憧れの舞台での挑戦、大雨と拍手がやまない夜(鈴々舎美馬)

エッセイアンソロジー「Night Piece」

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エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」
「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。

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鈴々舎美馬(れいれいしゃ・みーま)
1993年4月12日生まれ、神奈川県相模原市出身。落語協会所属の落語家。桜美林大学在学中から落語研究部に所属し、全日本学生落語選手権に入賞するなど活躍。2018年2月、十代目鈴々舎馬風に入門、2019年7月21日、「美馬」と命名され前座となる。2023年11月上席より二ツ目に昇進し、2024年1月の二ツ目昇進披露公演は、異例の1800人規模のホールで開催した。
X:@reireishamiima
YouTubeチャンネル:鈴々舎美馬の落語道【やってミーマ】

雨の音は拍手の音に聞こえるから好きだ。
こんなことが恥ずかしげもなく言えてしまうほど感激した、一夜の話をしたいと思う。

その夜は、大雨のあと、大吹雪になった。

落語協会所属の落語家で、2023年の11月に5年9カ月の前座修行を終え二ツ目に昇進した私は、2024年の1月13日、記念の昇進落語会を地元相模原の1800人収容できるホールで、初めて自らが主催となり開催することに決めた。そうしなければいけないと思った。

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今から10年前、落研所属の大学生だった私は、運よく全国大会に出場できたこともあり、落語女子としてほんの少しだけ話題になると、新聞やテレビ等のメディアで紹介されたりもして有頂天だった。

『モヤモヤさまぁ~ず2』(テレビ東京)に出演したあと、大手芸能事務所からお声がけをいただき、落語タレントとしてデビューをする話が持ち上がった。ずっと地味に生きてきた自分に突然当たったスポットライトは前が見えないほどまぶしく、これから誰に会って何をして、どんな人生が待っているんだろうと頭の中いっぱいの妄想に脳みそを掻き回されながら、小さな体がまさに天高く舞い上がった瞬間に、寸前で突然白紙になって夢は打ち砕かれた。

それは、もともと気が弱くて自分に自信がない私の心を折るにはじゅうぶんな出来事で、そのまま地面に叩きつけられた私は、ありがたくもお誘いいただいていた師匠の声も聞こえなくなり、プロの落語家への道もあきらめて、エステティシャンとして就職する道を選んだ。

ただ、自分の人生なんてこんなもんだとポッキリ折れた気持ちがもう一度悲鳴を上げるくらいには落語が大好きになっていた私は、数年働いたあと、腹を決めて退職し、師匠に入門をした。

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前座のころは、毎日、地元の相模原から、片道2時間近くかけて寄席に向かい、男仕立ての着物を着て、楽屋働きをする。日給1000円だから交通費のほうがもちろん高い。ブラックとかホワイトのレベルの話ではない。おまけにアルバイトは禁止されている修行期間という明確な縛り。でも、それが悪いことだとはまったく思わない。タダでさまざまなことを仕込んでくれた師匠方には感謝しかない。ただ、入門時にそれが6年続くとわかっていたら門は叩けなかったかもしれないとは思う。

私はそそっかしい前座で、よくしくじりばかりしてしょっちゅう怒られていた。スタートラインの二ツ目になることを夢見ていたが、コロナ禍の真っ只中で、それどころではない状況に先も見えない焦りもあった。20代半ばから後半を、同世代の女性たちのキラキラした生活を横目に、前座たるもの、もちろんスッピンで目立たない色のシャツとズボンを身にまとい、大きなリュックを背負って毎日4時間揺られる車窓に映る自分は、さながらねずみ男のように見えた。

入門から5年、二ツ目昇進が決定した瞬間はうれしさよりホッとした気持ちのほうが大きかった。昇進の発表があったのが4月1日だったので、嫌な冗談だなと思いながら、師匠から「よかったな」と言ってもらえて初めて実感が湧き、涙を堪えた。

