K-POP好きこそ観てほしい。日韓の美術交流をさかのぼる『いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年』主任学芸員・日比野民蓉が伝えたかったこと|「林美桜のK-POP沼ガール」マレジュセヨ編

「林 美桜のK-POP沼ガール」
K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム
2025年12月6日(土)~2026年3月22日(日)まで開催されている展覧会『いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年』は、1945年以降、日本と韓国が影響を与え合いながら紡いできた、美術の軌跡を見つめ直す企画です。
本展開催の横浜美術館があるみなとみらい駅周辺は、コンサート会場が多く、K-POPファンの方にもおなじみの場所かもしれません。ライブの高揚感とはまた違う角度から、「おとなりの国」とのつながりを感じられる時間になるでしょう。

Kカルチャーが私たちの日常に根づいた今、アーティストたちが紡いできた長い対話の歴史、そこで生まれた表現が映し出すものとは? 展示をじっくり鑑賞した林美桜が、本展を企画した横浜美術館主任学芸員の日比野民蓉(ひびの・みよん)さんにお話を伺います。
優劣をつけず「多様性」を表現する展覧会
林 見応えたっぷりで本当に素晴らしい展示でした……! これまでの展覧会であまり目にすることのなかった視点もたくさん感じ取れたのですが、そもそも日比野さんが本展を企画したきっかけはなんだったのでしょうか?
日比野 話し始めると少し長くなってしまうのですが(笑)。これは日韓国交正常化60周年を記念する展覧会でもありますが、その10年前、日韓国交正常化50周年の節目のとき、私は国立新美術館(新美)にアシスタント・キュレーターとして在籍していました。その際に新美が、開館当初から毎年開催していた現代美術のグループ展を韓国の美術館と一緒にやることになったんです。

さらにその前、大学院の修士課程での私の専門領域は、1945年以前の日本と朝鮮半島の美術の関わりでした。ただ学芸員の仕事を始めてからは、現代美術分野のお仕事をする機会が多くなっていった。つまり、学生時代に関心を持っていた1945年以前から、一足飛びに2000年代へと対象にする時代が飛んでいったんですね。
そうすると「1945年から2000年代に至るまでの韓国、あるいは朝鮮半島と日本の美術の関係はどうなっていたのだろう?」という疑問が湧いてきました。そこで調べてみたところ、45年以降の日韓の現代美術の歴史を、大きな視点でさかのぼる展覧会は、両国とも過去に開催されていないことがわかったんです。
「これはどこかで誰かがやらなければいけない」と思っていたのですが、美術品の海外輸送がある・なしで展覧会にかかる費用が桁違いに変わります。国内作品だけで成立させるのか、海外からも借りるのかで、予算規模はまったく違ってくるんです。
マティスやモネ、ゴッホのように、何十万人もの来場者が見込める、いわゆるブロックバスター的な展示とは事情が違うわけで、正直コストパフォーマンスがいいとはいいにくい企画になる。ですから、いつ実現できるだろうかとずっと機会をうかがっていました。
そんな折、横浜美術館が大規模改修工事のために長期休館することになりました。そしてリニューアル後の館のコンセプトをどうするかという議論の中で、「多様性」というキーワードが掲げられたんです。
そのときに「もうこれしかない」と思い、長く温めてきたこの企画を、館のリニューアルオープンの理念を体現する展覧会としてぜひ実現させてほしいと提案したところから、すべてが始まりましたね。

林 「多様性」を体現する展覧会ということは、韓国と日本、そして在日コリアンのアーティストによる作品が並列で展示されているところにも表れていますよね。
日比野 そうですね。これまでにない試みなので、「大変だったことはありますか?」と聞いていただく機会も多いのですが、意外とないんです。
というのも「そこに優劣はない」ということが、最初から展覧会の基本コンセプトにあったからです。在日コリアンであるがゆえに、日本の美術史からも韓国の美術史からもこぼれ落ちてきた部分が少なからずある。その活動をきちんと位置づけたい、という思いが出発点でした。
グローバル社会の現在は、国や民族、共同体といった単位で美術を語ること自体がナンセンスになりつつある時代です。それでもあえて「日韓」というフレームを掲げる展覧会である以上、その“はざま”にいる在日コリアンの活動を一緒に語らなければ、日本と韓国の現代美術史を正しく描くことはできない。そう考えてスタートしました。

