後に、鳴海さんが出演する『あんぱん』の見どころを教えてください。 鳴海 私は『高知新報』という新聞社のパートに出演しているんですけど、そこは戦後最初のパートになるんですね。なので、すごく自由と活気にあふれていて、熱量の高い場面が続きます。ドラマの制作の方からも「開放感のある、明るいシーンにしたい」と最初に言われていたので、そういうエネルギーを意識しながら演じていました。 それと、(若松)のぶと(柳井)崇の恋が大きく進展するパートでもあるし、私が演じる琴子は、そのふたりの恋のキューピッド的な存在でもあるので、琴子の“愛あるおせっかい”によって、ふたりの恋がどう動いていくのか……ぜひ楽しみにしていただけたらと思います。 ──視聴者が思っているもどかしさを、全部代弁してくれるようなキャラクターですよね。 鳴海 そうなんです(笑)。『高知新報』のシーンは、ちょうど作品としては折り返し地点に入っているところなので、最初から観てくださっていて(のぶと崇の関係性が)「もどかしい!」と思っている方には、「ようやく動く!」と思っていただけるんじゃないかなと思います。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=丸林彩花 編集=中野 潤 ************ 鳴海 唯(なるみ・ゆい) 1998年5月16日生まれ。兵庫県出身。2019年、NHK連続テレビ小説『なつぞら』で、テレビドラマ初出演を果たす。2021年『偽りのないhappy end』で映画初主演。その後、テレビCMや大河ドラマ『どうする家康』(2023年/NHK)、ドラマ『Eye Love You』(2024年/TBS)、映画『赤羽骨子のボディーガード』(2024年)、ドラマ『七夕の国』(2024年/ディズニープラス)などへの出演を重ねる。2023年には写真集『Sugarless』を発売。今夏、NHK連続テレビ小説『あんぱん』に、今田美桜演じる若松のぶの同僚「琴子」役として出演。
サボリスト〜あの人のサボり方〜
クリエイターの「サボり」に焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載
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「24時間、好きなことを、好きなだけ、楽しみ続ける」吉田尚記のサボり方クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 吉田尚記さんは、マンガ・アニメ・アイドル・デジタル、あらゆる分野に精通した異色のアナウンサーとして、多岐にわたる活動の幅を広げ続けている。「もっと活動したい、もっと働きたい」という思いから、長年所属したニッポン放送を退社してしまったという吉田さんに、その原動力となる好奇心や楽しむ力、そしてサボりすらも楽しむ姿勢について聞いた。 吉田尚記(よしだ・ひさのり) アナウンサー。1975年、東京都生まれ。ニッポン放送アナウンサーとしてラジオのレギュラー番組のほか、テレビ番組やイベント司会など年間200本ほど出演。マンガ・アニメ・アイドル・デジタル分野に精通し、「マンガ大賞」発起人でもある。2012年には、第49回「ギャラクシー賞DJパーソナリティ賞」受賞。近年はウェルビーイングにも関心を広げ、講演や執筆活動を展開。2025年、人類学者・奥野克巳との共著『何も持ってないのに、なんで幸せなんですか?』(亜紀書房)を出版。2026年3月、ニッポン放送を退社。 人のカッコいいをなぞるのはカッコよくないと、オタクの道へ ──吉田さんといえば、アナウンサーでありながら、マンガ・アニメ・アイドル・デジタルと、あらゆる分野のオタクとしても有名です。子供のころから何かにハマりやすいタイプだったのでしょうか。 吉田 小学生のころから新聞のスクラップブックを作っていた記憶があるので、メディアが好きな子ではありました。ただ、我々が子供のころはまだオタクという存在が顕在化していなかったので、オタク的な趣味に走ったのはある種の反抗でもあったと思います。 中学生くらいになったとき、バイクに乗ったりするような、いわゆる尾崎豊的な上の世代の反抗がカッコ悪く感じられたんですね。そのカウンターとして、アニメやマンガ、ゲームにハマっていったというか。人のやっている“カッコいい”をなぞるのは、カッコよくないと思っていたんです。 ──なるほど、ひねくれ者としての反抗のかたちだったと。 吉田 そういう側面もありますし、同時にものすごい作品群が登場した時代でもあって。中でも中学2年のときに出会った『機動警察パトレイバー』には圧倒されました。1980年代から10年後の社会を舞台に、将来あり得るかもしれない話が描かれていて、それが当時珍しいメディアミックスというかたちで展開されていた。 忘れもしないのがOVA(※)の特典で、作中に出てくる架空の企業のノベルティとかだったんですよ。「篠原重工」と企業名が入っていて、1990年代なのに、「2000年」みたいなあり得ない年数が入っている。それを学校に持って行って、気づいた人に「年数おかしくない?」とか言われてニヤニヤしていました。 吉田さんが今も大切にしている当時のノベルティ (※)オリジナル・ビデオ・アニメーション。テレビ放送などではなく、ソフト販売用に制作されたアニメ作品 ──最初は反抗に近い気持ちもあったのが、だんだんシンプルにハマっていった。 吉田 そうです。で、高校でアイドルも好きになり、落語も好きだったので大学では落語研究会に入りました。1週間に5日も寄席に通ったりしていて、まあなんでもハマりやすいんですよね。濃淡はあれどずっとその繰り返しで、飽きたという状態がないまま今に至ります。 ──コミケにも高校生のころから通っていたそうですね。90年代のコミケって、どんな雰囲気だったのでしょうか。 吉田 まだネットも浸透していなかったので、ムーブメントが目に見えるかたちでわからなかったんですよ。だから、コミケに行って「ここにいる人、全員オタクなんだ!」という衝撃がありました。コスプレがコミケで生まれたのも、そのコスプレの文脈を理解できる人がコミケにしかいなかったからです。エビの寿司の被り物をしている人を見て、「あれは菊池通隆の自画像だ!」とわかったりするのがおもしろくて。 自分の原点である作品によって、アナウンサーとして覚醒 ──大学卒業後は、ニッポン放送にアナウンサーとして就職されますが、スクールに通うほど熱心にアナウンサーを志望していたわけじゃなかったとか。 吉田 落研にいてしゃべるのが嫌いじゃなかったので受けてみたんですけど、いろいろと勘違いしていましたね。エントリーシートに落語をしている写真を使ったり、ラジオ局なのに「好きなアナウンサー」という項目にフジテレビの西山喜久恵アナの名前を書いたり。面接では、扇子と手拭い持って行って小噺(こばなし)をやりました。 ──それが結果としておもしろがってもらえた。でも、入社後しばらくはそうしたおもしろさやオタク性が活かされず、自称「社内ニート」化していたそうですね。 吉田 仕事になるとは思っていなくて、誰にもオタクだと言ってなかったんです。まだ世間的にもオタクがポジティブに受け入れられていませんでしたし。でも、中身はオタクだからコミュニケーションの取り方が普通じゃなくて、最初は「気持ち悪い」とか「よくわからない」とか言われていました。 ──どこで吉田さんらしいキャラクターが開花したのでしょうか。 吉田 たまたま僕のところに、『機動警察パトレイバー』の特番の仕事が来たんですよ。こっちとしては「えーっ!?」ってなりますよね。しゃべり手の中では誰よりも詳しい自負がありましたから。 今でも覚えているのが、ラジオネーム「津田三蔵」という人からメールが来たことで。「これって、太田(功)巡査が勝手な行動を起こしたときに、篠原遊馬が言うセリフじゃん」みたいなことを言った瞬間、ラジオの向こうがザワついたのがわかったんです。本物のオタクがしゃべっていると伝わって、ものすごい量のファックスが届きました。 ──相当な反響だったんですね。 吉田 「今まで何もできなかった吉田が覚醒したらしい」って、制作部の人たちもザワついていたみたいですね。そこで、「ラジオってこういうことなんだ」と初めてつかめた気がします。アナウンサーとしてパブリックなしゃべり方をしなければいけないと思い込んでいたのが、自分の好きなものを出していいんだと考えるようになりました。 ちょうどそのころ、ニッポン放送が「オタクは数字を持っている」と気づき始めたのも、タイミングがよくて。たとえば、ニッポン放送主催のイベントのプロモーションでアニラジ(アニメ系ラジオ)をやろうとなったら、「あいつがいるじゃん」という話になり、僕がレギュラーで担当するようになったり。それが今の道につながりました。 ──では、自分でキャラクターを売り出したというよりは、時代の波や社内の状況など、いろいろなタイミングがハマったというイメージなのでしょうか。 吉田 そうですね。オタクのアナウンサーなんていない時代に、偶然あの場所に立っていた。本当にラッキーだったと思います。ラジオDJの小林克也さんも、日本に洋楽が入ってきたタイミングで、洋楽が大好きなあの方があの場所に立っていて、洋楽を広めていったわけじゃないですか。その小林さんが、80歳を過ぎた今でも最新の音楽を聴いているんですよ。僕もオタクとしての熱が衰える気配がないので、オタクカルチャーにおける小林克也みたいになれたらいいなと思っています。 ──覚醒してからは大忙しになっていったわけですが、仕事をしていて改めてアナウンサーという職業の奥深さを感じるようなことはありましたか? 吉田 アナウンサーの何がおもしろいって、「アナウンサー」というだけで、選挙の現場や歌番組の司会など、どこにいてもよくなるんですよ。芸人さんと夜の街をパンツ一丁で駆け回ったって、「若手のアナウンサーなら、そういうこともするか」と認められるじゃないですか。逆に芸人さんが選挙の現場にいたり、報道記者が歌番組にいたりしたら、「なんで?」ってなりますよね。どこにいても納得してもらえるアナウンサーという肩書は、ずるくて、おもしろいなと思っています。 ──アナウンサーは専門性の高い仕事というイメージがあったので、なんにでもなれるという視点は新鮮です。 吉田 僕自身、オタクなイベントに出たりしている一方で、災害現場やオリンピックなどの取材にも行ってきました。もちろん、「サッカー実況といえばこの人」みたいな、ひとつの道を極められる方もいます。でも、僕はそのなんでもありな方向で、やれるだけやってみようと思うんです。 好奇心を突き詰めていった結果、ボルネオへ ──なんでもありなアナウンサーの道を進んだ結果、社外業務がほとんどになっていったそうですね。 吉田 そうですね。誘われたことはなんでもやりますから。それは、自分がラジオのアナウンサーだったからであって、つまりラジオパーソナリティでもあるんですよ。ラジオパーソナリティは、その人自身や考えていることがおもしろくなければ、番組を聴いてもらえないじゃないですか。だから僕も、自分なりの疑問が生まれると、答えを探して現場に出かけたり、本を読んだり、取材したりするようになっていきました。 ──吉田さんはその結果、コミュニケーションや没頭力、ウェルビーイング(※)といったことをテーマに書籍を出版されています。どうしたらそこまで自身の興味関心を深められるのでしょうか。 吉田 好奇心のない子供っていませんよね? それが社会人になっていくと、みんなその好奇心にフタをするようになると思うんです。でも僕は、それをしなかったというか、できなかった。自分の疑問から人類学にたどり着き、奥野克巳先生の本と出会って、先生にイベントに出てもらって、先生の誘いで有給を取ってボルネオのプナンという狩猟採集民の村で1週間暮らしたことなんかは、その典型ですね。僕は、会える人には会いに行けばいいし、行ける場所には行けばいいと思うんです。 (※)心や体、生活が満たされた状態のこと。吉田さんいわく「機嫌よく、いきいきとしている状態」 ──そこまでできるかは別として……自分の価値観やものの見方が変わるような体験をするチャンスがあるなら、飛び込んで行ったほうがいいんでしょうね。 吉田 そうですね。ただ、僕はプナンの村で「こんな世界があるんだ!?」と刺激を受けたというよりは、プナンの生活を見て日本で思っていたことについて「やっぱりそうだよね」と再認識した感じが強かったんです。 僕は「みんなウェルビーイングのために生きてるんじゃないの?」と思っていて、今はそれを大学院で研究しているんですけど、プナンの人たちはそんな言葉も知らないまま、ずっとそういう状況を生きていた。そして東京に戻ると、東京がどこか間違っているというか、わざわざウェルビーイングでない状況に向かっているように見えて。「なんか、わざわざ不機嫌になってる感じの人多くない?」みたいな。 ──たしかに、社会全体で病んでいっている感じはします。それにしても、年齢を重ねても好奇心にフタをしないで行動できるのはすごいと思います。精神的にも肉体的にもタフというか。 吉田 全然「めんどくさい」とか思わないです。歳を取ったほうが疑問って増えるじゃないですか。「道路工事ってどうやってるんだろう?」とか、なんでも興味が持てるし、おもしろく見える。その興味を深めるのにエネルギーはいらないんですよね。 ──とはいえ、知識も蓄積されていくわけで、ずっと好きだったアーティストが作品を発表し続けているのに、新しいアーティストも次々と現れてフォローしきれない、みたいな感覚はあります。 吉田 それはね、無理です。でも、ガーッとハマった時期から、そこまで追いきれなくて離れた状況になっても、そのジャンルを嫌いにはならないじゃないですか。勘どころは押さえているから、久しぶりに見たものでも「おお、いいじゃん」って思える。僕も落語は一時期に比べると行かなくなりましたが、久しぶりに寄席に行くと「この二つ目の人、めっちゃおもしろいじゃん」ってわかるし、楽しめますから。 ──なるほど、その時々の好奇心に応じて流動的に動いているんですね。 吉田 そのとき見たいものしか見ていないので。「チェックしておく」という行動をあまりしないんです。好きなだけでいいじゃないですか。 ──そんな吉田さんが、今関心を持っていること、やってみたいことはありますか。 吉田 僕は会社員がやってはいけないことなんてないと思って過ごしてきましたが、退社してみて、やってはいけないことはまあまああったし、それを多少気にしていたんだなって気づいたんです。自分で責任を取っていない部分があった。 じゃあ、逆にどんなことなら自分で責任を取ってやれるのか考えたときに、「あの人にしかできない」と思われるようなことをやろうと思いました。僕の場合は、異様に知り合いがいること、異様に守備範囲が広いこと、これを活かすことです。 ──さまざまな人やジャンルをつなぐ、ハブになるようなイメージでしょうか。 吉田 そうですね。学術も、アニメも、アイドルも、音楽も、演劇も、いろんな現場の人を知っているから、そういう人たちを橋渡しできると思うんです。そして、この橋渡しをしているところ自体がおもしろいのではないかとも感じていて、YouTubeチャンネルのような場を作ってみようかと考えています。 労働もサボりになる。サボりは視点次第 ──もっと働きたくて会社を辞めるほど活動的な吉田さんが、「サボり」をどう考えているのかぜひ伺いたいです。 吉田 逆に24時間、ずっとサボってるんじゃないかな。サボりって、「サボりなさい」と言われてやることじゃないですよね。勝手にやっていることがサボりだったら、僕は全部勝手にやっているから、ずっとサボっているようなものです。だから、別の意味で会社に「サボりなさい」と言われたわけですよ。「もっと休みなさい」と。そういうわけにはいかなくて、会社を辞めてしまった。 ──サボっているのに、サボれと言われた。 吉田 サボりなんて視点の問題じゃないですかね。それこそ、プナンなんてずっとサボってますよ。ずっとダラダラしていて、気が向いたら狩りに行く。「今日は狩りに行くのやめた」と言った5分後に「やっぱり行くぞ」って言われたりしながら、「もともとはみんなこうやって生きてたんだよね」って思っていました。 ──ほとんどノリで生きているんですね。 吉田 彼らは川で漁をするとき、水面に網を投げ込む投網で魚を取るんです。定置網のほうがたくさん魚は取れるのに。なぜなら、彼らは効率を考えたりしないから、楽しいほうを選んでいる。網を投げて、「おー、かかってる、かかってる」って喜んでいるんです。 ──おもしろいですね。漁をしているけど、サボっている。 吉田 でも、日本でもサラリーマンが週末に家庭菜園で野菜を育てたりしていますよね。あれは労働じゃなくて、農業が楽しいからやっているわけで。それと同じだと思います。 ──それで生活もできれば幸せだと思いますが、なかなかそうもいきませんよね。だったら、今やっている仕事を少しでも楽しめるといいのかもしれない。 吉田 そうですね。この世に存在するものは、誰かにとってはおもしろいものであるはずですから。その人の視点を獲得できてしまえば、楽しめるかもしれません。たとえば、僕がオリンピックの取材をしたときに、射撃の取材に行ったんですけど、最初は何がおもしろいのかわからなくて。でも、選手の話を聞いていると、手の感覚に異常に気を遣っていることがわかったりする。「試合の前日に水を飲みすぎると、手の水分量が変わって感覚が狂ってしまうんです」みたいな話を聞かされると、おもしろいじゃないですか。 ──たしかに、一気に興味を惹かれました。では、シンプルな息抜きに近いサボりはありますか? 吉田 チャリンコが好きなので、できるだけ自転車で移動しているんです。それがリフレッシュになっていますね。あのスピード感がちょうどいいし、秋葉原から上野に行っただけで街並みがガラッと変わったりするのがおもしろくて。 ──本当にずっと楽しいことしかしてませんね。 吉田 何かを楽しみ続けることが、人生の目標ですから。じいさんになっても、ずっと楽しんでいたいです。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「料理もサボりも、生活の延長としてポジティブに取り入れる」長谷川あかりのサボり方クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 日々の仕事や家事に疲れていても、ちょっとした満足感の得られる料理を作りたい。そんなニーズに応えた「丁寧な暮らし“風”レシピ」などを発信し、多くの支持を集めている長谷川あかりさん。その活動の裏側を聞くと、緻密な戦略や、脳のリソースを配分するという独自のサボり方があった。 長谷川あかり(はせがわ・あかり) 料理家、管理栄養士。1996年、埼玉県生まれ。子役タレントとして活躍後、大学で栄養学を学び、料理家に。疲れたときも作りたくなる心を満たすレシピを発信し、支持を集める。『つくりたくなる日々レシピ』(扶桑社)をはじめ、手がけたレシピ本も多数。近著は、パーソナルムック『長谷川あかり DAILY RECIPE Vol.5』(扶桑社)。 生き方まで発信する料理家に憧れ、「なり方」から考えた ──子役として始めたタレント業を引退後、大学で栄養学を学ばれたそうですが、料理家という職業をどんなふうにイメージされていたのでしょうか。 長谷川 料理家という職業を知ったのは、生活情報誌やレシピ本を通じてでした。そこでレシピだけでなく料理家さんの生き方や暮らし方にも触れていたので、その人となりが見えていたり、その人自身にブランドがあったりする方のことを料理家だと思っていて。「先生おすすめのお菓子が食べてみたい」と思ったり、先生が語る人生観に共感したり……そんなふうに、人として信頼できる、共感できる先生に憧れていました。 ──たしかに、そのほうが生活の中での料理の位置づけなど、深いところまで共感できそうです。 長谷川 作る人にとって料理家との相性はめちゃくちゃ大事なので、「私はこういう人間で、こうして生きています」と伝えた上でレシピを見ていただいたほうが、ミスマッチが起こりにくいと思いますね。 ──そして料理家になるにあたって、長谷川さんの場合はSNSで発信するところから活動を始められたそうですね。 長谷川 そうですね。料理家って、「どうやってなったらいいかわからない職業ランキング」1位じゃないですか(笑)。いろんな先生の経歴を調べても「好きが高じて料理家に」とか、なり方がよくわからなくて。だから正直、言っちゃったもの勝ちというか。 ただ、私はやっぱり雑誌媒体でのレシピ開発がやりたくて、そこからテレビやタイアップ、CMなどBtoB的に広げたほうが、結果的にレシピで救うことができる人数が増えると思っていて。SNSを中心に活動する料理家さんが増えていますが、私は、広く浅く、料理する人全体にレシピを届けたかったんです。 ──SNSはメディアに見つけてもらうきっかけというか。 長谷川 でも、メディアの人からすると、人気やインフルエンス力は欲しいけれど、何者かよくわからない人にお仕事を頼むのは怖いじゃないですか。私は子役をやっていたので、メイクさんやスタイリストさんも、まずは誰か師匠について働いたという土台があることはわかっていたんです。料理家も同じかなと考えると、きちんとした先生のもとで学ばないと、雑誌の世界に入るための信用は得られない。そこで、SNSと並行して先生についてお仕事するということも始めました。 ──それで、スープ作家の有賀薫先生のもとでアシスタントを経験されたと。 長谷川 はい。有賀先生の考え方や発信の仕方は本当に素晴らしいというか、私の理想だったので、アシスタントを募集されているのを見つけてすぐに応募しました。エントリーシートに自分が変えていきたい家庭料理のビジョンや、有賀先生のレシピの素晴らしさなどを書いたんですけど、それでおもしろい若者だと思ってくださったみたいで、採用になったんです。でも、当時のイメージをかたちにできるのは、10〜15年後ぐらいだろうなと思っていましたね。 ──料理家として雑誌で活躍できるように、長い目でがんばっていこうと思っていたんですね。 長谷川 当時26歳くらいで、マンダラチャート(※)の中央に「30までにレシピ本を出す」と書いていたんです。それもだいぶがんばらないといけなくて、現実的には早くても37歳ぐらいだろうなと思っていました。 (※)大谷翔平が実践していたことでも有名な、9×9マスのマス目からなる、目標達成や思考整理のためのフレームワーク 目指すべき方向性や提供すべき価値を掘り下げていった ──料理家としての活躍が早まったのはSNSによる部分も大きいかと思いますが、どのように運用していたのでしょうか。 長谷川 最初はXとInstagramをやっていて、Xではレシピや自分の考え、Instagramでは出かけた場所や普段食べているものといった生活の部分を書いていました。 ──当時からすでに現在のようなコンセプトでレシピを考案されていたんですか? 長谷川 そうですね。料理家になりたいと思ったタイミングで、自分は料理のどこに不満があるのか、何がしたくて何ができるのか、あとはレシピのコンセプトと届け先、自分のバリューなどをひととおり書き出したんです。 そこで、自分のやりたい方向性と世の中で求められているものを照らし合わせたときに取りこぼされているなと思ったのが、20代後半〜結婚してるかしてないかギリギリ、ぐらいの年齢の方向けの料理だったんです。料理をする必要性にそこまで迫られていない人たち。 ──仕事が忙しいので外食でもコンビニでもいいけど、できれば自炊ぐらいしたいな、と思っているような。 長谷川 はい。それで、なぜその層のためのレシピを届ける必要があるのか、なぜそういったレシピが行き届いていないのか、そういったことを掘り下げていった結果、そこに需要があるし、私がやりたいこととも一致していると思えたんです。自分がどうありたくて、どこを目指すべきか考える期間が、半年くらいありましたね。 ──その半年の間に、コンセプトに合ったレシピも考えていたんですか? 長谷川 そうですね。さっきのような考えを掘り下げていくと、結局、自分が欲しいと思うレシピであればいいということに気づいて。無理に需要に合わせなくても、私が欲しいと思っているレシピはみんなにとっても価値があるなと。その根拠を探していた時期でもありました。 ──マーケティングありきで考えすぎると自分が追いつかなくなってしまうこともあると思うので、自分から生まれるものから新しい価値が提案できるといいですよね。 長谷川 あと、新しさを感じていただけているとしたら、レシピを届ける際のアプローチによるところもあるかもしません。たとえば、「塩だけで味をつける」というときに、「健康のため」「そのほうがおいしいから」と言うと、料理が苦手な方は「うっ……」と引いてしまうんですよ。先生と生徒みたいな感じになってしまうので。でもそこで、「塩だけで味が決まったらかっこよくないですか?」と言ったら、やってみたくなるじゃないですか。私はあくまでみなさんと同じ感覚で生きていて、そんな私が欲しいと思うレシピを具体化したのでシェアします、というアプローチは最初から意識していましたね。 ──届け方も重要なんですね。 長谷川 私は作っている人の気持ちがどう動くかに興味があるんです。「おいしい/おいしくない」については、正直、自分が作らずにおいしいものが食べられるなら、そのほうがいいじゃないですか(笑)。私自身、料理を作るという過程に救われた経験があるので、レシピから味を想像したり、作ってみたいと思ったりする時間に意義を見出していて。 おいしいレシピを作れる先生はたくさんいるので、私の仕事じゃないというか。だって、「塩で味が決まった! 自分でこんなおいしい料理を作れるなんて、私って天才!」と1日に1回思えるってすごいことじゃないですか。料理を作ることで得られるものがあり、なおかつ、それを食べるからこそ、受け身で食べるよりもおいしく感じられる。私はわがままな人間なので、おいしいだけじゃ物足りないんですよ。「せっかく作るならドヤ顔したい!」って思っちゃう。 作る過程の楽しさ、作ったあとの気持ちの変化を大切にしたい ──現在では、体験する価値まで含めたようなレシピをさまざまな媒体で日々発信していますよね。どのようにレシピを考案されているのでしょうか。 長谷川 同じ人間が考える料理なので、全部が全部カラーの違うものでなくてもいいと思っています。バスケで片足を軸にピボットするイメージというか、軸となるコンセプトは動かさずに、そこから派生させているような感覚で。あと、ご依頼ベースのお仕事になると「こういう人に向けて」「こういう調味料を使って」と条件が増えていくので、逆に作りやすかったりしますね。 ──具体的なレシピにするにあたっては、試作しながら詰めていくのか、先にレシピとして完成させてしまうのか、どのような工程なんでしょうか。 長谷川 プレゼン資料だけ先に作るようなイメージです。まずどういう料理で、どこがポイントで、どういう気持ちになるか、イメージできる状態でレシピ名を出す。そこで、材料、味つけ、作りたいと思えるシチュエーションやポイント、手間に対するリターンなどを考えるのが難しいんですけど、それさえできれば、あとは試作といってもほぼ確認みたいな感じです。 ──最初に作り手の人が受ける印象の部分から作っていくんですね。 長谷川 作る人も、最初はレシピの詳細なんて見ないじゃないですか。だから、レシピを選ぶ人の感覚で「こんなレシピがあったらうれしいな」というものを作ります。いくらレシピの完成度が高くても、最初にテンションが上がらなかったら作るところまで行かないので、「あとは作るだけ」というところまで進んでもらうことが大事なんです。 ──コンセプトや届け方を考える能力と、料理を考える能力は別ものだと思うんですけど、長谷川さんはその両輪がカバーできている気がします。 長谷川 たぶん、ほどよいんですよね。家庭料理を作る以上の技術を持ち合わせていないので、ある意味、料理がうますぎない。自慢できることではないですし、もっと修行したほうがいいとも思うんですけど、外枠を考えるのが得意で、料理もシェフ並みにできたら、誰もまねできないような料理研究家になってしまうかもしれない。 今は、頭の中でどこまでも行ける料理への想像力と、技術的な制限のバランスがいいのかなと思うんです。家庭料理としてできる範囲で、新しさのあるレシピを作るのにちょうどいいというか。 ──では、技術的なこと以外に、自分の引き出しを増やすためにされていることはありますか? 長谷川 味のバリエーションをたくさん知りたいという気持ちはあります。外食が好きだと言うと「それを再現されるんですか?」とよく聞かれるんですけど、再現には興味がなくて。「この味も『おいしい』に入るんだ」とか、「この地域ではこういう味が受け入れられているんだ」といったことが知りたいんです。 新しい味の領域と出会った記憶が残ると、お仕事のご依頼をいただいたときに「この材料をこういう味つけにしたら、あのときの料理の雰囲気が出せるかも」みたいに思い出すことがあるんですよ。色合いなどの見た目も含めて、料理の共通項を見つけるための抽象的なパーツを溜めていきたいと思っています。 ──長谷川さんの意外性のあるレシピを作ろうとした人の「あかり、信じてるぞ」という言葉がミーム化したように、レシピに対する好意的な反応は多いかと思います。そういった反応から得るもの、感じることはありますか? 長谷川 ありますね。私が言葉にできていないところまで、レシピを作った方が言語化してくださることがあるんですよ。「こういう気持ちを思い出した」といった感想を書いてくださる方がいると、「私はこの感覚をみんなに得てほしくて、このレシピを作ったんだ」と気づかされたりする。自分で1から100まで言わないと届かないと思っていましたが、レシピでそれが表現できていればちゃんと受け取ってもらえるんだと実感できたんです。それはすごく救いになりましたね。 ──味以外の感覚が刺激されるといえば、実際に実家で出てきたわけじゃないのになぜか実家感を覚える「空想謎実家飯」を考案されていましたね。あれは作った人がつい自分の思い出語りをしたくなるような独特なレシピでした。 長谷川 自分の中でもチャレンジでしたね。料理って、「しなきゃいけない」と思っている人がたくさんいて、作るのを楽しんでいる人って少ないと思うんですよ。だから、「作ると楽しい、そして、作ってもらうよりも自分で作ったほうがその過程も含めておいしく感じる」と思えるようなレシピを作りたくて。それで、「おいしいかどうかもよくわからないけれど、作ったらおもしろい経験になるよ」っていう切り口のレシピがあってもいいと思ったんです。レシピを見てくださる方との信頼関係がある程度生まれてきたからできることなんですけど。 ──より体験的な価値に振り切ったレシピ。 長谷川 「こんな料理、食べたことある気がする」って、ない記憶が刺激されると楽しくないですか? でも、実家飯は最初バズらなかったんですよ。「ああ、ちょっとトガりすぎたか」と思っていたら、投稿の1週間後くらいから伸びてきて。作ってくれたみなさんがそれぞれの言葉で語ってくれて、じわじわと伸びていったんです。私にとっても、理想的な広がり方でしたね。 ──よりレシピの枠を超えた発信として、ポッドキャスト(『長谷川あかりのシャニカマでごめんなさい』)なども展開されていますが、そういった方向でほかに挑戦してみたいことはありますか? 長谷川 今、5年前の自分がマンダラチャートに書いたことが怖いくらい実現できてるんですよ。ちょっとした予言書みたいになっていて(笑)。そこに書いていてまだ実現していないのは、私のレシピが出てくるマンガを出すこと。レシピを作る過程や作ったあとの気持ちの変化を表現するには、マンガやドラマが向いてるんじゃないかなって。私も料理を繰り返し作ることで救われてきたので、その気持ちをシェアできるようなかたちでマンガやドラマとコラボレーションできたらハッピーですね。 脳の何割かは常にサボっているナチュラルサボリスト ──長谷川さんのサボりについても聞きたいのですが、忙しい日々の中でサボってしまうことってありますか? 長谷川 自分では想像を絶するサボリストだと思ってます。私の場合、けっこうさりげなくサボるタイプなんですけど。脳内がおかしくて、レシピを考えながら、ラジオも聴いていて、1分に1回くらいXを見るとか、同時進行でサボるんです。 ──仕事が4割、ラジオが3割、SNSが3割みたいな、脳のリソースを分散しながらサボっていると。 長谷川 集中しているときもあって、特に人としゃべったり会議したりしているときはそこが10になるんですけど、常に1〜2割はサボってたりしますね。状況に応じて割合が変化するというか。 ──マルチタスクでサボっている。 長谷川 ナチュラルサボリストなので(笑)。だから、それほどサボった感覚もないのがタチの悪いところなんですけど。でも、料理って生活の話なので、仕事と関係ないジャンルがあまりなくて。サボって服屋さんに行ってしまったとしても、「この服の配色かわいい。こんな料理作りたい」ってけっこうアクロバティックに結びつけちゃうんですよ。 ──何かしら得るものがあるから、サボりとは言いきれない。 長谷川 そう言い訳しながらサボってます。寝転がりたくなったときも、「1時間仕事をするより、30分寝て、30分脳の余白ができた状態で仕事をしたほうがいいアイデアが思いつく」って考えたり。 ──では、意識的にリフレッシュするような場合は、どんなことをしますか? 長谷川 散歩はよくしますね。あとは、夫や友達としゃべることはかなりリフレッシュになります。頭の中が常にガチャガチャしているので、ひとりでいると言いたいことが溜まってストレスになってくるんですよ。そこで、しゃべって、新しい意見をもらって、またしゃべって、「たしかにそうだよね。スッキリ! 解散!」って息抜きしています。 ──吐き出さずにはいられない。 長谷川 常に頭に何か入ってくるんで。何もしないサボりができなくて、何かを取り込むようなサボりばかりなんですよ。だから、運動みたいな感じでしゃべってるのかもしれません。 ──おしゃべりのアスリートなんですね。そういう意味でもポッドキャストは意義がありそうです。 長谷川 たしかに。仕事以外のことでも、「これはなんでなんだろう?」って考えてしゃべるのが楽しいんですよね。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「自分と向き合い、自分を知って上手に付き合う」山中瑶子のサボり方クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 2024年に公開された監督作『ナミビアの砂漠』が、カンヌ国際映画祭で「国際映画批評家連盟賞」を受賞するなどして大きな注目を集めた山中瑶子さん。自身を「サボりやすい」と語る山中監督に、創作の過程やそのサボり方について聞いた。 山中瑶子(やまなか・ようこ) 映画監督。日本大学芸術学部映画学科中退。初監督作『あみこ』が、PFFアワード2017で観客賞を受賞し、ベルリン国際映画祭に史上最年少で招待され、ほか多数の海外映画祭に出品された。2024年に公開された河合優実主演の『ナミビアの砂漠』は、カンヌ国際映画祭の監督週間で「国際映画批評家連盟賞」を受賞した。 映画マニアになっていく自分に危機感を覚えて撮った初監督作 ──まずは、改めて映画監督を目指したきっかけから教えてください。 山中 高2の進路調査表が配られた時期に映画にハマっていたことからですね。子供のころから、会社勤めは無理だろうからものを作る分野に行きたいと思っていましたが、ずっと絵画教室で絵を習いながら漫画家やデザイナーに憧れてみたり、建築もいいなと思ったり、興味の移り変わりが激しくて。そんななか突然映画に出会いましたが、高校のまわりに映画館が4つある環境だったのも大きかったと思います。 ──映画にハマっても、監督になれるとまではなかなか思えないような気もします。 山中 昔の海外の大作とかを観ても「人間が作ってるな」という感覚にはなれなかったんですけど、アート系の作品や、ミニマルなフランス映画、2000年代の邦画などを観ていくうちに、作り手が見える気がしてきたんです。カメラの向こうに人がいて、なにやら思想があるようだぞ、と。それに気づいてから、自分でもやりたいし、できるかもしれないと思うようになりました。 ──でも、映画学科に進学後、ドロップアウトしてしまったそうですね。 山中 とにかく朝、起きることができないんです。小学校のころからずっとそうで、大学でひとり暮らしを始めたら、まったく行けなくなりました……(笑)。最初のほうになんとか通っていたときにできた友達に協力してもらって、自主映画の『あみこ』を作ったんです。今なら授業の大切さもわかるのでちゃんと受けておけばよかったと思うんですけど、当時は1年生はひたすら座学というカリキュラムが耐えられなかったんですよね。 ──『あみこ』を作ったということは、映画を撮りたいという気持ちは変わらずあったわけですね。 山中 そうです。学校に行かなくなってからも映画はめちゃくちゃ観ていました。でも、どんどんイヤな映画ファンみたいになっていくんですよ。批評ともいえない批判ばかりが鋭くなっていって、このままだと自分に対するハードルが上がりすぎて首を絞めることになるなと気づいて。それで、ぴあフィルムフェスティバル(PFF)を目標に脚本を書き始めたんです。 ──結果はどうだったんですか? 山中 観客賞はもらえましたが、審査員からの賞は特にもらえず。入選作はウェルメイドな作品が多くて、自分の下手さに気づいて恥ずかしくなりましたね。技術的なものはあとからついてくるだろうから、大人たちが見ているのはそこじゃないと頭ではわかっていても、もっとスクリーンで観るべきものを作らなきゃなと思って。それで、けっこう気が引きしまったというか、もうちょっとがんばろうと思うようになりました。 ──映画を作ることへの迷いはなかったんですね。 山中 なかったですね。『あみこ』がベルリン映画祭に招待されたのも大きくて。小さい内輪の作品と見られても仕方ないと思っていたのが、意外とそれだけじゃない部分もあるのかなと。それが自信につながったんでしょうね。 我慢して人に合わせなくていいと気づいたら、映画作りが変わった ──映画は人と一緒に作り上げていく以上、結局社会性を求められるんじゃないかと思います。そのあたりの折り合いはつけられたのでしょうか。 山中 『ナミビアの砂漠』までは、まさにその向いてなさを感じていました。やっぱり、監督の振る舞いって正解がないので。どうしたら人に気持ちよく仕事をしてもらえるか、どうしたら思うようなパフォーマンスをしてもらえるか。それって人からは教えてもらえないんですよね。 その結果、自分の性に合わないような振る舞い方もしていました。最初は年齢も若く信頼されていないので、簡単にいうとナメられてしまう。そこでどうすれば自分のやりたいことを相手に具現化してもらえるか考えるほど、居心地の悪い振る舞いをして、居心地の悪い空気になっていく。それがキツかったですね。 ──それは経験を積むことでしか、乗り越えられないんですかね。 山中 場数を踏んで体得していくしかないですね。でも、頭で考えてもしょうがないから、難しいことは考えないようにしようとしたんですけど、コロナ禍になって本当に無理かもしれないと思ってしまって。一切現場の仕事はやらずに自分と密に向き合ったことで、「(監督を)辞めたいかも」と思うようになっていたんですね。ただ、そのあとに少し年上の女性プロデューサーからドラマのお仕事をいただいたんです。 その方は、まわりにどう思われようとまっすぐなところがあって。その姿を見ていたら「これでいいんだ」と勇気づけられて、自分が我慢して人に迎合するがんばり方は、ちょっと違うんじゃないかと気がつきました。それからは、自分でスタッフィングするなど、自分を軸に人と関わるように変えていき、ストレスも少なくなりました。結局、自分が我慢していると場の空気もよくならなくて、みんな楽しめないんですよね。 ──そういった自分なりの仕事の仕方が見えてきたところで、『ナミビアの砂漠』の企画が動き出したのでしょうか。 山中 そうですね。最初は別の原作小説を河合優実さんで撮る企画が進んでいたのですが、自分と向き合った期間があったことで、私ではこの原作をまっとうできないんじゃないかと思い、「降りたい」とプロデューサーに伝えたんです。そうしたら、「オリジナルならどうですか?」とご提案いただき、『ナミビアの砂漠』になっていくという。 ──では、河合さんの出演だけが決まっていて、あとはゼロだった。 山中 そうなんです。アイデアも何もないので、当て書きをする前提で、「インスピレーションを得たいです」と、脚本を書く前に河合さんと何度かお話しました。 ──その結果でき上がった主人公のカナは、河合さんとはまた違ったキャラクターなのではないかと思いました。 山中 実際の河合さんはカナとはほど遠い方だと思うんですけど、カナのことはよく理解できると言っていました。私も私でよくわかるというか、カナみたいな現代の子の精神性は、自分の中にもあると思うんです。物質量も情報量もあふれていて、たくさんの選択肢と可能性を提示され続けているのに、だからこそ自分の欲望がどこにあるのかわからない感じ。それに、ネットで簡単に答えにたどり着けてしまうという気にさせられてしまいがちで、何も楽しめず不全感だけがあるというか。東京特有の特殊さだと思うんですけど。 ──東京で生きていると、特にそうした空気にさらされやすい。 山中 絶対そうですね。情報量の多さは世界でもトップじゃないですか。どんな大都会に行っても、こんなに「これをしたほうがいい」「あれを買ったほうがいい」と社会から要請されないと思います。「でも、本当に自分がしたいことや自分がいらないものを明確にわかっている人って、どれくらいいるんだろう?」といったことなどを考えながら作りました。 ──では、カナというキャラクターには、今の若い世代のいろんな要素が入っているんですね。 山中 そうですね。あと、私は映画を作るときに、ある特定のひとりを思い浮かべて、「この人が気に入ってくれたらそれでいい」というふうに思っていて。昔からSNSで知らない人を一方的にウォッチしてるんですけど、その中のひとりにカナっぽい感じの子がいて、『ナミビアの砂漠』はその子が観てくれたら大成功だと思っていました。カナについて考えるときも、その子がどう思うかを指標にしていて。 ──漠然とした「お客さん」ではなく、まずはひとりの人に届けばいいと。 山中 お客さんといってもみんなバラバラなので、ひとりの人をイメージして考えることは多いですね。そうやって具体的なひとりの人について考えることで、結局全体のうちの数パーセントに届くんじゃないかと信じてやっています。カナの場合は、直感が鋭くて勘はいいのに、言語にするのが苦手だから人に当たっちゃう。そんなカナみたいな子たちにも届けたいし、そういう子たちを生き生きと描けたらいいなと思っていました。 突飛なアイデアほど、スタッフの意見を採り入れている ──『ナミビアの砂漠』について、ほかに制作中に意識していたことはありますか? 山中 どこに向かっていくのかわからない映画にしたいなと考えていました。他者って何を考えているのかが徹底的にわからない存在だと思うんですよ。観ている人が、カナのことをそう思えるといいなと。結果的に共感してくれる人もいて、それはそれでいいんですけど、作り手としては「どうしてそうなっちゃうの!?」というハラハラドキドキ感は意識していました。 ──たしかに、観ている側としてもカナがどういう行動をして、映画がどこに向かうのかわからないため、ずっと緊張感のようなものがあった気がします。 山中 そういった意味でのエンタメ性やサスペンス性もあると思っていて。トーンとしてはドライなところもありますが、意外とサービス精神旺盛にやってるつもりなんですよね。カナが階段から落ちたり、緊張感のある音が入っていたり。 ──音楽はかなり不穏さがありました。 山中 世界とか社会って冷静に考えると怖すぎるというか、なぜ世の中が回っているのかよくわからないじゃないですか。回っていないとも言えるし。そういった世界の不思議みたいなものは意識していました。音楽の渡邊琢磨さんとも「『この世は不思議だね』っていうことを意識しよう」と話していて、最後のクレジットでは動物が砂漠の水場に集まっている実際の音に合わせて、琢磨さんが作った世界の終わりと始まりみたいな電子音楽も入っているんです。 ──効果的なスタッフワークとしては、カナの脳内のような描写や、部屋のレイアウトが反転する場面など、劇中の印象的なシーンは、スタッフのアイデアを採り入れたものだそうですね。 山中 あとは、「キャンプだホイ」を歌うシーンもスタッフのアイデアですね。後半になって監督の「やってやったぞ!」感が押し寄せてくると言われたこともありますが、全部私のアイデアじゃない(笑)。自分の中に取り込んで出しているので、私のものでもあるんですけど。ただ、そういった一見突飛なアイデアがスタッフから出てくるのは、すごくいいことだと思うんです。そういう提案をしてもらいたかったし、それが気兼ねなく言える環境がいいと思っていたので。 ──作家性の強い作品という印象がありましたが、オープンな現場で意見を交わしながら作っていったんですね。 山中 そうですね。部屋を反転させるのはどうかというアイデアがカメラマンから出たときは、最初「なんで!?」って思いましたけど、一度持ち帰ったんです。理由を聞いてもなんかおもしろい、以上のことはわからなかったんですが、彼がとっさにそう思ったこと自体が大事だから、理屈はあとづけでいいからとりあえずやってみようとなって。もちろん、ちょっと違うなと思ったアイデアは反映しないんですけど、部屋の反転は結果としてだいぶしっくりきていますね。 ──撮影しながらさまざまなアイデアを取り入れていくのは、ダイナミックでおもしろいと思いますが、かなり大変なのではないでしょうか。 山中 決められた脚本をスケジュールどおりに撮っていくだけだと、作業感が強くてあまり楽しくなくて。もちろん、着々と積み重ねて準備してきた部分も大事にはしていますが、『ナミビアの砂漠』の場合は、それ以上に撮影を通じてみんなが感じたことのほうが大事なんじゃないかと思ったんです。 ──『ナミビアの砂漠』は河合優実さんの存在感も欠かせない要素だと思いますが、河合さんとの映画作りはどのようなものでしたか? 山中 河合さんは、カナからはみ出さない範囲で、お芝居を毎テイク変えてくるんですよ。何度も同じ演技ができる俳優も、そのときの気持ちを大事にして毎回変わってしまう俳優もそれぞれ魅力的だと思うんですけど、河合さんはそのハイブリッドというか、そのシーンに最適な領域の中で変えてくるのがおもしろくて。だから、撮影中は河合さんにもカナにも慣れるということがなかったです。 ──立ち姿というか、佇まいが圧倒的に「カナ」だったところにも驚かされました。 山中 撮影前から、河合さんとカナの歩き方を決めたりはしていました。あとは、「今、カナはどういう気持ちでいるのか」「外からどう見えて、内心ではどう思っているのか」など、シーンごとのカナのテンションもスタッフみんなと共有して。河合さんのカナがカナすぎて、スタッフがカナについて語るときに、まるで実際にいる友達みたいに話すのがおもしろかったです。 ──作品の反響については、監督としてどのように感じていましたか? 山中 万人に「おもしろい」「わかる」と言われる映画ではないという自覚はありましたが、それにしても感想がバラバラで。語る人の内面を鏡のように映し出してしまう側面があるというか、その人の価値観がにじみ出てくるような感想も多かったのが興味深かったです。 ──つい自分のことや、自分のまわりにいるカナについて話したくなってしまう。 山中 そうですね。個人的な記憶と結びついて、それが引きずり出されてしまう映画だというのは、いろんな人の反応を見て知りました。あと、「この人が気に入ってくれたらそれでいい」と思っていたSNSの人にも観てもらえたので、そういう意味では大成功でしたね。 基本サボってしまうので、本当に集中するときは生活から変える ──山中さんのサボりについても伺いたいのですが、ひとりで作業するようなときに、ついサボってしまうことはありますか? 山中 仕事をしている時間のほうが断然短いです(笑)。喫茶店に6時間いても、本当に集中しているのは全体の80分ぐらいの感じで。 ──仕事に集中できていないときは、何してるんですか? 山中 本を読んでいるときはまだよくて、仲のいい友達とやりとりしちゃうんですよ。用事があって連絡しても、話題が用事と関係ない方向に派生していってしまって。あとは、調べものをしているうちに関係ないことを調べ始めたりすることもありますね。でも、やらなきゃいけないことがやれていないこと自体はものすごくストレスなので、そのストレスに対する怒りをバネに仕事を片づけるんです。 ──作業は基本的に喫茶店でやるんですね。 山中 でも、喫茶店で仕事をしなさすぎて、仕事をする場所じゃなくなり始めてます。いくつか店を変えるんですけど結局やらなくて、最近は逆に家でやるようになりました。脚本を書かなきゃいけない時期は、さすがにもっと集中しますけど。脚本の期間は、本気で人に会わないようにするし、やりとりもしません。 ──やると決めたらできるタイプというか。 山中 撮影の半年前ぐらいのせっぱ詰まった段階になると、生活から変えて追い込みます。私の場合、脚本は自分の内面に潜らないと書けないので、外交的なモードだと書けないんですよ。 ──そういった集中モードのときこそ、意識的に息抜きをする必要があると思いますが、ひと息入れるためのポジティブなサボりはありますか? 山中 人に会えないし、仕事と関係のない本を読むようなこともなくなるので、食事だけはすごくこだわります。ステーキとかすき焼きとかパフェとか、普段食べないようなものを食べてエネルギーをつけるんです。逆に普段食べているようなものは好きでも食べない。それがジンクスのようになっていて、普段の自分からは出てこないようなものを生み出すために、普段とは違う自分に変えていくんです。 ──食事が儀式みたいになってるんですね。 山中 ガソリンだと思って食べてるので、息抜きにもなっていないのかもしれません。食べること自体は楽しいんですけど。 ──では、日常モードのときに純粋に心休まるのはどんなときですか? 山中 飼っている猫といるときですかね。もともとは旅行とかも好きだったんですけど、猫がいるし、結局疲れるので全然息抜きにならなくて。今は普通に歯医者に行ったり、整体に行ったりすることで癒やされます。自分をないがしろにせず、大事にしていると思えることでホッとできるというか。昔の自分だったら「ウソつくな!」って軽蔑しそうですけど(笑)。 ──日常の感覚が変わってきていると。 山中 そうですね。以前はホッとする時間があまりなくて。やっぱり趣味でも人と会って話すでも、何をやっていても仕事の役に立ってしまうから、ずっとオンの状態になってしまうのがつらかったんですよ。でも、最近はそれが受け入れられないとか言ってる場合じゃないというか、それもしょうがないなと思えるようになった感じですね。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
エッセイアンソロジー「Night Piece」
気持ちが高ぶった夢のような夜や、涙で顔がぐしゃぐしゃになった夜。そんな「忘れられない一夜」のエピソードを、オムニバス形式で届けるエッセイ連載
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感情を表に出すには時間がかかる。知らない自分と出会えたふたつの夜(鈴木絢音)エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 鈴木絢音(すずき・あやね) 1999年3月5日生まれ、秋田県出身。俳優、文筆家。2013年、乃木坂46の2期生オーディションに合格して加入し、研究生として活動を開始。2023年3月に初エッセイ『⾔葉の海をさまよう』(幻冬舎)を発売し、同年3月28日をもって乃木坂46から卒業。現在は俳優と執筆業のほか、CBCラジオ『大津功と鈴木絢音の通になりた~い!』など幅広く活躍している。 感情がない人だ、と言われることがある。たしかに、ほかの人より感情の起伏が少ないほうかもしれない。それでも、私だってうれしいことがあればうれしいし、悲しいことがあれば悲しい。ただ、それを表に出すには、少しだけ時間がかかる。一度自分の中で、形になるのを待ってから、言葉にする。そのほうが、自分の感情を見失わずにいられるような気がしていた。それが私なりの感情との距離の取り方、向き合い方だったのだと思う。けれど、その向き合い方を見つめ直す夜が、二度あった。 屋外スタジアムでのコンサートだった。空はまだ完全に暗くなりきっておらず、昼と夜の境目で、その日最初の花火がステージに立つ私たちのうしろに打ち上がるはずだった。けれど、風向きのせいで花火が流れ、少し逸れたところで開いた。その瞬間の振り付けの流れで、私たちは偶然、花火を見上げることになった。 屋外コンサートは何度も経験してきたが、ステージ上から花火を見るのは、初めてのことだった。「あ、花火だ」と、気づいたのより少し遅れて、客席からの大きな歓声が私のところまで届く。一瞬、夢と現実の区別がつかなくなった。 でも、何事もなかったように、すました顔でパフォーマンスを続けた。喜びの感情を沈めながら、顔の角度は変えずに視線だけを落とすと、先輩がステージ上で花火に向かって手を伸ばしている。無邪気に飛び跳ね、まるで子供みたいだった。数秒後、先輩は私の視線に気がついて、少し照れたように笑い、パフォーマンスに戻った。 私だってうれしかった。でも、抑え込んだ。感情は一度自分の中に落として、形を整えてからでないと、外に出してはいけないと思い込んでいた。そうしないと、自分で自分を保てないような気がして、それがいつの間にか癖になっていた。 先輩は私とは違っていて、ほんの数秒、その瞬間にしか見られない花火を見て、素直に喜んでいた。それは正しさの中にある、ほんの一瞬の隙間だった。私たちは同じステージに立っているはずなのに、先輩はその瞬間の中にいて、私はその瞬間の外にいた。 ステージに立ちながら、その瞬間を誰よりも楽しんでいる先輩の姿は、花火よりも鮮やかで、呼吸するのを忘れるくらいまぶしかった。 私は、このときの情景を今でも鮮明に思い出せる。感情が形になる瞬間が、こんなにも愛おしいものだとは思わなかった。何年もステージに立ってきたのに、こんなに大切なことに気がついたのは、残りのステージを指折り数えられるころになってからだった。 その数年後、私の心を大きく揺さぶったのは、1匹の猫だった。一緒に暮らし始めて少し経ったころ、その猫が手術を受けることになった。急な病気やケガではない。迎えるときから決まっていたもので、心の準備はできているつもりでいた。 昼下がり、病院で同意書に署名し、猫を預けて、私だけ帰路についた。部屋の中は何も変わらないのに、自分の部屋ではないみたいだった。猫がいつも使っているブランケットも、ご飯のお皿も、おもちゃもある。けれど、猫だけがいない。部屋は驚くほど広く、静かに感じられた。当たり前だと思っていた暮らしは、小さな気配の上に成り立っていたのかもしれない。時計の針は正しく進んでいるのに、私だけ置き去りにされたようだった。 日付が変わるころ、ようやく病院から連絡が入った。手術は無事に終わったものの、ひと晩入院することになったという。せめて顔だけでも見に来てください、という言葉で外に出た。街の空気はもう冷たかった。 静かな病院の入院室の中で点滴を打たれている猫は、不安そうで、落ち着かない様子だった。撫でてあげてください、と言われ、いつものように手を差し伸べると、顔を擦り寄せてきた。その小さな仕草で、張り詰めていた心の糸が切れるのがわかった。救われたかったのは、私のほうだったのかもしれない。 安心と、不安と、言葉にならないものが同じ場所に重なって、どれが自分のものなのかわからなかった。感情を理解するより先に涙が落ちた。20歳超えて泣いたことなんてほとんどなかった私が、泣いた。夜が明けるまで泣いて、ほとんど眠れなかった。 翌朝迎えに行き、ようやく自分の部屋に猫が戻った。ご飯を食べ、おやつまで食べ、ごろごろと喉を鳴らして甘えてきた。時間は猫の温もりとともに正しく動き始め、心の欠けていた部分が埋まったような気がした。私は泣けるほどの大きな感情を自分の中に持っていたことを知った。 私は一度信じたことを、なかなか手放せない。自分では柔軟なつもりでいても、頑固なのだと思う。物の見方を変えるには、当たり前だと思っていたことが、一瞬でひっくりかえるような出来事が必要になる。感情が形になる瞬間の美しさを知った夜、自分が思っていた以上に誰かを愛せると知った夜、ふたつの夜が私の知らなかった私を連れてきた。そういう夜を積み重ねながら、人は少しずつ、自分の知らなかった自分と出会っていくのかもしれない。 文・写真=鈴木絢音 編集=宇田川佳奈枝
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じいちゃんとの思い出、酒が解いた夜(たけうちほのか)エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 たけうちほのか 1997年4月6日、東京都町田市生まれ。モデルやインフルエンサーとして活動をスタートし、2023年4月に『ゴッドタン』(テレビ東京)のオーディション企画で優勝したことを機に、バラエティの才能が開花。お酒好きやサッカーフリークといった親しみやすい一面も持ち、飾らないキャラクターと物怖じしないぶっちゃけトークで大きな話題を呼ぶ。その後、『酒のツマミになる話』(フジテレビ)、『ダウンタウンDX』(日本テレビ)など数多くの人気番組にゲスト出演を重ね、マルチに活躍中。 忘れられない夜がある。 家族全員でウイスキーを飲んだ夜だ。 先月じいちゃんが死んだ。 町田にじいちゃんとばあちゃんが住んでいた。 子供のころは、団地で生まれて育った。 うちは1街区で、ばあちゃん家は7街区。 歩いて20分の距離だった。 私の家は親が共働きで忙しかった。 学校帰りは、ばあちゃん家に帰ってご飯を食べたりして 週末と夏休み、春休みはずっとばあちゃん家で過ごしてきた。 夏休みの定番といえば、 じいちゃんお手製の竹で作った流しそうめん 。 それをうっすいめんつゆにつけて食べたら そのあとはつまらない宿題の時間だった。 内緒だけど、習字はじいちゃんが子供っぽく書いてくれたし、自由研究はじいちゃんが考えたのをひたすら写した。 じいちゃんが考える自由研究は、いつも学年で1位だった。 じいちゃんは無口で超頑固。 酒、たばこ、女が大好きな、まさに昭和の漢(おとこ)だ。 夜は、ばあちゃんが隠したサントリーのウイスキーのボトルとhi-liteのたばこを宝探しのように探した。 見つけたら、じいちゃんが貯めている500円玉をもらえた。 じいちゃんが仕事を辞めたとき、家でテレビを見てお酒を飲むことだけが趣味だった。 毎晩ウイスキーを1本空けた。 健康を心配したばあちゃんがウイスキーとたばこを隠すと、毎日怒鳴り散らかした。 じいちゃんをそんな人間にさせるウイスキーという飲み物を、子供の私は大っ嫌いだった。 そんなじいちゃんが、酒を飲まなくなった。 だんだんとじいちゃんらしい頑固な性格も柔らかくなって、 このころの好物は、たばことウイスキーではなく、あんぱんとコーラに変わっていった。 なんとなく、子供ながらに人の老いを感じていた。 そんなじいちゃんの口癖は“まじめにやってるかー?” 毎回ばあちゃん家に行くたびに私にそう言ってきた。 思春期が来たときには、あまりばあちゃん家に行かなくなった。 久々に行くと、じいちゃんは杖をついていた。 私がたまに泊まりに行ったときは、いつもは出てこない寝室から、 ものすごい時間をかけてリビングまで歩いてきて、笑いながら私の話を聞いてくれた。 私が毎回“今日のパンツの色見て〜!”とふざけて見せると、 “お前は一生結婚できないな”と笑いながら寝室に戻っていった。 何年かその調子で無口なじいちゃんは、元気だった。 あるとき、じいちゃんは施設に入った。 何回か面会に行ったけど、もうそのときには、私の名前も誰かも忘れていて少しボケ始めていた。 “この施設はかわいい女がいねぇ”とか(笑)。 ばあちゃんのことを“嫁”と呼び始めたり“嫁が大好きだ”とか“嫁が一番かわいい”とか、普段絶対じいちゃんが言わないようなことばっかり言っていた。 でも、会うたびに必ず“まじめにやってるかー?”と聞いてきた。 ちょっとは覚えてんのかよ(笑)と私は思った。 数年が経って、じいちゃんが病院に移ったと連絡が来た。 肺炎だった。 その2日後じいちゃんは死んだ。 その日じいちゃんに家族で会いに行った。 集まったとき全員が、じいちゃんの大好きなサントリーのウイスキーを片手に持ってきていた。 竹内家の約束は、葬式まで明るく。 じいちゃんが生前これを遺影に使ってくれよと言ってた、ばあちゃんの誕生日会をやったときの、じいちゃんが一番ふざけていた写真だった。 約束どおり持って行った。 全員がその写真で笑った。 葬式の次の日、奇跡的に全員の休みがそろって初めて家族全員で旅行に行った。 その夜、家族全員でウイスキーの水道水割りで乾杯した。 じいちゃんの飲み方だった。 じいちゃんのために全員が集まって、じいちゃんとの思い出話をつまみに、お酒を飲んだ。 気づけばグラスの中のウイスキーが何度も空になって、じいちゃんがそこにいるわけじゃないのに、あの夜はたしかに家族全員の真ん中にじいちゃんがいた。 無口で頑固で無愛想で家族の愛し方がわからないと言ってたじいちゃんが、一番家族をひとつにしてくれた夜だった。 そんな私が小さいころ大っ嫌いだった、ウイスキーを飲みながらこの文章を書いている。 じいちゃんが毎日飲んでいた意味が今はわかる。 酒は人をダメにするものだと思っていた。 じいちゃんを怒らせる原因だと思っていた。 でも今は少しだけ違う。 酒が偉いわけじゃないし、酒で全部解決するわけじゃない。 ただ楽しかった夜や寂しい夜、うまく言葉にならない気持ちをゆっくり引っ張り出してくれる夜がある。 今日のこの1杯もそうだ。 忘れたくない思い出を思い出させてくれる酒なら、少しくらい好きに飲んでもいいかもしれない。 私はこんな毎晩の1杯が大好きだ。 じいちゃん、私はまじめにやってるよ。 ありがと。乾杯。 文・写真=たけうちほのか 編集=宇田川佳奈枝
