「心を動かしながら、遊ぶように働く」加藤隆生のサボり方

サボリスト〜あの人のサボり方〜

lg_c_15_t_a

クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」

今回は、さまざまな場所から謎を解いて脱出する「リアル脱出ゲーム」を生み出し、新たなエンタテインメントへと育て上げた、SCRAP代表の加藤隆生さんにお話を伺った。クリエイターと経営者、ふたつの顔をどのように行き来しながら、日々「ワクワク」を形にしているのだろうか。

加藤隆生 かとう・たかお
株式会社SCRAP代表取締役/バンド「ロボピッチャー」のギターボーカル。2004年にフリーペーパー『SCRAP』を創刊。同誌の企画として実施した「リアル脱出ゲーム」が評判を呼び、2008年、株式会社SCRAPを設立。多くのリアル脱出ゲームイベントを手がけ、その舞台は遊園地やスタジアム、海外にまで広がっている。また、新宿歌舞伎町の「東京ミステリーサーカス」をはじめ、常設店舗も全国各地に展開している。

ふとしたことから「物語の中に入る装置」を発明

──リアル脱出ゲームは、2007年にフリーペーパーの企画として行ったのが最初だそうですが、きっかけはなんだったんですか?

加藤 僕が作っていたフリーペーパー『SCRAP』の企画だったのですが、このフリーペーパーはイベントで収入を得ていたんです。フリーペーパーに広告を載せて収益を得るビジネスモデルは崩壊していたので、フリーペーパーを豪華なチラシと捉え、イベントにつなげて集客して、入場料で収益を上げていました。

ある日、「どんなイベントを作ろうか?」という会議をしていたときに、スタッフに「最近、何かおもしろいことあった?」と聞いたら、「(ネットゲームの)脱出ゲームにハマってます」って言う人がいたので、「じゃあそれイベントにしよう」と。

nazotoki-utage1回目のリアル脱出ゲーム『謎解きの宴。』

──とはいえ、謎を作るのはもちろん、脱出ゲームをリアルに再現することなども難しかったのではないでしょうか。

加藤 意外と盲点だったのが、鍵の位置ですね。脱出ゲームって、密室の中で鍵を見つけて、最後にドアをガチャっと開けて出ていくんですけど、現実には部屋の内側に鍵穴のある部屋なんてないんですよ(笑)。外から人が入ってこないようにするものだから。でも、内側から鍵を開けるのが脱出ゲームの醍醐味だから、そこにはこだわろうと、段ボールやガムテープを使って即席の鍵を作ったりしましたね。

あとは、借りていたスペースにこちらが仕掛けた謎とは関係ないものがたくさん置いてあって、みんな、それもわーっとひっくり返しちゃうんですよ。で、そこにあったマンガの中から走り書きのメモみたいなものが出てきて、「これだーー!!」って(笑)。こちらとしては、「え、何それ!?」っていう。でもそれがきっかけで、謎解き目線で世の中を見れば、不思議なことはいっぱいあると気がつけたんです。

──そういったお客さんの反応や、ご自身の手応えもあって、また開催しようという流れになっていったんですね。

加藤 そうですね。第1回を終えた夜には、「物語の中に入る装置を発明したんだ!」と感じて、謎をどんどん作りたいと思っていました。お客さんも大熱狂で、「興奮して眠れない」というメールが何十通と来て。ほかではできない体験だったので、飢餓感のようなものもすごかったと思います。

──「早く次の謎をくれ!」みたいな(笑)。

加藤 でも、大事なのは謎じゃなかったんですよ。みんなでコミュニケーションを取りながら、協力して謎と向き合う空間、その仕組みが大事で。僕らは「物語体験」と呼んでいますが、物語を感じる場所、空気があれば、人は熱狂する。それは世界共通で、シンガポールでも、ニューヨークでも、どこでやってもお客さんの熱を感じました。

誰もやっていないことを、自ら切り拓いていく感覚だった

220705s_0071

──それにしても、今ほどネットの拡散力が強くなかった時代に、どのように評判が広まっていったのでしょうか。

加藤 当時、mixiに「脱出ゲームコミュニティ」があったので、そこに「リアルでやります」と書いたら、コメントがブワーっとついたんですよね。コミュニティ参加者が6万人もいたので、そこで告知をしただけですぐにチケットが売り切れて。

