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2013年04月21日 09:30
こんにちは!“題名舞台裏ウォッチャー”キャンディーです。 このところ日本各地で地震が多発していますが、みなさんの周りは大丈夫でしょうか?
さて、今日の放送は「日本吹奏楽ポップスの父」岩井直溥さんの特集でした。お名前を聞いてもピンとこない方もいらっしゃるかもしれませんが、吹奏楽部に所属していた人は必ず一度は演奏したことのある編曲家であり、吹奏楽コンクールの課題曲も何曲も手がけられた作曲家でもあります。岩井さんは今年のお誕生日でなんと90歳を迎えられますが、今でも現役バリバリの音楽家でいらっしゃり、今年の吹奏楽コンクール課題曲も20数年ぶりに手がけられています。 そんな“吹奏楽界の神様”的存在である岩井さんが記念すべき歳を迎えるのにあたり、是非番組でもお祝いをと思い、来週と2週続けての特集を企画しました。が、収録日。岩井さんはインフルエンザで倒れてしまい、あえなくご出演を見送られました。 ネタバラシをしますと、当初、1曲目の「黒い瞳〜ケーキ作りとtogether編」は、岩井さんに90歳のバースデーケーキを捧げたいと思い演出したものでした。ケーキが出来るまでカクテルでのどを潤してお待ち頂き、パフォーマンスを楽しんで頂いた後、ケーキをお召し上がり頂くように、と。 しかし収録を延期できる訳でもなかったので、ステージ収録ではピンチヒッターとして“歩く吹奏楽辞典”富樫鉄火さんに代行出演して頂き、後日、岩井さんがお元気になられたところでご自宅まで伺い、インタビュー出演をして頂きました。 ご覧になられた通り、昭和の激動期を生き抜き、日本におけるポップス音楽を築き上げたインタビュー内容は、岩井さんの半生と共にまるで「昭和の日本における西洋音楽史」を聞いているような思いでした。そして何より岩井さんのお話し振りは実に楽しく、心底吹奏楽音楽を愛されているご様子が感じられ、このような方だからこそ、楽しい吹奏楽作品を書き続けられるのだな、と思いました。 岩井さんの音楽、楽しいしかっこいいですよね!「黒い炎」のアレンジにしても、チェイスがアメリカで同曲を発表したすぐ後に日本で吹奏楽編曲しているのですが、当時はまだこのような作品の吹奏楽編曲法だって日本では確立していなかった頃。しかしそんな時代の古さや不自由さなど全く感じられないほど、今聞いてもものすごくパンチの効いた、かっこいいサウンドでした!
佐渡さんも番組でお話ししていましたが、これからもますますお元気で楽しくて愛にあふれた吹奏楽作品を生み続けて頂きたいものです。来週も、かっこいい岩井サウンドをたっぷりお送りしますので、どうぞお楽しみに!
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音楽学校時代はちょうど戦時中で、外国曲が極度に悪者扱いされていたとともに、「吹奏楽=軍人の音楽」的な固定観念もできあがってしまっていたようですね。
その音楽学校の橋本先生が、「音楽の幅広さや奥深さ」をまさに伝授されたわけですね。教え子に、「日本の吹奏楽の常識を覆した」人が複数いるわけですので。
團伊玖磨さんも軍楽隊で打楽器を経験したものの、橋本先生に伝授され、「美しい音楽」や「楽しい音楽」の名作を残すとともに、この固定観念を打破されました(その代表作が「祝典行進曲」)。
そして、岩井さんのおっしゃる「アメリカでは吹奏楽の奏者はクラシックもポップスも必ずやる、日本でもそれはできる」ということで、「演奏家の精神」たるものを深く考えさせられました。ジャンルや曲調が変われば演奏方法も相応に区別する、しかし絶対に偏見差別はしてはならないということですね。
お問い合わせありがとうございます!さすがに今回は吹奏楽なので、ヴァイオリニストの石田さんはご出演されていません。よろしくお願します。
あの…
神奈フィルの石田さんそっくりな人が演奏していたのですが、別人でしょうか?
本日岩井さんのお話を伺って、「そうだそうだ!」と思いました。それは、吹奏楽コンクールの評価についてです。私は、臨時で小学校の講師をしていたことがありました。一生懸命表現している子供たちに音楽や図工の評価をするのが、とても辛かったです。子供たちの自由にのびのびと表現したものに点数をつけるのは、やはりおかしいと思います。どの子も最高点です。あの時の小学校4年生だった子供たちもう50歳ちかくなります。とても楽しかったです。