祖母のために買い続けていたパンとお惣菜。“移動式祖母の家”になった夜(瀬戸璃子)

エッセイアンソロジー「Night Piece」

lg_n_49_t

エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」
「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。

瀬戸璃子宣材写真

瀬戸璃子(せと・りこ)
2001年6月10日生まれ、24歳。食べることをこよなく愛する俳優、モデル。2023年にボックスコーポレーションに所属。モデルでは「ピンクハウス」や「シープ」のビジュアルを担当、映画『ボウル ミーツ ガール』で主演を務め、MOOSIC LAB 2025にてベストアクター賞、第19回札幌国際短編映画祭にて最優秀国内作品賞を受賞。2025年8月は舞台『七つ数えて』(新宿シアタートップス)に立ち、2026年2月公開の映画『結局珈琲』に須藤役として出演。MOOSIC LAB 2026には『結局珈琲』に加えて、主演・矢吹ことり役を務めた“しどろもどり”最新作『床一面こんな感じ』と、主演・田中揚羽役を務めたマツモトタクロウ監督作品『ペキ・ペキ・ペキ』の3作品が上映される。
Instagram:@umauma_bot

駅から家に帰る途中に祖母の家があった。ひとり暮らしで心配だからというのもあったけど、高校や大学からの帰りに夜ご飯を2回食べたい日や甘やかされたい日、お小遣いが欲しい日に寄っていた。

いつも突然行くから「これしかないわよ」と言って、パスタを茹でてくれたり「Tさんに教えてもらったピンチ料理のワンタン麺よ」(すぐできる料理を祖母はピンチ料理と呼んでいた)と私に提供してくれていた。

お買い物好きでおしゃれ好き、お出かけ好きな祖母に、自由が丘や近所にあるあらゆる百貨店、博品館とかによく連れて行ってもらっていた。

歩いていてちょっと左のほうのコンビニとかお店を見てると、「何が欲しいの? 早く買いなさい!」という感じの買ってあげたい症候群の人だった。大して欲しいものがなくてもかなりしつこく聞いてくるから、とりあえずメントスグレープを買ってもらったりしていた。

夜の写真①

気づくと祖母は歳を取って、脳梗塞を2回か3回、骨盤の骨を1回折っていてひとりで暮らせなくなる、歩けなくなると言われた。

入院した祖母を父が見舞いに行くと、看護師さんに見守られながらひとりで歩いて父に向かって手を振ったそうで父が「宇宙人かと思った」と言っていた。そのくらい自分が歩けなくなるなんて夢にも思っていないタイプの人だった。信じることってすごいな。

とはいえ、いろんな病気とケガを経てひとりで暮らせても、ひとりでは出歩けない身体になっていた。

お出かけ好きでグルメで世話焼きな祖母にとって、出かけられないのは相当なストレスがかかっているように見えた。だからなるべく合間を縫って、週に3回くらいおいしいパン屋さんのパンとかお惣菜とかを届けて、月に1回は近所の歯医者さんに散歩がてら引っ張り出すお出かけをしていた。

大学生で遊びたい盛りだった私にとっては、「歩けなくなって本当に不自由、つまらない。早く祖父のところに行きたい」と話す祖母との時間は退屈で、私も時間を割いて来てあげているのにそんなふうにつまらないとか、早く行きたいとか言うなよとイライラした。

夜の写真②

ある日、「パンを届けに今から行くね。家いる?」と連絡をしたら返ってこず、私にも都合があるのにどうして今家にいるのか教えてくれないのかとイライラして、ものすごくイライラしながら祖母用のパンを5つ見繕った(不定期でおじいちゃんおばあちゃん介護の会みたいなやつに車で連れて行ってもらう日があった)。

パン屋さんで大学の課題をしながら、お茶をして連絡を待った。そのあと連絡も返ってこないし、だいぶ外も暗くなっていたのでいよいよプンスカしながら(頼まれてもないのに勝手に届けてるのにプンスカするのも変な話だが)祖母の家をピンポンした。