それ以降は、100枚、200枚、400枚、1000枚と、倍々ゲームでチケットが売れていき、リアル脱出ゲームを思いついた日から4年後の2011年には東京ドームで『あるドームからの脱出』をやっていました。そのころにはTwitterもやっていましたが、東京ドームのときもTwitterとmixiで告知しただけで売り切れたんです。

──ゲームとして楽しんでいた世界がリアルで体験できると聞いたら、ワクワクしますよね。それで、事業として展開していくようになったと。

加藤 そうですね。さまざまな企業からイベントの依頼や謎制作の依頼が来て、もう個人では対応できなくなり、2008年にSCRAPを設立しました。でも、1回目のイベントの時点で「もうこれは遊びじゃなくなるぞ」と思っていた気がします。そこからは見えるものがすべて謎に見え、日々新しいことを思いついたし、経験を重ねるほど次の経験が作れるようになっていったんです。

だから、ターニングポイント的な大きな出来事があったというより、毎日ターニングポイントを迎えているようなイメージでした。すごいスピードで成長していて、誰もやっていないことを自ら切り拓いて先頭に立っているような感覚で。「ここでは今、自分が世界一なんだ」と興奮してましたね。

──ひとつずつイベントをこなしながら成長していくことで、東京ドームのような場所でも成立させられるスキルを身につけていったんですね。

加藤 考えてみると、東京ドームでリアル脱出ゲームをやったことは、ひとつのターニングポイントだったといえるかもしれません。小さな部屋だった会場がホール、学校、遊園地と、どんどん大きくなっていって。それが東京ドームになって、燃え尽きてしまった感覚がありました。ミュージシャンにとっての武道館のような場所ですし、名実ともに大きな場所はほかにないんじゃないかと。

そこで、「次は10人しか遊べない部屋を作ろう」と原点回帰して始めたのが、常設店舗です。アパートの一室を借りて、ルーム型のリアル脱出ゲームを展開していきました。イベントごとに会場を借りるのではなく、自分たちで店舗を運営する方向に舵を切ったんです。

「物語」が広げた、リアル脱出ゲームの世界

──イベントとしての変遷だけでなく、ゲーム自体の変化や進化などはあったのでしょうか。

加藤 コルクという会社の佐渡島庸平さんが編集者として講談社にいらっしゃったときに、マンガ『宇宙兄弟』とコラボしたんです。そのときに、「本当に脱出できてよかった」と泣けるような物語にできないかと提案されて。僕はそれまで、物語は謎解きにとってジャマだとすら思っていたんです。でも、いざ物語をつけてみると、シビアな判断をして脱出しなければならないこともあり、謎が解けた興奮とは別の感動があった。お客さんがみんな泣いていて、それを見て僕も泣いて(笑)。物語性のあるリアル脱出ゲームを作ってみませんか、というのはすごくクリティカルなアドバイスだったと思います。

それをきっかけに、うちのスタッフも急に脚本を書き出すようになって。素人が脚本なんて書けないだろうと思っていたんですけど、みんなサラサラ書いちゃうんですよ。ゲームのシステムや設定を踏まえて、その世界、空間をよりよくするための文章なら、ある意味プロよりもそのゲームを作っている本人のほうがうまく書けるんですよね。

ある刑務所からの脱出 (2)

「無実の罪で刑務所に収監され、処刑が目前に迫り脱獄に挑む」というストーリーのある『ある刑務所からの脱出』。

──やはりスタッフの方々も「リアル脱出ゲーム脳」が発達しているんですね。

加藤 当然、一緒にゲームを作ってきたスタッフたちも、僕と同じようにリアル脱出ゲームを作る力をつけていて、いつの間にか追い抜かれていました(笑)。僕はどうしても経営のほうに回らざるを得ないときもあるので、途中から「もう俺より先に行ってくれ」とゲーム作りを任せるようになっていったんです。

アイデアはパソコンの前に座っていても出てこない

220705s_0095

──ご自身が最前線でリードされていたクリエイションを、人に任せることは簡単ではなかったんじゃないかと思います。

加藤 「俺が世界一だ」と思ってやってきたので、やっぱり最初は身を引き裂かれるような思いもありました。でも、47歳になった人間が最前線に立ってクリエイティブだなんだと言っていても、しょうがないなと思ったんです。若い人たちのほうが心の動きのストレッチもきくし、絶対量も多い。だったら、任せちゃったほうがいいんですよね。

