アイドルシーンをめぐる問題の所在は──『推しの子』(赤坂アカ×横槍メンゴ)
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」
仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。
美しい“嘘”を成立させるのは誰か
「アイドルは偶像だよ? 嘘という魔法で輝く生き物 嘘はとびきりの愛なんだよ?」(1巻)
『週刊ヤングジャンプ』と『少年ジャンプ+』で連載中の『推しの子』(原作:赤坂アカ/作画:横槍メンゴ)は、主人公が“推し”のアイドルの子供に転生するというファンタジーの設定を用いて、競争の激しい芸能界の裏側でしたたかに生き抜く兄妹を描いている。
本作で強調されているのは、地上波のドラマや大規模な公演などから想像される芸能界の華やかな「表」と、競争に負ければお払い箱となってしまう 「裏」の激しいコントラストだ。
主人公・星野アクアの母親である星野アイは、アイドルの仕事は「上手に嘘をつくこと」だと語る。そして16歳にして双子の子供を授かった彼女は、そのことを隠し通したままアイドル活動を続ける道を模索していく。
デビュー当時の星野アイを支えてきたというプロデューサー・鏑木雅也も、アイドル時代の母親の人物像を探ろうとするアクアに対してこう語りかける
「ファン目線の幻想なんてものは実物を知れば壊れるものだ これに関して例外は一つもない」(4巻)
しかし、ここで “嘘”や“幻想”を、そのままの意味で現実のアイドルシーンやエンタテインメントと結びつけるのは難しい。
現在のアイドルシーンでは、カメラの前やステージ上で表現される「表」とセットで、そこに至るまでのアイドル本人の努力や苦悩といった「裏」の姿も消費の対象となっている。嘘と真実の二項で語れるものではない。
しかし一方で、そうした構造は過剰な負担となってアイドル本人の身に降りかかっている。本来であれば公共の場に差し出す必要のないプライベートな部分を詮索されることは、ストーカーによる傷害事件など物理的な危険につながる。
本作では、主人公の母・星野アイはストーカーに殺されてしまう。これはけっしてマンガの中だけの話ではなく、実際に起きている問題であることを忘れてはならない。
「嘘は身を守る最大の手段」
実際に第三章の「恋愛リアリティーショー編」では、2020年に『テラスハウス』で発生した自殺事件を下敷きにストーリーが展開されていく。
恋愛リアリティーショー出演のオファーを受けたアクアは「想像してたよりやらせが少ない」と収録の感想を口にする。そして双子の妹・ルビーから「やらせが少ないのは良い事じゃない?」と問われたアクアはこう答える。
「観てる側からしたらそうだろうけど 嘘は身を守る最大の手段でもあるからさ」(3巻)
ここで嘘=フィクションは、視聴者に夢や幻想を抱かせる装置であると同時に、生身の人間を守るシェルターであると指摘されている。
作中でもリアリティーショー出演者のひとりがSNSでの過度なバッシングを受けて自殺未遂を引き起こす場面がある。ここで浮上するのは、フィクションを引き剥がされ、生身の人間(という体裁)としてタレントをカメラの前に立たせることの残酷さだ。
本作では、多くのファンに求められる“美しいフィクション”を作り上げるためのアイドル・俳優たちのたゆまぬ努力と緻密な計算が描かれている。歌やダンス、演技……と、彼女たちは自身の適性やスキルを冷静に見極めながら、清濁併せ吞む芸能界で生き抜く術を身につけていく。
しかし忘れてはいけないのは、この「嘘=フィクション」は、観客の協力なくしては成立し得ないということだ。
“美しいフィクション”を守るために
SFや時代劇を観て「これは作り物だ」と指摘する人はいないし、演劇を観て「これはハリボテだ」と文句を言う人はいない。全員がフィクションという約束事を共有することでエンタテインメントとして楽しんでいる。
パフォーマンスと同等かそれ以上に本人のパーソナリティが重視されがちなアイドルも、テレビやSNSといったメディアを通じて発信している以上、大前提としてそのキャラクターは“フィクション”として楽しまなければならないと私は思う。もちろん、そのフィクションから素直な感情や言葉が漏れる瞬間はいくつもあるし、それに胸を打たれた経験も数えきれない。
ただ、アイドルの意図しないプライベートに対する詮索や言及は“フィクション”の約束事を客席から崩壊させることにほかならない。公演中の舞台に上がって「これは作り物だ」と叫ぶような愚かな行為である。
たとえば、週刊誌によるアイドルの熱愛報道などはその最たる例だろう。
本来、他人のプライベートな恋愛事情を勝手に晒すことが許されるはずがない。ましてや盗撮は人権侵害である。なぜ、アイドルだとそれがまかり通ってしまうのか。意思を持ったひとりの人間に「恋愛禁止」という勝手な価値観を押しつけること自体が間違っているという議論になぜならないのか。
ファンが怒りを向けるべきは絶対にアイドル本人ではない。「文春砲」などと言ってもてはやすのは人権侵害に加担する行為である。
本作で描かれる“美しいフィクション”はアイドル本人の努力だけでは守れない。ことアイドルシーンにおいては、ファン側が是正すべき課題はいまだ多い。
文=山本大樹 編集=田島太陽
山本大樹
編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)