「楽しむ気持ちがあるから、将棋にも研究にも夢中になれる」谷合廣紀のサボり方

サボリスト〜あの人のサボり方〜

lg_c_36_t_a

クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」

棋士でありながら、東大出身の情報工学者という顔も持つ谷合廣紀さん。将棋の対局だけでなく将棋AIの開発に勤しみ、さらには『M-1グランプリ』にも挑戦するなど、好奇心と行動力がずば抜けている谷合さんに、その原動力やサボり方を聞いた。

谷合廣紀 たにあい・ひろき
1994年、東京都生まれ。2006年に新進棋士奨励会に6級で入会し、2020年に四段昇段・棋士となる。第47期(2021年度)の棋王戦予選・決勝では、本戦トーナメント進出。また、東京大学に進学し電子情報学を専攻、自動車の自動運転技術や将棋の棋譜の自動記録プログラムなどの開発に携わる。現在は情報工学者として将棋AIの開発に力を入れており、2022年の第32回世界コンピュータ将棋選手権では独創賞を受賞した。

AIが将棋で人に勝つ時代がやってきて、自分の生き方を模索

250515_0034

──まずは棋士としての活動について伺いますが、やはり奨励会(棋士志望者の育成機関)に入会したことで自然と棋士の道を意識されたのでしょうか。

谷合 そうですね。将棋道場といわれる場所に通うようになり、切磋琢磨していた同年代の人たちが奨励会に入って棋士を目指していくのを見て、私も同じ道を選んだので、けっこうまわりに流されやすいところがあるのかもしれません。高校生くらいまでは純粋に将棋が楽しくて続けていたので、将棋の本質や将来について考えたりするようなことも少なかったと思います。

──意識が変わったきっかけなどはあるんですか?

谷合 ひとつには、高校生くらいでコンピューターが将棋で人間に勝ち始めていたタイミングだったことがあります。当時はまだ人間とAIが拮抗していましたが、いずれは成長したコンピューターに負かされていくわけで、将棋界や棋士という職業に不安を感じるようになったんです。そこで将棋や将来についてまじめに考えるようになり、将棋を続けつつちゃんと大学にも行っておこうと東大を目指すことにしました。

──東大生と棋士の卵って、両立できるものなのでしょうか。

谷合 大学に入学したころには、棋士のひとつ手前である奨励会三段まで昇段していたので、辞めるのはもったいないと思っていましたし、両立もできると思っていました。とはいえ、そこから8年くらい三段に留まっていたので、将棋だけに打ち込まなかった弊害はあったのかもしれませんね。

ただ、棋士になれたのは年齢制限ギリギリの26歳でしたが、将棋一本でやっていると、最後の期に追い込まれて将棋のクオリティが下がってしまったりすることもあるんです。私の場合はリスクを分散したことで気持ちに多少の余裕があったので、最後の期でもちゃんと自分の将棋が指せたんじゃないかと思います。

──棋士になったことで、見えてくる景色もまた変わってきますよね。

谷合 そうですね。棋士になれるかどうかのギリギリで追い詰められていたころに比べると、伸び伸びと自分のやりたい将棋が指せるようになったのは大きい気がします。棋士はもちろん勝つことも大事ですけど、いかに自分らしい将棋を指して将棋ファンの方々を魅せていくか、という意識も加わるので、将棋の内容も変わってくるんです。

将棋を軸に、自分にしかできないことを追求したい

250515_0002

──棋士としての谷合さんが思う「自分の将棋」とはどんなものなのでしょうか。

谷合 戦法の話になりますが、私はよく「四間飛車」という戦法で指していて、棋士はあまり指さないものの、アマチュアの方々には人気の戦法なんです。なので、アマチュアの方の見本になるような、教科書的な将棋を指すことを心がけています。あと、四間飛車は「振り飛車」という戦法に分類されるのですが、近年のAIではあまり評価されない終わった戦法だといわれることもあるんです。でも、そんなことはないと思っていて、棋士でも振り飛車で戦える可能性を見せたいという思いもあります。

──逆にほかの棋士の将棋を見ていて、「強いな」と感じるのはどんなときですか?

