「何気ない散策から、意識の中のかたちが立ち上がる」新津保建秀のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。
今回お話を伺ったのは、写真家の新津保建秀さん。人物、風景、建物など、さまざまな対象を撮影しながら、対象と向き合うことで心の中に立ち上がってくるものをまなざしているという新津保さんにとって、必要なサボりといえる「散策」とは?
新津保建秀 しんつぼ・けんしゅう
写真家。東京藝術大学大学院美術研究科博士課程修了。博士(美術)。近年の主な個展に『消え入りそうなほど 細かくて 微妙な』MIZUMA ART GALLERY(2023、東京)、『往還の風景』ART DRUG CENTER(2022、宮城)など。主な展覧会に『景観観察研究会 八甲田大学校』国際芸術センター青森(2022、青森)、『さいたま国際芸術祭』(2020、埼玉)、『北アルプス国際芸術祭』(2017、長野)など。主な作品集に、池上高志氏との共作『Rugged TimeScape』(FOIL、2010)、『Spring Ephemeral』(FOIL、2011)、『\風景』(KADOKAWA、2012)など。
対象から感じたものをフィルムの中に込める
──新津保さんは写真家としてのご自身のスタイルをどのように見出されたのでしょうか。
新津保 20代の前半はジョゼフ・コーネル(※1)やジョナス・メカス(※2)らに影響を受けて、写真の断片を箱に入れたコラージュや、8ミリカメラを用いた映像作品を制作していました。映像の場合は8ミリカメラの約3分の尺の中で、日々目にしたものの断片を写真を撮るように撮っていきます。それを数ヶ月かけて行うと、その間の思い出をのぞき込んだような映像になるのです。
これと並行して行っていたコラージュ作品の制作の中で、その素材となる写真を撮ることを始めたんですが、この作業を数年続けていくことでつかんだ感覚があって、雑誌などの複製媒体の中でまったく会ったことのない人に見てほしいと思い、写真を仕事として始めるようになったんです。
(※1)Joseph Cornell(1903-1972)。身の回りのもので構成した箱の作品やコラージュ作品、前衛的な映像作品などを制作したアーティスト
(※2)Jonas Mekas(1922-2019)。16ミリカメラで身の回りの日常を撮影し、数々の「日記映画」を残した映画作家
──つかんだというのは、どんな感覚だったんですか?
新津保 対象を見て、自分の気持ちの中にモワっとしたものが浮かぶ、外からはわからないそのモワっとしたものを、フィルムというメディウムの中に込めることができたという感覚です。20代半ばに、フランスに長期滞在していたとき、リュクサンブール公園を蚤の市で入手したスライドフィルムで撮っていると「ちょっと違ったぞ」という手応えがありました。現像してみたら、そのときに心と体で感じたものと、それまで数年かけて映像で探っていたものが写真の中に入ってたんですよね。対象を見てそのときに感じたものを自分が扱う素材の中にどのように織り込んでいくのかという感覚が、すっと腑に落ちたというか。
──今では人物、風景、建物など、さまざまな対象を撮影されていますが、そのプロセス自体は変わらないものなのでしょうか。
新津保 そうですね。写真って「何を撮ってるんですか?」って聞く人が多いと思うんですけど、何を被写体に選ぶかというよりも、対象と向き合う中で自分の心に立ち上がってくるものをどうまなざすかが、前段階としてあって。対象はそのきっかけになるものです。
──最初に8ミリで日常を撮影していたのも、同じように心に引っかかった瞬間を断片として集めていたのかもしれませんね。
新津保 最近も同じようなことをやってみてはいるんですよね。始めたときから経験を積んで、当時と変わってきたところとそうでないところがあると思うので、今やったらどうなるんだろうと考えて。近いもので気に入っているのは、今年の初夏にやった個展に出したもので、ひとりで諏訪を訪れたときに見かけた焚き火と、ムービーの仕事で初めて訪れた千葉の田園地帯をアシスタントと歩いていたときに見た農業用水の水たまりに映っていた夕日の写真です。
諏訪で見かけた焚き火の写真
《焚き火2》2023、ラムダプリント、アクリルマウント、629×420mm(C)SHINTSUBO Kenshu, Courtesy of the artist and Mizuma Art Gallery
