「自分と向き合い、自分を知って上手に付き合う」山中瑶子のサボり方

サボリスト〜あの人のサボり方〜

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クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」

2024年に公開された監督作『ナミビアの砂漠』が、カンヌ国際映画祭で「国際映画批評家連盟賞」を受賞するなどして大きな注目を集めた山中瑶子さん。自身を「サボりやすい」と語る山中監督に、創作の過程やそのサボり方について聞いた。

山中瑶子(やまなか・ようこ)
映画監督。日本大学芸術学部映画学科中退。初監督作『あみこ』が、PFFアワード2017で観客賞を受賞し、ベルリン国際映画祭に史上最年少で招待され、ほか多数の海外映画祭に出品された。2024年に公開された河合優実主演の『ナミビアの砂漠』は、カンヌ国際映画祭の監督週間で「国際映画批評家連盟賞」を受賞した。

映画マニアになっていく自分に危機感を覚えて撮った初監督作

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──まずは、改めて映画監督を目指したきっかけから教えてください。

山中 高2の進路調査表が配られた時期に映画にハマっていたことからですね。子供のころから、会社勤めは無理だろうからものを作る分野に行きたいと思っていましたが、ずっと絵画教室で絵を習いながら漫画家やデザイナーに憧れてみたり、建築もいいなと思ったり、興味の移り変わりが激しくて。そんななか突然映画に出会いましたが、高校のまわりに映画館が4つある環境だったのも大きかったと思います。

──映画にハマっても、監督になれるとまではなかなか思えないような気もします。

山中 昔の海外の大作とかを観ても「人間が作ってるな」という感覚にはなれなかったんですけど、アート系の作品や、ミニマルなフランス映画、2000年代の邦画などを観ていくうちに、作り手が見える気がしてきたんです。カメラの向こうに人がいて、なにやら思想があるようだぞ、と。それに気づいてから、自分でもやりたいし、できるかもしれないと思うようになりました。

──でも、映画学科に進学後、ドロップアウトしてしまったそうですね。

山中 とにかく朝、起きることができないんです。小学校のころからずっとそうで、大学でひとり暮らしを始めたら、まったく行けなくなりました……(笑)。最初のほうになんとか通っていたときにできた友達に協力してもらって、自主映画の『あみこ』を作ったんです。今なら授業の大切さもわかるのでちゃんと受けておけばよかったと思うんですけど、当時は1年生はひたすら座学というカリキュラムが耐えられなかったんですよね。

──『あみこ』を作ったということは、映画を撮りたいという気持ちは変わらずあったわけですね。

山中 そうです。学校に行かなくなってからも映画はめちゃくちゃ観ていました。でも、どんどんイヤな映画ファンみたいになっていくんですよ。批評ともいえない批判ばかりが鋭くなっていって、このままだと自分に対するハードルが上がりすぎて首を絞めることになるなと気づいて。それで、ぴあフィルムフェスティバル(PFF)を目標に脚本を書き始めたんです。

──結果はどうだったんですか?

山中 観客賞はもらえましたが、審査員からの賞は特にもらえず。入選作はウェルメイドな作品が多くて、自分の下手さに気づいて恥ずかしくなりましたね。技術的なものはあとからついてくるだろうから、大人たちが見ているのはそこじゃないと頭ではわかっていても、もっとスクリーンで観るべきものを作らなきゃなと思って。それで、けっこう気が引きしまったというか、もうちょっとがんばろうと思うようになりました。

──映画を作ることへの迷いはなかったんですね。

山中 なかったですね。『あみこ』がベルリン映画祭に招待されたのも大きくて。小さい内輪の作品と見られても仕方ないと思っていたのが、意外とそれだけじゃない部分もあるのかなと。それが自信につながったんでしょうね。

我慢して人に合わせなくていいと気づいたら、映画作りが変わった

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──映画は人と一緒に作り上げていく以上、結局社会性を求められるんじゃないかと思います。そのあたりの折り合いはつけられたのでしょうか。

山中 『ナミビアの砂漠』までは、まさにその向いてなさを感じていました。やっぱり、監督の振る舞いって正解がないので。どうしたら人に気持ちよく仕事をしてもらえるか、どうしたら思うようなパフォーマンスをしてもらえるか。それって人からは教えてもらえないんですよね。

