サンタがくれた贈り物、無菌室で育てられた私の夜(佐藤ミケーラ倭子)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」
「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。
佐藤ミケーラ倭子
元アイドルグループのメンバーで、現在はYouTuber、女優、モデルとして活躍中。YouTubeは登録者数52万人、TikTokはフォロワー数55万人を突破しており、Z世代から支持されている今注目のクリエイター。総再生回数は2億3000万回超。自身をさらけ出した破天荒なスタイルが魅力で、さまざまなシチュエーションを再現したちょっとおまぬけな「あるある動画」が話題沸騰中。飾らない人柄が人気だが、WEBドラマ『港区女子』(『東京カレンダー』)では台本も書き、演技力を発揮する新たな一面も。その他、テレビ/WEBCM『ゴキッシュ』『カジューハイ』、書籍『恋する猿は木から落ちる』(KADOKAWA)、写真集『en』(KADOKAWA)の発売など活動を広げる。最近ではバラエティ番組のサブレギュラー、ニュース番組のレポーターとジャンルを広げ、2025年からはモデルやポッドキャストのMCレギュラーも務めるマルチタレント。
「無菌室で育てられたんだね。」彼はそう言った。
独特なアルコールの匂いが充満している中、私は揺られている。
もう日付も変わる時間。
街のどこにこんなに人がいたんだろうと思うくらい混んでいた。
うずくまり今にも財布が落ちそうなスーツの人、
居酒屋での話の続きをする背の高い人たち、
携帯を持ちながら船を漕いでいる女性、
そんな中で私は吊り革につかまって立っていた。
何か悪いことをしているような気持ちになる。
走っている車内でバランスを取るのが苦手な私は何度もよろけながら携帯を見ていた。
目は携帯に向いているが、何かを“見ている”わけではない。
意識が大きな粘土みたいに重くて動きが悪かった。
ただ携帯の画面をいじくり回しているだけ。でも目だけは冴えていた。
最寄り駅に着いて、改札までつらつらと歩いて外に出る。
スィーっと風を吸って、早歩きで横断歩道を渡った。
水で濡れたレンズで写したみたいな信号がボヤボヤと輝いていて、
バス停の横にツンと止まっているタクシーに駆け寄った。
まるで私を待ってくれていたようだった。
「お願いしまーす」
車内は暖かくて、後部座席に乗るといつも誰かに旅行先まで運転してもらっている気分になる。
安心してシートに深く腰かけた。
私はいつも話しかける。
タクシーに乗ると、運転手のおじちゃんに今日あった悲しいことを話す。
その日、今日もらってきた暴れる悪魔を吐き出した。
おじちゃんは私がいつもそうしているかのように聞いてくれた。
もう二度と会うことのないふたりのプチ旅行。
明るい相づちで私の弱った悪魔がしおしおと出ていった。
身を乗り出して席の間から夜道を見ながら話し続けた。
その時期の私は、まわりの動きとは逆に自分だけ止まっているような気持ちで毎日を過ごしていた。
あるはずという希望に手を伸ばし続けて、
自分がどこまで来ているのか
どこに行くのかわからないまま、
でも、何かあると信じて手を伸ばしていなければいけなかった。
夜は苦手だ。
心がガラスでできたウニになってしまうから。
タクシーの中は暖かくてふかふかで、話し続けている私。
おじちゃんの顔は見えなかった。
どんどん家に近づいていく。
木はガサガサ揺れていて、オレンジ色の街灯がすごく大きく見えた。
最後の信号で止まったとき
おじちゃんはこう言った。
「お姉ちゃんは、無菌室で育てられたんだね」
すごくうれしかった。
その言葉を聞いたとき、大きな透明の瓶の中に入っている私が浮かんだ。
おじちゃんがどんな意味で言ったかわからないけれど、その瓶を大切に手入れしてくれる人たちのことも優しく思えた。
小さいころは何かが不思議と私の願いを叶えてくれた。
サンタさんは11歳までいた。
まわりの子は半分信じていなくて、少し呆れられていた。
そんな私が、11歳になった年、
今年こそはサンタさんがいるかどうか確かめるためにある作戦を決行した。
家に『急行「北極号」』(あすなろ書房)という絵本がある。
その本は、雪降る夜に主人公の男の子が不思議な汽車に乗るとサンタクロースのおもちゃが作られている場所に到着するお話。
サンタクロースから選ばれた男の子は、何が欲しいか聞かれて
サンタのソリについた鈴をもらう。
その鈴を家に帰ってから鳴らすが、妹と男の子にだけ鈴音が聞こえて両親には聞こえない。
サンタクロースを心から信じている人にしかその鈴音は聞こえないという物語。
私はその年のクリスマスに、サンタさんのソリについているベルをプレゼントに願った。
そのベルをもらえばサンタさんがいる証明になる。
私は今までにないくらい心臓が飛び跳ねているのを感じながら、クリスマス前夜は眠りについた。
翌朝12月25日、リビングに行くと食べかけのケーキと飲みかけの牛乳。
そして、ベルが置いてあった。
そのベルはずっしりと重く、明らかに長年使ったように薄汚れていた。
頭についた白いひもは少し茶色く、振っても振っても切れないぐらい太かった。
とんでもないものをもらってしまったと思った。
そのクリスマスは私の人生で特別なものとなり、今でも大切にしている思い出。
その年のずーっとずーっとあとに聞いた話。
誰かが父の部屋にヤスリを借りに来たらしい。
あの日あのとき、私を待っていたかのように佇むタクシーのおじちゃんは今思えばサンタクロースだったのかもしれない。
さっきまでの犬歯の抜けた狼みたいに逃げ腰だった私は、
あのおじちゃんの優しい言葉であたたかい水の中でぷかぷか浮いているような不思議な気持ちになった。
みんなが大切にしてくれた私を私も大切にしよう、という気持ちに気づかせてくれた。
家の近くでタクシーを降りてなぜか何度も
おじちゃんにお礼を言って走って横断歩道を渡った。
家に近い最寄り駅はもう終電がなくなっていて、誰もいない。
まぶしいコンビニを横切って、いつもの坂が見えた。
走りながら坂を降りた。
夜は苦手だからぷかぷかした気持ちと一緒に走った。
よく見る夢みたいに、飛べそうなくらい大股で走った。
あごが痛くなって、喉が冷たくなる。
長い坂。
そのまま一気に走って、ゆっくり鍵を差して、
紺色の見慣れたドアを開ける。
「……ただいまー」
私はこの夜のおかげでこれからも瓶の隙間から手を伸ばし続ける。
文・写真=佐藤ミケーラ倭子 編集=宇田川佳奈枝