母がいなかった、味のしない「サッポロ一番塩らーめん」を食べた夜(吉宮るり)

エッセイアンソロジー「Night Piece」

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エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」
「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。

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吉宮るり(よしみや・るり)
東京都出身。2016年にデビュー。声優としてアニメやライブなどに出演。現在は『アサルトリリィシリーズ』や、『けものフレンズ JAPARI STAGE!〜きみのあしおとがまたきこえた〜』など舞台にも出演し、2025年3月には自身初のミュージカル『インサイド・ウィリアム』にジュリエット役で出演した。2025年10月気象予報士合格、2026年1月~グリーンチャンネル『中央競馬全レース中継』(日曜・前半)キャスターに就任。

私には生涯忘れることのできない夜がある。
2004年12月27日
私が7歳のころ
母が突然いなくなったのだ。

その夜、私は父とふたりきりだった。

「妹ができるよ」

あれはたしか登校前の朝に言われた言葉だった。

え!? 私に妹!?
と思ったのをよく覚えている。

なぜなら、これまでずっとひとりっ子だった私。当たり前に両親の愛情を一身に受け、ぬくぬくと生活していた私にとって、突然現れた家族となる者の存在に驚きを隠せなかった。

それに当時の私の常識では兄弟姉妹は2〜3歳しか離れていないものだと思っていたから、すでに小学校に上がっていた私にできると思っていなかったのだ。

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よく「上の子は下の子ができると甘えんぼさんになったり寂しがる」というが、もともとぽけーっとした性格だった私にそんな感情は特になかった。

強いて言えば、幼なじみで仲よしの数少ないひとりっ子同士のなぎさちゃんに「なんて言おうかなぁ」と考えるくらいだった(なぎさちゃんとは今でも仲がよい)。

余談だが、なぎさちゃんに妹ができることを伝えたところ「へー」という返事が返ってきた。
「反応そっけないな」なんて思っていたが、しばらく経ってから私のところにすごい勢いで走ってきて「妹できるの!?」と聞かれた。会話って知ってる?

そんなこんなで始まった、母のお腹に妹なる存在がいる生活。

今までバスの座席には必ず私を座らせてくれていたのに、私ではなく母が座るようになり、ぶすくれていたことや、妊娠中の母に「私と妹どっちが好き?」なんて悪魔の質問をしたこと以外は、特に大きなことは起こらなかったように思う。

 

 

 

そして忘れもしない2004年12月27日の夜。

どういう経緯で母が入院したのかは忘れたが、とにかくその夜は父とふたりだった。

「もうすぐ産まれるんだろうなぁ」

子供ながらに思った。
こうして文字に起こすとアッサリしているが、悲しくて悲しくてたまらなかった。

夜ご飯はいつも母が作ってくれるのだが、その日の夜は父が「サッポロ一番塩らーめん」を作ってくれた。
サッポロ一番塩らーめんは家族全員大好きで、みんなでよく食べていた。

いつも母が座る席に私が座り、父と向かい合って食べた。

会話はなかった。
父は険しい顔で食べていたし、
母がいないことといつもあるはずの具がないらーめんを食べたら、寂しくて寂しくてしょうがなくて。
泣きはしなかったものの、悲しい気持ちでひたすら食べた。
あんなに大好きだったサッポロ一番塩らーめんの味がわからなかった。

こんな夜が続くなんて耐えられない。
私だけの母じゃないの?
早く母が帰ってきてほしい。
寂しい寂しい。

妹が産まれるとわかってから初めて感じた「寂しい」だった。

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次の日、12月28日。

子供というのは切り替えも早いもので、このときの私は「産まれる瞬間見られるかな〜」なんてのん気なことを考えながら病院へ向かっていた。

病室を開けた瞬間びっくりした。

もう産まれていたのだ。

産まれてから時間が経って、だいぶ落ち着いた様子の母の腕に抱かれた妹らしきピンクの小さい生物を見て

「誰!?」
と思った。

いやだって初対面だから。初対面って誰だって「誰?」ってなるじゃない。

このときは姉になるなんて自覚は特に芽生えず、ただ「ピンクだなー」などと考えていた。あとしつこいようだが、生まれる瞬間がどうしても見たかった……。

のちに母から聞いたところ「産まれるところ見せたかったんだけど、すごいスピードで産まれてきたのよねー」と言っていた。見せたかったはよくわからないが、がんばってくれてありがとう母。

 

 

 

そこからは北海道にいる祖母が東京に来てくれたり、退院した母がしばらく家にいたり、ピンク色ではなくなった妹をお世話したりと、慌ただしい生活が始まった。

そんな慌ただしい生活がすぐに始まったからか「寂しい」なんて気持ちはあの夜限りのものとなっていた。

これが私の忘れられない夜の話だが、もう少しだけ先の話をする。

私の人差し指を握ったり
「いないいないばぁ」をすると笑ってくれたり
子供にしては信じられない量のご飯を食べているのを見たり
走る私に小さいながらに一生懸命ついてきたり
小さい子特有のしゃべり方をするから私が翻訳して母に伝えたり
時には(けっこう)ケンカをしたり

そんな積み重ねが、いつの間にか私に姉としての自覚を芽生えさせてくれた。

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ご飯にお味噌汁をかけた“ねこまんま”をペロリと10杯食べる妹を見て「赤ちゃんってそんなご飯の量食べるのか、たくましいんだな」と驚いたことを今でも鮮明に覚えている。
このころ、毎日驚きの連続で楽しかった。

そんな妹ももう大学生。
最近では油物を控えたり野菜中心の食生活にしたり、たくさん食べることを控えたり、あのころの食生活の面影はなく、なんだか大人になったなぁと思う。

だが、7歳離れていたからこそ彼女の小さいときの姿も鮮明に覚えている。
母が子に対して思うように、どんなふうな大人になっていっても私の目に映る妹はあのころと何も変わらない。いつまでもかわいい子供なのだ。

これから先、彼女を悲しませることがひとつでも減ることを祈っているし、あの小さい体で10杯のねこまんまを平らげたたくましさを忘れずに、強く生きていってほしい。

命尽きる瞬間に一番そばにいる可能性があるのが妹だ。産まれてきてくれたのが彼女でよかったと心から思う。

寂しくて寂しくてたまらなかった夜。
あの夜があってよかった。

文・写真=吉宮るり 編集=宇田川佳奈枝

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