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チキン南蛮弁当に別れを告げる、食べ尽くし食べすぎた私だけの夜(ぼる塾・あんり)エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 ぼる塾・あんり(ぼるじゅく・あんり) 1994年10月7日、東京都江戸川区生まれ。2014年、幼なじみのきりやはるかとお笑いコンビ「しんぼる」を結成、2019年に田辺智加と酒寄希望の先輩コンビ「猫塾」と合流してお笑いカルテット「ぼる塾」としての活動を開始。『女芸人No.1決定戦 THE W』2020・2023・2024で決勝進出。『ラヴィット!』(TBS)、『ぼる部屋』(九州朝日放送)、『イマドキッ』(MBSラジオ)などにレギュラー出演中。4月からメンバーの田辺智加とパーソナリティを務める『ぼる塾あんりと田辺の食べて喋って』(TBS Podcast)がスタート。 食べすぎた夜の次の日にもっと食べすぎた夜を過ごせば、昨日の夜の食べすぎは少しマシになる。 この考えを、私は【食べすぎのマトリョーシカ】と呼んでいこうと思う。 コンビニで買った夜ご飯、空の弁当箱やホットスナックが入っていた袋、その他もろもろ。 ゴミを入れたら、今日買った3円の袋はすぐにパンパンになった。 これを繰り返していくと、1週間も経たずに45リットルのゴミ袋もあっという間にパンパンになるのだ。 わかっている。 ひとり暮らしだから、誰のせいにもしない。 私がすべて食べた。 食い尽くした。 大人な私は、潔く食べすぎる。 今日の朝は、5時にマンションを出た。 見上げた空はまだ暗かった。 暗ければ朝ではなく、夜だ。 誰かが誰かにそう言って、もう少しだけ眠れたらいいのに。 そんなことを願いながら始まった1日。 夜まではまだ長い。 仕事は嫌いじゃない。 仕事があることはありがたい。 でも、早く帰りたい。 夜が待ち遠しい。 今夜も誰かと会う予定は特にないけど。 早朝からがんばった自分へのごほうびを存分に与えることができるのは、私だけだ。 今夜私は、昨日の私より食べすぎる。 帰りのタクシー、スマホの画面を見なくても指がデリバリーアプリの位置を覚えている。 そのまま慣れた手つきでお店一覧をスクロール。 デリバリーアプリの配達時間と地図アプリで自宅までの到着時間を比較しながら、今夜食べすぎるものを決めていく。 しかし、ダメだ。 今日は決まらない。 お腹が空きすぎて、わずか10分の配達時間でさえ待てそうにない。 よし、こうなったら、今夜はコンビニの商品で宴だ。 夜の暗闇で光る24時間営業の楽園で暴れてやろうじゃないか。 お弁当のコーナーに行く道中で、レジ前のホットスナックが充実していることを確認した。 この効率のよさをほかのことにも使えたら、もっと立派な大人になれるかも。 まあ、それは少し先の未来の私に期待しよう。 今は、宴の準備に集中。 このコンビニでよく買うチキン南蛮のお弁当と目が合った。 「おかえり」と言われた気がした。 自然と手が伸びた。 だけど、チキン南蛮弁当に触れる直前に止めた。 今日はもっと非日常を楽しみたい。 チキン南蛮弁当、今日はごめんね、また明日ね。 返事はもちろんなかった。 さて、どうしようか。 静かに悩む私の近くに、大学生くらいの男性3人が楽しそうに笑いながらやってきた。 彼らのカゴの中には、すでにお酒やお菓子がたくさん入っている。 これから誰かの家で宅飲みでもするのだろう。 ピザポテト、じゃがりこサラダ味、柿の種、しみチョココーン。 カゴの中のお菓子のラインナップで、特別な記念日や特別な理由があるような宅飲みではないとわかる。 目的も理由も曖昧な、ただなんとなく集まってする宅飲み。 これがどんなに楽しいか、私は知っている。 パーティー開けにしたピザポテトのパッケージがお皿になって、そこにほかのお菓子も盛り合わせていくのだろう。 明日の朝、柿の種は少し余り、家主のものになる。 知らない大学生たちの宅飲みを想像して、なんだか私まで楽しくなる。 私がそんな宅飲みをしていたのは、20歳から23歳くらいのとき。 芸人になって、1年目から3年目。 バイトやライブ、オーディションが終わったあとに、終電で同期の家に集まって、始発まで宅飲みをするのが習慣になっていた。 夜が深くなるほど、会話の内容も濃くなっていく。 売れたらどんな番組に出たいか、どんな芸人でありたいか、同期とそんなことを語っていると、なんだかもう叶っているかのような満足感があった。 今語り合っている夢がこれ以上遠ざからないように、同期との差が、結果ではなく努力から生まれないように、がんばらなければ。 同期との宅飲みは、楽しみながらも自分を焦らせる時間にもなった。 正直にいうと、本当にただ集まって、お菓子を食べて、朝には覚えていないようなしょうもない話をして、始発に帰るだけの無意味な宅飲みのほうが数でいえば多い。 でも、だからこそ、少しだけまともに語り明かすことができた夜を昨日のことのように覚えていたりする。 隣にいる大学生たちにまた視線を戻す。 彼らは今夜、何を語り合うのだろう。 「俺、弁当いっちゃおうかな!!」 私がさっき「また明日ね」と別れたチキン南蛮弁当を大学生のひとりが手に取る。 「今メシ食ってきたばっかだろ!」とか「食欲バカすぎ!」とか笑う友達に、うれしそうな表情をしている。 サービス精神が旺盛なチキン南蛮弁当の青年よ。 私が人生の先輩として予言しよう。 今日、君は宅飲みで一番先に寝ることになる。 青年にあのころの自分を重ねて、気づいたら私は弁当売り場からお菓子売り場に移動していた。 ピザポテトに「久しぶり」と声をかけられた気がする。 あのころみんなで分け合っていたものは、今日はひとりでたいらげる。 いや、あのころもほとんどひとりでたいらげていたかもしれない。 ピザポテトが入ったカゴにさっき別れたチキン南蛮弁当も追加した。 私に非日常はまだ早い。 日常の中で暴れよう。 今日の宴のテーマは“あのころの自分と今の自分の宅飲み”。 コーラとシュークリームもカゴに入れて、レジでアメリカンドッグと骨なしチキンも頼む。 3円で買った袋にパンパンに詰まった宅飲みの材料たち。 今夜私を楽しませてくれる、最高の演者たち。 なんだか大学生3人のカゴに入っていたものより多い気がするが気にしない。 今夜の宅飲みルールは、罪悪感を抱かないこと。 最高の夜にするんだ、遠慮なくはしゃごう。 その夜の私の食欲は、あのころと変わっていなかった。 宣言どおり、楽しくて仕方がない最高の夜を過ごし、満足して満腹で眠った。 あのころと変わらない自分、あのころから少し変われた自分、どちらも好きだと自覚する夜。 私はきっと、この夜をまた過ごしたくなるだろう。 大切にしたい私だけの夜。 朝に来るであろう胃もたれは、朝の私に任せてしまおう。 文・写真=ぼる塾・あんり 編集=宇田川佳奈枝
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~
人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など──漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記
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UFOに翻弄される人々、「信じたい」気持ちの尊さを描いたヒューマンドラマ──小路谷秀樹『虚空門 GATE』文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 私はいわゆるUFOというものを信じていない性(たち)だ。地球外生命体の存在自体はあってもおかしくない、むしろあってほしいと思っているが、アブダクションとか空飛ぶ円盤とか言われると、「そんなテンプレ的な想像が本当に真実と一致するのだろうか?」と、どうしても疑いの気持ちを持ってしまう。 今まで「UFOを見た」と主張していた人の大半が嘘だった、という経験から来る疑いもある。地球外生命体は実在してもおかしくないが、SNSに上がっている映像やエピソードトークは99.99%フェイクだろう、というのが私の感覚だ。 私と同じような感覚の人は多いと思うし、本作に関してもUFOを題材にした映画といわれると、反射的に「うさん臭い」と感じる人もいると思う。 私も正直、仕事(角由紀子原作『トムライガール冥衣』作画担当)のための勉強という目的がなければなかなか手が伸びない作品だったと思う。私はUFOの真偽というSF的なテーマよりも、人間の人間らしさの部分に興味があるからだ。私は大半の心霊やオカルトを題材にしたドキュメンタリーに対して、普通であれば多少なりとも疑いの気持ちを持つものに対して「本物の前提」で進んでいくような……登場人物たちの気持ちについていけないような気がしていた。これは映画の質の問題ではなく、制作の目的が違うのだから当たり前だ。私はターゲットではないのだ。 だが、この映画は違った。この映画はUFO映画の皮を被ったヒューマンドラマなのだ。 2013年、本作の監督である小路谷秀樹はYouTubeで月面異星人遺体動画を発見した。小路谷は件の動画に強く興味を持ち、友人や専門家に意見を聞いて回るが、フェイク動画だと言われてしまう。 1995年に発見され世界を震撼させた「宇宙人解剖フィルム」(※)も2006年、制作者によってフェイク動画であったことが告白された。嘘だったのだ──UFO研究家、宇宙人研究家たちは慎重になっているという。だが、専門家たちは動画がフェイクだということと、宇宙人が実在しているかはまた別の話だともつけ加える。 (※イギリスの映像プロデューサーが世界中に公開した、異星人の死体解剖を撮影した記録フィルム) (C)Bride Works/『虚空門 GATE』 取材を続けていくなかで、小路谷は俳優である庄司哲郎と出会う。庄司は「自分はUFOを呼べる、UFOなんか当たり前に飛んでる」と主張する。小路谷は庄司含むUFO愛好家たちに同行し、UFO撮影を試みる。作中ではUFOを確認できたということになるのだが、映像に映るのは「あれあれ、出た出た!」「俺生まれて初めてUFO見た!」とはしゃぐ登場人物たちだけなので、我々視聴者には真偽のほどはわからない。また別の日、小路谷が庄司に同行すると、なんと庄司はUFOの撮影に成功したという。庄司が撮った写真にはたしかに空に浮かぶ円盤が写っていた。 「明日はどうしようかな」 「明日は晴れていればなんらかはあるんじゃないかと思うけど」 正直このシーンまで、私はこの作品もノットフォーミーなのかもしれない……という不安を持っていたのだが、ここで急展開が起こる。 撮影の約束の日、庄司は現場に現れずそのまま音信不通となるのだ。 そして2016年8月31日、庄司哲郎は覚醒剤取締法違反で逮捕された。 小路谷は庄司を慕っていたUFO愛好家たちに尋ねる。 「彼の能力は信じてるんですね?」 「断然信じてますよ」 「だからこそもったいないんですよ」 「覚醒剤とは別個に本当だったんじゃないかなと思ってるんです」 全員が庄司の能力は本物だと信じているという。 恋人である林泰子も、何度も手紙を送るなど献身的に庄司を支えていた。 いなくなった庄司の代わりに猫に餌をあげる彼女が、空を見て言った。 「あ! 地震雲!」 ここで私は、この映画はUFOを題材にした作品ではなく、UFO愛好家・庄司哲郎とそれを取り巻くUFO愛好家仲間たちのヒューマンドラマなのだと理解した。 約7カ月後、身柄の拘束が解けた庄司は身の潔白を証明するために控訴するという。 「いくつまで生きるかわかんないけど、人生。てっちゃんにとって大事なものを最優先に考えたら、戦うことじゃなくて、大切な人を守りながら二度とこんな目にあわないように生きていくことが一番大事なんじゃないの」 泣きながら訴える泰子の姿は胸を打つものがあった。 庄司は泰子の説得を受け、控訴して戦うのではなく、警備員として働きながらUFO愛好家として活動する道を選ぶ。 この映画のテーマのひとつとして、人間の「信じたい」という気持ちの尊さがあると思う。専門家に否定されても「信じたい」気持ちで取材を続ける監督。逮捕されてもUFOに関する能力は本当だったと「信じたい」UFO愛好家たち。逮捕されたパートナーを「信じたい」一心で支える泰子。作中には何度か、UFOを信じていると楽しそうに語る人たちのインタビューも差し込まれる。 (C)Bride Works/『虚空門 GATE』 物語後半、小路谷は庄司含むUFO愛好家たちの合宿に同行することになる。そこで小路谷は同行者のひとりから衝撃的な告白を受ける。彼は庄司が“こより”のようなものを使ってUFO写真を偽装しているところを見たという。 「これはもうある種の試練だなって。これでも信じるの?っていう思いが……」 その後、小路谷は偶然、庄司が“こより”を使ってフェイク映像を撮影している場面をカメラに収めてしまう。庄司の不正は本当だった。 カメラは第三者視点になり、これまで視点としてカメラを握っていた小路谷が被写体として映画の中に登場することになる。小路谷は庄司を問い詰めるが、庄司は記憶がないと否定する。泰子は心配そうに庄司を見つめていた。泰子は庄司の不正に気づいていたのだろうか。その答えが作中で明かされることはない。 ふたりはその後籍を入れ、小さな結婚式を挙げる。 (C)Bride Works/『虚空門 GATE』 私事だが、少し前までオカルト作品(『トムライガール冥衣』)の作画を担当していた。私個人として大切に思っている作品であるものの、数字的にはあまり振るわなかった。 オカルトの専門家を原作に据え、しっかりとした知識に基づいてオカルト要素を扱う、という編集部としても気合いを入れた作品であったと思う。私がオカルトを信じていないことが作品にとって悪い影響を与えているのではないか、と何度も考えた。 だが、私は実在するかわからないもの、未知のものへの恐怖や興味で振り回される人間の心情にはすごく興味があるし、そういった人間の心情を丁寧に描いている作品が大好きだ。本作を観てその思いはさらに強くなった。やはり、UFOという存在を証明できないものに焦がれ、振り回される人間は尊く、おもしろいと思う。連載中不安になっていたなかでこの映画に出会い、その気持ちを再確認できて本当に感謝している。 結局、もろもろの都合からその気持ちを作品に活かすことはできず何も力添えができなかったため、作品に対しては大きな後悔と申し訳なさが残っている。 私は幼少期から母に「お天道様が見ている」というような理屈で教育されたことは一度もないし、幼少期近所にあった「おばけトンネル」と呼ばれる心霊スポット(?)も家族の中では「ゲジゲジが出るトンネル」という扱いに過ぎなかった。子供のころから幽霊よりゲジゲジのほうが怖かった。そんな家の中で、母が一度だけ幽霊の話をしたことがある。壁にかけていたカレンダーが揺れたのを「弟の命日が近いから来てくれた」と言ったのだ。私はもう十数年も前の母のその言葉が今でも忘れられない。 人があやふやなものを信じる理由はいろいろあるけれど、普遍的な理由のひとつとして、信じたいから、があるのだと思う。 だから作中でUFOについて語る人はみんな少年のようにキラキラしているし、庄司を見つめる泰子の目は愛にあふれているのだろう。好きなものを、好きな人を、信じたいから信じるのだ。 なぜ人は何かを信じるのか。信じたいと思うのか。 本作は宇宙人が「いる」のか「いない」のかがどうでもよくなってしまうくらい、大切な人間の感情を捉えたヒューマンドキュメンタリーである。 余談だが、監督である小路谷秀樹はAV監督出身で、「アダルトビデオ」という造語を生み出したAV史に残る人物でもあるらしい。 平野勝之といい、カンパニー松尾といい、AV監督の撮るドキュメンタリーは湿度のあるおもしろいものが多い。私は女性ということもありAVを通っておらず、監督方のビデオも見たことがないのだが、何か通ずるところがあるのだろうか。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2026年3月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)にて『今際の際のファムファタール』の新連載がスタートしている。 X:@bnbnfumiya 『虚空門 GATE』 企画・制作:株式会社ブライドワークス MONALISA FILMS 監督:小路谷秀樹 撮影:小路谷秀樹、小路谷恵美 プロデューサー:小路谷秀樹、小路谷恵美 編集:小路谷秀樹 出演:庄司哲郎、林泰子、竹本良、巨椋修、大森敏範、宇宙大使くん、ほか (C)Bride Works/『虚空門 GATE』
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なぜクラシックに惹かれるのか? クラシックに青春を捧げる4人を追いかけた1371日間──浅野直広『カルテットという名の青春』文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 2011年にBS朝日で放送され、第49回ギャラクシー賞など数々の賞を受賞したドキュメンタリー番組が再編集され、劇場公開された。浅野直広が監督を務める本作は、タイトルのとおりカルテットに青春を捧げる若者たちを1371日間にわたりカメラで追った青春映画である。カルテットとは2本のヴァイオリンとヴィオラ、チェロで構成される合奏形態のことで「クラシック音楽の本質」ともいわれる究極のアンサンブルだ。 私は正直にいうと王道の……才能ある善良な若者の成長を追ったような作品が好みというわけではないのだが……本作の外せない見どころのひとつとして監督である浅野の視点がある。物語序盤の浅野の「クラシック嫌い」宣言がなかったら、私はこの映画に入り込めていなかったかもしれない。浅野の少し斜に構えた姿勢には個人的に共感を覚える。浅野の視点に乗って彼らを見ることで、浅野の変化とともに偏見を取り外すことができ、4人の青春がよりいっそう胸に響くようになる。 2008年、クラシック嫌いを自称する浅野が出会ったのは、カルテットを組む4人の若き音楽家たち。リーダーも務めるファーストヴァイオリン・タロウ(植村太郎)、芯の強い性格のセカンドヴァイオリン・マドカ(佐橘マドカ)、天真爛漫でムードメーカーのヴィオラ・マリコ(原麻理子)、これまでコンクールで1位以外を取ったことがないというチェロ・ダイ(宮田大)。4人とも経歴を聞いただけでまぶしくなるほどのエリートだ。4人は国内最高の若手演奏家集団の名をほしいままにしていた。クラシックが好きな人間からすると、垂涎ものの被写体なのだろう。だが、浅野にとって初めて聞いた4人の演奏は難解で「あくびを噛み殺す」時間になっていたというほど、退屈なものだった。何度も繰り返される演奏の違いは素人にはわからないような高度なものだし、無理もないと思う。私も、この映画についていけるのか不安になった。 「絶対そういう変なことはしてないから!」 コンクールへ提出する音源のレコーディング中、マドカがタロウに言い放った。楽譜の解釈についての言い争いだ。 「それが長いんだっつんだって!」 「じゃあ自分で弾いて!」 揉めに揉めた結果、4人は書類審査で落選となった。 浅野はこの日まで、この優秀な4人のサクセスストーリーを撮る予定だったという。そんな彼らがまさか一次審査での落選だなんて。浅野が前のめりになったのを感じた。 タロウが言った。 「僕たちのよさをわかってないだけ」 一次審査での落選を受けても強気にうそぶく若者たちは魅力的で、浅野が「なぜ彼らがこれほどまでクラシックに惹かれるのか」知りたくなったというのもうなずける。私はこの映画はおもしろく見られるぞ、と確信した。 その後、4人はマリコの海外留学によってさらに揺れ動くことになる。マリコは海外の自由で創造的な音楽に触れることで、ほかの3人とは違う音楽観を持つようになっていた。そして彼女は、ついにはカルテットからの脱退を申し出ることになる。 誰も彼女を引き止めようとはしなかった。誰も強い言葉を使わなかった。だが、4人の心がバラバラになっているのは明白だった。 その後、タロウ、マドカ、ダイはそれぞれ別の場所へ留学していくことになる。 そして浅野は4人の音楽に対する誠実な姿勢を目の当たりにし、「クラシック嫌い」という偏見から解放されていく。そうして、物語後半4人がカルテットを再開し「演奏に感情を込める」という壁にぶつかるころには、浅野は人生で初めてクラシックのCDを購入するようにまでなっていた。もともと音楽に造詣のある浅野だ。偏見がなくなれば、クラシックによさを感じるのも当然の流れなのかもしれない。 私がドキュメンタリーを好きだと感じる大きな点のひとつに、「被写体との接触、撮影を通して起こる監督の視点の変化」(またはその逆)がある。本作も、それがわかりやすく描かれているところが好きだ。欲をいえばもっと赤裸々な浅野の感情も知りたかったところだが、きっと4人へのリスペクトが大きくなるにつれて茶々を入れるのは野暮だ、という考えになったのだろう。それもまた、音楽好きである監督の「らしさ」な気がしてよい。 個性豊かな4人の中でも、私が特に惹かれた人物がファーストヴァイオリンのタロウだ。タロウは物語序盤、浅野からの「自分をおでんの具でたとえると?」という質問に「大根(メイン)かなぁ」「もちろんカルテットは4人平等だけども、ある意味で(僕の)責任は大きいんですよ」と答えていた。4人のリーダーも務めている彼のまじめさと責任感の強さがにじみ出た回答だ。 物語序盤、一次審査での落選を受けて強気にうそぶいていたのも彼だった。 「こんなこと言うと怒られちゃうかもしれないんですけど、ちっちゃいころから、あんまりヴァイオリン弾くことに苦労しなかったんです」 音楽家一家に生まれ、環境にも才能にも恵まれていた彼にとって、今は初めてのスランプだという。「自由な演奏をしなさい」と言われ続けたタロウは、そのことをよけいに考えてしまい、よけいに気持ちを込められなくなる、という負のスパイラルに陥っていた。 並列して語るのもおこがましい話だが、表現の仕事をしている身として非常に共感し苦しい気持ちになるシーンだった。私はネーム(マンガの下書きのようなもの)に対して「この内容じゃあなたが描いている意味がない」という理由でボツをくらうことがよくある。そういうとき、どうしたら自分らしくなるのだろう、自分らしさを表現できる構成はどんなだろう、と考えれば考えるほど、学ぼうとすればするほど、素の自分らしさから離れていき、何をしたら自分らしいのかわからなくなってしまう。また、そうして「自分らしさ」を求められ続けると、今まで言われてきた「ダメ」によって、がんじがらめになっていく気がするときがある。 話が逸れてしまったが、そんな私にとってタロウが音楽の美しさに気づき涙を流すシーンは心にくるものがあった。 「なぜ彼らがこれほどまでクラシックに惹かれるのか」 実は、その答えが作品内で明言されることはないのだが、本作を見た人はみんな、自ずとその答えを見つけることができるだろう。 物語の最後、浅野は4人に再び同じ質問をする。 「自分をおでんの具にたとえると?」 その答えはぜひ劇場で確かめてほしい。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本を発売。2025年1月から『週刊SPA!』(扶桑社)にて『トムライガール冥衣』(原作:角由紀子)、2026年3月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)にて『今際の際のファムファタール』の新連載がスタートしている。 X:@bnbnfumiya 『カルテットという名の青春』 2026年4月3日(金)から、シネスイッチ銀座ほかで全国順次公開 監督・撮影・編集・ナレーション:浅野直広 制作・配給:テレビマンユニオン 製作:BS朝日、テレビマンユニオン 出演:植村太郎(ヴァイオリン)、宮田大(チェロ)、佐橘マドカ(ヴァイオリン)、原麻理子(ヴィオラ)ほか ナレーション:原田知世 (C)テレビマンユニオン
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生い立ち〜恋愛まで、ママタルト・大鶴肥満の赤裸々な人生──白武ときお『まーごめ180キロ』文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 「まーちゃんごめんね」。略して「まーごめ」。 謎の言葉を発して登場する身長182cm、体重188kg。ピンクのジャケットを羽織った一度見たら忘れない巨漢、その名は大鶴肥満(おおつる・ひまん)。「僕がもう少し細ければ」そう言って登場するのは相方・檜原洋平(ひわら・ようへい)。大鶴肥満に隠れているが、実は174cm、82kgと少々太め。凸凹コンビならぬ、凸とちょい凸コンビ──サンミュージックプロダクション所属のお笑いコンビ、ママタルトだ。 『まーごめ180キロ』は新進気鋭のお笑い芸人、ママタルト・大鶴肥満に密着したドキュメンタリー……ではなく、彼が発するあいさつのような……ギャグのような……ともかく彼がバラエティ番組でよく発している言葉「まーごめ」の真髄に迫るドキュメンタリー映画である、らしい。 監督は放送作家の白武ときお。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)の最年少作家でありながら、『しもふりチューブ』、『ララチューン』、『ママタルト本物チャンネル』など数多くの芸人のYouTubeも手がけている。 ひと言でまとめるのは難しい映画だが、あえてひと言でいうと、“180kgのおもしろい男に出会える映画”だ。実際、作中で「まーごめ」という単語はそれほど登場しない。大鶴肥満が現在の大鶴肥満という存在になって得たものの象徴として「まーごめ」という単語が使われているといった感じだ。いわばメタファー。 「ファン向けのムービーなのか?」と思われてしまうかもしれない。だが、大鶴肥満という人間をよく知らない映画ファン、ドキュメンタリーファンの方も興味を失わないでほしい。最初は知らない巨漢でも、2時間見たらきっと好きになるから。 (C)劇場版まーごめ製作委員会 私がママタルトというお笑いコンビを知ったのは、2021年の冬だった。 個人的な話になるが、私は趣味のひとつとして『ぷよぷよ』というパズルゲームを挙げている。8年ほど前に出会ったこのゲームはなかなかおもしろく、私は大会やオフライン対戦会にも赴き、中級者といっても差し支えない程度の実力を手に入れるほどにはやり込んでいた。2021年11月、ぷよぷよの対戦会で知り合ったいわば“ぷよぷよ友達”のひとりから、ある日こんなことを言われた。 「今年のM-1(グランプリ)、追ってます?」 私は好きなコンビが準々決勝で落ちてしまった旨を話した。 「だったら真空ジェシカを応援しましょう。ボケの川北さんがぷよぷようまいんで」 彼らがYouTubeで芸人仲間を集めてぷよぷよを配信しているということを教えてもらった私はさっそくアーカイブを視聴した。 配信に参加しているのは真空ジェシカ・川北茂澄、ママタルト大鶴&檜原、ストレッチーズ高木貫太、さすらいラビー・中田和伸の5人。全員ちゃんとこのゲームをやり込んでいるのだろうとわかるプレイをしている。うまい。正直、競技人口も多くないゲームだ。芸人さんがこんなにたくさんこのゲームをやり込んでいるのか、と驚いた。 そんなきっかけでこの4組の芸人のファンになった私は、彼らの出演している番組を録画して観たり、西新宿ナルゲキの合同ライブに行ったり、単独ライブに行ったり、ラジオを聴いたり……と彼らを追いかけるようになった。そう、彼らは4組とも、ネタもおもしろかったのだ。ついでにいうと、MCのフリートークもめちゃくちゃおもしろい。おもしろくてぷよぷよがうまい、そりゃあ当然好きになるだろう。 前置きが長くなったが、それからしばらく経った2023年春。ママタルトの……いや、「まーごめの」ドキュメンタリー映画が公開されるという情報を耳にした。どうやらライブ用に作った映像を再編集したものを映画版として全国公開する、という経緯らしい。ドキュメンタリー映画が好きでママタルトも好きな私には願ってもない出来事だった。 さらに、私は大鶴肥満という人間の生い立ちにも興味があった。私は当時、ママタルトの冠ラジオ『ママタルトのラジオ母ちゃん』(GERA)をよく聴いていたのだが、大鶴肥満は時折、実家との確執や学生時代のトラウマに関する話をすることがあった。特に父親との反りの合わなさは繰り返し語られているトピックだった。率直に気になっていた。 とはいえ、芸人さんの(元は)ライブ用の映像ということであまり深い話は期待しないように、ライブの幕間を観る気持ちで観るべきだろう。そんな気持ちで臨んだ上映だったが、結果は期待の上の上を行く大満足だった。お笑い(コメディ)とドキュメンタリーのいいとこ取りをした素晴らしい映画だった。 2021年夏、表参道。ワタナベエンターテインメント本社の前に大鶴肥満はいた。大鶴肥満は言う。 「まーを待ってます」 「まー?」 「マルシアです」 大鶴肥満は俳優の大鶴義丹に似ていることから、現在の芸名を名乗っている。 2004年、大鶴義丹が記者会見でマルシアに対して発した言葉「まーちゃん(マルシア)、ごめんね」を略して「まーごめ」と言っているらしい。 ……えっ、もう答え出たじゃん。いやいや、まだ続く。 本作は3つの軸で進行していく。 1つめは、大鶴肥満がママタルトを結成し活躍するに至るまでの経緯について。大鶴肥満の語りを中心に、大学お笑い時代から親交の深い真空ジェシカやサツマカワRPGら10人のお笑い芸人の視点で語られていく。 2つめは、大鶴肥満の恋の行方について。これは現在進行形の話。マッチングアプリで知り合い1年間もの間気になっているMちゃんとデートを重ね、告白を試みる肥満の様子が映されている。 3つめは、大鶴肥満の……いや、粕谷明弘(かすや・あきひろ/大鶴肥満の本名)のこれまでの人生について。お笑いを始めるきっかけとなった大学のある明大前駅、嫌な思い出の小学校を巡る。 さらにはいじめを受けたという高校時代を振り返りながら 「お笑いは復讐だよ?」 ウエストランド井口浩之の言葉を借りて、自身の原動力を語る。 この映画は入れ子構造にもなっている。前述のとおり本作はもともとライブ用に作られた映像で、真空ジェシカ、大鶴小肥満(※スカート・澤部渡)による上映ライブが行われていた。映画版では上映ライブでの音声や映像も使われており、観客の笑い声や真空ジェシカによるツッコミが副音声的に被せられている。 そんな複雑な構成を取っている本作だが、実際見てみると案外見やすい。 大鶴肥満をはじめとした演者のしゃべりがうまいことに加えて、編集のバランス感覚が非常にいいことが理由だろう。退屈になりがちなインタビューシーンでも館内は常に笑いが起きていた。 おそらくこれは、視聴者の大半がお笑いファンであろうという想定から生まれた配慮だろう。 たとえば、大鶴肥満が語っているとき、ちょっとおもしろい遊具にまたがっていたとする。どう見てもおもしろいしツッコんでほしいけど、大事な話をしているから話の腰は折らないでほしい。そんなとき、後づけのテロップや真空ジェシカによる副音声で処理する。バラエティの手法をドキュメンタリーに取り入れたこの編集は秀逸で、作品にマッチしていたと思う。 (C)劇場版まーごめ製作委員会 ともかく、「お笑いファンが楽しめる」ドキュメンタリーになっているので、見やすいのだ。 とりわけ印象的なのが、前述のいじめを受けたという高校のあとに訪れた実家のシーンだ。実家が近づくにつれ大鶴肥満の顔が曇っていくように見える。 実家では今どき珍しい、息子の芸を、いや、息子がお笑いの道へ進んだこと自体をまったく認めていない父親が登場する。 「芸能人になるなんて許せないですね」 「情けない。早くコロッて死んじゃえばいいんだよね。誰にも迷惑かけずに死んでください」 さらに父親は、自分はコロナウイルスの関係でできないから友人に葬式をしてもらえと続ける。 「ごめんな、そんな子供に育てちゃって。もうちょっと才能がある子供に育ててあげればよかったのに」 ……もちろん、まったく愛がないわけではないだろう。母親は、父親は自分よりも大鶴肥満の活動を追いかけているとフォローする。 (C)劇場版まーごめ製作委員会 大鶴肥満は最後、「そのままでいてくれてありがとう」という言葉を残して実家を去る。そのまま、というのはもちろん、俺の嫌いな親父でいてくれて、という意味だろう。 物語の最後は相方・檜原への想いで締められる。マンガ『HUNTER×HUNTER』の主人公・ゴンと 親友・キルアの関係になぞらえて、ひわちゃん(檜原)は俺にとっての光だ、という。これまでの1時間半で大鶴肥満の暗い側面をたくさん見てきたので、よりいっそう、このふたりが出会ったことへ感謝の気持ちが湧いてくる。そんなママタルトは、2024年に初めてM-1の決勝へと進出した──結果は10組中10位と、グランプリを獲得することはできなかったが、平場の強さとふたりの人柄からか、今やお茶の間の人気者となっている。 総じていい映画だったな、と思う。エンディングで流れる音楽も素晴らしい。 私は初見時、少し泣きそうになった。実家のシーンがあまりにもリアルなのもいい。芸人など“しゃべりがうますぎる”人の語りは本心なのかトークをおもしろくするための誇張なのかがわかりづらいときがあるが、あのシーンによって疑う余地もない、本心の部分が見えた気がする。 実はこの映画は以前から紹介したかった一本なのだが、自分がファンだからこそためらっていた。 「知らない人が観てもおもしろいのか?」と。 2025年10月、「第17回下北沢映画祭」で『まーごめ180キロ』が再上映されるということで、私は“ママタルトのことはテレビで見たことがある”程度の認識の友人を誘って観に行くことにした。反応がよければ自信を持って読者に勧められる。結果は想像以上で、かなり気に入ってくれたようだった。物販のクリアファイルを購入し、マックを食べて帰ろうとまで提案してきた。自分の好きな映画、そして自分の好きな芸人にそれだけ人を動かす魅力があることが誇らしい。 『まーごめ180キロ』を観たあと、きっと思うだろう。 このおもしろい男に出会えてよかった、と。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本を発売。2025年1月から、『週刊SPA!』(扶桑社)にて『トムライガール冥衣』(原作:角由紀子)の新連載がスタートしている。 X:@bnbnfumiya 監督:白武ときお プロデューサー:雨無麻友子 構成:橋本拓実、エレファントかさ増し、梶本長之 音楽:PARKGOLF 出演:檜原洋平(ママタルト)、大鶴肥満(ママタルト)、ほか (C)劇場版まーごめ製作委員会
