あの子と過ごした記憶──宝物のような映画に出会えた夜(松本花奈)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」
「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。
松本花奈(まつもと・はな)
1998年1月24日生まれ、大阪府出身。慶應義塾大学総合政策学部を卒業。2014年、初長編映画『真夏の夢』がNPO法人映画甲子園主催eiga worldcupの最優秀作品賞に選ばれる。2016年、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭にて映画『脱脱脱脱17』がオフシアター・コンペティション部門の審査員特別賞・観客賞を受賞。同年、第29回東京国際映画祭のフェスティバル・ナビゲーターに就任。2021年、シリーズ累計600万部超人気漫画の実写映画化&テレビドラマ化『ホリミヤ』、WEBライター・カツセマサヒコの長編デビュー作となった人気小説を映画化した『明け方の若者たち』を監督し、話題になった。
Twitter:@hana_m0124
子供のころ、クッキーの空き箱を宝物箱にして、大切なものをしまっていた。お気に入りのシール、好きな人のプロフィールシート、切れたミサンガ、キレイな石……。もし今再び、宝物箱を持ったとしたら──真っ先に入れたいものに出会った、そんな夜があった。
昨年、大学時代の先輩と『マイ・ブロークン・マリコ』という映画を観た。
鬱屈した日々を送っていた会社員・シイノは、親友のマリコが亡くなったことをテレビのニュースで知る。幼いころからひどい虐待を受けていたマリコの魂を救うため、シイノは遺骨を奪って逃亡し、マリコが行きたがっていた岬へと旅に出る……というストーリーだ。
あまり前情報なく、ポスターの雰囲気に惹かれてフラッと劇場に入ったのだが、開始15分で「この映画、好きだな」と思い、開始1時間で「マリコ幸せになってよ」と切望し、最後には「宝物のような映画に出会えた」と確信した。
劇場を出ると、先輩に「どうだった?」と聞かれて、言葉に詰まる。10秒ほど考え「よかったです、すごく」と答えた。私は昔から、映画の感想を言葉にするのが苦手だ。特に観終えた直後は思考がぐちゃぐちゃしていて、「よかった」「よくなかった」くらいは言えるが、それがなぜかと問われると困ってしまう。整理する時間が必要なのだ。そんな心情を察してくれたのか、先輩は「マジでよかったよね」と言ったきり映画の話を振ってくることはなく、その後は学生時代の思い出話や、お互いの近況報告をして別れた。
最寄り駅に着くと、23時を過ぎていた。秋から冬に変わる空気が肌寒くて、気持ちいい。空を見上げると月が煌々としていた。自宅までの道のりを、遠回りして歩きながら“マリコ”のことを考える。マリコは寂しがり屋で泣き虫で、どうしようもないメンヘラだった。主人公・シイノは思い出が美化されるのを恐れ、そんなマリコの面倒くさいところもひっくるめて、忘れないでいようとした。
忘れない、というのは時に私たちを苦しめる。たいていのことは時間とともに忘れられるからこそ、どうにか生きていけてるというのに。忘れない、というのはとても覚悟がいることで、愛のある行為だと私は思う。
私にもかつて、“マリコ”のような大切な友達がいたことを思い出した。
その子は“ユウコ”といって中学生のときに知り合った。仲よくなったきっかけはいたってシンプルで、席替えで席が前後になったからだ。窓際の席になると私は決まっていつも、窓際の少しだけ出っ張った淵の部分に細々とモノを置き(たとえば鉛筆削りとか、予備の消しゴムとか、プリクラとか)、そこを自分の部屋の一角のようにするのが好きだった。
ある朝登校すると、私の前の席のスペースにも、同じような一角ができていた。そして、その席の主こそが、“ユウコ”だった。彼女はくるりとこちらを振り向くと「いいでしょ?」と言わんばかりにニコッと笑った。私は、その笑顔にひと目惚れしたのだ。
