“好き”を貫く大切さに気づいた、神様と出会えた忘れられない夜(阪田マリン)

エッセイアンソロジー「Night Piece」

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エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」
「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。

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阪田マリン(さかた・まりん)
2000年12月22日生まれ。昭和カルチャーが大好きで“ネオ昭和”と自ら命名し、ファッションやカルチャーを発信する人気インフルエンサー。数々のメディアや企業からの出演オファーが殺到中。SNSでの総フォロワー数は約23万人。同じくZ世代で昭和歌謡に精通するシンガーの吉田カレンとタッグを組み、世に放つ懐かしくも新しいネオ昭和歌謡プロジェクト「ザ・ブラックキャンディーズ」を結成。昭和98年4月29日にシングル「雨のゴールデン街」でデビュー。

私の忘れられない夜はなんだろう。
思い浮かべるとあの日の出来事がすぐさま頭に浮かび上がった。
2022年8月14日に参戦した山下達郎(※敬称略)のコンサートだ。そのコンサートの話をする前に、この話をしたい。

私は70s、80sの音楽や文化や服装が大好きだ。私が中学2年生のときに祖母の家にあったレコードプレーヤーで、チェッカーズの「Song for U.S.A.」という曲を初めて聴いた。そのとき、レコードの仕組みや音質に影響を受けたことがきっかけで、当時流行っているものが見えなくなるぐらい“昭和のもの”に夢中になっていった。けれど中2の私はみんなと違うものが好きだということは“恥ずかしいこと”だと思っていた。仲間外れにされたらどうしよう……と。友達とカラオケに行ったとき昭和の歌を歌いたいはずなのに、歌えなかった。本当はとってもとっても歌いたかったのにね。

中学校の廊下には音楽ボックスというものが置いてあった──給食の時間に流してほしい音楽をリクエストできるというボックスだ。匿名でリクエストができるので私は紙に“山下達郎「クリスマス・イブ」”と書いて提出した。

それは真冬のことだった。給食の時間に「クリスマス・イブ」が流れた。私はうれしすぎて心の中でコッソリと喜んだ。みんなはこの歌にどんな反応をしてるだろう……知ってる人はいるかな? この曲を好きな人はいるかな?とまわりを見たが、みんな無反応で「誰の曲?」という感じだった。やっぱそうなるよなぁと。時代が時代だもんね。中学生の私は自分の好きなことを隠し、カラオケでも妥協をして流行りの歌をみんなに合わせて歌っていた。そんな私が高校生になるときに山下達郎の名言に出会う。

“新人バンドなどがよく説得される言葉が「今だけ、ちょっと妥協しろよ」「売れたら好きなことができるから」でも、それはウソです。自分の信じることを貫いてしなかったら、そこから先も絶対にやりたいことはできない”

私はこの名言を見てハッとした。
自分を貫くってどれだけ大事なことなんだろう。
それに気づいた私は高校からは好きなものを好きと言い、自分を隠さずに生活した。だけど、友達は全然私のことを忌避しなかった。むしろ「その趣味いいね!」と言ってくれたのだ。それから中学校生活と比べものにならないくらい高校生活は楽しいものとなった。最近は私の好きな昭和が仕事にもつながってきている。自分を貫き信じることの大切さを教えてくれた山下達郎。まさに私にとっての神様なのだ。

阪田マリン_夜景①

さて、コンサートの話に戻る。念願のチケット当選を喜び、友人とふたりで行く予定だったのだが友人がカゼをひいてしまい、私ひとりで参戦することになった。ひとりでコンサートに行くのは初めてだし、なんといっても山下達郎を生で観られるのはこの日が初めてだ。心臓がドキドキと飛び出そうで、手汗がびっしょりしていた。

