未来のテレビマンへ託した裸のラヴレター──圡方宏史『さよならテレビ』
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~
人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など──
漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記。
これは、裸のラヴレター。
2018年9月、「東海テレビ60周年記念番組」として東海3県で放送された本作の噂は放送後、放送業界やメディア研究者の間に瞬く間に広がった。同番組を録画したDVDはテレビマンたちの中で密かに出回り、そのまたコピーが出回り――いわば伝説のテープになっていたという。
プロデューサー・阿武野勝彦、監督・圡方宏史。
『ホームレス理事長』や『ヤクザと憲法』で知られる、東海テレビドキュメンタリーの名タッグだ。
「お疲れ様でした。ニュースが終わったところでお時間をいただいてすみません。今、お手元にドキュメンタリーの企画書をお配りしているかと思います。テーマはテレビです。取材対象はこのテレビ局です」
東海テレビ報道部。ある日のニュース番組の放送後、社員たちにドキュメンタリーの企画書が配られた。企画書には「テレビの今(仮)」と書かれていた。企画のディレクターでもある圡方は報道部の局員たちの机の下にワイヤレスマイクを貼りつける。
「気になって仕事にならないんだけど」
「悪口も言えなくなっちゃうよ」
「一回カメラのないところで議論したほうがいいんじゃない?」
「取材するときはお互い合意の上でスタートすべきだよ」
「やめろって!」
局員からは不満の声が上がった。それもそうだろう。仕事中の姿を、四六時中カメラを回されているストレスは計り知れない。ここまで不満の声が上がると、このまま続行するわけにはいかない。肩を落としていたチームメンバーである阿武野が言った。
「撮るなって言われても使ってる場合もある。政治家とかね。取材対象になったときに、甘んじて受けるというところに立ってほしい」
2カ月の話し合いの結果、「マイクは机に置かない」「打ち合わせの撮影は許可を取る」「放送前に試写を行う」といったルールのもと、撮影は続行されることになった。本作のプロデューサーである阿武野によるとドキュメンタリーの一番いいところは期限がなく、粘り勝ちできるところだそうだ。
近年、テレビというものは力を失ってきている。テレビがお茶の間の人気者だったのは昔の話だ。それどころか、「マスゴミ」などと批判を受けることも多い。ここまでの反発を買いながらカメラを向ける、報道の使命は大きく分けて3つあるそうだ。
・事件、事故、政治、災害をいち早く知らせる
・困っている人(弱者)を助ける
・権力を監視する
だとするならば、今企画はカメラが普段政治等の権力を監視しているように、マスメディアという権力を内部から監視しようということなのだろうか。
カメラによって映し出されたテレビ局内ではさまざまな人物が悩み、そして葛藤していた。本作は東海テレビで働く主に3人の登場人物にスポットを当てて進んでいく。
ひとり目は東海テレビアナウンサーである福島智之。
夕方のニュースショー『みんなのニュースOne』のメインキャスターに抜擢された福島は、自分を出すことが苦手だった。周囲のスタッフからの印象は“慎重派”。まわりの局員たちにも、もっと福島らしさを出してほしいと言われていた。「こんなに悩んでるキャスターはいないですよね」「向いてないんですよ」と笑う。福島が自分を出すことが苦手になったのには理由があった。
東海テレビでは過去、大きな不祥事があった。
「怪しいお米セシウムさん」
聞いたことがある人も多いだろう。
2011年8月4日に東海テレビのローカルワイド番組『ぴーかんテレビ』において、「岩手県産のお米・ひとめぼれ3名プレゼント」の当選者発表画面として上記のような不適切なテロップを表示したという、いわゆる「セシウムさん騒動」だ。抗議の電話は1万5千件を超えたという。
そして、この騒動が起こった番組でアナウンサーをしていたのが福島なのだ。不祥事が起こったとき、矢面に立たされるのは番組に出演しているアナウンサーだ。何か失敗をすると「また、セシウムさん事件の福島か」と言われてしまうのだ。福島を抜擢した『みんなのニュースOne』の視聴率は振るわないまま、福島はわずか一年で降板させられてしまう。
ふたり目はZネタ(是非ネタ)を扱う契約社員の澤村慎太郎。
営業からの依頼でスポンサーの要望に応え――いわばゴマをするような企画を作っていた。澤村は、圡方に「ドキュメンタリーは現実ですか?」と尋ねる。
