2011年09月11日 09:30

 こんにちは!“題名舞台裏ウォッチャー”キャンディーです。
今週の放送日は9月11日と、東日本大震災からちょうど半年の節目に当たる日でした。そこで日頃より「音楽で復興の力になれれば」と義援金活動など含め、音楽活動されているアーティストの皆さんに激励の言葉を頂き、番組で好評だった演奏を中心にお送りしました。


 佐渡裕さんは先月、福島県いわき市と岩手県釜石市、大槌町を訪ね、震災の犠牲者を悼み海辺で弦楽団を指揮したり、地元高校吹奏楽部員の指導をされました。佐渡さんは想像をはるかに超える被害の大きさを目の当たりにし、ずっと支援し続けることの重要さをお話されていましたが、半年経った今、番組では改めて「今、音楽にできること」を考えていきたいと思います。
 

視聴者からのコメント
2011年09月17日 16:05
青い鳥

「震災から半年~今、音楽にできること」は、なかなか考えさせる内容だった。この番組を見て、私なりに“音楽”になにができるか考えてみた。
東日本大震災から、はや半年が経った。まだ、まだ、復興まで遥か彼方に感じるが、ようやく、一歩一歩と復興へ向けて歩み出してきたようだ。
東日本大震災後のまだ間もないころ、「音楽」の持つ秘められたパワーに触れることがあった。避難所となっていた体育館で、本来卒業式で歌うはずだった「歌」を子どもたちがその体育館で合唱していたテレビの映像が流れていたのを見た。その歌声を聴いていた被災者の一人が、ほおに一筋の涙がほおを濡らしていた。泣くつもりではなく自然に流れる涙。私はそれを見ていて「音楽」は、心を浄化(カタルシス)できる作用があると思ったのである。
第二次世界大戦後の沖縄では、三線(サンシン)の楽器を作るためにアメリカ軍から、配給された食料品が入っていた缶の空き缶で、三線の胴材として作ったと聞く。(※この三線は、カンカラ三線というらしい。)
また、古くは関東大震災の折り、詩人の西条八十は上野の焼け野原で、少年の吹くハーモニカの音色に癒されて、歌謡曲を手掛けるきっかけとなった。
沖縄の人々もこの少年も、なにもかも失った中で、「音楽」を無意識に求めていた。おそらく、「音楽」には、哀しみを「癒し」、そこから、「希望」へと導くプロセスがあるからだろう。「音楽」のこの効果を意識せずに沖縄の人々も少年も、音色を奏でることができた。たぶん、私たちの人間の中には、「音楽」のこの効果をDNAが知っているかだろう。のどが渇いたから、水を飲む感覚で、「音楽」を求めていたのである。「音楽」は、むしろ非日常の時こそが、「音楽」の効果が最大限に発揮される感じがする。
よく、音楽家が被災者を元気にするつもりで演奏をしていて、逆に自分たちが元気をもらったと話を聞く。なぜ、こういうことが普段のライブより起きるのだろうか。おそらく、非日常の時の方が、演奏する人も、観客も「音楽」の「感度」が高くなっているからだと思う。また、「感度」が高くなっているので、「音楽」の本来の姿が純粋に現れるからだろう。その上、演奏者と観客の<心の響き合い>に音楽の神様が応えてくれるからだと思われる。
今後、被災地へ行った音楽家と行かない音楽家に差が出てくるだろう。なぜなら、「音楽」の「原点」に触れている音楽家にかなわないからだ。おそらく、現地へ行っている回数が多い演奏家は、ぐーんと音楽家として伸びていくであろう。われらの佐渡裕氏は、今後も現地へ行って、支援を継続していくといっているので、今後、大きく化けるであろう。(私の秘かな楽しみ)
「音楽」は、心の復興を担う。音楽家に課せられた使命を音楽家は応えていって欲しい。そう思わせる番組であった。

音楽家思ふ以上に音楽は偉大なパワー秘められてをり

2011年09月11日 10:06
前田悠紀人

災害に打ちひしがれた同胞達に音楽を通して声援を送ることはとても大切なことだと思います。頑張れという言葉よりも、同悲の心を映した音楽を力づけの言葉に代えておくりましょう。
ご出演の方々のお名前は夙に存じ上げておりました。

2011年09月11日 09:33
のんちゃん

一つ一つの音楽、歌詞がしみこむようでした。ありがとうございます。