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K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム
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日本デビュー15周年・2PMの6人“完全体”に号泣…! 東京ドーム再来で果たした「ファンとの約束」|「林美桜のK-POP沼ガール」第25回「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 東京ドームで開催された、2PMの日本デビュー15周年記念コンサート『2PM JAPAN 15th Anniversary Concert “THE RETURN” in TOKYO DOME』に参加してきました! もう……ボロボロ泣きました。 2PMの6人、“完全体”が目に映った瞬間 感謝と感動がとめどなく押し寄せて(号泣)。 今回のライブは、多くが日本語の曲で構成されていました。 そのため、あのときのライブやイベント、ハイタッチ会……思い出が巡りまくる。 ……ちょっと待った。メンバーのみなさん 変わらなすぎじゃないか? ビジュアルもパフォーマンスも 以前と全然変わらない。 変わらないどころか、さらに輝きをプラス、洗練されて、 これぞ「いい感じ」。 メンバー6人の“最大級の魅力” Jun.Kさんは、温もりあふれる壮大な歌声で東京ドームを包み込んでいました。「約束のキス」を連発し、お兄さんのファンへの愛情深さはもちろん変わらず。 メンバーの発言に目尻下がりまくり、肩に手を添えたり腕を組んだり、メンバーに絡みまくりの姿に大変癒やされました。「I'll be back」の冒頭、テギョンに譲っちゃう変わらない寛大さにもグッときました(うるっ)。 たった卵3個のご飯でライブに臨んだニックンさんは、メンバーの汗を拭き拭き、衣装の脱ぎ着も手伝い、配信を観ているファンのことも気にして、全方位気遣いあふれる紳士。 ニックンさんがみんなの面倒を見てるのを見るのが大好きなんです。そして長い手足を活かした華やかなパフォーマンス、柔らかな表情……東京ドームに再び王子が君臨しておりました。 テギョンさんは、ファンが笑いすぎて歯をしまい忘れてしまうくらい、相変わらずのテギョン節炸裂。有明から「テギョンのジュークボックス」が無事に引き継がれていて感激でした(笑)。 MCであり、ほかメンバーのソロも奪いながらパフォーマンスし、大ボケを担当しながら、営業も兼ねるという器用すぎる存在。それでもパフォーマンス中の集中したキリッとした表情に、改めて(もう数万回目)魅力されました。 ウヨンさんは、チャーミングな魅力爆発。みんなのビタミンに留まらず、みんなのアイドルであり、顔であり、体でもあった(爆笑)。メンバーにそうツッコミされてうれしそうにはしゃいでるウヨンさん、尊かったなぁ。この瞬間、2PMの完全体を感じました。 トークはふわふわキュートなのに、パフォーマンスのキレは抜群で、指の先まで忠実で繊細なダンス。センスがさらに磨き上がっていました。 ジュノさんは、東京ドームのハレス(2PMのファンネーム)の思いを汲み取って歓声をまとめる、完璧な王様。品があふれるしなやかなダンス、スッとまっすぐ耳に届く伸びやかな歌声。グッと会場の雰囲気を引きしめる、黄色に輝くオーラがビシビシ感じられました。 何度も話が脱線するテギョンさんを「セクシーでいてほしい」のひと言でもとに戻すジュノさん、大変ツボでした。ずっと優等生すぎる。メンバーのわちゃわちゃに、とてもはにかんでいたのがキュンすぎました。 チャンソンさんは、末っ子なのに相変わらず一番しっかり者。メンバーの日本語を手伝ったり、的確なツッコミで救ったり、努力で培った日本語力で場をうまく回してくださって、頼もしかったです。チャンソンさんの特大笑い声は、どんなときも聞いた人を特大ハッピーにするパワーがあるなと思うのですが、今回も何回も東京ドームに響き渡る瞬間があって、心満ち足りました。 チャンソンさんにとって「2PMは自信のひとつ」という言葉がありましたが、私にとっても、2PMという存在に勇気をもらったから自分の未来や可能性を信じることができたなと。哲学的な言葉に、毎回深く考えさせられます。 2PMとハレスが作る「実家のような安心感」 ほかにも感激したタイミングはたくさんありすぎて挙げきれないんですが、2PMとハレスで歌った「離れていても」は、その中のひとりでありながら圧巻だったと感じました。Jun.Kさんのピアノ伴奏だったのもうれしかったです(泣)。 前回の有明は、なんとなく勝手に……本当に最後な感じがしてしまい、涙・涙の気持ちだったのですが、今回は寂しくなかったです。 前回の約束を守ってくださった2PM。 ハレスと離れていても気持ちはひとつだったと証明されたので 「離れていても いつでもそばにいたね」 ありがとうと、気持ちをより強固にひとつにできた感じがしたんです。幸せだったな。 メンバーそれぞれのユニークなポイントに ハレス同士で「いつものやつだね」みたいに笑い合えて メンバーのみなさんもそんな雰囲気に気がついて、何回も笑わせてくれて楽しかったです。 2PMとハレスが作るこの空気感、本当にずっと変わらない。 実家に帰ったような気持ちでした。 安心感、半端ない。 日本デビュー15周年、最高のライブをありがとう! 最後のコメントで、Jun.Kさんがメンバーのことを 「家族、友達、仲間」と表現されていましたが ハレスにとっての2PMも、そう表現したくなる かけがえのない存在だなと。 改めて、日本デビュー15周年おめでとうございます。 約束の場所・東京ドームに戻ってきてくださって、ありがとうございました!! 2PMが見せてくれたハレスへの愛 “Ultra Lover”でした(泣)。 出会えた奇跡はきっと運命。 今後の2PMが描く未来へ速攻、今すぐ直行できるよう メンバーのみなさんが言ってくれたように膝を大事にしながら 2PMにまたいつか感謝を伝えられるよう、 たくさんの拍手を送れるよう 懸命に生きると決めました。 本当に最高のライブでした。 文=林 美桜 編集=高橋千里
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次世代の最先端を走る『82MAJOR CONCERT <BEBEOM : BE THE TIGER> in JAPAN』東京公演の見どころをレポート|「林美桜のK-POP沼ガール」特別編「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 北米での単独ツアーを成功させ、世界から注目を集める次世代K-POPボーイズグループ・82MAJOR。 『82MAJOR CONCERT <BEBEOM : BE THE TIGER> in JAPAN』が2月14日にZepp Haneda(TOKYO)で開催されました。 なんと今回、CSテレ朝チャンネル1にて 4月25日(土)よる6:00〜よる7:00 東京公演のダイジェストとビハインド映像を収録した特別番組が放送されるということで、 今回の記事では、私が感じた見どころをまとめてみました。 圧巻のオープニングと、癒やしトークのギャップ メンバーの一人ひとりを映したオープニング映像。 モノクロからカラーへ……始まりが近づいている。 ライブのスタートは「Heroes」。 真っ赤なバックスクリーンに、6人の凛としたシルエットが際立つ。 「東京、準備はいいか」というかけ声で 「Passport」へ、一気に加速して高まるボルテージ!! メンバーとファンのテンションがガッチリと合う選曲、圧巻でした。 メンバーのみなさん、なめらかな日本語でごあいさつ。 さっきまでの雰囲気とは一変、フニャッとした癒やしのトーク。 完璧すぎるギャップの魅力……(沼)。 今回のライブのタイトル<BEBEOM : BE THE TIGER>には、「普通を超える存在になる」「虎になる」という意味が込められているんだそう。 「タイガーになりタイガー」なんて、かわいらしさ全開の意気込みにほっこり。 ハイレベルなパフォーマンスから感じる「次世代」 82MAJORの高いラップスキルには、ラップの楽曲ってこんな幅が出せるのかと驚かされました。 ラップと聞いて思い浮かぶようなものだけでなく、爽やかだったり、キュートだったり、クールだったり。 一人ひとりの音色の違いが重なると、本当におもしろくて新鮮に楽しい。 ダンスもカッチリ合わせるのではなく、個のよさを存分に引き出しながら、それでも“団”としてのまとまりがある。 曲間では、それぞれの曲に込めた想いやポイントを自然に説明されていて、メンバーみんなで曲を作っているからなのだなぁ、と。みなぎる自信と説得力がありました。 みなさんの最新の“今”が詰め込まれているからこそ、「次世代」なのだなぁと体感しました。 そんな中でも、私は「Choke」という曲の中毒性にハマっちゃいました。 エッジの効いたキレのあるサビ、一音一音が明瞭で気合いがこもっていて、エネルギーを存分に感じるステージでした。 「SQUAD」は、華やかで力強いラップが体に刻み込まれる感じ。 ファンを巻き込んでのコールアンドレスポンスは、咆哮(ほうこう)のような迫力がありました。 バレンタインチョコが溶けるほどの熱気! そして、注目はアンコール。 走ったり跳んだり、ステージの上を縦横無尽に駆け回るメンバーのみなさん、爽やかでかわいかったです。ただ、どれだけ走っても息切れしないラップ。プロフェッショナルでした。 ファンもメンバーもお互い楽しくなる曲を何度も披露。 じゅうぶんすぎるほどの満足感。最高のアンコールでした。 実はバレンタインの日のライブだったんですが、 もちろんチョコが溶けるほどの熱気の中、幕を閉じました。 私は「次世代」の最先端を走る82MAJORさんを目撃しました。 今後がますます楽しみ! さあ、最後に改めまして、 CSテレ朝チャンネル1にて 4月25日(土)よる6:00〜よる7:00 東京公演のダイジェストとビハインド映像を収録した特別番組が放送されます。 ぜひご覧ください!! 撮影=大橋祐希 文=林 美桜 編集=高橋千里
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K-POP好きこそ観てほしい。日韓の美術交流をさかのぼる『いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年』主任学芸員・日比野民蓉が伝えたかったこと|「林美桜のK-POP沼ガール」マレジュセヨ編「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 2025年12月6日(土)~2026年3月22日(日)まで開催されている展覧会『いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年』は、1945年以降、日本と韓国が影響を与え合いながら紡いできた、美術の軌跡を見つめ直す企画です。 本展開催の横浜美術館があるみなとみらい駅周辺は、コンサート会場が多く、K-POPファンの方にもおなじみの場所かもしれません。ライブの高揚感とはまた違う角度から、「おとなりの国」とのつながりを感じられる時間になるでしょう。 Kカルチャーが私たちの日常に根づいた今、アーティストたちが紡いできた長い対話の歴史、そこで生まれた表現が映し出すものとは? 展示をじっくり鑑賞した林美桜が、本展を企画した横浜美術館主任学芸員の日比野民蓉(ひびの・みよん)さんにお話を伺います。 優劣をつけず「多様性」を表現する展覧会 林 見応えたっぷりで本当に素晴らしい展示でした……! これまでの展覧会であまり目にすることのなかった視点もたくさん感じ取れたのですが、そもそも日比野さんが本展を企画したきっかけはなんだったのでしょうか? 日比野 話し始めると少し長くなってしまうのですが(笑)。これは日韓国交正常化60周年を記念する展覧会でもありますが、その10年前、日韓国交正常化50周年の節目のとき、私は国立新美術館(新美)にアシスタント・キュレーターとして在籍していました。その際に新美が、開館当初から毎年開催していた現代美術のグループ展を韓国の美術館と一緒にやることになったんです。 さらにその前、大学院の修士課程での私の専門領域は、1945年以前の日本と朝鮮半島の美術の関わりでした。ただ学芸員の仕事を始めてからは、現代美術分野のお仕事をする機会が多くなっていった。つまり、学生時代に関心を持っていた1945年以前から、一足飛びに2000年代へと対象にする時代が飛んでいったんですね。 そうすると「1945年から2000年代に至るまでの韓国、あるいは朝鮮半島と日本の美術の関係はどうなっていたのだろう?」という疑問が湧いてきました。そこで調べてみたところ、45年以降の日韓の現代美術の歴史を、大きな視点でさかのぼる展覧会は、両国とも過去に開催されていないことがわかったんです。 「これはどこかで誰かがやらなければいけない」と思っていたのですが、美術品の海外輸送がある・なしで展覧会にかかる費用が桁違いに変わります。国内作品だけで成立させるのか、海外からも借りるのかで、予算規模はまったく違ってくるんです。 マティスやモネ、ゴッホのように、何十万人もの来場者が見込める、いわゆるブロックバスター的な展示とは事情が違うわけで、正直コストパフォーマンスがいいとはいいにくい企画になる。ですから、いつ実現できるだろうかとずっと機会をうかがっていました。 そんな折、横浜美術館が大規模改修工事のために長期休館することになりました。そしてリニューアル後の館のコンセプトをどうするかという議論の中で、「多様性」というキーワードが掲げられたんです。 そのときに「もうこれしかない」と思い、長く温めてきたこの企画を、館のリニューアルオープンの理念を体現する展覧会としてぜひ実現させてほしいと提案したところから、すべてが始まりましたね。 林 「多様性」を体現する展覧会ということは、韓国と日本、そして在日コリアンのアーティストによる作品が並列で展示されているところにも表れていますよね。 日比野 そうですね。これまでにない試みなので、「大変だったことはありますか?」と聞いていただく機会も多いのですが、意外とないんです。 というのも「そこに優劣はない」ということが、最初から展覧会の基本コンセプトにあったからです。在日コリアンであるがゆえに、日本の美術史からも韓国の美術史からもこぼれ落ちてきた部分が少なからずある。その活動をきちんと位置づけたい、という思いが出発点でした。 グローバル社会の現在は、国や民族、共同体といった単位で美術を語ること自体がナンセンスになりつつある時代です。それでもあえて「日韓」というフレームを掲げる展覧会である以上、その“はざま”にいる在日コリアンの活動を一緒に語らなければ、日本と韓国の現代美術史を正しく描くことはできない。そう考えてスタートしました。 林 在日コリアンの人々による“はざま”の感覚が、この展示には強く表れていると思いました。在日コリアンのアーティストの作品で、日本と韓国のはざまにあると感じられる表現の傾向のようなものはありますか? 日比野 「在日コリアンによる作品だから、こういう表現傾向がある」という語り方は、私自身はしないようにしています。属性から作品を捉えるのではなく、まず作品そのものがどのような意味や感覚を鑑賞者に与えるのか、そこから作家のバックグラウンドへとさかのぼるほうが、キュレーターとしては適切なアプローチだと考えているからです。 ただ、時代ごとに各作家が置かれた社会状況でどのような表現をしてきたのかを見ると、たとえば1950年代の在日コリアンの作家たちは、当時の社会問題に対して非常に強い問題意識を持って制作していたことがわかります。 もちろん、それは在日コリアンの作家だけに限った動きではありません。1950年代の日本でも、社会的テーマを美術に積極的に取り入れる流れはありました。ただ、在日コリアンの作家の中には、帰国事業のような自分自身の立場に直結する問題や、日常生活の中のコミュニティや集住地を描く作品など、より切実なテーマが表れやすい傾向はあったのではないかと思います。 日韓国交正常化以降の、美術交流で生まれた作品たち 林 社会状況の変化の中でアートが何を映し出していったかというお話は、個人的に、日韓国交正常化で両国の交流が一気に盛んになった1965年以降の作品を見て強く実感しました。 日比野 たとえば、本展にも展示されている関根伸夫さんの『位相-大地』(1968年発表)は、土を掘り起こし、その形をそのまま隣に置くという作品で「もの派」(1970年前後の日本で起こった美術の動向)の先駆けともいわれています。 手前:『位相-大地1』(関根伸夫、1986年/個人蔵)、左奥:『風景(I)(II)(III)』(李禹煥、1968年/2015年/個人蔵(群馬県立近代美術館寄託))、撮影=加藤 健 ただ、関根さんがあの作品を作っただけでは、もの派は成立しなかったと考えられています。日本を拠点に活動し、当時の日本の最前線の美術動向から強い刺激を受けていた作家の李禹煥(リ・ウーファン)さんが『位相-大地』を目撃し、「ここから新しい美術が始まる」と直感し、それを言葉で理論化しました。そのテキストは韓国語にも翻訳され、韓国の若い作家たちにも読まれた。つまり日本で起こっている動向が、ほとんど時差なく韓国に伝わったわけです。 また李禹煥さんに関してはもちろん言葉だけでなく、作品も象徴的だといえます。中でも『点より』『線より』のシリーズは、絵の具を筆につけ、点を打ち、かすれるまで線を引くといった、書道にも通じる行為の痕跡を通じて、日本と韓国を含む東洋の視覚文化に根差しながら表現するものです。韓国出身の李さんが日本を活動拠点にして、より広い視点から文化を見つめ直したことで、このシリーズが生まれたとも考えられるでしょう。 写真上:『点より』、写真下:『線より』(李禹煥、1977年/東京国立近代美術館蔵)/日比野「1970年代前半に始まった李禹煥の代表的な絵画シリーズで、絵画作品は韓国の『単色画』にも数えられますが、絵の具がかすれていくさまや筆のリズムの痕跡が単純に見ていて楽しい作品ですよね」 こうした思考や表現の往復が、国交正常化をきっかけに本格的に始まった。1960年代後半から80年代にかけてが、日本と韓国の直接的な美術交流の萌芽期だったと思います。 林 さまざまな作品が行き来することで生まれた表現というものを、実際に目の前にすると「交流ってこういうことなんだ」と実感しますね。 日比野 一つひとつが個人的なバックグラウンドと密接なことがわかりますよね。たとえば海老塚耕一さんの『Correspond-1977年7月 大邱の余韻』という作品は興味深いです。こちらが制作されたのは2024年ですが、その素材に関しては、さかのぼること1979年に初めて韓国を訪れたときに買い求めたものなんです。 『Correspond-1977年7月 大邱の余韻』(海老塚耕一、2024年/個人蔵)/林「オンドルに使われる紙が使用されているんですね」 日比野「はい。壮版紙(チャンバンジ)というもので、伝統的なオンドルに使用するときと同様の表面処理が本作にも施されています」 海老塚さんは横浜・鶴見の出身で、在日コリアンが多い地域で育ちましたが、その歴史について深くは知らなかった。大学時代に在日コリアンのジャーナリストの著作を読み、日本の帝国主義の歴史と彼らの人生がどう結びついているのかを知り、大きな衝撃を受けたそうです。 1979年に韓国へ渡航し大邱(テグ)で滞在制作を行い、伝統的なオンドル(かまどを焚いたときに出る煙を利用した暖房)の床に使われる紙の質感に強く惹かれ、持ち帰ります。しかしその紙は、先ほどの背景があったことから、海老塚さんにとってあまりに大きな意味を持つものとなって、長い間使えなかった。およそ半世紀近く経って、ようやく作品に用いたのが『Correspond-1977年7月 大邱の余韻』だといいます。 「視覚的な体験」で、若い世代にもより響く展示に 林 会場には若い来場者も多くいらっしゃいましたが、本展を通じて初めて日韓の歴史を知る方も多いのではないかと思います。 日比野 そうですね。どんな方が来て、どんな感想を持ってくださっているのか、私も日々SNSなどで拝見しています。特に第1章『はざまに──在日コリアンの視点』のところで「全然知らなかった」という声が多く、在日コリアンの歴史があまり知られていなかったことも、改めて感じました。 第1章『はざまに──在日コリアンの視点』は、日本と朝鮮半島に国交がなかった1965年までの20年間の在日コリアンに焦点が当てられている/日比野「林典子さんやナム・ファヨンさんといった、1965年以降に生まれた世代の作家の作品をあえて並べて見せることで、遠い過去の話ではない問題として引き寄せて考えてもらおうと考えました」 ただ「在日コリアンの歴史に関する展示です」という言葉が先行してしまうと、どうしても入りにくい部分があると思うんです。高嶺格さんの作品『Baby Insa-dong』にもありましたが、「在日」というワード自体が日本社会の中で排他的に扱われ、差別の対象になってきた歴史があるからです。 若い世代によって韓国や朝鮮半島に対する感覚が大きく変わったとはいえ、日本人にとって「在日コリアン」という言葉に対する一種の恐れや戸惑いがまだあるのではないかと思います。どこまで話していいのか、間違ったことを言ってはいけないのではないか、と。知ること自体が、自分たちの過去や先祖を振り返ることにつながる。その触れ方が難しい、と感じる方もいるのが事実です。 でも、美術作品はまず目の前に“ある”ものです。本をひとりで読むのとは違い、同じ空間で多くの人と共有できる。視覚的な体験として入ってくるのが、美術の強みです。たとえば古美術を見たとき、何千年も前に作られたものが今も目の前に存在しているという驚きがありますよね。近代美術であっても、80年前の人たちがこういうものを作っていたという事実が、まざまざと迫ってきます。 言葉や概念から入るのではなく、視覚的な体験から入ることができる。そういう意味で、若い方々にとっても新鮮な驚きとして受け止められているのではないかと思います。 林 展示の中でも、中村政人さんの写真作品は、若い来場者に刺さるのではないかと感じました。ソウルで撮影された一連の作品からは、街の細部に寄せられた関心を感じ取ることができて、すごく現代っぽいなと。 中村政人による写真作品の展示/日比野「中村さんの作品は着眼点が秀逸ですよね。ソウルの街が持つダイナミックさを細部に見出して芸術として捉える視点が感じ取れます」 SNS上などで、旅行先の看板やオブジェなど何気ないものの写真をアップする若い方が多いので、それに近い感覚だったのかもとおもしろく鑑賞しました。中村さんは1990年に、日本から韓国へ留学されていたんですよね。 日比野 そうですね。80年代後半から、旅行などで日本から韓国へは行っていたそうです。 中村さんが美大生だった当時は、多くの日本の若者がアメリカを目指していました。アメリカで最先端のアートを観て、ギャラリーに扱われて認められるというのが、アーティストにとっての「ゴール」としてまなざされていた時代だったんですね。 でもその感覚が、中村さんとしてはあまり腑に落ちなかったそうで、「それって本当にそうなの?」という違和感があった。そんななか韓国に行き始めて、「近い国にダイナミックな世界が広がっている!」と感じたそうです。 中村さんの写真って、ソウルの街で一般市民が行っている営みが、そのまま芸術のように見えてしまうところがおもしろいですよね。街の中の風景や、人々の振る舞い、制度やルールのズレみたいなものに、非常に鋭く目を向けている。欧米を目指す前に、すぐ隣にある国にまったく違うおもしろさの文化や社会があることに気づいたんですね。その感覚が、中村さんを韓国留学へと向かわせたのだと思います。 「いつもとなりにいる“から”、その先は?」と、問いを投げかける 林 そして近年の若い世代による作品も、興味深かったです。特に、武蔵野美術大学と朝鮮大学校によるプロジェクト『突然、目の前がひらけて』(市川明子、鄭梨愛、土屋美智子、灰原千晶、李晶玉/2014〜15年/2025年)のコーナーでは、作品もそうですが、作家同士による話し合いの記録が展示されている形式が印象的でした。 『突然、目の前がひらけて』(市川明子、鄭梨愛、土屋美智子、灰原千晶、李晶玉/2014〜15年/2025年)/プロジェクトを実践したメンバーがそれぞれ「日本人」「在日朝鮮人」の立場で続けた対話の記録が展示されている 日比野 塀を隔てて隣り合っている武蔵野美術大学と朝鮮大学校の間に、橋を架けるプロジェクトですよね。ただ最も重要なことは、今おっしゃっていただいたように「橋を架けたこと」そのもの以上に、そこに至るまでのプロセスでした。 5人の作家たちが、各自のアイデンティティに関わる問題意識について、痛みを伴いながらもやめなかった対話。その軌跡こそが、このプロジェクトの本質なのではないか。だからこそ今回の展示でも、抜粋にはなりますが、そこで交わされた彼らの言葉がちりばめられています。 林 ここで観た作品についても誰かと話したくなるようなものばかりでしたし、対話を続ける大切さは、この展覧会の鑑賞後に最も強く感じました。 日比野 ありがたいことに、「人と感想を交換したくなった」という声をよくいただいています。 『いつもとなりにいるから』という展覧会タイトルは、あえて「~から」と文章を途中で止めることで「いつもとなりにいる“から”、その先は?」と、問いを投げかけるかたちになっています。「いつもとなりにいるから、どうなのか」「だから、私たちはどうするのか」といった、日本と韓国が地理的に隣にあるという事実のその先を、どう考えていくのか。 誰かと一緒に語り合うのも、自分の中で言葉をつないでもいい。来場してくださった一人ひとりが、「から」の続きを考えられるような展覧会になっていたらと思います。 横浜美術館リニューアルオープン記念展 『いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年』 2025年12月6日(土)~2026年3月22日(日) 10時~18時 ※入館は閉館の30分前まで ※木曜日は休館 文=菅原史稀 撮影=佐々木康太 編集=高橋千里
奥森皐月の喫茶礼賛
喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート
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カボチャのムースがピカイチ!喫茶店の未来を考える「カフェ トロワバグ」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第10杯先月、友達と名画座に行ってきた。期間限定で上映している作品がおもしろそうだと誘われ、私も興味があったので観ることに。同じ監督の作品が2本立てで楽しめて、大満足で映画館をあとにした。 2本分の感想が温まっている状態で、その街でずっと営業している喫茶店に行った。けっして広くないお店のカウンターであれこれ楽しく映画のことを話していると、店の奥にいた男女のお客さんの声が聞こえてきた。どうやらそのふたりも私たちと同じ映画を観ていたそうだ。 その街での思い出を、その街の喫茶店で話している客が同時にいて、これこそ喫茶店のいいところだよなと感じた出来事だった。 「3つの輪」を意味する店名とロゴマーク 今回は神保町駅から徒歩1分というアクセス抜群の場所にある「カフェ トロワバグ」を訪れた。 大きな看板と赤いテントが目印の建物の、地下へ続く階段を降りていく。トロワバグとはフランス語で「3つの輪」という意味だそう。輪が3つ連なっているロゴマークが特徴的だ。 店内に入るとまず目に入るのは、かわいらしいランプやお花で飾られたカウンター。お店全体はダークブラウンを基調としていて、照明も落ち着いている。大人の雰囲気をまとっていながらも、穏やかな時間が流れている空間だ。 昼過ぎではあったが、若い女性のグループからビジネスマンまで幅広い客層のお客さんがコーヒーを飲んでいた。独特なフォントの「トロワバグ」が刻まれたお冷やのグラスでテンションが上がる。カッコいいなあ。 横型の写真アルバムのような形のメニューが素敵。一つひとつ写真が載っていてわかりやすく、メニューも豊富だ。 コーヒーのバリエーションが多く、サンドウィッチ系の食事メニューや甘いものなど全部おいしそうで、どれにしようか悩む。喫茶店ではあまり見かけないような手の込んだスイーツも豊富で、すべてオリジナルで手作りしているそうだ。 いつかホールで食べ尽くしたい「カボチャのムース」 今回は創業から一番人気でロングセラーの「グラタントースト」と「カボチャのムース」と「トロワブレンド」をいただくことにした。結局、人気と書かれているものを頼みたくなってしまう。 グラタントーストにはサラダもついている。ありがたい。 ハムやゴーダチーズなどの具材が挟まれたトーストに、自家製のホワイトソースがたっぷり。ボリューミーだけれど、まろやかで優しい味わいなのでもりもり食べられる。 クロックムッシュを置いている喫茶店はたまにあるが、「グラタントースト」というメニューは案外見かけない。わかりやすい名前と誰もが虜になるおいしさで、50年近く愛されているのだという。 カボチャのムースがこれまたおいしい。おいしすぎる。カボチャそのものの甘さが活かされていて、シンプルながら完璧な味。なめらかな舌触りで、少し振りかけられているシナモンとの相性も抜群。添えられているクリームはかなり甘さ控えめで、ムースと食べると食感が少し変わる。 カボチャのムースがある喫茶店は多くないだろうが、トロワバグのものはピカイチだと思う。いつかお金持ちになったらホールで食べ尽くしたい。食べ終わるのが名残惜しかった。 ブレンドは苦味と酸味のバランスが絶妙で、食事にもケーキにも合う。 まろやかで甘みも感じられるので、コーヒーの強い苦みや酸味が苦手という人にも飲みやすいのではないかと思う。 喫茶店が50年も残り続けているのは「奇跡的」 カフェ トロワバグについて、店主の三輪さんにお話を伺った。 オープンしたのは1976年。お母様が初代のオーナーで、娘である三輪さんが2代目として今もお店を継いでいるそうだ。学生時代からお店で過ごし、お母様とともにお店に立たれている時代もあったとのこと。 地下のお店なのでどうしても閉塞感があり、当時はタバコも吸えたので男性のお客さんが多かったそうだ。しかし、禁煙になってからは女性客も増え、最近は昨今の喫茶店ブームで若いお客さんも多いという。 女性店主ということもあり、なるべく華やかでかわいらしさのあるお店作りを心がけているそう。たしかに、テーブルのお花や壁に飾られている絵は店内を明るくしている。 客層の変化に合わせて、メニューも少しずつ変わったとのことだ。パンメニューの中にある「小倉バタートースト」は女性に人気らしい。 若い女性のグループが食事とスイーツをいくつか注文し、シェアしながら食べていることもあるそうだ。これだけ豊富なメニューだと誰かと行ってあれこれ食べてみたくなるので、気持ちがよくわかった。 落ち着きのある魅力的な店内の内装は、松樹新平さんという建築家さんが手がけたもの。特徴的な柱やカウンター、板張りの床などは創業以来変わらず残り続けている。 喫茶店というものは都市開発やビルのオーナーの都合などで移転や閉店をしてしまうことが多い。そのため、50年近く残り続けているのは奇跡的だ。 松樹さんは今でもたまにトロワバグを訪れることがあるそうで、自分のデザインのお店が残り続けていることを喜ばしく思っているそうだ。店内のあちこちに目を凝らしてみると、歴史が感じられる。 店主とお客さん、お互いの「様子の違い」にも気づく これまでにも都内の喫茶店を取材して耳にしていたのだが、三輪さんいわく喫茶店の店主は“横のつながり”があるそうだ。お互いのお店を訪れたり、プライベートでも交流したり。 先日閉店してしまった神田の喫茶店「エース」さんとも親交があったそうで、エースの壁に吊されていたコーヒーメニューの札をもらったそう。トロワバグの店内にこっそりと置かれていた。温かみがあって素敵だ。 神保町にはかなり多くの喫茶店が密集している。ライバル同士でお客さんの取り合いになっているのではないかと思ってしまうが、実際は違うようだ。 たとえばすぐ近くにある「神田伯剌西爾(カンダブラジル)」は現在も喫煙可能なため、タバコを吸うお客さんが集まっている。また「さぼうる」はボリューミーな食事メニューがあるため、男性のお客さんも多い。 そしてトロワバグさんは女性客が多め。このように、時代の流れによってそれぞれの特色が出て、結果的に棲み分けができるようになったとのことだ。 街に根づいている喫茶店には、もちろん常連さんがいる。常連さんとのコミュニケーションについて、印象的なお話を聞いた。 たとえば三輪さんの疲れが溜まっていたり、あまり元気がなかったりするときに、常連さんは気づくのだという。それは雰囲気だけでなく、コーヒーの味などからも違いを感じるのだそう。きっと私にはわからない違いなのだろうが、長年通っているとそういった関係が構築されていくようだ。 反対に、お客さんの様子がいつもと違うときには三輪さんも気づく。「コーヒーを1杯飲むだけ」ではあるが、それが大切なルーティンでありコミュニケーションであるというのは喫茶店ならではだ。喫茶店文化そのもののよさを、そのお話から改めて感じられた。 2号店「トロワバグヴェール」を開いた理由 実は、トロワバグさんは今年の6月に2号店となる「トロワバグヴェール」をオープンしている。同じ神保町で、そちらはコーヒーとクレープのお店。 週末のトロワバグはお客さんがたくさん来店し、外の階段まで並ぶこともあるという。そこで、せっかく来てくれた人にゆっくりしてもらいたいという思いがあり、2号店をオープンしたそうだ。 また、現在のトロワバグのビルもだんだんと老朽化してきていて、この先ずっと同じ場所で営業するというのはなかなか難しいのが現実だ。 その時が来たらきっぱりとお店をたたむという考えもよぎったそうだが、喫茶店業界では70代以上のマスターが現役バリバリで活躍している。それを見て三輪さんも「身体が元気なうちはお店を続けよう」と決心したそうだ。 結果として、喫茶店の新しいかたちを取ることになった。元のお店を続けながら2号店を開く。 古きよき喫茶店は減っていく一方のなか、トロワバグがこの新しい道を提案したことによって守られる未来があるように思える。 三輪さんは喫茶店業界の先を見据えた営業をされていて、店主仲間ともそのようなお話をされているそうだ。私はただ喫茶店が好きで足を運んでいるひとりにすぎないが、心強く思えてなんだかとてもうれしい気持ちになった。 最終回を迎えても、喫茶店に通う日々は続く 時代の変化に伴いながら、街に根づいた喫茶店。神保町という街全体が、多くの人を受け入れてきたということがよくわかった。 喫茶店のこれからを考える三輪さんは、これからのリーダー的存在であろう。大切に守られてきたトロワバグからつながる「輪」を感じられた。神保町でゆっくりとしたい日には、一度は訪れていただきたい名店だ。 昨年12月に始まったこの連載だが、今月が最終回。私も寂しい気持ちでいっぱいなのだが、これからも喫茶店が好きなことには変わりない。 今までどおり喫茶店に日々通って、写真を撮って記録していく。いつかまたどこかで、みなさんに素晴らしいお店を紹介したい。そのときにはまた読んでね。ごちそうさまでした。 カフェ トロワバグ 平日:10時〜20時、土祝日:12時〜19時、日曜:定休 東京都千代田区神田神保町1-12-1 富田ビルB1F 神保町駅A5出口から徒歩1分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
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贅沢な自家製みつまめを味わう。成田に佇む“理想の喫茶店”「チルチル」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第9杯これまでに行った喫茶店とこれから行きたい喫茶店の場所に、マップアプリでピンを立てている。ピンに絵文字を割り振ることができるので、行った場所にはコーヒーカップ、行きたい場所にはホットケーキ。 都内で生活をしているため、東京の地図にはコーヒーカップの絵文字がびっしりと並んでいる。少しずつ縮小していくにつれ、全国に散り散りになったホットケーキのマークが見える。 いつか日本地図を全部コーヒーカップの絵文字で埋め尽くしたいなぁと、地図を眺めながらよく思う。 そのためには旅行をたくさんしてその先で喫茶店に行くか、喫茶店のために旅行するか、どちらかをしなければならない。どちらにせよ遠くまで行ったら喫茶店に立ち寄らないのはもったいないと思っている。 旅行気分で、成田の喫茶店「チルチル」へ 今回はこの連載が始まって以来一番都心から離れた場所に行ってきた。JR成田駅から徒歩で12分、成田山新勝寺総門のすぐそばのお店「チルチル」さんだ。 ずっと前から SNSや本で写真を見ていて、いつか行ってみたいと思っていた喫茶店。取材させていただけることになり、成田という土地自体初めて訪れた。 駅から成田山までの参道にはお土産屋さんや古い木造建築の商店などが建ち並んでおり、成田の名物である鰻(うなぎ)のお店も軒を連ねていた。 賑やかな道なので、体感としては思ったよりもすぐチルチルさんまで行けた。よく晴れた日で、きれいな街並みと青空が最高だった。旅行気分。 レンガでできた門に洋風のランプ、緑色のテントがとてもかわいらしい外観。 この日は店の外に猫ちゃんが4匹いた。地域猫に餌をあげてチルチルさんがお世話をしているそうで、人慣れしたかわいらしい猫たちがお出迎えしてくれた。 製造期間20日以上!とっても贅沢な手作りのみつまめ 店内に入り、思わず息を飲んだ。ゴージャスかつ落ち着きのある「理想の喫茶店」といってもいいような空間。 木目調の壁、レトロなシャンデリア、高級感のある椅子やソファ。天井が高いのも開放的でよい。装飾の施されたカーテンや壁のライトは、お城のような華やかさがある。 メニューは喫茶店らしさにこだわっているようで、コーヒー・紅茶・ソフトドリンク・ケーキ・トーストとシンプルなラインナップ。 レモンジュースやレモンスカッシュは、レモンをそのまま絞ったものを提供しているそう。写真映えするのでクリームソーダも若い人に人気なようだ。 ただ、チルチルのイチオシ看板メニューは、手作りのみつまめだという。強い日差しを浴びて汗をかいてしまっていたので、アイスコーヒーとみつまめを注文した。 店内の椅子やソファに使われている素敵な布は「金華山織」という高級な代物だそう。しかし布の部分は消耗してしまうため、定期的にすべて張り替えているとのこと。お値段を想像すると恐怖を覚えるが、ふかふかで素敵な椅子に座ると、家で過ごすのとは違う特別感を味わえる。 アイスコーヒーはすっきりしていておいしい。ごくごくと飲んでしまえる。ちなみにシロップはお店でグラニュー糖から作っているものだそう。甘いコーヒーが好きな人にはぜひたっぷり使ってみてもらいたい。 そして、お店イチオシのみつまめ。「手作り」とのことだが、なんと寒天は房州の天草を使った自家製。さらに「小豆」「金時」「白花豆」「紫豆」の4種類の豆は、水で戻すところから炊き上げまですべてをしているそうだ。完全無添加で、素材の味が存分に活かされたとにかく贅沢なみつまめ。 粉寒天や棒寒天で作るのとは違って、天草から作る寒天は磯の香りがほのかにする。また食感もよい。まず寒天そのものがおいしいのだ。 また、お豆は何度も何度も炊いてあり、とても柔らかい。甘さもほどよく、豆だけでもお茶碗一杯食べたくなるようなおいしさ。花豆はそれぞれ最後の仕上げの味つけが違うそうで、紫花豆は黒砂糖、白花豆は塩味。すべて食べきったあとに白花豆を食べると異なる味わいが楽しめるので、おすすめだそう。 このみつまめすべてを作るのには20日以上かかるとのことだ。完全無添加でこれほど時間と手間がかかっているみつまめは、ほかではないだろう。一度は食べていただきたい。 1972年に創業。店名は童話『青い鳥』から お店について、店主のお母様にお話を伺った。 「チルチル」は1972年11月に成田でオープン。当初は違う場所で、ボウリング場などが入っているビルの中で営業していた。 夜遅くもお客さんが来ることから夜中の0時までお店を開けていたため、毎日忙しく、寝る暇もなかったらしい。当時は20歳で、若いうちから相当がんばっていらしたそう。 2年後の1974年12月25日から現在の成田山の目の前の場所で営業がスタート。もとは酒屋さんが使っていた建物だそうで、1階はトラックが停まり、シャッターが閉まるような造りだったらしい。そこに内装を施して喫茶店にしたため、天井が高いようだ。 店名の「チルチル」は童話の『青い鳥』から。繰り返しの言葉は覚えやすいため、店名に選んだらしい。かわいらしいしキャッチーだし、とてもいい名前だと思う。 「チルチル」の文字はデザイナーさんに頼んだそうだが、お店の顔ともいえる男女のイラストは童話をモチーフにお母様が描いたもの。画用紙に描いてみた絵をそのまま50年間使い続けているとのことだ。今もメニューやマッチに使われている。 記憶にも残る素晴らしいデザインではないだろうか。おいしいみつまめも、トレードマークの看板イラストも作れる素敵な方だ。 「お不動さまに罰当たりなことはできない」 成田山のすぐそばで喫茶店を営業するからには、お不動さまに罰当たりなことはできない、というのがチルチルのポリシーらしい。 お参りをしに来た人がゆったりとくつろげて、「来てよかったな」と思ってもらえるようにやってきたそう。お参りをしてからチルチルに立ち寄る、というルーティンになっているお客さんも多いらしい。 店内は何度か改装をしているが、全体の造りや家具は50年間ほとんど変わりがないとのこと。椅子やテーブルはお店に合わせて職人さんに作ってもらったもので、細やかなこだわりを感じられる。 お店の奥のカウンターとキッチンの棚もとても素敵だ。これも職人さんがお店に合わせて作ったもの。喫茶店の特注の家具は、たまらない魅力がある。 随所にこだわりが光る「チルチル」は、50年間大切に守られてきた成田の名所のひとつであろう。 素通りするわけにはいかないので、成田山のお参りももちろんしてきた。広い境内は静かで、パワーをもらえるような力強さもあった。 空港に行く用事があっても「成田」まで行こうと思うことがなかったため、今回はとてもいい機会であった。成田山に行き、帰りに「チルチル」に寄るコースで小旅行をしてみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 チルチル 9時30分〜16時30分 不定休 千葉県成田市本町333 JR成田駅から徒歩12分、京成成田駅から徒歩13分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
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40年前から“映え”ていたクリームソーダにときめく。夏の阿佐ヶ谷は「喫茶 gion」で|「奥森皐月の喫茶礼賛」第8杯「奥森皐月の喫茶礼賛」 喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート 暑さが一段と厳しくなってきたので、大好きな散歩も日中はほどほどにしている。 昼間に家を出ると、アスファルトの照り返しのせいかフライパンで焼かれているようだ。寒さより暑さのほうが苦手な私は、夏の大半は溶けながらだらりと過ごしてしまう。 しかしながら、夏の喫茶店は大好き。汗をかきながらやっとお店に着いて、冷房の効いた席に座るときの幸福感は何にも変えられない。冷たいドリンクを飲んで少しずつ汗が引いていくあの感覚は、夏で一番好きな瞬間だ。 阿佐ヶ谷のメルヘンチックな喫茶店 今回訪れたのはJR阿佐ケ谷駅から徒歩1分、お店が建ち並ぶ駅前でひときわ目立つ緑に囲まれたレトロな外装の喫茶店。阿佐ヶ谷の街で40年近く愛されている「喫茶 gion(ぎおん)」さん。 実はこのお店は、私のお気に入りトップ5に入る大好きな喫茶店。中学生のころに初めて行ってから今日まで定期的に訪れている。取材させていただけてとてもうれしい。 店内はかわいいランプやお花や絵で装飾されていて、青と緑の光が特徴的。いわゆる「喫茶店」でここまでメルヘンチックな雰囲気のお店はかなり珍しいと思う。 どこの席も素敵だが、やはり一番特徴的なのはブランコの席。こちらに座らせていただき、人気メニューのナポリタンとソーダ水のフロートトッピングを注文した。 ブランコ席は窓に面していて、この部分だけ壁がピンク色。店内中央の青色を基調とした空気感とはまた違う、かわいらしさと落ち着きのある空間だ。 店先の木が窓から見える。今の季節は緑がとてもきれいだ。 焦げ目がおいしい!一風変わったナポリタン ここのナポリタンは、一般的な喫茶店のナポリタンとは異なる。大きなお皿にナポリタン、キャベツサラダ、そしてたまごサラダが乗っている。店主さんいわく、このたまごサラダはサンドイッチに挟むためのものだそう。それを一緒に提供しているのだ。 まずはナポリタンをいただく。ハムが1枚そのまま乗っている見た目がいい。このナポリタンは色が濃いのだが、これは少し焦げるくらいまでしっかりと炒めているから。麺にソースがしっかりとついていて、香ばしさがたまらなくおいしい。 次にキャベツと一緒に食べてみると、トマトのソースが絡んで、シャキシャキとした食感が加わり、これもまたいい。 最後にたまごサラダと食べると、まろやかさとナポリタンの風味が最高に合う。黒胡椒も効いていて、無限に食べられる味だ。ボリュームたっぷりだがあっという間に完食した。 トーストもグラタンもお餅も少し焦げ目があるくらいが一番おいしいので、スパゲッティもよく炒めてみたところおいしくできたから今のスタイルになったそうだ。 ただ、通常のナポリタンなら温める程度でいいところを、しっかり焼くとなると手間と時間がかかる。炒めてくれる店員さんに感謝だ。ごく稀に、焦げていると苦情を入れる人がいるそう。そこがおいしいのになあ。 トロピカルグラスで飲む、おもちゃみたいなクリームソーダ これまた名物のクリームソーダ。 正確にいうと、gionで注文する場合は「ソーダ水」を緑と青の2種類から選び、フロートトッピングにする。すると、丸く大きなグラスにたっぷりのクリームソーダを飲むことができる。このグラスは「トロピカルグラス」というそうだ。 gionさんのまねをしてこのグラスを使い始めたお店はあるが、このかわいいフォルムはオープン当初から変わらないとのこと。「インスタ映え」という言葉が生まれる遙か前からこの「映え」な見た目のクリームソーダがあったのは、なんだか趣深い。 深く透き通る青と炭酸のしゅわしゅわ、贅沢にふたつも乗った丸いバニラアイス。どこを切り取ってもときめくかわいさだ。 見た目だけでなく、味もおいしい。シロップの風味と炭酸に、バニラ感強めのアイスが合う。「映え」ではなくなってくる、アイスが溶けたときのクリームソーダも好きだ。白と青が混じった色は、ファンシーでおもちゃみたい。 内装から制服までこだわった“かわいい”世界観 お店について、店主の関口さんにお話を伺った。 学生時代に本が好きだった関口さんは、本をゆっくりと読めるような落ち着いた場所を作りたかったそうで、20代はとにかく必死で働いてお店を開く資金を貯めていたとのこと。 1日に16時間ほど働き、寝るためだけの狭い部屋で暮らし、食べ物以外には何もお金を使わず生活していたとのことだ。 そしてお金が貯まったころから1年かけて東京都内の喫茶店を300店舗ほど回り、どんなお店にしようかと参考にしながら計画を練ったそう。 お店を開くにあたって、設計から何からすべてを関口さんが考えたそうで、1cm単位で理想の喫茶店になるように作って、できたのがこの喫茶 gion。 大理石の床、板張りの床、絨毯の床、どれも捨てがたいと思い、最終的には場所ごとに変えて3種類の床になったらしい。贅沢な全部乗せだ。ブランコはかつて吉祥寺にあったジャズ喫茶から得たエッセンス。 オープン時には資金面でそろえきれなかった雑貨やインテリアも少しずつ集めて、今のお店の独特でうっとりするような空間になっていったようだ。 白いブラウスに黒のリボン、黒のロングスカートというgionの制服も関口さんプロデュース。手書きのメニューもキュートで魅力的だ。 ご自身の好みがはっきりとあり、それを実現できているからこそ、調和した世界観になっているのだとわかった。お店のマークも、関口さんの思い描く素敵な女性のイラストだという。ナプキンまでかわいい。 「帰りにgionに寄れる」という楽しみ 喫茶gionのもうひとつの魅力は、午前9時から24時(金・土は25時)まで営業しているところ。モーニングが楽しめるのはもちろん、夜も遅くまで開いている。阿佐ヶ谷には喫茶店が多くあるが、たいていは夕方〜19時くらいには閉店してしまう。 私は阿佐ヶ谷でお笑いや音楽のライブに行ったり、演劇を観に行ったりする機会が多い。終わるのは21時〜22時が多く、ちょうどお腹が空いている。ほかの街なら適当なチェーン店に入るのだが、阿佐ヶ谷に限っては「帰りにgionに寄れる」という楽しみがある。 ナポリタン以外にもピザやワッフルなど、小腹を満たせるメニューがあってありがたい。夜のgionは店先のネオンが光り、店内の青い灯りもより幻想的になる。遅くまで営業するのはとても大変だと思うが、これからも阿佐ヶ谷に行ったときは必ず寄りたい。 夏の阿佐ヶ谷の思い出に、gion 関口さんの理想を詰め込んだメルヘンチックな喫茶店は、若い人から地元民まで幅広く愛される名店となった。 阿佐ヶ谷の街では8月には七夕まつりも開催される。駅前のアーケードにさまざまな七夕飾りが出される、とても楽しいお祭りだ。夏の阿佐ヶ谷を楽しみながら、喫茶gionでひと休みしてみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 喫茶 gion 月火水木日:9時〜24時、金土:9時〜25時 東京都杉並区阿佐谷北1-3-3 川染ビル1F 阿佐ケ谷駅から徒歩1分、南阿佐ケ谷駅から徒歩8分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
奥森皐月の公私混同<収録後記>
「logirl」で毎週配信中の『奥森皐月の公私混同』。そのスピンオフのテキスト版として、MCの奥森皐月が自ら執筆する連載コラム
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涙の最終回!? 2年半の思い出を振り返る|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第30回転んでも泣きません、大人です。奥森皐月です。 この記事では私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』の収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを毎月書いています。今回の記事で最終回。 『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の9月に配信された第41回から最終回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがすべて視聴できます。過去回でおもしろいものは数えきれぬほどあるので、興味がある方はぜひ観ていただきたいです。 「見せたい景色がある」展望タワーの存在意義 (写真:奥森皐月の公私混同 第41回「タワー、私に教えてください!」) 第41回のテーマは「タワー、教えてください!」。ゲストに展望タワー・展望台マニアのかねだひろさんにお越しいただきました。 タワーと聞いてやはり思い浮かべるのは、東京タワーやスカイツリー。建築のすごさや造形美を楽しんでいるのだろうかとなんとなく考えていました。ところが、お話を聞いてみるとタワーという概念自体が覆されました。 かねださんご自身のタワーとの出会いのお話が本当におもしろかったです。20代で国内を旅行するようになり、新潟県で偶然バス停として見つけた「日本海タワー」に興味を持って行ってみたとのこと。 実際の画像を私も見ましたが、思っているタワーとはまったく違う建物。細長くて高い、あのタワーではありません。ただ、ここで見た景色をきっかけにまた別のタワーに行き、タワーの魅力にハマっていったそうです。 その土地を見渡したときに初めてその土地をわかったような気がした、というお話がとても素敵だと感じました。 たとえば京都旅行に行ったとして、金閣寺や清水寺など名所を回ることはあります。ただ、それはあくまでも京都の中の観光地に行っただけであって「京都府」を楽しんだとはいえないと、前から少し思っていました。 そこでタワーのよさが刺さった。たしかに、その地域や都市を広く見渡すことができれば気づきがたくさんあると思います。 もちろん造形的な楽しみ方もされているようでしたが、展望タワーからの景色というものはほかでは味わえない魅力があります。 かねださんが「そこに展望タワーがあるということは、見せたい景色がある」というようなことをお話しされていたのにも感銘を受けました。 いわゆる“高さのあるタワー”ではないところの展望台などは少し盛り上がりに欠けるのではないか、なんて思ってしまっていたけれど、その施設がある時点でその景色を見せたいという意思がありますね。 有効期限がたった1年の、全国の19タワーを巡るスタンプラリーを毎年されているという話も興味深かったです。最初の印象としては、一度訪れたところに何度も行くことの楽しみがよくわからなかったです。 でも、天気や季節、建物が壊されたり新しく建築されたりと常に変化していて「一度として同じ景色はない」というお話を聞いて納得しました。タワーはずっと同じ場所にあるのだから、まさに定点観測ですよね。 今後旅行に行くときはその近くのタワーに行ってみようと思いましたし、足を運んだことのある東京タワーやスカイツリーにもまた行こうと思いました。 収録後、速攻でかねださんの著書『日本展望タワー大全』を購入しました。最近も、小規模ではありますが2度、展望台に行きました。展望タワーの世界に着々と引き込まれています。 究極のパフェは、もはや芸術作品!? (写真:奥森皐月の公私混同 第42回「パフェ、私に教えてください!」) 第42回は、ゲストにパフェ愛好家の東雲郁さんにお越しいただき「パフェ、教えてください!」のテーマでお送りしました。 ここ数年パフェがブームになっている印象でしたが、流行りのパフェについてはあまり知識がありませんでした。 このような記事を書くときはたいていファミレスに行くので、そこでパフェを食べることがしばしばあります。あとは、純喫茶でどうしても気になったときだけは頼みます。ただ、重たいので本当にたまにしか食べないものという存在です。 東雲さんはもともとアイス好きとのことで、なんとアイスのメーカーに勤めていた経験もあるとのこと。〇〇好きの範疇を超えています。 そのころにパフェ用のアイスの開発などに携わり、そこからパフェのほうに関心が向いたそうです。お仕事がキッカケという意外な入口でした。それと同時に、パフェ専用のアイスというものがあるのも、意識したことがなかったので少し驚かされました。 最近のこだわり抜かれたパフェは“構成表”なるものがついてくるそう。パフェの写真やイラストに線が引かれていて、一つひとつのパーツがなんなのか説明が書かれているのです。 昔ながらの、チョコソース、バニラソフトクリーム、コーンフレークのように、見てわかるもので作られていない。野菜のソルベやスパイスのソースなど、本当に複雑なパーツが何十種も組み合わさってひとつのパフェになっている。 実際の構成表を見せていただきましたが、もはや読んでもなんなのかわからなかったです。「桃のアイス」とかならわかるのですが、「〇〇の〇〇」で上の句も下の句もわからないやつがありました。 ビスキュイとかクランブルとか、それは食べられるやつですか?と思ってしまいます。難しい世界だ。難しいのにおいしいのでしょうね。 ランキングのコーナーでは「パフェの概念が変わる東京パフェベスト3」をご紹介いただきました。どのお店も本当においしそうでしたが、写真で見ても圧倒される美しさ。もはや芸術作品の域で、ほかのスイーツにはない見た目の豪華さも魅力だよなと感じさせられました。 予約が取れないどころか普段は営業していないお店まであるそうで、究極のパフェのすごさを感じるランキングでした。何かを成し遂げたらごほうびとして行きたいです。 マニアだからとはいえ、東雲さんは1日に何軒もハシゴすることもあるとのこと。破産しない程度に、私も贅沢なパフェを食べられたらと思います。 1年間を振り返ったベスト3を作成! (写真:奥森皐月の公私混同 第43回「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」) 第43回のテーマは「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」ということで、久しぶりのラジオ回。昨年の10月からゲストをお招きして、あるテーマについて教えてもらうスタイルになったので、まるまる1年分あれこれ話しながら振り返りました。 リスナーからも「ソレ、私に教えてください!」というテーマで1年の感想や思い出などを送ってもらいましたが、印象的な回がわりと被っていて、みんな同じような気持ちだったのだなとうれしい気持ちになりました。 スタートして4回のうち2回が可児正さんと高木払いさんだったという“都トムコンプリート早すぎ事件”にもきちんと指摘のメールが来ました。 また、過去回の中で複雑だったお話からクイズが出るという、習熟度テストのようなメールもいただいて楽しかったです。みなさんは答えがわかるでしょうか。 この回では、私もこの1年での出来事をランキング形式で紹介しました。いつもはゲストさんにベスト3を作ってもらってきましたが、今度はそれを振り返りベスト3にするという、ベスト3のウロボロス。マトリョーシカ。果たしてこのたとえは正しいのでしょうか。 