父と初めての共同作業。「親子」から「戦友」になった夜(遠藤舞)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」
「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。
遠藤 舞(えんどう・まい)
2006年よりフジテレビ系アイドル「アイドリング!!!」として活動。2013年よりエイベックスからソロシンガーとしてデビュー。2017年に芸能界を引退。現在はボイストレーナーとして50組以上のアイドルグループ、歌手に歌唱指導を行う。初の著書『若いカワイイからの卒業』(リットーミュージック)も発売中。
「おつかれさま」
あの夜ほど、心の底から労いの言葉が出たことはない。
感情があまりにも重みを含んで口から出る音声に乗ると、もはや意図的に発したというよりは、呼吸に伴ってつい漏れ出してしまうというか、ため息とかそういった類に近いものになるみたいだ。
「おつかれさま」という言葉は、投げかけた対象だけに作用するわけではない。
発した自分も相手と同じくらい、どっと疲れていると、やまびこのように反響して自分自身にも染み入る。
まして、それが相手との共同作業を終えた直後であればなおさらであろう。
この日、私は父親と、とある共同作業をしていた。
「お父さんとコラボレーションしちゃえば?」
私は24歳のころからソロシンガーとして活動していて、リリースするシングルCDのカップリングには必ずカバー曲を収録していた。
2014年に3枚目のシングルを出すことになり、どんな曲をカバーするかずっと思い悩んでいた。
この時期は私にとって歌手活動を行う上での過渡期で、ストーリー性と想い入れのある曲を歌いたいという希望があったのだ。
選曲に難航するなか、ちょうど同時期に、昔お世話になっていた音楽関係者の方とご飯を食べながら、ほんの雑談というかたちで自分の父親の話をする機会があった。
父子家庭で私を育ててくれた父。現在は引退してしまっているが、父はピアノの調律師であった。ピアノの講師もしていたため、そこそこ弾くこともできる。
私の音楽のルーツは、父親の影響をかなり受けている。
基本的に家で流れている曲はほとんどクラシックだったのだが、唯一家で聴くことができたJ-POPが、尾崎豊の楽曲であった。
父は尾崎豊の大ファンで、彼の歌声や才能に心底惚れ込んでいるようだった。
そんなような話をしていたら、その音楽関係者の方がごく軽いノリでふと言った。
「お父さんと、尾崎豊の曲でコラボレーションしちゃえば?」
ちょっとした雑談から生まれたアイデアだったが、いわゆる“降りてきた”ような感覚に陥った。
父子家庭でひとり娘を育ててくれた50歳過ぎの父親に、「初めてのCDデビュー」をプレゼントするという企画。
そうと決まったらあとは早くて、レコード会社の方、マネージャーに先ほどの企画の話をしてみた。
みんな口をそろえて
「いいねぇ。想いが込めやすいし、キャッチーだよね」と賛同してくれた。
実際にカバーする楽曲は、もちろん尾崎豊の曲。「Forget-me-not」に決めた。
父が一番好きな曲だ。
父がピアノを弾いて、娘が歌う。
ピアノ譜は一から私がアレンジをして、譜面を書き上げた。
父はピアノ講師を引退してしばらく経っており、指も昔よりは動かなくなっていたようだが、「難しい、難しい」と文句を言いながらも一生懸命練習してくれた。
止まったピアノ、12時間のレコーディング
そして迎えたレコーディング当日。
ふたりそろってタクシーで飯倉のスタジオに向かう。
大人になるとなかなか父娘ふたりきりで出かける機会もなくなってしまうため、懐かしさと新鮮味の両方があった。
タクシーのシートの隣を見ると、いつもよりそわそわと落ち着きのない父親の姿があり、なんだかおかしかった。
スタジオに到着して、私が普段仕事を共にしているディレクターの方と、挨拶がてら軽く雑談からスタート。