その結果、自分の性に合わないような振る舞い方もしていました。最初は年齢も若く信頼されていないので、簡単にいうとナメられてしまう。そこでどうすれば自分のやりたいことを相手に具現化してもらえるか考えるほど、居心地の悪い振る舞いをして、居心地の悪い空気になっていく。それがキツかったですね。

──それは経験を積むことでしか、乗り越えられないんですかね。

山中 場数を踏んで体得していくしかないですね。でも、頭で考えてもしょうがないから、難しいことは考えないようにしようとしたんですけど、コロナ禍になって本当に無理かもしれないと思ってしまって。一切現場の仕事はやらずに自分と密に向き合ったことで、「(監督を)辞めたいかも」と思うようになっていたんですね。ただ、そのあとに少し年上の女性プロデューサーからドラマのお仕事をいただいたんです。

その方は、まわりにどう思われようとまっすぐなところがあって。その姿を見ていたら「これでいいんだ」と勇気づけられて、自分が我慢して人に迎合するがんばり方は、ちょっと違うんじゃないかと気がつきました。それからは、自分でスタッフィングするなど、自分を軸に人と関わるように変えていき、ストレスも少なくなりました。結局、自分が我慢していると場の空気もよくならなくて、みんな楽しめないんですよね。

──そういった自分なりの仕事の仕方が見えてきたところで、『ナミビアの砂漠』の企画が動き出したのでしょうか。

山中 そうですね。最初は別の原作小説を河合優実さんで撮る企画が進んでいたのですが、自分と向き合った期間があったことで、私ではこの原作をまっとうできないんじゃないかと思い、「降りたい」とプロデューサーに伝えたんです。そうしたら、「オリジナルならどうですか?」とご提案いただき、『ナミビアの砂漠』になっていくという。

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──では、河合さんの出演だけが決まっていて、あとはゼロだった。

山中 そうなんです。アイデアも何もないので、当て書きをする前提で、「インスピレーションを得たいです」と、脚本を書く前に河合さんと何度かお話しました。

──その結果でき上がった主人公のカナは、河合さんとはまた違ったキャラクターなのではないかと思いました。

山中 実際の河合さんはカナとはほど遠い方だと思うんですけど、カナのことはよく理解できると言っていました。私も私でよくわかるというか、カナみたいな現代の子の精神性は、自分の中にもあると思うんです。物質量も情報量もあふれていて、たくさんの選択肢と可能性を提示され続けているのに、だからこそ自分の欲望がどこにあるのかわからない感じ。それに、ネットで簡単に答えにたどり着けてしまうという気にさせられてしまいがちで、何も楽しめず不全感だけがあるというか。東京特有の特殊さだと思うんですけど。

──東京で生きていると、特にそうした空気にさらされやすい。

山中 絶対そうですね。情報量の多さは世界でもトップじゃないですか。どんな大都会に行っても、こんなに「これをしたほうがいい」「あれを買ったほうがいい」と社会から要請されないと思います。「でも、本当に自分がしたいことや自分がいらないものを明確にわかっている人って、どれくらいいるんだろう?」といったことなどを考えながら作りました。

──では、カナというキャラクターには、今の若い世代のいろんな要素が入っているんですね。

山中 そうですね。あと、私は映画を作るときに、ある特定のひとりを思い浮かべて、「この人が気に入ってくれたらそれでいい」というふうに思っていて。昔からSNSで知らない人を一方的にウォッチしてるんですけど、その中のひとりにカナっぽい感じの子がいて、『ナミビアの砂漠』はその子が観てくれたら大成功だと思っていました。カナについて考えるときも、その子がどう思うかを指標にしていて。

──漠然とした「お客さん」ではなく、まずはひとりの人に届けばいいと。

山中 お客さんといってもみんなバラバラなので、ひとりの人をイメージして考えることは多いですね。そうやって具体的なひとりの人について考えることで、結局全体のうちの数パーセントに届くんじゃないかと信じてやっています。カナの場合は、直感が鋭くて勘はいいのに、言語にするのが苦手だから人に当たっちゃう。そんなカナみたいな子たちにも届けたいし、そういう子たちを生き生きと描けたらいいなと思っていました。

突飛なアイデアほど、スタッフの意見を採り入れている

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──『ナミビアの砂漠』について、ほかに制作中に意識していたことはありますか?