印象がガラリと変わったり、まったく興味のなかったところから興味が湧いたりしたものを紹介する「1時間で大きく心が動いた回ベスト3」、情報番組や教育番組として成立してしまうとすら思った「シンプルに!情報として役立つ回ベスト3」、本当に独特だと思った方をまとめた「アクの強かったゲストベスト3」、意表を突かれた「ソコ!?と思ったランキングタイトルベスト3」の4テーマを用意しました。 各ランキングを見た上で、ぜひ過去回を観直していただきたいです。我ながらいいランキングを作れたと思っています。 ハプニングと感動に包まれた『公私混同』最終回 (写真:奥森皐月の公私混同最終回!奥森皐月一問一答!) 9月最後は生配信で最終回をお届けしました。 2年半続いた『奥森皐月の公私混同』ですが、通常回の生配信は2回目。視聴者のみなさんと同じ時間を共有することができて本当に楽しかったです。 最終回だというのに、冒頭から「マイクの電源が入っていない」「配信のURLを告知できていなくて誰も観られていない」という恐ろしいハプニングが続いてすごかったです。こういうのを「持っている」というのでしょうか。 リアルタイムでX(旧Twitter)のリアクションを確認し、届いたメールをチェックしながら読み、進行をし、フリートークをして、ムチャ振りにも応える。 ハイパーマルチタスクパーソナリティとしての本領を発揮いたしました。かなりすごいことをしている。こういうことを自分で言っていきます。 最近メールが送られてきていなかった方から久々に届いたのもうれしかった。きちんと覚えてくれていてありがとうという気持ちでした。 事前にいただいたメールも、どれもうれしくて幸せを噛みしめました。みなさんそれぞれにこの番組の思い出や記憶があることを誇らしく思います。 配信内でも話しましたが、この番組をきっかけにお友達がたくさん増えました。番組開始時点では友達がいなすぎてひとりで行動している話をよくしていたのですが、今では友達が多い部類に入ってもいいくらいには人に恵まれている。 『公私混同』でお会いしたのをきっかけに仲よくなった方も、ひとりふたりではなく何人もいて、それだけでもこの番組があってよかったと思えるくらいです。 番組後半でのビデオレターもうれしかったです。豪華なみなさんにお越しいただいていたことを再確認できました。帰ってからもう一度ゆっくり見直しました。ありがたい限り。 この2年半は本当に楽しい日々でした。会いたい人にたくさん会えて、挑戦したいことにはすべて挑戦して、普通じゃあり得ない体験を何度もして、幅広いジャンルを学んで。 単独ライブも大喜利も地上波の冠ラジオもテレ朝のイベントも『公私混同』をきっかけにできました。それ以外にも挙げたらキリがないくらいには特別な経験ができました。 スタートしたときは16歳だったのがなんだか笑える。お世辞でも比喩でもなくきちんと成長したと思えています。テレビ朝日さん、logirlさん、スタッフのみなさんに本当に感謝です。 そしてなにより、リスナーの皆様には毎週助けていただきました。ラジオ形式での配信のころはもちろんのこと、ゲスト形式になってからも毎週大喜利コーナーでたくさん投稿をいただき、みなさんとのつながりを感じられていました。 メールを読んで涙が出るくらい笑ったことも何度もあります。毎回新鮮にうれしかったし、みなさんのことが大好きになりました。 #奥森皐月の公私混同 最終回でした。2021年3月から約2年半の間、応援してくださった皆様本当にありがとうございます。メールや投稿もたくさん嬉しかったです。また必ずどこかの場所で会いましょうね、大喜利の準備だけ頼みます。冠ラジオは絶対にやりますし、馬鹿デカくなるので見ていてください。 pic.twitter.com/8Z5F60tuMK — 奥森皐月 (@okumoris) September 28, 2023 『奥森皐月の公私混同』が終了してしまうことは本当に残念です。もっと続けたかったですし、もっともっと楽しいことができたような気もしています。でも、そんなことを言っても仕方がないので、素直にありがとうございましたと言います。 奥森皐月自体は今後も加速し続けながら進んで行く予定です。いや進みます。必ず約束します。毎日「今日売れるぞ」と思って生活しています。 それから、死ぬまで今の好きな仕事をしようと思っています。人生初の冠番組は幕を下ろしましたが、また必ずどこかで楽しい番組をするので、そのときはまた一緒に遊んでください。 私は全員のことを忘れないので覚悟していてください。脅迫めいた終わり方であと味が悪いですね。最終回も泣いたフリをするという絶妙に気味の悪い終わり方だったので、それも私らしいのかなと思います。 この連載もかれこれ2年半がんばりました。1カ月ごとに振り返ることで記憶が定着して、まるで学習内容を復習しているようで楽しかったです。 思い出すことと書くことが大好きなので、この場所がなくなってしまうのもとても寂しい。今後はそのへんの紙の切れ端に、思い出したことを殴り書きしていこうと思います。違う連載ができるのが一番理想ですけれども。 貴重な時間を割いてここまで読んでくださったあなた、ありがとうございます。また会えることをお約束しますね。また。
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W杯で話題のラグビーを学ぼう!破壊力抜群なベスト3|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第29回季節の和菓子が食べたくなります、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の8月に配信された第36回から第40回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組も、もちろん観られます。 「おすすめの海外旅行先」に意外な国が登場! (写真:奥森皐月の公私混同 第36回「旅行、私に教えてください!」) 第36回のテーマは「旅行、教えてください!」。ゲストに、元JTB芸人・こじま観光さんにお越しいただきました。 仕事で地方へ行くことはたまにありますが、それ以外で旅行に行くことはめったにありません。興味がないわけではないけれど、旅行ってすぐにできないし、習慣というか行き慣れていないとなかなか気軽にできないですよね。 それに加え、私は海外にも行ったことがないので、海外旅行は自分にとってかなり遠い出来事。そのため、どういったお話が聞けるのか楽しみでした。 こじま観光さんはもともとJTBの社員として働かれていたという、「旅行好き」では済まないほど旅行・観光に詳しいお方。パッケージツアーの中身を考えるお仕事などをされていたそうです。 食事、宿泊、観光名所、などすべてがそろって初めて旅行か、と当たり前のことに気づかされました。 旅行が好きになったきっかけのお話が印象的でした。小学生のころ、お父様に「飛行機に乗ったことないよな」と言われて、ふたりでハワイに行ったとのこと。 そこから始まって、海外への興味などが湧いたとのことで、子供のころの経験が今につながっているのは素敵だと感じました。 ベスト3のコーナーでは「奥森さんに今行ってほしい国ベスト3」をご紹介いただきました。海外旅行と聞いて思いつく国はいくつかありましたが、第3位でいきなりアイルランドが出てきて驚きました。 国名としては知っているけれど、どんな国なのかは想像できないような、あまり知らない国が登場するランキングで、各地を巡られているからこそのベスト3だとよく伝わりました。 1位の国もかなり意外な場所でした。「奥森さんに」というタイトルですが、皆さんも参考になると思うので、ぜひチェックしていただきたいです。 11種類もの「釣り方」をレクチャー! (写真:奥森皐月の公私混同 第37回「釣り、私に教えてください!」) 第37回は、ゲストに釣り大好き芸人・ハッピーマックスみしまさんにお越しいただき「釣り、教えてください!」のテーマでお送りしました。 以前「魚、教えてください!」のテーマで一度配信があり、その際に少し釣りについてのパートもありましたが、今回は1時間まるまる釣りについて。 魚回のとき釣りに少し興味が湧いたのですが、やはり始め方や初心者は何からすればいいかがわからないので、そういった点も詳しく聞きたく思い、お招きしました。 大まかに海釣りや川釣りなどに分かれることはさすがにわかるのですが、釣り方には細かくさまざまな種類があることをまず教えていただきました。11種類くらいあるとのことで、知らないものもたくさんありました。釣りって幅広いですね。 みしまさんは特にルアー釣りが好きということで、スタジオに実際にルアーをお持ちいただきました。見たことないくらい大きなものもあるし、カラフルでかわいらしいものもあるし、それぞれのルアーにエピソードがあってよかったです。 また、みしまさんがご自身で○と×のボタンを持ってきてくださって、定期的にクイズを出してくれたのもおもしろかった。全体的な空気感が明るかったです。 「思い出の釣り」のベスト3は、それぞれずっしりとしたエピソードがあり、いいランキングでした。それぞれ写真も見ながら当時の状況を教えてくださったので、釣りを知らない私でも楽しむことができました。 まずは初心者におすすめだという「管理釣り場」から挑戦したいです。 鉄道好きが知る「秘境駅」は唯一無二の景色! (写真:奥森皐月の公私混同 第38回「鉄道、私に教えてください!」) 第38回のテーマは「鉄道、教えてください!」。ゲストに鉄道芸人・レッスン祐輝さんをお招きしました。 鉄道自体に興味がないわけではなく、詳しくはありませんが、好きです。移動手段で電車を使っているのはもちろん、普段乗らない電車に乗って知らない土地に行くのも楽しいと思います。 ただ、鉄道好きが多く規模が大きいことで、楽しみ方が無限にありそう。そのため、あまりのめり込んで鉄道ファンになる機会はありませんでした。 この回のゲストのレッスン祐輝さん、いい意味でめちゃくちゃに「鉄道オタク」でした。あふれ出る情報量と熱量が凄まじかった。 全国各地の鉄道を巡っているとのことで、1日に1本しか走っていない列車や、秘境を走る鉄道にも足を運んでいるそうです。 「秘境駅」というものに魅了されたとのことでしたが、たしかに写真を見ると唯一無二の景色で美しかったです。山奥で、車ですら行けない場所などもあるようで、死ぬまでに一度は行ってみたいなと思いました。 ベスト3では「癖が強すぎる終電」について紹介していただきました。レッスン祐輝さんは鉄道好きの中でも珍しい「終電鉄」らしく、これまでに見た変わった終電のお話が続々と。 終電に乗るせいで家に帰れないこともあるとおっしゃっていて、終電なんて帰るためのものだと思っていたので、なんだかおもしろかったです。 あのインドカレーは「混ぜて食べてもOK」!? (写真:奥森皐月の公私混同 第39回「カレー、私に教えてください!」) 第39回は、ゲストにカレー芸人・桑原和也さんにお越しいただき「カレー、教えてください!」をお送りしました。 私もカレーは大好き。インドカレーのお店によく行きます、ナンが食べたい日がかなりある。 「カレー」とひと言でいえど、さまざまな種類がありますよね。日本風のカレーライスから、ナンで食べるカレー、タイカレーなど。 近年流行っている「スパイスカレー」も名前としては知っていましたが、それがなんなのか聞くことができてよかったです。関西が発祥というのは初めて知りました。 カレー屋さんは東京が栄えているのだと思っていたのですが、関西のほうが名店がたくさんあるとのことで、次に関西に行ったら必ずカレーを食べようと心に決めました。 インドカレーにも種類があるらしく、たまにカレー屋さんで見かける、銀のプレートに小さい銀のボウルで複数種類のカレーが乗っていてお米が真ん中にあるようなスタイルは、南インドの「ミールス」と呼ばれるものだそうです。 今まで、ミールスは食べる順番や配分が難しい印象だったのですが、桑原さんから「混ぜて食べてもいい」というお話を聞き、衝撃を受けました。銀のプレートにひっくり返して、ひとつにしてしまっていいらしいです。 違うカレーの味が混ざることで新たな味わいが生まれ、辛さがマイルドになったり、別のおいしさが感じられるようになったりするとのこと。次にミールスに出会ったら絶対に混ぜます。 ランキングは「オススメのレトルトカレー」という実用的な情報でした。 レトルトカレーで冒険できないのは私だけでしょうか。最近はレトルトでも本当においしくていろいろな種類が発売されているようで、3つとも初めてお目にかかるものでした。 自宅で簡単に食べられるおいしいカレー、皆さんもぜひ参考にしてみてください。 9月のW杯に向けて「ラグビー」を学ぼう! (写真:奥森皐月の公私混同 第40回「ラグビー、私に教えてください!」) 8月最後の配信のテーマは「ラグビー、教えてください!」で、ゲストにラグビー二郎さんにお越しいただきました。 9月にラグビーワールドカップがあるので、それに向けて学ぼうという回。 私はもともとスポーツにまったく興味がなく、現地観戦はおろかテレビでもほとんどのスポーツを観たことがありませんでした。それが、この『公私混同』をきっかけにサッカーW杯を観て、WBCを観て、相撲を観て、と大成長を遂げました。 この調子でラグビーもわかるようになりたい。ラグビー二郎さんはラグビー経験者ということで、プレイヤー視点でのお話もあっておもしろかったです。 ルールが難しい印象ですが、あまり理解しないで観始めても大丈夫とのこと。まずはその迫力を感じるだけでも楽しめるそうです。直感的に楽しむのって大事ですよね。 前回、前々回のラグビーW杯もかなり盛り上がっていたので、要素としての情報は少しだけ知っていました。 その中で「ハカ」は、言葉としてはわかるけれど具体的になんなのかよくわからなかったので、詳しく教えていただけてうれしかったです。実演もしていただいてありがたい。 ここからのランキングが非常によかった。「ハカをやってるときの対戦相手の対応」というマニアックなベスト3でした。 ハカの最中に対戦相手が挑発的な対応をすることもあるらしく、過去に本当にあった名場面的な対応を3つご紹介いただきました。 どれも破壊力抜群のおもしろさで、ランキングタイトルを聞いたときのわくわく感をさらに上回る数々。本編でご確認いただきたい。 今年のワールドカップを観るのはもちろん、ハカのときの対戦相手の対応という細かいところまできちんと見届けたいと強く感じました。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 奥森皐月の公私混同ではメールを募集しています。 募集内容はX(Twitter)に定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは毎週アフタートークが公開されています。 最近のことを話したり、あれこれ考えたりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式X(Twitter)アカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! 今週は!1年間の振り返り放送です!!! コーナーリスナー的ベスト3 奥森さんへの質問、感想メール募集します! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼リアクションメール▼感想メール 📩宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は9/19(火)10時です! pic.twitter.com/nazDBoFSDk — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) September 18, 2023 奥森皐月個人のX(Twitter)アカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 キングオブコントのインタビュー動画 男性ブランコのサムネイルも漢字二文字だ、もはや漢字二文字待ちみたいになってきている、各芸人さんの漢字二文字考えたいな、そんなこと一緒にしてくれる人いないから1人で考えます、1人で色々な二文字を考えようと思います https://t.co/dfCQQVlhrg pic.twitter.com/LMpwxWhgUF — 奥森皐月 (@okumoris) September 19, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は、なんと収録後記の最終回です。 番組開始当初から毎月欠かさず書いてきましたが、9月末で番組が終了ということで、こちらもおしまい。とても寂しいですが、最後まで読んでいただけるとうれしいです。
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宮下草薙・宮下と再会!ボードゲームの驚くべき進化|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第28回ドライブがしたいなと思ったら車を借りてドライブをします、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の7月に配信された第32回から第35回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組ももちろん観られます。 かれこれ2年半もこの番組を続けています。もっとがんばってるねとか言ってほしいです。 宮下草薙・宮下が「ボードゲームの驚くべき進化」をプレゼン (写真:奥森皐月の公私混同 第32回「ボードゲーム、私に教えてください!」) 第32回のテーマは「ボードゲーム、教えてください!」。ゲストに、宮下草薙の宮下さんにお越しいただきました。 昨年のテレビ朝日の夏イベント『サマステ』ではこの番組のステージがあり、ゲストに宮下草薙さんをお招きしました。それ以来、約1年ぶりにお会いできてうれしかったです。 宮下さんといえばおもちゃ好きとして知られていますが、今回はその中でも特に宮下さんが詳しい「ボードゲーム」に特化してお話を伺いました。 巷では「ボードゲームカフェ」なるものが流行っているようですが、私はほとんどプレイしたことがありません。『人生ゲーム』すら、ちゃんとやったことがあるか記憶が曖昧。ひとりっ子だったからかしら。 そんななか、ボードゲームは驚くべき進化を遂げていることを、宮下さんが魅力たっぷりに教えてくださいました。 大人数でプレイするものが多いと勝手に思っていましたが、ひとりでできるゲームもたくさんあるそう。ひとりでボードゲームをするのは果たして楽しいのだろうかと思ってしまいましたが、実際にあるゲームの話を聞くとおもしろそうでした。購入してみたくなってしまいます。 ボードゲームのよさのひとつが、パーツや付属品などがかわいいということ。デジタルのゲームでは感じられない、手元にあるというよさは大きな魅力だと思います。見た目のかわいさから選んで始めるのも楽しそうです。 ランキングでは「もはや自分のマルチバース」ベスト3をご紹介いただきました。宮下さんが実際にプレイした中でも没入感が強くのめり込んだゲームたちは、どれも最高におもしろそうでした。 「重量級」と呼ばれる、プレイ時間が長くルールが複雑で難しいものも、現物をお持ちいただきましたが、あまりにもパーツが多すぎて驚きました。 それらをすべて理解しながら進めるのは大変だと感じますが、ゲームマスターがいればどうにかできるようです。かっこいい響き。ゲームマスター。 まずはボードゲームカフェで誰かに教わりながら始めたいと思います。本当に興味深いです、ボードゲームの世界は広い。 お城を歩くときは、自分が死ぬ回数を数える (写真:奥森皐月の公私混同 第33回「城、私に教えてください!」) 第33回は、ゲストに城マニア・観光ライターのいなもとかおりさんお越しいただき、「城、教えてください!」のテーマでお送りしました。 建物は好きなのですが歴史にあまり詳しくないため、お城についてはよくわかりません。お城好きの人は多い印象だったのですが、知識が必要そうで自分には難しいのではないかというイメージを抱いていました。 ただ、いなもとさんのお城のお話は、本当におもしろくてわかりやすかった。随所に愛があふれているけれど、初心者の私でも理解できるように丁寧に教えてくださる。熱量と冷静さのバランスが絶妙で、あっという間の1時間でした。 「城」と聞くと、名古屋城や姫路城などのいわゆる「天守」の部分を想像してしまいます。ただ、城という言葉自体の意味では、天守のまわりの壁や堀などもすべて含まれるとのこと。 土が盛られているだけでも城とされる場所もあって、そういった城跡などもすべて含めると、日本に城は4万から5万箇所あるそうです。想像していた数の100倍くらいで本当に驚きました。 いなもとさん流のお城の楽しみ方「攻め込むつもりで歩いたときに何回自分がやられてしまうか数える」というお話がとても印象的です。いかに敵に対抗できているお城かというのを実感するために、天守まで歩きながら死んでしまう回数を数えるそう。おもしろいです。 歴史の知識がなくてもこれならすぐに試せる。次にお城に行くことがあれば、私も絶対に攻める気持ち、そして敵に攻撃されるイメージをしながら歩こうと思います。 コーナーでは「昔の人が残した愛おしいらくがきベスト3」を紹介していただきました。 お城の中でも石垣が好きだといういなもとさん。石垣自体に印がつけられているというのは今回初めて知りました。 それ以外にも、お城には昔の人が残したらくがきがいくつもあって、どれもかわいらしくおもしろかったです。それぞれのお城で、そのらくがきが実際に展示されているとのことで、実物も見てみたいと思いました。 プラスチックを分解できる!? きのこの無限の可能性 (写真:奥森皐月の公私混同 第34回「きのこ、私に教えてください!」) 第34回のテーマは「きのこ、教えてください!」。ゲストに、きのこ大好き芸人・坂井きのこさんをお招きしました。 きのこって身近なのに意外と知らない。安いからスーパーでよく買うし、そこそこ食べているはずなのに、実態についてはまったく理解できていませんでした。「きのこってなんだろう」と考える機会がなかった。 坂井さんは筋金入りのきのこ好きで、幼少期から今までずっときのこに魅了されていることがお話を聞いてわかりました。 山や森などできのこを見つけると、少しうれしい気持ちになりますよね。きのこ狩りをずっとしていると珍しいきのこにもたくさん出会えるようで、単純に宝探しみたいで楽しそうだなぁと思いました。 菌類で、毒があるものもあって、鑑賞してもおもしろくて、食べることもできる。ほかに似たものがない不思議な存在だなぁと改めて思いました。 野菜だったら「葉の部分を食べている」とか「実を食べている」とかわかりやすいですけれど、きのこってじゃあなんだといわれると説明ができない。 基本の基本からきのこについてお聞きできてよかったです。菌類には分解する力があって、きのこがいるから生態系は保たれている。命が尽きたら森に葬られてきのこに分解されたい……とおっしゃっていたときはさすがに変な声が出てしまいました。これも愛のかたちですね。 ランキングコーナーの後半では、きのこのすごさが次々とわかってテンションが上がりました。 特に「プラスチックを分解できるきのこがある」という話は衝撃的。研究がまだまだ進められていないだけで、きのこには無限の可能性が秘められているのだとわかってワクワクしちゃった。 この収録を境に、きのこを少し気にしながら生きるようになった。皆さんもこの配信を観ればきのこに対する心持ちが少し変わると思います。教育番組らしさもあるいい回でした。 「神オブ神」な花火を見てみたい! (写真:奥森皐月の公私混同 第35回「花火、私に教えてください!」) 7月最後の配信のテーマは「花火、教えてください!」で、ゲストに花火マニアの安斎幸裕さんにお越しいただきました。 コロナ禍も落ち着き、今年は本格的にあちこちで花火大会が開催されていますね。8月前半の土日は全国的にも花火大会がたくさん開催される時期とのことで、その少し前の最高のタイミングでお越しいただきました。 花火大会にはそれぞれ開催される背景があり、それらを知ってから花火を見るとより楽しめるというお話が素敵でした。かの有名な長岡の花火大会も、古くからの歴史と想いがあるとのことで、見え方が変わるなぁと感じます。 それから、花火玉ひとつ作るのに相当な時間と労力がかけられていることを知って驚きました。中には数カ月かかって作られるものもあるとのことで、それが一瞬で何十発も打ち上げられるのは本当に儚いと思いました。 このお話を聞いて今年花火大会に行きましたが、一発一発にその手間を感じて、これまでと比べ物にならないくらいに感動しました。派手でない小さめの花火も愛おしく思えた。 安斎さんの花火職人さんに対するリスペクトの気持ちがひしひしと伝わってきて、とてもよかったです。 最初は、本当に尊敬しているのだなぁという印象だったのですが、だんだんその思いがあふれすぎて、推しを語る女子高校生のような口調になられていたのがおもしろかったです。見た目のイメージとのギャップもあって素敵でした。 最終的に、あまりにすごい花火のことを「神オブ神」と言ったり、花火を「神が作った子」と言ったりしていて、笑ってしまいました。 この週の「大喜利公私混同カップ2」のお題が「進化しすぎた最新花火の特徴を教えてください」だったのですが、大喜利の回答に近い花火がいくつも存在していることを教えてくださっておもしろかったです。 大喜利が大喜利にならないくらいに、花火が進化していることがわかりました。このコーナーの大喜利と現実が交錯する瞬間がすごく好き。 真夏以外にも花火大会はあり、さまざまな花火アーティストによってまったく違う花火が作られていることをこの収録で知りました。きちんと事前にいい席を取って、全力で花火を楽しんでみたいです。 成田の花火大会がどうやらかなりすごいので行ってみようと思います。「神オブ神」って私も言いたい。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 『奥森皐月の公私混同』ではメールを募集しています。 募集内容はTwitterに定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは、毎週アフタートークが公開されています。 ゆったり作家のみなさんとおしゃべりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式Twitterアカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! テーマは【カレー🍛】【ラグビー🏉】です! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼ゲストへの質問▼大喜利公私混同カップ2▼リアクションメール▼感想メール 📩宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は8/22(火)10時です! pic.twitter.com/xJrDL41Wc9 — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) August 20, 2023 奥森皐月個人のTwitterアカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 大喜る人たち生配信を真剣に見ている奥森皐月。お前は中途半端だからサッカー選手にはなれないと残酷な言葉で説く父親、聞く耳を持たない小2くらいの息子、黙っている妹と母親の4人家族。啜り泣くギャル。この3組がお客さんのカレー屋さんがさっきまであった。出てしまったので今はもうない。 — 奥森皐月 (@okumoris) August 20, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は「未体験のジャンルからやってくる強者たち」を中心にお送りします。お楽しみに。
AKB48 Team 8 私服グラビア
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L'art des mots~言葉のアート~
企画展情報から、オリジナルコラム、鑑賞記まで……アートに関するよしなしごとを扱う「L’art des mots~言葉のアート~」
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【News】西洋絵画の500年の歴史を彩った巨匠たちの傑作が、一挙来日!『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が大阪市立美術館・国立新美術館にて開催!先史時代から現代まで5000年以上にわたる世界各地の考古遺物・美術品150万点余りを有しているメトロポリタン美術館。 同館を構成する17部門のうち、ヨーロッパ絵画部門に属する約2500点の所蔵品から、選りすぐられた珠玉の名画65 点(うち46 点は日本初公開)を展覧する『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が、11月に大阪、来年2月には東京で開催されます。 この展覧会は、フラ・アンジェリコ、ラファエロ、クラーナハ、ティツィアーノ、エル・グレコから、カラヴァッジョ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、レンブラント、 フェルメール、ルーベンス、ベラスケス、プッサン、ヴァトー、ブーシェ、そしてゴヤ、ターナー、クールベ、マネ、モネ、ルノワール、ドガ、ゴーギャン、ゴッホ、セザンヌに至るまでを、時代順に3章で構成。 第Ⅰ章「信仰とルネサンス」では、イタリアのフィレンツェで15世紀初頭に花開き、16世紀にかけてヨーロッパ各地で隆盛したルネサンス文化を代表する画家たちの名画、フラ・アンジェリコ《キリストの磔刑》、ディーリック・バウツ《聖母子》、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ヴィーナスとアドニス》など、計17点を観ることが出来ます。 第Ⅱ章「絶対主義と啓蒙主義の時代」では、絶対主義体制がヨーロッパ各国で強化された17世紀から、啓蒙思想が隆盛した18世紀にかけての美術を、各国の巨匠たちの名画30点により紹介。カラヴァッジョ《音楽家たち》、ヨハネス・フェルメール《信仰の寓意》、レンブラント・ファン・レイン《フローラ》などを御覧頂けます。 第Ⅲ章「革命と人々のための芸術」では、レアリスム(写実主義)から印象派へ……市民社会の発展を背景にして、絵画に数々の革新をもたらした19世紀の画家たちの名画、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む》、オーギュスト・ルノワール《ヒナギクを持つ少女》、フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲く果樹園》、さらには日本初公開となるクロード・モネ《睡蓮》など、計18点が展覧されます。 15世紀の初期ルネサンスの絵画から19世紀のポスト印象派まで……西洋絵画の500 年の歴史を彩った巨匠たちの傑作を是非ご覧下さい! 『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』 ■大阪展 会期:2021年11月13日(土)~ 2022年1月16日(日) 会場:大阪市立美術館(〒543-0063大阪市天王寺区茶臼山町1-82) 主催:大阪市立美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社、テレビ大阪 後援:公益財団法人 大阪観光局、米国大使館 開館時間:9:30ー17:00 ※入館は閉館の30分前まで 休館日:月曜日( ただし、1月10日(月・祝)は開館)、年末年始(2021年12月30日(木)~2022年1月3日(月)) 問い合わせ:TEL:06-4301-7285(大阪市総合コールセンターなにわコール) ■東京展 会期:2022年2月9日(水)~5月30日(月) 会場:国立新美術館 企画展示室1E(〒106-8558東京都港区六本木 7-22-2) 主催:国立新美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社 後援:米国大使館 開館時間:10:00ー18:00( 毎週金・土曜日は20:00まで)※入場は閉館の30分前まで 休館日:火曜日(ただし、5月3日(火・祝)は開館) 問い合わせ:TEL:050-5541-8600( ハローダイヤル) text by Suzuki Sachihiro
