愛も喜びもすべてはネタ帳のネタ──平野勝之『監督失格』

文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~

 

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文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~
人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など──
漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記。

 作品というものの中にはその作り手が人生に一本しか作れない珠玉のそれというものがある。その人の人生そのもののような作品。『監督失格』は監督・平野勝之にとってまさにそういう作品であると思う。

 平野はこの作品について、特典映像の中で「自主映画だったら作っていない、仕事として割り切って能面のようになって初めて作れる」「気持ち的に耐えられない」と語る。

   

「ひとりの女優の死と、残された人々の喪失と再生のドキュメント」

 本作のキャッチコピーだ。

 本作は34歳の若さで急逝したAV女優・林由美香と、かつて彼女と不倫関係にあったAV監督・平野勝之を中心とした物語である。

 1996年、由美香が亡くなる9年前、平野の個人的野望であった自転車旅の計画に由美香が「私も行きたーい」と言ったことからこの作品は始まった。

 由美香と平野の出会いは1989年、自転車旅から6年前である。当時の由美香はそのルックスなどからすでに人気女優となっていて、由美香の撮影が監督デビュー作であった平野は由美香にナメられていたという。平野は由美香に認められたい一心で過激な作品を作っていた。その6年後、平野と由美香は恋仲になる。平野はこの恋の成就を「無上の喜び」と表現している。

 平野と由美香は自転車旅について由美香の母親に報告に行く。由美香ママはラーメン屋の女社長でまじめなお母さんだった。付き合ってることは言えないね、と小声で笑い合う平野と由美香がなんともかわいい。由美香の両親は由美香が11歳のころに離婚していて、父方に引き取られた由美香と由美香ママは微妙な関係であった(ふたりの関係性は修復に向かっている最中。自転車旅のある場面では由美香ママに泣きながら電話をかける由美香が見られる)。  

 1996年7月、ふたりは東京を出発する。

 自転車旅の道中のシーンはとにかく愛おしい。平野の由美香が好きだという思いが伝わってくる。人によっては恥ずかしくて見られないと思うかもしれない。平野が由美香に「平野さんにとって由美香ちゃんはなんですか?」と尋ねられたときの答えにすべてが詰まっていて、このシーンだけで、私はこの作品が好きになれると思う。

 由美香の目はくりくりと大きくて、じっとりと暗い。由美香は満面の笑顔かと思ったらむっすりと拗ねたり、怒ったり、泣いたり、過酷な自転車旅の道中にパタパタと手を高速で動かして化粧をしたりする。そのコロコロと変わる様子はすべて愛おしく撮られている。由美香の甘くて幼い声もかわいい、そして生々しい。この映画を観ていると由美香が自分の友達の誰かであるような気がしてくる。かわいくてわがままでほっとけない。どこかへ行ってしまいそうな片思いの彼女。実在の人間にこんなことを言うのはナンセンスかもしれないが、私は彼女にそんなヒロイン性を感じてしまう。きっと平野もそうだったのだろう。

 1996年8月末、由美香と平野の41日間にも及ぶ自転車旅は無事終わりを迎える。ふたりの旅行の様子は『東京~礼文島41日間ツーリングドキュメント わくわく不倫旅行200発もやっちゃった!』というタイトルでアダルト作品として発売される(現在は『由美香』のタイトルで DVD 化されており、観ることができる)。

 しかしその後、ふたりの不倫関係は終わりを迎える。1997年1月、『由美香』という作品タイトルが決まった日、平野は由美香にフラれたという。由美香は平野とのことについて「ネタ帳のネタが増えた」「ウリ(売り)もヤク(薬)も私にとってはネタだから」と話す。

 2005年6月26日。由美香が35歳になる日の前日。平野は仕事の要件があり、自身のアシスタントとともに由美香の家を訪ねた。彼らはカメラを回していた。しかし、チャイムを鳴らしても由美香は出ない。不審に思った平野は由美香ママに電話をし、合鍵を持ってきてもらう。しかし、鍵を開けても由美香の返事はない。

 由美香は亡くなっていた。

 泣き叫ぶ由美香ママ。ちょうど、関係性もよくなっていたところだったのに。

 警察に電話をかけ、冷静に事を進める平野。

 平野と同じく、由美香に想いを寄せていたカンパニー松尾(AV監督)もその場に駆つけた。  

 由美香の死についてはさまざまな憶測が飛び交ったが、酒と睡眠薬の過剰摂取による事故死であったという。

 由美香ママは、遺体発見時カメラを回していたことなどから娘の死に平野が関わっているのではないかと疑い始める。

 『監督失格』は『新世紀エヴァンゲリオン』などで知られる庵野秀明がプロデューサーとして参加していることでも有名だ。当時、庵野が実写映画のプロデュースを務めるのは初めてのことであった。