私自身は、仕事と家庭がごっちゃになったような不思議な感覚で、ディレクターさんと父の話を横で聞いていた。
ディレクターさんは私と付き合いが長く、とてもムード作りが上手なので、父の緊張も次第にほぐれていったようであった。
父にとってレコーディングというもの自体が初めてだったので、見たこともないような大きなスピーカーや無機質に佇む機材を興味深く観察していた。
おびただしい数のボタンやつまみが並んだメインのミキサー卓をじっくりと眺め、
「これってどのボタンがどの役割か全部わかるんですか?」
とエンジニアさんに質問したり、目を輝かせたりと、まるで少年のような父親を見てほほ笑ましく思った。
環境に慣れてきたところで、いよいよレコーディングブースに入る。
臨場感や、親子が息を合わせている感じを録りたいということで、ピアノと歌を同時に録音しようということになった。
昨今流行りの「一発録り」というものに近い。
「失敗しても、何度でも録り直せるから気楽にいきましょうね」とレコーディングディレクターさんはおっしゃってくれたが、
「では、回しますね〜」(※「録りますね」の意味)
のひと声で、ブース内に一気に緊張が走ったのがわかった。
父の弾くピアノの音が私のヘッドホンから流れてきた。
まずはイントロ。
あれ。止まった。
「大丈夫ですよ、お父さん! 何度でもできますから、テイク2いきましょ」
父にかけるディレクターさんの声は、ヘッドホンを通じて私にも聞こえる。
すぐにテイク2を弾き始める。
うん。また止まった。
「ちょっといいですか?」
と父。
「やっぱり難しいです」
そりゃそうだ。
普段からピアノを弾いているならまだしも、久しぶりの演奏。
ヘッドホンをつけて弾くことも違和感でしかないだろうし、何よりたくさんのスタッフや実の娘が、自分の紡ぐ音に全神経を集中させている。
緊張しないわけがない。
あとで編集がしやすいように、一定のリズムを刻む「クリック」という音(メトロノームみたいなもの)をヘッドホンから流し、テンポが崩れないように弾かねばならない。
クラシック畑出身の父からしたら、何もかもが初めてで難しく、プチパニックだっただろう。
“いい音楽を録りたい”
それが、その現場にいる人間すべての希望だった。
そのために、父が気持ちよく演奏ができるように、レコーディング体制を整えようということになった。
ピアノと歌は別録り(ピアノが完成したらそれに乗せて、あとから私が歌を歌う)。
クリックもオフでテンポが乱れてもよし。
「録る」と言うと構えてしまい失敗するので、もう自由に練習だと思って弾いてもらって、気づいたら録れていた!方式にする。
最終的に、この案でまとまった。
たまに私が話しかけに行ったり、どうやって弾くべきかアイデアを出し合ったりもした。
みんなでサポートをしたが、やはり不慣れな環境の中てんやわんやでなんやかんやあり、結果的にピアノの収録はなんと12時間にも及んだ。
父は終始「失敗してしまって申し訳ない」と悔しがっていたが、娘の私はそんな父の姿を見て「こんなに集中力が長時間つづくんだなぁ」と思ったし、父の指もだんだんと動くようになって、それを誇らしげに感じた。
身内ながら、本当によくがんばってくれたと心から感謝した。
深夜3時の「おつかれさま」
深夜1時を回ったころにピアノを録り終え、その後1時間で歌の収録をして、レコーディングは終わった。
親子ともどもクッタクタにはなっていたが、まだ多少の緊張感や高揚感が残っており、タクシーの中でその日のことを振り返りながら帰った。
家に着いたのは深夜3時。玄関を開けると急激に疲れが襲ってきた。それは父も同じだったようで、ほぼふたり同時に同じ言葉が漏れた。
「おつかれさま」
父の声には、疲労とともに笑みもこもっていた。
「親子」という関係から、共同作業を経て「戦友」のようになれた。
そんな忘れられない、夜の話。
文・撮影=遠藤 舞 編集=高橋千里