業界のタブーに踏み込んだ、映し出される“人間らしさ”──圡方宏史『ヤクザと憲法』
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~
人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など──
漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記。
東海テレビドキュメンタリー劇場第8弾として2016年に公開された今作は、大阪の指定暴力団、二代目東組二代目清勇会を約100日間にわたり密着したドキュメンタリー映画だ。
監督・圡方宏史、プロデューサー・阿武野勝彦。『ホームレス理事長 -退学球児再生計画-』(2014年)などで知られ、のちの2020年には衝撃作『さよならテレビ』(2020年)をも生み出した名コンビ。
テレビ業界ではヤクザを取り扱うことはほとんどない。特に、圡方は普段は報道局の記者をしている身。報道局でヤクザものはタブーである。本作は、そんなテレビ業界のタブーである“ヤクザ”を約100日間にわたって密着し、その日常を映し出す。
2014年8月21日、撮影が開始された。撮影にあたり、交わされた取り決めは3つ。
・取材謝礼金は支払わない
・収録テープは事前に見せない
・モザイクは原則かけない
カメラに映るヤクザたちは皆、顔を出し本名も公開されている。これだけで、いかにこの作品が衝撃的であるか伝わるだろう。
撮影を開始した圡方は「部屋住み(※組事務所に移住して雑用などを行う、修行期間の若手組員のこと)」のひとりに事務所を案内される。ヤクザの事務所といえば、金ピカの置物があるようなゴージャスな場所を想像するが、カメラに映る清勇会の事務所は質素そのものだ。本棚には部屋住み曰く“癒やし”用の動物の本まで並んでいる。
だが、もちろん、我々が住んでいるのとまったく同じ部屋ではない。事務所前の道路には監視カメラが設置されているし、出入口は銅鉄製の防弾ドアになっている。
総会の決算で述べられている金額も、私たちが想像するよりずっと小さい。部屋住みへの“お小遣い”は、月にわずか2万円。
東海テレビでは「想像するな。想像することは起こらない」をドキュメンタリーのルールのひとつに定めているという。カメラに映る清勇会の事務所は、ひと目でそれを感じさせてくれる。
かと思えば、決定的な場面は映されていないので詳細は伏せるが、(圡方曰く、彼らは「尻尾をつかませないということに非常に長けて」いるらしい)、背筋がヒヤリとするような違法行為を行っているであろう場面も映されている。
物語の中盤、もうひとりの部屋住みとして登場する青年もまた、“意外”な存在だ。21歳の彼は自ら志願して組に入り、部屋住みとして事務所の掃除などの雑用をしているが、どうにもうまくやれているとは言い難い。この子はこの先ヤクザとしてやっていけるのだろうか、と映画を観ている我々が心配になってしまう様子だ。
彼は圡方たちに対し、学校でのいじめについて語る。詳細は語られていないため具体的な事情はわからないものの、その語りからは彼が学校に対して居づらさを感じていたのではないかと察せられる。
65歳の舎弟(組員)は親のような気持ちで彼に接しているという。舎弟である彼は、前のシーンで選挙はどうするのかと尋ねられ「私は選挙権がないんですよ」と答えていた姿が印象的だ。彼らは大晦日、ふたりでテレビを観ながら酒を飲み、年を越す。その会話はどこかクスリと笑ってしまうものだ。ヤクザは親子盃を交わして親分・子分になる家族のようなものだ、という話は有名だが、このシーンはそういった説明よりも鮮明に組員同士のつながりを感じさせるものだ。
本作のタイトル『ヤクザと憲法』の憲法とは、日本国憲法第14条第1項のことだ。
第14条
1.すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
ヤクザは暴力団排除条例により、保険に入れない。銀行口座を作れない。宅急便や出前の受け取りを拒否されることもある。子供を幼稚園に通わせることすらもできない。
圡方が取材していた警察関係者が言うには、ヤクザは今は追い詰められて、絶滅寸前なのだそうだ。
この映画を見ていると、内容もさることながら報道局の記者でありながらタブーとされている“ヤクザ”にカメラを向け続けた制作陣も興味深く感じさせられる。
東海テレビ取材班による制作ドキュメント『ヤクザと憲法──「暴排条例」は何を守るのか』(岩波書店)によると、本作は監督である圡方のヤクザに対する強い気持ちから始まったという。
「これは、東海テレビにしかできません、絶対に」
圡方というと、以前こちらでも紹介した『さよならテレビ』や、高校を中退した高校球児とその子たちを守ろうとするNPO法人「ルーキーズ」の理事長が金策に奔走する様子を描く『ホームレス理事長 -退学球児再生計画-』(2014)の監督としても知られている。