同時に、バカだと言われてもデカイことをしよう。私はがんばった。昔に比べれば住み込みでもないし、甘くなっているのも間違いないんだろうとは思う。でも私はがんばったんだ。あのとき叩き落とされてから、まだ起き上がってない。立ち上がって歩き出すための昇進の会は、あの日の自分を納得させられるものにしたいと思い、計画を始めた。

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昇進の会のゲストには感謝と尊敬しかない鈴々舎馬風(れいれいしゃ・ばふう)師匠と、落語家になる道を作ってくださった兄弟弟子の鈴々舎馬るこ(れいれいしゃ・まるこ)師匠、大学時代からずっとずっと憧れていた蝶花楼桃花(ちょうかろう・ももか)師匠に出演していただけることになった。

師匠方の胸をお借りして、自分の披露目の会を開催するならば、それに見合った大きい挑戦をしなければと、演目は落語の中でも大ネタのひとつである「文七元結(ぶんしちもっとい)」に決めた。

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会場は、私が幼稚園の卒園式や小学生のころ習っていたバレエの発表会、中学高校の吹奏楽部の演奏会、それから成人式とずっとお世話になった1800席の大ホール「相模女子大学グリーンホール」。ここしかない憧れの舞台だった。

勢いで突っ走り始めたのはいいものの、冷静に考えると自分があのホールをいっぱいにするのは無理があるとすぐに焦り始め不安で夜も眠れなくなった。

準備を進めるなかで、ただがむしゃらにがんばっていたことが思いがけず大きなショックを受けることにつながり、6年間の修行の中で一番くじけそうにもなったけど、それ以上に私を応援してくださるたくさんの素敵な方々と出会い、励まされ、力添えをいただいてなんとか前向きな気持ちを取り戻すことができた。

当日は、まさかの大雨、大吹雪だった。

なんで今日に限って、やっぱり神様は私を飛ばせたくないんだ、と落ち込む私の耳に聞こえてきたのは、大吹雪のなか、たくさんのお客様が会場前に詰めかけてくれているという声だった。こんな天候のなかでたくさんのお客様が会場に足を運んでくださっていると思うと感謝の思いで開演前から涙を拭った。

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雨の音は拍手の音に聞こえるから好きだ。
いや、好きになった。

パチパチと傘に当たって弾ける水滴。幕が上がると、その音はその日の嵐の雨音よりもさらに大きな音だった。これまでに感じたことがない量の音圧に、感動と興奮と昂揚で全身に電気が走った。

師匠方の圧巻の高座のあと、飛び出しそうな心臓をなんとか飲み込み、出囃子が鳴って、高座に向かって舞台袖から歩き出したところで足がつった。もう終わりだと思った。なんで私はこうなんだ。高座に上がって、座布団に座って頭を上げる。

大勢のお客様の前で私ひとりにスポットライトが当たった。その瞬間、足がつっているのは忘れてしまった。ひと言発するたび、お客様一人ひとりの気持ちが伝わってくるような不思議な感じがした。かと思えば口が全自動で動いているような、でも頭はいろんなことを考えていて。きっと人生であの瞬間しか感じられなかっただろう奇妙な感覚。

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先月まで前座だった未熟者の、しかもネタ下ろしで1時間の大ネタの高座を、最後までお付き合いいただけたお客様には感謝しかない。演目が終わり、頭を下げて、追い出し太鼓が流れるとお客様の拍手の音は幕が下りきるまで続いて、重厚な拍手の音が今度は自分を包み込んでくれるような、そのまま体がふわっと浮いた気がした。

ようやく立ち上がれた私は、あれから大雨の降る日は、あの日の夜の鳴りやまない拍手を思い出して、応援してくれる人たちのために成長しよう、よしがんばろうと思うようになった。

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文・写真=鈴々舎美馬 編集=宇田川佳奈枝

エッセイアンソロジー「Night Piece」