契約書が存在しない世界で生き抜く──広江礼威『BLACK LAGOON』

生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」

lg_y_7_t

【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」
仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。

 広江礼威『BLACK LAGOON』は、東南アジアへ出張中に運び屋集団に拉致されたサラリーマン・岡島緑郎が、裏社会の組織で生き抜いていくクライム・アクション作品だ。一見突拍子もない舞台設定の作品だが、フリーランスとして働くビジネスマンにとっては意外に学べる点が多い。

 さすがにビジネスの場で突然ぶん殴られたり銃で撃たれたりすることはないが、フリーランスは契約書がない状態で仕事をせざるを得ない場面も多く、そのぶん不条理なトラブルに巻き込まれることもある。あくまで個人レベルではあるが、明文化されたルールのない世界で生き抜くためのヒントがこの作品の中に隠されていると感じた。

 国内大手の商社・旭日重工の社員として順調なキャリアを歩んでいた緑郎は、会社と裏取引を行っていた運び屋組織との間のトラブルに巻き込まれ、人質として誘拐される。会社の面子を守るために上層部から切り捨てられ、緑郎は犯罪集団であるラグーン商会に合流し、行動をともにすることになる。それまでの平穏なサラリーマン生活から一転し、非合法な商売も暴力も銃撃戦も日常茶飯事の世界へ──。あまりにダイナミックな“転職”によって、緑郎はそれまでのサラリーマンとしての常識が一切通用しない組織に身を置くことになる。

 当たり前だが命の危険もなく、働いていれば給料をもらえる会社員時代に比べ、一歩間違えれば命も簡単に吹き飛んでしまう運び屋稼業はあまりにリスクが大きい。それでも緑郎は、今までの人生を捨て、そこでゼロから新しい人生をスタートする覚悟を決める。そしてラグーン商会のボス・ダッチ、銃撃の名手の女性・レヴィらの手荒い“教育”によって、緑郎も徐々に新たな環境に適応し、悪党としての才覚を表していく。

「いいことを教えてやるよ。悪党にも理(ことわり)ってのはあるんだぜ」
(『BLACK LAGOON』1巻より)

 無秩序のようにも思えるラグーン商会にも、「仁義を通す」「互いを深く詮索しない」といった暗黙のルールは存在する。仁義にもとる行動を取ったり、不義理な交渉を持ちかけられた相手には容赦なく反撃する。裏社会には明文化された契約書やルールがないからこそ、そうした互いへの気遣いや微妙なバランスによって商売が成り立っているのだ。そして、だからこそ同じ境遇の仲間に手を差し伸べたり、時には金銭のやりとりを度外視した人との交流が生まれることもある。

もちろん仁義も大事、しかし……

 なんの戦闘スキルも持たない緑郎の武器は、サラリーマン時代に培った「交渉術」と「計画力」である。暴力が苦手な彼は悪党相手に巧みな駆け引きを仕掛け、時にはセオリーを無視した無謀にも思える作戦で難所を突破する度胸によって、ラグーン商会の中で居場所を築いていく。ほかのメンバーに比べて圧倒的に戦闘スキルで劣る彼は、自身の武器である頭脳を最大限に使って、デタラメな世界で荒くれ者たちと互角に渡り合う。

 彼のボスであるダッチもたびたび「よく頭を使え」と語るように、無秩序な世界だからこそ、逆に仁義さえ通していればなんでも金を稼ぐための武器になるのだ。どんどん悪党に染まっていくことへの葛藤も作中ではもちろん描かれるのだが、大手企業のサラリーマンという盾を失った緑郎が、己の体ひとつで不条理な世界で奮闘する様はなかなか痛快である。

 コロナ禍によってようやくフリーランスへの補助の不足や環境の悪さも可視化されるようになったが、まだまだ環境整備は進んでいない。挙句の果てにはインボイス制度の導入によってますますジリ貧に……といった未来も予測されている。そんな状況で、利口に従順に仕事をしていくのはバカらしいと一端のフリーランスである私自身も感じている。私はこれまで一度も契約書を交わしたことがない。だから不利な交渉を受けたら納得するまで話をする。仁義さえ守っていればいいのだ。そうしているうちに、たまに同じ敵と戦う仲間と会えることもある。それはそれで楽しい。雇用関係も契約書も存在しない、なんでもありのオープンワールドで生き抜くためには、頭を使って、自身のスキルを最大限に使って、しぶとく戦うしかないのだ。

 そして、ここまで書いておいて……とは思うが、明文化された契約やルールはどの世界にも当然あったほうがいい。私は別に非合法な運び屋ではなく合法なライターなのだから、契約書を交わして仕事をする世界のほうが断然働きやすいに決まっている。もちろん仁義も大事だが、仕事をする上で仁義しか頼るものがないのはさすがに困る。

文=山本大樹 編集=田島太陽

山本大樹
編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitterはてなブログ

 

生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」