何回ピンポンしても出てくれなくてLINEも返信くれなくて、祖母の身に何か起こったんじゃないかとやっと気づいた。実家に連絡して祖母宅の鍵を母と妹が持ってきて、「おばあちゃんいる? 開けるからね?」と叫びながら開けたら、祖母が倒れていた。

看護師のたまごの妹が心臓マッサージをして、私が救急車を呼び、母が祖母に声をかけていた。

あれよあれよといううちに病院にいて、死んだと告げられ、兄やいとこ一家が来たりして、最後に父が来た。母の配慮で父には直接安否を伝える連絡はせず、父が来た瞬間どんなリアクションをするだろうと考えながら過ごしていた。母親が死ぬってどんな感じなんだろうなとか妄想していた。泣くかな?とか。

父が来て、見たことないカエルみたいな笑っているのか緊張しているのかわからない顔をして開口一番「しんだ?」と言った。父らしいなと思った。気が抜けてみんな笑った。

自宅で亡くなったから一応検死したりなんだりで気がついたら4時になっていた。ほぼ朝。祖母に買った5つのパン類を見ていられなくて、祖母を思いながら家族みんなが寝た家で、ひとりでパンをバクバク食べた。5つ全部バクバク食べて、悲しいとかもよくわからずに疲れたなと思って眠った。

夜の写真③

死んだあとも火葬されるまでは毎日祖母に会いに行ったりして、火葬されるときもいまいち実感が湧かなかった。葬式やもろもろを済ませて、家を売ることになった。

なんとなく家にあいさつするかと思って、友達と遊んだ帰りに祖母宅を訪れた。たぶん25時とかだったと思う。

祖母の家に入って、リビングに着いて、三つ指ついて「ありがとうございました」って口に出した瞬間、やっと祖母がいなくなった、いなくなるって気がついて涙が止まらなくなった。泥だらけになって遊びに来ちゃった小さい私たちの思い出から、お泊まりしたときに「マッシュ(マッシュポテト)にする?」と毎回確認してきたことや、キレートレモンが好きと言ったらいつ行っても6瓶セットで置いてあったこと。反抗期の私のシェルターになってくれた思い出や、祖父に買ってもらったというアクセサリーたちを毎度お決まりのエピソードつきで100回くらい見せてきたことや、晩年愚痴ばかり言って、気づけばキレートレモンも買えなくなっていた祖母から、歩けなくなっても私をもてなそうとしきりにお寿司を取ろうとした祖母、何から何まで急に思い出してしまって。

プンスカしながら勝手に届けて祖母を助けているつもりだったけど、救われていたのは私だったと気がついた。身体の悪くなった祖母のエンタメ枠として訪れていたつもりだったのに、あの時間に私はこの家で無意識に甘え散らかしていたのだと実感した。

なんかよくわからないけど、申し訳ないとか恥ずかしいとかもう甘えられないとか話せないとか後悔とか感謝とかごちゃごちゃになった。

思い出は場所に宿るんだって改めて気がついて、その場所が売りに出されるってことは祖母がいなくなるってことで、悲しかった。夜も遅いしここで泊まって帰ろうかと思ったけど、祖母死んだ場所だしいないし(思い出は場所に宿るんじゃないのかよ)、怖いし素直に帰宅した。家までがものすごく長く感じた。歩いても歩いてもたどり着かないし、着きたくなかった。でも、すぐ着いた。

あれから2年以上経った。相手のためって思ったことはだいたい自分のためになってるっぽいから、いい意味でなんも考えずに気負わず素直に生きられるようになった気がする。祖母がいなくなって甘える場所がなくなったぶん、帳尻合わせるように生きやすくなった。

今、お墓よりも私に祖母が宿ってる気がする。私が“移動式祖母の家”になった夜だった。

夜の写真④

文・写真=瀬戸璃子 編集=宇田川佳奈枝

エッセイアンソロジー「Night Piece」