澤村は仕事を淡々とこなしながらジャーナリズムに熱い心を持っていた。澤村は「共謀罪」が可決されることについて強い危機感を抱いていた。政府によって「テロ等準備罪」と耳障りのいいように言い換えられているが、権力への監視の心があるならばしっかりと「共謀罪」と伝えるべきだと言う。しかし、澤村が書いた記事の「共謀罪」という文言は上司によって「テロ等準備罪」と訂正されてしまう。澤村は「直していただきました」と自嘲気味に笑う。
3人目は働き方改革の影響で制作会社から派遣されてやってきた渡邊雅之。
24歳の渡邊は他のテレビ局での実務経験はあるものの、初々しく、たどたどしく、おぼつかない仕事ぶりだ。ミスを詰められ鼻を啜っていた。
アイドルオタクである渡邊は推しに「向いている」と言われたことをきっかけにテレビ業界に憧れを抱いていた。しかし渡邊は、東海テレビとの契約をたったの1年で打ち切られてしまう。「卒業」というふんわりとした言葉で……。残業は減らせ、数字は上げろのテレビ業界で成果の出せない新人を育てるのは難しいことなのだろう。
これら3人にスポットを当て、『さよならテレビ』は進行していく。
この映画はひと言で言うとかなり「おもしろい」。それぞれの登場人物に感情移入できるし、ドラマチックでもある。しかし元フジテレビアナウンサー笠井信輔は雑誌の記事でこう語る。
「この映画は面白かった。いや、面白過ぎた。ただし、テレビは面白すぎる時、その番組はやや危ないんです」(『キネマ旬報』2020年1月上・下旬合併号より引用)
この映画にはエピローグのような部分が存在する。そして、時間にすると10分にも満たないであろうこの部分は「テレビとは? 真実とは?」という問いかけそのものであり、我々に強烈なインパクトを与える。
阿武野はのちに著書『さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ』で、「(もし放送後に東海テレビという組織が社会の批判の矢面に立たされた時は)圡方宏史ディレクターとともに会社を去ると決めていた」と述べる。『さよならテレビ』の噂は放送後、瞬く間に広がった。ネット上にはさまざまな意見が載り、新聞や週刊誌も取り上げた。大島新(『なぜ君は総理大臣になれないのか』などで知られるドキュメンタリー映画監督)がこの件について「裏ビデオのように出回っている」と称すと、阿武野は「もうちょっとお上品に“密造酒のように”と言ってほしい」とお願いしたという。
自分の話になってしまい恐縮だが、私が『さよならテレビ』の存在を知ったのは前述の噂がきっかけだった。当テレビ局員がその内部を映し、コピーのコピーまでもが出回るようなドキュメンタリーとはいったいどんなものなのだろうかと気になって仕方がなかった。テレビ番組の録画を回し見る行為はあまりいいこととは言えない。だが、映画化(2020年)以前、本作を見る方法はこれしかなく、全国のテレビ業界に勤める人たちはなんとしてでもその目に収めたかったのだろう。とあるテレビ局では内輪での上映会が行われていたと聞く。
『さよならテレビ』劇場用プログラムに掲載されている阿武野のプロダクションノート(制作ノート)にて、阿武野は「『さよならテレビ』は、我がテレビへの裸のラヴレター。それを、世間に晒しているだけなのかもしれない」と語っている。
『さよならテレビ』の上映会にて行われていた、阿武野の講演会を拝聴したことがある。そこでの阿武野は、何度かこう発言していた。
「一度裸になりましょうよ」
『さよならテレビ』はテレビ業界を裸にし、それの制作陣すらも裸になるという強く、そして強引なやり方で我々にテレビの在り方を問いかけているのかもしれない。
「自己満足と後ろ指刺されても構わない。だって、本気とはそういうものだ。退場!と言われても、私たちはステージで踊り続けるに違いない。きっと、目の前のあなたは、踊り続けてよと言ってくれる、そう信じているから…」
(『さよならテレビ』劇場用プログラムより引用)
文野 紋
(ふみの・あや)漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。
同年9月、『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で『ミューズの真髄』を連載スタート。現在絶賛発売中の単行本『ミューズの真髄』は1巻&2巻ともに重版が決定している。
監督:圡方宏史
プロデューサー:阿武野勝彦
音楽:和田貴史
音楽プロデューサー:岡田こずえ
撮影:中根芳樹
音声:枌本 昇
CG:東海タイトル・ワン
音響効果:久保田吉根
TK:河合 舞
編集:高見 順
製作・配給:東海テレビ放送
配給協力:東風
2019年|日本|109分|DCP
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