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2011年11月13日 09:30
こんにちは!“題名舞台裏ウォッチャー”キャンディーです。気温もグッと下がり、冬到来の気配を感じる今日この頃ですが、年末と言えばやはり「第九」ですよね。先週発売された雑誌「日経おとなのOFF」では、一般紙なのに「第九」のみを特集すると言う、もはやこれは日本の恒例行事として捉えているような画期的な取り上げ方をしていましたが、こちらに佐渡さんの記事が大きく載っていますよ!ここからも“第九と言えば佐渡裕”と言っても過言でないほど、佐渡さんの十八番でもある「第九」ですが、今週番組で収録しました!東京近郊の佐渡さん指揮の第九コンサートは早々に完売していますので、チケット入手できなかった方も、放送をどうぞお楽しみに! さて「第九」のみならず、作曲から200年近く経ったベートーヴェンの作品は、なぜ未だにこれだけ愛され続けているのでしょう?今日の放送では「交響曲第3番<英雄>」を題材にベートーヴェンの魅力を考えましたが、最後に佐渡さんがまとめていらっしゃったように、ベートーヴェン自身が“音楽界の英雄”だったからでしょう。新しいことを試み、それには大きなサプライズが伴って、そして自分のためにではなく大衆のために作曲活動をしたベートーヴェン。でもこのことって、何もベートーヴェンだけに当てはまることでなく、時代に変革をもたらした英雄たちの仕事全般に言えます。数々の文明の利器を発明したエジソンであり、最近でいうと、スティーブ・ジョブスでしょうか。でも“モノ”は次々とより便利なものが発明されますが、音楽は200年前のまんまのものが演奏され続けると言うのは、いかに音楽の心地よさが人間にとって普遍的なものであるかということの証明にもなりますね。また最近べ-トーヴェン人気が再燃している気配がありますが、200年前の人がときめいたことを時を経て同じようにときめいている。こう考えると、また一つロマンを感じながら演奏を聴くことができますね。 |
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BSで拝見しました。
ベートーヴェンはその第一交響曲の第一楽章の第一音から新しい試みをしている。彼は当時としては最先端の前衛作曲家だったのだ。
諸井三郎さんのご著書「ベートーベン」を読み返してみようと思います。
立冬も過ぎ、“火”の温もりが恋しい季節がやってきました。
前回、キャンディーさんが指摘していた青島広志さんの“華麗なる変装道”。今回は、音楽家が誰でも憧れるベートーヴェンでした。いつも、青島さんの変装の姿には、感心しています。毎回、なかなかいい味を出していて、番組にほのかな微笑みをもたらしていて、とてもよいと思います。変装ができるキャラの存在は貴重です。ふと、もし佐渡裕さんが、変装させるとしたら、何が似合うか考えてみました。音楽家ではなく、“武蔵坊弁慶”が似合うのではと思ったりしています。
さて、今回のベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」について、私の思うことを趣くまま書いてみます。交響曲新時代をもたらしたベートーヴェン。番組では、三つの視点、
1.「新しい試み」(職人から芸術家<音楽家>)
2.「サプライズで引きつける」(前奏がない)
3.「市民のために働く」
をもって、「英雄」の楽曲とベートーヴェンの想いを探っていました。最初ナポレオンをモチーフにして、この「英雄」の楽曲を着手したと私も思いますが、紆余曲折を経て、その後、ベートーヴェンは、自分の理想の「英雄」像だけに焦点を絞ってこの楽曲を作曲したのではないかと私は考えます。もちろん、そこには、自分の姿も投影しているでしょう。だから、佐渡さんがおっしゃるとおり、「英雄」はベートーヴェン自身といって差し支えないと思います。副題も単にエロイカ(英雄)とあるところからも分かるでしょう。ベートーヴェンは、“音楽界の英雄”というのは、誰でも納得のいくことと思います。