林 在日コリアンの人々による“はざま”の感覚が、この展示には強く表れていると思いました。在日コリアンのアーティストの作品で、日本と韓国のはざまにあると感じられる表現の傾向のようなものはありますか?
日比野 「在日コリアンによる作品だから、こういう表現傾向がある」という語り方は、私自身はしないようにしています。属性から作品を捉えるのではなく、まず作品そのものがどのような意味や感覚を鑑賞者に与えるのか、そこから作家のバックグラウンドへとさかのぼるほうが、キュレーターとしては適切なアプローチだと考えているからです。
ただ、時代ごとに各作家が置かれた社会状況でどのような表現をしてきたのかを見ると、たとえば1950年代の在日コリアンの作家たちは、当時の社会問題に対して非常に強い問題意識を持って制作していたことがわかります。
もちろん、それは在日コリアンの作家だけに限った動きではありません。1950年代の日本でも、社会的テーマを美術に積極的に取り入れる流れはありました。ただ、在日コリアンの作家の中には、帰国事業のような自分自身の立場に直結する問題や、日常生活の中のコミュニティや集住地を描く作品など、より切実なテーマが表れやすい傾向はあったのではないかと思います。
日韓国交正常化以降の、美術交流で生まれた作品たち
林 社会状況の変化の中でアートが何を映し出していったかというお話は、個人的に、日韓国交正常化で両国の交流が一気に盛んになった1965年以降の作品を見て強く実感しました。
日比野 たとえば、本展にも展示されている関根伸夫さんの『位相-大地』(1968年発表)は、土を掘り起こし、その形をそのまま隣に置くという作品で「もの派」(1970年前後の日本で起こった美術の動向)の先駆けともいわれています。
手前:『位相-大地1』(関根伸夫、1986年/個人蔵)、左奥:『風景(I)(II)(III)』(李禹煥、1968年/2015年/個人蔵(群馬県立近代美術館寄託))、撮影=加藤 健
ただ、関根さんがあの作品を作っただけでは、もの派は成立しなかったと考えられています。日本を拠点に活動し、当時の日本の最前線の美術動向から強い刺激を受けていた作家の李禹煥(リ・ウーファン)さんが『位相-大地』を目撃し、「ここから新しい美術が始まる」と直感し、それを言葉で理論化しました。そのテキストは韓国語にも翻訳され、韓国の若い作家たちにも読まれた。つまり日本で起こっている動向が、ほとんど時差なく韓国に伝わったわけです。
また李禹煥さんに関してはもちろん言葉だけでなく、作品も象徴的だといえます。中でも『点より』『線より』のシリーズは、絵の具を筆につけ、点を打ち、かすれるまで線を引くといった、書道にも通じる行為の痕跡を通じて、日本と韓国を含む東洋の視覚文化に根差しながら表現するものです。韓国出身の李さんが日本を活動拠点にして、より広い視点から文化を見つめ直したことで、このシリーズが生まれたとも考えられるでしょう。

写真上:『点より』、写真下:『線より』(李禹煥、1977年/東京国立近代美術館蔵)/日比野「1970年代前半に始まった李禹煥の代表的な絵画シリーズで、絵画作品は韓国の『単色画』にも数えられますが、絵の具がかすれていくさまや筆のリズムの痕跡が単純に見ていて楽しい作品ですよね」
こうした思考や表現の往復が、国交正常化をきっかけに本格的に始まった。1960年代後半から80年代にかけてが、日本と韓国の直接的な美術交流の萌芽期だったと思います。
林 さまざまな作品が行き来することで生まれた表現というものを、実際に目の前にすると「交流ってこういうことなんだ」と実感しますね。
日比野 一つひとつが個人的なバックグラウンドと密接なことがわかりますよね。たとえば海老塚耕一さんの『Correspond-1977年7月 大邱の余韻』という作品は興味深いです。こちらが制作されたのは2024年ですが、その素材に関しては、さかのぼること1979年に初めて韓国を訪れたときに買い求めたものなんです。