今は「どんどんやってくれ」と思うし、スタッフが結果を出せば、自分がそのゲームを作ったかのようにはしゃげる。でも、心のどこかでは「俺のおかげだな」とも思っていて(笑)。彼らがアイデアを思いつけるような場所を用意したり、方法論を作ったりしてきたと、こっそり思ってきたからなんでしょうけど。

──ゲーム作りのノウハウや知識はしっかり共有されているんですね。

加藤 僕が知っていることは、すべて会社で共有するようにしています。たとえば、謎作りのアイデアが浮かんだとき、すぐに専門家に相談して実現する方法を探ることができるのも、ひとつのアイデア力、企画力だと思うんですけど、そういったネットワークも共有していきました。

あとは、企画の作り方ですね。パソコンの前に座って考えていても、アイデアなんて思いつかないと思うんです。僕のイメージでは、「さあ、思いついて」って言われた瞬間に思いつけないともうダメ。日常的にアイデアにつながるインプットをしていれば、すぐに出てくるはずなんです。何も思いつかないのは、それまでの半年間サボっていたということ。だから、半年後にアイデアを思いつけるような努力を毎日していこうとは、みんなに話しています。

──何からインプットするかは、やはり人それぞれなんですかね?

加藤 そうですね。マンガでもいいし、山登りでもいい。日常の中にヒントは転がっているはずだから、それを意識することが大切だと思います。ただ、好きなものじゃないと心は動かないので、何かを好きになる能力が高い人は、ゲームもたくさん作れるんですよね。自分の心が動くプロセスを観察できないと、人の心の動かし方もわからないんじゃないでしょうか。

サボりもどこかで仕事とつながっている

220705s_0102

──加藤さんの「サボり」についても聞かせてください。

加藤 仕事をサボるほど忙しくないんですよ。1日5時間予定が入っていたら、「うわ、忙しいな……」と感じます。自分では、1日3~4時間で滞りなく業務をこなせる能力があるんだと思っているんですけど(笑)。それくらいの時間ですべてを処理できるようなチーム作りもしてきました。

そう言うとなんか偉そうですけどね(笑)。もちろん、空いている時間にもいろいろ話しかけられたりはするので、純粋に3~4時間しか会社にいないというわけじゃないんです。でも、それは仕事だと思ってないというか。

──遊びを仕事にしているだけに、線引きが曖昧なのでしょうか。

加藤 はい。今だったらハマってるラジオについて早く社員と話したいんですけど、そう思っている時間も仕事といえば仕事なんです。だから、スマホのソーシャルゲームにハマってダラダラプレイするようなことにも、あまり罪悪感はなくて。絶対にどこかで仕事とつながっているはずだから。

──常にスイッチをオンにした状態で遊んでいるとしたら、そういった意識もなく純粋に楽しんでいることはあるのでしょうか。

加藤 最近、やっと仕事と関係ない趣味だと思えるものができてきたんです。山登りが好きになって、社内に登山部があるので、その活動に子供と一緒に参加したりしています。あと、仕事っぽくはなりますけど、社内で発足したミステリー研究会にも参加しています。毎月みんなで課題図書を読んで、その感想戦的な飲み会をするんですよ。感想戦の1週間前からドキドキするくらい、それが楽しくて。

──ひとりで楽しむよりも、みんなで楽しむことが好きなんですね。

加藤 単純に寂しがりなんですよね。会社設立当初は、よくみんなをごはんに誘っていたんですけど、反応が悪いと「もう会社辞める! 俺がなんで会社作ったかわかるか? ひとりになりたくないからや!」って(笑)。それで、みんなパソコンを閉じてごはんに行ってくれる。そんな時代もありました。

今はそうもいかないので、ミステリーとかラジオとか登山とか、共通する話題のある人たちとランチに行ったりしているんです。人と何かを共有するのが好きなんでしょうね。仕事のことをすぐに社内で共有するのも、業務として意識しているというより、単純に自分がそういうタイプなだけなんだと思います。

lg_c_15_t_b

撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平

サボリスト〜あの人のサボり方〜