それから、ユウコはなんでもかんでも私のまねをするようになった。私が吹奏楽部でトロンボーンを始めると、ユウコは隣で腹式呼吸をやり出した。私がトロンボーンに挫折しバスケ部に途中入部すると、ユウコは隣で『SLAM DUNK(スラムダンク)』を読み出した。私がドラマ『モテキ』にどハマりしていると、ユウコは普段一切ドラマなんて観ないくせに「コメディだけど人間模様がしっかり描かれてていいね」なんて感想をちゃっかり述べてきた。私がDef Techの「My Way」という曲を聴いていると、「これ歌えるようになろうよ」と言って、カラオケへと連れ出された。まだ“Will〜”だとか、“no more than〜”だとかしか習っていない14歳の私たちにとって、英語の歌詞(しかもラップ!)を歌うのはだいぶハードルが高かったが、歌えないことがまたおかしくて、ゲラゲラと笑いながらデュエットを続けた。
ユウコにまねをされることが、私は心地よかった。私の好きなものを、同じように好きでいてくれる人がいることのうれしさを、このとき初めて味わった。
ある日の放課後、ユウコに「今晩、うちに来ない?」と誘われた。そういえば、これだけ仲がいいというのに家へ行ったことはそれまで一度もなかった。「行きたい!」とうなずいて、ふたりで家までの道のりを歩いている最中、ユウコが家庭の状況についてポツリポツリと話し出した。小さいころに両親が離婚し、それからずっとお母さんとふたりで暮らしていたが、つい最近再婚し、新しいお父さんがやってきた。そのお父さんというのがなかなかな曲者で、全然しゃべらないのに、ものすごく怖いという。「しゃべらなくて、怖いってどういうこと? だって、しゃべらないってことは、怒鳴ったりするわけじゃないんでしょ?」と私が聞くと、ユウコはしばらくうーんと考え、「なんていうんだろう……圧が強いっていうのかな、まあ会えばわかるよ」とつぶやいた。
公園の脇を抜けた先に、ユウコの住むアパートはあった。軋む階段をのぼり、3階まで上がる。「ただいまぁ」とユウコが玄関を開けると、お母さんが「おかえりー。あら、いらっしゃい」と迎え入れてくれた。そしてその奥に、チラリとお父さんの姿が見えた。100kg、いや200kgはありそうなその巨体の男性は、たしかににものすごく圧があった。
夜になり、晩ご飯にカレーをいただくことになった。「生卵、のせるとうまいで」とお父さんが私にボソリと話しかけてきた。突然のことに少し驚きながらも、「あー、私その食べ方、あんまり好きじゃないんですよね」と答えると、その場の空気が凍りついた。
え、私、そんな変なこと言った?と思い、ユウコのほうを見やると、うつむいていて、表情が見えない。お母さんは、お父さんの様子をチラチラと気にしていて、当のお父さんはというと、私のことをジッと見てきている。そんな空気に耐えられなくなり、私は思わず「……やっぱり、生卵のせます」と言った。
帰り道、駅まで送るよとついてきたユウコと、公園に寄り道した。ブランコをこぎながら、「ごめんね、無理やり食べさせちゃって」と申し訳なさそうにするユウコに、私は「全然だよ! 私こそごめんね、変な空気にさせちゃって。いやーでもお母さんのカレー、おいしかったな」とできるだけ明るく接した。
ユウコはまたうつむいて、「私、お母さんの好きなものは、全然好きになれないや……」と消え入りそうな声で囁いた。お母さんの好きなもの、というのはきっと、お父さんを指すのだろう。私はそのユウコの寂しそうな横顔に、胸がギュッと締めつけられた。
それから、半年後。
ユウコのお父さんが、亡くなった。原因は、肥満による脳卒中だった。ユウコは、お母さんと地元に戻ることになり、ほどなくして転校した。ほんの数週間の出来事だっただろうか。あれだけ毎日一緒にいたのに、一瞬で私の元からいなくなってしまった、寂しがり屋で泣き虫で、どうしようもないメンヘラのユウコ。私はそんなユウコとの別れがつらくて、けれどもユウコのいない日常に慣れていかなければいけない現実があって、悲しみの渦に飲まれないために、自分を守るために、ユウコのことを忘れる努力をしたのだった。
映画を観た夜、自宅までの道のりを遠回りして歩く道すがら、公園を見つけた。ブランコをこぎながら、ユウコを想う。今、どこにいて何をしているのだろう。
───いや、そんなことはどうだっていい。あの夜、「お母さんの好きなものは、全然好きになれない」と言ったユウコに、ユウコだけが好きになれる、特別なものができていますようにと、ただただ願った。
文・撮影=松本花奈 編集=宇田川佳奈枝