夕日の写真
《水鏡》2023、ラムダプリント、アクリルマウント、594×445mm(C)SHINTSUBO Kenshu, Courtesy of the artist and Mizuma Art Gallery
──タレントのグラビアや写真集などでも、その基本は変わらないんですね。
新津保 そうですね。写真集は海外でロケすることが多いですが、ともするとあっという間に滞在期間が過ぎてしまうので、現地では都度、自分の中でテーマを定め、ベストを尽くすようにしています。コロナになる前に、綾瀬はるかさんをリスボンで、鈴木絢音さんをタヒチで撮ったのですが、リスボンでは(ヴィム・)ヴェンダースの『リスボン物語』(1995)に出てきた風景を、タヒチでは(ポール・)ゴーギャンがかつて住んでいた土地の風景を訪ねながら撮影をしていきました。期せずして、パンデミックで世界が変わる前の雰囲気が入っていたような気がしています。
『ハルカノイセカイ 03 リスボン』(講談社、2020)より
写真もドローイングも、本質は変わらない
──新津保さんのポートレートは、周囲に漂う空気感のようなものも魅力だと思います。
新津保 空気と光を読むこととともに、それ以外のいろんな条件が重なったときにうまくいっている気がします。撮影の場をセッティングしていくことは、家の設計に近いような気がしています。たとえば、自分の家を設計していくときや、不動産の内見って、土地の背景や風通しや採光、住む人の動線などを見るじゃないですか。撮影者の立場で現場を組み立てていくことはこれに似ていて、現場の光と空気の流れを読んで、快と不快の境い目を探すんです。現場全体の雰囲気には、その場にいる人たちが感じる心身の感覚がフィードバックされるし、それが写真の中にも写ってくるように思います。とりわけ、被写体となる人の快・不快は重要で、お腹が減っていたり、寒すぎたりしてもダメですね。
──また、最近では大学院での研究をとおして、イメージについて再考されていますね。
新津保 10代のころに絵を描いていたので、カメラやコンピューターなどの機器を使わないでイメージを扱うということが気になっていたんです。機械を介在させてイメージを扱う写真や映像の中からではなく、人間の文化の中で長い歴史を持つ絵画という領域の中で、イメージについて再考したいと思い、大学院で研究をしていました。
たとえば、紙という面の上に描画材で身体の行為の痕跡を残すドローイングというものを少し広げて考えてみると、地面や地図の上に、歩いた跡を残すこともドローイングたり得るし、写真というものにそのときその場所にいた自分がいた跡を残すこともドローイングになります。写真は、その場で経験したことがすべて撮れているわけではなくて、経験したことの残りカスみたいな感じがあって。自分の中に湧き上がってくるものをどうまなざすかという関心は変わらないんですけど、自分の方法論や考えていることを異なる角度から再考してみたいと思ったんです。
──本質的には写真を撮る際の前提と変わらない。
新津保 そうです。同じものを探っていて。絵画の制作プロセスも近いんですよね。結局、制作って目の前の時間と歴史や心の中の時間だったり、心の中の目に見えないイメージと自身が扱う物質性を持った素材だったり、相反するものの応答の中で進んでいくと思うんです。だから、ほかの人が作ったものを見るときもそこに注目しています。単純に表層を定着させただけのものもあれば、対象との深い応答の中から生まれたフォルムもあって、そこは「見る」というより「伝わってくる」というか。
目的のない散策から生まれた写真がつながる瞬間
──最近ではどんなものに関心を持たれているのでしょうか。
新津保 それこそ「サボり」という話にもつながるかもしれませんけど、「都市散策」ですね。直近のプロジェクトとは関係のないロケハンみたいなことをするんです。この前も滝山団地という、東久留米のほうにある、1960年代ぐらいに旧日本住宅公団(現・都市再生機構(UR))が作った団地を散策してきました。子供のころ、こうした団地に住む友人宅に遊びに行ったときの記憶をたどりに行ったんですけど、現在の中に過去が浮遊しているというか、今もそこでゆるゆると日常がつながっていて興味深かったです。
──おひとりで散策されるんですか?