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【News】約3,000点の新作を展示。国立新美術館にて「第8回日展」が開催!10月29日(金)から11月21日まで、国立新美術館にて「第8回日展」が開催されます。日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5部門に渡って、秋の日展のために制作された現代作家の新作、約3,000点が一堂に会します。 明治40年の第1回文展より数えて、今年114年を迎える日本最大級の公募展である日展は、歴史的にも、東山魁夷、藤島武二、朝倉文夫、板谷波山など、多くの著名な作家を生み出してきました。 展覧会名:第8回 日本美術展覧会 会 場:国立新美術館(東京都港区六本木7-22-2) 会 期:2021年10月29日(金)~11月21日(日)※休館日:火曜日 観覧時間:午前10時~午後6時(入場は午後5時30分まで) 主 催:公益社団法人日展 後 援:文化庁/東京都 入場料・チケットや最新の開催情報は「日展ウェブサイト」をご確認下さい (https://nitten.or.jp/) 展示される作品は作家の今を映す鏡ともいえ、作品から世相や背景など多くのことを読み取る楽しさもあります。 あらゆるジャンルをいっぺんに楽しめる機会、新たな日本の美術との出会いに胸躍ること必至です! 東京展の後は、京都、名古屋、大阪、安曇野、金沢の5か所を巡回(予定)します。 日本画 会場風景 2020年 洋画 会場風景 2020年 彫刻 会場風景 2020年 工芸美術 会場風景 2020年 書 会場風景 2020年 text by Suzuki Sachihiro
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【News】和田誠の全貌に迫る『和田誠展』が開催!イラストレーター、グラフィックデザイナー和田誠わだまこと(1932-2019)の仕事の全貌に迫る展覧会『和田誠展』が、今秋10月9日から東京オペラシティアートギャラリーにて開催される。 和田誠 photo: YOSHIDA Hiroko ©Wada Makoto 和田誠の輪郭をとらえる上で欠くことのできない約30のトピックスを軸に、およそ2,800点の作品や資料を紹介。様々に創作活動を行った和田誠は、いずれのジャンルでも一級の仕事を残し、高い評価を得ている。 展示室では『週刊文春』の表紙の仕事はもちろん、手掛けた映画の脚本や絵コンテの展示、CMや子ども向け番組のアニメーション上映も予定。 本展覧会では和田誠の多彩な作品に、幼少期に描いたスケッチなども交え、その創作の源流をひも解く。 ▽和田誠の仕事、総数約2,800点を展覧。書籍と原画だけで約800点。週刊文春の表紙は2000号までを一気に展示 ▽学生時代に制作したポスターから初期のアニメーション上映など、貴重なオリジナル作品の数々を紹介 ▽似顔絵、絵本、映画監督、ジャケット、装丁……など、約30のトピックスで和田誠の全仕事を紹介 会場は【logirl】『Musée du ももクロ』でも何度も訪れている、初台にある「東京オペラシティアートギャラリー」。 この秋注目の展覧会!あなたの芸術の秋を「和田誠の世界」で彩ろう。 【開催概要】展覧会名:和田誠展( http://wadamakototen.jp/ ) 会期:2021年10月9日[土] - 12月19日[日] *72日間 会場:東京オペラシティ アートギャラリー 開館時間:11:00-19:00(入場は18:30まで) 休館日:月曜日 入場料:一般1,200[1,000]円/大・高生800[600]円/中学生以下無料 主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団 協賛:日本生命保険相互会社 特別協力:和田誠事務所、多摩美術大学、多摩美術大学アートアーカイヴセンター 企画協力:ブルーシープ、888 books お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル) *同時開催「収蔵品展072難波田史男 線と色彩」「project N 84 山下紘加」の入場料を含みます。 *[ ]内は各種割引料金。障害者手帳をお持ちの方および付添1名は無料。割引の併用および入場料の払い戻しはできません。 *新型コロナウイルス感染症対策およびご来館の際の注意事項は当館ウェブサイトを( https://www.operacity.jp/ag/ )ご確認ください。 ▽和田誠(1932-2019) 1936年大阪に生まれる。多摩美術大学図案科(現・グラフィックデザイン学科)を卒業後、広告制作会社ライトパブリシティに入社。 1968年に独立し、イラストレーター、グラフィックデザイナーとしてだけでなく、映画監督、エッセイ、作詞・作曲など幅広い分野で活躍した。 たばこ「ハイライト」のデザインや「週刊文春」の表紙イラストレーション、谷川俊太郎との絵本や星新一、丸谷才一など数多くの作家の挿絵や装丁などで知られる。 報知映画賞新人賞、ブルーリボン賞、文藝春秋漫画賞、菊池寛賞、毎日デザイン賞、講談社エッセイ賞など、各分野で数多く受賞している。 仕事場の作業机 photo: HASHIMOTO ©Wada Makoto 『週刊文春』表紙 2017 ©Wada Makoto 『グレート・ギャツビー』(訳・村上春樹)装丁 2006 中央公論新社 ©Wada Makoto 『マザー・グース 1』(訳・谷川俊太郎)表紙 1984 講談社 ©Wada Makoto text by Suzuki Sachihiro
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「誰も観たことのないバラエティを」。『ももクロChan』10周年記念スタッフ座談会ももいろクローバーZの初冠番組『ももクロChan』が昨年10周年を迎えた。 この番組が女性アイドルグループの冠番組として異例の長寿番組となったのは、ただのアイドル番組ではなく、"バラエティ番組”として破格におもしろいからだ。 ももクロのホームと言っても過言ではないバラエティ番組『ももクロChan』。 彼女たちが10代半ばのころから、その成長を見続けてきたプロデューサーの浅野祟氏、吉田学氏、演出の佐々木敦規氏の3人が集まり、番組への思い、そしてももクロの魅力を存分に語ってくれた。 浅野 崇(あさの・たかし)1970年、千葉県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan』 『ももクロちゃんと!』 『Musee du ももクロ』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』、など 吉田 学(よしだ・まなぶ)1978年、東京都出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~』 『ももクロちゃんと!』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』 『Musée du ももクロ』、など 佐々木 敦規(ささき・あつのり)1967年、東京都出身。ディレクター。 有限会社フィルムデザインワークス取締役 「ももクロはアベンジャーズ」。そのずば抜けたバラエティ力の秘密 ──最近、ももクロのメンバーたちが、個々でバラエティ番組に出演する機会が増えていますね。 浅野 ようやくメンバー一人ひとりのバラエティ番組での強さに、各局のディレクターやプロデューサーが気づいてくれたのかもしれないですね。間髪入れずに的確なコメントやリアクションをしてて、さすがだなと思って観てます。 佐々木 彼女たちはソロでもアリーナ公演を完売させるアーティストですけど、バラエティタレントとしてもその実力は突き抜けてますから。 浅野 あれだけ大きなライブ会場で、ひとりしゃべりしても飽きがこないのは、すごいことだなと改めて思いますよ。 佐々木 そして、4人そろったときの爆発力がある。それはまず、バラエティの天才・玉井詩織がいるからで。器用さで言わせたら、彼女はめちゃくちゃすごい。百田夏菜子、高城れに、佐々木彩夏というボケ3人を、転がすのが本当にうまくて助かってます。 昔は百田の天然が炸裂して、高城れにがボケにいくスタイルだったんですが、いつからか佐々木がボケられるようになって、ももクロは最強になったと思ってます。 キラキラしたぶりっ子アイドル路線をやりたがっていたあーりんが、ボケに回った。それどころか、今ではそのポジションに味をしめてる。昔はコマネチすらやらなかった子なのに、ビックリですよ(笑)。 (写真:佐々木ディレクター) ──そういうメンバーの変化や成長を見られるのも、10年以上続く長寿番組だからこそですね。 吉田 昔からライブの舞台裏でもずっとカメラを回させてくれたおかげで、彼女たちの成長を記録できました。結果的に、すごくよかったですね。 ──ずっとももクロを追いかけてきたファンは思い出を振り返れるし、これからももクロを知る人たちも簡単に過去にアクセスできる。「テレ朝動画」で観られるのも貴重なアーカイブだと思います。 佐々木 『ももクロChan』は、早見あかりの脱退なども撮っていて、楽しいときもつらいときも悲しいときも、ずっと追っかけてます。こんな大事な仕事は、途中でやめるわけにはいかないですよ。彼女たちの成長ドキュメンタリーというか、ロードムービーになっていますから。 唯一無二のコンテンツになってしまったので、ももクロが活動する限りは『ももクロChan』も続けたいですね。 吉田 これからも続けるためには、若い世代にもアピールしないといけない。10代以下の子たちにも「なんかおもしろいお姉ちゃんたち」と認知してもらえるように、我々もがんばらないと。 (写真:吉田プロデューサー) 浅野 彼女たちはまだまだ伸びしろありますからね。個々でバラエティ番組に出たり、演技のお仕事をしたり、ソロコンをやったりして、さらにレベルアップしていく。そんな4人が『ももクロChan』でそろったとき、相乗効果でますますおもしろくなるような番組をこれからも作っていきたいです。 佐々木 4人は“アベンジャーズ"っぽいなと最近思うんだよね。 浅野 わかります。 ──アベンジャーズ! 個人的に、ももクロって令和のSMAPや嵐といったポジションすら狙えるのではないか、と妄想したりするのですが。 浅野 あそこまで行くのはとんでもなく難しいと思いますが……。でも佐々木さんの言うとおりで、最近4人全員集まったときに、スペシャルな瞬間がたまにあるんですよ。そういう大物の華みたいな部分が少しずつ見えてきたというか。 佐々木 そうなんだよねぇ。ももクロの4人はやたらと仲がいいし、本人たちも30歳、40歳、50歳になっても続けていくつもりなので、さらに化けていく彼女たちを撮っていかなくちゃいけないですね。 早見あかりが抜けて、自立したももクロ (写真:浅野プロデューサー) ──先ほど少し早見あかりさん脱退のお話が出ましたけど、やはり印象深いですか。 吉田 そうですね。そのとき僕はまだ『ももクロChan』に関わってなかったんですが、自分の局の番組、しかも動画配信でアイドルの脱退の告白を撮ったと聞いて驚きました。 当時はAKB48がアイドル界を席巻していて、映画『DOCUMENTARY of AKB48』などでアイドルの裏側を見せ始めた時期だったんです。とはいえ、脱退の意志をメンバーに伝えるシーンを撮らせてくれるアイドルは画期的でした。 佐々木 ももクロは最初からリミッターがほとんどないグループだからね。チーフマネージャーの川上アキラさんが攻めた人じゃないですか。だって、自分のワゴン車に駆け出しのアイドル乗っけて、全国のヤマダ電機をドサ回りするなんて、普通考えられないでしょう(笑)。夜の駐車場で車のヘッドライトを背に受けながらパフォーマンスしてたら、そりゃリミッターも外れますよ。 (写真:『ももクロChan』#11) ──アイドルの裏側を見せる番組のコンセプトは、当初からあったんですか? 佐々木 そうですね、ある程度狙ってました。そもそも僕と川上さんが仲よしなのは、プロレスや格闘技っていう共通の熱狂している趣味があるからなんですけど。 当時流行ってた総合格闘技イベント『PRIDE』とかって、ブラジリアントップファイターがリング上で殺し合いみたいなガチの真剣勝負をしてたんですよ。そんな血気盛んな選手が闘い終わってバックヤードに入った瞬間、故郷のママに「勝ったよママ! 僕、勝ったんだよ!」って電話しながら泣き出すんです。 ああいうファイターの裏側を生々しく映し出す映像を見て、表と裏のコントラストには何か新しい魅力があるなと、僕らは気づいて。それで、川上さんと「アイドルで、これやりましょうよ!」って話がスムーズにいったんです。 吉田 ライブ会場の楽屋などの舞台裏に定点カメラを置いてみる「定点観測」は、ももクロの裏の部分が見える代表的なコーナーになりました。ステージでキラキラ輝くももクロだけじゃなくて、等身大の彼女たちが見られるよう、早いうちに体制を整えられたのもありがたかったですね。 ──番組開始時からももクロのバラエティにおけるポテンシャルは図抜けてましたか? 佐々木 いや、最初は普通の高校生でしたよ。だから、何がおもしろくて何がウケないのか、何が褒められて何がダメなのか。そういう基礎から丁寧に教えました。 ──転機となったのは? 佐々木 やはり早見あかりが抜けたことですね。当時は早見が最もバラエティ力があったんです。裏リーダーとして場を回してくれたし、ほかのメンバーも彼女に頼りきりだった。我々も困ったときは早見に振ってました。 だから早見がいなくなって最初の収録は、残ったメンバーでバラエティを作れるのか正直不安で。でも、いざ収録が始まったら、めちゃめちゃおもしろかったんですよ。「お前らこんなにできたのっ!?」といい意味で裏切られた。 早見に甘えられなくなり、初めて自立してがんばるメンバーを見て、「この子たちとおもしろいバラエティ作るぞ!」と僕もスイッチが入りましたね。 あと、やっぱり2013年ごろからよく出演してくれるようになった東京03の飯塚(悟志)くんが、ももクロと相性抜群だったのも大きかった。彼のシンプルに一刀両断するツッコミのおかげで、ももクロはボケやすくなったと思います。 吉田 飯塚さんとの絡みで学ぶことも多かったですよね。 佐々木 トークの間合いとか、ボケの伏線回収的な方程式なんかを、お笑い界のトップランナーと実戦の中で知っていくわけですから、貴重な経験ですよね。それは僕ら裏方には教えられないことでした。 浅野 今のももクロって、収録中に何かおもしろいことが起きそうな気配を感じると、各々の役割を自覚して、フィールドに散らばっていくイメージがあるんですよね。 言語化はできないんだろうけど、彼女たちなりに、ももクロのバラエティ必勝フォーメーションがいくつかあるんでしょう。状況に合わせて変化しながら、みんなでゴールを目指してるなと感じてます。 ももクロのバラエティ史に残る奇跡の数々 ──バラエティ番組でのテクニックは芸人顔負けのももクロですが、“笑いの神様”にも愛されてますよね。何気ないスタジオ収録回でも、ミラクルを起こすのがすごいなと思ってて。 佐々木 最近で言うと、「4人連続ピンポン球リフティング」は残り1秒でクリアしてましたね。「持ってる」としか言えない。ああいう瞬間を見るたびに、やっぱりスターなんだなぁと思いますね。 浅野 昔、公開収録のフリースロー対決(#246)で、追い込まれた百田さんが、うしろ向きで投げて入れるというミラクルもありました。 あと、「大人検定」という企画(#233)で、高城さんがタコの踊り食いをしたら、鼻に足が入ってたのも忘れられない(笑)。 吉田 あの高城さんはバラエティ史に残る映像でしたね(笑)。 個人的にはフットサルも印象に残ってます。中学生の全国3位の強豪チームとやって、善戦するという。 佐々木 なんだかんだ健闘したんだよね。しかも終わったら本気で悔しがって、もう一回やりたいとか言い出して。 今度のオンラインライブに向けて、過去の名シーンを掘ってみたんですが、そういうミラクルがたくさんあるんですよ。 浅野 今ではそのラッキーが起こった上で、さらにどう転していくかまで彼女たちが自分で考えて動くので、昔の『ももクロChan』以上におもしろくなってますよね。 写真:『ももクロChan』#246) (写真:『ももクロChan』#233) ──皆さんのお話を聞いて、『ももクロChan』はアイドル番組というより、バラエティ番組なんだと改めて思いました。 佐々木 そうですね。誤解を恐れずに言えば、僕らは「ももクロなしでも通用するバラエティ」を作るつもりでやってるんです。 お笑いとしてちゃんと観られる番組がまずあって、その上でとんでもないバラエティ力を持ったももクロががんばってくれる。そりゃおもしろくなりますよね。 ──アイドルにここまでやられたら、ゲストの芸人さんたちも大変じゃないかと想像します。 佐々木 そうでしょうね(笑)。平成ノブシコブシの徳井(健太)くんが「バラエティ番組いろいろ出たけど、今でも緊張するのは『ゴッドタン』と『ももクロChan』ですよ」って言ってくれて。お笑いマニアの彼にそういう言葉をもらえたのは、ありがたかったなぁ。 誰も見たことのない破格のバラエティ番組を届ける ──そして11月6日(土)には、『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』を開催しますね。 吉田 もともとは去年やるつもりでしたが、コロナ禍で自粛することになり、11周年の今年開催となりました。これから先『ももクロChan』を振り返ったとき、このイベントが転機だったと思えるような特別な日にしたいですね。 浅野 歌あり、トークあり、コントあり、ゲームあり。なんでもありの総合バラエティ番組を作るつもりです。 2時間の生配信でゲストも来てくださるので、通常回以上に楽しいのはもちろん、ライブならではのハプニングも期待しつつ……。まぁプロデューサーとしては、いろんな意味でドキドキしてますけど(苦笑)。 佐々木 ライブタイトルに「バラエティ番組」と入れて、我々も自分でハードル上げてるからなぁ(笑)。でも「バラエティを売りにしたい」と浅野Pや吉田Pに思っていただいているので、ディレクターの僕も期待に応えるつもりで準備してるところです。 浅野 ここで改めて、ももクロは歌や踊りのパフォーマンスだけじゃなく、バラエティも最高におもしろいんだぞ、と知らしめたい。 さっき佐々木さんも言ってましたけど、まだももクロに興味がない人でも、バラエティ番組として楽しめるはずなので、お笑い好きとか、バラエティをよく観る人に観てもらいたいです。 佐々木 誰も見たことない、新しくておもしろい番組を作るつもりですよ。 浅野 『ももクロChan』が始まった2010年って、まだ動画配信で成功している番組がほとんどなかったんですね。そんな環境で番組がスタートして、テレビ朝日の中で特筆すべき成功番組になった。 そういう意味では、配信動画のトップランナーとして、満を持して行う生配信のオンラインイベントなので、業界の中でも「すごかった」と言ってもらえる番組にするつもりです。 吉田 『ももクロChan』スタッフとしては、番組が11周年を迎えることを感慨深く思いつつ、テレビを作ってきた人間としては、コロナ以降に定着してきたオンライン生配信の意義を今改めて考えながら作っていきたいです。 (写真:『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』は、11月6日(土)19時開演 logirl会員は割引価格でご視聴いただけます) ──具体的にどういった企画をやるのか、少しだけ教えてもらえますか? 浅野 「あーりんロボ」(佐々木彩夏がお悩み相談ロボットに扮するコントコーナー)はやるでしょう。 佐々木 生配信で「あーりんロボ」は怖いですよ、絶対時間押しますから(笑)。佐々木も度胸ついちゃってるからガンガンボケて、百田、高城、玉井がさらに煽って調子に乗っていくのが目に見える……。 あと、配信ならではのディープな企画も考えていますが、ちょっと今のままだとディープすぎてできないかもしれないです。 浅野 配信を観た方は、ネタバレ禁止というルールを決めたら、攻められますかねぇ。 佐々木 たしかに視聴者の方々と共犯関係を結べるといいですね。 とにかく、モノノフさんはもちろんですが、少しでも興味を持った人に観てほしいんですよ。バラエティ史に残る番組の記念すべき配信にしますので、絶対損はさせません。 浅野 必ず、期待にお応えします。 撮影=時永大吾 文=安里和哲 編集=後藤亮平
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logirlの「起爆剤になりたい」ディレクター・林洋介(『ももクロちゃんと!』)インタビューももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第5弾。 今回は10月からリニューアルする『ももクロちゃんと!』でディレクターを務める林洋介氏に話を聞いた。 林洋介(はやし・ようすけ)1985年、神奈川県出身。ディレクター。 <現在の担当番組> 『ももクロちゃんと!』 『WAGEI』 『小川紗良のさらまわし』 『まりなとロガール』 リニューアルした『ももクロちゃんと!』の収録を終えて ──10月9日から土曜深夜に枠移動する『ももクロちゃんと!』。林さんはリニューアルの初回放送でディレクターを務めています。 林 そうですね。「ももクロちゃんと、〇〇〇!」という基本的なルールは変わらずやっていくんですけど、画面上のCGやテロップなどが変わるので、視聴者の方の印象はちょっと違ってくるかなと思います。 (写真:「ももクロちゃんと!」) ──収録を終えた感想はいかがですか? 林 自粛期間中に自宅で推し活を楽しめる「推しグッズ」作りがトレンドになっていたので、今回は「推しグッズ」というテーマでやったんですが、ももクロのみなさんに「推しゴーグル」を作ってもらう作業にけっこう時間がかかってしまったんですよね。「安全ゴーグル」に好きなキャラクターや言葉を書いてデコってもらったんですが、本当はもうひとつ作る予定が収録時間に収まりきらず……それでもリニューアル1発目としては、期待を裏切らない内容になったと思います。 ──『ももクロちゃんと!』を担当するのは今回が初めてですが、収録に臨むにあたって何か考えはありましたか? 林 やっぱり、リニューアル一発目なので盛り上がっていけたらなと。あとは、ももクロは知名度のあるビッグなタレントさんなので、その空気に飲まれないようにしないといけないなと考えていましたね。 ──先輩スタッフの皆さんからとも相談しながらプランを立てていったのでしょうか? 林 そうですね。ももクロは業界歴も長くてバラエティ慣れしているので、トークに関しては心配ないと聞いていました。ただ、自分たちで考えて何かを書いたり作ったりしてもらうのは、ちょっと時間がいるかもしれないよとも……でも、まさかあそこまでかかるとは思いませんでした(笑)。ちょっとバカバカしいものを書いてもらっているんですけど、あそこまで真剣に取り組んでくれるのかって逆に感動しました。 (写真:「ももクロちゃんと! ももクロちゃんと祝!1周年記念SP」) 「まだこんなことをやるのか」という無茶をしたい ──ももクロメンバーと仕事をする機会は、これまでもありましたか? 林 logirlチームに入るまで一度もなくて、今回がほぼ初対面です。ただ一度だけ、DVDの宣伝のために短いコメントをもらったことがあって、そのときもここまで現場への気遣いがしっかりしているんだという印象を受けました。 もちろん名前はよく知っていますが、僕は正直あまりももクロのことを知らなかったんですよね。キャリア的に考えたら当然現場では大物なわけで、そのときは僕も時間を巻きながら無事に5分くらいのコメントをもらったんですが、あとから撮影した素材を見返したら、あの短いコメント取材だけなのに、わざわざみんなで立ち上がって「ありがとうございました」と丁寧に言ってくれていたことに気がついて、「めっちゃいい子たちやなあ」って思ってました。 ──一緒に仕事をしてみて、印象は変わりましたか? 林 『ももクロちゃんと!』は、基本的にその回で取り上げる専門的な知識を持った方にゲストで来ていただいてるんですが、タレントさんでない方が来ることも多いんですよね。そういった一般の方に対しても壁がないというか、なんでこんなになじめるのかってくらいの親しみ深さに驚きました。そういう方たちの懐にもすっと入っていけるというか、その気遣いを大切にしているんですよね。しかもそれをすごく自然にやっているのが、すごいなと思いました。 ──『ももクロちゃんと!』は2年目に突入しました。今後の方向性として、考えていることはありますか? 林 「推しグッズ」でも、あそこまで真剣に取り組んでるんだったら、短い収録時間の中ではありますが、「まだこんなことをやってくれるのか」という無茶をしてみたいなと個人的には思いました。過去の『ももクロChan』を観ていても、すごくアクティブじゃないですか。だから、トークだけでは終わらせたくないなっていう気持ちはあります。 (写真:「ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~」) 情報番組のディレクターとしてキャリアを積む ──テレビの仕事を始めたきっかけを教えてください。 林 大学を卒業して特にやりたいことがなかったので、好きだったテレビの仕事をやってみようかなというのが入口ですね。最初に入ったのがテレビ東京さんの『お茶の間の真実〜もしかして私だけ!?〜』というバラエティ番組で、そこでADをやっていました。長嶋一茂さんと石原良純さんと大橋未歩さんがMCだったんですが、初めは知らないことだらけだったので、いろいろなことが学べたのは楽しかったですね。 ──そこからずっとバラエティ畑ですか。 林 AD時代は基本的にバラエティでしたね。ディレクターの一発目はTBSの『ビビット』という情報番組でした。曜日ディレクターとして、日々のニュースを追う感じだったんですが、そもそもニュースというものに興味がなかったので、そこはかなり苦戦しました。バラエティの“おもしろい”は単純というか、わかりやすいですが、ニュースの“おもしろい”ってなんだろうってずっと考えていましたね。たとえば、殺人事件の何を見せたらいいんだろうとか、まったくわからない世界に入ってしまったなという感じがしていました。 ──情報番組はどのくらいやっていたんですか? 林 『ビビット』のあとに始まった、立川志らくさんの『グッとラック!』もやっていたので、6年間ぐらいですかね。でも、最後まで情報番組の感覚はつかめなかった気がします。きっとこういうことが情報番組の“おもしろい”なのかなって想像しながら、合わせていたような感じです。 番組制作のモットーは「事前準備を超えること」 ──ご自身の好みでいえば、どんなジャンルがやりたかったんですか? 林 いわゆる“どバラエティ”ですね。当時でいえば、めちゃイケ(『めちゃ×イケてるッ!』/フジテレビ)に憧れてました。でも、情報バラエティが全盛の時代だったので、結果的にAD時代、ディレクター時代を含めてゴリゴリのバラエティはやれなかったですね。 ──情報番組のディレクター時代の経験で、印象に残っていることはありますか? 林 芸能人の密着をやったり、街頭インタビューでおもしろ話を拾ってきたりと、仕事としては濃い時間を過ごしたと思いますが、そういったネタよりも、当時の上司からの影響が大きかったかなと思います。『ビビット』や『グッとラック!』は、ワイドショーだけどバラエティに寄せたい考えがあったので、コーナー担当の演出はバラエティ畑で育った人たちがやっていたんですよね。今思えば、バラエティのチームでワイドショーを作っているような感覚だったので、特殊といえば特殊な場所だったのかもしれません。僕のコーナーを見てくれていた演出の人もなかなか怖い人でしたから(笑)。 ──その経験も踏まえ、番組を作るときに心がけていることはありますか? 林 どんなロケでも事前に構成を作ると思うんですが、最初に作った構成を越えることをひとつの目標としてやっていますね。「こんなものが撮れそうです」と演出に伝えたところから、ロケのあとのプレビューで「こんなのがあるんだ」と驚かせるような何かをひとつでも持って帰ろうとやっていましたね。 自由度の高い「配信番組」にやりがいを感じる ──logirlチームには、どのような経緯で入ったんでしょうか? 林 『グッとラック!』が終わったときに、会社から「次はどうしたい?」と提示された候補のひとつだったんですよね。それで、僕はもう地上波に未来はないのかなと思っていたので、詳細は知らなかったんですけど、配信の番組というところに興味を持ってやってみたいなと思い、今年の4月から参加しています。 ──参加して半年ほど経ちますが、配信番組をやってみた感触はいかがですか? 林 そうですね。まだ何かができたわけじゃないんですけど、自分がやりたいことに手が届きそうだなという感じはしています。もちろん、仕事として何かを生み出さなければいけないですが、そこに自分のやりたいことが添えられるんじゃないかなって。 具体的に言うと、僕はいつか好きな「バイク」を絡めた企画をやりたいと思っているんですが、地上波だったら一発で「難しい」となりそうなものも、企画をもう少ししっかり詰めていけば、実現できるんじゃないかという自由度を感じています。 ──そこは地上波での番組作りとは違うところですよね。 林 はい、少人数でやっていることもありますし、聞く耳も持っていただけているなと感じます。まだ自分発信の番組は何もないんですけど、がんばれば自分発信でやろうという番組が生まれそうというか、そこはやりがいを感じる部分ですね。 logirlを大きくしていく起爆剤になりたい ──logirlはアイドル関連の番組も多いです。制作経験はありますか? 林 テレビ東京の『乃木坂って、どこ?』でADをやっていたことがあります。本当に初期で『制服のマネキン』の時期くらいまでだったので、もう9年前くらいですかね。いま売れている子も多いのでよかったなと思います。 ──ご自身がアイドル好きだったことはないですか。 林 それこそ、中学生のころにモーニング娘。に興味があったくらいですね。ちょうど加護(亜依)ちゃんや辻(希美)ちゃんが入ってきたころで、当時はみんな好きでしたから。でも、アイドルに熱狂的になったことはなくて、ああいう気持ちを味わってみたいなとは思うんですけど、なかなか。 ──これからlogirlでやりたいことはありますか? 林 先ほども言ったバイク関連の企画もそうですが、単純に何をやればいいというのはまだ見えてないんですよね。ただ、logirlはまだまだ小さいので、僕が起爆剤になってNetflixみたいにデカくなっていけたらいいなって勝手に思っています。 ──最後に『ももクロちゃんと!』の担当ディレクターをとして、番組のリニューアルに向けた意気込みをお願いします。 林 『ももクロちゃんと!』はこれから変わっていくはずなので、ファンのみなさんにはその変化にも注目していただければと思います。よろしくお願いします! 文=森野広明 編集=中野 潤
