世界の中心が変わった、子猫が来た日の初めての夜(若菜みさ)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」
「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。
若菜みさ(わかな・みさ)
2001年3月8日、長野県産まれ。2016年、SMAオーディション「アニストテレス」ファイナリスト。2021年よりフリーで画家として活動を開始、2023年5月に初の個展を開催。現在は総合24万人のフォロワーを抱え、自身のコラムや動画発信など幅広く活動を行っている。
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人間は自分のことを人間と信じてやまず、まさか自分が宇宙人だとは疑いもしないのだろう。
動物から見たら、この世で最も摩訶不思議なのは人間という生物の存在であり、その姿はまさしく宇宙人そのものであると私自身は感じる。
今から書くのは3年前の5月、子猫を迎えた夜のことだ。
その日は、家の近くにあるビリビリに破壊されたカラーコーンも、営業しているところを一度も見たことがない歯医者も、なにもかもが私に拍手と歓声を送ってきているようであった。
家族を迎えるということが、これほどまでに光を帯びることだとは想像もつかなかった。
家に到着したのは20:00ごろだった。
ほんのり肌寒く心地のいい、夏の序章の最中にいた。
いつもよりもドアを静かに開け、できるだけよけいな音を立てないように靴を脱いだ。
リビングに着くなり、子猫を入れたバッグをなるべく傾かないように肩から降ろし、そっと床に置いた。
「大丈夫だよ」と声をかけながら、ファスナーのつまみを静かに、丁寧に、ゆっくりと横にスライドさせた。
だんだん奇妙な緊張感が走り始めた。
人を上げることは一切ない部屋に、子猫が解き放たれる日が訪れるとは。
あまり近くにいないほうがいいかもしれないと思い、子猫が出てくるまで少し離れた距離から見守ることにした。
それでもしばらく出てくる様子がなく、相当おびえているのだと察した。それはそうだろう、私だったら急に巨大生物の家に到着したら死を覚悟する。
のちに「スンスン、スンスン」と音が聞こえ始めた。
子猫は大きな目で周囲を確認しながら、バッグから体を出し、ゆっくりとおぼつかない足取りでフローリングの上を歩き始めた。
「よちよち」という効果音がこれほどまでにマッチする光景を見たことがあっただろうか。
肉球の色は柔らかなピンクで、全身を覆う毛は幻のように白かった。
子猫のまんまるな眼は、いかにその魂が純粋であるかを私に魅せつけてくるようだった。
部屋に落ちていた私の服が気に入ったのか、ピンクの鼻先をぴくりぴくりとさせながら何度も匂いを嗅ぐ、かと思ったら突然奥歯でギシギシと噛み始めた。
なんてかわいくて、意味不明なのだろう。
困惑と興味のせめぎ合いの中で、何から手をつけるべきかわからない様子にも見えた。
嗅いでは、飽きたかのように次の物を嗅ぎ、また飽きた様子で別の物を探す。
このときは、まさかそれが猫のスタンダードであるとは想像もできなかったのである。
2時間も経つと、子猫はだいぶなれなれしくなった。まるで最初からここに住んでいたかのような態度で、私が招かれた側なのだと錯覚をするほどであった。
腹を仰向けにして寝転がったり、イヤホンを破壊したり、思い出したかのようにトイレをし始めた。
本来ならイヤホンが壊れることは嫌だが、そんなことがどうでもよくなるほどに猫のすべての行動がおもしろく、怖いほどに魅力的だった。
尻尾がふにょん、ふにょん、と動いたり、時々耳がぴくっと横に傾く。すべての動作には同じ地球に産まれたとは思えない違和感があった。
そもそもなぜこんなに小さいのか、なぜこんなにかわいいのか、その尻尾は自分でかわいいとわかっているのだろうか。
愛おしいという気持ちは、時間をかけずとも案外すぐに湧くものなのだろうか。
そういえばこの子はまだ生後2カ月だ。
地球の姿も知らないのだろうし、世界のことも何も知らないはずだ。
この場所は私にとっては家、しかしこの子にとっては世界のすべてになるだろう。
5畳の部屋は世界にしては狭く、薄暗く、なんだかものすごく寂しい。ベッドと、キッチンと、トイレ以外に何もない。牢屋に少し課金したような部屋だ。
この子が、もっと広い部屋で走り回ったり、ゴロゴロしたりする姿を単純に見てみたいと思った。喜んでくれるかわからないが、生き生きとした姿を見られれば誰よりも私が満足するだろう。
その日の夜、ベッドでアニメを観ていた。
すると子猫が私の膝の上に乗っかってきて、すぐに小さな寝息が聞こえてきた。
私の膝の上で安心してくれているのだろうか。なんだか愛おしさとうれしさと視覚的なかわいさとで、壊れそうなくらいに気持ちが高まった。
脚に変な感覚が走った。
同じ体制で座っていたせいで、脚と腰に絶妙な痛みと不快感を感じ始めた。
じわじわ、と何かが骨を蝕んでいくような、鈍い不快感だった。次の瞬間ズキーン!と強い痺れが身体中を巡った。
私が動けば子猫が起きてしまう。
今日は一日疲れただろう、ようやく眠れたのに私の都合で起こすことはできなかった。痺れた足腰から意識を逸らして、そのままじっと耐え続けた。
ふと、おかしな気持ちになった。
自分の足腰のことよりも、この子にいい夢を見てほしいと思う気持ちが優先しているではないか。あんなに自己中心的だった私が、自分ではない何かを想って、しっかりと遠慮しているのだ。
そのとき、私は私が自覚している以上に大切な何かを得たのではないかと感じた。
それがたまらなくうれしくもあり、偉大な力のようで怖くもあった。
カーテンをめくって窓を見ると、外はもうすっかり深い夜の色になっていた。
いつもならば、ひとりで考え事ばかりしてしまう窮屈な夜を過ごして、朝が来そうになると焦り始める、むごいルーティンがあったはずだ。
その晩、小さな部屋の中で夢を見た。
それは幻想や無自覚に見る夢などではなく、子猫とのこれからの生活や、未来を自分の胸で描いた、本当の夢だ。
おやすみ、と明日も明後日も、1年後もこの子に伝えることができて、一緒に朝を迎える未来が今日この瞬間から始まったのだ。
ダイヤモンドのような夜だった。
あれから3年が経った今、もう1匹家族が増えて、ずいぶんと愉快になった。
朝は猫たちが暴れる音が目覚まし時計だ。
そしてこれを書いている現在、猫が「なぜ、撫でない?」とわかりやすく苛立った目でプレッシャーを与えてきている。
猫、君たちにとって私たち人間はどんな存在なのだろう。宇宙人か、大きな猫か、親か。
魂の大きさや、脳の仕組みが違っても、幸せを共有し、感情を伝え合うことはじゅうぶんに可能だと猫が教えてくれた。
きっと我々は人間同士であっても、本質的には宇宙人同士なのだろう。
私にとって君たち猫は、宇宙生物である。
猫が宇宙生物なら、私たち人間も宇宙生物であるはずだ。
文・写真=若菜みさ 編集=宇田川佳奈枝