新津保 友人と散策することが多いです。同世代だったり、年下の世代の異なる友人です。そういった友人と対話しながら歩くと、座って対話するのとは違う交流が生まれるんですよ。先ほどお話しした滝山団地へは友人のアーティストと行きました。
コロナの緊急事態宣言の時期に小説家の朝吹真理子さんと武蔵野を散策したときは、三鷹市井の頭から国分寺崖線(崖の連なり)の下に水が湧いているところ、「ハケ」っていうんですけど、そこを目指してたくさん歩きました。歩きながら語ってくれた「道の時間」という考えについての話がとても印象に残っています。
武蔵野散策時に撮影した写真
──日本の残滓(ざんし)を探したり、地形に注目したり、テーマもさまざまなんですね。
新津保 気になる土地を友人とあーだこーだ言いながら歩くと、『ブラタモリ』(NHK)みたいになるときもあるし、『アースダイバー』(※3)的な感じになるときもあります。そうかと思えば、物語の聖地巡礼をするようなこともあって。
先日、沼津にロケに行ったときは、現地にある芹沢光治良記念館の学芸員さんに教えていただき、作家の井上靖が小説の中で描いた情景や風景を探しに行きました。当時の面影が残っているわけじゃないんですけど、風景の中に物語が重なるような瞬間があったり、井上が作品内で描いたヒロインの像がもやーっと浮かんできたりして、過去と現在が交差するような感覚を味わいました。
(※3)思想家・人類学者の中沢新一による著作。地形だけでなく、歴史や神話、都市論といった視点も交えながら、その土地について考察している
──一緒に行く人によっても違うような気がします。
新津保 そうですね。それでおもしろかったのは、建築家で東京大学の准教授でもある川添善行さんにお誘いいただいた鶴見線沿線の散策です。やっぱり建築家と行くと、学者の目というか、自分とまったく違う視点で風景を見てるんですよね。この工場はいついつに建てられてますね、とか、生き字引と歩いている感じで、また別のリアリティが立ち上がってくる。
ただ、印象的だったのは、それだけ理知的な川添さんが立ち止まってエモい感じになっているときがあって。何が起きたのかと思ったら、「今思い出しました。私はここで父と一緒に電車を見てたんですよ!」って。そこで初めて、彼の個人的な思い出を話してくれたんです。そういう視点でその日に撮った写真を見返して選ぶと、自分ひとりで撮ったときとは違う写真を選ぶんですよね。それがすぐ写真集などになるということもないんですけど。
──でも、そうして選んだ写真を並べてみると、見えてくるものもありそうですね。
新津保 3年とか5年単位で捉えると、予想もしないかたちが見えてくることもあります。ある経験が数年先につながって「やっといてよかったな」って思うとか。「かたち」っていうのは、視認できるものもありますが、もやっとした、物質の上に定着される前の意識の中の「かたち」もあると思うんです。点と点がつながって、撮ってきた写真の中からそういうかたちが見えてくる瞬間はおもしろいですね。
『USO 5』(rn press、2023)より
──目的なく散策していた記録が、あるとき像を結ぶというか。
新津保 いったん目的から離れることで開かれるものがあって、その瞬間は非常に感動しますね。ここ3年で一番感動したのは、建築家の隈研吾さんからご自身が作られた建築の自薦リストをいただいて、それを私が撮るという書籍(※4)の企画で撮影したときです。
撮影に着手する前に、隈さんに幼少期に記憶に残っている場所を伺ったら、田園調布だったんですね。それで編集者さんと田園調布を歩いてみたら多摩川が見えてきて、そこが国分寺崖線だと気づいた。そのとき、頭の中でバーっとその崖線の像が見えて、これまで自分がなんとなく気になって撮影していた場所の多くが国分寺崖線上にあったことに気がついたのです。自分は国分寺崖線の雰囲気に惹かれていたんだと、数年を経て見えてきたっていう。だから、散策するってけっこう大事で。家族からは「遊んでるだけじゃん」って言われますけど(笑)。
(※4)隈研吾『東京TOKYO』(KADOKAWA、2020)
サボりの中に仕事がある
──仕事といえば仕事だし、遊びといえば遊び、という点で、やはり新津保さんにとっての散策はサボりの要素もあるんですね。
新津保 会社員のような方にとってはサボる時間って意味を持っていると思うんですけど、自分の場合はサボってる中に仕事がある、という感覚ですね……。
──これまでは仕事がそのまま息抜きになっているような、アウトプットし続けるタイプの方にお話を伺うことが多かったので、独特のバランスだなと思います。
新津保 企業にお勤めの方が多かったんじゃないですか?
──そうでもないんです。あとは仕事の時間が大半で、その中で息抜きになる時間を大切にされているような方も多いです。
新津保 そういえば、アートディレクターの葛西薫さんに、夜、昭和歌謡をカセットテープで聴きながら作業するのが好きだと伺ったことがあります。是枝裕和さんの映画『歩いても 歩いても』(2008)のポスター撮影でご一緒したときだったので、かなり前の話ですが。
──そのサボり方も興味深いです。
新津保 現実から逃避することも大事なんですかね。現実はハードだから。
──新津保さんは、どういうときに現実を忘れられますか?
新津保 先日、真っ昼間から吉祥寺をぶらぶらしたんですけど、それは楽しかったです。それもロケハンだったんですけど。やっぱり歩いている時間が好きなのかもしれないですね。
撮影=NAITO 編集・文=後藤亮平