この第3番第4楽章には、ギリシア神話に登場するプロメテウスを用いた、ベートーヴェン作曲バレエ音楽「プロメテウスの創造物」を主題として用いています。番組の解説に「自身を犠牲にして世のためになる」とあるとおり、“英雄”を称えています。このプロメテウスは、人間のために天上から“火”を盗んで与えた英雄として知られています。私は、プロメテウスの英雄こそが、ベートーヴェンが憧れていた“英雄”だったと思います。なぜそう思うか、ベートーヴェンの首に巻かれた真っ赤なマフラーに意味が込められていると思うからです。(※上記イラストでも分かるとおり)ベートーヴェンの肖像画には、しっかり赤いマフラーを巻いたものが代表として知られています。この赤い色は、“火”を象徴していると思います。自分もプロメテウスのように“火”を市民に与える英雄になるんだという強い想いを見てとれます。もちろん、ベートーヴェンの“火”とは、“火の光るメロディー”のことだと考えられます。交響曲を作曲するということは、自分の体を犠牲にして、命を削るような作業だったと想像はできます。3の「市民のために働く」の意味がここに見出すことができると思います。また、プロメテウスには、<先に考える男>という意味があります。1の「新しい試み」に通じます。2の「サプライズで引きつける」は、「英雄人を欺く」というところからでしょう。
先行きが見えない混迷深まる時代にベートーヴェンの楽曲を求めるのは、必然だと思います。なぜなら、“火の光るメロディー”なので、暗闇の中に放つ希望の火の光るメロディーを触れることで、将来の展望が開かれるからだと考えられるからです。
天上から音(火)を盗んでベートーヴェン生きる勇気のメロディー与え
ベートーヴェン渾身込めて火の光るメロディー紡ぎ人の世灯す
「英雄」は火の洗礼のシンフォニー暗き時代の未来を照らす
そうなると、プロメテウスの苦しみを解放した、最大の英雄ヘラクレスとは、一体誰になるのだろうか。えっ、まさか!?もしかしたら、大きな体格を持った人で、勇者として闘いそうな人物といえば、先程、武蔵坊弁慶が似合うと指摘した、“佐渡裕さん”しか見当たらない。この大きな体格が何よりの証拠。おそらく、ヘラクレスの棍棒を指揮棒に変えて、大鷲=私たちの苦しみの“種”を、指揮棒を振ることで、一瞬解放(退治)しているように感じます。だから、東日本大震災の折、佐渡さんは、真っ先にベートーヴェンの“第九”の楽曲でエールを送ることを考えたのも必然だったと思います。私は、ベートーヴェンのすべての楽曲には、“希望の火の光るメロディー”が込められていると思うからです。
この冬は、ベートーヴェンの“火のメロディー”に“暖”を取る人々が増えそうです。
ベルリン・ドイツ響との感激と興奮の第七番に続き第三番も聴けてうれしい番組でした。両方の2楽章と第九の3楽章が特に好きでいつ聴いてもじわっときます。美しく静かな中に徐々にうねりのように盛り上がりまた引いて行きの繰り返しに早い楽章以上にインパクトを感じます。いつかぜひ佐渡さんのベートーヴェンティクルスを聴きたいと切に思いました。
今回のサントリーでのコンサートのとき、隣席の方が目の前を通る佐渡さんに思わず「大きい方ですねえ」と感想(一列目の席なので特に?)「題名」をいつも観ていて初めてのコンサートでの生佐渡さんとのこと。サントリーでしかも燕尾服の指揮姿、包み込まれるような響きのチャイコフスキーに満足された表情でした。
さて、キャンディーさんのコメントの通りいよいよ第九の季節、来週には大阪第九の東京での佐渡レッスンがあり、12月初めには大阪まで新幹線で駆けつけて参加。そして東京での東フィルのチケットは4回確保。東フィルに電話3時間くらいダイヤル(黒電話なので)してようやくかかったので3回の予定をふやしてしまいました。もちろん番組も楽しみにしています。