とりとめのない記憶の愛おしさと、ひとり旅の豊かな孤独(ひうち棚『急がなくてもよいことを』 )

生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」

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【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」
仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。

ひとり旅はだいたい何も起こらない

学生時代、長期休みのたびにひとり旅に出かけていた。と言ってもそんなに遠出をするわけでもなく、行き先は仙台、金沢、松本など、都内から在来線で4、5時間程度で行ける範囲内の小旅行だ。東京駅の三省堂で買った小説やマンガを読みながら車両に揺られて、乗り換えの駅で次の電車を待ちながら立ち食いそばを啜るのが好きだった。充電器を持ち歩く習慣がないので、だいたい目的地に着くころにはスマホの充電が切れかけている。慌ててレシートの裏に旅館の住所だけメモをして、みどりの窓口で道順を訪ねる。Googleマップが開けないので、現地で迷子になることも頻繁にあった。モラトリアムならではの、呆れるほど無駄の多い旅だったが、あの無駄こそが自分にとって何よりも尊い時間だったと今になって思う。

『急がなくてもよいことを』(ビームコミックス)は、作者のひうち棚が2009年から2021年にかけて執筆した短編をまとめた一冊だ。カメラのシャッターを切るように、作者の過去の記憶や旅行先の記憶、そして日常生活の中で目にした光景が淡々と描写されている。富山・高岡をレンタサイクルで巡って聖地巡礼をしたり(「ユートピア」)、実家の近くの川之江城に登ったり(「城山」)、山間部を走る電車の遅延に巻き込まれたり(「遠回り」)……。同行する友人や旅の途中で出会った人と、ひと言ふた言の会話を交わす以外に、大きな出来事は何も起こらない。まるで写真集のような作品だ。ページをめくるたびに立ち現れる無言のひとコマに、なぜだか心が揺さぶられる。

ただ目の前を流れていく風景を眺め、聞こえてくる音に耳を傾ける。気軽に遠出をするのが難しくなってしまった今だからこそ、その何気ない情景がたまらなく愛おしい。

ひとり旅って、たしかにこんな感じだった。だいたい何も起こらないし、誰かと運命的に出会うこともない。それでも、遠くのどこかで出会った風景は、自分と他者の境界線を鮮明に浮かび上がらせてくれる。あの無計画な旅の道中で出会った景色は、私の記憶の中にしかない。

無駄を省いた生活によって失われたもの

「フォトグラフ」という掌編では、作者が瀬戸内海に浮かぶ島へ出かけた際に目にした風景を描いている。船着場に停泊しているフェリー、髪をうしろで縛った女性のうしろ姿、坂の上から見下ろす瀬戸内海。目の前に広がる景色はどれも些細で捉えどころがない。その中に佇む作者はひと言も発さずにただ景色を目に焼きつける。けっして誰かと深く交流するわけでもないし、SNSでシェアされるわけでもない、その孤独の美しさを思う。ひとり静かに風景と対峙し、思考を巡らすことで、豊かな孤独は達成される。

旅行へ出かけることもできず、家の中にひとりでいる時間が増えたことに比例して、スマホを眺める時間も格段に増えた。わざわざ足を運ばなくても、ZoomやUber Eatsで生活に必要なすべてが部屋の中で完結できる。目的もなく遠くへ出かけるような外出は悪いものとされ、なるべく遠回りをせずに最短距離で目的地に向かうよう行動するべきだ、と私たちはこの一年間の間に刷り込まれてきた。
非効率的で無駄な移動は徹底的に排除され、代わりに他者とのコミュニケーションのための最低限のオンラインツールが私たちに与えられた。部屋の中から誰かとのシェアでつながる日々はけっして孤独ではないが、虚しくはある。

「急がなくてもよいことをあなたは急いでおりませんか」

表題作の「急がなくてもよいことを」では、妻が洗濯物を干している間に幼い娘と散歩に出かける一場面が描かれている。犬を見つけていつまでもその場を離れない娘の手を優しく引いて歩き、道端のお地蔵さんにゆっくりと手を合わせる。そして、お寺の掲示板に描かれた言葉に目を止める。

「急がなくてもよいことをあなたは急いでおりませんか」

生活においてだいたいのことは不要不急である、と言うのは少し言葉が過ぎるだろうか。しかし、必要なものと不必要なものをきっちり分類していくと、生活はどんどんすり減っていく。残るのは山積みになった労働と、労働のための束の間の休息。とりとめもない景色と出会うことのない日々の、なんと発見に乏しいことか。

ゆっくり食事を楽しむ時間や長い散歩に出かける時間を削って、「いつ仕事がなくなるかわからないから」とスケジュールの隙間をテトリスのように埋めている自分が恥ずかしくなった。急がなくてもよいことを急いでばかりいる。

広場で少年野球の練習を眺めながら、作者はまだ幼い娘にこう語りかける。
「ひーちゃん」「そんな急いで大きならんでもええからね」

すり減る生活に歯止めをかけるために

急いでいてもぼんやりしていても、時間は同じように過ぎていくし、私たちはどうでもいいことから順番に忘れていってしまう。
平日の昼間にラーメンを作って食べて、食器を洗うときの水の音。公園で遊んだあと、子供の小さな靴の中から落ちてくる砂の粒。妻との買い物の帰りの道で見つけた金柑の実。いずれ忘れてしまいそうな頼りない記憶を、本作は丁寧に掬い上げている。言葉で語らずとも、そのひとコマひとコマはたしかな人生の断片であり、日々の尊さを雄弁に物語るものだ。
作者に子どもが生まれてからは、その視線は旅先の景色よりも子どもの成長に注がれる。そこにはまた新しい発見があり、新しい出会いがあるのだろう。

すぐに遠くに出かけるのはまだ難しいから、まずはスマホの電源を落として近所を散歩することから始めたいと思う。新しく出会う風景を注視し、目的もなく出歩くことで、すり減る一方の日々に少しでも歯止めをかけたい。けっして現実から逃避するための外出ではなく、社会と接続しながら豊かな孤独を保つための外出だ。急いでやらなきゃいけないことなんて、今の私にはひとつもない。

文=山本大樹 編集=田島太陽

山本大樹
編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitterはてなブログ

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