たどり着いた真夜中の終着駅。人生で最もスリルを感じた夜(鳥飼 茜)

エッセイアンソロジー「Night Piece」

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エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」
「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。

鳥飼さんの写真

鳥飼 茜(とりかい・あかね)
漫画家。1981年生まれ、大阪府出身。2004年に『別冊少女フレンドDXジュリエット』(講談社)でデビュー。代表作に『おんなのいえ』(『BE・LOVE』/講談社)『先生の白い嘘』(『月刊モーニング・ツー』/講談社)『地獄のガールフレンド』(『FEEL YOUNG』/祥伝社)、『サターンリターン』(『週刊ビッグコミックスピリッツ』/小学館)など。

指を折り数えると身震いしてしまうのだが、あれはもう20年近く前なのだった。そのころ私はアルバイト兼自称漫画家で、雑誌に載った読み切りの原稿料を投じて、ニューヨークの街に乗り込んだ。ただ旅行に行っただけだが、興奮していたし、この上ない緊張感と不安でいっぱいだった。

海外では音楽を聴くくらいしか能力を発揮しないガラケーと、地球の歩き方と銘打たれた地図つきのガイドブックを携え、初めての海外ひとり旅だった。

踏み切れたのは、バイト先で偶然出会ったひと組のカップルと、古本屋で知り合ったアメリカ人学生がどちらもニューヨーク在住で、ニューヨーク未経験の私に遊びに来なよ!と誘ってくれたからで、若く厚かましい私はその親切になんのうしろめたさもなく乗っかったのであった。

英会話が得意なわけでもないし、20代前半の臨時収入なんて知れている。ホテル代は彼らの親切で無償だったので、予算は飛行機代と、毎日の食事代だけでギリギリだったはずだ。

そんな丸腰でよくぞ無事に帰ってこられたと今となっては感心する限りだが、人生で最もスリルのある夜を経験したのもこのときだ。

同じニューヨークといえど、彼らの自宅はマンハッタンとブルックリンという2カ所に跨っていた。そこを行き来するのに、移動は専ら地下鉄である。

当時のニューヨークは、大きく変化を迎えたばかりで、若く無知な外国人の自分にも地下鉄が利用できるくらいには治安がよくなったらしかった。それでもブルックリンにはまだまだ危険の多い場所があり、地下鉄で往来するということ自体相当なスリルがあった。

その日は友達がブルックリンでのパーティーに誘ってくれて、夜中過ぎに解散となり、私は宿泊させてもらっているマンハッタンのカップルの家までひとりで帰ることになった。

ニューヨークではひと晩中、電車が走っている。昼間の移動には少し慣れてきていたが、初めての路線で深夜にひとりということもあって、緊張もひとしおだった。身も引き締まるところだが、普通の人と違って、私は「緊張するほど慎重さを欠く」というたいへん難儀な性質なのである。

何度も念押されたはずの乗り換えをスコンと忘れ去り、終点へ向かう深夜過ぎの地下鉄車内はどんどん人気が少なくなっていた。何かがおかしい気がするが、自分が間違っている確証が持てない。電車内に表示されている路線図は簡素化されすぎていて、自分がどこに運ばれる予定なのかがわからない。よけいな動きをして無駄に失敗を重ねるくらいなら、とにかく確実に結果がわかるまでこのまま電車に乗っていようと思った。

深夜1時を過ぎたニューヨークの地下鉄の乗客は次々と帰路につき、怪しいと感じた時点で車両には私だけだったと思う。駅が進むにつれどんどんノイズが薄れ静かになっていく。少なくとも聞き覚えのある地名が出てきてくれれば少しは安心するかもしれないのに、などと根拠のないことを思い始めたとき、電車はとうとう終着駅に到着した。アナウンスを聞いて、かるく戦慄した。「ワールドトレードセンター」。世界を震撼させた前代未聞のテロ事件からまだ数年、何度もニュースで耳にしたあの場所に、深夜2時前、私はたったひとりで降り立った。

 

鳥飼さん夜の写真

あらかじめ知ってのとおり、ここは世界屈指のビジネス街である。東京のそれと同じように、真夜中を過ぎたビジネス街に用事のある人はほとんどいない。際立って静かなのは単にそれだけが理由のはずだが、地理的にも終着点であること、そしてさらに、この場に惨禍に見舞われた無数の魂が眠っていることを思うと、静寂と闇が膨張し、地下鉄構内をかろうじて照らす電気を今にも飲み込みそうな気配を感じた。ここは、都会の夜の端っこだ。

私は完全なパニックから、まずホームに降り立った人の中に女性ふたり連れを見つけ、藁にもすがるように声をかけた。話しかけてどうなるわけでもないが、誰かに優しくしてもらわないと不安で仕方がなかったのだ。果たして、どうなるわけでもなかった。彼女たちも旅行者で、私が戻りたい場所への行き方を知らなかった。彼女たちにとってはここが目的地なので、当然のように地上へと掃き出されていった。

私もいっそ地上に出て、タクシーでとにかく帰るという選択肢も考えたが、タクシーが体よく捕まらなかったときのことを考えると、地上よりも地下鉄構内にいたほうがましなのではないかとまごついた。

私は完全なひとりだった。

ニューヨークではひと晩中電車が走っていると書いたが、時刻表などはない。従って、次の電車はだいたい何分置きに来るとかいう予想もできない。夜中になると本数が減ること、ホームで待つときはカメラのある場所にいること、という友人からの教えが思い出された。ここで屈強な、何か悪いことを企んでいる人間と鉢合わせたら私は死ぬ、冗談抜きでそう思った。

人がいるところを必死で探し、改札口に駅員を探すが乗客どころか駅員さえいない。こんなの終夜営業といえるのか?と怒りすら覚えた。ようやくホームの端で黙々と線路の改修工事をしている移民系の男性を見つけ、事情を片言ながら説明すると、ここで待っていればいつかは電車が来ると言われた。いつかはわからないけど、と。

人がいるということに、こんなに救われたことはない。電車が来るまで、オレンジの光に照らされた一角の、彼の工事作業をただ呆然と見つめていた。外国の、自分とは本来関係のない場所に立って、見知らぬ人の作業を眺めながら私はいつ来るか知れない真夜中の電車を待っていた。

簡単に考えればわかることだが、どこかで乗り換えを忘れて終点にたどり着いたのなら、降りずに折り返し、正解の地点で乗り換えれば済むだけのことなのだった。おそらくほんの十数分後のことであろう、折り返しの電車はやってきた。今度は無事降車した乗換駅で、心配をかけているであろう宿主に手持ちのコインで公衆電話をかけ、ただ今帰路についている旨を説明した。説明しながら、なんと無駄な冒険だったことかと笑いが込み上げてきた。電話口の宿主も笑っていた。

よけいな不安を不注意から創作して盛り上がっただけの一夜だった。
慌て、窮し、考え、自ら何かを解決したようで、実はどうということもなくゼロ地点にいただけのような話だ。
くだらなくも、自分にとっては相当に映画的な夜の顛末であった。
GoogleマップとSNSとタクシーアプリがあればこんな経験はきっとしないで済むであろう。

忘れられない夜になったが、二度と再現できない夜はすべて忘れられない夜である。

戻ってこないもの、場所、人、それらが偶然ひとところに集まった夜を我々は日々更新中なのだが、忘れられない夜となるのはそれらが過ぎ去り、手のうちからこぼれてしまったあとなのだ。

文・撮影=鳥飼 茜 編集=宇田川佳奈枝

 

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