一歩近づいたあの日の目標、不器用な優しさに涙した夜(青戸しの)

エッセイアンソロジー「Night Piece」

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エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」
「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。

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青戸しの(あおと・しの)
神奈川県出身・ライター兼モデル。2018年夏から被写体としての活動を始め、自身やカメラマンのSNSに写真がアップされると、そのつかめない表情や雰囲気、かわいさからすぐに話題となり人気が急騰。最大で月間100件以上の撮影依頼の問い合わせがある人気モデルとなり、ポートレートモデルの先駆け的存在として雑誌で特集が組まれるなど業界から注目を浴びた。go!go!vanillas「パラノーマルワンダーワールド」のMVにてヒロイン役を務めるなど演技の活動もする一方で、『小説現代』(講談社)にてミステリー小説の書評連載を務めるほか『ar web』(主婦と生活社)では乙女の憂鬱をテーマに恋愛コラムの連載も担当、映画の感想コメントを提供するなど、ライターとしても活躍の幅を広げている。
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夜っぽい写真①_青戸しの

記憶に残り続ける言葉や、夜は案外短く、とてもシンプルだったと思う。

シュークリームを3つ抱えてバス停から走る。
息切れしながら玄関を開けると「ただいま」と言うよりも先に「おかえりー!」と大きな声が聞こえた。
その日は久々の帰省だった。
リビングのドアを開けると、炊き立てのご飯の匂いがしてぐーっとお腹が鳴る。
「今日は米何合食べて帰るんか」
出会い頭、父に意地悪を言われた。
久々に会った娘への第一声がそれか!と思いつつ父なりの愛情表現でもあるので、「5合」と冗談で返すと「大丈夫! 2回お米炊くから!」とキッチンから母の真剣な声が聞こえた。
振り返ると手の込んだおかずが机いっぱいに並べられていて、とても冗談だとは言えなくなった。

私の実家では「もう勘弁してください……」と言うまで追加の料理が出てくる。
もしかしてあの冷蔵庫は異空間にでもつながっているのだろうか……?
満腹になってソファに横たわる私を横目に、父は「お風呂」と言ってリビングをあとにした。
昔から20時になるとお風呂に入って、そのまま寝るのが日課なのだ。
『金曜ロードショー』で観たい映画が放送される日はどうしているのだろうか。
そもそも好きな映画とかあるのだろうか。
私は食事中にひととおり近況報告を済ませていたが、父は相づちを打つのみであまり自分の話をしない。

「お父さん相変わらず淡白だね」
「そう? だいぶ変わったと思うけど……」
特段変わった様子は見当たらなかった、白髪が少し増えたくらいだ。
「え〜、たとえばどこが?」
お母さんはお土産のシュークリームをかじりつきながら昔から変わらない、優しい笑顔で言った。

「お風呂から上がる前に、お父さんの部屋のぞいておいでよ」

言われるがまま、私は数年ぶりにそっと父の部屋に忍び込んだ。
相変わらずきれいで、ホコリひとつない。
ホテルのように整えられたベッド、無駄なものがないシンプルなデスク。
お父さんも私と同じO型だよな……?と改めて血液型占いの信憑性を疑っていると、デスク横の棚に並べられた時計と靴が目に入った。

どちらも私がプレゼントしたものだった。
よく見るとビジネス書が並べられていたはずの本棚には、私が連載している雑誌が隙間なくきっちりと並べられている。

母の言っている意味が、久しぶりに入ったこの部屋にぎゅっと詰まっていた。
この歳になってまで父に泣かされるのが悔しくて、あふれそうになる涙をグッとこらえる。
正直、自信がなかったのだ。
今も昔も、自慢の娘でいる自信がなかった。
大人になってから、忙しさを理由に何カ月も会わない日々が続いたり、誕生日に連絡するのを忘れたりすることもある。
実家に顔を出すのもたいていが落ち込んでいるときで、せっかく作ってくれたご飯をひと口も食べられない日もあった。
父はそんな私を、責めたことは一度もなかったけど、口に出して慰めることもしなかった。
その距離感が居心地よくもあり、ずっと不安でもあったのだ。
言ってくれればよかったのに、「いつでも見てるよ」と、もっと早く教えてくれればよかったのに。
肝心なところが変わっていない、昔から優しさが不器用さに隠れてしまう人だった。

「お父さんね、大事なお仕事がある日は必ずしのがプレゼントした時計をつけて出勤するんだよ」リビングに戻ると、内緒ねと母が教えてくれた。

「雑誌は発売日に買ってくるし、しのが帰ってくる日は、張り切って買い物に連れて行ってくれるんだから」

わかってはいたけど、うちの冷蔵庫は異空間につながっているわけではなかった。
さっきまで「まだ食べるのか」と文句を言っていた父がなんだかかわいく思えてくる。

「いらんこと言わんでいい」
お風呂から上がった父が珍しくリビングに戻ってきた。
母はしまった!という顔をしてキッチンへ逃げていく。
どうしたらいいのかわからず「そろそろ帰ろうかな……」とその場から逃げ出そうとする私に、父は「送ってやろうか?」と言った。
「え?いいの?」
「車出してくるから待ってろ」

夜っぽい写真②_青戸しの

母からたくさんのお土産を受け取り、父の車に乗り込んだ。
車内はYOASOBIの「夜に駆ける」が流れている。
「お父さんYOASOBIとか聴くんだ」
「若い子は聴くらしいな」
返事になっていない。
私が知っていそうな曲をかけてくれたのだろうと、都合のいい解釈をした。
「時計、新しいのプレゼントしようか?」
飾られていた時計は数年前にプレゼントしたもので、今ならもう少しいい物を買ってあげられる。
父はしばらく黙ったあとに
「いい、あれが気に入ってる」
とまっすぐ前を向きながら答えた。
「そっか」

話したいことがたくさんあるのに夜景はぐんぐん進んでいく。
少しでも車をゆっくり走らせてほしかった。
まだ実家に住んでいたころ、父は今よりずっと怖く見えていた。
仕事であまり家にいなかったし、口数も少ない。

当時の私は休日に父とふたりで過ごしても、何を話していいのかわからず、窮屈に感じていた。
「またすぐに帰ってくるね」
今の私にできる精いっぱいの甘え方だった。
口下手なのは父に似たらしい。
「いつでも帰ってこい」
たったひと言、ぶっきらぼうで淡白な返事だったけど、明日からも踏ん張って生きていくにはじゅうぶんすぎる言葉だった。
きっとこれから挫折することもあるだろう。
泣きながら過ごす夜もあるだろう。
それでも、この先どんなに苦しいことがあっても大丈夫だと、そう思えた。

運転中の父の横顔は昔よりずっと穏やかで、若くはない。
数年後にはあの殺風景な部屋を私でいっぱいにしてみせる。
新しくできた目標を胸に、眠りについたあの夜を私はきっと忘れない。

夜っぽい写真③_青戸しの

先日、実家に帰省すると花と一緒に『週刊プレイボーイ』が玄関に飾られていた。
ご丁寧に私が掲載されているページが開かれている。
「玄関に飾るのはやめてよ……」
母に頼み込むと「俺の部屋にもあるぞ」
と父が部屋から2冊目を持ってきた。
ギャグのような光景に思わず吹き出す。
今日もまた、あの日の目標に一歩近づいた。

文・写真=青戸しの 編集=宇田川佳奈枝

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