一昨年の夏の終わり。近所のジョナサンで熱海と接続した夜(ゆっきゅん)

エッセイアンソロジー「Night Piece」

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エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」
「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。

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ゆっきゅん
1995年、岡山県生まれ。青山学院大学文学研究科比較芸術学専攻修了。サントラ系アヴァンポップユニット「電影と少年CQ」のメンバー。映画やJ-POP歌姫にまつわる執筆、演技、トークなど活動の幅を広げている。2021年5月よりセルフプロデュースで「DIVA Project」を始動させ、デビュー曲「DIVA ME」を発表した。
(Twitter:@guilty_kyun/Instagram:guilty_kyun

一昨年の夏の終わり、大学時代の後輩・山藤さんとふたりで熱海に行くはずだった。

いや、当初は数日かけてあいちトリエンナーレに行くはずだったのだが、当時の私は原稿の締め切りに追われてそんな余裕はとうになくなり、日帰りで熱海に行くというプランに変更となった。

最終的には仕事が終わらなさすぎて、熱海にすら行けなくなってしまった。最悪。

結局その日は、夜にお互いの家の近くで集まることになった。ほんとごめん。リベンジ愛知もリベンジ熱海もできていない。でもそんな夜が今でも記憶の中で、どの夜とも並ばない場所でおもしろく光っている。

熱海が好きだ。東京から2時間で行けるし、海も純喫茶も温泉も五月みどりのギフトショップもある。すべてが徒歩圏内にあって、歩いているだけで地味に魅力的な建築がいくつも見つかる。自分にとって手軽な旅行といえば熱海で、年に2回くらいフラッと行っている。

あの海辺で眺める景色を思い浮かべてほしい。右見て。そこにファミレス、ジョナサンがありますね。私が好きな山戸結希監督のデビュー作『あの娘が海辺で踊ってる』の冒頭で使われたロケ地だわ……っていつも思うんだけど、熱海旅行でわざわざファミレスに行かないんだよね。

せいぜい写真を撮って満足。今まで熱海でジョナサンに入店しようとしたことはなかったし、住民にでもならない限り、あのジョナサンでドリンクバーを頼む日は来ないと思う。

だから熱海にすら行けなくなった(100%私が悪い)我々は旅行予定日の夜、熱海にいるつもりで都内のジョナサンに行くことにした。

イマジネーションは知識よりもっと大切なこと。せめてジョナサンに行くことで熱海に接続したかったのだ。

「熱海のジョナサンにはがんばっても行けないから、今日ここに来られて逆にうれしいよね……」って言ったけど、もはや何がどう逆だったのかわからないよ。

この店に来たのは全然初めてではないのに、旅行のような少し浮ついた夏らしい気持ちで私はマルゲリータを食べた。山藤さんは「なんかすっごい普通」と評価しながら冷麺を食べて、その後ノリノリで頼んだメロンのサンデーでお腹いっぱいになって後悔していた。

大丈夫、楽しい会話をしていればすぐに消化されるから。とりあえず私がいっぱいしゃべるから。

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山藤さんは大学のゼミの1個下の後輩。ずっと仲よくなれるだろうなと思っていて、大学を卒業したころから仲よくなった。

まあまあ家が近かったので、決死の片づけの際には時々家に来てもらって、「そこのマンガでも読んでてください」とお願いした。一緒に片づけをするというよりは、私が片づけをやめないように見張ってもらうイベントだった。

散らかった部屋というのは大なり小なりすぐに物が落ちるものだ。私は当然その程度の出来事で心が折れてしまうのだが、山藤さんがいれば「ねえ、物が落ちたよ……」に「物が落ちましたね」という返事があった。この人がいてくれてマジでよかったと思った。

散らかりまくった部屋を何度も見られているのだから、何も恥ずかしいことがなかった。ゆっきゅんさんのいつでも過剰な自意識の緊張感も、山藤さんの前ではとろけたアイスのようになっているんだなあと、お腹いっぱいで中断されたメロンのサンデーを前にして気づくのだった。

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熱海接続ジョナサントリップを終えて、その付近を散歩した。山藤さんは街の遊歩道や公園の遊具の唯一性と逸脱を指摘して笑っていた。

そっか、たしかに。上京してからずっと同じ部屋に住んでいる自分にとって、この街はどうしてもゼロ地点だった。駅も、ビルも、公園も、道も、東京の基準はこの街だった。

私は基本的に家に人を招かない、つまり家の近くで他人と過ごすことがほとんどなかったから、このとき初めて客観的な視点が導入されたのだった。

「もしかしてこの街、変かも……?」という疑惑はたしかにあったけど、アイドルですからTwitterに載せるわけにもいかなかった。自分の住んでいる街がかなり特異ってことに5年半かかってやっと気づいて、そしたらあれもこれも奇妙に見えてきて、知覚が生まれ直したみたいだった。

何もかもがおかしくて、気がつけば深夜だった。そろそろ帰ろっかと、キリのいい場所まで坂を登ってついて行く。山藤さんは自転車を漕いでいる。うしろにも前にも、自分たち以外の人はいなかった。

すると、なんか無視できないレベルの雨が降ってきて、傘を持っているわけがない私は「これ、ひとりだったらマジ最悪」と繰り返し言った。

坂を登りきって、閉店している店の狭い屋根の下で雨宿りをした。来た道を振り返ると遠くにはいくつかの東京らしいビルが見えた。私は一遍の詩を思い出して検索し、自分のiPhoneを見せて「今かなりこれだわ……」と手渡した。

とうきょうのまちでは赤色がつらなるだけの夜景が見られるそうです。まだ見ていないなら夜更かしをして、オフィスの多い港区とかに行ってみてください。赤い夜景、それは故郷では見られないもの。それを目に焼き付けること、それが、きみがもしかしたら東京に、引っ越してきた理由なのかもしれない。
──最果タヒ『きみはかわいい』より引用

山藤さんが真剣に心で言葉を読んでいる。ロマンチック。かなりいい時間。

でも私は、雨宿りをしている店がパティスリーであることに気づいてしまった。急にめちゃくちゃときめいて、山藤さんがその長い詩を読み終わる前に「待って。パティスリーだよ」「ねえ、こんなところにパティスリーあんの」「ねえ!! パティスリーだって!!!!」「このパティスリー今度行こうよ、パティスリーだよ」と大声で語りかけるパティスリー・ハイに突入した。あの夜の私は突然のパティスリー発見に抗えなかった。

パティスリーに大はしゃぎする私を見て、山藤さんも詩のことは忘れて、とにかく目の前の光景に笑いが止まらなくなって、結果、泣いていた。

雨が少し弱まるまでずっと笑った。パティスリーの前で、笑ったままの山藤さんを笑ったまま見送った。目に見えているものと目に見えていないもの、全部がきれいだった。

そのまま2年間、私たちはパティスリーに行くことはなかったし、熱海にも行けていない。

山藤さんは引っ越しちゃったし、私は全然寂しい。最近全然会ってないなー、別にいいけど。別にいいけど。別にいいけど、いつかふたりで熱海に行くことがあったら、どっかでパフェを食べて、東京のパティスリーを想像してみたいなって思ってる。忘れられない夜になると思う。

文・撮影=ゆっきゅん 編集=高橋千里

この記事は6月末に執筆されたものです。
熱海市では、7月3日に大規模な土石流が発生しました。この災害により亡くなられた方々、被害を受けられた皆様に対して、心よりお悔やみとお見舞い申し上げます。皆様の安全と被災地の一日も早い復旧、復興をお祈りいたします。

エッセイアンソロジー「Night Piece」