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言葉を引き出すために「絶対的な信頼関係を」プロデューサー・河合智文(『でんぱの神神』等)インタビューももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第4弾。 今回は『でんぱの神神』『ナナポプ』などのプロデューサー、河合智文氏に話を聞いた。 河合智文(かわい・ともふみ)1974年、静岡県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『でんぱの神神』 『ナナポプ 〜7+ME Link Popteen発ガールズユニットプロジェクト〜』 『美味しい競馬』(logirl YouTubeチャンネル) 初めて「チーム神神」の一員になれた瞬間 ──『でんぱの神神』には、いつから関わるようになったんでしょうか? 河合 2017年の3月から担当になりました。ちょうど、でんぱ組.incがライブ活動をいったん休止したタイミングでした。「密着」が縦軸としてある『でんぱの神神』をこれからどうしていこうか、という感じでしたね。 (写真:『でんぱの神神』) ──これまでの企画で印象的なものはありますか? 河合 古川未鈴さんが『@JAM EXPO 2017』で総合司会をやったときに、会場に乗り込んで未鈴さんの空き時間にジャム作りをしたんですよ。企画名は「@JAMであっと驚くジャム作り」。簡易キッチンを設置して、現場にいるアイドルさんたちに好きな材料をひとつずつ選んで鍋に入れていってもらい、最終的にどんな味になるのかまったくわからないというような(笑)。 極度の人見知りで、ほかのアイドルさんとうまくコミュニケーションが取れないという未鈴さんの苦手克服を目的とした企画でもあったんですが、@JAMの現場でロケをやらせてもらえたのは大きかったなと思います。 (写真:『でんぱの神神』#276/2017年9月22日配信) 企画ではありませんが、ねも・ぺろ(根本凪・鹿目凛)のふたりが新メンバーとしてお披露目となった大阪城ホール公演(2017年12月)までの密着も印象に残っていますね。 ライブ活動休止中はバラエティ企画が中心だったので、リハーサルでメンバーが歌っている姿がとても新鮮で……その空間を共有したとき、初めて「チーム神神」の一員になれたという感じがしました。 そういった意味ではねも・ぺろのふたりに対しては、でんぱ組.incという会社の『でんぱの神神』部署に配属された同期入社の仲間だと勝手に感じています (笑)。 でんぱ組.incが秀でる「自分の魅せ方」 ──でんぱ組.incというグループにどんな印象を持っていますか? 河合 僕が関わり始めたころは、2度目の武道館公演を行うなどすでにアイドルグループとして大きく、メジャーな存在だったんです。番組としてもスタートから6年目だったので、自分が入ってしっかり接していけるのかな、という不安はありました。 自分の趣味に特化したコアなオタクが集まったグループ……ということで、それなりにクセがあるメンバーたちなのかなと構えていたんですけど、そのあたりは気さくに接してもらって助かりました。とっつきにくさとかも全然なくて(笑)。 むしろ、ロケを重ねていくうちにセルフプロデュースや自己表現がすごくうまいんだなと思いました。自分の魅せ方をよくわかっているんですよね。 ──そういったご本人たちの個性を活かして企画を立てることもあるのでしょうか? 河合 マンガ・アニメ・ゲームなどメンバーが愛した男性キャラクターを語り尽くすという「私の愛した男たち」はでんぱ組にうまくハマった企画で、反響が大きかったので、「私の憧れた女たち」「私のシビれたシーンたち」と続く人気シリーズになりました。 やはり好きなことについて語るときはエネルギーがあるというか、とてもテンション高くキラキラしているんですよね。メンバーそれぞれの好みというか、人間性というか……隠れた一面を知ることのできた企画でしたね。 (写真:『でんぱの神神』#308/2018年5月4日配信) ──そして5月に『でんぱの神神』のレギュラー配信が2年ぶりに再開しました。これからどんな番組にしていきたいですか? 河合 2019年2月にレギュラー配信が終了しましたが、それでも不定期に密着させてもらっていたんです。そのたびにメンバーから「『神神』は何度でも蘇る」とか、「ぬるっと復活」みたいに言われていましたが(笑)。そんな『神神』が2年ぶりに完全復活できました。 長寿番組が自分の代で終了してしまった負い目も感じていましたし、不定期でも諦めずに配信を続けたことがレギュラー再開につながったと思うと、正直うれしいですね。 今回加入した新メンバーも超個性的な5人が集まったと思います。やはり今は多くの人に新メンバーについて知ってほしいですし、先ほどの「私の愛した男たち」は彼女たちを深掘りするのにうってつけの企画ですよね。これまで誰も気づかなかった個性や魅力を引き出して、新生でんぱ組.incを盛り上げていきたいです。 (写真:『でんぱの神神』#363/2021年5月12日配信) 密着番組では、事前にストーリーを作らない ──ティーンファッション誌『Popteen』のモデルが音楽業界を駆け上がろうと奮闘する姿を捉えた『ナナポプ』は、2020年の8月にスタートしました。 河合 『Popteen』が「7+ME Link(ナナメリンク)」というプロジェクトを立ち上げることになり、そこから生まれたMAGICOURというダンス&ボーカルユニットに密着しています。これまでのlogirlの視聴者層は20〜40代の男性が多かったですが、『ナナポプ』のファンの中心はやはり『Popteen』読者である10代の女性。そういった人たちにもlogirlを知ってもらうためにも、新しい視聴者層への訴求を意識した企画でもあります。 (写真:『ナナポプ』#29/2021年3月5日配信) ──番組の反響はいかがでしょうか? 河合 スタート当初は賛否というか、「モデルさんにダンステクニックを求めるのはいかがなものか?」といった声もありました。ですが、ダンス講師のmai先生はBIGBANGやBLACKPINKのバックダンサーもしていた一流の方ですし、メンバーたちも常に真剣に取り組んでいます。 だから、実際に観ていただければそれが伝わって応援してもらえるんじゃないかと思っています。番組も「“リアル”だけを描いた成長の記録」というテーマになっているので、本気の姿をしっかり伝えていきたいですね。 ──密着番組を作るときに意識していることはありますか? 河合 特に自分がディレクターとしてカメラを回すときの場合ですが、ナレーション先行の都合のよいストーリーを勝手に作らないことですね。 僕は編集のことを考えて物語を固めてしまうと、その画しか撮れなくなっちゃうタイプで。現場で実際に起きていることを、リアルに受け止めていこうとは常に考えています。一方で、事前に狙いを決めて、それをしっかり押さえていく人もいるので、僕の考えが必ずしも正解ではないとも思うんですけどね。 音楽の仕事をするために、制作会社に入社 ──テレビ業界を目指したきっかけを教えてください。 河合 高校時代に世間がちょうどバンドブームで、僕も楽器をやっていたんです。「学園祭の舞台に立ちたい」くらいの活動だったんですけど、当時から「仕事にするならクリエイティブなことがいい」とはずっと考えていました。初めは音楽業界に入りたかったんですが、専門学校に行って音楽の知識を学んだわけでもないので、レコード会社は落ちてしまって。 ほかに音楽の仕事ができる手段はないかなと考えたときに浮かんだのが「音楽番組をやればいい」でした。多少なりとも音楽に関われるなら、ということで番組制作会社に入ったのがきっかけです。 ──すぐに音楽番組の担当はできましたか? 河合 研修期間を経て実際に採用となったときに「どんな番組をやりたいんだ?」と聞かれて、素直に「音楽番組じゃなきゃ嫌です」と言ったら希望を叶えてくれたんです。1998年に日本テレビの深夜にやっていた、遠藤久美子さんがMCの『Pocket Music(ポケットミュージック)』という番組のADが最初の仕事です。そのあとも、同じ日本テレビで始まった『AX MUSIC- FACTORY』など、音楽番組はいくつか関わってきました。 大江千里さんと山川恵里佳さんがMCをしていた『インディーウォーズ』という番組ではディレクターをやっていました。タレントさんがインディーアーティストのプロモーションビデオを10万円の予算で制作するという、企画性の高い番組だったんですが、10万円だから番組ディレクターが映像編集までやることになったんです。 放送していた2004〜2005年ごろ、パソコンでノンリニア編集をする人なんてまだあまりいませんでした。ただ僕はひと足先に手を出していたので、タレントさんとマンツーマンで、ああでもないこうでもないと言いながら何時間もかけて動画を編集した思い出がありますね。 ──現在も動画の編集作業をすることはあるんですか? 河合 今でもバリバリやっています(笑)。YouTubeチャンネルでも配信している『美味しい競馬』の初期もそうですし、『でんぱの神神』がレギュラー配信終了後に特別編としてライブの密着をしたときは、自分でカメラを担いで密着映像とライブを収録して、それを自分で編集したりもしました。 やっぱり、自分で回した素材は自分で編集したいっていう気持ちが湧くんですよね。忘れかけていたディレクター心に火がつくというか……編集で次第に形になっていくのがおもしろくて。編集作業に限らず、構成台本を作成したり、けっこうなんでも自分でやっちゃうタイプですね。 (写真:『でんぱの神神』特別編 #349/2019年5月27日配信) logirlは、やりたいことを実現できる場所 ──logirlに参加した経緯を教えてください。 河合 実は『Pocket Music(ポケットミュージック)』が終わったとき、ADだったのに完全にフリーになったんですよ。そこから朝の情報番組などいろんなジャンルの番組を経験して、番組を通して知り合った仲間からいろいろと声をかけてもらって仕事をしていました。紀行番組で毎月海外に行ったりしたこともありましたね。 ちょうど一段落して、テレビ番組以外のこともやってみたいなと考えていたときに、日テレAD時代の仲間から「テレ朝で仕事があるけどやらない?」と紹介してもらい、それがまだ平日に毎日生配信をしていたころ(2015〜2017年)のlogirlだったんです。 (写真:撮影で訪れたスペイン・バルセロナにて) ──番組を作る上でモットーにしていることはありますか? 河合 今は一般の方でも、タレントさんでも、編集ソフトを使って誰でも動画制作ができる時代になったじゃないですか。だからこそ、「テレビ局の動画スタッフが作っている」というクオリティを出さなければいけないと思っています。難しいことですが、これを諦めたら番組を作る意味がないのかなという気がするんですよね。 あとは、出演者との信頼関係を大切に…..といったことですね。特に『でんぱの神神』『ナナポプ』といった密着系の番組は、出演者の気持ちをいかに言葉として引き出すかにかかっていますので、そこには絶対的な信頼関係を築いていくことが必要だと思います。 ──実際にlogirlで仕事してみて、いかがでしたか? 河合 自分でイチから企画を考えてアウトプットできる環境ではあるので、そこは楽しいですね。自分のやりたいことを、がんばり次第で実現できる場所。そういった意味でやりがいがあります。 ──リニューアルをしたlogirlの今後の目標を教えてください。 河合 まずは、どんどん新規の番組を作って、コンテンツを充実させていきたいです。これまで“ガールズ”に特化していましたが、今はその枠がなくなり、落語・講談・浪曲などをテーマにした『WAGEI』のような番組も生まれているので、いい意味でいろいろなジャンルにチャレンジできると思っています。 時期的にまだ難しいですが、ゆくゆくはlogirlでイベントをすることも目標です。logirlだからこそ実現できるラインナップになると思うので、いつか必ずやりたいと思っています。 文=森野広明 編集=田島太陽
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』
仙波広雄@スポーツニッポン新聞社 競馬担当によるコラム。週末のメインレースを予想&分析/「logirl」でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(東海S)大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(東海S) 7月26日(日)の中京7R・東海Sの予想をします。今週から暑熱対策として、中京と新潟開催には昼休みが設けられています。メインはそれぞれ7R。今年はとりわけ暑さが話題になっていますから、JRAの昼間のレース施行を避ける暑熱対策はそれなりに的を射ていたのでしょう。夏競馬が苦手という方は少なくないと思いますが、それはまあこの暑さなので、馬の出来は蓋を開けてみないと分からないところがあります。狙い馬が走らない、思いもよらない馬が走るシーズンですから、そういうものとして付き合いましょう。今回の東海Sはノーザンファーム、社台ファームの生産馬がいません。だから何?ではありますが、そういった組み合わせから推し量れる重賞のプレゼンスみたいなものを感じていただければ。 【プロキオンS→東海S(7月開催の西日本ダート重賞)、合わせて過去10年の傾向・特異点】 ・エーピーインディ系、米国ミスプロ系などとにかくアメリカっぽさ ・大型馬 ・基本は若い好調馬 ◎⑭マテンロウコマンド。 前走圧勝の⑤ドンインザムードが1番人気でしょう。前走の内容は重賞レベル。血統や年齢、馬体重などもこのレースの好走ファクターに合致するので有力だとは思いますが、良の中京ならひとひねりしてもいいかと思う次第。そこでマテンロウコマンドに◎。差し優位の府中でこそ着を崩していますが、このコースは基本的に前優位。かつこの舞台で2戦2勝。松山に先んじて仕掛けての押し切りを狙ってもらいましょう。 ○⑬ドラゴンテイラー。 3勝クラス1着から即の重賞挑戦は楽ではありませんが、4連勝が全て完勝でアメリカっぽさ全開の血統とあれば、ここで味見したくはあります。しかし、キャリア7戦全部違う騎手。どうしてこうもヤネが替わりますかね。誰が乗っても力を発揮できる素直な馬とは言えますが。ちなみに坂井瑠星とは合いそうです。 ▲⑨インユアパレス。 昨年2着馬で、高いレベルで安定しています。重賞未勝利と詰めの甘さは拭えませんが、夏場も走る馬でいいところに来るのでは。 馬券は3連単軸フォーメーション。 <1着>⑬⑭→<2着>⑤⑨⑬⑭→<3着>⑤⑨⑬⑭。12点。 さて2020年から長らく続いてきた当コラムですが、お休みをいただきます。また有馬記念かダービーか、競馬の祭典は続いていきますからどこかで会いましょう。Xのアカウントは@xupoです。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(小倉記念)大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(小倉記念) 今週は7月19日(日)の小倉11R・小倉記念を予想します。この重賞は昨年からお盆→7月に繰り上がり。夏の小倉はいま4週間だけで今週はラスト週です。自分が記者になった頃は8週開催があって、まだ小倉競馬場に滞在する馬も多く「夏の小倉滞在2週間」みたいな出張が楽しかったのですが、これは「懐古厨乙」案件。現代の小倉競馬は馬運車の進歩による輸送負担軽減により滞在も少なく、栗東トレセンのトレーナーも福島の番組と両にらみ。合理性と風情はトレードオフですから、時代に合った予想をしないといけません。それこそ昔は〝このままでは帰れない関東馬の勝負駆け〟みたいな情報が飛び交っていました。来るかは別として。 【小倉記念過去10年の傾向・特異点】 ・基本的には若い方が有利、内枠が優位 ・前走上がり3F速い馬、末脚重視 ・トニービン、ディクタス持ち ◎③ナムラエイハブ。 この重賞、得意というわけではないのですが、20年アールスター(10番人気1着)とか昨年シェイクユアハート(3番人気2着)とか、狙い澄ました◎がわりと走っています。上の傾向3つめのトニービン、ディクタス持ちというファクターが非常に強力で、合致するなかで走りそうな馬を狙うだけという案配。ところが今年はトニービン持ちが8頭もいて、トニービンに準じるナスルーラ系の父、母父も加えると出走馬の過半数を超える始末。むしろ「じゃない方」が7頭しかいないので血統ファクターが使いづらくなっています。ならば展開でしょう。先行勢の層が薄く、ハナ候補のレーゼドラマが大外。内枠でスタートを決めたら田山ナムラエイハブの逃げも五分とみました。田山は売り出し中の若手。そういう騎手が名を上げるのが夏競馬。逃げがいい重賞ではありませんし、からまれると良くないタイプなので、腹をくくって逃げてほしいところ。 ○⑨ジーティーアダマン。 上村厩舎といえばベラジオオペラ。近年屈指の中距離馬を管理しただけあって、厩舎にもトレーナーにも似たタイプを育て上げるノウハウがあるのでしょう。さすがに先達のスケールを望むのは酷ですが、成長ラインから何からフォロワーにはなれます。 ▲⑥ガイアメンテ。 ゲートは悪いものの、早めの仕掛けでも長く脚を使えて、小回りなら捲りを打てそうなタイプ。前走レコード駆けの好内容で、時計勝負の適性も高い。千八巧者感があってあと1Fは微妙ですが。 馬券は3連単軸1頭流し。 <1着>③→<相手>②⑥⑨⑭⑰。20点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(七夕賞)大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(七夕賞) G1のない夏競馬を買っている、あまつさえこうしたコラムも読んでいる方は練達の競馬ファンと思います。そうした方なら分かると思いますが、夏競馬の馬券は、たとえば上位に見立てた3頭が全然来ない…がしばしばあります。それだけならまだしも、その理由もよく分からないことすらあります。春秋のG1だと、たとえば3頭選んで1頭も来ないなんてことは実はそんなにありませんし、仮にそうであっても理由を推察できます。基本、夏競馬の人気は割れますから、一貫してハマるのを待つことで予後が良くなるものです。と自分にも言い聞かせつつ今週は7月12日(日)の福島11R・七夕賞を予想します。 【七夕賞過去10年の傾向・特異点】 ・直線の長いコースで負けた馬の巻き返し ・戸崎フル参戦で4勝2着1回。ベリー七夕賞マスター ・おまじないの類いかもですが偶数枠の方が好成績 ◎④カラマティアノス。 58を背負う4歳馬という時点であまり食指が動かないうえ、主戦の津村が騎乗停止で乗り替わり。ないな、という印象でしたが、乗り替わり先が岩田康誠でちょっと方向転換。奥村武厩舎と岩田康はノースブリッジ(重賞3勝)で気心の知れた間柄。カラマティアノスも先達ノースブリッジと似た夏冬ピーク型であることを期待して本命視。勝てば岩田康は中央10場重賞制覇です。 ○⑤オーロラエックス。 それほど牝馬のいい重賞ではありませんが、サトノダイヤモンド×母父ガリレオが重賞でいいところがあるとすれば、ここではないかと。なんでもかんでも杉山晴厩舎を買えばいいってものではありませんが、なにせ全方位に走る馬を出す厩舎で、このメンバーならチャンスありとみての仕上げかと思います。ハンデの恩恵はありませんが。 ▲⑪アスクナイスショー。 母父アドマイヤムーンの評価が難しいところですが、牝系は名門バラード系。4代母グローリアスソングがG1を4勝した名馬で、欧州の名門出身であることが福島芝で推す理由になるのは少々落差がありますが、こうした牝系の芯みたいなものが生きるコースなのは確か。田辺も夏の福島では頼りになります。 ☆⑬バトルボーン。 坂井やMデムーロといった早め進出の騎手がいなければ、戸崎と田辺と折り合って行った行った…もありですが、坂井が勝負に来るとちょっと厳しいですかね。ミルコは出遅れるかもしれませんが、坂井はスタートうまいので。そのあたり、オーロラエックスが動けるか否かで展開がガラリ変わるのがいかにも夏競馬。あとは馬券の組み合わせでフォロー。 馬券は3連単フォーメーション。 <1着>④→<2着>⑤⑪⑬→<3着>②⑤⑦⑩⑪⑬⑮。 <1着>④→<2着>→②⑦⑩⑮<3着>⑤⑪⑬。30点 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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WAGEI公開収録<概要・応募規約>テレ朝動画「WAGEI 公開収録」番組観覧無料ご招待! 2025年1月18日(土)開催! logirl(ロガール)会員の中から抽選で100名様に番組観覧ご招待! 番組概要 テレ朝動画で配信中の伝統芸能番組『WAGEI』の公開収録! 番組MCを務める浪曲師「玉川太福」と、五代目三遊亭円楽一門の落語家「三遊亭らっ好」が珠玉のネタを披露します。 ゲストには須田亜香里と、SKE48赤堀君江が登場!出演者からの貴重なプレゼントも用意する予定です。 超レアなプログラムを是非お楽しみください。 日時:2025年1月18日(土)開場12:30 開演13:00(終演15:15予定) 場所:浅草木馬亭 東京都台東区浅草2−7−5 出演:玉川太福(浪曲師)・玉川みね子(曲師)/三遊亭らっ好(落語家)/須田亜香里/赤堀君江(SKE48) 応募詳細 追加応募期間:2024年12月27日(金)15:00~2025年1月9日(木)17:00締切 応募条件:logirl(ロガール)会員のみ対象(当日受付で確認させていただきます) 下記「応募規約」をよく読んでご応募ください。 応募フォーム:https://www.tv-asahi.co.jp/apps/apply/jump.php?fid=10062 追加当選発表:当選した方のみ、2025年1月10日(金)23:59までに 当選メール(ご招待メール)をご登録されたアドレスまでお送りさせていただきます。 「WAGEI公開収録」応募規約 【応募規約】 この応募規約(以下「本規約」といいます。)は、株式会社テレビ朝日(以下「当社」といいます。)が 運営する動画配信サービス「テレ朝動画」における「WAGEI」(以下「番組」といいます。)に関連して 実施する、公開収録の参加者募集に関する事項を定めるものです。参加していただける方は、本規約の 内容をご確認いただき、ご同意の上でご応募ください。 【募集要項】 開催日時:2025年1月18日(土)13:00開始~15:15頃終了予定 (途中、休憩あり) ※スケジュールは変更となる場合があります。集合時間等の詳細は当選連絡にてお伝えいたします。 場所:浅草木馬亭(東京都台東区浅草2-7-5) 出演者(予定):玉川太福(浪曲師)・玉川みね子(曲師)/三遊亭らっ好(落語家)/須田亜香里/赤堀君江(SKE48) ※出演者は予告なく変更される場合があります。 募集人数:100名様(予定) ※応募者多数の場合は、抽選とさせていただきます。 【応募資格】 ・テレ朝動画logirl(ロガール)会員限定 ・年齢性別は問いません 【応募方法】 応募フォームへの必要事項の入力 ・テレ朝動画にログインの上、必要事項を入力してください。 【ご参加お願い(参加決定)のご連絡】 ■ご参加をお願いする方(以下「参加決定者」といいます。)には、1月10日(金)23:59までに、応募フォームにご入力いただいたメールアドレス宛に、集合時間と場所、受付手続等の詳細を記載した「番組公開収録ご招待メール」(以下「ご招待メール」といいます。)を送信させていただきます。なお、ご入力いただいた電話番号にお電話をさせて頂く場合がございます。非通知設定でかけさせていただく場合もございますので、非通知拒否設定は解除して頂きますようお願いします。 ■当日の集合時間と集合場所は「ご招待メール」に記載します。集合時間に遅ることのないようご注意ください。 ■「ご招待メール」が届かない場合は、残念ながらご参加いただけませんのでご了承ください。 ■「ご招待メール」の送信の有無に関するお問い合わせはご遠慮ください。 ■公開収録の参加は無料です。参加決定のご連絡にあたって、参加決定者に対し、参加料等のご入金のお願いや銀行口座情報、クレジットカード情報等のお問い合わせをすることは、一切ございません。「テレビ朝日」や本サービスの関係者を名乗る悪質な連絡や勧誘には十分ご注意ください。また、そのような被害を防止するため、ご応募いただいた事実を第三者に口外することはお控えいただけますようお願い申し上げます。 ■「ご招待メール」および公開収録への参加で知り得た情報、公開収録の内容に関する情報、及び第三者の企業秘密・プライバシー等に関わる情報をブログ、SNS等への記載を含め、方法や手段を問わず第三者への開示を禁止いたします。また、当選権利および当選者のみが知り得た情報に関して、譲渡や販売は一切禁止いたします。 【注意事項】 ■ご案内は当選したご本人様1名のみのご参加となります。(同伴者はご案内できません) ■未成年の方がご応募いただく場合は、必ず事前に保護者の方の同意を得てください。その場合は、電話番号の入力欄に保護者の方と連絡の取れる電話番号をご入力ください。(保護者にご連絡させていただく場合がございます。) ■開催当日、今回の公開収録の参加および撮影・映像使用に関しての承諾書をご提出いただきます。(未成年の方は保護者のサインが必要となります。) ■1名につき応募は1回までとします。重複応募は全て無効になりますので、お気をつけください。 ■会場ではスタッフの指示に従ってください。指示に従っていただけない場合は、会場から退去していただく場合がございます。 ■会場でのスマートフォン等を用いての録画・録音についてはご遠慮ください。 ■会場までの交通手段は、公共交通機関をご利用ください。駐車場はございません。 ■会場までの交通費、宿泊費等は参加者のご負担にてお願いいたします。 ■当日は、ご本人であることを確認させていただくために、お手持ちのスマートフォン等で表示または印刷した「ご招待メール」と、「身分証明書」(運転免許証・パスポート等、氏名と年齢が確認できるもの)をお持ち下さい。ご本人確認が出来ない方は、ご参加いただけません。 ■荷物置き場はご用意しておりません。貴重品の管理等はご自身にてお願いいたします。貴重品を含む持ち物の紛失・盗難については、当社は一切責任を負いません。 ■公開収録に伴い、参加者・客席を含み場内の撮影・録音を行い、それらの映像または画像等の中に映り込む可能性があります。参加者は、収録した動画、音声を、当社または当社が利用を許諾する第三者(以下、当社および当該第三者を総称して「当社等」といいます)が国内外テレビ放送(地上波放送・衛星波放送を含みます)、雑誌、新聞、インターネット配信およびPC・モバイルを含むウェブサイトへの掲載をはじめとするあらゆる媒体において利用することについてご同意していただいたものとみなします(以下、かかる利用を「本件利用」といいます)。なお、本件利用の対価は無料とさせていただきますので、ご了承ください。 ■諸事情により番組の公開収録が中止又は延期となる場合がありますのでご了承ください。 【個人情報の取り扱いについて】 ■ご提供いただいた個人情報は、番組公開収録への参加に関する抽選、案内、手配又は連絡及び運営等のために使用し、収録後に消去させていただきます。 ■当社における個人情報等の取扱いの詳細については、以下のページをご覧下さい。 https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/ https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/online.html
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新番組『WAGEIのじかん』(CS放送)CSテレ朝チャンネル1「WAGEIのじかん」 落語・浪曲・講談など日本の伝統芸能が楽しめる番組。MCを務める浪曲師玉川太福と話芸の達人(=ワゲイスト)たちが珠玉のネタを披露します。さらに、お笑いを愛する市川美織が番組をサポート!お茶の間の皆様に笑いっぱなしの15分をお届けします。 お届けするネタ(3月放送)は、玉川太福の浪曲ほか、古今亭雛菊・春風亭かけ橋・春風亭昇吉・昔昔亭昇・柳家わさび・柳亭信楽の落語、神田松麻呂の講談などが登場します。お楽しみに〜!(※出演者50音順) ★3月の放送予定 3月17日(日)25:00~26:00 3月21日(木)26:00~27:00 3月24日(日)25:00~26:00 ⇩【収録中の様子】市川美織さん箱馬に乗って高さのバランスを調整しました。笑