山中 どこに向かっていくのかわからない映画にしたいなと考えていました。他者って何を考えているのかが徹底的にわからない存在だと思うんですよ。観ている人が、カナのことをそう思えるといいなと。結果的に共感してくれる人もいて、それはそれでいいんですけど、作り手としては「どうしてそうなっちゃうの!?」というハラハラドキドキ感は意識していました。

──たしかに、観ている側としてもカナがどういう行動をして、映画がどこに向かうのかわからないため、ずっと緊張感のようなものがあった気がします。

山中 そういった意味でのエンタメ性やサスペンス性もあると思っていて。トーンとしてはドライなところもありますが、意外とサービス精神旺盛にやってるつもりなんですよね。カナが階段から落ちたり、緊張感のある音が入っていたり。

──音楽はかなり不穏さがありました。

山中 世界とか社会って冷静に考えると怖すぎるというか、なぜ世の中が回っているのかよくわからないじゃないですか。回っていないとも言えるし。そういった世界の不思議みたいなものは意識していました。音楽の渡邊琢磨さんとも「『この世は不思議だね』っていうことを意識しよう」と話していて、最後のクレジットでは動物が砂漠の水場に集まっている実際の音に合わせて、琢磨さんが作った世界の終わりと始まりみたいな電子音楽も入っているんです。

──効果的なスタッフワークとしては、カナの脳内のような描写や、部屋のレイアウトが反転する場面など、劇中の印象的なシーンは、スタッフのアイデアを採り入れたものだそうですね。

山中 あとは、「キャンプだホイ」を歌うシーンもスタッフのアイデアですね。後半になって監督の「やってやったぞ!」感が押し寄せてくると言われたこともありますが、全部私のアイデアじゃない(笑)。自分の中に取り込んで出しているので、私のものでもあるんですけど。ただ、そういった一見突飛なアイデアがスタッフから出てくるのは、すごくいいことだと思うんです。そういう提案をしてもらいたかったし、それが気兼ねなく言える環境がいいと思っていたので。

──作家性の強い作品という印象がありましたが、オープンな現場で意見を交わしながら作っていったんですね。

山中 そうですね。部屋を反転させるのはどうかというアイデアがカメラマンから出たときは、最初「なんで!?」って思いましたけど、一度持ち帰ったんです。理由を聞いてもなんかおもしろい、以上のことはわからなかったんですが、彼がとっさにそう思ったこと自体が大事だから、理屈はあとづけでいいからとりあえずやってみようとなって。もちろん、ちょっと違うなと思ったアイデアは反映しないんですけど、部屋の反転は結果としてだいぶしっくりきていますね。

──撮影しながらさまざまなアイデアを取り入れていくのは、ダイナミックでおもしろいと思いますが、かなり大変なのではないでしょうか。

山中 決められた脚本をスケジュールどおりに撮っていくだけだと、作業感が強くてあまり楽しくなくて。もちろん、着々と積み重ねて準備してきた部分も大事にはしていますが、『ナミビアの砂漠』の場合は、それ以上に撮影を通じてみんなが感じたことのほうが大事なんじゃないかと思ったんです。

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──『ナミビアの砂漠』は河合優実さんの存在感も欠かせない要素だと思いますが、河合さんとの映画作りはどのようなものでしたか?

山中 河合さんは、カナからはみ出さない範囲で、お芝居を毎テイク変えてくるんですよ。何度も同じ演技ができる俳優も、そのときの気持ちを大事にして毎回変わってしまう俳優もそれぞれ魅力的だと思うんですけど、河合さんはそのハイブリッドというか、そのシーンに最適な領域の中で変えてくるのがおもしろくて。だから、撮影中は河合さんにもカナにも慣れるということがなかったです。

──立ち姿というか、佇まいが圧倒的に「カナ」だったところにも驚かされました。

山中 撮影前から、河合さんとカナの歩き方を決めたりはしていました。あとは、「今、カナはどういう気持ちでいるのか」「外からどう見えて、内心ではどう思っているのか」など、シーンごとのカナのテンションもスタッフみんなと共有して。河合さんのカナがカナすぎて、スタッフがカナについて語るときに、まるで実際にいる友達みたいに話すのがおもしろかったです。

──作品の反響については、監督としてどのように感じていましたか?