『Correspond-1977年7月 大邱の余韻』(海老塚耕一、2024年/個人蔵)/林「オンドルに使われる紙が使用されているんですね」 日比野「はい。壮版紙(チャンバンジ)というもので、伝統的なオンドルに使用するときと同様の表面処理が本作にも施されています」
海老塚さんは横浜・鶴見の出身で、在日コリアンが多い地域で育ちましたが、その歴史について深くは知らなかった。大学時代に在日コリアンのジャーナリストの著作を読み、日本の帝国主義の歴史と彼らの人生がどう結びついているのかを知り、大きな衝撃を受けたそうです。
1979年に韓国へ渡航し大邱(テグ)で滞在制作を行い、伝統的なオンドル(かまどを焚いたときに出る煙を利用した暖房)の床に使われる紙の質感に強く惹かれ、持ち帰ります。しかしその紙は、先ほどの背景があったことから、海老塚さんにとってあまりに大きな意味を持つものとなって、長い間使えなかった。およそ半世紀近く経って、ようやく作品に用いたのが『Correspond-1977年7月 大邱の余韻』だといいます。
「視覚的な体験」で、若い世代にもより響く展示に
林 会場には若い来場者も多くいらっしゃいましたが、本展を通じて初めて日韓の歴史を知る方も多いのではないかと思います。
日比野 そうですね。どんな方が来て、どんな感想を持ってくださっているのか、私も日々SNSなどで拝見しています。特に第1章『はざまに──在日コリアンの視点』のところで「全然知らなかった」という声が多く、在日コリアンの歴史があまり知られていなかったことも、改めて感じました。
第1章『はざまに──在日コリアンの視点』は、日本と朝鮮半島に国交がなかった1965年までの20年間の在日コリアンに焦点が当てられている/日比野「林典子さんやナム・ファヨンさんといった、1965年以降に生まれた世代の作家の作品をあえて並べて見せることで、遠い過去の話ではない問題として引き寄せて考えてもらおうと考えました」
ただ「在日コリアンの歴史に関する展示です」という言葉が先行してしまうと、どうしても入りにくい部分があると思うんです。高嶺格さんの作品『Baby Insa-dong』にもありましたが、「在日」というワード自体が日本社会の中で排他的に扱われ、差別の対象になってきた歴史があるからです。
若い世代によって韓国や朝鮮半島に対する感覚が大きく変わったとはいえ、日本人にとって「在日コリアン」という言葉に対する一種の恐れや戸惑いがまだあるのではないかと思います。どこまで話していいのか、間違ったことを言ってはいけないのではないか、と。知ること自体が、自分たちの過去や先祖を振り返ることにつながる。その触れ方が難しい、と感じる方もいるのが事実です。
でも、美術作品はまず目の前に“ある”ものです。本をひとりで読むのとは違い、同じ空間で多くの人と共有できる。視覚的な体験として入ってくるのが、美術の強みです。たとえば古美術を見たとき、何千年も前に作られたものが今も目の前に存在しているという驚きがありますよね。近代美術であっても、80年前の人たちがこういうものを作っていたという事実が、まざまざと迫ってきます。
言葉や概念から入るのではなく、視覚的な体験から入ることができる。そういう意味で、若い方々にとっても新鮮な驚きとして受け止められているのではないかと思います。
林 展示の中でも、中村政人さんの写真作品は、若い来場者に刺さるのではないかと感じました。ソウルで撮影された一連の作品からは、街の細部に寄せられた関心を感じ取ることができて、すごく現代っぽいなと。
中村政人による写真作品の展示/日比野「中村さんの作品は着眼点が秀逸ですよね。ソウルの街が持つダイナミックさを細部に見出して芸術として捉える視点が感じ取れます」