 庵野秀明がAV女優のドキュメンタリー、ということに違和感を覚える人もいるかもしれないが、私は彼がこの作品に携わっていることに必然のようなものを感じる。ドキュメンタリー映像や発言等によると、庵野はテレビ版エヴァのあと、世間の反応などの要因から 「心がボロボロになって」いたことがわかる。そんなときに出会ったのが平野監督が林由美香と自転車旅をする作品『由美香』であるという。『由美香』に救われたという庵野は、恩返しとして、また、由美香に囚われている平野に対しエヴァの呪縛と向き合っていた自分を重ね、覚悟を決め、本作に参加したという。

 私はドキュメンタリー作品というものの業の深さについてしばしば考えることがある。

 『ゆきゆきて、神軍』などで知られるドキュメンタリー監督の原一男は「ドキュメンタリーをやる人間は畳の上で死ねない」と発言している。

 ドキュメンタリーというものの暴力性については、もっと適切な回があればそのときに触れようと思うのだが、平野監督が「気持ち的に耐えられない」と語る理由のひとつにこれがあるのではないかと思う。

彼は「人の死で金儲けしていると言われるかもしれない」と心配していた。ドキュメンタリーは人の人生を消費してしまっているのだから仕方のないことだ。

 おそらく日本で一番有名なドキュメンタリー番組である『ザ・ノンフィクション』も、しばしば炎上し、Twitterのトレンド入りしている。

 『監督失格』という映画タイトルは作中での林由美香の発言から引用されている。1996年、自転車旅の最中に平野と由美香はケンカをする。原因は、不倫という関係による感情のぶつかり合いであった。そのケンカの最中のビデオは収録されていない。平野が撮影できなかったからだ。撮影する余裕がなかったという彼に、林由美香は「監督失格だね」と言い放つ。ケンカのシーンもしっかり撮りなさい、と言うのだ。由美香は作中で2度もこのセリフを口にする。

 平野は語る。「あんな状況になって、とてもそんな、撮れる状態じゃないわけじゃないですか。でも俺、本人に撮れって言われているような気がしてしょうがなかったんですよ。」

 ボロボロのケンカをしたときもカメラを回せといった由美香。

 平野との関係を「ネタ帳のネタ」と表現した由美香。

 好きな人の死を作品にする気持ち、しなければならない気持ちは私にはまだわからない。わからないので想像でしか言えないが、それはとんでもなく重くてしんどくて 、ひとりの人間が抱えるには大きすぎるものであるように感じる(だからこそ、「自主映画だったら作っていない」のだと思う)。

 私はドキュメンタリー映画について、すべての人に観てほしいとは思わない。

 特に本作はAV女優とその監督という間柄上、過激なシーンもあるし、それらのシーンについて思うところがある人も多いと思う。特に最近はAV等に対しての意識も見直しがされていると思うし、私も思うところがないわけではない。平野が危惧していたとおり「愛する女性の死を作品にするのはどうなのか」と思う人も多いと思う。由美香がどう思っているかなんて、本当はわからない。由美香が自分の人生さえもおもしろい、おもしろくないで判断していたと感じ取れるのは、編集の作為かもしれない。ドキュメンタリー作品を観ているという点で、私も罪を犯しているのかもしれない(それはこの作品に限ったことではない)。そして、そういうことが気になる人は観なくていいと思う。ドキュメンタリーの紹介文を書いておいてなんだが、すべての人が観る必要はない。

 でも、この作品を観て、由美香や平野を見て、救われる人がこの世に確実にいると思う。私もそうである。

 だから、そういう人には届いてほしい。

文野 紋
(ふみの・あや)漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。
同年9月、『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で『ミューズの真髄』を連載スタート。2022年1月刊行の『ミューズの真髄』単行本1巻は重版が決定し、8月に2巻が発売予定。

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「監督失格(2枚組)」
Blu-ray&DVD発売中
Blu-ray:6,270円(税抜価格5,700円)
DVD:5,280円(税抜価格4,800円)
発売・販売元:東宝
(C)「監督失格」製作委員会

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