少し早めに会場に到着し、グッズを購入した。もちろんカゼで行けなかった友人にもね。泣きながら悲しんでいたから(笑)。席に座ると私はこんなことを考えた。
「山下達郎は私の中で神様だ……本当に存在するのかな。この目で拝めるのかな。夢じゃないかしら」と。
まるでその場にいる自分が信じられなくなるぐらい、ふわふわとした気持ちになった。
山下達郎はどんなときでも私の心の支えだった。
失敗した日、成功した日、寂しい夜、うれしい夜、そんなとき、いつも山下達郎を聴いていた。

あぁ会場が暗くなった。
もうすぐ始まるのだ。息を呑む。
ジャカジャカジャンとギターの音が聞こえた。すぐにわかった。この曲は私の大好きな「SPARKLE」だ。そして山下達郎が登場した。
どうしよう、目の前が涙で滲んでぼんやりしている。登場してわずか5秒も経たないうちに、私は号泣してしまった。目をつむると大好きだった山下達郎の声や音楽を独り占めしているような気分になった。この曲はお父さんが教えてくれた曲で、小学校のころ毎年夏になると白浜の海水浴によく連れて行ってもらって、帰りの車の中で「SPARKLE」がよく流れていたのを覚えている。車の窓を全開にすると夕日とともにムワッとした風が入ってきて「曲が聴こえなくなるから窓を閉めて」とお父さんに怒られたのを思い出した。

山下達郎の音楽を聴くと、当時のいい思い出がアルバムを開いたときのように次々とよみがえってくる。私は中でも「Paper Doll」という歌がとても大好きで、(コンサートで)この曲を歌ってほしいな、とずっと願っていた。ツアーなので調べるとセトリも事前に見られるのだが楽しみが減るような気がして、あえて絶対調べないようにしていた。コンサートの中盤に差しかかったころ、なんと「Paper Doll」が流れ始めた。私はなんてラッキーなんだ。初めての山下達郎のコンサートで、私の一番大好きな曲が聴けるなんて。

いつまでも 一緒だと
囁いている 君はただ
手のひらに 僕を乗せ
転がしている だけなのさ

Paper Doll 僕等の恋は
まるでおもちゃさ
遊び疲れる時を きっと
君は待ってるんだ

僕は好きな女性に遊ばれている。と悟っているような、弱気な男性を描いた歌詞。こんなリリックどうやったら思いつくんだろう。改めて山下達郎の才能を身に感じながら大切に大切にこの1曲を聴いた。観客席のひとりがペンライトを振っていた。それに気づいた山下達郎は「僕のコンサートでペンライトを振ってる人いるんだね(笑)珍しいなぁ。ありがとう」と言った。わぁ……うらやましい。私もペンライトやうちわとか持ってこればよかったと後悔をした(笑)。一瞬で時間は過ぎ、コンサートは終わった。私の隣に座っていた3人組の女性たちはおしゃべりをしながら「あの曲がよかった」とか「ここは感動したね」とか楽しそうに語り合ってる。ひとりで来ている私はコッソリとその話を聞きながら「うんうん、たしかにそこ感動したわ」ニヤリと、心の中で共感したりしていた。ひとりでのコンサートは寂しいと思っていたが、集中して楽しむことができたし、会場みんなが一体となる感覚なので、ひとりもありだなぁと気づいた。

阪田マリン_夜景②

会場を出たのは21時ごろ。真夏なのにその日は少し涼しく、星が見えていた。さっきまで私たちの目の前にいた山下達郎。会場を出て外の空気を吸うと、やはり夢だったような気がしてちょっぴり虚無感に襲われた。やはりひとりでコンサートは寂しいかもと思った。楽しい時間は一瞬で過ぎるな。本当だったら今この帰り道、イヤホンをつけて山下達郎の歌を聴きながら余韻とともに電車に乗るのだが、私は我慢をした。

家に帰ってからリスペクトと愛を込めて、山下達郎のレコードに針を落とすのだ。そんな小さなこだわりや、少しの手間が音楽をよりいっそう輝かせる。コンサートの余韻に浸りながらあの夜、家で聴いた「SPARKLE」最高だったな。
忘れられない夜だ。

文・写真=阪田マリン 編集=宇田川佳奈枝

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