山中 万人に「おもしろい」「わかる」と言われる映画ではないという自覚はありましたが、それにしても感想がバラバラで。語る人の内面を鏡のように映し出してしまう側面があるというか、その人の価値観がにじみ出てくるような感想も多かったのが興味深かったです。

──つい自分のことや、自分のまわりにいるカナについて話したくなってしまう。

山中 そうですね。個人的な記憶と結びついて、それが引きずり出されてしまう映画だというのは、いろんな人の反応を見て知りました。あと、「この人が気に入ってくれたらそれでいい」と思っていたSNSの人にも観てもらえたので、そういう意味では大成功でしたね。

基本サボってしまうので、本当に集中するときは生活から変える

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──山中さんのサボりについても伺いたいのですが、ひとりで作業するようなときに、ついサボってしまうことはありますか?

山中 仕事をしている時間のほうが断然短いです(笑)。喫茶店に6時間いても、本当に集中しているのは全体の80分ぐらいの感じで。

──仕事に集中できていないときは、何してるんですか?

山中 本を読んでいるときはまだよくて、仲のいい友達とやりとりしちゃうんですよ。用事があって連絡しても、話題が用事と関係ない方向に派生していってしまって。あとは、調べものをしているうちに関係ないことを調べ始めたりすることもありますね。でも、やらなきゃいけないことがやれていないこと自体はものすごくストレスなので、そのストレスに対する怒りをバネに仕事を片づけるんです。

──作業は基本的に喫茶店でやるんですね。

山中 でも、喫茶店で仕事をしなさすぎて、仕事をする場所じゃなくなり始めてます。いくつか店を変えるんですけど結局やらなくて、最近は逆に家でやるようになりました。脚本を書かなきゃいけない時期は、さすがにもっと集中しますけど。脚本の期間は、本気で人に会わないようにするし、やりとりもしません。

──やると決めたらできるタイプというか。

山中 撮影の半年前ぐらいのせっぱ詰まった段階になると、生活から変えて追い込みます。私の場合、脚本は自分の内面に潜らないと書けないので、外交的なモードだと書けないんですよ。

──そういった集中モードのときこそ、意識的に息抜きをする必要があると思いますが、ひと息入れるためのポジティブなサボりはありますか?

山中 人に会えないし、仕事と関係のない本を読むようなこともなくなるので、食事だけはすごくこだわります。ステーキとかすき焼きとかパフェとか、普段食べないようなものを食べてエネルギーをつけるんです。逆に普段食べているようなものは好きでも食べない。それがジンクスのようになっていて、普段の自分からは出てこないようなものを生み出すために、普段とは違う自分に変えていくんです。

──食事が儀式みたいになってるんですね。

山中 ガソリンだと思って食べてるので、息抜きにもなっていないのかもしれません。食べること自体は楽しいんですけど。

──では、日常モードのときに純粋に心休まるのはどんなときですか?

山中 飼っている猫といるときですかね。もともとは旅行とかも好きだったんですけど、猫がいるし、結局疲れるので全然息抜きにならなくて。今は普通に歯医者に行ったり、整体に行ったりすることで癒やされます。自分をないがしろにせず、大事にしていると思えることでホッとできるというか。昔の自分だったら「ウソつくな!」って軽蔑しそうですけど(笑)。

──日常の感覚が変わってきていると。

山中 そうですね。以前はホッとする時間があまりなくて。やっぱり趣味でも人と会って話すでも、何をやっていても仕事の役に立ってしまうから、ずっとオンの状態になってしまうのがつらかったんですよ。でも、最近はそれが受け入れられないとか言ってる場合じゃないというか、それもしょうがないなと思えるようになった感じですね。

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撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平

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