谷合 いろんな要素があるのでひと口にはいえませんが、知識や戦略性が問われる序盤、読みの深さや早さが求められる中盤、詰むか詰まないかの判断力に左右される終盤とある中で、強い人には終盤力があると思いますね。「詰む/詰まない」の判断が正確で、優勢のときはそのまま勝ちきり、劣勢でも逆転に持っていく勝負力がある。まあ、藤井聡太さんみたいな方はそのすべてにおいて卓越していますが。

──なるほど。では、ご自身の対局の中で印象深いものがあれば教えてください。

谷合 一度棋王戦というタイトル戦でベスト8まで勝ち上がったことがあるんですけど、そのベスト16のときに広瀬章人九段に勝てたことは印象に残っていますね。大きな舞台で、しかも広瀬九段という強い相手に自分らしい将棋で勝てたので。

──谷合さんとしては、今後伸ばしていきたい点や棋士としての理想像はありますか?

谷合 あまり理想像みたいなものはないんです。ただ、普及活動にも力を入れたいとか、将棋AIを使った勉強ツールを作って実力向上に活かしたいとか、強い将棋AIを作りたいとか、将棋についてやりたいことは多角的にあります。将棋を軸に、自分にしかできないことをやりたい、伸ばしていきたいですね。

250515_0007

──文化人として吉本興業に所属し、将棋好きな芸人さんたちのYouTubeチャンネルに登場されたりしているのも、そういった普及の一環なんですね。

谷合 そうですね。お笑い好きな方たちやAIに携わる情報系の方たちなど、将棋界の外にも声を届けたいと思っています。

──『M-1』に挑戦(※)されたのは、芸人さんたちに触発されてのことなのでしょうか。

谷合 お笑い芸人さんと仕事をしていると、当然そのすごさを感じるわけですけど、やってみないとわからない部分もあるなと思ったんです。そんなときに、山本さんが『M-1』に出てみたいと言うので「じゃあやってみよう!」と。エントリー費を払えば誰でも参加できますし、アマチュアの参加も珍しくないので、一度は経験してみようという感じでしたね。

(※)2024年、山本博志五段と「銀沙飛燕(ぎんさひえん)」を結成して『M-1グランプリ』に挑戦。結果は1回戦敗退に終わった。

──舞台に立ってみて、どうでしたか?

谷合 やっぱり緊張はしましたね。それに、人におもしろいと思ってもらえるネタを考えるのは難しいなと実感しました。一応将棋普及の目的もあるので将棋のネタにしたのですが、思った以上に伝わらなくてしっかりスベったというか……(笑)。初めて会ったお客さんも笑わせられる芸人さんはすごいなと、改めて感じました。

強いだけでなく学べる将棋AIの可能性を模索中

250515_0051

──東大で情報工学を学ぶ道を選ばれたのは、やはり将棋があってのことなのでしょうか。

谷合 そうですね。ちょうど将棋AIが人間に勝とうとしていた時期だったとお話ししましたが、それでAIに興味を持って。勉強するなら、自分の将棋のスキルにつながるものがいいなと思ったんです。

──実際に勉強してみて、どんなところに価値や魅力を感じましたか?

谷合 AIというよりプログラム全般の話になりますが、自分でプログラムを書けると、エクセルの作業といったタスクが自動化できるわけですよ。最近ではChatGPTみたいな大規模言語モデルが普及して、よりAIに任せられることも増えているので、どんどん便利になってきた気がします。それに、自分が書いたプログラムがかたちになり、アプリケーションとして世に出て使ってもらえる可能性があるところも、魅力のひとつですね。

──まさにChatGPTによって日本でもAIの活用が一般化しつつありますが、ここまで普及すると思っていましたか?