私は好きな映画は何か、と聞かれたとき、必ずそのひとつとして『ホームレス理事長』を挙げている。この映画もなかなか挑戦的なシーンが映されているのだが、そのうちのひとつに“土下座のシーン”がある。金策に苦戦した理事長が取材をしている圡方に対して20万円を貸してくれと土下座して頼むのだ。理事長はルーキーズを守るために身銭を切り、電気もガスも水道も止められ、アパートを追い出され、闇金にまで手を出す様子が映されている。理事長が元高校球児たちを守るためのお金集めに苦悩していることは一目瞭然だ。その苦悩が切実に映されている映画なのだ。しかし、それを撮っているテレビ局員は彼を直接的に救うことはない。テレビ局という大きな会社に務めるサラリーマンが、たったの20万円を、自分も金に困っているから貸せないということはないだろう。
取材対象とカメラの関係性について考えさせられるドキュメンタリー作品はいくつかあるが、『ホームレス理事長』のこのシーンは、それを鮮明に感じさせるものだろう。私は映画館で初めてこのシーンを観たとき衝撃を受けた。このシーンを放送するのか、と。
前述の制作ドキュメントでも『ホームレス理事長』について「放送後も相当大変なやりとりを経験した」と記している。
『ヤクザと憲法』にはそのテーマに似合わず、少し笑ってしまうようなシーンいくつか存在する。そのひとつに、序盤、圡方が部屋住みに対して質問攻めをするシーンがある。テントが入った大きな包みを見て「マシンガンとかでは?」と尋ねてみたり、「拳銃はないんですか?」と尋ねてみたり。部屋住みの男も呆れているようだ。曰く、「先方からアホだと思われようが、疑問や違和感をその場でぶつけていかないといけない」らしい。
もうひとつ、この映画で圡方ら取材班が印象的なシーンとして、清勇会の事務所に大阪府警の警察官が家宅捜査を行うシーンがある。ガサ入れに来た捜査員は荒っぽい言葉でカメラを止めるよう圡方に怒鳴る。圡方曰く、どうやら圡方を組織関係者と勘違いしているようだったらしい。しかし、圡方はカメラを回し続けた。
『ハイパー ハードボイルド グルメリポート』(テレビ東京)で知られる上出遼平は『Yahoo!ニュース』のインタビューで、思い込みをひっくり返される瞬間がある番組をやりたい理由のひとつとして、「『ヤクザと憲法』を見た時に、「自分の思い込みがくるんとひっくり返る」感覚を確かに覚えたことが衝撃的」であったと語っている。
上出は文芸誌の『群像』(2021年4月発行号)にて「僕たちテレビは自ら死んでいくのか」という檄文を発表し、話題になった。その中では、上出が関わった音声コンテンツでとある企画がコンプライアンスを理由に発表寸前でお蔵入りになったことが語られている。そのとある企画というのが「暴力団構成員と密接な関係にある暴走族の少年」を取材したものだった。
社長はお蔵入りを決定した理由のひとつとして「他人に迷惑をかけている集団(人間)を取材することに意義を感じない」と告げたという。それに対する上出の「他人に迷惑をかける者、法を破る者を取材することに意義はある。」(講談社『群像』2021年4月発行号より引用)という文章からは強い意志を感じる。
この「僕たちテレビは自ら死んでいくのか」は名文だと思うので、機会があればぜひ読んでいただきたい。
当たり前だが、プロデューサーである阿武野も今作に対し「けっしてヤクザを肯定するために作った番組ではない」と語っているし、実際に見ていただけたらそのような内容では一切ないことがわかるだろう。
監督の圡方は『VICE』のインタビューで次のように語った。
「実際の人間の日常を覗いて、ヤクザも人間なんだなぁと感じてほしい。そこからスタートしたいですね。」
さらに圡方は東海テレビのドキュメンタリーに関し「大事なのは、自分たちがいかに正直かどうかだ。」と語る。覚悟さえあれば最終的にはなんとかなるのだという。
当然この映画が映しているのもまた、ヤクザというもののほんの一部でしかないし、この映画を観てヤクザをわかってつもりになるべきではない。
だが、少なくとも“ヤクザも人間である”という事実だけは感じられるのではないだろうか。
文野 紋
(ふみの・あや)漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。
同年9月、『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で『ミューズの真髄』を連載スタート。単行本『ミューズの真髄』1巻&2巻は重版が決定しており、3月10日には完結最終3巻が発売された。
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