SNS上などで、旅行先の看板やオブジェなど何気ないものの写真をアップする若い方が多いので、それに近い感覚だったのかもとおもしろく鑑賞しました。中村さんは1990年に、日本から韓国へ留学されていたんですよね。
日比野 そうですね。80年代後半から、旅行などで日本から韓国へは行っていたそうです。
中村さんが美大生だった当時は、多くの日本の若者がアメリカを目指していました。アメリカで最先端のアートを観て、ギャラリーに扱われて認められるというのが、アーティストにとっての「ゴール」としてまなざされていた時代だったんですね。
でもその感覚が、中村さんとしてはあまり腑に落ちなかったそうで、「それって本当にそうなの?」という違和感があった。そんななか韓国に行き始めて、「近い国にダイナミックな世界が広がっている!」と感じたそうです。
中村さんの写真って、ソウルの街で一般市民が行っている営みが、そのまま芸術のように見えてしまうところがおもしろいですよね。街の中の風景や、人々の振る舞い、制度やルールのズレみたいなものに、非常に鋭く目を向けている。欧米を目指す前に、すぐ隣にある国にまったく違うおもしろさの文化や社会があることに気づいたんですね。その感覚が、中村さんを韓国留学へと向かわせたのだと思います。
「いつもとなりにいる“から”、その先は?」と、問いを投げかける
林 そして近年の若い世代による作品も、興味深かったです。特に、武蔵野美術大学と朝鮮大学校によるプロジェクト『突然、目の前がひらけて』(市川明子、鄭梨愛、土屋美智子、灰原千晶、李晶玉/2014〜15年/2025年)のコーナーでは、作品もそうですが、作家同士による話し合いの記録が展示されている形式が印象的でした。
『突然、目の前がひらけて』(市川明子、鄭梨愛、土屋美智子、灰原千晶、李晶玉/2014〜15年/2025年)/プロジェクトを実践したメンバーがそれぞれ「日本人」「在日朝鮮人」の立場で続けた対話の記録が展示されている
日比野 塀を隔てて隣り合っている武蔵野美術大学と朝鮮大学校の間に、橋を架けるプロジェクトですよね。ただ最も重要なことは、今おっしゃっていただいたように「橋を架けたこと」そのもの以上に、そこに至るまでのプロセスでした。
5人の作家たちが、各自のアイデンティティに関わる問題意識について、痛みを伴いながらもやめなかった対話。その軌跡こそが、このプロジェクトの本質なのではないか。だからこそ今回の展示でも、抜粋にはなりますが、そこで交わされた彼らの言葉がちりばめられています。
林 ここで観た作品についても誰かと話したくなるようなものばかりでしたし、対話を続ける大切さは、この展覧会の鑑賞後に最も強く感じました。
日比野 ありがたいことに、「人と感想を交換したくなった」という声をよくいただいています。
『いつもとなりにいるから』という展覧会タイトルは、あえて「~から」と文章を途中で止めることで「いつもとなりにいる“から”、その先は?」と、問いを投げかけるかたちになっています。「いつもとなりにいるから、どうなのか」「だから、私たちはどうするのか」といった、日本と韓国が地理的に隣にあるという事実のその先を、どう考えていくのか。
誰かと一緒に語り合うのも、自分の中で言葉をつないでもいい。来場してくださった一人ひとりが、「から」の続きを考えられるような展覧会になっていたらと思います。

横浜美術館リニューアルオープン記念展
『いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年』
2025年12月6日(土)~2026年3月22日(日)
10時~18時
※入館は閉館の30分前まで
※木曜日は休館
文=菅原史稀 撮影=佐々木康太 編集=高橋千里