谷合 日本語で指示できるAIがここまで早く浸透するとは思っていませんでしたね。とはいえ、今はまだその可能性を探っている状態なので、どういうふうに活用されるのか注視しているところです。私が研究している将棋AIの分野では、局面を入れたら最善手を示すことはできますが、なぜその結果になったのか、初心者にわかるように説明することはできませんでした。でも、ChatGPTのようなツールをつなげれば、日本語で解説するといったこともできるかもしれない。

──膨大な計算を経て結果を導いているのだと思いますが、たしかにその過程がわかったほうが勉強になりますね。

谷合 今の将棋AIって、1秒間に数千万局面を計算できてしまうのですが、その過程はブラックボックスなんですよね。そこをわかりやすく解説するようなプログラムを実装していくか、そのあたりが研究の課題になっています。

──そんなAIができれば、棋士としての谷合さんにもフィードバックがありそうな気がします。

谷合 そうですね。もちろん自分の将棋の勉強にも活かせると思いますが、勉強用ツールは別のかたちでも充実させたいと思っているんです。たとえば、将棋の定跡(決まった指し方、戦略)って膨大にあるので、一度暗記したものでもしばらくすると忘れてしまったりするんですよ。だから、自分が問題として取り組んでいた局面、定跡を、忘れたころに再び問題として出してくれるようなツールがあるといいなと思っています。

──おもしろい。広く学習用のツールに活かせそうなアイデアだと思います。研究者としての展望も、AIを通じて将棋を豊かにしていく方向に広がっているんですね。

谷合 はい。自動車の自動運転技術に携わっていたこともあるのですが、自分が将棋を軸に置いている以上、研究も将棋に関するものに絞っていこうと思うようになりましたね。

趣味は将棋観戦。毎日観ていたい

250515_0030

──二足の草鞋を履いているような状態で非常にお忙しいと思いますが、谷合さんはサボることってありますか?

谷合 ずっとひとつのことに集中していても煮詰まったり、疲れたりしてしまいますから、何かを継続して長く続けるなら、サボりの時間も必要だと思いますね。私自身、やる気がないときは何をしてもダメな気がするので、「やる気がないときはやらない」というスタンスなんです。

──そういうときは何をされているんですか?

谷合 基本、パソコンで作業しているのですが、やる気がないときはYouTubeを観ながら作業してみたり。それも集中の度合いによって違っていて、まだ集中力が残っているときは目で見なくてもいい音楽系、やる気がないときは芸人さんの動画、もっとひどいときはNetflixで映画を観てしまうときもあります。

──Netflixは完全に息抜きモードですね(笑)。

谷合 そうですね。お皿洗いとか、家事をしているときもずっとNetflixを観ています。

──お皿洗いとNetflixって両立できますか?

谷合 できませんか?(笑) ひとつのお皿を洗うのに1分以上かかったりと、効率的ではないと思いますが、Netflixを観ながらでもできているとは思います。

──ほかに谷合さんにとっての息抜きって、どんなことがあるのでしょうか。

谷合 スマホのアプリで将棋の中継を観ているときはリラックスできるんですよ。逆に観ないと落ち着かないというか、土日は対局がないので、けっこうストレスに感じてしまいますね。

──それは将棋ファンとして観ているということですか? お仕事でもあるので、いろいろ思うところがあったり、シンプルに観られないような気もします。

谷合 自分が対局するときはストレスというか緊張感がありますが、人の対局はあまり変な感情を抱かずに、エンタメとして楽しんで観ることができるんです。やっぱり将棋が好きなんですよね。クオリティの高い将棋を見せられると、「すごいな、自分もこれくらい指せなきゃな」って思いますし。

──谷合さんにはプロ棋士の顔と研究者の顔があるということでお話を伺ってきましたが、なによりひとりの将棋ファンでもあるということなんですね。

谷合 そうですね。たしかに根底に将棋を楽しむ気持ちがないと、どれもできない気がするので、そこは本当に大切にしなきゃいけないなと思いますね。

lg_c_36_t_b

撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平

サボリスト〜あの人のサボり方〜