「男と女には恋愛しか存在しないの?」血縁や婚姻に拠らない新たな「家族」を求めて(『ちひろさん』安田弘之)

生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」

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【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」
仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。

ちひろさんの“ゆるやかで曖昧な連帯”

主人公のちひろさんは、老夫婦が経営する弁当屋で働いている。以前は風俗店で働いていた。“ちひろ”は本名ではなく、かつての源氏名。

2018年に第1部完結を迎えた安田弘之のマンガ『ちひろさん』は、弁当屋で働くちひろさんと街の人々の交流を淡々としたタッチで描いた作品だ。

ちひろさんのもとには、家庭や仕事、友人関係などさまざまな悩みを抱えた人々が訪れる。歪んだ家庭環境に悩む高校生・オカジや母親から育児放棄のような扱いを受けている小学生・マコト、父親を半殺しにした過去を持つ青年・谷口……。

ちひろさんはそんな彼らの抱える悩みに耳を傾け、つかの間の現実逃避へと誘い、再び現実に送り出していく。

たとえば、周囲へのコンプレックスに苛まれ、怪しいビジネスに手を出している元勤務先の風俗店の後輩・すずに、ちひろさんはこう語りかける。

「いいのよ みんなに置いてかれちゃえば」
「そのくだらないマラソンに勝つ唯一の方法はね 走るのやめちゃうことなのよ それしかないの」(第27話 すずちゃん)

ちひろさんの自由奔放な生き方と優しい心遣いに触れた彼らを待ち構えている現実は、変わらず苦いものだ。それでも、彼らは前を向いて人生にわずかに救いを見出していく。ちひろさんが誰かを助ける理由は「恋人だから」でも「家族だから」でもない。ただ目の前にいる人の悲しみに寄り添う。ちひろさんを中心に広がるゆるやかな連帯は、とても曖昧で繊細なものだ。

しかし、何にも縛られていないように見えるちひろさんも、たびたび「恋愛」「結婚」「家族」という強固な観念に足を絡め取られそうになる。「もったないですよ、結婚しないで」「家族がいるっていいもんなんだよ」と周囲から無遠慮でステレオタイプな言葉を投げかけられる。居酒屋で酔った男性客に絡まれ、罵声を浴びせられる場面もある。

ちひろさんの周囲を取り巻く「恋人」「夫婦」「家族」はほとんど機能していない。それらの言葉が強制するあたたかくて幸福なイメージとは裏腹に、そこからこぼれ落ちてしまった人たち、居心地の悪さを感じている人たちに本作はスポットを当てている。

「愛だの恋だのくっついたの別れたの……」ちひろさんは言う。「そんなもので心の底から満たされたことなんてなかった」。

親友にすらも認められない「お父さん」

物語の終盤、ちひろさんは恋愛や血縁や婚姻に拠らない新たな「家族」を自らの手で作ろうとする。それは名前を持たない曖昧につながっている人々との関係を、新しい名前で結び直す試みだ。それは一方で、誤解や軋轢を生むこともある。

象徴的なシーンがある。元勤務先の風俗店の店長・内海(前作『ちひろ』にも登場)と再会したちひろさんは、ひと回り年上の彼と水族館へデートに出かける。そこで彼女は内海に「店長、あたしのお父さんになってよ」と提案するのだ。

「“お父さん“ってどんな人のことかって?」。ちひろさん曰く

「一緒にいて楽しい人 信頼できる人 尊敬できる人 いざという時私の味方でいてくれる人 私のことが大好きな人(中略)なのに身体を求めてこない男」(第44話 図々しい願い)

内海は困惑し、「最後のそれだけは保証できねぇぞ」と言いながら、その提案を受け入れる。実の両親とはすでに疎遠になっているちひろさんは、自らの行動と選択によって、ゆるやかで理想的な連帯をもって、新しい「家族(に似た何か)」を築いていく。

しかし、ちひろさんが自ら名づけた「お父さん」は、周囲の人々には認められない。内海に密かに思いを寄せていた親友からは「好きなんでしょ、結局!」と激しく詰め寄られる。失意の中でちひろさんは訴える

「男と女には恋愛しか存在しないの? 好きって相手を独占することだけなの?」(第46話 飼えない女)

「家族」「恋人」は自明のものなのか?

家族でも恋人でも夫婦でもない、曖昧で繊細な関係性の尊さを本作は描いている。その枠組みからこぼれ落ちてしまう人々と1対1で秘密を共有し、新しい関係を結び直すこと───。

男女だからといって必ずしも恋愛でつながる必要はないし、血縁があるからといって家族である必要もない。私たちの人間関係はもともと均質なものではなく、淡い色から鮮やかな色まで豊かに広がるグラデーションがあるはずだ。

コロナ禍の社会で「家族・同居人」と「それ以外の人」はハッキリと断絶されてしまった。もちろん仕方のないことだとは思うけれど、それだけで割り切れない違和感も少しある。「家族」や「同居人」という単位がまるで自明のもののように扱われていることへの違和感が。

私たちは複雑で曖昧な人間関係の中で生きている。夫婦ではないけれどお互いを深く信頼し合える人、友達ではないけれど心のどこかで常に気にかけている人、家族ではないけれど心の底で深くつながっている人。そこにはもしかすると誰にも理解されない関係性も含まれるのかもしれない。

「裏があって表がある 表があって裏がある 両方のカオがあって ヒトって真っ直ぐ走れると思うわけですよ」(第24話 デキた嫁)

曖昧な関係性だから言えることがあるし、その曖昧さに救われることがある。表も裏もあっての人間だから、連帯の結び方も人の数だけ存在する。ちひろさんはきっとその曖昧さの中心にいるからこそ、ただ目の前の人をまっすぐに愛することができるのだろう。

古い物差しで人間関係を均質化しようとする社会の圧力に抗うことで、私たちはもっと豊かな名前でつながることができる。

文=山本大樹 編集=田島太陽

山本大樹
編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitterはてなブログ

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